3-2 興味がないからと言って、気にならないわけじゃない2
およそ5畳半ほどの女子の部屋に半ば強引に侵入させられ、案の定、部屋の主から強烈な拒絶を受けたこの状況。
こういう時にはどんな行動を取るのが正解なんだろうか。こればっかりは、俺の経験値不足が原因ではないと思うのだが、隣に立っている吉川礼華は呆れた表情を全く隠そうとしない。こういう時だけ露骨に表情を出してこなくてもいいと思うのだが。
そして真の部屋主を差し置いて、畳まれていた小テーブルを慣れた手つきでテキパキと組み立てる。ものの数秒で完成させると、ベッドを背もたれにしてテーブルの傍に腰掛けた。
「こうなった以上、どうしようもないでしょ。とりあえず座れば?」
こんな状況でもいつもと同じように淡々としている吉川に謎の頼もしさすら感じてしまうが、自分の存在がこの場にそぐわないことくらい俺だって理解しているつもりだ。言われるがままに座るのは気が引ける。
「ねえ、美桜。多分だけど、お母さんは盛大な勘違いをしてると思うわよ。」
提案を受け入れず入り口に立ち尽くす俺を見るなり、吉川は自分の背後で蹲っているであろう白瀬に声をかけた。
するとその言葉がちゃんと届いたのか、布団がわずかにもぞもぞと動いた。
「あの感じだと大方、あなたが栗生君に告白してフラれたとでも思ってるんじゃないかしら。彼を見るなり、あの人の目の色が変わったもの。」
吉川の言葉のあとに、わずかばかりだが布団の中から声がした。何と言っていたのかまではわからない。
「そう、これは言うなれば不慮の事故よ。それを踏まえた上で、彼の処遇を決定してあげて。」
処遇という物騒な単語が飛び出しているのが気になるところだが、布団の中からは何の応答もない。ただ、布団が少しずつ吉川の方に接近しているあたり、何か言葉を交わそうとしていると見ていいだろう。
しばらくの間、吉川の相槌と布団の中からの識別不能な声を黙って聞く時間が続いた。白瀬がどんな対応を求めているかはよくわからないので、相槌を打つ吉川の顔から事態を把握するしかないのだが、残念ながらやはりあの表情からは何も情報は得られそうにない。
そのままぼーっと入り口で突っ立ったまま進展を待っていると、わかったと一言呟いて吉川が立ち上がった。
「俺の処遇は決まったんですかね?」
「うん、とりあえず一緒に来て。」
こちらに近づいてきた吉川は、そのまま俺の袖を掴むと部屋の外へと連行していく。袖を掴まれた際に変な声が出たのはご愛嬌だ。
連れ出された後で何か説明がされるのかと思ったが、彼女は部屋の扉を閉めると、無言で今度は扉を背もたれにして座り込んだ。
「しばらくかかると思うし、あなたもいい加減座れば?」
上目遣いで俺にそう催促すると、制服のポケットからスマホを取り出す。どうやら提供される情報はこれで全てのようだ。
とは言え、どういう状況なのかは、座ることを促した今の発言と、後ろから聞こえるドタバタという音で何となく察することはできた。必要最低限の言葉で済まそうという謎のポリシーでもあるのかは知らんが、これ以上根掘り葉掘り聞くのは躊躇われたので、素直に隣に腰掛けて静かにしていることにした。
そのまましばらく、俺たちは無言で扉を背もたれにして床に座り込んだ。
相変わらず吉川は何も言おうとする気配がなかったが、これは仮に何か会話をしていたとしても、後ろから聞こえる音が邪魔だったな。
それに、どちみち会話らしい会話なんて俺たちには無理だろうしな。単純にお互い会話のキャッチボールが下手くそすぎる。
おまけに、至近とまでは言えないがそれなりに近い距離で一緒に座っているということも大いに問題だ。何せ、うちの制服のスカートは何もいじらなくてもデフォルトの長さが膝上丈くらいなのに、平気で体育座りのような姿勢を隣の彼女はするのだ。その様子を見て俺がどう思うかということを少しは意識してもらいたい。・・・なんかの雑誌の表紙にでもしたら、飛ぶように売れそうな一枚絵だ。
そんな柄にもなく男子高校生のようなことを悶々と考えて10分くらい経っただろうか。ようやく、中から慌てた感じで『どうぞ』の一声がかかる。
その一言で、行きの道ほど心地悪くはなかったが、心臓には悪かった沈黙の時間が終わった。
* * *
改めて今度は自分の手で部屋の扉を開くと、そこにはさっきまでとは違う光景が待っていた。
さっきまではどこかベッドの上だったりテレビの周りがごちゃごちゃっとしていたが、しっかりと整理整頓されている。机や棚の上に置いてあった、どこか見覚えのあるキャラのグッズもこの数分の間に姿を消している。ただ、なぜかテレビに表示されている勝利画面だけはなぜか消えていない。俺たちを帰した後もやる気満々ということだろうか。
白瀬自身も、さっきちらっと見たときは半袖短パンのラフな部屋着スタイルだったのに、しっかり外仕様になっている。半袖短パンなのに変わりはなかったが。いずれにせよ少し防御力が低めな格好なので、こちらも目のやりどころに困る。さっきから目のやりどころに困ってばかりだな。こいつらはもう少し俺が男だという自覚を持って欲しい。
「お騒がせしてごめんなさい。今お茶でも出すから適当にそこらへん座ってて!」
すっかりスイッチが入ったのか、学校で見るいつものハキハキとした調子で俺たち2人を招き入れる。まだ涙の跡は残っているし、普段と違って化粧もしていないのでいつもと見た目は違うが。
「まだ無理をしてるわね。」
入れ替わるように部屋から出ていった白瀬を見て、吉川がそう呟く。
「そうか?俺には最近よく見る白瀬に見えるけどな。」
「だからよ。学校での美桜は本当の美桜じゃないって、あなたならわかるでしょう?」
いやわからん、と咄嗟に言い返しそうになったが、冷静に考えたら俺でもわかる話だ。
自分でも『最近』よく見る白瀬だと言ったばかりなのに、危うく気づかないところだった。
「積もる話もあるだろうし、やっぱ俺は帰った方がいいんじゃねえのか?」
「それを決断するにはもう遅いわね。そうするなら、部屋の外で待っている間に帰るべきだった。」
「・・・おっしゃる通りで。」
確かに、なんであのタイミングで帰るという発想が出てこなかったのか。考え込むこともなく、あっさりとその答えにたどり着いた。
あの状況に俺の気が動転していたからだな。我ながら情けない話だ。
「それに、あなたが今ここにいることは、美桜にとってむしろ良いことでしょうしね。」
「結構な拒否反応だったと思ったけどな俺は。」
「あまり親しくない男子が、アポもなしに部屋に上がり込んできて、あんな姿を見られたのだから当たり前でしょ。」
「・・・おっしゃる通りで。」
ようやく吉川と比較的まともな会話ができてきたところで、階段を上がってくる音が聞こえてきた。
「お待たせー!」
手にしているお盆には、3人分のグラスとクッキーが乗っている。勝手に女子の部屋に上がり込んだらクッキーが出てくるイメージがあったが、どうやらそのイメージは正しかったようだ。
そして白瀬も一度顔を洗ってきたのか、随分とすっきりとした表情で帰ってきた。
「女子のスッピンを見て失望でもした?」
「少しスッキリした顔をして帰ってきたから、居心地が良くなったと思っただけだ。」
「さ、さっきの顔は早く忘れて!というより、最初に見たものは記憶から消して!」
しかし、この程度の扱いで今のこの状況を受け入れようとしているのは素直にすごいな。怒ってさっさと家から追い出されても全くおかしくないと個人的には思っているんだが。
「いくらそのつもりがなかったとは言え、悪いことをした。」
「あっははは・・・。お母さんの勢いに押し負けたんでしょ?じゃあまあ仕方ないよ。」
「ごめん美桜。あれは私にも止められそうになかった。」
「あの状態のお母さんを止められる人間なんて私しかいないよ。気にしないで。」
この場にいる全員にこんな引きつった顔をさせるなんて、白瀬母は相当な曲者だな。
「そういえば、結局栗生君はどうしてここにいるの?まさかとは思うけど・・・、私を励ましに来てくれたとか???」
「違う、これを渡しに来ただけだ。」
あっという間に、ニヤニヤとこちらをいじろうとする学校モードの白瀬へと早変わりしたが、俺はお構い無しにカバンの中から新井先生に渡されたファイルを手渡す。
「え、これって今日の分のプリント類?ありがとー!とても助かるよ!!!」
「もうすぐテストが近いからって、新井先生から預かったんだ。礼ならあのお人好し教師に言うんだな。」
「うん、そうする!でも、これを届けてくれた君にも感謝だよ!もちろん、礼華ちゃんにもね!」
「はいはい、どういたしまして。そんな猫かぶった状態で言われてもイマイチ心に刺さらないけどね。」
「むう、意地悪!」
白瀬はすっかり元気を取り戻したようにハイテンションでいるが、対照的に吉川のテンションはずっと低いままだ。こちらも学校モードということか。喋るだけマシだが。
「ここには私と栗生君しかいないんだから、無理してそう気張らなくていいんじゃないの?」
「え、無理なんて全然してないよ。」
「私に嘘が通用すると思ってるの?だとしたら相当愚かよ?」
「・・・礼華ちゃんこそ、約束破るんだ。」
「栗生君ならいいじゃない。ずっと前から美桜のこと知ってるんだし、何より凌太先輩のことだって共有しているんだから。協力者にまでそうするのは変だと思うけど?」
「それは・・・そうだけど。」
「待て、誰も協力者になると言った覚えはない。」
ここで割って入るのは無粋だと思っていたが、このまま話が進むと厄介なことに巻き込まれそうな気がして思わず声が出てしまった。
「ここに来たということは、その意思が少しはあると私はにらんでたんだけど。」
「それはあんたに一緒に来てほしいって言われたからだろうが。」
「栗生君が勝手にそのファイルを先生から受け取ったからよ。あなたが受け取らなかったら、私が職員室に行って受け取るつもりだったもの。」
「だったら尚更1人で行けばよかっただろ。俺を巻き込む必要はどこにもなかった。」
「それは違う。あなたは自分から巻き込まれにきたのよ。」
全く根も葉もない情報を、真実だと確信を持った口調でそう主張してくる吉川。張本人がそうじゃないと言っているのに、よくこんなに堂々と言い切れるもんだ。
「えーっと、その時の状況がよくわからないけど、要は新井先生が私にこのファイルを持って行ってくれる生徒を募集して、栗生君が名乗り出てくれたってことでいいのかな?」
「先生が私と彼と倉田君を呼び出したのよ。それで私と倉田君が名乗り出なかったから、代わりに栗生君が行くと言った。本当に巻き込まれたくなかったら、名乗り出る必要なんて全くなかったはずなのに。」
「それは、あの場であんたが名乗り出るとクラス内の評判に関わるかと思って・・・。」
「あの場で名乗り出るつもりは最初からなかったわ。あなたの早とちりってやつね。」
あれ、俺は多少は感謝されるんじゃないかって思ってたんだが、なんでこんな立場になってるんだ?お礼を言われたいがためにやったことではないにしろ、この扱いはさすがに納得がいかん。
「私はその行動を見て、あなたも美桜の様子が気になっているのかと思ったのよ。」
「どうして俺が気にする必要がある?」
「そんなの私がわかるわけないでしょ?答えはあなたの中にしかないのだから。」
実に乱暴な意見だ。これだと、自分の中で確固たる根拠がないのに、勝手に俺の気持ちを邪推して巻き込んできたということになる。
「まあまあ、過程は私は気にしないよ。どんな形であれ、この場に礼華ちゃんと栗生君が来てくれたのは素直に嬉しいし!」
「だからその空元気を・・・」
「これは空元気なんかじゃないよ。自分の感情を伝えるのが、昔よりも上手になっただけ。」
真剣な眼差しで、吉川の言葉を遮るように語る白瀬。その様子だけを見ていると、俺の知っていた白瀬と違うという感想を抱くのだが、おそらく白瀬が言いたいのはそういうことじゃないんだろうな。
「でもここでは、無理して大袈裟にリアクションするのはやめる。これでいい、礼華ちゃん?」
「・・・別に私の許可がいるような話でもないでしょ。」
「あはは、そうだね!」
明るく笑ってみせる白瀬だったが、さっきグラスを持って現れた時に見せた笑顔とは少し違う気がした。どこがどう違うと説明することは難しいが、なんというか・・・、柔らかくなったとでも言うのが適切だろうか。
「さて、せっかく重要人物が揃っているんだから、今後の作戦会議でもしよっか!」
「だから待て。俺は協力するなんて一言も言ってない。」
「じゃあお願い、協力して!」
「断る。」
こいつ、立ち直ったと思ったらいきなりまた俺を使おうとしてきやがった。どれだけ図太い神経してんだ。
「え、なんで?」
「する理由がない。」
「じゃあ、私からその理由を提示したらいい?」
「・・・はあ?」
「君には2つ、私に協力しないといけない理由があるって知ってる?」
ドラマに出てくる悪役のような意地悪い笑みを浮かべて、こちらの瞳を覗き込んでくる白瀬。
「まず、経緯はどうあれ、女子の部屋に勝手に上がり込んで、あろうことか私の泣き顔と趣味丸出しの部屋を見た。」
「どうして経緯が無視される。罪に問うべきはお前の母親。さらに言えば、学校を欠席したお前自身。もっとひどいことを言うと、俺をここに遣わせた先生であって、俺は被害者だ。」
「うーん、それはその通りだね。それに、休んだ私にわざわざファイルを届けにきてくれたのだから、それを罪に問うなんて真似は、流石に恩知らずと言われても仕方がないか。」
ごめんごめん、と両手を合わせて謝罪の意を示す。その割には心の底から謝っているようには見えないが。
それに、こいつは2つとか言ってきた。ということは、この1つ目は協力を取り付けられたらラッキー程度のものだとみるべきだろう。
とすると、本命の2つ目はこれよりもっと面倒なものを用意しているということか。
「ーーーもう1つの理由は、君はすでにこの話とは無関係でいられない立場にあるってことだよ。」
「どうしてそうなる。あんたの色恋話に俺は関係ないだろ。」
「確かに私個人の問題だとしたらそうかもしれないね。でももし、同じような相談が凌太君の方からも来たら、どうなるかな?」
そんなの、もっと関係ない。
そう言ってあっさり一蹴しようと思ったが、あのこちらを試すような白瀬の顔があまりにも自信に満ち溢れていたので、念のためシミュレートだけはしてみることにした。
・・・すると腹立たしいことに、事態は白瀬の言うように、思ったよりも深刻な状況にあるかもしれないことに気が付いてしまった。
「ねえ、今君の中ではどんなシナリオが描かれているのかな?」
「・・・相当面倒なシナリオだ。まさか、あの場で行動に移したことすらも計算の内だったとか言わねえよな?」
「それはさすがにあり得ないよ。でもその様子だと、君も私と同じ考えに至ったみたいだね。」
満面の笑み、というよりは同情の愛想笑いを向けてくる白瀬。ここまで面倒にした張本人からそんな顔をされたところで火に油だっつーの。
「私にもわかるように説明してもらえる、美桜?」
さすがにこれだけだと、俺たちの事情に疎い吉川には俺の怒りの理由にまでは行き着いていないらしい。でも本来ならばこれが普通。これに俺よりも早く気づいた白瀬は、相当な切れ者だと言わざるをえない。
「そうだねえ。礼華ちゃんは私の諦めの悪さはよく知ってるよね?」
「そりゃあ、ね。栗生君でもそれはもうわかっていると思うけど。」
「じゃあその諦めの悪い私が、このまままた凌太君にアプローチを続けるとしたら、凌太君はどういう行動に出ると思う?」
「困るでしょうね、当然。それで困った彼はきっと栗生君かそのお兄さんに助けを求める。」
正確には、兄に相談して、兄から俺に凌太先輩が助けを求めていることを伝えてくるって流れだろう。
「それだけでも充分面倒な話だ。あの場に居合わせてしまった俺に、凌太先輩から何かしらの話を持ちかけられるのは目に見えているからな。」
「今の凌太君ならきっと、私に諦めるように伝える役目を栗生君にお願いする。でも、もちろん私は諦めが悪い女だから諦めない。そしたら、必然的に栗生君もこの騒動に長い間巻き込まれることになる。」
凌太先輩だけならまだしも、兄が関わってくるなら無視し続けるのも面倒がつきまとう。だから俺は、どうやっても穏便にこの件から身を引くことはできそうにないってことだ。
となると、不本意ながら俺がこの先色々と何か行動を起こさないといけなくなる未来が待っている。問題が長期化すればするほど拘束時間が長くなるという悪魔のような性質を持った未来が。
「栗生先輩に私たちが一緒にいるところを見られているせいで、栗生君はこの一件とは関係ないと白を切るのも難しい・・・か。」
「だから彼がこの件から早く解放されるには、私に協力して凌太君の口から真実を引き出すしかないの。それが、私に協力した方がいい理由だよ。」
どう?と言い、ニコッと笑って吉川を見る白瀬だったが、吉川は俺と同じような顔をしていた。
「いや、ちょっと引いたよ美桜・・・。」
「えーなんで!?」
「そのロジックを笑いながら話せるところとか、平気で栗生君の平穏な日々をぶち壊してるところとか。」
「あっははは・・・、そこは否定できないかも・・・。」
そう、明るい感じでこの話を俺に持ちかけているあたり、こいつはまあまあのクズである。
情で俺の協力を得ようとして失敗したから、今度は理で俺の逃げ場を防いできたというわけだ。相当な策士で悪魔だぞこいつ。
「残念だけど、美桜に目をつけられた時点でドンマイって感じね。」
さすがの親友もこれにはドン引きしている模様。片方だけでもまともな感性の持ち主だったことで、少しは心が救われた気持ちにはなるが、それが俺の助け舟になることは期待できそうにない。
「悪いとは思ってるし、こんな形で助けを求めることになるのは私としても不服だけど、やっぱりどうしても君の協力が必要なの。」
「俺が引き合わせるまでもなく、勝手に撃沈したあんたに今更何を協力することがある。凌太先輩を心変わりさせてくれって頼んでくるようなら、前もって無理だとはっきり言っておく。」
仮にそんなことを頼むつもりなら、いくら何でも荷が重すぎる。俺と凌太先輩はあくまで、兄を介してでしか関係を持っていない。そんな間柄の人間にできることなんて限られているということだ。
「ううん、そんな無茶なことを頼むつもりはない。栗生君には、私の影をちらつかせないように凌太君のことを探ってもらうだけでいいの!」
無茶な願いをするようなら即座に突っぱねて帰ってやろうかと思ったが、提案された内容は絶妙に俺でもできそうなラインをキープしてきた。これでは、即座に突っぱねるのも難しい。
「俺にスパイ紛いのことをしろと?」
「スパイなんてやらなくてもいいよ。さっきも言ったけど、凌太君の口から真実を引き出してもらえればそれでいいの。」
「真実?」
真実と言われても、あの人は今やただの兄の親友であり、腰巾着であり、奴隷。それが真実だろ。
「栗生君が凌太君に出会ったのはいつの話?」
「いつって、兄があの人を最初に連れてきたときだから・・・。2年前だな。」
俺が中学2年になり、兄が見月原高校に進学したとき。新学期が始まって1週間も経たないうちに連れてきたはずだ。
あの時は、兄にしては珍しくあまり社交的じゃない人を連れてきたことに驚いた記憶がある。今はだいぶそのキャラが変わったように思えるが。
「その当時の様子って覚えてる?」
「最初の頃はあんまり話す機会がなかったが、なんか明るい人なのか暗い人なのかよくわからない人が来たっていう印象だったな。」
「ちなみに先輩と凌太君が仲良くなったのは高校からだったの?」
「だと思うぞ。中学は違うクラスだったって言ってたはずだ。」
「じゃあやっぱり栗生先輩が直接的な原因ってわけじゃなさそうね・・・。」
腕を組んでうーんっと呻き声をあげる白瀬。この反応的に、白瀬が知りたいのは中学時代の凌太先輩ってことだろうな。
となると白瀬と凌太先輩は、多分小学校時代か、それより前からの関係ってことになるか。
ってこうして冷静に分析してしまっている時点で、すっかり協力する気になってるじゃねえか。まんまと空気に乗せられてしまった。
とは言え、流れ的に、凌太先輩の中学高校時代さえ探ってしまえば、俺はこんな面倒からおさらばできるってことになりそうだ。それだけで済むとは信じていないが、それ以降は協力しなければいいだけの話。それならもういっそのこと割り切って、さっさと仕事を終わらせた方が楽か。
「高校時代の話なら兄に聞けば簡単にわかるだろうし、中学時代の話を聞き出すことが俺の任務。それが終われば晴れて自由の身ってことでいいな?」
「私からお願いすることはそれだけだと思う。あとはちょくちょく相談のLINEをするくらいで済むんじゃないかな!」
「さらっと追加要素足してんじゃねえよ。」
おまけに『だと思う』なんていう不安定要素抜群の言い回し。計算高い人間であることが判明した以上、こういう言い回しを許すと碌なことにならない。
「LINEくらいは、同じクラスなんだし許してくれたっていいじゃない!」
こういう時だけ、トップカーストの女子高生らしいことを言わないでほしい。
そもそも個人でLINEが飛んでくることなんて、基本的には家族かヒロくらいなものなんだぞ?
「それに、自分で言うのもなんだけど、ここで私に恩を売っておけば、いつか君がクラス内で困った時に力になれるかもしれないよ?」
「本当、自分で言うのもって話だな。よっぽど自分に自信がおありのようで。」
「ふふ、それなりにうまくやってる自信はあるからね!みんながいい子ばっかりで楽しいかな!」
「はいはい、それはようござんした。」
あっさりと聞き流したが、確かに1ヶ月このクラスを観察した限りでは、良くも悪くも普通の想像していた通りの高校生のクラスって感じだ。それなりにうるさいグループや大人しめのグループが混在していて、その中に全てのグループをまとめるトップカーストのグループが男女それぞれ一つずつある構図。クラス内でも最初に声をあげたのが白瀬だったため、今は女子の方が若干発言権が強い感じではあるが、特に男女間のいざこざがある様子もない。
自分で言うだけあって、白瀬は見事に俺たちのクラスをまとめていると言えるだろう。蓋を開けるとこんな人間なわけだが。
「はあ・・・。とにかく、情報をつかめばあんたにLINEで送る。それで満足か?」
「うん!とても助かるよ栗生君!」
「いつか借りは返してもらうからな。」
「あはは、善処します。」
そんなやりとりを最後に、俺はゆっくりと立ち上がる。それでお開きの流れになると他の2人も悟ったようで、同様に腰を上げる。
話している間にちゃっかりウェルカムドリンクを飲み干していた俺は、少しだけ残ったクッキーの皿ごとお盆に乗せて持っていこうとするが、家主に後はやっておくと言われたので、そのままにして吉川とともに部屋を後にする。
母さんに捕まると面倒だという意見に賛同した俺たちは、バレないようにそーっと廊下を抜け、玄関の扉を開けた。
「申し訳ないとは思ってる。けど、これからよろしくね、栗生君。」
「よろしくされる筋合いはない。俺は平和な日常を取り戻すためにやるだけだ。」
最後の最後に玄関先で、改まった様子で謝罪を口にする白瀬。去り際になって急激に罪悪感が襲ってきたのか、表情は少し暗めだ。
でもそれは、すでにあたりが夜の様相を呈しているからそう見えるだけかもしれないが。唯一ここに寄ってよかったことは、話し込んでいる間にすっかり雨が上がっていたことだろうか。
「帰る間際で申し訳ないんだけど、礼華ちゃんのこと頼んでいい?」
「私のことは気にしなくていいわ。最近は図書室で本を読んで帰ってるとこれくらいになってるし。」
これまた急な申し出だったが、正直いてもいなくてもそんなに変わらないし俺はどっちでもいい。どうせ会話をすることもないだろうしな。
外も暗くなっているし、ここは素直に送ると言っておいたほうが印象がいいか。
「まあ、送るくらいはする。吉川が嫌じゃなければだが。」
「・・・どちらでもいいって言うとあなたが困るよね。じゃあ、お願いしようかしら。」
意外な展開だな。あれだけ1人を好んでいる人なんだから、1人で帰らせてほしいとでも言うかと思ったが。でもまあいいか。
わかったと返事をし、そろそろ行くと目で伝える。
「2人とも今日は本当にありがとう!おやすみなさい!」
部屋に無断で侵入した時のあの表情が霞むくらいの眩しい笑顔を向けて、白瀬は俺たちを送り出してくれた。
あれだけここに来たことを後悔していたというのに、あんな笑顔を見せられると、来てよかったと少し思ってしまうのだから不思議なものだ。
* * *
「ねえ。」
想像の斜め上の事態に巻き込まれ、どっと疲れを抱え込んでいた夜道。あとは行きと同じように、無言で吉川を家のまで送れば、ようやく俺の今日のミッションは終わる。
そんなことを思いながら歩いていた俺は、またもや予想外の展開に巻き込まれた。
「今度はあんたから話しかけてくるんだな。」
「・・・迷惑ならやめる。」
「いや、そういうわけじゃない。それで何か言いたいことでもあるのか?」
予想外ではあったが、吉川から話しかけられるのは決して歓迎しない出来事ではない。行きの失敗を取り返すチャンスだと思って今度は頑張ってみるとしよう。
「あなたは今の美桜をどう思う?」
「今の白瀬?」
今の白瀬、ということは昔の暗かった時代の白瀬と比較した感想を問われているってことだよな。
これは言葉を選ぶべきだろうか。いや、多分下手に本心を隠してもこの人には見抜かれるだろうし、素直に思ったことを言うことにしよう。
「一言で言うと、めちゃくちゃだな。」
「・・・ふうん。」
足を止めてじーっと3秒くらいこちらの方を見てきた。その行為の真意は計りかねるが、やはりこうしてまじまじと見つめられると、心が落ち着かなくなってしまう。
「もう少し酷い評価が返ってくると思ったけど、あなたはもしかしたらラブコメ主人公の素質があるのかもしれないわね。」
「ラブコメ主人公?なんだそりゃ?」
なんだかよくわからない単語が出てきたが、これも一つのオタク用語か?果たしてこれが褒め言葉なのか貶し言葉なのかが字面だけでは判断し難いところだが、吉川のあの少し明るめの言い方を考慮すると、少しは褒めるよりのニュアンスだと考えて良さそうだな。
「忘れてくれていいわ。私があなたの立場だったら、とんでもない地雷女に捕まってしまったと頭を悩ませているだろうって思っただけ。」
「親友相手に辛辣な発言だな。」
「一番近くで見てきているからこその評価よ。でもあれが美桜の良い点でもあるとも思ってる。」
「良い点ねえ・・・。」
巻き込まれてるこちらからすると、ただただ迷惑な点だとしか言いようがないが。
「ねえ。あなたは本気で何かを成し遂げたい、何かを欲しいと思ったことはある?」
急な質問だとは思ったが、何がきっかけかは言うまでもない。
「・・・さあ、どうだろうな。あったかもしれないしなかったかもしれない。」
いつも通り『ない』と言い切ってしまうのは簡単だったが、俺は敢えてしばらくの沈黙の後にこう答えた。
「私はきっとないわ。ーーーううん、ないと断言できる。」
吉川の質問の意図まではこちらにはよくわかっていないが、これが吉川にとって何か大事なことなんだろうということは、なんとなくだが察しがつく。
もしかしたら、図書室で言っていた話したいことというのはこれのことなんじゃないか。そんなことを思いながら、吉川の言葉を待ってみる。
「私は美桜の味方。その気持ちに嘘はないけど、私には美桜の気持ちはわからない。」
「自分がそういう気持ちを抱いたことがないからか?」
「そう。だから、あそこまで必死になれる理由が私にはわからないのよ。」
「いや、さすがにあんたじゃなくてもわからんだろ。」
新しい人格を形成して、俺みたいな人間を振り回してまで成し遂げたい理由なんて、本人以外に分かるはずがない。
「それでも美桜は楽しいって言う。これがクラス内の適当な誰かの発言なら、聞く気もわかないけれど、他ならぬ美桜が言うなら・・・って思うとね。」
少し興味が湧いてはいる、か。その感覚は俺にもわからなくもないかもしれない。実際にヒロが榛名と付き合い始めたことで、俺も漠然と恋愛について考えた時期があったしな。というか、第2期が今現在到来しているし。
「んで、それを俺に伝えたのはどういうことだ?」
「特に理由はない。ただ、あなたと私が似た者同士だと言うなら、私の言い分を理解してもらえるのかと思ってね。」
「似た者同士かどうかは知らんが、気持ちはわからなくもない。」
「そう。だから何って話だけどね。」
「同意を求めておいてその返しはないだろ。」
「理不尽なところは、美桜とよく似ているのよ。」
この一連の会話で初めて少しだけ笑顔を見せた吉川。それは今日一日の中で見たどの笑顔よりも破壊力があったと言える。
「あんたもそんな冗談言えたんだな。」
「嘘は言ってないつもりだけどね。それに、きっと私よりもあなたの方が美桜に似ているわ。」
「はあ?それこそ冗談だろ。」
「あなたがどう思うかはあなたの勝手よ。ただ、今日あなたが先生からあのファイルを受け取ったことで、私はそう思うようになった。」
「またその話か。あれはあんたのためになると思って・・・」
「どう思うかは互いの勝手だけどね。でもその行動に至った経緯をもう一度よく考えてみたらわかると思うんだけど。」
「俺のことを何も知らないくせに、知ったような口をきくんだな。」
「・・・確かに柄にもないことを言ったわ。ごめんなさい、今のは忘れて。」
自分でも少し突っ込んだ話をしてしまったという自覚があったのか、また吉川は行きと同じように俯いてしまった。返しの一言が少しきつい言い方になったかもしれないが、今回はそこまで自分でもやらかしたとは思っていないんだが・・・。
「私の家、この十字路を曲がってすぐだからここまででいいわ。」
そしてこの空気から逃げ出そうとするように、吉川は一歩前へと進み出した。
とは言え、そう言われると俺からもそれを止める理由もない。今日の話はここらでお開きにするしかなさそうだ。
「わかった。じゃあまた。」
「ええ。」
そう言って吉川は振り返ることなく歩き出した。
という展開になると思っていたのだが、一歩踏み出したところで吉川はその足を止めた。
何か問題でもあったのだろうかと思い、俺も踏み出そうとしていた足を止めて、その動向に注目する。
「・・・送ってくれてありがとう。それじゃ。」
こちらを向こうとしてやっぱり気恥ずかしくなったのか、ほんの少しだけこちらを向いて、どこか言い慣れていなさそうにお礼の一言を告げ、今度こそ吉川は歩き出した。
雨上がりの匂いを運ぶ涼やかな夜風。それがくるりと背を向ける彼女の短い髪とスカートをわずかに揺らす。
「・・・それは反則だろ。」
最後の挨拶に返事ができなかった俺は、小さくそう呟いてその後ろ姿を見送ることしかできなかった。
* * *
心を暖かくさせる余韻に浸りながら歩く一人きりの帰り道。昨日まではそれが当たり前だったというのに、どこかいつもとは違う気持ちで歩く帰り道。
そんなどこか地に足がついていないような感覚でいると、携帯から聞き慣れたような慣れていないような効果音が、何度も繰り返し聞こえてきた。
「なんだよ、急に・・・。」
その鳴り止まない効果音の正体を確かめようとスマホの画面を覗いてみると、
『海斗君遅い!もうお腹が空いて死にそうだよ!!!』
『おい海斗!俺たちを飢え死にさせるつもりか!早く帰ってこい!!!』
という文と、何通もの『スタンプが送信されました』の表示で埋め尽くされていたのだった。