診る人
作者の2作品目のホラーとなります。
古めかしい病院。
それは言い換えれば伝統のある病院で、
『普段は他の病院に行っていても最後にはこの病院に行く』といったような、地元の人はみんな信頼している総合病院でもあった。
隣にいるのは数分前まで元気だった祖母。しかし、今では椅子に深く座り、苦しそうに肩で息をしている。
深夜で救急車を使うことも考えたけれど、アレルギーでもあるかの様に嫌がる祖母のすすめで、自分の自家用車で送り届けたのだった。
そんな祖母を連れて緊急外来を通過する。
守衛さんからやる気のない問診を通し、しばらく待合室で待たされる。
中々来ない医師や看護士に、携帯の時計を見ながら苛立つ。
「これくらい大丈夫よ。お医者さんに診てもらえばすぐに治るからねぇ」
浅い息でなんとか待合室の長椅子に横になりながら、私を安心させるように言う祖母に、とてもではないが安心できない私の苛立ちは募るばかりだった。
時間が経つごとに苦しそうにしている。
先程までは言葉を交わす余裕もあったのだが、徐々にうめく回数が増えてきていた。
苛立ったところで固く閉ざされた処置室の扉を見ることしかできないのだが…
しばらくして、ようやく来た女性の看護士が処置室の鍵を開ける。
中には医者の机、診察台、それに管がいっぱいついた何かよくわからない機器がそこらかしこに置いてあった。
思ったより広い部屋は、しかし、誰もいないので寂しい様な印象も受けた。
祖母に肩を貸して処置室のベッドの上に横に寝かせた。
もう椅子に座っていられる様な余裕は無いのだろう。
年をとった祖母には失礼かもしれないが、赤ん坊の様に体を丸めて、痛みを抱きしめる様に小さくなっていた。
上を向いたり、横を向いたり、としばらく落ち着かず唸っていた様だったが、うつ伏せ気味になる事でようやく落ち着けたみたいだった。
「はい、では後はこちらで見ますので。付き添いの方は待合室でお待ち下さい」
看護士よりさらに後から来た落ち着いた様子の医師に苦しそうな祖母を託すと、当然のように診察室から付き添いの私は締め出されるのだった。
待合室の薄い扉の向こうでは、祖母の苦しそうな呼吸の音が響いてきていた。
看護士がそばでバタバタしているのが聞こえる。
その横で、お気楽そうな医師の声が響いてくる。
「あー、今苦しいですか? どこらへんが苦しいですかね? ここ?」
軽い感じの声掛けに、この医者は本当に大丈夫なのか、と不信感が頭をもたげる。
不信感があっても出来ることはない。
やるせない気持ちで待合室の椅子に腰を掛ける。
静かな待合室ではテレビなどもついていない。
処置室の音が扉越しにくぐもった音として耳に入ってきていた。
しばらくは医者の軽口のような問診と、祖母の苦しみながら絞り出す様な受け答えが続いていた。
しばらくとは言ったが、10分や20分はかかったかもしれない。
それぐらい心配している私としては、気が気ではなかったのだ。
そんな調子で受け答えしているうちにも、祖母の呼吸は荒くなっていき、ついには咳き込むようになってしまった。
応答も数回に一回といった頻度に落ちており、症状としては悪くなってきている様に思える。
「つらいですね。吐き気はありませんか?」
のんびりした口調は、きっと冷静さの裏返しだとも思うのだが、それにしても落ち着きすぎでなはいのか。
そんな考えがよぎった時、急に違和感に襲われた。
ーーー音がしない。
2、3分してからようやく気づく。
つい先ほどまで聞こえていた祖母の荒い呼吸音が聞こえない。
そばにいるはずの看護士の存在している音。
靴の音、衣擦れ、又は呼吸音が聞こえない。
蛍光灯が静かに唸りを上げる『ぶぅーん』といった音も聞こえない。
そんな中で、医師の会話だけがやけに響く。
「いや、またお願いしたいと思います」
「……………」
「そうなんですけどね。どうにも難しいみたいで」
「………………」
医師と話しているのは、男の声だろうか。
やたらと低い声で話している。話しているのは確かに聞こえるのだけれど、言葉として聞き取れない。
ただ、医師よりも立場が上なのか、医師はやたらと丁寧に相手をしているように感じた。
「………」
「ええ、ええ」
「…………………」
男の声は怒ったような声でもなく、落ち着いた声だった。
そして、そこまできて今更の様に気づく。
男性の医者、女性の看護士、祖母。
その3人しか、目の前の処置室にはいないはずなのだ。
では、守衛か?
いや、守衛は今も待合室から見える緊急外来の受付で眠たそうにしている。
大体、男の声は目の前の扉の奥、処置室から聞こえているのだ。そこには医師の他に男性は誰もいないはずだ。
処置室の前には待合室があるから、私に気づかれずに処置室に入ることなんてできない。
じゃあ今、医師としゃべっているこの男は誰なんだ?
そう思った矢先。
「まいったなぁ、勘弁してくださいよ」
と、医師がやや大きめの声で喋った途端、音が戻ってくるのがわかった。
カツカツと地面を蹴る看護士の歩く音。
ピッピッと規則正しく響く電子音。
そして、いろいろな音に混じって、比較的楽そうになった祖母の呼吸音。
医師が処置室から出てきて私に言った。
「はい、もう大丈夫ですよ」
そういって覗き見た処置室には、男らしき人はいなかった。
痛みが落ち着いたからか、呼吸も落ち着いた祖母を助手席に乗せて帰路につく。
これ以上病状が悪化するようであればまた来なければならないが、落ち着いたので、また昼に来てくれとのことだ。
それまでは家に帰っても良いとのこと。
痛み止めの薬をもらい、ひとまず家に帰る私と祖母。
その車の中でにこやかに祖母は、私に向かって言った。
「やっぱりお医者さんに診てもらうと違うねぇ」
そうやって嬉しそうに祖母は私に話してくれた。
しかし、私にはえも言われぬ不快感だけが残るのだった。