3−2
裏庭に転移魔法を使って瞬時に訪問し、また風のようにあっという間に去る。王子の突発的な行動に側近のノインは正に振り回され、戦火から帰ってきたばかりなのもあり疲弊していた。
「あの魔法使いをそのまま放置してよろしいのですか」
赤髪の第二王子、アレスフレイムは脇目も触れずに答える。
「構わない。あいつは庭師だからな」
「は?」
「草木を守ることに徹した。俺が死んでも構わない程にな」
面白い物を見たなという風に久々にアレスフレイムは口の端を上げていた。
側近のノインは主が珍しく満足そうな顔をしていたのを見逃すことはなく、衝撃を受けていた。
「ロズウェルの領土に訪問しますか」
「時間の無駄だ、やめておけ。あいつは嘘をついていないだろう。欲を感じない。あのボサ髪を見たか?完全に女を捨てているだろ、あの女は」
そういえば名前を聞かなかったな、とアレスフレイムは思った。いつもなら名前を聞く前に相手からほいほい無駄に名乗ってくるものだから、名前を聞くことなんてもしかするとしたことが無いのかもしれない。
「あいつは土いじりに没頭していたいだけだ。ただ、クソ親父に知られたら終わりだ。兵器にされる。他の国の連中にも知られるわけにもいかない。力ずくで誘拐されるだろうな」
アレスフレイムは完全に隈が消えた顔をノインに向けた。
「他国から訪問客が来る際は、上級魔法使いが来城するかどうか事前に綿密に確認をしておいてくれ」
「承知致しました」
ノインは歩きながら片手を胸に添えた。
「眠いな…」
「まさか眠り薬か」
「回復薬だろう。体中の筋肉痛が消えていった。最後に熟睡をした日以来の睡眠欲だ………」
目がとろんとしかけた王子などいつから見ていないだろうか。ノインは咄嗟にアレスフレイムを支えようと横に並んで腕を伸ばす。
「悪い。先に転移魔法で部屋へ戻る。後で客払いに来てくれ」
「畏まりました」
「転移魔法」
欠伸をしながらアレスフレイムは再び地面に魔法陣を浮かべながら姿を消したのだった。
風変わりな庭師が乾いた殿下に水を満たしていくかの様…。
ノインは主君の希少な睡眠欲を死守するべく、全力で王城を駆け抜けて行った。
「って会話してたのよ!だから根っから悪い奴ではないのよ、アレスくんは」
裏庭で腰を抜かしていると後から中庭の主が戻って来て、盗み聞きをした話を教えてくれた。相変わらず根を通じて地下から話しかける。
「ふん、人間の男なんかろくなもんじゃないだろ」
しゃがれた声で裏庭の主の切り株がぶった切る。
「あっらー、時代ってのは変わっていくのよ。全部が昔と同じなわけないでしょ、御爺様」
「お、おじい…っ!?」
「樹齢3000年の御爺様」
「お前だってざっと2000年は生きてるだろう」
「ちょっと〜、女性の年齢なんてバラすもんじゃないわよ!」
幼馴染みの喧嘩でも聞いてるかのようだった。それが王城の敷地を統べる主同士の口喧嘩なのだから滑稽なものだ。
リリーナは立ち上がり、お尻に付いた土を払い落とす。
レードルで寸胴鍋の水を汲み
「水やりを終えたらホックさんのところへご案内をしていただいてもよろしいでしょうか」
と地面に向かってお願いをすると
「もちろんよ!喜んで!ついでに私にも会いに来て!」
少し地面がポコっと揺れた。
「アレスは戻って来ている?」
アレスフレイムの自室の前で客払いの為に立っている側近のノインに話しかけたのは、アレスフレイムの実兄で第一王子のマルスブルーだった。後ろから彼の側近のオスカーも控えている。
「今、お休みを取られていらっしゃいます」
ノインがそう答えても「そう」と言ってマルスブルーが扉を開けようとしたので
「今、お眠りでいらっしゃるので」
軽く腕を伸ばして制するも
「こんな時間に?まだ陽が出てるじゃないか。どうせアレスに面倒だから誰も中に入れるなとか言われたんだろ?」
と問答無用で扉を開けてしまった。
中で眠っていたアレスフレイムだが人の気配を感じて反射的に起き上がってしまった。ベッドの上で上半身だけを起こしている。
「ごめん、まさか本当に寝てた…………?」
マルスブルーの後ろでノインが謝罪の意味を込めて頭を下げている。そして、その後ろから見ていたオスカーも気の毒そうな顔をする。
「あ〜………いい、気にするな」
若干不機嫌に頭を掻くアレスに、マルスブルーは「ありがとう」と微笑む。
ノインに対して言ったんだが………と寝起きの彼は軽く兄を睨みつけた。
「王室専用の畑のことなんだけど」
「畑……………」
裏庭の次は畑か、とアレスフレイムは思わず苦笑いを浮かべた。
「うん、そう。料理長のヴィックから聞いたんだけど、収穫がすごく減ってしまっているそうなんだ。現地に兵士が行っても専門知識が無いから役に立ちそうにないだろ?今日から新しい庭師の子が来たんだけど、俺とオスカーと彼女で調査に行こうと思うから城を空けようかと」
「俺が行く」
「え?」
誰もがアレスフレイムの返事に驚きを隠せなかった。基本的には重大な人災や天災、戦争以外には外には出ないタイプだからだ。
と同時にマルスブルーの側近のオスカーは、主の突拍子もない提案と長年隈が宿っていた常に疲れを感じていたアレスフレイムの顔色が見違える程良くなっていることに内心何事かと困惑していた。マルスブルーはアレスフレイムの変化には全く気付かずに続ける。
「いや、別にアレスじゃなくても良いんだよ?庭師の彼女さえ連れて行けば良いんだし、なんだったら兵士に頼むし」
「マルスは誕生祭を再来週に控えているだろう。なるべく城にいた方が良い。それに年頃の女を指名して遠出に行くのはクリエット家の令嬢に不信感を抱かせるだけだ」
きっと畑では異常事態が起きている。
単なる手入れ不足なら問題が無いが、それ以外なら恐らくあの女は力を使うだろう。
畑の作物も立派な植物なのだから。
「え、アレスも彼女にもう会ったの?」
普段平和ボケした王子の癖に妙に勘が良いときがある。
「ああ、たまたまな」
とマルスブルーから視線を逸らして答える。
「でも、たかが畑の視察だよ?国の英雄の君が行く必要も無いんじゃない?」
悪びれずマルスブルーは続ける。
ああ、なんだかさっきの女の怒りがわかってきた。
『我が国の王子は裏庭を自国の大地と見為さないのでしょうか。国土を守るのが王族の役目でいらっしゃるのではありませんか』
ふと王族に啖呵を切った庭師の言葉を思い出す。
不本意だが、彼女の言葉を借りよう。
「畑と言えども自国の大地だ。国土を守るのが王族の役目だ。俺が行って何が悪い」
アレスフレイムの強い意志にそれ以上反論する者はいなかった。
裏庭は中庭に比べたら広くは無いがそれでも三大貴族の実家の庭の何倍もある。やっと水やりと草木の健康状態をチェックを終えた。
「では、切り株様、本日はお暇させていただきます」
リリーナが切り株に挨拶をすると
「切り株様はよせ。様付けされるのは好ましくない」
「植物としての名でお呼びすればよろしいでしょうか」
「…………」
リリーナが代替案を出しても黙ってしまった。切り株姿だけでは何の種類の植物かはわからない。気難しいな…とリリーナは悩む。この仙人様のような方といつか打ち解けられるのだろうか。
では………………
「カブ、はいかがでしょうか。切り株のカブ」
「それで良い」
許してもらえた、とリリーナはほっとし、一礼して裏庭を去った。
寸胴鍋とレードルを返そうと再び厨房の勝手口を叩くと「はーい?開けていいわよ〜」と中からヴィックの声が聞こえてきた。
「これ、ありがとう、助かったわ」
あとは盛り付けだけ済ませれば良い状態で、ヴィックは勝手口の近くの流しで洗い物をしていた。
「バケツとか用意出来るまでそれ使ってていいわよ」
「良いの?助かるわ」
すっかり友達同士の会話のリズムで二人は自然と笑顔になる。と言っても普段表情があまり無いリリーナはほんのささやかな微笑みだが。
「基本的にワタシがいるときは勝手口の鍵を開けておくわ。ここの流しとか自由に使っちゃって。だけど、服が汚れてたら入って来ないでね。あ、室内履き用のゴム長靴用意しておくけど、足は何センチ?」
「22センチ」
「あら、身長の割に小さめなのね。あとで倉庫から出しておくわ」
「ありがとう。何から何まで有り難いわ」
「お互い様よ!」
ヴィックはニッコリと上機嫌に笑みを浮かべると視線を流しに落としながら
「ワタシ、こんなに楽しくお喋りしたの、久しぶりだわ」
「そうなの?」
何本もの包丁を手早くスポンジで泡立てながら
「ワタシって男なのに女じゃない?だから周りは気味悪がってどんどん辞めていっちゃって、厨房に残ったのはワタシだけになっちゃった。お城で世界中の人に料理を振る舞うのが夢だったから、良いんだけど」
シャツを捲った腕は男の筋肉そのもの。
力強く油汚れも落とすし、業務用の大きな鍋だって運べる。
「一人で厨房を回すには男性並みの筋力が必要に見えるわ。私だったらそんな大鍋運べないもの。ヴィーはその体だから腕を振る舞えるし、その心だから優しくて、きっと繊細な味付けが出来るんじゃないかしら」
「リリー…………」
「私の領主様の専属シェフがよく言っていたわ。誰かに出す料理は心と体力だ、って。毎日毎日、たくさんの調理、本当にお疲れさま」
ヴィックは泣くのを堪えて
「ありがとう…っ!」
と精一杯の笑顔を向けた。
「私も野菜の切り物ぐらいなら手伝えるから、必要な時は言ってね」
「うん、また野菜の収穫が増えたらお願いするかもしれないわ」
あ、そういえば収穫が減ったとかなんとか言っていたな、とリリーナは思い出した。
「一応ね、たまに手伝ってくれるメイドちゃんが一人だけいるんだけどね。リリーに今度紹介したいわ、良い子だから」
「そうなの、楽しみにしてる」
収穫が減った理由は何だろう……とふと考える。
一気に病気が広まった?
農家が減った?
王城管理の畑なら肥料などは申し分ないはず。
それでも収穫が減るのは作り手が怠慢になってきているのか…?
やはり、手に負えない病気が広まった、と考えるのが有効か…。
リリーナはヴィックと話しながらそんなことを考えると
「リリーナターシャ!また裏庭に魔法陣が……っ!!」
と中庭の主の声がしたので、
「ごめん!ちょっとすぐ行かなきゃいけないの思い出した!」
「おっ大変ね、気を付けていってらっしゃ~い」
雑にヴィックと別れ、駆け足で裏庭に行くと
「ちっ、いないか」
と裏庭の中心で舌打ちをしている赤髪の王子がいた。
「アレスフレイム殿下!」
名前を呼ばれてアレスフレイムは少し目を見開いた。
振り向くとボサボサのままのライトグリーンを雑に結った庭師が走ってやってきた。
「探す手間が省けた、貴様に話しがある」
「私もです」
先程よりもアレスフレイムとの距離を縮め
「私を王城管理の畑へ連れて行っていただいてもよろしいでしょうか!」
こいつは予知能力者か何かか。
そう思うアレスフレイムの顔は引きつっていた。
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では、また。