3−1 最悪な出会い
窓の無い城の裏側にある裏庭で魔法を使っても気付かれないと疑っていなかったリリーナは心底動揺した、が、顔には決して出さなかった。
「貴様、ここで何をしている」
対立する男は剣の矛先をリリーナの喉仏に向けている。
女性はスカートやドレスしか履かないこの国で漆黒のつなぎに手にはレードル、足元にはパスタ用の寸胴鍋、奇妙な装いではあるが、脅威の対象ではないと思ってもらいたい。
だが相手は自分に敵意がある、リリーナは慎重に言葉を選んだ。
「本日より庭師として着任しましたので、水やりをしております。中庭は貴族の令嬢の方々から追い出されたので、ひっそりとこちらで手入れをさせていただいておりますが」
「魔法を使いながらか。それも上級魔法を」
何故………魔法について無知なリリーナはこの男に知られた理由がわからなかった。
魔力の高い者は魔法を感知する力に長けていることを。
「なんのことでございましょう」
「顔色一つ変えずにしらを切るつもりか。女にしては大したもんだ」
赤髪の青年は掘り返されたばかりの土を踏み
「これは何だ。スコップも使わずに土を掘る事が出来るのか。あの長方形に当てられた不自然な陽の光は何だ。魔法以外に無いだろう」
目の下に隈を宿らせ、青年は苛つきながらリリーナに問う。矛先を彼女に向けたまま。
「その水だって怪しいもんじゃないか。毒水か?」
「飲み水でございます」
「ハッ、今は飲み水でも貴様なら容易く毒水を生成出来るだろう」
「作れません」
剣をリリーナの喉仏ギリギリまで近付かせ
「作ってみろよ」
「お断りします」
この距離でも顔色一つ全く変えないとはな…冷や汗すらかいていない。この女は何者だ……。
赤髪の青年もリリーナも向き合ったままぴくりとも動かずにいた。
厨房の角から誰かが走ってくる息遣いが聞こえてくる。
「アレスフレイム様………っ!急に転移魔法を使ったと思ったら何故こんな所に………」
紫色で長い前髪を左に分けた細身の青年がやってきて、事の状況に目を丸くし、急いで自身も剣を抜いた。
アレスフレイム…………その名を覚えているわ。
兵士が話していた戦争でいつも敵の大将を真っ先に仕留めるこの国の王子。
初日から王族にこんなにも見つかるとは本当に運が無いと嘆きたくなる。
「侵入者…っ!?」
「いや、今日から来た庭師だ」
「さっきエドガー様が仰ってた……何故」
「上級魔法使いだ。それも化け物級のな」
化け物、と言われて流石にリリーナも失礼なと癇に障ってくる。
「領地の娘だとは聞いていたが、貴様の両親も魔法使いか」
「両親は魔法が使えません!私が魔法を使えることも知りません!」
血の通っていないアジュール夫妻にまで危害が及んでは困る。リリーナは語気を強めて反論した。
「やはり魔法が使えるか。今すぐ鍋の水を毒水に変えてみろ」
「そのような魔法は使ったことはありません」
「オリジナルの使い手だ、この場で初めてやってみせろ。ロズウェル家はこんな魔法使いを庭師に差し出すなんて何を企んでいるんだろうな」
当たっていないが刃の冷たさが伝わってくる。
リリーナは観念し
「ロズウェル様も何も存じておりません。この場でご指示の通り毒水を作ればご納得いただけるのでしょうか」
「ああ……」
背後に控えていた紫髪の側近は固唾を呑んで佇んでいる。
そんなハイレベルな魔法など出来るものか、毒水は普通は薬草を調合してようやく成功するかしないかの確率で出来上がる物だ。ましてや澄んだ毒水など作れるものか、それも少量ではなく、寸胴鍋半分程の量の水を変えることなど…!
アレスフレイム様も何をお考えだ、庭師に無茶な命令を出すにも程がある。
リリーナは目を閉じて自然界のエネルギーを感じ、想像し、ゆっくりと鍋に手を翳した。
「毒水生成」
彼女が唱えると鍋の水は瞬く間に黒く発光し、そしてすぐにまた透明な水の色に戻った。
何も知らなければ毒水だとは全く疑いもしない程透き通っている。
信じられない光景に側近は口を僅かに開いて言葉を失い、冷や汗をかいている。
一方でリリーナとアレスフレイムは真顔で目を合わせたまま対立している。
やがてアレスフレイムは剣を下ろした。
「毒水かどうか、雑草にでもかければ証明出来るか」
などと目の前の男が草の命をあまりにも軽蔑し、流石にこればかりはリリーナの逆鱗に触れた。
「作れと仰ったのは貴方です。貴方が飲むべきだわ」
「なっ…何を!」
後ろの側近だけがたじろぐもリリーナは構わず続けた。
「我が国の王子は裏庭を自国の大地と見為さないのでしょうか。国土を守るのが王族の役目でいらっしゃるのではありませんか」
淡々としているが緑とピンクが混ざった彼女の瞳は怒りが静かに湧いている。
「フンッ………」
それだけ言うとアレスフレイムは剣を下ろし、鞘へ戻した。
「飲み水に戻せ。俺が飲んでおく」
「殿下!?」
「俺は忙しいんだ、早く」
なんっって我が侭な王子だろうとリリーナは沸々と腸が煮えくり返る想いだが、毒水のままでいるわけにもいかないため、再び手を翳して
「聖水生成」
と唱え、いつものように水面が輝き、また透き通った水へと姿を戻した。
アレスフレイムは鍋を持ち上げ、直接口を付けて勢い良く飲んだ。
「アレスフレイム様!!毒味なら私がやります!」
側近に制されると、アレスフレイムは手で口を拭う。
「案ずるな。毒ではない。魔法を目の前で見ただろう」
「ですが、危険すぎます!」
「全て飲まれましたらお腹を下しますわよ」
リリーナの指摘に二人は呆気にとらえて彼女を同時に見た。
「誰が全て飲み干すと言った。毒が完全に抜けてる。水やりを続ければ良い」
聖水を飲んだアレスフレイムはたちまち長年宿っていた隈が薄くなっていく。
側近は驚くことが多すぎて言葉を失い続けることばかりだ。
「一つ忠告をしておく」
鋭い騎士の瞳をアレスフレイムはリリーナへ向けた。
「敵国の川に透明な毒水を混ぜたら一国を滅ぼすだろう。馬で攻めて来た敵軍の大地を掘り返せれば馬ごと騎士が崩れ落ちるだろう。太陽の光を敵軍の瞳に目掛ければ焼き尽くすだろう。貴様の魔法は戦争向きだ」
彼女はずっと植物たちの言い付けを守ってきた。
誰にも力のことは言わない、恋をしない。
『再び戦争を起こさないために』
「戦争向きは………貴方でしょう………っ」
傷付いたことを見せるまいと彼女は何とか言い返したかった。
「そうだな………………」
意外にも彼は物憂げな顔をして視線を逸らした。
あ……とリリーナは思ったが、彼は再び目線をリリーナに戻し
「国王にだけは隠し通せ。何としてもだ」
父から聞いたことがある、国王は貪欲の塊だと。
アレスフレイムはそれだけ言うとリリーナに背を向けて「行くぞ」と側近に声をかけて立ち去った。
緊張の糸が切れ、リリーナは切り株の前で膝から座り込んでしまった。
そういえば
『逃げろ、フローラ!』
さっき切り株様は私を別の名前で呼んだ……。
単なる言い間違えだったのだろうか。
聞きたくてもまだ聞けるほど打ち解けていない。リリーナは諦め、湿ったばかりの土の上にしばらくしゃがみ込んでいた。
「人生で初めて、腰が抜けたわ…………」
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