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「二人でお話したいことがございます。北西に行くと、長閑な草原が広がっておりますので、そこでゆっくりお話しをしていただけませんか」
三大貴族の令嬢のスティラフィリーは、まだ遠慮がちな雰囲気は残るもののしっかりとマルスブルーの瞳を見つめて話し合いを申し出た。マルスブルーは乗り気では無いものの、彼女の意志の強さに「いいよ」と返答をせざるを得なかった。
馬車で15分程走らせると一面に広がるのは青々とした草原の海原。揺れる草の中に歩道があり、そこだけは草が生えていなく、くっきりと土の道が通っている。
何も無い殺風景な場所の為、他に人は居ない。
馬車で草原の入口に着くと、まずは側近のオスカーが下車し、次いでマルスブルーが降りてスティラフィリーに手を差し出してエスコートをした。
「オスカー様」
珍しくスティラフィリーから声をかけられ、オスカーの眉が僅かに上がる。
「王太子殿下と二人でお話がしたいので、少し離れて見守っていただいてもよろしいでしょうか」
「畏まりました」
初めて彼女から無愛想だと恐れられているオスカーに頼み事をし、彼女のこれから話す内容がいかに重要なのかが感じ取れた。スティラフィリーたちが歩き出すと、オスカーは普段よりもさらに離れて二人の後を付けていた。
無論、何もない場所の為、遠くからでも二人の姿を捉えるのは容易い。
「マルス様、私、ずっと誰かの後ろでただ微笑んでいるお人形の様な女でいることをやめようと思いますの」
今まで見たこともない意思の強い瞳にマルスブルーは受け入れられず、目を背けてしまった。
「スティラはスティラのままでいいよ。僕が好きなのは優しくて美しくて穏やかなスティラなんだから」
「でも私は変わりたいのです………っ!」
『将来、王太子殿下が間違った政策を考えることもありましょう。その時にお止めになる役は貴女様でいらっしゃるのですよ』
以前一方的に理不尽な理由でコックのヴィックに自分の侍女であるレベッカが責め立てても何も言えずにただ見ていた際、リリーナに咎められた言葉。
「私は、ただ平穏に時が過ぎればと、人の過ちも指摘もせずにただにこやかに見過ごしていたのです。でも、でも、それでは、真の意味で王太子妃として国のためにはならないと思うのです」
「僕は……………っ!!」
もう嫌だ。君にまで僕は蔑まされるなんて。
「国王になんかなれるはずがない! 騎士たちも国民も、皆、皆、アレスが王になることを望んでいるんだ! 僕よりもアレスの方が王としての資質があるから。王太子妃として在りたいのなら、僕なんかじゃなくて、アレスの恋人になれば良いんだよ!」
「マルス様、私がお慕いしているのは」
「おい、マルス! どこに居るんだ!?」
こんなタイミングで弟から精神感応が魔法で送られた。
「うわっ!? アレス!? アレスから精神感応を使うなんて初めてじゃない!?」
「どこに居ると聞いているんだ!」
何でいつも怒られるのかな、僕は。
「別にどこだって良いだろう。後でちゃんと戻るよ」
「…………北西の草原か…!?」
「え、何でわかったの!?」
「後で説明するから、今すぐに戻って来い!」
どうして命令されなきゃいけないのだろう。もう君は僕より偉いって思っているんだろう? 次期国王様。
「………アレスに指図なんてされたくないよ」
「おいマルス!」
「…………………」
「あの、アレスフレイム様、勝手にいなくなって怒っていらっしゃいましたか」
「すぐに来るんじゃないかな。アレスが迎えに来たら、君はアレスの胸に飛び込めばいいよ」
「どう………して………………」
突風が駆け抜けた。
草原が揺れる。高波を畝るかのように荒々しく。
音速のような速さでマルスブルーとスティラフィリーに巨大な影が覆われた。
ゴツゴツとした石が敷き詰められた様な鱗が空からグゥゥゥウゥと唸り声を降らす。
竜だ。
「マルスブルー様!!」
オスカーが慌てて駆け付ける。
マルスブルーは一瞬の出来事がまるでスローモーションのコマ送りのように見えた。
オスカーの後ろに魔法陣が光った。
アレスフレイムだ。
「伏せろぉぉぉお!!!!!」
伏せる? 頭が回らない、どうしたら……………。
「マルス様っっ!!!!」
スティラフィリーがマルスブルーを押し倒し、完全に覆い被さった。
グシャリッッ。
「っぐ……っっ!!」
何の音…………?
「はぁ…はぁ………マルス様…………隣に居ることしか……出来ない私………でしたが…………あなたを………お守り出来て………良かっ………」
ねぇ、どうしてスティラはそんなに苦しそうなの?
彼女の背中を抱きしめようと手を回すと、ベタァッとした生暖かい液体がまとわり付く。
「あなただけを………愛して…………ます……………」
ねぇ、スティラ、君の背中に刺さっているのは何……?
「炎ノ魔剣ォォ!!」
アレスフレイムが剣を抜き、螺旋状に炎を燃やすと、振りかざして竜へ炎を舞わせた。
弓矢を背負った竜騎士はひらりとアレスフレイムの攻撃を瞬時に躱した。
「水ノ魔鎖!」
竜の背後に現れたノインが魔法を唱え、硬い竜の片方の羽根に水ノ魔鎖が貫いた。
ギャァアアアアッッッッ!!!!
竜が痛みの悲鳴を上げると
「クソッッ……………!」
竜騎士は竜を操って即座に逃げ去り、あっという間に空の先へと姿を消した。
「スティラ………スティラ………スティラぁぁああああ!!!!」
途端にマルスブルーがパニックを起こし、負傷したスティラフィリーを揺らしてどうにか目を覚まさせようとした。
「馬鹿!! 揺らすな!!!」
一番先にマルスブルーの元に着いたアレスフレイムがマルスブルーをスティラフィリーの身体の下から抜いて羽交い締めにして抑え込んだ。
「嫌だ!! スティラ!! 死なないで!! スティラ!! スティラぁぁあああ!!!」
腕を伸ばして彼女の背中に突き刺さった弓矢を抜こうとし、アレスフレイムはさらに強くマルスブルーを抑えた。
彼女の腹部の裏に当たる背中を鋭い弓が刺さっている。抜けば大量出血をし、さらに助かる望みが薄れるだろう。
それでも彼女は夥しい程出血をし、その傷はもはや致命傷。万が一彼女の訃報が知らされるものならば、忽ちゲルー国と戦争を起こす口実が出来、愚王は後先考えずに攻め込むだろう。恐らく領空通過を許したクリファス国も滅ぼしかねない。
ノインは戦争経験者なのもあり、即座に自身のシャツを脱いで破り、スティラフィリーの心臓の下辺りに巻きキツく縛って止血の応急処置を行った。
「すぐに王城医師を呼ぼう!! 父上にも連絡をして、光魔法の使い手を!」
「光魔法使いを呼んても初級魔法しか使えない。こんな深い傷を治すことなど無理だ」
「じゃあどうしたら!!」
「落ち着け!! オスカー! コイツを頼む!」
「は、はい!」
発狂をするマルスブルーをアレスフレイムと交代をしてオスカーが羽交い締めにすると、アレスフレイムは草原へ進み、土の匂いを吸った。
「我が名はアレスフレイム・ロナール、前触れもなくこの地で争いを起こしてしまったことを深くお詫び申し上げる」
「な、何を…………」
アレスフレイムまで気が狂ってしまったのかとオスカーは息を呑んだ。
ザワザワザワザワザワザワザワザワ
アレスフレイムの挨拶に耳を傾ける草原たち。
「この女の命を助けたい。王城庭師、リリーナターシャ・アジュールに大至急来るように伝えてはもらえないだろうか! 頼む!」
「アジュールを何故……!?」
アレスフレイムが草原へ最敬礼をすると、すぐに彼の目の前に魔法陣が輝き浮かび上がった。
茶色のローブで顔を隠していたが、漆黒のつなぎのズボンと編み上げのブーツが彼女であることを証明していた。
アレスフレイムの呼び声は草木へ、そして王城へと届き、リリーナを呼び寄せたのであった。




