8−3
「風邪か? くしゃみだなんて珍しいな、ノイン」
草原ではノインがエドガーに体調の心配をされていた。
「至って良好です」
だがノインは何となく漠然と嫌な予感はしていた。その予感は大概当たるのだ。
「そろそろアレスが戻って来ると良いのだが…。オヤジ達が目を覚ますのが先だと面倒だ」
現国王とその腰巾着はロープで拘束している。魔法で眠らされてはいるが、目を覚ませば再び森などを焼き尽くそうとする恐れがあるため国王が相手だろうとエドガーはノインたちに縛るように指示をし、反対する者もいなかった。
ノインは草木の声を聞き取ろうと耳を澄ませたが、何も聞こえない。自分も付いて行けば良かったのか、いや、さらに悪い結果になったのかもしれない。主人であるアレスフレイムの無事が確認を出来ない今、彼の胸中は後悔や不安で渦を巻いている。
「…………近頃、アレスは変わったな」
エドガーの呟きに、ノインはふと顔を上げて見つめた。
「柔らかくなった。目の下の隈が消えて、不必要に嫌味を言わなくなったし、笑顔を見せることも増えた。アレスが1番、この国で背負っているだろうに」
「そうですね」
ノインは静かに相槌をした。
アレスフレイムが変わった理由は言うまでもなく、彼女と出会えたから。王子と領地の娘、恋など許されない身分ではあるが、ノインは彼等の関係をそっと見守っていた。ただ溺れるような恋などではなく、主人は国の政策の協力者としても彼女を信頼しているからだ。
「あ!」
エドガーが森から人影が出てくるのを見つけ、途端に走り出した。ノインも後から追う。
「アレス!!」
エドガーは友の無事を喜び腕を懸命に振って走るが、ノインはアレスフレイムを見てハッとした。
主人の腕には茶色のローブから黒い編み上げのブーツが出ている女性が抱かれていたからだ。
「無事で良かった! すぐにここを出よう。機体はまだ使える。俺等とオヤジ達が乗って、もう一機には残りの者たちを乗せて城へ戻ろう。今後の相談を」
だが、エドガーの前にスッと腕を横に伸ばして止めたのはノイン。
「ご無事で何よりです。お二人でお乗りください。操縦は片方の機体でエドガー様が遠隔操作をなさいますので、我々はエドガー様と同乗します」
「そうさせてもらう」
「はぁ!? ノイン、お前っ」
「(ここで邪魔をしては地雷を踏みますよ!!!!)」
ノインは前髪で隠れていない目に最大級の力を込めてエドガーに訴えた。エドガーは怯み、アレスフレイムは当たり前のように彼女を抱きながら機体へと乗って行く。アンティスやジーブルの騎士たちも啞然としていた。
「はぁ…すぐに出発するぞ! 全員直ちに乗れ! 殿下様がいらっしゃらない方にな!」
エドガーが仕方無しに声を張るが、その表情はどこか吹っ切れて晴れ晴れとしていた。
「申し訳ございません……本当なら転移魔法で私は自力で戻るべきでしょうが」
「気にするな。ゆっくり休め」
リリーナとアレスフレイムは並んで座り、リリーナは肩を抱かれ、彼に身体を預けていた。甘えからではない、未だかつてないほど疲弊しているのだ。
「……良かったのか。太陽の丘に行かなくて」
リリーナに棲む魔女フローラの故郷、太陽の丘。そこにフローラについての手がかりがあるかもしれないが、リリーナは敢えて行くことを拒んだ。
「ええ……昔は恐らく太陽の丘の民で栄えていたようですが、今は無人だと聞きました。故郷の変わり果てた姿を見るのは、苦しいだけですわ」
リリーナはそっと胸元に手を添えて、トントンと優しく叩いた。
「そうか」
「それに……私、フローラが何か復讐だとか企んでいるとは思いませんの。彼女はとても泣き虫だから。強大な魔力を持っているのに、気弱なのです」
アレスフレイムに語りながら、リリーナは徐々にフローラへの理解を深めていく。そう、フローラは全属性の魔力を使えるなど桁違いの力を秘めているのに、傲慢に使おうとはしない。情緒不安定になりながら一人ぼっちに過ごしている、そんな人物像。
「私に棲み着いたのは……」
ずっと何故だかわからなかった。
リリーナは彼女の力が無ければ魔力を一切持たない。
そんな相手にわざわざ棲み着いても持ち前の魔力が生かされないはず、そんな風にずっと考えてきた。
でも、今ならわかる気がする。
「私に、助けて、と泣きながらやって来たのだと思いますの」
西に傾く陽の光がきつく差し込む。二人は眩しくて目を細めた。
「ならば、フローラが棲み着く理由はリリーナにあるということだ」
今までフローラはどんな魔女なのか、どんな生き方をしたのか、何故彼女を巡る戦争が起きたのか、闇雲にフローラを知ろうとしてきた。
「リリーナが、リリーナ自身に目を向けるんだ。そこにフローラが助けを求めたカギがあるのだろう」
リリーナはこれまで植物たちの世話を生き甲斐としていた。家族との会話も最小限にし、土いじりに没頭してきたし、王城庭師になったのも珍しい種類の植物たちに出会いたいと思ったから。
もっと、もっと自分を見つめる。植物たちのこと以外に関する自分のことも。
「今まで考えようとしたこともありませんでしたわ。私が何者かだなんて」
「わからなければ教えてやる。まず頑固」
「殿下には及びませんわ」
ハッとアレスフレイムは笑う。
「度胸がある。それと頭の回転が速い」
「それは…褒め言葉ですよね。ありがとうございます」
「人を休ませてくれる」
「………?」
アレスフレイムの言葉にリリーナはいまいち理解出来ずに黙って目を向けた。
「俺に対して休む暇を作れと言うのはリリーナだけだ。王室管理の畑へ行った日も朝食を用意したり、夜に聖水のコッを魔法で出したり……。貯水槽だって水遣りがメインだが、俺やノインが気兼ねなく聖水を飲めるように配慮してくれたのだろう?」
言う事は間違っていないのだが、面と言われると何も言えなくなる。思わず顔を背けたくなるような…リリーナは慣れない感情とくすぐったさにも理解出来ずに窓の外へと目を向けた。アレスフレイムがあまりにも懐かしそうに微笑むのだから。
「こっち向け」
アレスフレイムがリリーナに声をかけるが、彼女は窓の方へ顔を向けたまま。
「頑固だな」
フッとアレスフレイムは笑い、上半身を背もたれから離してリリーナに覆い被さった。
彼女の顔が赤く染まるのは夕陽のせいだろうか。
彼の影から彼女の影へとゆっくりと重なり、優しく弾く音が微かに漏れる。
「…………よくわかりませんけど、これ、嫌では無いのですの、私……」
「また一つ、君を知った」
影がまた重なった。




