4−1 魅了
「アレスフレイム殿下喜んでいたと思うわ。ノイン様にも宜しく伝えてと小声で言われたわよ〜。ああ、朝からイケメンズと話せて幸せ」
厨房でリリーナがヴィックが戻るのを待っていると、逞しい腕で食器をシンクに置きながら明るい報告をした。
「良かった……私のごめんなさい、伝わったかな」
ほっとするリリーナを見てヴィックは青春真っ只中の娘を見守るような面持ちで微笑んだ。
「ありがとう、ヴィー。せめてお礼に洗い物をさせて」
「あら、じゃあお言葉に甘えて。頑固な汚れがあったら避けておいて。ワタシがやるから」
そう言うとヴィックは昼食の支度に取り掛かった。
「その内、二人に愛が芽生えるのかしらね〜」
野菜をリズミカルに切りながらヴィックがそう呟くと、リリーナは白薔薇姫やエレン副団長にも言われたなと思いながら、
「愛ではないわ。労りよ」
お決まりの言葉で返事をした。
アレスフレイムが野菜を見ながら愛おしそうな顔を浮かべていたのを思い出すと、ヴィックも彼に密かに同情をするのだった。
「では今日は王太子クンと仲良くなろうカナ! 敷地内を案内してもらってもいいかい?」
食事を終えるとアレーニが突発的に提案をし、マルスブルーは急な申し出に多少の驚きはありながらも、
「喜んで」
と笑顔で快諾をした。
「では私はアレスフレイムさまと♡」
「断る」
一方でハニビからの甘えにはアレスフレイムは一蹴した。
「ハニビ、彼は多忙なのだよ。ボクと一緒に来るんだ」
「えぇ〜、お兄様ばかり自由に行動出来てずるいわ。魔法も自由に使えないし、肩がこっちゃいそう」
「君は強制送還されたいのかい」
「…………はぁ〜い」
兄からの目が笑っていない視線に、ハニビはまだ不貞腐れながらもアレーニには逆らえなかった。
ちなみにノインもアレスフレイムがリリーナからの差し入れに折角上機嫌になったのだから水を差されずに済んで良かったと密かにほっとしていたのだった。
「こちらが図書館でございます」
マルスブルーとスティラフィリー、そしてオスカーが率いて案内をする。アレーニがふんふんと鼻を鳴らしながらスキップのように歩き、不機嫌なハニビ、そして今日は手ぶらのシャドが後から付いてくる。
「図書館はいいや! 兵士たちの訓練しているところとか見せてもらえる?」
「ここから結構歩きますが宜しいですか」
「イイヨイイヨ。ボクの魔法でみんなひとっ飛びさ!」
するとアレーニは人差し指を前に差し出して宙に円を描くと地面に白く輝く大きな魔法陣が浮かび上がった。
「移動魔法使うよ、良いかい!?」
「え、あ、はいっ!?」
単に挙動不審になっているだけなのだが、マルスブルーが承諾したかのような返事をしてしまった。
「周囲転送!」
アレーニが魔法を唱えると一同が一瞬で姿を消したのだった。
「ふぅ、ここが訓練場かい」
尚も涼しい顔をしながらアレーニは訓練場の入り口から外壁を眺めるが、マルスブルーたちはあまりにも驚異的な出来事が一瞬過ぎて口をぱくぱくと開閉していた。
「い、今の魔法は。複数人を同時に移動させる魔法なんて、そんな高度な魔法が使えるのですか…!?」
「当然! お兄様は無属性魔法に超特化しているもの! オリジナル魔法だって沢山あるんだから。ま、他の属性は使えないけどね」
ハニビが胸を張って自慢をしていると、アレーニが呆れた顔になっていた。
「君ね、手の内をあまり人に言い触らさないでくれるかい」
「ふんっ! 自慢したって良いでしょ!」
「まぁまぁハニビ様…」
アレーニに注意をされるもハニビは頬を膨らませて拗ね、シャドが宥めていた。
「こちらでございます。今は若手たちが訓練をしている時間だと思いますので」
マルスブルーは兄妹喧嘩の仲裁を兼ねて声をかけると、アレーニはすっかりスキップをしながらマルスブルーに付いて行った。ハニビはまだ不機嫌なままである。
建物に入り、騎士たちが彼等が横を通ると立ち止まって頭を下げる。そして屋外の円形の訓練場へ近付くと、剣がぶつかり合う重くて高い音が聞こえてくる。
「やあ! まさか君も騎士だったのかい!」
リリーナがエレンと手合わせをしている姿を見つけるとアレーニはマルスブルーを追い越して彼女へと速歩きで近寄った。
「……騎士ではございません。護身術を得るためです」
「ふぅ〜ん、なるほどねぇ。そうだね、君にとってはかなり必要なことだね」
そう言いながらアレーニはリリーナからレイピアを受け取り、まじまじと剣を眺めた。
「でも君は庭師だ。剣を常に持つのは不自然。緊急時には身の回りの物で咄嗟に身を護る頭の回転の速さも求められる。もし」
アレーニはレイピアをスッとリリーナに向けた。
「今この場でボクが君を襲ったらどうする?」
なぞなぞでも出しているかのようにアレーニは笑みを浮かべている。
「しゃがんで砂を掴んで目に向かって投げます。その隙に離れればあとは皆様が助けてくださります」
リリーナはアレーニの問にも悩む素振りも無く答えた。
「素晴らしい。増々君に惚れるよ」
リリーナがすっかり他国の王であるアレーニと自然に話せていることに他の一同はすっかり会話に入れずにいた。
「あ、そうだ紹介するよ。こっちが妹のハニビ。そっちがハニビの付き人のシャド」
「はじめまして。ロナールで王城庭師を務めます、リリーナターシャ・アジュールと申します」
リリーナが美しく最敬礼をすると、シャドも慌てて頭を下げ、ハニビは腕を組んで顎を上げながらリリーナの全身を見ていた。
この国で唯一、黒いつなぎ服を着ながら、美しい顔立ちと所作を持つ女性を。
ハニビはまだ幼いが、女の直感が働くには十分の年齢。
「ちょっとお手洗いに案内をしてくれる?」
「畏まりました、では私が」
ハニビが頼むと同性のエレンが申し出てハニビを建物内に案内をした。
お手洗いの入り口にエレンが立ち、護衛も兼ねてそこで待っている。
ハニビは中の個室に入ると、空を睨んだ。
あんな単なる庭師が何よ。お兄様もアレスフレイム様も。
彼女は黒と黄色で塗られた指の爪に息を吹きかけると、爪が魔法の杖のように伸び、それで空を円で描くと紫の結界が個室を包んだ。
「転移魔法」
近くでエレンも待っているにも関わらず、その声も魔力も外に漏れることなく彼女は姿を消したのだった。
「アレスフレイムさまぁ!」
彼女が行き着いた場所は執務室。ハニビが姿を現した瞬間にアレスフレイムは彼女に目を向けることもなく舌打ちをし、ノインは胃が痛むように目の輝きを失せていった。尚、彼女は手を背の後ろに隠している。
「お前、他所の国で勝手に魔法なんか使ったら」
「大変ですの! 庭師の方から伝言で」
庭師、という言葉を聞いてアレスフレイムは途端に顔を上げ、反射的に立ち上がった。
「どうした!?」
リリーナに何かあったのかとアレスフレイムは執務室の中心に現れたハニビに慌てて近寄った。
リリーナのことを想い、アレスフレイムがハニビの瞳に真っ直ぐ視線を向ける。
彼がハニビの目の前に立つと、それまで慌てた演技をしていたハニビは不敵な笑みを浮かべ、
「魅了♡」
と唱えて手を上に上げると彼女の黒と黄色の鋭い爪をプスッとアレスフレイムの首元に刺した。まるで毒針のように。
「しまっ……た……!?」
抗おうとするも身体が硬直し、アレスフレイムの意識がハニビの瞳に吸い込まれていく。
「殿下!!」
他国の姫君のため攻撃をすることも出来ず、ノインは咄嗟にアレスフレイムとハニビの間に割って入り、ハニビを手で押した。アレスフレイムから彼女の爪が抜け、彼女の爪も元の長さに戻っていく。
「どけ、ノイン」
だが、背後から感じるのは自分に対する憎悪。ノインは振り向くと、自分に睨みつける主の姿があった。
「アレスフレイム様………!?」
今度はノインはアレスフレイムに押され、倒れそうになる。
「怪我は無かったか、ハニビ」
「怪我は無いけど、怖かったわ、アレスフレイム」
するとアレスフレイムは彼女を抱き寄せ、
「俺がいるからもう安心しろ」
彼女の顎を上げて身長差を埋めるよう屈んで、唇を重ねたのだった。




