3−1 森へ急げ
「……苔……蜘蛛……鼠………」
ジーブル領地を臨む小高い丘で、ニックはぽつりぽつりと呟いていた。正体を隠すべく、顔の鼻から下を布で覆い、黒いローブを羽織り、フードで顔の半分を被っている。
そして
「行くぞ」
静かに熱い号令を下すと、丘から姿を消したのだった。
牢屋の中には二人の女性が身を寄せ合っていた。二人にしては広い牢屋で、見張りの番兵から離れるように端で涙を流しながら。一人は結婚適齢期の若い女性で、もう一人は彼女よりも二周り程年齢が上の女性である。
「爆破装置が無けりゃなぁ」
「だよな。遊べたのによ」
下品な二人の番兵の愚痴に彼女たちは震えていた。閉じ込められて三日。生きた心地など無い。
しゅるしゅるしゅるしゅる。
一匹のネズミが番兵の足元をすり抜けて行った。
「うぉっ、ネズミ!?」
すると、次には大量のネズミが番兵たちの前をちょろちょろと駆けずり回った。
「なんだ!?」
「ちょこまかと鬱陶しい!」
完全にネズミに気を取られている番兵たちの背後にニックが現れ、彼等が振り返るまでもなく首の後ろを手刀で鮮やかに打ち、バタバタと気を失わせていった。
何事かと抱き合って震え上がる女性たち。すると、彼女たちの背後に僅かに生えていた苔が深緑色に輝き、大量の胞子を放った。ニックは布の上からさらに手で口元を覆い、胞子を吸うのを防ぐ。胞子を吸った女性たちは意識が薄れ、そのまま眠ってしまった。
万が一番兵が目を覚ましても問題が無いようにと、クモたちが天井から降りてきて糸を吐いて番兵の両手首と足首を壁とくっつけて身動きが取れないように固定をする。
「へっ、5分も要らなかったな」
ニヤリと笑った後に爆破装置はどのような仕掛けかと牢の上の方を見上げてみる。
「あれか」
角に黒い四角い塊が固定されていた。もしかすると牢にも仕掛けが付随しているのかもしれない。
そんなことを考えていると、ニックの横に王城庭師のリリーナが魔法で姿を現した。彼女も茶色のローブで身を隠している。
「本当に、こんな短時間で…」
番兵は倒れて固定され、牢の中では人質が眠っていて目撃をされずに済んでいる。
「時間が無い。すぐに終わらせるぞ。俺が防御魔法で牢を囲むから庭師はアレを一瞬でぶっ壊して欲しい」
ニックの視線の先をリリーナが見ると、黒い四角い箱が天井で牢に貼り付いていた。
「一応人にも直接防御魔法を施した方が良いと思うのですが」
リリーナが提案をすると
「いや、あれは部屋自体に仕掛けは無いはずだ。あっても俺が抑える。信じて欲しい」
冷静な眼差しでニックに説得をされ、リリーナは不安はあるが頷くしかなかった。
「先に防御魔法を」
リリーナは装置に向かって両手を構え、ニックに促す。
「ああ! 黄金ノ庇護!」
ニックはが片手を前に出すとバチバチと音を立てながら牢と装置を取り囲む透明な壁を召喚。まるで黄金色の静電気で覆っているようだ。
「っ!?」
こんな強力な魔法を片手で!? とリリーナは驚き、先程彼が言っていた万が一の時は自分が抑えるというのは、もう片方の手で対処するつもりなのかと推測もした。
だが見惚れる時間も無いため、彼女は魔法を唱える。
兵器を破壊し、爆破を抑え、誰もが助かるために。
「撃破ノ水!」
光を放ちながらリリーナの周りに水が飛び上がり、彼女の手からは人質を救い出したい願いから、一直線に水の砲弾が黒い装置に目掛けて放たれ、当たった瞬間に破壊された。
彼女等の予想通り、破壊は牢に連携し、格子の牢が一気に大熱を帯びて爆発を起こす。
リリーナの放った光の水とニックの放出した黄金色の庇護が爆発を逃すまいと抑え込む。
「よし、他に細工はねーな。一気に丸めるぞ!」
「丸めるって!?」
リリーナは必死に両手で魔法を維持しているが、その横でニックは余裕の笑みさえ浮かべながら使用していなかった左手を開いて出すと、ゆっくりと自分に引き戻しながら手を握りしめていった。同時に言葉の通りに炎を上げようとする爆破の渦がバチバチと彼の黄金色の電気に小さく包み込まれようとしていく。
「消えろ」
ニックが言うと、ついに極限に小さくなった爆破の渦がピリッと雷のような鋭い光を一瞬放って消えてしまったのだ。
「おし。転送神術を」
すると、部屋の中心にゆらっと薔薇の魔法陣が浮かび上がった。王城の中庭の主、白薔薇姫が召喚したものだ。
ニックは人質となった二人の女性を両肩で担ぎ、リリーナも慌てて支えに入る。
それまで朝飯前に巨大な魔法を放っていた彼だが、あまり筋力が無いせいなのか重そうに一歩一歩苦しそうに進んでいった。
白薔薇姫の作った魔法陣を通り抜けると、今度は王城の牢屋に辿り着いた。
一旦薔薇の迷宮に戻らないの!? とリリーナは珍しく焦ったが、ニックは尚も冷静だった。
「おい、そこの番兵。取り返したぞ。眠っているだけだ、生きている」
「アジュ……!?」
牢の外にはマルスブルーが居て、リリーナの名字を呼ぼうとしたが、リリーナが人差し指を唇に当てて黙るようにと諭す。
そして、牢屋を強制的に見張らされていた番兵たちが泣きそうになりながら、それぞれの大切な人を抱き締めた。
「ありがとうございます!」
「礼ならいらねぇ。狸爺がこの部屋を監視する仕掛けはどれだ」
「あ、あれがジーブル様の持ち物に中の様子を映すとのだと仰ってました」
すると番兵の一人が牢とは離れた天井にレンズのような物が取り付けられているのを指さして説明。ニックはそれを見て小声で
「気を付けろよ。アレに顔を向けるな」
リリーナに警告をした。
「今から装置の破壊作業を行う。あんたらの連れを抱えて一旦部屋から出て欲しい。5分後には片付いているから、人質が目を覚ましたら看病を頼む」
「僕はどうすれば」
「青髪王子も同じだ。部屋から出てくれ。万が一の際に守る対象は少ない方が良い」
「信じて下さい、マルスブルー殿下。私達は彼女達を救出した実績がございます。ここを終えて、王達の元へ急がねばなりません」
「わかった。スティラや囚われた国民たちを頼む」
マルスブルーが番兵たちと共に去ろうとした時、
「おい、青髪」
ニックが呼び止めた。
「俺が必ずクソ国王を止める。国の再建にあんたの覚悟と肩書が必要だ。国王を止めて終わりじゃねえ。あとで必ず大舞台を作っから、堂々と主役を張れよ」
マルスブルーが謎の青年の真意に理解が出来ずにいたが、リリーナに早く出るようにと促され、番兵たちと共に去ったのだった。
「準備はいいか、庭師」
「ええ」
「恐らくさっきと同じ作りだ。さっさと片付けるぞ」
リリーナは装置に向かって両手を構える。隣ではニックが再び片手だけを前に出して詠唱。
彼女等の身を隠した服装の隙間から鋭く光るのは、ライトグリーンの瞳と茶色の瞳。彼女等が見つめる先にあるのは平和な未来。それが訪れることを信じて身を隠しながら邪心に立ち向かっていく。
闇を蹴散らす太陽のように。




