5−3
薄っすらと意識を取り戻しつつある中、リリーナは敢えてすぐには目を開けず、周囲の気配を感じ取ろうとした。
恐らく窓が無い部屋、自分は服を着たままベッドで寝かされていて、燭台があるのだろうか、なんとなく火の揺らめく熱があるように思う。
そして、汚らわしい息遣い。
彼女が目を開くと、彼女の腕をガッチリと掴み、脚の上に男の脚の体重をかけ、覆い被さるようにして見下ろすシャドの姿が目の前にあった。
今すぐにでも泣き叫びたい衝動に駆られた、リリーナではなく、彼女の中に潜むフローラが。
「漸く見つけたぞ! 何回生まれ変わってお前を探したことか!」
従順な青年だったシャドだが、まるで別人のように目を剥き出し、口も大きく開きながら歯を見せて品の無い笑い声を上げている。
彼の背後にぼんやりと浮かぶのは、赤髪の男性。
リリーナが信頼をする多少口は悪いし説教がましいが誰よりも慈悲深い男にどこか似ていて、彼女は妙に腹立たしくなっていた。
「はじめまして」
彼女は嫌味を含めて挨拶をすると、シャドがリリーナを掴む手にさらにぐっと力が加わった。
「出てこい、フローラ! 泣き叫べ! 恐怖に慄け! 女神の君をもう一度愛させろ!!」
自分をフローラとわかっているし、魔法を使っても良いだろうとリリーナは判断し、
「聖水噴流!」
と唱えたが魔法は発動しなかった。
「クククッ、フハハハハハッッッ!!!! 殘念だったねぇ! ここは君が死んだ後に作った魔封じの部屋さ。全ての魔法を無効化にするんだ。ただし、魅了だけは使えるぞ…!」
勝ち誇ったように笑い上げるシャドだが、リリーナは焦りを見せず、蔑んだ。
「私はリリーナターシャよ。フローラは2000年前に死んだわ」
冷静に言い返すリリーナに、シャドは神経を逆撫でされると、彼女の腕を抑えていた手を離すと、容赦なく今度は両手で首を絞め始めた。
「ぐっ……っ」
苦しそうにしながら手を離させようとリリーナはシャドの手首を掴むが、男の力には敵わず。
「どうだ、死にたくないだろ? このまま俺に抱かれるか殺されるか、どっちを選ぶ?」
卑劣な言葉にリリーナは目を細めながら睨んだ。
「俺にまた魅了をかけろよ、俺の女神! 狂おしい程君を求める日々をまた送らせてくれよ!!」
このままでは完全に気を失ってしまう、リリーナは喉の痛みや息苦しさの最中、この場を乗り越えられる手段を考え出そうと頭をフル回転させた。
この男の目的はフローラ、ならば………
「い、今、フローラを……呼ぶ…わ………っ」
「はっ!?」
リリーナ声を絞り出しながら提案をすると、シャドは目を見開きながら期待の眼差しを向け、首を絞める力を弱めた。
その一瞬の隙を彼女は見逃さない。
爪を立ててシャドの腕を引っ掻き、脚を曲げて編み上げのブーツで急所を蹴り上げた。
「グッァァッッ!」
痛みで悶絶するシャドから抜け出し、リリーナは一直線に部屋の端へ行き、腕を伸ばして掴み上げた。
三腕の燭台を。
ビュンと一振りして灯火を一気に消すと、部屋は天井に用意された小さなランプの灯火だけを頼りとした薄暗い部屋となった。リリーナがまだ高熱を帯びている蝋燭を力強く三本を順に素早く引き抜くと、ギラリと顕になったのは蝋燭を立てる針。
大丈夫よ、フローラ。
そっと片手を胸に添える。
ベッドでまだ痛みに抗っているシャドにリリーナは勇ましく燭台の針を向けた。
「貴方がかつて狂愛したのは美しき女神だったのかもしれない。でも今目の前に居るのは違うわ。魔女よ。裏庭のね。人を殺すことも出来るわ」
暗がりで燭台を握った漆黒のつなぎ服がまるで闇の魔女を連想させるかの様。
彼女は燭台を両手に構えて持つと、勢い良くベッドに走り、高く飛び上がると、シャドを刺そうと針を真下に向けて着地しようとした。シャドは慌てて身体を回転させながら避けると、針で引き裂かれたベッドの敷布団からは白い羽がふわっと舞い上がった。
リリーナは燭台を引き抜くと、背後に振り回し、シャドが身体を反らして避けると、今度は長い脚を伸ばしてブーツの踵を打ち付けるようにシャドの腹を目掛けて後ろに向かって蹴り上げた。
「グァッッッ!!」
腹を抱えながらシャドは蹌踉めき、リリーナは待つこともなくシャドの腕を針で刺そうと大きく振りかざした。
「待て、やめろ!!」
ヨロヨロと立って壁際に退くも、リリーナは何度も何度もシャドを刺そうとした。素人目から見てもわかるほど、リリーナの動きは鍛錬されたものであり、シャドは昔愛したか弱い女神には無い対抗に慄くしかなかった。
出入り口の扉はあるが、大きく頑丈そうで、簡単には出られないだろう。
逃げようとすれば、相手の支配欲を掻き立てることになる。僅かな怯みも見せずに殺そうとすれば彼は只々避けることに徹するだろう。
本音は人殺しなんて出来っこない。
この男から殺されるのも怖い、殺すのも。今は自分が優勢に立って時間稼ぎをするしか方法は無い。
きっと彼がすぐに助けてくれると信じて。