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裏庭の魔女  作者: 岡田 ゆき
第四章 迷いの森へ
116/198

7−4

 水飛沫を上げて泉の中心にヤンマに乗ったアレーニごとリリーナは沈んでいった。思わぬ展開にココが手を口元に抑えて悲痛な気持ちを露わにしている。

「リリーナさんが死んじゃうっ。私、そんなつもりじゃ…」

 すぐに水面から上がってきたのはアレーニ。ヤンマから降りるとローブに吸い込んだ水を絞っていた。

「おい、庭師は!?」

「彼女ならまだ泉の中だけど?」

 ニックが竜から降りて急いで泉へ潜ろうとするのを見ると、


「その役目は君じゃないんだな〜」


 アレーニは黄色の蜘蛛の糸をニックの足首に巻き付け、彼が泉へ行くのを止めた。途端にニックが転ぶ。

「いってぇ! 何しやがる」

 その瞬間、赤い炎が横切る。

 脇目も振らず、真っ直ぐに泉へと。

「リリーナ!」

 アレスフレイムが泉に踏み入れ、どんどん足元から水が服に吸い込まれ、身体が重くなる。

 けれども彼の心に灯った炎は消えることを知らなかった。どんなに水浸しになろうとも。




 ごぽごぽぉ………。


 泉に落ちたと同時にリリーナの精神は無機質な空間へ落ちた。空間は果てしなく聖水で満ちていて、リリーナは底にある茨に縛られた扉へと潜って行く。

 本来なら水中で口を開くなど自殺行為だ。だが、リリーナは呼びかけずにはいられなかった。彼女の名を。

「フローラ…っ」

 聖水の中だろうが息苦しい。僅かに開かれた扉の隙間を覗いても彼女の姿が見えない。けれども、啜り泣きが聞こえてくる。

「大切な………大切な………兄と…姉が……私のせいで…私のせいで……」

 フローラにも兄妹がいたのか。

 リリーナは口には出さなかったが、フローラにも家族がいたことを知り、太陽の丘の魔女ではあるものの彼女も普通の女の子であることを感じた。

「フローラ、辛かったわね………」

 自分のせいで家族が死んだなんて知ったら、途端に心が壊れるだろう。リリーナにも妹がいる。もし自分のせいで妹のカロリーナが死んだと聞けば悔いても悔やみきれず、さらには自分自身も妹を追うかもしれない。

 どうか、傷ついた彼女に少しでも温もりを。

 リリーナは願い、扉の隙間に手を入れようと腕を伸ばす。茨の棘に肌が切られようとも。

 手を入れた時、リリーナは不自然なことに気が付く。


 扉の隙間から聖水が向こうへ流れない。手を入れることは出来るのに。


 そして、天から赤い光が差し込まれた。太陽の光ではなく、彼の明かりが。


 ―――――ダイジョウブ、来るよ。


 植物たちが教えてくれた、あなたが来ることを。




「森の主にかけられた魔法を解いでくれ!」

 リリーナの身体を引き上げたアレスフレイムが絡みついたツルを解きながらローブで身を隠しているニックとココに言った。大筋はカジュの葉から聞いていたのだ。

「で、でも、どうやってすればいいのか…」

 記憶を消す魔法はただでさえ高難度。さらにリリーナではなく、中に潜む魔女フローラにかけなければならないという前代未聞の難題にただでさえ気弱なココは一層おろおろとしていた。

「さっさとやりなさい!! ここを狙うのよ! 早く!」

 ひらりと浮かぶカジュの葉が白く発光し、白薔薇姫の声がした。葉からはリリーナの胸元に向かって一本の白い光の筋が放たれる。

「白薔薇姫様!? え、えっとぉ、本当にここで大丈夫ですか…っ」

「早くしなさい! 尻を棘で刺すわよ!」

「はぃぃぃい!!!」

 戸惑うココに容赦ない白薔薇姫。ココはしゃがんで光が当たるリリーナの胸元に指を当て、

光失記憶(ライトロストメモリー)!」

 と唱えた。彼女の髪と同じプラチナブロンドの光が指先からぽわぁっと広がり、パチンッと暗く濁ったピンクローズの丸い光が弾かれていった。

「伊達に太陽の丘の魔女じゃないってところね。上出来だわ」

 白薔薇姫に褒められてココはほっとした。が、リリーナは目を覚まさない。

「水を吸い込んだか」

 アレスフレイムは仰向けに横たわるリリーナに躊躇いなく唇を当て、人工呼吸をした。人命救助だとはわかってはいるが、ココは思わず赤面してしまう。アレーニも多少は嫉妬心がありつつも、リリーナが蘇ることを願ってじっと見つめていた。

 リリーナの身体に力が戻ろうとした瞬間、即時にアレスフレイムが彼女の顔を横に向け、すると「がはっ…!」と口から水を吐き出した。

「やった!」

 ココが安心するのもつかの間、それでもリリーナは目を覚まさなかった。

「どうして…今、水を吐き出せたのに」

「フローラのところにいるのか」

「え?」

 アレスフレイムはリリーナの右手をぎゅっと摑み、ぐっと身体を持ち上げた。

 彼女が濡れているのは水だけか、それとも汗か。疲弊した瞳をうっすらと開いたのだ。

「殿……下………」

「リリーナ。もう大丈夫だ」

「来てくださると……信じてました………」

 残った僅かな体力で儚げに言った言葉にアレスフレイムは胸が熱くなり、リリーナを力強く抱き締めた。だが、すぐにはっと我に返り、

「誰か泉の水を汲んでくれないか。彼女に飲ませたい」

「イイヨ〜、ボクの口移しで」

「燃やすぞ蟲キング」

 アレーニの冗談と本気が混じった提案にアレスフレイムは即却下。すると、ココがおろおろとしながら森を見渡し、

「あ、えっと、誰か用意してくれないかなっ」

 植物たちにお願いをすると、どこかからふわりと回転しながら飛んで来たのはフキの葉。成人男性が手の平を広げたよりも大きな葉がくるくると回転しながら飛び、ちゃぽんと泉の上に降りた。ココは小走りで泉へ行き、葉を湾曲させて中心に水を貯め、慎重にアレスフレイムへ手渡す。

 葉を丁寧に受け取ると、

「有り難う」

 ココに礼を言い、アレスフレイムはゆっくりと葉を傾けてリリーナの口に水を運んだ。

 こく…ん…と弱々しくだが聖水を飲み込む。徐々にだが、リリーナの瞳にライトグリーンの光が戻っていく。

「あ、そうだった」

 突如アレーニが思い出し、小さな金色の輪を浮かべるとその中に腕を突っ込み、あるモノを取り出した。

「はいこれ、お返しするヨ。水が足りなかったら、ここから注ぐとイイヨ」

 ライトグリーンのジョウロ。アレスフレイムはアレーニからそっと返してもらった。

「もう大丈夫です……」

「おい、流石に無理をするな。まだ休んでいろ」

 ゆっくりとリリーナが上半身を起こそうとするのをアレスフレイムが肩を掴んで止めようとする。

 だが、

「いいえ、やらないと気が済まないことがございますので」

 アレスフレイムが今まで見た中で最も怒りを露わにした彼女の張り詰めた空気にそれ以上止めることが出来なかった。アレーニたちも彼女の怒りに息を呑む。

 びしょ濡れのブーツと靴下を脱ぎ、裸足で森を歩む。

「貴女が親株ね」

 泉の水を聖水に変えた際に声をかけてきた、あの泉に近い木の前に立った。幹に苔がびっしりと茂っている。


 すると、リリーナは右手を握り締め、苔を一発殴ったのだった。


「ッ!?」

 普段誰よりも植物を愛する彼女から想像出来ない行動にアレスフレイムは驚愕し、アレーニも珍しく動揺した。ココたちは苔の反応に身構える。

「貴女には人間に殴られたぐらいで痛みなどほとんど無いかもしれません。命の危険があれぱ仮死状態にもなれ、蘇ることが出来る貴女に、子株が失われてもそれ程脅威にはならないかもしれません。ですが」

 リリーナは辺りに視線を向けた。

 フローラの暴走により地割れをした大地を。

「主ともあろう方が森の小さな命を守りきらないで何が試練ですか!? 小さな葉たちは恐怖に慄いたでしょう。痛みを覚えたでしょう。助けてと願ったでしょう!? 太陽の丘を守るから特別なんかではございません。一主として、貴女はどんな小さな植物も守る責務があるはずではございませんか!?」

 隠れ令嬢は怯むことなく、森の主に立ち向かった。

 そして

「フローラは絶えず泣き続けていました。自責の念に押し潰されながら。家族の死を見せるなんて、あまりにも惨い仕打ちです」

 植物だけでなく、フローラを悲しませたことにも許し難かった。リリーナは言いたいことを言い終えるとふぅと息を吐き、

「けれども、まずは私達人間に非があったことを深くお詫び申し上げます。二度と森に危害が及ばぬ様、私達も森を、そして大地を守っていきます。では、失礼致します」

 最後には最敬礼をして森の主に背を向けた。すると今度は泉に入り、

「どうした!?」

 アレスフレイムが急いで追いかけると、彼女は手で掬った。


 指の隙間からは聖水は流れ、同時に垂れ下がるのはライトグリーンのリボン。


「大切な物ですので」


 じゃぶじゃぶと力強く脚で水を押し進め、アレスフレイムはリリーナの目の前に立つ。すっかりずぶ濡れの二人。アレスフレイムはしっかりと彼女を抱き締め、

「帰ろう。風邪をひく」

 特別な挨拶を交わした。

 唇から伝わる彼の優しさにリリーナも安心感を覚えながら彼の腕の中に包まれていく。


 2000年前に恋を求めて降りた魔女は大きな災を招いてしまった。けれども、時は流れ、新たな運命が切り開く。

 彼女等に光りあれ、とリリーナたちに希望を抱いたかのように木々は開かれ、泉にとびきりの太陽の光が降り注がれていった。

 



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