2.遭難からの幸運な出会い
ここは17世紀頃の敦煌近くの砂漠のど真ん中。
私、結城映は遭難している女子高生。正確には、もう少しすると遭難しそうな状況なのである。
……そうなんですか? などと下らない事を言っている場合ではないのだ。
岩混じりの砂漠には大小二つの太陽が昇り、揺らめく陽炎がはるか先に見える。日差しはちりちりと皮膚を焼き、両腕・両足の肌を露出させたところがだいぶ痛む。被っていた帽子は飛ばされてしまった。
「あじぃ……。『砂漠を横断するなら準備を』と聞いて、十分に準備したつもりだけど。実際、見立てが甘かったかなぁ」
食料や水を鑑みて、とっくの昔に出発した街への帰還限界点を超えてしまった。とはいえ、目的地に行って、商売のタネになるものを見つけたい。なにより、今は借金が怖い。
私は水筒を片手に取り、喉の渇きを潤した。思ったよりも消費が早い。
手持ちを確認するために、バックに顔を入れて諸々の中身を確認した。十本用意した水筒は、既に半分を切っていた。食料も残り少ない。二日持てば良い方だろう。
「これは、進むも地獄、戻るも地獄かなぁ……っと。さて、どうしたものだろうね?」
目印の大岩は、かなり近くに見える。もう二日もあれば、到着できるだろう。
町の雑貨屋さんの話では、西の砂漠を数日進めば遊牧民の集落があるとの事だ。遊牧民と言っても、その部族は殆ど移動せずに半定住の暮らしをしているらしい。
噂によると、その集落では殆ど人を寄せ付けず、帰ってこない旅人も多いという。
「……まぁ、なんとかなるかな。とりあえず先を急ぎましょう!」
既に、こんな事態は日常茶飯事となっている。危険と隣り合わせが、当たり前の『冒険狂』とでもいうのだろうか。
ズボンについた砂を払い、私はゆっくりと歩き始める事にした。砂漠を旅するのは初めてだったが、ずいぶんと厳しいものだ。
空には雲も無く風が吹くと砂が舞い散り、口や目に入るのを避けなければいけない。髪の毛にまで砂が入り込み、切り揃えているショートヘアを触ると、ざらざらと音を立てる。
昼はこんなにも暑い。だが夜になると嘘のように気温が下がるため、常にたき火を絶やさないよう気を付けなければいけない。睡眠時間は自然と短くなり、大分と体に堪える。
また、歩くたびに体力が削られるようで、その度に水や食料を摂ることになり予想外に消費することになってしまった。
それでも今までの旅と比べれば、最悪という訳ではない。もっと酷い状況は経験済なのだ。……とりあえず今は何も考えず、あの岩山を目指して足を動かすことにした。
それから二日後、目的の岩山にまで到着することが出来た。
既に大きな方の太陽は、地平線すれすれまで沈みかけており、小さな方も大分低い位置まで移動している。
食料や水も無くなっており、眩暈と頭痛が止まらない。……恐らく日射病か熱中症じゃないかと思う。もう体力の限界が近いようだ。
砂と岩が混ざり合った勾配を登ると、足への負担は更に酷くなる。けれども、足を止めると動けなくなるのは、今までの旅で経験済なので我慢しながら少しずつ進んでいく。
足元がふらふらしながらも、なんとか小高い丘の上、例の岩山によじ登った。
岩山の上は遮るものがないため、砂漠の周辺を一望できる。見下ろした先には何やら人工物がある。多分あれが遊牧民の集落なのだろう。目的地が見えたので、私は少し安心した。
しかし、あともう少しでたどり着けるだろうと油断したのか、ふらっと体がよろけて岩山から足を滑らせてしまった。
斜面をゴロゴロと転がる中、あっこれダメな奴だわ、と思いながら私の意識は、遠くなっていった……。
気が付くと、そこは砂漠ではなく建物の中だった。
建物の様子は、布と木を組み合わせたテントのようだが、随分と頑丈そうに見える。遊牧民達が使うという、ゲルと呼ばれる移動式の建物なのだろう。
どうやら落ちて意識を失った後に、遊牧民の人に助けられたという事らしい。怪我の功名と言うか、良く怪我をしなかったものだ。
周りを確認するため起き上がろうとしたが、体の節々と頭がズキズキと痛み、倒れこんでしまった。その様子を見たのか、複数の人がこちらに近づいてきたようだ。
「おお、気がつきなさったか、よかったよかった」
「急いで乳茶を持ってきます、塩は多めの方がよいですよね?」
ぱたぱたと足音が遠ざかっていき、老人がこちらを見下ろしてくる。
「お嬢さん、旅の方だろう。散歩の途中で倒れているのを見つけなかったら、危ないところじゃった。この辺りの人ではないようだが……どこから来なさったかな?」
「あ、はい。助けて頂いてありがとうございました。……どうして私が遠いところから来たと、分かるんですか?」
老人はふぉっふぉっと、少し笑いながら説明してくれた。
「どうしても何も、そんな恰好で砂漠を彷徨うなんて、間抜けな人間がこの国にいるとは思えんでな。ここじゃあ、日差しを避けるためにマントは必須じゃし、ターバンも巻いておらん。一目見て、よそ者だと気が付いたわい」
どうやら私の常識は、砂漠の民の非常識だったらしい。
「今、飲み物を持って来させておる。まずは体力を回復させる事じゃな」
と言いながら、老人は奥の方を指さした。見えないが気配はする。この建物に数人居て、私を警戒している。どうにも居心地が悪い。
「……どうもすみません、お手数をおかけします」
「構わん、構わん。砂漠の民は、旅人が来たら盛大にもてなすという決まりがあってな。気にすることはないぞ。じゃが、お嬢さんのような若い女性が、一人でやって来るというのは初めてだわい」と、言いながら老人は笑った。
痛みに耐えながら何とか体を起こした所で、奥の方から少し年を取った女性とお婆さんが、色々と持ってこちらに近づいてきた。
「よかった、元気そうで。皆心配していたのよ。これ乳茶ですが、お飲みなさい」
乳白色の液体は、少し茶色がかっていて、何かが浮かんでいる。
器を受け取り、思い切り口の中に流し込んだ。少しあったかい飲み物はほんのりと塩味が聞いており、体に染みわたっているのが感じられた。
どうやら思っていたより、自分の体はひどい状態だったようだ。
お婆さんがさらに飲み物を注いでくれたので二杯ほどお替りし、チーズのような物を齧ると頭の痛みが治まった気がした。
「ふう、ごちそうさまでした。かなり落ち着いたみたいです。改めて助けて頂き、ありがとうございました」と、敷物の上で正座をし頭を下げた。営業トークは商人の基本である。
「……まあ、この村には何もないが、ゆっくりしていくとよい」
お爺さんの提案に2人の女性も喜んでいる。
「ぜひそうしていきなさい、かわいい女の子がやってきて嬉しいわ。ここは殆ど来る人も居ない、寂しい所だから。賑やかになるわね」
どうやら、私が若く見える女性だという事で、歓迎して貰えるようだ。
「そういえばお嬢さん、まだ名前を聞いておらなかったな?」
「映です、結城映。商人をやっています。交易をする目的でこちらにやってきました」
「アキラが名前か。ユウキ族なのか、それともユウキ家か? もしや姓名があるという事は、お嬢さんはどこかの貴族の一門か何かなのかね?」
「あ、いえ。そういう訳ではなく、私の生まれたところでは誰でも姓名があるもので」
と、私は慌てて否定した。どうも異国の慣習というのは、どこへ行っても慣れないものだ。
『文化がちがーう!』という奴である。まあ、どっちが良いという問題でもないし。
そんなことを考えていると、老人が話し始めた。
「わし等はダルイム族という遊牧民でな。まあ遊牧民というても、昔からここを拠点にして、近くの草原で羊やら馬を育てておる。お嬢は商人だと言っておったが、うちの村には金目の物は何もないんじゃ。交易なんか出来るもんなのかね?」
何故か、名前を名乗ったのに『お嬢』と呼ばれた。もしかして、名前を呼ぶのを避ける習慣でもあるのだろうか。それともよそ者だからか……。そんな事を考えながら、私はいつもの調子で説明を始めた。
「いえ、そんな事はないんです。交易と言っても物々交換ですから。こちらが持っている商品で、そちらが欲しい物があればお渡しして、代わりに余っている物や安い商品を頂くだけです」
……お金を貰っても、必ず使えるとは限らない。金貨を使うところもあれば、金銀の重さで取引する地域もある。その土地ならではの交易方法となる。
お金を使えば、税金やら手数料やら何やらを払わなければならない。結局色々と持っていかれて、あっという間に利益が消えるのだ。
最初は、地方の特産物や珍しい物を取引していたが、赤字になる事も多かった。というより、どこか旅をする度に損ばかり出していた。
お金でやり取りすると、どうしても途中に商人が上前を撥ねようとする。こちらは値切り交渉をして時間を取られる。
面倒くさい事、限りない。
結論としては人間が生きていくのに、必要な物や嗜好品を揃えておけば何とかなった。例えばお酒、食品類に塩。香辛料やら着物、アクセサリーなんかも人気が高い。こっそりと国境を越え、物々交換をする毎日。
……つまり言い方を変えれば、これはいわゆる『密貿易』という奴なのだ。
この2年間、行商人として試行錯誤しながら経験した知識である。カレー屋だけでは、大金を支払って購入したマジックバックの返済資金には足りない。
商人になるために購入したのに、借金の返済で首が回らない。可及的速やかに新たな投資先を見つける羽目になった。そういう経緯で行商人を続けている。慣れない土地で苦労するのはいつもの話だ。
伊達に、行商人を続けている訳ではないのだ。私が『守銭奴』と呼ばれる理由である。……お金が儲かると心が満たされるのだから、仕方がない。
人里離れた山奥では自給自足が基本で物のやり取りをしている事もなく、そもそも商人が来るとは限らない。何処かで余った品物が別の地方では貴重、なんてことも多い。
これ捨てちゃうんですか~、だったら譲って下さいよ~という話になる。
……どっかのアイドルがやっていた事が、まさかこんな形で役に立つなんて。人生、何があるかわからない。
私は、これも何かの『縁』だろうと、この村に馴染めるようにあちこちを見回るのだった。
日常から非日常、序盤はのんびり徐々にトラブル満載になるような物語です。人が増えないと物語が進まないと言いますか。「主人公スゲー!」となるにはトラブル解決を! と言う方針です。
異世界を自由に移動出来る、という能力しか持たない主人公。この物語には、レベルもスキルもステータスもありません。普通の人間によるお話です。知恵と勇気、勢いだけで頑張る主人公なのです。
なので出来れば、少しで良いので読み続けて頂けるとありがたいです。
※史実商人について
意外と面白いエピソードを持つ商人って少ないんですよ。あまり名前が歴史に残る事も無い。
架空の人物だったり、良く分からない経歴の人も居る。そんな中から紹介していきます。
実は本編よりも、こちらの方が悩んでいたり。
<史実商人紹介>
高田屋 嘉兵衛(1769-1827)
幕末頃の商人。淡路島出身で、当時未開発だった函館を中心に蝦夷地や千島列島で商人として活躍。ここまではまあ、普通と言うか地味ですね。
当時日本と交易を求めたロシアの親書を幕府が受け取り拒否。怒ったロシアは蝦夷地を攻撃し、一方の幕府は使節として交渉していた船長のゴローニンを捕縛。
かくして、日本とロシアは100年前倒しの日露戦争に発展しそうな事態に陥る。
千島列島で商売をしていた高田屋 嘉兵衛は、巻き込まれてロシアに捕らえられる。しかし、彼は『言葉が通じないのにも関わらず』懸命に説得した結果、なんとか日露間の外交的交渉が成立し、戦争の危険は去った。
意味が分かりませんね。一応主人公のモデルの一人なんですが、何をどうしたのやら。
恐らく物凄い人徳があったのでしょう。やっている事は、商人と言うより外交官なんですけどね。
函館の方がいらっしゃったらすみません、適当な解説で。間違いなくご当地の偉人です。