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「今日はこんなに沢山借りちゃったわ!」
「久し振りだものね。館内整備で1週間近く突然休館になっちゃって本当にびっくりしたもの」
館内から出てくる令嬢たちが口にした話がたまたまアレスフレイムの耳に届いた。
図書館へ入館すると、受付で司書たちが慌てて頭を下げ、前回手伝いを申し出たら断られた為か今回は話し掛ける者はいない。
「ねぇねぇ、朝からずーっと魔女が居るの」
「本当に見るだけでも嫌。気味が悪い」
「あっちの机を使いましょ。あーやだやだ」
ヒソヒソと陰口を叩く令嬢たちの声を聞いて、アレスフレイムはリリーナがここに居ることを確信出来た。
受付の横の壁にある館内地図を見る。
農業・園芸の本棚は休館前と同じ場所にあった。見つけたら魔法学を学べと軽く説教をしてやろうと内心意気込みながら迷わずにそちらの方へ向かうも、彼女の姿は無かった。
そもそも彼女に図書館の利用カードを渡したのは、彼女に魔法学を学んでもらいたかったから。当初の理由を思い出して魔法学の書物を真面目に読んでいるのか、と魔法学の本棚へ向かうもまたしても彼女を見つけることは出来なかった。
仕方無しに館内を適当に歩くと、漸く見つけることが出来た。
場所は、歴史・伝記棚の前の大机。本棚に近い端の席に座り、大量の分厚い書物を横に置いて、パラパラと雑に頁を捲っている。
アレスフレイムは彼女の向かいの席に座る。それでもリリーナはまだアレスフレイムの存在に気付かずに本を捲っている。
「随分熱心だな。探し物か」
声を掛けられ、リリーナはハッと顔を上げた。貸せと言わんばかりに片手が差し出されているが、リリーナは再び視線を本棚に落とした。
「殿下のお手を煩わせるわけにはいきません。私の個人的な用事で殿下の貴重な政治の時間を削らせるわけにはいきませんもの」
彼と目を合わせる事も無く、リリーナは静かに彼の善意を断った。
「そうか」
差し出された手は彼女の断りを聞くと指をほんの少しだけ曲げて、ゆっくりと立ち上がった彼の元へ戻されていった。
「これからクリエット家に向かうから不在になる。何かあれば逃げろよ」
「承知しました。殿下もお気を付けて」
本を手にしたまま彼と目を合わせたが、すぐにリリーナは本へと視線を戻した。
彼が居なくなる気配がするとちらりと去った先を見て、彼の姿が完全に居なくなるのを確認すると、はぁぁっとため息を漏らした。
「無い………全然……無い」
雲を掴むようだ。
2000年前に居たらしい存在、自分と似ているらしい、常識を覆す巨大な魔力の持ち主。そして、当時の戦争に関係しているはず。植物たちからの言葉を紡ぎ合わせて情報収集しようとするが、目的のモノに掠りもしない。全てが漠然としているのに、自分の身体と関係があることは間違いが無い。焦りばかり募って、指先がすっかり乾いて薄く汚れていく。
あなたは何者なの、フローラ。
個人的な用を断られたのなら深入りも出来ない。アレスフレイムは割り切ってその場を立ち去ったが、寂しくないと言えば嘘になる。困ったことがあれば身分差も関係無く頼って欲しかった。
けれど、彼女の態度は「貴方には知られたくありません」と物語っていた。
出会ってから日も浅く、彼女のことを知らないことの方が多い。何故あんなにも歴史書を熱心に調べていたのだろうか……全く予想がつかない。
「アレスフレイム様」
受付付近にまで戻った時、ノインがやって来て彼から声を掛けた。
「ノイン、どうした、図書館に用か」
「はい、道中に魔法学の本でも読もうかと思いまして。それに彼女の瞳の色のことも」
彼女とはリリーナのこと。リリーナの瞳は一色では無く、髪と同じライトグリーンにほんのりピンクが滲んでいる極々稀な瞳の色をしている。
「医学書も見てみるか」
「そうですね………ん、あまり以前と変わらないのですね」
館内図を見ながらノインは呟き、アレスフレイムも「そういえばそうだな」と同感した。
「利用者の多い小説等の文芸棚だけ変わってる感じですね」
館内整備で休館したのは約1週間。それにしては館内のリニューアルが余りにもされていない。
ノインと歩きながら館内を進み、人気のない所で声を潜める。
「司書の休暇申請はあったか?」
「いいえ。休館に関係することは此方には何も報告は無かったですね。図書館から出た人たちの口振りで休館を知ったので」
「俺もだ」
嫌な予感がする。
アレスフレイムはノインと一旦離れ、単独で鎌をかける相手を探す。
生物の棚で重たい図鑑を懸命に本棚へ戻す若手の司書を見つけた。アレスフレイムはさり気なく近付き、
「大変そうだな、手伝おうか」
「あ、アレスフ……!」
大きな声を出そうとしたところ、アレスフレイムは片手で若手司書の口元を軽く押さえた。
「静かに。真面目に働く君なら知っていそうだと思って聞きたいことがある。国王から依頼された物は見つかったか?」
若手司書は目を輝かせながら小声で
「はい……っ! 一昨日漸く見つかりまして、陛下専属の騎士団様に館長から手渡しました」
王が絡んだ休館であったことを明らかにした。
「そうか、有難う」
その場から離れると、棚の陰に控えていたノインと合流し、二人は真っ直ぐ執務室へ戻った。
「クソ親父の動向を早急に調べよう」
「承知しました。エドガー様を見つけ次第、声を掛けたいと思います」
「マルスとクリエット家に行くどころじゃないな」
「それなのですが」
ノインが緊張した面持ちで続ける。
「先程アンティスからの報告がありまして、クリファス国がゲルー国に領空の使用を許可をしたらしいという情報を得たとのことです」
「クソッ…! 事実なら厄介だな」
クリファス国は北西に隣接する国、そこをゲルーの竜が自由に飛べることを意味する。
そして、クリエット家は国の北西。
国境にはそれ程までに近くは無いが、クリエット邸よりもさらに北西は森や草原が広がり所々小さな村があるだけで、竜が通過をしても王城までの報告が遅い。
「マルスブルー様にもお伝えしましょうか」
「いや…………」
話したところで「どうせアレスが行きたくないからそう言ってるだけなんでしょ?」と信じない気がする。逆に話を信じたらパニックになり「スティラの家が危ない!」「騎士団を全員北西に向かわせよう!」「父上に何とかしてもらわないと!」と情報が拡散しかねない。何せマルスブルーは魔力も剣術も弱小で戦争を経験した試しも無いためか、冷静な判断をする能力も欠けている。
「マルスに話したところで事態が悪化する恐れがある。俺とノインが大人しく同行して護衛をしよう。アンティスに親父の動きをなるべく見張れと指示を頼む」
「承知しました。訓練場へ行った後、正門に向かいます」
ノインは一礼をする暇も無く、小走りで執務室を出た。
アレスフレイムは机上をざっと片付け、支度をした。
ふと先程差し出したが虚しくも引っ込めた手を見つめ、リリーナにからかいながら彼女の髪をわしゃわしゃと撫でた感覚を懐かしく思い返した。
もう少し、彼女と話がしたかった。
ふぅと軽く息を吐き力強く執務室の扉を開くと、彼は胸を張って王子の貫禄を放ちながら王城を発つのであった。




