2−4
その日は晴れない気分で裏庭で水遣りをしていた。
あんなに日照りの強かった日々が続いたが、本日は曇。
リリーナはあの日以来、訓練場へ行けずにいる。
もし再びエレンが前世の人格に豹変をして襲いかかってきたらと思うと脚を運べない。
護身術を身につけるためにも行った方が良いとは頭ではわかってはいるが、それでも“もしも”の恐怖心には勝てないでいる。
「リリーナターシャ」
背後から声がして振り返ると、スティラフィリーと後から体格の良い男たちが何やら大きな物を運びながら裏庭へと訪れている。
リリーナは最初は何事かと思ったが、すぐにピンときて、
「貯水槽!」
一気に目を輝かせた。
それを見たスティラフィリーは嬉しそうに微笑んだ。
「どこに置いたらいいかしら?」
「あ、えっと、こっち。いや、こっちだと雨水が入りにくいだろうから、そちらでお願いしたいわ。こんな感じに」
壁際ではなく敢えて壁から離れたところにとリリーナは手を広げて指示を出した。
深緑色の水槽に、縁にローズピンクの一輪の薔薇の陶器が飾られている。
「既製品に色を塗り替えて、ちょっと飾りを入れてもらったわ。一週間以内の約束を守れたでしょ?」
「素敵! ありがとうございます、スティラフィリー様」
普段無表情に近いリリーナが明らかに喜々として眺めているのを見て、スティラフィリーは心から満足をした。
「ありがとうございます。もう下っていただいて結構ですわ」
スティラフィリーは男たちに一言声をかけると彼らは王太子妃に一礼をし、リリーナも慌てて頭を下げた。
彼らが完全に立ち去ると、スティラフィリーはリリーナの横に立って腰程の高さの大きな貯水槽の前に並んだ。
「どう? 気に入った?」
「ええ、とっても」
スティラフィリーはフフッと微笑みながらも、少し視線を下げ、再びリリーナを見つめた。
「さっき、元気が無かったように見えたけど」
リリーナは彼女から視線を思わず逸してしまう。
貯水槽の縁に手を添えたまま返事をせずにいるリリーナを見て、
「一人になると、何も出来ない私、って自己嫌悪に陥ってしまう時があるの」
スティラフィリーは独り言のようにぽつりと呟いた。
「誰にも相談をせずに一人で悶々として、一人でどんどん自分を嫌いになってしまって。そういう時はね、誰かに話さなきゃって最近思うようになったの。レベッカだったり、他の侍女たち、両親、マルス様、そしてリリーナターシャにもね」
自分の名前が出てリリーナは少し目を見開く。
「解決力があることも素晴らしいわ。でも、誰かに頼ることだって素晴らしい解決策の1つよ。そして、心から信頼が出来る仲間を築くことも」
リリーナがちらっとスティラフィリーを見ると、彼女は空っぽの貯水槽の底に視線を向けていた。リリーナの視線に気付き、目を合わすと彼女らしい心優しい微笑みを向けたのだった。
「………さっそく水を入れても良い?」
「もちろんよ」
そう言うとリリーナは貯水槽へそっと両手を向けた。スティラフィリーは魔法を使うのかしら、と緊張と期待が膨らむ。
誰かと話すと力が湧いてくる。
下を向いていた気持ちが上を向こうと洗われていく。
私の魔法、私の心、満ちていけ。
「聖水湧泉」
森の女神の如く落ち着いた声色で唱えると、リリーナは下へ向けていた手の平を半円を描くようにしながら上へと向けると、底の中心から滾々と聖水が湧き始め、水面を揺らしながら勢い良く貯水槽を聖水で満たしていった。
満水になって、水面が落ち着くと、
「森に泉が湧き出たみたい、美しいわ」
スティラフィリーはうっとりと見つめた。貯水槽の深緑色が相まって、自然と森を連想させる。
初めて使ったオリジナル魔法のため、リリーナがまず手で掬って水を口に含めた。
「上手くいってる。ぜひ召し上がってください」
スティラフィリーに勧めると、そのような飲み方をしたことが無いお嬢様育ちの彼女は一瞬困惑を見せたが、リリーナの飲み方を真似し、水にパシャンと手を突っ込むとひんやりとした感覚が涼しげで心地良い。それから口に含ませると、
「美味しい」
驚きと感動に満ちた表情を浮かべた。
「回復効果もございます。もし身体に痛みを感じたり披露が溜まってきた際にはご自由にお飲みください」
「ありがとう。お言葉に甘えるわ」
「素敵な貯水槽を用意してくださったお礼もそれくらいしか出来ませんが」
「良いのよ、元々はあなたが私の命を助けてくれたから、あ!」
スティラフィリーは機嫌良く閃いた。
「二人の時は敬語を使わずに話しましょ。お礼はそれがいいわ!」
うきうきと上機嫌になるスティラフィリーを見て、
「わかったわ。二人の時だけよ」
リリーナが敬語を取り払った返事をすると、スティラフィリーは益々喜びを隠せずにいた。
だが、
「私、この魔法を使ったのは初めてなのよ。何か不調が起きたらすぐに言ってね」
「え」
あまりもの急な砕けっぷりにスティラフィリーはやはりリリーナには敵わないのであった。




