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裏庭の魔女  作者: 岡田 ゆき
第一章 庭師と王子
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5−1 畑よ、蘇れ

 庭師の朝は早い。


 朝日が昇るのとほぼ同刻に起床し、リリーナは白い襟付きのシャツに黒のつなぎに着替えた。


 早速裏庭へ向かおうと外に出ると、厨房からは良い香りが朝の空気を色付けていた。


 リリーナは勝手口を開き

「おはよう、ヴィー」

 と声をかけると、大きな鍋を掻き回しているヴィックが

「おはよう、リリー」

 と挨拶を返した。

 それだけ言うとリリーナは勝手口のすぐ横に流し台で寸胴鍋に水を入れ始めた。


「ちょっとリリー、初日から城内のあちこちであなたの噂話がされてたわよ」


 あ、別に興味無い、とリリーナは思ったがヴィックが話しかけているため黙って耳を傾けた。


「あなた、マルスブルー様と初日から話しただけでも凄い奇跡なのに、あのアレスフレイム様と図書館デートしたんですって!?」


 図書館デート…………とは……………?


 まるで彼女の頭の上に大量のクエスチョンマークが浮かんでいるように見えたヴィックは何かを察し


「デートはしてないのね。っていうか、したつもりじゃないのね」


 いや、ヴィックよ、そこじゃないのだ。


「デートって何? 仕事の種類?」


 朝っぱらから雷でも落とされたような衝撃がヴィックに迸った。

 恋愛に無頓着そうな友人ではあるが、そこまでとは!? とヴィックは口をあんぐり開けたまま硬直した。


 そう、リリーナはデート自体が何なのかがわからない。

 彼女の辞書の中は恋愛に関する単語が壊滅的なのだ。


「お邪魔したわね。今日からしばらく不在になるから、また今度ね」


 とリリーナは一旦水が満杯になった鍋を外に置いてから勝手口を閉めて、両手で鍋を持ち上げながらすぐ近くの角を曲がり裏庭へと向かった。




「おはようございます。失礼致します」


 裏庭へ一歩踏み入る前に丁寧に挨拶をする。

 魔法で鍋の水を聖水に変え、鍋を置き、レードルを片手に持ち、なんとも奇妙な水撒きをし始める。


「しばらく不在になりますので、根に水を蓄えていただいてもよろしいでしょうか」


 裏庭の主に若干緊張しながら声をかけると


「ああ」


 としゃがれた声でたった一言だけ返事があった。

 早朝の静かな空気の中、黙々と鍋から水を汲み、溢れ落ちる音が薄暗い裏庭に奏でられていった。




「あっらー! 洒落た水撒きね! 私は好きよ!」


 一方対照的に中庭の主は朝から陽気だ。

 薔薇の迷宮で二列に並んだ一輪薔薇たちに丁寧に水を与えると、葉を胸に当てるかのように曲げ、茎を柔らかく屈め、礼をしていく。

 姫君を守る騎士たちのように誰もが紳士的だ。


「この聖水飲んでみたかったのよね〜っ! く〜っ! うまぁ!」

「姫様、お言葉遣い」


 隊列からは外れ、白薔薇姫の横には真っ赤な一輪薔薇が咲いていて、彼が手短に白薔薇姫に注意をする。


「あら、ナイツ。たまには良いじゃないの」

「姫様の場合はたまにではございません。ほぼ毎日です」


 ピシャリと制するその姿は、正にお転婆な姫君を日頃から守る専属騎士のようだった。

 人間の姿ならば、姫君と並んで劣らず絶世の美男子であっただろう。普通の薔薇と同じく茎や葉は緑だが、赤も緑も全く色褪せて無く、艷やかである。


「では、庭の皆に分け与えましょう」


 白薔薇姫が葉を広げ、水色に輝くと一瞬で地面がひんやりとし、細い大量の管が中に埋められているかのように、水が広大な庭一体に流れ渡って行った。


 これが、主の力……………。


 庭師になってまだたったの二日目だが、驚くことばかりだ。と言っても、リリーナは表情にはあまり出さず、心の中に留めておいた。


「あ、リリーナターシャ。アレスくんが探しているみたい。裏庭でぶつぶつ文句垂れてる」


 そんなリリーナでも、あの赤髪の第二王子の名を聞くと露骨にげんなりとした。

 そんなリリーナを見て白薔薇姫はふふっと笑い、


「行ってらっしゃいな!」


 と見送りの言葉をかけるとリリーナは転移魔法(テレポート)を唱えて裏庭へ飛んだ。




「貴様、支度は出来たか、行くぞ」


 転移魔法で裏庭に着いた途端にこれだ。

 腕組みをしながらアレスフレイムは立ち、「ハッ」とまた人を小馬鹿にしたような笑みでリリーナを迎える。

 リリーナは少し睨みながら


「ご出発は昼過ぎではございませんでしたか」

「思ったよりも執務が早く終わった」


 アレスフレイムの背後で側近の前髪が長いノインは「早起きさせられて、私が終わらせたんですけどね」とオーラで訴えている。


 リリーナは「はぁ」とため息を漏らし、


「一旦部屋に戻って荷物を取って来ますので、殿下はお先に正門へ行かれてください」

「いや、すぐに行けるぞ」


 背後に居たノインが気まずそうにリリーナのクリーム色の肩がけの大きな鞄を持ち上げる。


「私の部屋に勝手に入ったのですか!?」


 こればかりはリリーナも声を荒らげた。

 しかし、アレスフレイムは全く構わずに


「行くぞ。荷物はノインが担いでやる」


 そういう問題じゃない! とリリーナは沸々とアレスフレイムのデリカシーの無さに怒っていたが、あの人を卑下したような笑顔ではなく、ピクニックを待ちわびる少年の様に内に期待を隠し膨らませたような目の輝かせ方をしたものだから、リリーナは仕方なく許してしまうのであった。


 リリーナとアレスフレイムとノイン、三人で正門へ向かう途中も地面から根を通して白薔薇姫が


「行ってらっしゃ〜い! 楽しんで来てね〜! アレスくんたちと仲良くするのよ〜!」


 とリリーナの不機嫌を分かっているのか、追い撃ちをかけるかのようにからかう。

 他の小さな草花たちも賢明に「行ってらっしゃい」と純粋に見送りの言葉をかけてくる。

 一方人間たちは、またもや奇妙な庭師が国の英雄と出掛けることにざわつき、今日も噂話が広まるのであった。


 あの魔女はアレスフレイム様を誑かそうとしている、と。




「やあ! もう出発するんだってね!」


 正門には既に馬車が用意をされていて、アレスフレイムの実兄のマルスブルーとその側近のオスカー、そして恋人のスティラフィリーと侍女のレベッカが見送りに来ていた。

 勿論、レベッカは悪態をつきたいのを押し殺し、気味が悪い程ニコニコと微笑んでいた。

 スティラフィリーは淑女の象徴かのように美しく髪をウェーブさせ、ブロンドヘアーは金色のバレッタで飾られ、一級品のドレスを身に纏い、王太子の横に並んでも絵になっていた。

 一方リリーナはライトグリーンの癖のある柔らかな髪に雑に一つに結び、少し結び漏れた髪が垂れ下がっている程、雑、雑、雑。服装も昨日と同じく漆黒のつなぎに真っ白の襟付きのシャツ。ただ、靴は父に新調してもらった編み上げのブーツで、髪型こそ不格好だが、引き締まってスリムなリリーナにはボーイッシュな格好も良く似合ってはいる。

 ただ、この国では異質として見られてしまうが。


 そんな対照的な二人の年頃の娘が向かい合って立っている。そして二人共、隣に立つのは王子。


「昼過ぎに行くって聞いてたのに急に変えたって聞いたから急いで見送りに来たよ。スティラもぜひって一緒に来てくれた」

「ああ、支度が早く済んだ。早く行くに越したことはないだろう」


 と兄であるマルスブルーに比べあっさりと答えるアレスフレイムを見て、リリーナはこの兄弟は不仲なのかと少し疑った。


「アレスフレイム様、ノイン様、お気を付けて行ってらっしゃいませ……」


 おずおずとスティラフィリーはアレスフレイムとノインに見送りの言葉を掛けるが、アレスフレイムは一刀両断するかのように


「貴女の目には彼女は映っていないのか。この中で最も今回の任務に力を貸す人物が誰なのかも見当がつかないのか」


 鋭い目つきで言い返すと、スティラフィリーは顔を青ざめて小さな声で「申し訳ございません……っ」と言うと黙ってしまった。

 隣でマルスブルーがたじろぎながら、


「そういう言い方はよせ。昨日色々あったんだから、スティラは声をかけづらいんだよ」

「そうですわ。お嬢様は繊細ですから。貴族の令嬢は野蛮な啖呵に免疫が無くて当然です。昨日は散々な目に合いましたからね。アレスフレイム殿下もお心穏やかに過ごされるか心配ですわ」


 レベッカはがま口の口が開かれたかのようにペラペラと王子たちの前でリリーナの悪口を言う。

 マルスブルーの側近のオスカーは何か言いたげにレベッカに睨みつけているが、自分より目上の者たちがいる手前、何も言えずにいた。

 アレスフレイムは彼女たちに起きた出来事は何も知らないし、心穏やかに過ごせるはずも無いとは思っているが、この口煩い使用人にリリーナをまるで侮辱をされるのは怒りが込み上げてきた。


 本来なら恋人であるマルスブルーが諌めるべきだ。彼女がもし未来の王妃になるのなら、使用人たちを労う精神は持つべきだ。


 誰もがこの状況に煩わしく苛々としていると、アレスフレイムの横から凛とした声が発せられた。


「では、クリエット家の方々の皆さまに認めていただける様、王室管理の畑の再生に努めさせていただきましょう」


 皆がその透き通った声の主に注目をする。


「スティラフィリー様も将来管理される畑を見事に再生をした暁には、ぜひ私を王宮庭師として認めてくださいませ。腰を患ったホック氏にいつまでも負担をさせるわけにもいきませんし、中庭を自由に出入りする許可をぜひいただきたいと思います」

「庭に出入りする許可とは…………?」


 オスカーが眉間に皺を寄せながら聞く傍ら、レベッカの表情はみるみる引き攣っていく。


「クリエット家のご了承を得ることが必要とは知らず、勝手に中庭に踏み入ってしまい、昨日は申し訳ございませんでした」

「レベッカ! また貴様は!」


 オスカーが凄みのある声で怒鳴り、スティラフィリーとレベッカは萎縮している。


「とんだ茶番だな」

 とアレスフレイムがぽそりと呟くと、

「全くです」

 とリリーナも小さく答え、二人はレベッカがオスカーに連れ出される様を黙って見届けた。


「ごめんね、そんなことになっていたなんて知らなくて」

 マルスブルーが謝罪をするも、リリーナたちは“貴方がちゃんと咎めないからだろ”と心の中で反論をした。


 だが、この女は何を考えているかわからないことが多いが、肝が座っている。三大貴族相手にも怯むことなく言い負かすとはな。それも自分を下手に出るような言い方をわざとして。


 とアレスフレイムはじっとリリーナを感心しながら見つめていた。


「皆、畑のこと、よろしくお願いするよ」


 マルスブルーはそれからリリーナを見て


「アレスフレイムはすぐ機嫌を悪くするけど、根は良い奴だから、あまり緊張しないでね。リラックスだよ、アジュール」


 微笑みながら見送りの言葉を掛け彼女の名を呼ぶと、横に居たアレスフレイムが急にリリーナの肩を掴み


「早く行くぞ」

「えっ、ちょっと………っ」


 エスコートのエの字も無く、馬車に押し込めようにリリーナを乗せ、自身も後に続いた。ノインは慌ててマルスブルーたちに一礼をするとすぐに乗り込み、馬車は出発した。


 どうしてマルスブルー様は“荒れるフレイム”をどうもこうも召喚しやすい方なのだ、とノインは胃が痛むような想いで椅子に座った。


 どうして奴がこいつの名を知っているんだ………。


 やりきれない怒りを胸にアレスフレイムは無言で窓の外を眺めていた。


 リリーナはと言うと、このなんとも言えない居心地の悪い空間に


 だから転移魔法を使いたかったのよ………!


 と逃げ出したくなっていた。


 畑までは片道約三時間。長い長い道程の始まりである。




ご覧いただきありがとうございます。


ご感想やアドバイスなどいただけると嬉しいです。


では、また。

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