【番外】皇帝達のぶらり旅
ピョートルとの別れが近い。思えば、自分にとってあこがれの人物と接する事が出来たのは行幸だ。
国を指導する立場として先輩でもある。サンクトペテルブルクまでの旅で、ロシア国内の様子を聞くだけでも、自分の国の方向性を考える助けになる。
「ムラトさんは真面目ですね。仲の良い人とぶらぶら旅をするのだから、もっと楽しめばいいのに」
「千鶴、それは違う。あくまでも私は世間を知りたいのだ。貴重な経験を逃す訳には行かない」
何の義務無しで楽しむ為だけに行動出来れば、どれ程面白いだろうか。……所詮、意味の無い空想である。
「そうですね。私だって海賊には拘りがあります。一時期は全て捨ててしまったけれど……。生まれてからずっとその為だけに努力したのを無駄にするのは、躊躇しましたし」
「国全てを投げ捨てるのは、無理ってもんだ。自分の血肉を切り落とす行為だからな……」
王族と言う者にとって、自分の国と言う者は体の一部と同然なのだ。簡単に捨てる事など出来ないのは、誰でも同じだ。ピョートルだって、自由に行動しているように見えて常に国の近代化の事を考えている。
「ただなぁ、自分の幸せを全て捨てろって話じゃない。お前さん方は付き合っているんだろう? 幸せになる権利だってあらぁな……」
「えっ、あの……まだそこまでは」
「そうだな。国の将来と自分の幸せは切り分けねばな……。良い助言をありがとう」
彼と比べて、自分は個人と言う感覚が小さいかもしれない。まだ学ぶことはあるが、出来る範囲だけでも自分の楽しみは必要なのかもしれない。
「……とは言っても好き勝手にやって、国を傾けるのは論外だがな!」
三人で笑い合う。どうにも、生まれが特殊だけにそういう話が多くなってしまう。
「そういえば、アキラから聞いたのだが『康熙帝』と言う中華の皇帝とも顔なじみだそうな」
「あの姉ちゃん何者なんだか。どうやったらそんな事になるんだろうな?」
「あのオジサンも、変わり者ですよ。一度みんなで集まれば面白いでしょうけど」
何と言うか、あの人は色々な人を引き付ける魅力があると思う。とはいえ、千鶴の反応を見るに変わり者の皇帝と言うのは、自分達と同じだろう。
「変わった『縁』という事だな。アキラは誰も特別視しないし、一人の人間として対応してくれる」
「ああ、俺が皇帝と知ってて、掃除までさせるのはどうかと思うがな」
「本当に変人ですよね。あれで自分はまともだと思っているんですよ!」
三人で大爆笑してしまう。一番の変人が何を、と言った所だ。
「だがまあ、面白かったぜ。ああいう奴は、きっと大物になる」
「確かに。いずれ何かを成すのだろうな」
「常識がぶっ飛んでいるだけです。まともな恋愛も出来ないんですから……」
身内からの評価は低い。我々からすれば、何の後ろ盾も権威も無く行動するというのは、想像の埒外である。権力を異常に嫌う、と言うのも考えられない。
「お姉様は、偉い人からお金を巻き上げるのが好きですからねぇ……。貧しい人や弱い人しか見ていません。変わってますよね」
「そういう人間もいるのだな。書類一つで何かを決める我々には、想像もつかないが」
「……だが、悪い奴じゃねぇ。一緒にいて楽しくなる奴だ」
確かに、自由気ままで突発的に行動する。それでいて、誰も傷つけない。そういう人だ。
「まあ、俺も年だしそろそろ跡継ぎの事も考えなきゃならん……。派閥の事も考えると頭が痛い」
「そういう物ですか……。確かに我が国の慣習も考えると、そう言う争いとは無縁ではないか」
「……幽閉されていつでも殺される環境って、恐いですよね。王宮ってそういう物なんですか?」
千鶴が大真面目に質問する。……積極的にそういう事に興味を持って貰える位には、意識しているのだろう。
「そうだな。世継ぎ騒動は国が割れる一番の原因だ。いい加減には出来ない」
「……そういう陰湿な事は、向いていないですねぇ」
「どこの王族だって、そう言う話は程度の差こそあれ、良くある話だからな」
ピョートルが何かを思いついたらしい。私達二人に提案を持ち掛けた。
「折角だから、俺んちに来いよ。歓迎するぜ」
「……俺んちって、宮殿ですよね? いきなり過ぎますよ」
「私は構わないが、良いのかい?」
「俺の家族にも紹介してやりたい。是非来てくれないか?」
そういう話で少しの期間、サンクトペテルブルクの宮殿にお邪魔する事になった。ただまあ、遷都を行って間もないため、宮殿の半分は工事中だ。
「初めまして、奥様。ピョートル陛下と旅先で親しくさせて戴いた、日本人の千鶴と言います」
「同じく、オスマンから来たムラトと申します。彼とは他人と思えない日々を過ごさせて頂きました」
「妻のエカテリーナです。まったく、この人ときたら面白そうな所にお忍びで出かけては、私が留守番する事になってしまって……ご迷惑だったでしょう?」
随分と捌けた感じの奥様だ。……似た者同士、と言う言葉を思いついたが黙っておく。
「ははは。こいつはな、千鶴みたいに王族でも貴族でもない一般の出身でな。俺が惚れ込んだのさ」
「……本当にどこかで聞いた話ですねぇ」
世の中は狭いものだ……。この夫妻は、私達の境遇にそっくり同じ体験をしているという事か。
「あなた方も恋仲なのかしら? 良いわね、若い人は……。私なんて構って貰えなくてねぇ」
「ちゃんと帰って来ただろう。旅先の話を聞かせてやるよ。良い思い出になる旅だったんだ」
やがて、晩餐会が開かれて我々四人で形式的でない、ざっくばらんな会話をする。……不思議なものだ。彼らは、肩書も立場も関係無く語らいが出来る。千鶴も今までの冒険の話で盛り上がっている。
「海の向こうですか……。素敵なお話ねぇ。いつか、私も遠くへ行ってみたいわ」
「こいつは、本当にやるからなぁ。そういう話は、また今度な」
「貴方ばっかり外に出て、私だってぶらり旅に出たい時だってあるのよ!」
「奥様、随分と活発な方ですね……皇后ってもっと肩肘張ったものだと思ってました」
確かに、王族らしくは無いが活気がある。配下の人々も楽しそうに仕事をしていると感心する。
「皇帝と言ってもヨーロッパの果てだ。歴史も無ければ、国力も無い。だから、臣下たちとも皆で支え合い盛り上げているのさ」
「……千鶴さんもそういう生活が出来ると良いわね」
「あの、私とムラトさんはそういう……」
「まだ、恋人にもなっていないのでね。……若干は歯痒いが、時間が経てば変わっていくでしょう」
それを聞いて、エカテリーナさんが大笑いする。どうにも面白い人だ。
「応援していますわ、千鶴さん」
「あうう、はい……」
そうして、男女で別れて色々と話をした後、寝室に案内される。随分と豪勢な部屋には千鶴がいた。
……初めて見るような、露出の多い服装だった。
「あの、恥ずかしいのであまり見ないで下さい……奥様に面白がって着せられたんです」
「良く似合っているよ」
「……そうですか!? 私、こういうの慣れていなくって」
千鶴の様子を見るに、嫌がっている訳ではなくただ恥ずかしい様だ。
「私……チョロいですから、ムラトさんに今迫られたら断れないと思いますよ」
「……そうだね。ただ、こちらも意地がある。帝王学で最初に学ぶのは、女性の色気に騙されない事、だ」
王族にとって、後継者程悩ましい事は無い。幽閉先で女性に騙されて子供を授かるなど、言語道断なのだ。
据え膳食わぬは、などと言うのはオスマン帝国の王族には少なくとも存在しない。
それをおかしいと思った事は無いし、外見に釣られる程度の低い見識で居る訳でも無いのだ。
「お互いの気持ちが通じ合った時に行うもので、一方的な関係は良くない」
「ムラトさん、そう言うの頑固ですよね。……じゃあ、何もしないで一緒に寝ましょうか?」
「そうだね。とても良い夢が見られそうだ」
私は千鶴と一緒に広いベットに寝転んで、これからの事を考えるのだった。