3−2
シュゥゥウウゥゥッッッ
頭を冷やせと言わんばかりに聖水を思い切り掛けられたスギの木は、尚も硬く剥き出しになった樹皮を音を立てて冷ましていた。
「今のは……………奴が使ったことの無い魔法だな」
ゆっくりとしゃがれた声を呟くと、スギの木は高い高い幹をやや反らした。
奴とはフローラのことだろうか。
「人間の女よ、今のは何だ?」
「突然貴方様に水を掛けまして申し訳ございません。先程のは私の」
ええと、アレスフレイム殿下が何と言ってたっけ……そうだそうだ。
「オリジナル魔法でございます」
「そうか………奴とは力の使い方が違うのか」
「お願いがございます。フローラのことについて教えていただきたく参りました。彼女を良く思っていないのはお見受けしますが、それでも私自身が彼女のことについて全く何も知らないのです」
「知らない? お前のことなのに」
「え………」
すると、スギの木は長い枝を一本、ゆっくりとリリーナに向けた。
「2000年の時を経て、そこに棲み着いたのではないか」
棲み………着く……………。
だから私は両親が魔法に無縁でも人間離れした能力を持っている。
たまに見える私の中の白い扉は…………そうだ、あの向こうにきっと彼女が居る。
リリーナは雲を掴むような気分の一つが解消され、心の中が徐々に晴れていくような感覚になった。
でも、
「何故私に…………?」
どうしても納得がいかない。そんなに魔法に優れていたのならそれ相応の人物に宿った方が合理的だ。
「知らん。奴の考えなんか解りたくもない」
「彼女の恋が戦争を引き起こしたのですか?」
『いいかいリリーナ、恋をしてはいけないよ。再び大きな戦争が起きてしまうからね』
幼い頃から植物たちに忠告をされてきた言葉。それを彼女に置き換えたとして、まさか恋で戦争なんて起こるのだろうか。
「そういう言い方も出来るな」
「そういう言い方…………?」
「真実は我々植物は知らん。ただ、一つ言えるのは奴は大地よりも恋の相手を選び、そして世界を破滅へと誘った。間違いなく、奴が原因で」
「………………」
リリーナは言葉を失った。
世界の破滅よりも、植物たちよりも、恋の方を守りたかったのか。いったいフローラはどうしてそこまでして恋人を優先にしたかったのだろうか。
「破滅って」
「女、一つ聞く」
リリーナが質問をするのをスギの木が遮った。
「お前の身体が全て奴に乗っ取られるかもしれない、その覚悟はあるか」
スギの木が見つめるリリーナの瞳は彼女の髪のライトグリーンの他にピンクが濁っていた。
乗っ取られると聞き、リリーナは驚愕を覚えたが、あの白い扉の茨が全て解放されたらその時なのだろうと冷静に分析もしていた。
「今初めて聞いたので覚悟などございません」
「ほぉ、正直だな」
「その時が来たら、私はこの身を彼女に譲りましょう」
それまで彼女たちの会話を静かに見守っていた植物たちが突然ざわついた。風も強くなったり弱まったりと乱れている。
「お前は大地を見捨てるのか!?」
「滅相もございません。ただ、彼女が居なければ恐らく私は魔法を使えません。聖水の水撒きも陽の光を移動させることも出来なくなります。庭師としての優れた能力は彼女の力があってこそ、なので彼女に次期庭師を譲ります」
「再び世界が滅ぶかもしれないのだぞ!?」
「彼女の想い人も2000前に死んでますでしょ? 恋したくても出来ませんもの」
「はぁあ!?」
突拍子もないリリーナの覚悟にスギの木は思わず幹を横に傾けてしまった。
「お前は自分が死にたくないとか思わないのか」
「勿論思います」
凛とした声が一帯に澄み渡る。誰もが彼女の発言に耳を傾けていた。
「でもそれ以上に庭の植物たちが永く花咲くことが私の願いです。それには彼女の力が欠かせません」
私はきっと彼女が、彼女の力が、私の中から消えた時の方が絶望の淵に立たされるだろう。
それまで培った土いじりの魔法が消え、自分が無力な人間だと負の感情に支配される日が訪れることを意味するはず。
だがそんな弱音はリリーナは決して口には出そうとしなかった。
「太陽の丘を目指すが良い」
「え……?」
太陽の丘………?
初めて聞く丘の名前だが、心の奥底で懐かしさも込み上がり、リリーナは不思議な感覚に陥った。
自分の中に居るフローラも聞いているのだろうか。
「フローラを知りたいと言ったな。奴のルーツが太陽の丘だ。歴代の太陽の丘の魔女らが記録を残しているはずだ」
「太陽の丘の魔女? 太陽の丘ってどこに」
「迷いの森を探せ。その先にある幻の地だ」
「はーい、ヒントはそこまでよ〜」
シュワァァァと空中に白く光る薔薇の模様の魔法陣が浮かび上がると、そこから白薔薇姫の声が聞こえた。
「白薔薇姫様……………っ!!?」
リリーナよりも先にスギの木が驚きの声を上げた。
「派手に発狂してくれたみたいじゃない? 貴方が守るべき小花ちゃんたちが悲鳴を上げてたような気がしたけど、私の空耳かしら?」
スギの木だけでなくリリーナもぞくりと身震いをした。白薔薇姫の姿は見えないが、声だけでも威圧感がピリピリと感じる。
「彼女が聖水の雨を振らせてくれたから小花ちゃんたちも喜んじゃってるみたいだけど、どうなの? 私の耳が可笑しくなったのかしら?」
「申し訳ございませんでした!!! 完全に頭に血が上っていたとはいえ、有るまじき行為でした!!」
声質的には白薔薇姫の方が若く聞こえるが、しゃがれた声のスギの木は慌てて魔法陣へ頭を下げて謝罪をした。
「怒りに任せて冷静さを欠いては為りません、主として」
「仰る通りで」
「リリーナターシャ」
「はいぃっ!」
自分の名が呼ばれ、リリーナも背筋をピンっと正して緊張し、思わず声が裏返ってしまう。
「自分の頬を触りなさい」
「え……?」
訳も分からず言われた通りに片手で頬を触ると、手にベタッとした感触があった。
血だ。
手の平に幾つもの小さな出血がこびり付いた。自分が擦り傷を負ってると気付いた途端、不思議とピリッとした痛みを覚えてくる。
「見事だったわ。己よりも先に小さな花を守った勇敢さ。その傷は貴方の勲章よ」
取り囲むようにして咲くフレーミーの花たちがさらに笑い声を上げた。先程は悲痛の叫び声を上げていたが、それが嘘のように聖水を浴び陽の光に当てられてキラッと輝いている。
「謎解きのヒントを貰う相手選びも大正解。増々好きになったわ!」
白薔薇姫から褒められてはいるが、気付けば腕にも傷がある。大怪我では無いが治したい。
「話の途中で申し訳ございませんが、痛むので治させていただきます」
「あらあら、どうぞどうぞ」
怪我を治す魔法は今まで使ったことがないが、リリーナは治癒をイメージし、腕に手をかざし
「光ノ治……」
バチンッッ!!!
魔法を唱える途中で強い静電気のように弾かれ、リリーナは初めて魔法を失敗した。
怪我を治す魔法は使えないのか………。
魔法を発動させようとした手はピリピリと少し痺れ、リリーナは手を裏表にして他にも異常はないかと確認をした。
「あらあら、治癒魔法は特殊な域だからね、簡単には使えないわよ。こっちへいらっしゃい、治してあげるわ。魔法陣の中を通って」
リリーナはすぐには魔法陣を通らず、再びスギの木に目を向け、
「ありがとうございました。お陰で彼女の手掛かりを掴めました」
と一礼をし、頭を上げて息を吸い込むと、薔薇の魔法陣へと飛び込んだ。リリーナが入り込むと薔薇の魔法陣も消えたのであった。




