11.送り狼に気を付けろ
私は、次の目的地に続く『門』を目指して、フランス東部から地中海方面へと向かっていた。
今は十四世紀初頭。まだ中世ヨーロッパは、暗黒時代と呼ばれている。人口の減少やペストの流行、儲け話に敏感な商人達でもこんな所まで来る物好きはいない。
この辺りでは、街は部外者を招こうとせず教会を中心とした城塞内に引き籠っている。
私の恰好と言えば、頭にはターバンを巻いて白いマントを羽織り、緑を基調にした上着。遊牧民の村で選んだ乗馬用の薄手の白いズボンの上に綺麗な生地を腰に巻き、ベルトで止めている。
あからさまに派手である。これを着てあの城門を潜り抜けようとすれば、奇異の目で見られてもおかしくはない。
……ここは中世、警察なんぞという治安維持は概念すら存在しない。下手をすれば、捕まってしまう危険性もある。
ふと、南方面を見ると森に向かって歩いたであろう、獣道と間違えそうな入口がある。はて、この場合どちらが安全なのだろうか?と、私は暫し考える。
最善手は、街を大急ぎで通り抜ける方法。これは、そのまま追手やら盗賊が来ないかという不安もある。一方で、森に向かって突っ切れば、最短ルートで抜ける事が出来るかもしれない。
とはいえ、どちらも女の一人旅では危険が多すぎる。
異世界ファンタジーの世界であれば、ゴブリンやスライムに襲われ叫び声をあげれば、勇者様が助けに来てくれるかもしれない。
しかし此処は現実世界だ。魔法の類はあったとしても、そのようなご都合主義は起こらないのだ。
という事で、その中間案として「街には入らないが、森と平原の隙間ギリギリの所を攻めてみる」という、どちらとも言えない妥協案を見出した。
もし、危険があれば猛ダッシュで突っ切るか、街に助けを求めれば何とかなるかもしれない、というのはどうだろうか。
……いい案だと思ったんですよ、その時はね。
周りを用心深く見渡しながら、注意深く進んでいく。当然、距離を稼げる筈も無く日没が近づく。とはいえ、街で宿屋を探すのも不安が残る。
この格好では、もし魔女狩りにあっても文句は言えないだろう。
結果として森の方に入っていく事となり、開けた場所を見つけては進み街道寄りに進んでは行き止まり、という行動を繰り返していく。
なんというか、そろそろ「森で一夜を明かす」という、最悪の選択肢しか残されていない状況となる。
繰り返して言うが異世界ファンタジーではないので、モンスターはいない。いいね?
……こういう事もある、と気を引き締め直す。
森の中でも視界の良い場所を選び、邪魔な枝などを切り払って、ここをキャンプ地とした。
大丈夫だ。……たき火を付ければ森の動物は襲ってこない筈。おおお、落ち着け……深呼吸。
すーはー、すーはーと、気持ちを切り替える。
幸い手元には、たき火に出来るようなアイテムがそこそこ揃っている。武器の類についても、いつでもスタンバっておいて、高度な柔軟性をもって臨機応変に対応する。
既に何か破綻する予感がするが、やるしかない。……なんだか、いくつものフラグを立てているような気がする。
子馬君も、ぶるるーと、沈んだ感じでこちらを見ている。大丈夫、大丈夫だって多分。
何はともあれ食事を済まそう。まずは馬にいくつかの野菜と水を与える事にした。この子、あんまり穀物類が好きではないらしく、ニンジンなんかの歯ごたえの良い野菜を好むようだ。
枯草よりも、そこら辺の生の葉っぱを齧っている。なんだか、私よりもグルメな気がする。あの遊牧民の村でどんな扱いを受けていたのだろう。
次は私の食料を準備する。とはいってもこんな状況では、乾パンや保存用の肉類を目の前のたき火で温めたお湯に潜らせ柔らかくした上で、嚙り付くしかない。
もうちょっと携行用の食料類について、研究開発を進めた方が良いのではないかと考える。
さすがに、現代日本の乾燥麺を作る、というのは無駄に世界への介入を行う気がする。
辛うじてスープの素のような、調味料と干した食料を丸める程度で良いのかもしれない。
この辺のノウハウは持っていないので、所属メンバーから聞き取り調査を行うのも良い。
彼らは遊びの合間に仕事をしているような連中だ、たまには、こちらの商品ラインナップの為に働くべきだろう。
などと、詮無き事を考えながら、たき火が消えない様に寝ずの番をする。さすがにここで眠ったら何が起きるか分からない……。
いつでも立ち上がり、荷物を纏めて馬に飛び乗る準備だけは済ませておく。
日が昇るまでの辛抱だ。そうすれば、一気に森から脱出して平原に逃げ込めばいい。
手元の『宝玉』を持ち、この世界から脱出する『門』の場所を確認する。かなり近くにまで進んでいるので、半日もあればこの世界からおさらば出来る。
何度かは体験したが、野宿というのは思ったよりも色々な音がする。木々が風で擦れる音に、小さな虫の声。何種類かの鳥がほーほーとか、かっかっと様々な声で囁いている。
馬の方も落ち着かない様子だ。無理もない、鬱蒼とした森なんて初めての体験だろう。鼻の方を撫でて、落ち着かせようとする。
……何時間か経っただろうか。たき火は、常に燃やすものを入れて消えない様に気を付けている。ぱちっと、赤く光った薪が爆ぜる大きな音がする度に馬と一緒にびくっ、と反応する。
狭い木々の隙間から見える空が暗闇から薄く青色へと変わった頃、森の奥からぐるるという音が聞こえる。
……まさか、と思ったが手元に火のついた木の枝を持ち、もう一方の手で武器を握りしめる。
音は段々と近づいてきて、複数の方向から聞こえてくる。何かいると思い、燃える枝を投げつけると一瞬いくつもの目が見えた。
これは……と思った瞬間、急いで馬に飛び乗り走り出す。恐らく、犬か狼の類に違いない。此処は奴らの縄張りなのだろう。まだ暗い森の中を無理矢理こじ開ける様に突き進む。
体の至る所に木の枝が切っかかるが、気にしていられるか。背を低くしてやり過ごしながら、後ろに目を向ける。
居た。明らかに黒い影が数頭、こちらを追いかけている。体長は五十センチと言った所か。あちらは、森の隙間をすり抜けて距離を縮めてくる。
このまま追いつかれるか、と思ったが狼達は一定の距離を保っている。
噂に聞く『送り狼』という奴だろうか?
本来の意味であれば、獲物が疲れるまで数時間でも追いかけてくるというが。森はもうすぐ抜けられそうだが、平原に出た所で一気に襲われそうだと予想する。
日が昇り始めると同時に、森を抜けた。鐙を蹴って、一気にスピードを上げる。子馬とはいえ、私の体重は軽い方だ。ぐんぐんスピードを上げて狼の群れから、ある程度の距離を取った。
その瞬間、白い塊がいくつか物凄いスピードで跳ね上がった。はっきりと狼の姿を日光で確認する。間一髪、最初の攻撃は躱す事が出来たようだ。
……それから、数時間。
太陽は、ずいぶんと上の方まで上がっているが、狼の群れは一向にあきらめようとしない。もしかすると、このまま馬のスピードが落ちるのを待っているのだろうか。
このままでは、まずいかもしれない。まず、私が長時間の乗馬を体験した事が無い。現に、鞍につかまっているので精一杯だ。
そして、子馬の方も徐々に息が切れ始めている。一定間隔の呼吸音の間に、ばふっ、と息を吐くようになってきた。
何か良い手は……と考え『宝玉』を握って『門』の位置を確認する。あと一kmは離れていない。
一か八か、今までやった事は無いが馬上で『門』を開けようと念ずる。
どの位置から操作できるのかは試した事が無い。集中力が切れて開けられなかったら、確実に終わる。
平原の向こう、建物の傍に黒く丸い球が開いていた。よし、このまま突っ込め! 狼達に追いつかれない様、目一杯速度を上げさせる。
狼にとって『門』が見えない、もしくは警戒して入らないだろう。この勝負は、こちらの粘り勝ちだった。
いつもの黒いトンネルの中、一頭と一人は疲れ果てていた。息を整えて、落ち着くまでは少し休もう。この中なら確実に安全だ。
もう『門』は閉じてしまっており、あちらの世界を見る事は出来ない。だが、狼達は一瞬で消えた我々を見失って唖然としているだろう。
『送り狼』は人間だけで結構です、と私はそう呟いた。
基本方針として、ただお金が欲しいのではなく冒険や新しい物を作った結果、皆が喜んでおまけに儲かる、と言う感じなので、商人と言う側面も持つ『冒険狂』なのです。
人との出会いと別れ、そのやり取りの中でトラブルに首を突っ込みます。全力で守るとはそういう意味です。なろう系では善人と言うのが少ないし、そう言う人の物語があっても良いと考えています。
あまりにそういう作品が少ないので間違っていないか、いつも不安です。同意して貰える方は評価☆を入れて貰えると、自分の物語に自信が持てます。よろしくお願いいたします。
< 史実商人紹介 >
あまり、商人らしくない人を出すのもあれなので、真っ当な海外の商売人をご紹介。
ネイサン・メイアー・ロスチャイルド(1777―1836)
ドイツ出身のイギリスの金融商。所謂陰謀論で有名な『ロスチャイルド家』の祖にあたる。何というか、エピソードが如何にも「銭ゲバ」と言う感じのする人物である。
ナポレオンの大陸封鎖命を利用して密輸したり、ワーテルローの戦いでイギリス国債を売りまくって相場を混乱させた後、おもむろに買い占めて莫大な利益を稼いだり、と言った具合に金が儲かるなら何でもやる、と言う感じの商売人。そりゃ陰謀論も出るわ、と思わされる。
お金儲けをするなら、ジャンルを問わず地下鉄から植民地、不動産迄ありとあらゆる金儲けに邁進している。結果的に産業革命が進むイギリスを支えた、と言われても本人的には『お金おいしいです』程度の認識だろう。人道的なポリシーがない、所謂ガチ資本家と言う印象しかない。
日本の商人は「三方良し」などの道徳心溢れる商人だが、海外の商人って、こういう手段を問わない系の死の商人や奴隷商人が多い気がします。