3−3
「おかえりなさい、リリーナターシャ」
魔法陣から抜けると、そこは薔薇の迷宮。
一輪で咲く薔薇の騎士たちに挟まれ、リリーナは白薔薇姫に向かい合う形で立っていた。
ぽわんぽわんとシャボン玉のような物が幾つも浮かんでいる。普段よりも薔薇の香りが強い。
「リラックス出来るかなと思ってお風呂っていうモノをイメージしてみたんだけど、どうかしら」
「いい匂いです」
「良かった。怪我を治してあげるからもっと近くへいらっしゃい」
リリーナはやや緊張をしながら白薔薇姫が治療を出来そうな距離まで近寄り、彼女の背丈に合わせて膝を曲げた。
「ふふっ、大丈夫よ、普通に立ってて」
リリーナは膝を戻して立ち、
「治すってどうやって」
「薔薇ノ治癒」
白薔薇姫が魔法を唱えると、彼女の葉から光の薔薇が現れ、リリーナへと飛びキラキラと小さな光の粉を舞わせると、忽ちリリーナの幾つもある小さな擦り傷は跡形もなく消えていった。
「魔法…………っ…!?」
それも光属性。
「やぁねぇ、人間には使えて植物には使えないと思ってたの?」
白薔薇姫の言う通りだ。勝手に人間やモンスター以外は魔法が使えないと思い込んでいた。
「そんなわけないじゃ〜い! ま、私たちが使えるのは光属性だけ。稀に風属性や水属性を使える子もいるけどね。使える属性については人間とは逆ね」
では、何故…………
「フローラを魔法で止めようとはしなかったのでしょうか」
「…………ふぅ」
白薔薇姫は軽く息を吹き、
「私たちは人間の前で魔法を使うこと、人間や動物の命を落とさせる行為はタブーとされているの。欲望的な人間に私たちの力を知られたら忽ち私たちが悪用される。そして、私たちが誰かを殺めるとその穢れを大地の主が被ることになり、その方の寿命が縮まる」
「大地の主って」
「人間で言う神様みたいな存在かしら。植物たちが崇拝している方で魔力も桁違いに強い。一度崩壊した大地を再生したのもその植物のおかげよ」
「その植物はどこに」
「ごめんなさいね、こればかりはどうしても言えないわ」
白薔薇姫は真っ白な枝を伸ばしてそっと葉でリリーナの頬を撫でた。
「…………当時、皆は歯を食いしばってフローラを説得するしか出来なかったのですね」
「きっとそうね。私はあの頃はまだ種だったからただ眠っていたけど、皆は大地が荒れていく様を見て恐怖や悔しさに溢れていたと思うわ」
『フローラの悲劇があったから、貴様の母親は!』
以前白薔薇姫に言ったカブの言葉。この言葉の先は想像が出来る。それを考えたら白薔薇姫は誰よりもフローラを憎んでいるのではないだろうか。
「傷、キレイに消えたわよ」
「ありがとうございます」
葉を頬からそっと離すと白薔薇姫は次はリリーナの手に葉を添えた。
「…………白薔薇姫は私と話していて平気なの?」
「ふふっ、だってあなたはリリーナターシャでしょ。私はリリーナターシャ・ロズウェルが大好きよ。でもね、監視をしなくてはならない存在でもある。あなたをじゃなくて、あなたの中にいる人をね」
「……………」
それから白薔薇姫は優しくリリーナの手を包み込んだ。
「お願いよ、リリーナターシャ。その時が来たら彼女にあなたを譲るだなんて簡単に言わないで。私は大好きなあなたを失いたくないわ」
「……………ええ、わかったわ………」
「何があっても、必ず私はあなたを守るわ、必ず」
白薔薇姫自身にも言い聞かせながら誓い、白い葉をそっと離した。
「今日は疲れたでしょう。ゆっくり休みなさい」
リリーナは背を向けずに後ろに少しだけ下がり、白薔薇姫へ頭を下げた。
「おかげで痛みが無くなりました。失礼します」
薔薇の香りに見送られながらリリーナは薔薇の迷宮を後にした。
その日の夜、リリーナは身体は疲弊していたが寝付けずにいた。
ベッドに横になるも眠れない。
フローラに心も身体も乗っ取られたら………。
フローラが完全に消えてしまったら………。
植物たちとも話せない。
魔法も使えない。
聖水も撒けない。
貴族の娘として嫁にも行かない。
家を継いで領地を仕切る自信も無い。
私に何が残るというの?
「ねぇ、フローラ…………」
あの扉が出てこないだろうか。
フローラが棲む扉の世界を………………。
「私、あなたとお喋りがしたいわ」
どうして大地を荒らしてまで恋を貫こうとしたの?
こんなにもあなたは素晴らしい力を持っているのに。
「私………………ずっとあなたと生きていたい………………」
気付けば眠りに落ちていた。
だが、扉の世界には辿り着けなかった。
月に雲が棚引き、強い夜風が木々を撓らせた。
遠い遠い地で、黄金色の月に硬い羽根の影が霞めたのだった。




