7−7
庭師の朝は早い。
朝日が昇るのとほぼ同刻に起床し、リリーナは白い襟付きのシャツに黒のつなぎに着替え………
終わっている。
まただ。
また気を失ってしまって、朝を迎えた。
リリーナは手を額に押さえ、昨日の記憶を辿った。
畑仕事をしている途中に馬の走る音が聞こえて、彼が生きて戻って来たことを確認して、ノイン様は後から戻られると聞いて、それから、それから…………
駄目だ、思い出せない。
「どうした、頭でも痛むか」
また、自分の横で椅子に腰掛けたアレスフレイムが声をかける。二日連続ともなると然程驚かなくもなった。
「……………思い出せないのです。倒れた時のことを」
前回魔力を限界以上に使い切って倒れてしまったことは僅かに記憶に残っているが、今回はアレスフレイムと少し会話をした後の記憶が不自然に削られている。リリーナは自分の身体の異変に戸惑いを隠せず、少し震えた溜息を漏らした。
「普段土いじり程度にしか魔力を使っていなかったのが急に長時間連続で使ったんだ。身体に無理が来て当然だ。働かせて悪かったな」
「そんな、殿下が謝らないでください………ただ、何だか………」
怖い。
自分に何か異変が起きているはずなのに、実態を掴めない。珍しく弱気に俯くリリーナの顔を覗き込みながら、アレスフレイムは落ち着き払った自然な声色で
「大丈夫だ、大丈夫」
と声を掛けた。
リリーナは、あ、と思って顔を上げた。
「もしかして、さっき寝てる時も同じことを仰いましたか?」
「ああ、うなされてたから」
実はその際に頭を撫でたことはアレスフレイムは黙った。
「畑のことは気にするな。貴様の声は届いている。農民たちが早朝から畑仕事を励んでいる。今は休んでろ」
リリーナはほっとして、疲れたように息を吐くも、また眠りに就くことに何となく恐怖を感じた。
「あの………」
「何だ」
「もう一度仰っていただけませんか。大丈夫だ、大丈夫って」
意外な要望にアレスフレイムは一瞬目を丸くするが、再び落ち着き払った声色で
「大丈夫だ、大丈夫」
そう言うとリリーナは目を閉じ、すーすーと寝息を立てて穏やかに眠った。
アレスフレイムはそっと彼女のライトグリーンの髪を撫で、椅子に腰掛けたまま仮眠を取るのだった。
再び目を覚ますと、太陽はすっかり山より高く昇っていた。
椅子に座っていたはずの彼の姿も無い。
慌てて外へ出ると、農民たちの声が聞こえた。
「おーい、そこ土掘り起こすのズレてるぞぉ!」
「そっちは水路に近いから水が必要な野菜を育てよう」
「あんたたち〜! ほどほどに休憩もしなさいね〜!」
「そっちは病気の苗はなかったか〜!?」
続いて植物たちの声も聞こえてくる。
「ちょっと煩いけど、頑張ってるね」
「そうだね、僕たちのベッドもいい感じ」
「次の主様が来るまで自分たちで頑張ろうね」
活気溢れる畑、鼻をくすぐる土の香。リリーナは大きく鼻から息を吸い、畑へと向かった。
『私の服装が奇妙で魔女のようだと仰りたいのであれば、皆様の服装も奇妙ですわ。男と女の違いだけで偏見を持たれるのは不平等でございます。私はただ畑仕事をするのにズボンの方が合理的であると思うから、このような服装をしております』
昨日そう言うと、農民たちは少しずつリリーナの言葉を聞くようになっていった。
『この土地で実った作物は皆様の食料として採られる他は、世界中に輸出されます。世界中の民が皆様の育てた野菜を心待ちにしております。世界中の人たちの健康を私達が担うのです』
まさか自分たちがそんな大役を担うとは思っていなかったらしく、農民たちは向上心を持って取り組むように変わった。
今日ももっと畑仕事の事を教えないと。
朝食も取らずに畑へと歩みを進める彼女の腕を後ろからアレスフレイムが掴んだ。
「寝ていろ」
「もう大丈夫です」
やや不機嫌なアレスフレイムから腕を振り解くと
「貴様の言葉をそっくり返す。何も考えずに何もしない日を過ごせ」
行きの馬車の中でリリーナが疲弊したアレスフレイムに掛けた言葉。
『何も考えず、何もしない、そんな日があっても何もバチが当たりませんわ』
確かにそう言った。
リリーナは歩みを止めてアレスフレイムの方へ向くと
「アジュール様ぁ、今日はお休みなさってください!」
遠くからリリーナを見つけた農民たちまでもがリリーナを休むように声を掛けてくれる。
「………………わかりました。休みます」
畑へ一礼してリリーナは宿舎へと踵を返した。横にアレスフレイムも付いてくる。
「そういえば、ノイン様は?」
「遠くの畑の方にいる」
「えっ、ノイン様まで畑仕事を!?」
「身分など関係無い。必要だから働いてもらった」
あっけらかんとそう言うアレスフレイム。宿舎に戻り、寝室へ向かおうとすると
「まだ何も食べていないだろ。今用意する」
と、厨房へ第二王子が行こうとするので、リリーナは慌てて
「自分で用意するのでお気になさらず!」
「寝ていろ。説教されたいのか?」
好き好んで説教はされたくなく、リリーナはそれ以上何も言えずに黙っていると、アレスフレイムは「ハッ」と憎たらしい笑い声を発した。
程なくして部屋に温かい野菜スープとパンを運ばれてきた。もちろん、運んできたのは国の赤髪の第二王子、アレスフレイム。小さな木のテーブルにそっと置いてくれた。
リリーナは起き上がって礼をしたかったが、つなぎ服から寝間着に着替えていたため、掛け布団を掛けたまま
「ありがとうございます」
とお礼を述べた。
「食えそうか」
と、アレスフレイムがまだ部屋から出ようとする気配が無く、椅子に座ってしまった。
「あの……………その………………」
「何だ、今更言い難いことでもあるのか。今度はどんな魔法を勝手に発動させた」
「違うんです……………あの、寝間着に着替えたので………」
王子に部屋から出て欲しいとまでは言えず、アレスフレイムに察してもらおうと言葉を濁した。
「ああ、ナフキン代わりの物を用意しようか?」
違う! 汚したくないからと言った訳では無い。
「流石に寝間着姿を殿下にお見せする訳にはいきませんので、畑へ戻っていただいてもよろしいでしょうか」
アレスフレイムは漸く理解したが、ごにょごにょと恥ずかしそうに話すリリーナが新鮮で「フッ」と笑い
「しばらくしたらまた戻ってくる。食器はそのまま置いておけ」
パタンと扉を閉め、廊下で扉を背もたれに寄り掛かると、
「寝間着姿か…………」
と少し惜しそうにし、再び畑へと戻った。
「ごちそうさまでした」
一人になった部屋でぽつんと呟く。一人で食べることには今まで慣れていたはずなのに、少しだけ、寂しさを覚える。食器を重ねているところ、ノックもせずにドアが開いた。
「悪い、すぐに王城へ帰る支度をしてくれ」
「えっ」
「あ」
シンプルな白いワンピースタイプの寝間着姿を見られ、リリーナは恥ずかしくて両腕で胸元を隠し、
「出て行ってください!!」
と声を張り上げた。
アレスフレイムは急いで部屋に出ると
「悪かったな。騎士団隊長から手紙が届いた。クソ兄貴の執務が思った以上にクソ過ぎて回らないから早目に戻って欲しいとのことだ。支度が終わり次第城へ戻る」
とドアの外から声を掛けた。口元を手で隠している。その奥は恐らく少し緩めているのだろう。
こんな姿を婚約者でも無い人に見られるなんて。
リリーナは恥ずかしさで堪らなかったが、素早くつなぎ服に着替えて帰り支度をするのであった。
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