神出鬼没な田中さん!
とある町のとある学校。その一室で、三人の女子高生が輪になって話していた。
「今日さ、放課後カラオケ行かない?」
「あー、ごめん! 私、今日はバイトなんだよねー」
茶髪の女子高生は、バイトを理由に誘いを断る。しかし、表情は柔和でどことなく嬉しそう。
「それにしては楽しそうじゃん?」
「あ、バレた? 今日ねぇ、『田中さん』と一緒のシフトなんだよね~」
「──でた、『田中さん』」
「真由って、『田中さん』大好きだよね~?」
二人の女子高生は、茶髪女子の真由こと、斉藤真由をからかう。
「えー、そんな話題に出してないでしょ?」
「いやいや、バイトの話になったら大体『田中さん』が出てくるじゃん!」
「そうかなぁ……」
真由はこれまでの会話を思い返してみる。すると、全く関係ない話が頭に浮かぶ。
「そういえば、この間ね──」
◇
とあるファストフード店の事務所に、一人の女子高生と男子大生が椅子に座ってくつろいでいた。
そのファストフード店を一言で表すと、ポテトが揚がった時に特徴的な音楽が流れる「あの店」だ。
斉藤真由は高校生になってすぐにここのバイトを始め、もうすぐ半年が経とうとしている。
彼女の目の前に座っている大学生は『田中さん』と言って、真由が入ったばかりの時に色々と教えてくれていた教育係のような人で、大人っぽい笑顔が特徴の、いわゆる「デキるアルバイト」だった。
土曜日の朝からシフトインした二人は、ピークの時間帯を過ぎ、揃って休憩時間に入った。
真由は賄いのハンバーガーをかじりながら、ぼーっとその大学生を見つめる。疲れているのか長机に突っ伏していて、賄いなどを食べる仕草はない。
お腹は空かないのかと心配になるが、いざ休憩を終えて仕事に入ると完璧な笑顔を張り付けて、一瞬のロスもない作業を周囲に見せつける。
真由はそんな田中さんに、かげながら好意を抱いていた。
ただ、田中さんは積極的に人と話す人ではないため、何か仲良くなれるものはないかと常に行動を見張っているのだが、アルバイト中は話しかける暇はないし、休憩中もこんな調子なので田中さんのプライベートは一切不明だった。
真由が分かるのは、少し肌が焼けている大学生ってくらいものだった。
ふいに田中さんが顔を上げる。
じっと見つめていたからか、ばっちりと視線が合って、真由は慌てて視線を逸らす。田中さんは急にふらっと立ち上がって、白黒のチェック柄のリュックサックからコンビニ袋を取り出し、その中からおにぎりとお茶を抜き出す。その時、チラッと田中さんのバッグの中に大量の単行本が入っているのに気が付いた。
「……本、いっぱいだ」
真由は、はっと口を閉じる。しかし、もう口に出してしまっているのでどうしようもなかった。田中さんはきょとんとした顔で真由を見ている。もう、こうなったら話すしかない。
「田中さんって本が好きなんですね」
真由は意を決して話しかける。丁度、目の前に「本」という話題があるし、とっかかりとしては十分だと判断した。
「そうだねー、結構読むよ」
「へぇー……」
迎える沈黙。
よくよく考えれば、あまり本を読まない真由にとって、この話題のチョイスは間違いであったと、今更ながらに思い知る。真由が読む本なんてファッション雑誌や漫画くらいであり、単行本なんて最後にいつ読んだか分からない。
「……おすすめってありますか?」
何となくおすすめを聞く。
勿論、読むつもりは……ちょっとしかない。田中さんはじっと真由の顔を見る。
「うーん……。あ、最近読んだのだと『交換日記』って本かな」
「え、『交換日記』って前に映画化された?」
非常に有名な作品で、真由も映画で見た。いわゆるラブロマンスで、田中さんの口からこのタイトルが出てくるとは意外だった。
「うん。僕は映画の方は見てないんだけどね」
「えー、勿体ないですね」
「そうかな? 小説で読むとまた違う面白さがあるよ。……って、僕は映画見てないけどねー」
田中さんはそう言って笑う。いつも見る営業スマイルではなく、八の字眉のはにかんだ笑顔。田中さんの笑顔を正面から見たことはなかったから気付かなかったのだが、笑うと両頬にえくぼができるらしい。
真由はじっとそのえくぼを眺めながら、いつもは大人っぽいのに少し可愛いなって胸が高鳴り──。
*****
「──ってガチ惚れじゃん!」
真由の回想を遮るように、ショートカットの女子高生、榊原結子が突っ込みを入れる。
「いや、違うよ! その、ちょっと気になるってだけで……」
真由は、もはや手遅れな言い訳を口にする。
「あ、そういえば結子ちゃんはどうなの? ほら、『王子様』」
「あー、それがさぁ──」
◇
県内でも有数のテニスクラブに榊原結子は通っている。
プロも輩出しているようなテニスクラブなのだが、結子もまたここでプロを目指して日々練習に打ち込んでいる。
軽いジョギングをしていると、少し遅れて一人の大学生がコートに入ってくる。
黒髪のツーブロックヘアーの優しそうな男性。テニス部にしてはあまり焼けていないほうに入るが、筋肉も肌色も程よく、ぱっと見はただの男子学生だ。いつも、白黒のチェック模様のリュックサックを背負ってやってくる。
結子はその人に好意を抱いていた。
あまり話したことは無いのだが、いつも物腰柔らかで、大人っぽい笑顔を浮かべている。他のみんながギラギラと練習に打ち込んでいるのに、彼だけは他のメンバーを思いやっていて、テニスクラブ内でも結構人気がある。
ついたあだ名は「王子様」だ。
ジョギングを終えて、乱打が始まる。コートに四人が入って、クロスに打ち合うのだ。上手い人相手なら切れることなくラリーが続くのだが、今日は不幸なことにあまり上手ではない相手とペアになってしまった。
ラリーなのに上下左右に動き回らなくてはならなく、結子は少し辟易としていた。
相手が打った球が左側に逸れていく。結子はラケットを両手で握り、バックハンドに構える。――と、その時だった。
「あぶない!」
突然、隣のコートからボールが転がってきた。そのボールは結子が踏み込もうとしている場所に運悪く転がっている。
このまま踏んだらこけてしまう。
そう思った結子はそのボールを避けようとする。しかし、結果的に言うとそれが良くなかった。踏み込もうとした右足は変な着地の仕方をしてしまい、鋭い痛みが結子を襲う。
「──っ!」
結子は体勢を崩してその場で転んでしまう。
「──大丈夫!?」
顔を上げると、そこに立っていたのは「王子様」だった。
王子様は転んだ結子に真っ先に駆け寄ってきて、結子の手を握って引き起こす。結子の胸は異常な早さで跳ね上がる。
「平気です! ちょっと捻っただけなんで──」
そう言って、結子は無理に立ち上がろうとする。王子様に心配させたくないという一心だったのだが、結子は上手に立ち上がれずに、少しふらつく。
「おっと。ほら、無理しちゃダメでしょ」
結子の体が宙に舞う。王子様は軽々と結子の体を持ち上げて、結子は、いわゆる「お姫様抱っこ」というヤツを体験する。王子様の顔がすぐ近くにある。
「えぇ! ちょっと『田中さん』!」
結子は驚きと嬉しさで大きな声を出す。
しかし、王子様は「痛かった?」と見当違いな心配をする。
結子はもはや足の痛みなど感じなかった。ただ、この時間が永遠に続けと、神に──。
*****
「──って、だから今日テニスの方は休みなの?」
「えへへ、まぁねー」
そう言って結子は包帯が巻かれた右足を見せる。痛いのか分からないが、本人は非常に嬉しそう。何でも、その包帯を巻いてくれたのも「王子様」らしい。
「──てか、彩華はそういう話ないの?」
話題の矛先は、眼鏡をかけた文学少女である三浦彩華に向く。彼女からは男性の話を聞いたことがないので、この流れで何か出ないかと話題を振られたのだ。
「えぇ、私はそう言うのは……。あ、でも昨日──」
◇
市内で一番の品ぞろえを誇る書店に、黒縁メガネの女子高生は幾つかの本を抱えながら会計レジに並んでいた。
そこは、雑貨や小さなファストフード店も併設している書店で、ここで購入した本ならば、そのファーストフード店で読むこともできる。ちなみに、彼女の友人である真由もここと同じファストフード店に勤務しているのだが、真由の働いている店はまた別の場所にある。
ファストフード店の方は比較的暇なようで、特に列ができているというような感じではない。
最前線のお客さんの会計が終わり、列が動く。
すると、片手に杖を突いていたおばあちゃんが重そうにレジ袋を持っている姿が見えた。正直、いつ転ぶか分からないほど不安定な状態だった。おそらく、みんなそう思っただろう。しかし、現代社会ではそういった買い物をする老人への配慮は希薄である。
勿論、彩華も例にもれず、大変そうだなとは思ったが、並んでいる列を抜け出してまでその老人に声をかけようとは思わなかった。
しかし、一人の男性がその老人に駆け寄ってくる。
ファストフード店から出てきたので、どうやらそこの従業員のようだが、服は制服ではなく普段着だった。たぶん、シフトが終わって帰るところなのだろう。
「大丈夫ですか?」
その男性はそう言って、重そうな荷物を取り上げる。
「あらら、悪いねぇ。ちょっと腰が悪くて……」
「いいですよ。僕、暇なんで。お家はここから近いんですか?」
「えぇ、あそこのアパート」
老人はそう言って自分のアパートがあるであろう場所を指さしている。
「あ、じゃあお部屋までお運びしますよ」
「そんな……いいの?」
「はい。すぐそこですし」
そう言って、その男性と老人は楽しそうに会話をしながら店を出ていった。
誰もが声をかけるのを躊躇するようなあの場所で、迷いなく声をかけ、あまつさえ部屋まで荷物を送り届けるという優しさまで見せる。
彩華は前の列が動いているのにも気づかないほど、その後ろ姿を見つめていて、結婚するならあんな人がいいなと胸を高鳴らせて──。
*****
「──ってことがあったの。凄いよね、物語の主人公みたいだったよ!」
「へぇー、彩華がそう言うなんて珍しいね」
男の気配が全くなかった彩華の恋バナは存外興味深く、二人は真剣に耳を傾けていた。
「顔も、こう、優しそうな感じでね。だけど、身につけてるものは結構お洒落だったなー。肌も少し焼けてたし、運動部っぽい感じだったかなー」
肌が少し焼けていて、顔は優しそう……。真由と結子は互いに顔を見合わせる。
「──バッグって何使ってた?」
「え、確か白と黒のチェック柄のリュックサックだったかなー」
「「…………」」
真由と結子は声を失う。二人ともに、とある人物が頭に浮かんだのだ。
「──え、何?」
一人状況が呑み込めていない彩華は二人の顔を交互に見る。
「ねぇ、今日さ真由のバイト先行ってもいい?」
「……うん、いいよ」
「え、なになに? 私にも教えてよー」
三人の女子高生の昼休みはつつがなく過ぎていく。
女子高生たちによる一人の男を取り合う争いが勃発するのだが、それはまた別のお話である。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
感想を与えると作者が喜びますので、絶対に、絶対に、書かないでくださいね?(笑)