3−1 向き合う覚悟
「駄目だ、本は諦めよう」
パタンと厚みのある本をリリーナは閉じた。机には彼女の右側に未読の本、左には既読の本が両方積まれている。
本は所詮人が書いた物だ。
フローラ自身が日記でも書き残していない限り、真実には届かないだろう。
何十冊もある重い歴史書や伝記を彼女は本棚に戻しながら、今後どうするのか考えた。
人に聞くより植物に聞いた方が情報を得られるかもしれない。なにせ2000年も前の事。
問題は誰に聞くかだ。
カブと白薔薇姫はフローラも知り、当時から生きているが話してくれそうにない。実家の庭の主のユズの木はそんな大昔から生息していないだろう。当時から実家が建っていたとは考えにくい。
だけど………
『君の魔力は人の心を惑わす』
『あなたの美しさは時に人の醜さを引き出してしまうわ』
『恋をしてはいけないよ。再び大きな戦争が起きてしまうからね』
物心ついた頃から受けてきた植物たちからの忠告は、単に自分の魔法が他の人に悪用されないためにされていたと思っていたが、まるでフローラのことを知っているかのようにも考えることも出来る。寧ろ、その方が納得がいくかもしれない。
でも何故、当時生きていない彼らが知っていたの………?
聞けば教えてくれるだろうか。いや、ユズも喋らないタイプだ。特にフローラについて聞けば、心配して帰って来いと言われるかもしれない。
フローラについて知っていて、話してくれそうな主級の植物……………。
「あ………」
最後の一冊がすっぽりと本棚に収まった。
リリーナはやや急ぎ足で図書館の出口へと向かった。雲一つない晴天の日差しに出迎えられる。
「ずっと待ってた新作の小説があったの! 異世界転生して悪役令嬢になりましたシリーズの!」
「それも面白いわよね! 私は聖女の前世は悪役令嬢シリーズが好き」
本を胸に抱き抱えて友人と楽しそうに喋る貴族の娘たちの話し声がリリーナの耳に入ってきた。
異世界転生、前世………………。
フローラは恐らくこの世界の大昔に実在した人物、そして私は彼女の生まれ変わりなのか………。
どうもしっくりこない。
リリーナは建物の間の物陰に隠れると、「転移魔法」を唱え、一瞬で姿を消した。
その頃中庭の薔薇の迷宮では、
「あらあら、随分思い切った場所へ飛んだわね」
白薔薇姫が葉のティーカップでハニーローズティーを飲みながらリリーナの気配を追っていた。
「無理矢理連れて帰らせましょうか」
隣では赤薔薇のナイトが白薔薇姫に確認をしていた。
「お手並み拝見としましょう。あの子がどんな手を使うのか見てみたいわ。だけど、死にそうになったら即助けに入るわよ」
「畏まりました」
まるで無限に続きそうな程どこまでも地下を張り巡らせる根にひんやりと水を通しながら、白薔薇姫はカップを片手にリリーナを密かに監視を続けるのであった。
ある場所の橋に魔法陣が浮かび、リリーナが姿を現した。
気持ちの良い天気の中、川の水もさらに癒やしを与えるかのようにちょろちょろと心地良い音を奏でる。リリーナは小さな橋を渡り、目的の場所へ落ち着いた足取りで歩む。
燃えるように赤々と広がるフレーミーの花畑の手前で彼女は立ち止まり、最敬礼をした。
「リリーナターシャ・ロズウェルと申します。主様にお話しがありまして、参りました」
赤い小花の絨毯の先にあるのは数十メートルもの高さのある一本スギ。この一帯の主である。
「何故また来た、フローラ……ッ!!」
最初から敵意剥き出しの声を出し、リリーナも慎重に彼へと近付いて行く。
「私はフローラでは無いわ。フローラのことを貴方に教えてもらいたくて来たの」
「嘘をつくな!! お前はフローラだろう! 世界中の人間たちを憎悪の心に染め、大地を崩壊させた!」
「私はフローラでは無い!」
「黙れぇぇえええ!!!」
赤褐色の樹皮を真っ赤に染めてバキバキと鳴らして怒りを全身に顕にし、円錐に伸びる枝をぐんぐんと揺らし、突風を扇いだ。
「魔法円盾!!」
リリーナは咄嗟にリリーナは手を前にかざし、前回ノインが突風から身を守った時と同じ防御魔法を唱えた。透明の巨大な円型の盾を主の前に出現させ、手前に咲くフレーミーの花と共々風を受けないようになった。
「お願い! 私はフローラでは無いの!」
「出て行けぇぇええ!!!」
完全に頭に血が登ったスギの木は荒々しい風を収める気配など無かった。リリーナの声も強風にかき消されているのかもしれない。
「痛いよぉぉぉっっ!!!」
すると、魔法円盾から外れているフレーミーの小花たちの悲痛な叫び声があちこちから聞こえてきてしまった。スギの木の背後にも花畑は広がっているのだ。
リリーナはさらに声を大にし、
「落ち着いて!! フレーミーたちが傷付いているわ!!」
今まで出したこともない叫び声を上げるも、ごおごおとした脅威的な荒風は止まなかった。
「くっ………」
まずはフレーミーたちを守らないと…………!
でもこんなに広範囲をどうやって……っ!?
主を取り囲むようにして咲く花たちにどうやって盾を作る……っ!?
そうか…………広いのが無理なら…………
リリーナは僅かな時間で頭を冷静に働かせ、魔法円盾を唱えたまま一本スギへと走り出した。
「来るなぁぁああ!! この、最悪魔女が!!!」
そして、リリーナの足元が前方からスギの木までの間にフレーミーの花が咲かない何も無い土になった時、彼女は魔法円盾の効果を解き、
「魔法円盾!」
新たな盾を召喚させた。彼女自身とスギの木をだけを取り囲む盾を。
「つっっ……ぐっ!!!」
強風で勢いを増して飛んだ針型の硬い葉がリリーナを刺し、頬や腕からは無数の擦り傷を忽ち負った。
「魔強鎧盾!」
ライトグリーンとピンクに光る魔法の鎧に覆われ、彼女は再び強風と葉の針のダメージから逃れた。2つ同時に別の防御魔法を発動させたままでいられるのは、前回アレスフレイムたちとの訪問で立証済みだ。
「お願い聞いて! 私の名はリリーナターシャ! フローラはもう2000年前に居なくなったはずよ!」
完全に我を忘れているかのように、スギの木はそれでもリリーナを攻撃し続けた。
「退け!! お前の所為であのお方の生命力が大幅に削られた!! 大地の敵だ!!」
それ程までフローラを憎んでいる………。
でも、どうしたら私がフローラで無いことに耳を傾けてくれるのかしら。
このまま叫んでも恐らく平行線。
どうしたら…………。
「あ…」
そうだ、初めて会ったときも。彼は私に対して敵意を剥き出しにしていた。
そして、長年宿っていた眼の下の披露の象徴が消えたのは………。
「一か八か………!」
2発は魔法を発動したままに出来る、けど3発目も出来るのか………!?
「聖水散開!!」
リリーナは両手を真上に上げて詠唱をすると、光り輝く聖水が彼女の手から雨粒のように舞った。しかし、強風の前では無惨にも聖水の粒たちは風に飲み込まれてしまった。
「くっ………っ…勢いが足りない……っ」
だが防御魔法が解かれて無く、3発同時に魔法を維持出来ることがわかった。あとは、何の魔法で対応すべきか。
思い浮かべるのよ、荒風にも負けない勢いのある水を……!
『水ノ噴流………っ!』
そうだ、ノイン様が使ったあの魔法………!
「聖水噴流!!」
リリーナはスギの木の太い幹を目掛けて両手を前に広げ、新たな魔法を唱えると、光る聖水が滝の様に水飛沫を上げ、風に全く翻弄されずに真っ直ぐ幹へと浴びさせた。
シュゥゥウウゥゥ…………と音を立てながら赤く染まった樹皮は熱を下げ、本来の赤褐色に戻った。
防御魔法を解くと、聖水の粒が散りばめられ、フレーミーの花たちはきゃっきゃっと可愛らしく笑い、喜びを上げた。
リリーナは編み上げのブーツで主にさらに歩み寄り、最敬礼をした。
「私はリリーナターシャ・ロズウェル。王城庭師でございます」