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5-1 面と向かって悪口を言ったって、本当に嫌っているわけではない1

 凌太先輩が俺たちに全てを暴露してから1週間経ち、再び学生にとっては喜びに溢れた金曜が訪れた。最近の俺の人生はいつも金曜日に何か大きな出来事が起きている印象があるのだが、今日も今日とてビッグイベントが控えていた。


 すでに放課後を告げるチャイムは鳴り終わっており、俺自身もすでに学校を後にして、いつもの最寄駅まで戻ってきている。

 普段なら夕飯の献立でも考える時間帯なのにも関わらず、今日の俺は兄妹たちを放ったらかしていつもの御用達の洋食ファミレスに足を運んでいた。いや、正確には俺が家から放り出されたというか。まあそんな細かいことはこの際どうでもいい。


 アルバイトにしてはやけに気合の入った笑顔の店員が、すでに1人座っている席に俺を通す。先客は俺の顔を確認しただけでとくに話しかけてきたりはしてこない。

 そのまま注文内容を聞こうと店員が俺の隣にピシッと立っていたので、とりあえずドリンクバーを頼んでおく。というのも、今はまだ日も出ていて、夕日が暮れるにはそれなりに時間があるからだ。ドリンクバーを頼むという行為は本来、羽を伸ばしてゆっくりするという俺のリラクゼーションの象徴なのだが、今日のドリンクバーはむしろ、これから始まる戦いが長くなることを予兆するものになりそうだ。


 先客は本を読んだまま俺に構う様子を一切見せないので、俺も話しかけることもせずさっさと飲み物を注ぎにいく。これから始まるであろう出来事に一抹の不安を感じながらもコップに氷を運んでいると、あの元気のいい店員の挨拶が店中に響き渡る。その店員とのやり取りをする声で、誰が来たのかは容易に察しがついたが、その声の方向にはあえて目を向けず、炭酸飲料がシュワシュワと音を立てているコップを片手に元の席に戻る。

 そして先客に向かい合うように座ってからほんの数秒の後、あの店員が目の前の少女と同じ制服を着た美少女をこの席に案内してきた。


 「お待たせ、2人とも。」


 さっきまで明るい調子で店員と話していたはずのその女子生徒は、俺の対角線上に腰を下ろすと、気まずそうにしながら一言かけてきた。


 「私はいないものだと思っていいから。2人で好きなだけ話せばいい。」


 本から全く視線を外すことなく、目の前の美少女は不参加の意を示す。が、これは事前の交渉で承認してしまっている以上、文句は言えない。


 「不服申し立てがないってことは、すでに礼華ちゃんと打ち合わせ済みってことかな?」


 「そんな大層なもんはしてねえよ。俺が吉川に頼んだのはあくまで、この場の設定だけだからな。」


 「今更どうして君から私に話をしたいなんて言ってきたのかな?君と私の契約はてっきりあの電話で解消されたと思ってたのに。」


 「任された仕事を正当な理由なく途中で投げ出すのは俺のポリシーに反するからな。」


 「あれは正当な理由って言ってもおかしくないと私は思ってたけど。」


 「俺が正当だと認めなかったから続けた。」


 我ながらなかなか強引な理由だとは思っている。というより実際問題、俺は先週のあの日まで、それを正当な理由にして、途中で投げ出す気満々だったんだから。


 「だから俺には、あんたにその仕事の成果を報告する義務がある。今日はそのための場だ。」


 「・・・別にそれを私が望んでいないと言っても?」


 「それが嘘だとわかるくらいには、あんたのことを理解してるつもりだが?」


 「だったら当然、あんなひどいことを言われた私の気持ちだって理解してくれてるよね?」


 委員長としての、クラスの中心としての白瀬美桜が決して見せることのない顔が今、この学校から遠く離れたファミレスでたった1人の男に向けられている。

 先週までの俺だったら、その顔を見るなり逆上していた自信があるが、この場のセッティングを依頼した今の俺には、そんなことをする動機が全くなかった。



 「わかってる。だからこそ、俺は今ここにいるんだ。ーーーあんたに、協力を申し出るために。」


            *     *     *


 「大丈夫、海斗君?」


 「大丈夫だ。ただちょっと取り乱しちまっただけだから気にすんな。」


 「ちょっとじゃなかったよ?というより、面と向かってあんな風に怒ってる姿、私初めて見たかも。」


 時刻は23時過ぎ。当然、太陽はとうの昔に沈んでおり、家の外は夜の帳に包まれている。

 そんな暗闇への扉を凌太先輩が開けて、いまだ香ばしいピザの香りが残るこの栗生家から出て行ったのはこのわずか数十秒前の出来事だった。


 「・・・なんか最近、自分らしくないと思うことが多いんだよな。」


 「確かにここ最近の海斗君は、今までの海斗君とは違うね。」


 「どうしてか、感情の制御ってもんができなくなっちまってる。」


 「でも、今の海斗君の方がよっぽど人間らしいと思うけどな。いいか悪いは別として。」


 励まそうとしているのか、はたまた素で言っているのかはわからないが、藍波は微笑みながらそう返す。


 「悪いだろこんなもん。自分で自分のコントロールができないなんて、ただのやばい奴だろ。」


 「そういう言い方をするなら、普段の海斗君も結構やばい奴だよ?いいか悪いかは別として。」


 今度は嘲笑うようにそう返してきた。

 その言い方と顔でなんとなく、どっちをよく思っていてどっちを悪く思っているのか、伝わってくるわけだが。

 こういう時にいつも口を挟んでくるチャラ男は凌太先輩の見送りに行ってしまったから、俺と藍波のどっちが合っているかを決めてくれる人がいない。


 「ま、海斗君がああして怒ってくれなかったら多分私が怒ってたと思うし、今日ばかりはあれが正しかったと思うよ?」


 「なんだ、お前も怒ってたのか?」


 「海斗君とは本質が違うとは思うけどね。私はあくまで、美桜さんの気持ちを知っても、あんな態度をとり続けることに対して怒ってるって感じ。」



 凌太先輩が俺らに語ったのは、簡単にまとめると凌太先輩のこれまでの人生の系譜だった。

 あの人の家のこと、幼稚園時代、小学校時代、中学校時代、そして本格的に兄と関わり始めた高校時代。つまり白瀬が知りたがっていた箇所についての話も、図らずとも聞くことになったというわけだ。


 それで、そこで語られた真実を聞いた時に、俺は思わず立ち上がって罵声を浴びせてしまった。



 『あんたは、あいつの気持ちを少しでも考えたことがあるのか!?あいつがどれだけ必死に、真剣にあんたの言葉に向き合ってきたのか、あんたにはそれがわかるか!?』



 それを聞いていたたまれなくなってしまった凌太先輩は、泊まっていくはずの予定を変更して、さっさと家を飛び出して行ってしまった、というのが今の状況だ。


 「でも海斗君はきっと違うでしょ?あの時の海斗君、まるで美桜さんが今まで何をしてきたかを全部知っているって感じだった。」


 「んなわけあるか。俺が知っているのは、せいぜいあいつの高校デビューと性格の悪さだけだ。」


 「ふふ、なにそれ。」


 ケタケタと藍波が笑うと、ほんの少しこの場の空気が和んだような気がした。


 「それじゃあ、逆にどうしてあんなに怒ってたの?」


 「そんなもん決まってるだろ。ーーー俺は誰かを裏切るような奴だけは絶対に許せないからだ。」


 「ふふ、そっか。」


 俺は至極真面目に答えたはずなのに、藍波はなぜかまた笑いだした。それも今回はさっきよりも長めに。


 「何か変なこと言ったか?」


 「いいや、あれだけ最近は自分らしくないとか言ってたくせに、やっぱり海斗君は海斗君だなーって思っただけ。」


 俺の顔を見て、なおもニヤニヤとしている藍波。はたから見ると、俺がただ妹に笑われているだけのこの状況だが、笑われている俺自身の気持ちは、なぜだか少し嬉しさと恥ずかしさが入り混じっているような感じになっていた。


 「なにせ海斗君は正義の味方だもんね!」


 「そんないいもんじゃねえよ。」


 「でも確かに正義を振りかざすには、ちょっと目つきが悪すぎるよね!」


 「うるせえ。」


 「それに、私の知ってる正義のヒーローってもっと明るくてみんなに好かれている感じだし!」


 「いきなりグサグサと心を刺してくるんじゃねえ。」


 すっかりと藍波のペースになったこの家の空気は、すっかり食後の時のような穏やかなものに戻っていた。俺の苛立ちもこの空気に感化されて、徐々に鳴りを潜めていってくれた。こういう癒しの場を自然と形成してしまう能力は、藍波が持つ最大の長所だろうな。


 「いいんだよ、どのみち正義感を振りかざしたことなんて、一回もないんだから。」


 「じゃあ、さっきのはなんだったって言うつもりなの?」


 なんだった、か。たしかに怒りのトリガーになったのは、凌太先輩の白瀬に対する行動だったんだが、きっと俺が怒ったのは、純粋に凌太先輩を糾弾したかったからではないと思う。


 じゃあいったい何にそこまで怒っていたのか。あの時は無意識に怒りを発散していたんだろうけど、冷静になった今ならわかる気がする。



 「ーーー八つ当たり、だな。」

 

            *     *     *


 テスト返却が始まった翌週の月曜日。

 クラス中の生徒はそれぞれの答案用紙を見せあいながら一喜一憂しているようで、特に大きな輪を形成しているお隣さんからは、ひときわ大きな感情の嵐が巻き起こっている。


 「なーんで、他人の気持ちもよくわかってないお前が、現代文でそんないい点取れるんかねえ。」


 「文章をよく読めば、必ずどこかに答えが載っているからな。あとは記憶力が無駄にいいことだろ。」


 「うーわ、萎える返しだわそれ。」


 62点の答案用紙を俺の机の上に乗せて、不満げに俺を見るヒロ。その隣に置いてある98点と書かれた俺の答案用紙に納得がいっていないようで、謎のやっかみを受けている。


 「朝からずーっと白瀬さんに話しかけるタイミングを窺っている程度の男がなんで・・・。」


 「うるせえ。それとこれとは話が別だっつの。」


 「そもそもここまで関係を拗らせたのは、お前が白瀬さんの気持ちをよくわかってなかったからだろうが。」


 「現実は決して創作物のような優しい作りになってないからな。こうして過ちを犯すこともあるんだよ。」


 「そうやって自分の罪を正当化する暇があったら、さっさと謝罪の一つでもしてこい。」


 テストで俺の方が点数が高かったのがそんなに気に食わなかったのか、やたらと俺に対するあたりが強い。というかこの場でその話をするのはやめてもらいたいのだが。


 「それで、なんでまた急にそんな謝りたいモードに入ったんだよ。」


 自分が間違えた箇所の隣に俺の解答を赤字で書き込みながら、俺の方を見るでもなくそんなことを聞いてくる。


 「週末に色々あったんだよ。」


 「・・・最近のお前の週末って、何事もなく終わったことなくね?」


 「先週は何事もなかっただろ。」


 「週明けにお前がゾンビみたいな顔で登校してきたのを忘れたとは言わせねえぞ?」


 ああ、そういえばそんなこともあった。と言っても、実際に俺のその顔の変化に気づいた人間は兄妹とヒロだけだったわけだが。


 「そこまでお前の態度が変わるってことは、凌太先輩から本当のことを聞いたか?」


 「・・・まあそんなとこだ。」


 「それで、やっぱり自分の早とちりだったって気づいて、謝りたい衝動に駆られてると。」


 「も、文句あるか。」


 悔しさを噛み殺しながらそう言うと、ヒロは走らせていた赤ペンを止めて、殴りたくなるような笑顔をゆっくりと俺に見せてきた。


 「そういう素直なところはお前の長所だよなあ、海斗。」


 「わ、悪いと思ったことは素直に謝らないとこっちが気分悪いだろうが。それに今年いっぱいは同じクラスなわけだし、そういう気まずいのはさっさと解消しねえとやりづらいんだよ。」


 「はいはい、そうやって急に饒舌になるとことか、わかりやすくて俺は好きだぜ、海斗。」


 我慢の沸点を超えた俺は、その赤ペンを握っている右腕を、爪と爪でギュッと抓ってやった。

 痛みに耐えかねて思わず叫び声をあげたヒロが、一瞬だけクラス中の注目を集めたのはそれなりに面白かった。


            *     *     *


 あれからさらに4枚の答案用紙が返ってきたが、点数はどれも自分が予想していたくらいのものだった。まだ残り数枚残っているが、周りの反応を見る限りだと、多分このクラス内で上位3人には入れるくらいの総合点を取っているんじゃないだろうか。

 高校初回にして、コンディションが最悪な状態で臨んだ割には満足のいく結果だ。


 「白瀬ちゃん!帰りにどっか寄っていこうよ!」


 「お、いいね!行っちゃおう行っちゃおう!」


 ついさっきまでうな垂れていたクラスメイトたちも、終礼が終わるとすっかり元気を取り戻し、放課後の青春を謳歌しようとしている。


 「いや見送ってんじゃねえよ!」


 「さすがにあの流れをぶった切って、謝罪する勇気は俺にはない。」


 当初の、終礼が終わった瞬間に声をかけるという予定は、白瀬の前に座っている女子生徒の手によってあっけなく崩れ去ってしまった。


 「何が終礼が終わった瞬間だ。10秒くらいカバンを掴んだまま硬直してたくせに。」


 「前から思ってたけど、なんで前の席に座ってるくせに、後ろに座っている俺の事情を毎回毎回把握してんだよ。」


 どんなマジック使ってんだ、気持ち悪い。後頭部に第3の目でもつけてんのか。


 「あーあ、俺にかまけてる間に行っちゃったぞー?」


 「仕方ない。また明日だな。」


 「お前、それ絶対明日もうまくいかないパターンの台詞だからな?」


 「そんなパターンがあるって誰が決めたんだよ。」


 「数多ある先例に基づいた自論だ。つまりあれだ、フラグってやつだ。」


 「お前の勝手で、俺の発言をうまくいかないフラグに置き換えるんじゃねえよ。」


 どうしてこいつは、いつもいつも俺の意気を挫くような物言いしかできないのか。肝心なところでは味方してくれるくせに、こういうところではとことん邪魔をしてくるのなんとかならんのか。


 「まあ、いつも通り俺は部活があるからよ。」


 「相変わらず真面目だな。」


 「そんなことはねえよ。・・・そんなことはねえはずだ。」


 「なんで2回も言ったし。」


 「なんでって、大事なことだからな。」


 んじゃ!っと片手を上げて、ヒロはいつも通りの足取りで教室を後にした。

 テスト前期間でも毎日練習してた人間に真面目って言って謙遜されたら、他のサッカー部員たちは全員不真面目ってことになりそうだけどな。



 「俺の一件が終わったら、このことを榛名に伝えておくか。」


            *     *     *


 「さて、今日で水曜日だけど、何か申し開きの言葉は?」


 「・・・こんなに隣人に話しかけるのってハードル高かったっけ?」


 なるほど、目の前で大きな溜め息をつかれると、意外と心にくるもんなんだな。今まで自分の専売特許だと言わんばかりに使ってきたけど、これは覚えておく必要がありそうだ。

 などと言っている場合ではない。まさか3日も連続で話しかけるチャンスがないとは予想外だった。今日に至っては、朝礼の前でもいいという決心までしてきたというのに、あの女、1人でいるタイミングが一瞬たりともない。


 「でも確かに最近、不自然なくらいに毎日取っ替え引っ替えで誰かといるよな。」


 「俺に話しかける隙を与えないっていう、あいつの作戦かもしれないな。」


 それも、まるで自分の交友関係が広いのを見せつけるかのように、毎日違うクラスメイトと帰っている。


 「自分を敵に回してこのクラスでやっていけると思うなよっていうメッセージかもしれないぞ?」


 「別にうまくやっていこうというつもりはないが、クラス内で肩身を狭くして過ごさないといけなくなるのは面倒だな。」


 馴れ合いは好まないが、かと言って敵を作りたいわけじゃないからな。

 話しかけられないと言っても、話す必要がないから話しかけられないというのと、話しかけたくないと思われているから話しかけられないのでは、似て非なる違いがあるのだ。

 今まで一部の人間からウザ絡みをされても、決して突き放したりせずほどほどに付き合ってきたのは、今回のように敵を作ってしまった場合に、どんどんネズミ講のように敵が増えていくというのを防ぐためだった。

 

 でも今回はどうやら完全にやらかしてしまったらしい。高校生活が始まってわずか1ヶ月の出来事である。


 「最悪お前に頼って生きていくわ。」


 「おいおい。いくら俺でも、クラス全員から敵認定されている奴と仲良くしてるなんて評判流されるのは嫌だぞ。」


 「あくまで事態が最悪のところまで進行したら、の話だ。このまま俺もただ指をくわえて見ているつもりはない。」


 「見事に2日連続でフラグ回収して、俺からの信頼もどん底ってことは伝えておくぞー。」


 ま、せいぜい頑張れよ、と言葉を残して今日もヒロは部活へと向かう。少しは協力してくれてもいいだろと思う反面、こんなことであいつの部活皆勤賞をフイにしてしまいたくないと思う自分もいる。

 とは言っても、そもそもあいつがあの日、白瀬と吉川をあの喫茶店に呼ばなかったら、こんな面倒なことになってなかったかもしれないという気持ちが、ほんの少しだけ心に根ざしてしまっているせいで、ほんの少しだけ文句を言いたい気持ちが俺の中で燻っている。


 それにしても、もし本当に向こうが俺を完璧に避けているのだとしたら、今やろうとしている方法ではどうやっても白瀬に近づくことはできない。

 席が近いことを利用して、何かメッセージ的なものを書いて机の上にサッと置くっていう作戦も思いついたが、万が一第三者の目に映ったら一巻の終わりだ。同様の理由で、下駄箱に何か細工をするという案も却下だ。話しかけることすらできない以上、メッセージを直接手渡しすることもできないし、こういうアプローチは無駄だろうな。


 ・・・ん?待てよ。メッセージと言えば・・・。



 「自分の頭がアナログ過ぎて泣けてくるなあ、おい。」


 今時の若者なら当然のように行っているはずなのに、どうして今までこの手段に気がつかなかったのか。


 答えは簡単だ。


 兄妹とヒロ以外の人間とLINEをするという思考が、最初から存在していなかったからだ。


            *     *     *

 

 『話がある』


 そう送ったメッセージはいまだに既読がつかないまま、木曜日の終礼は終わりを迎えた。


 「あいつ、シレッとした顔で普通に授業受けてたんだが?」


 「未読スルーか。これは相当怒らせてるんじゃねえのお前?」


 もちろんあいつは、今日も今日とて、終礼が終わると同時にクラスメイトの誰かの元に駆け寄っていた。

 これは、今更言うことではないかもしれないが、見事に避けられているな、俺。


 「こうなったらもう恥を覚悟で、堂々と集団の中に割り込んでいって白瀬さんを連れ出す以外になくね?」


 「それはそれで別の問題が発生するだろ。白瀬に言い寄ってるとか言いふらされたらたまったもんじゃない。」


 おまけにそんな博打に出て、白瀬に無視されたらそれこそ一巻の終わりだ。


 「でもこれはもう、それなりのリスクを負わないと修復不可能ってことなんじゃねえの?」


 「確かに、俺1人でできることはもうないかもしれん。」


 誰にもバレずに当事者間だけで丸く収める、というのは夢物語になりつつある。昨日のうちにLINEに既読がつかなかった時点で、薄々俺もそこには気がついていた。


 「ただ、それでもリスクの大きさは選ばないとな。」


 「そんなこと言ってる場合なのか?これはもう笑って済ませられる話じゃなくなってきてるって自覚ある、お前?」


 「最初から笑ってるのはお前だけだっつーの。流石にこの3日間で、俺も学習しているんでな。こういう展開になるのは予想済みだ。」


 だから昨日のうちに、俺は俺で次の一手を用意していたのだ。これまた失敗する可能性を多分に孕んだ一手ではあるが。


 それでも今、一冊の本を手に持って教室を後にした同級生の姿を確認したことで、その作戦が成功する可能性は3割未満から5分くらいまでには上がった。


 「ふーん。ま、色々と策を巡らすのが得意な海斗のことだ、なんか考えてんだろ?」


 「策って言えるほどご立派なもんじゃねえけどな。手駒が自分しかいない以上、無茶もきかねえし。」


 「自分以外の人間がいたら平気で無茶させるってか。」


 「人的資源が増える分、やれることの幅が広がるって意味だ。」


 「物は言いようだな。」


 苦笑いしながら、ヒロはいつも通りカバンを肩にかけて部活に向かう素ぶりを見せる。


 「明日の今頃に期待してるぜ。」


 「今日のうちに打てる布石は打っておくさ。明日こそは、月曜に立てたフラグをへし折ってやるよ。」


 他人事だと思ってワクワクしているヒロに、俺は八つ当たりするでもなく、むしろその期待を増幅させるような言い回しで部活へと見送る。



 「こんな浅い川じゃ、背水の陣を敷いたなんて言えないかもしれないけどな。」


 俺もまたカバンを肩にかけて教室を出る。


 

 その足が向かう先は、第2の家だ。


            *     *     *


 まだこの高校に通い始めて1ヶ月半ほど。この学校の中で足を運んだ場所ランキングで1位を飾るのが自分の教室になるのは当たり前として、堂々の2位入賞を飾るのはこの図書室だろう。


 最初の頃は、ヒロの放課後の用事(部活見学とか)が済むのを待つために利用していたのに、いつの間にか居心地がよくなって宿題をやるようになったり、家に帰っても誰もいない時とかの暇つぶし場所に使ったりするようになった。

 そしてここで、夕暮れをバックにスヤスヤと寝息を立てる吉川を目撃し、俺の運命の歯車が急加速するようになった。

 ・・・あれ、じゃああまりここに来ない方が俺の人生的にはいいのか?


 「図書室に異性を呼び出すって、冷静に考えたら少し問題よね。」


 「基本的に話すのを禁止されている場所を話し合いの場にするのは、確かに少し変か。」


 「そういうことを言いたいんじゃ・・・、いえ、なんでもないわ。」


 なぜか退屈そうに視線を逸らされる。なんて答えるのが正解だったのか、住む世界というか次元が違うこの女の心を読むのは、おそらく俺には一生無理だろう。


 「言っておくけど、もともと今日はここに来る予定だっただけだから。別にあなたからのメッセージを見たから来たわけじゃないから。」


 「なんだよ、じゃあ完全に無駄骨だったってか。」


 「・・・この前のお返しをしただけなのに、どうして真に受けるのかしら。」


 「お返し?」


 「・・・なんでもない。」

 

 一瞬視線が合ったと思ったら、また急に逸らされてしまった。あの変な眼鏡をかけているせいで、たとえ目が合ったところでどういう顔をしているのかなんてわからんのだけどな。

 けど、なんとなーく愛想を尽かされたんだろうなってことだけはわかった。その理由はもちろんさっぱりだが。


 アイスブレイクには見事に失敗したが、とりあえずこの場を用意できたこと自体は悪くない展開だ。これだけで、この不甲斐なかった3日間よりも成果を残していると言える。

 今日の朝、後ろのドアから教室に入って、他のクラスメイトにバレないようにこっそりと、吉川の机の引き出しの中にここへ呼び出す紙を入れた苦労は、どうやら報われなかったようだが。


 「それで、だな。折り入って頼みがある。」


 「私は読書をしにきただけ。話すなら勝手にどうぞ。」


 カバンの中をガサガサと漁りだし、中から2冊のラノベらしき本が出した吉川。ブックカバーのせいで表紙が見えないからか、最初のページをめくりどっちが先に読む方なのかを確認しているが、それが終わるとそのまま本の世界へと入り込んでいってしまった。

 その間、一度も俺の方を見ないというサービス付き。完全にいないものとして扱う気満々のようだ。


 なんかこれだと、独り言を言ってるような気分であまり気が乗らないが、逆に気は楽かもしれない。

 いいだろう、そっちがその気なら俺も遠慮なく話してやる。



 「俺と白瀬がもう一度話し合える場所を作って欲しい。」


 「・・・・・・」


 「認めたくはないが、俺があいつに言ったことは間違いだった。凌太先輩から全てを聞いた今ならそれがわかる。」


 「・・・・・・」


 「白瀬の気持ちは今もわからないし、あいつのやり方が正しいのかと問われてもわからないと答える。はたから見たら、あいつのことをストーカーだと言って本当に罵るやつもいるのかもしれない。」


 「・・・・・・」


 「だが少なくとも俺は、背景を全く知らないまま勝手にあいつを悪だと決めつけた。それだけは確実に間違っていた。だからそれだけは謝らせて欲しい。」


 「・・・・・・」


 「謝る機会が欲しいのに、あいつは最近ずっと俺のことを避けてくるせいで、その機会すら窺えない。LINEだってしたのに、既読すらつけてくれない。大事にしたくないと思うと、もうこれ以上俺から打つ手はないんだ。」


 「・・・・・・」


 「あんたに俺なんかを助ける義理がないのはわかってる。ここで頼みを断られたところで、あんたを恨む理由なんてどこにもないことも自覚している。でも今俺にできることは、あんたの良心に訴えかけることだけなんだ。」


 「・・・・・・」


 「頼む、力を貸してくれないか。」


 「・・・・・・」



 言いたいことは全て言った。言わないといけないことも全て言い切った。

 

 それでも吉川は本から視線を外すことはなかった。


 「・・・ねえ。」


 だが口を開かないということはなかったようだ。


 「あなたのやっていることが私には理解不能なのだけど。」


 まるで本に話しかけているような奇妙な絵面ではあったが、その問いは確実に俺に対してのものだった。


 「あなたは美桜のことが嫌いだった。考え方もまるで違うと主張していた。巻き込まれたくないと嫌そうにずっと言っていた。」


 それは間違っていない。俺は別に、自分の発言が間違っていたと気づいてしまっただけであり、決してあいつのことが嫌いじゃなくなったわけではない。


 「そして、望み通りの展開とはいかないまでも、晴れてあなたはずっと嫌がっていた美桜から解放された。なのに今は、自ら再びその望まない世界に戻ろうとそこまで奮起している。」


 白瀬に謝罪をするということは、散々嫌がっていたあの作戦に自分から参加するという意思表明をしているともとれる。

 いや、一応白瀬からの依頼はクリアしているのだからそれはない。・・・と信じたいが。



 「あなたって・・・、」


 「言っておくが、白瀬のことが気になっているとかそういう・・・」


  

 「マゾなの?」


 「違うわ!!!」


 反射的に大声を出してしまったことで、他のテーブルに座っていた生徒からの視線を一斉に集める。周りの迷惑にならない程度のボリュームでなら会話はありというルールになっているこの図書室でも、今のは余裕でアウトの領域だ。

 すかさず黙り込むことで、なんとか様子を見にきた図書委員の目をごまかすことはできたが、次はないだろうな。


 「じゃあなんなの?このまま黙っていればあなたの望み通りの日常が返ってくるのよ?理解不能だわ。」


 「それは違うな。このまま行けば目下の問題は解決するかもしれんが、残りの高1生活、下手したら高校生活そのものが脅かされる危険性がある。」


 「それはまた壮大な被害妄想ね。美桜にあなたの人生を破滅に導く力があるとは思えないけど。」


 「悪い想像というのは、悪ければ悪いほど損はしないんだよ。」


 軽く見積もって想像以上のダメージを負うよりも、重く見積もって想像通りまたはそれ以下のダメージを負う方が気持ち的には楽なのである。それに重い方の想像への対策を練っておけば、必然的に軽い方の想像は解決するはずだからな。


 「仮に美桜と仲直りができたとして、その後のことはどうするの?それからまた面倒なことに巻き込まれるかもしれないわよ?」


 「そうなったらその時にまた考える。それよりあいつを敵に回すデメリットの方が大きいっていう判断だ。」


 「じゃあそれこそ今回も、美桜を敵に回して実際に困り始めた時に考えればいいんじゃないの?」


 相変わらずこちらを一瞥もしないまま、吉川は淡々と俺の言い分への反論を並べ立ててくる。正直言って、結構鬱陶しく感じるレベルで。


 「なあ、あんたは俺が白瀬と仲直りしてほしくないのか?」


 「そんなこと一言も言ってないわ。」


 「じゃあなんでそんな執拗に俺に反論してくるんだよ。ーーーそうか、もし俺があんたを頼ってきたら諦めさせるように白瀬から言われてるんだな?」


 「いいえ、きっと美桜はあなたとの関係改善を望んでいるわ。」


 「じゃあなんなんだ。なんであんたはそんなに突っかかってくるんだよ。」


 いかん、少しずつまた声量が大きくなってきてしまっている。抑えないと。

 でも吉川の言っていることが本当なんだとしたら、この吉川の問答はますます不可解なのだ。ただただ時間の無駄でしかない。


 「最初から言ってるじゃない。あなたの行動が理解不能だからだって。どうしてあなたが美桜と仲直りしたいのか、今の答えだと腑に落ちないのよ。」


 「別にあんたの腑に落ちようが落ちまいが、俺にはどうでもいい。」


 「協力を求める相手にする発言ではないわね。自分の立場、理解してる?」


 「だからと言って、そこまであんたに言われる筋合いはない。」


 これは協力する気は無いと見る他ないか。でもそれにしては、拒絶するような雰囲気がないのが不思議なんだよな。

 ああもう、本当にわからん。なんなんだよこの人。


 「今のままだと、仲直りしないほうがあなたの今後にとっていい方向に転がる可能性が高いって言ってるの。いくら美桜がクラス委員であなたが冴えない一生徒という身分だからと言って、美桜にあなたの評判を下げるようなことはできないし、きっとしないわ。」


 「それはどう言う根拠で?」


 「あの子は絶対に波風を立てるようなことはしない子だからよ。今までどれだけクラスのやつからいじめを受けても、あの子は一度もやり返そうとはしなかった。」



 いじめ。


 その単語を聞いた瞬間に、俺は急に背筋が急激に冷えきっていくような感覚に襲われる。



 「あのお人好しは、どれだけ相手に恨みを抱こうが、決してやり返すことを考えるような心の持ち主じゃないのよ。ーーーそれはあなただって知ってるはずでしょ?」


 読みかけていた本、おそらく開いてから一度もページをめくっていないであろう本を閉じて、吉川はその特徴的な眼鏡越しに俺の顔を睨んできた。 

 眼鏡越しでも強烈な威力を持ったその視線は、実際に裸眼で見つめられていたら神話のゴルゴーンにも匹敵するような威圧感を放っていることだろう。


 ・・・いや、俺の中の記憶が勝手にその痛みを増幅させているだけかもしれない。


 「平穏な生活という願いを叶えたいなら、このまま黙っていた方が賢明。それなのに仲直りしようと必死なものだから、私にはわからないと言っているの。」


 白瀬がそんな人間だなんて知らなかった、なんて冗談を言えるような空気ではなかった。実際、吉川が言うように俺はそれを知っているわけだしな。


 ただ、それだと吉川は小学校時代の俺のことを覚えているということになるが。これだけ他人に興味を示そうとしない人間が、小学校時代の同級生のことを覚えているとは考えづらいんだけどな。



 「それを踏まえた上で聞かせて。ーーーどうしてあなたはそれでも美桜と仲直りしたいの?」



 まあここまで来たら、本当の理由を話さないわけにはいかないか。隠すつもりはなかったんだが、どうもこれを吉川に話すと負けのような気がしたから言いたくなかったんだけどな。

 でもま、これで吉川の協力を取り付けられるんだとしたらむしろ安いもんか。くだらない意地はさっさと捨て去ることにしよう。


 

 「ーーー元はと言えば、あんたが言い出したことだ。」



             *     *     *


 「協力って・・・。どういう風の吹き回し?」


 「まあそう言うよな。俺自身もいまだに自分の心の整理がついていない。」


 白瀬と対立していると、もしかしたら今後の高校生活が俺にとって思わしくない方向へと繋がるかもしれないから。


 それを恐れる気持ちもあるが、それだけじゃない。


 「協力することで罪滅ぼしをしたい、っていう雰囲気でもないよね。」


 「まあそれもある。・・・元々の動機はそれだったんだけどな。」


 俺が掲げている人生のルールの中には、自分が悪いことをしたと思ったらちゃんと謝るっていう項目がある。これは、たとえ相手が誰であろうと自分が間違っていると思った行動で相手を傷つけると、心が落ち着かなくてしょうがなくなってしまうという謎の性格をしているせいだ。

 だから凌太先輩の話を聞いた時は、白瀬に言ったあの発言を思い出してひどい罪悪感に襲われた。やってしまったという焦燥感に駆られた。


 だが、そんな感情を抱きながらこの短い期間の間にあった出来事を思い返していると、何やら別の感情が浮かんできた。


 「じゃあどういうことなの?」


 「・・・自分でも不思議だとは思ったんだけどな、」


 

 凌太先輩の話を全て聞いた上で改めて白瀬の行動を分析していたら、今までどうも腑に落ちていなかった俺の気持ちにも答えが見つかったような気がしたのだ。


 ーーーあの時、白瀬が凌太先輩にフラれたのを見て感じた思い。


 ーーー学校を休んだ白瀬に、吉川の付き添いという形で家にプリントを届けに行った理由。


 

 それはひどく単純で、自分でもそんなことだったのかと鼻で笑いたくなるような答えだったけど。

 


 「ーーーあんたがそこまで必死になって恋をしている理由が、どうも知りたくてしょうがなくなっちまったみたいでな。」



 全く興味のない人間に、全く無縁だと思っていた事柄に、強い関心を持ってしまったことが自分でもひどく不思議に思えて。



 そして思わず軽い笑みが溢れてしまうくらいに、それがひどく愉快にも感じてしまったのだ。

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