3-1 興味がないからと言って、気にならないわけじゃない1
俺は雨の日が大嫌いである。
まず、傘などという本来不必要な荷物が一つ増えてしまうこと。
その荷物の扱いに困ること。
傘を差していても、結局どこかしらの部分は濡れてしまうこと。
そして決定的なのが、登校中の学生たちが全員傘を差すことによって生じる歩道の渋滞。見渡す限り傘ばかりで、その傘同士がぶつからないように一定のスペースを空けて歩くことを余儀無くされる。するとこのように駅から素早く出られなかった人間は、こうして傘の集団の中で歩くことを強いられるのだ。これで前を歩く集団がとんでもなく歩くのが遅かったりすると、ストレスがマッハでたまっていく。
「いやー、電車に乗る前より雨脚強くなってね?」
朝練が始まる最初の週だと言うのに、朝から振り続けるこの雨のせいで早速朝練が潰れてしまったヒロ。でもなぜかそこまで落ち込むそぶりを見せることなく、そう感想を口にする。
「今日は1日中降るみたいよ。雨の日は髪の毛が湿気のせいで整わないから苦手なんだけど。」
駅の改札口を出た先で俺たち2人を待っていたのは、榛名志織。今日はちゃんと俺たちより先に駅に着いていたようだ。
ヒロは、自分を待ってくれていた彼女に軽い挨拶をすると、そのままいつものように左右に俺と榛名を連れて歩き出した。横並びに歩くと邪魔になると思ったのか、榛名は一歩後ろに下がって俺とヒロの後ろを歩く形になったが。
「お前らは相合傘とかそういうベタなことはしないんだな。」
「人目があるところでそんな見せつけるようなことはしたくないんでな。」
「大衆の目があるところでそんなことをしたって、全く楽しくないじゃない。」
「ああ、そうですかい。」
なぜか榛名からは睨まれる始末。そんな変なことを聞いたつもりはなかったんだが、何かいけないことでも聞いたのだろうか。
ま、昔からヒロも榛名も2人きりで登校するのは気が引けるからという理由で俺を呼んでいるくらいだ。人目を気にするタイプのカップルだと知っていながら聞いた俺も悪いということだろう。
あの日以来、俺は漠然と恋愛について考えるようになった。
今までの俺は、興味がないわけじゃない程度の認識でしかなかった。だがどうしても、プラス面よりもマイナス面ばかりが頭に浮かんできてしまうせいで、どうも前向きな思考を抱くことができずにいた。
自分のことを認識してもらうことからスタートし、仲良くなるためにあの手この手を尽くす。それで今度は自分のことを好きになってもらうために、時には自分を偽って気に入られようと頑張る。そしてようやく告白するわけだが、この行為には、相手の答え一つで今まで自分が築き上げてきたものが無駄になり崩壊する恐れも含んでいる。おまけに告白が成功して晴れて恋人同士になったところで、価値観が合わなかったり、他の異性とのやり取りで嫉妬があったりで、結局長続きする可能性もそこまで高くない。これの何が楽しいんだってずっと思っていた。
でも白瀬はそんなことを気にもせずに、ひたすら凌太先輩に近づくために、人生をも捧げる勢いで突っ走っていた。あれを見ていると、逆にどうしてあそこまでできるのか気になってきてしまったのだ。
と同時に、今度はヒロと榛名の関係に意識が向かった。ヒロは、榛名との恋愛話は絶対に俺には話さない。単純に俺がそんなお惚気話には興味を示さないことをわかっているっていうのもあるだろうし、仮にあんなことやそんなことがあったところで俺には話さないように榛名から圧をかけられているのかもしれない。とりあえず仲は良好そうだから俺はあまり口出ししてこなかった。
だから今、無意識に相合傘の発言をポロッとしてしまったのは、あの2人にとっても意外だったに違いない。冗談や嫌味でいじることは今までも何度かあったが、素のトーンでああいうことを口走ったことは、俺の記憶の限りでは一度もなかったはずだからな。
「そういえば、結局あんたの言ってた女の子、同級生だったらしいじゃない。」
「・・・また勝手に話したのか、ヒロ?」
「いやあ、どうせこの場の話題に上がるだろうと思ったからな。志織もずっと気になってたみたいだからよ。」
「これだけ捻くれた人間が素直に賞賛するくらいだから、よっぽどの子なんだろうと思ってね。でもまさか、あの吉川さんだったなんてね。」
「吉川のこと、知ってるのか?」
「だってあの人有名よ?いつもよくわからない眼鏡をして教室の隅で本を読んでる、物静かで不気味な女子生徒がいるって。」
そんな噂が流れてるとは、俺も知らなかったな。クラス内でそういう話が出るのはまだわかるが、まさかクラス外にまで伝わっているとは予想外だった。
でもその噂について話す榛名の顔を見ても察しがつくが、あまりいいイメージのものではないな。
「噂は噂に過ぎなかったけどな!なあ、海斗?」
「何でそこで俺に振る・・・。」
「大丈夫だって。一昨日のことについては志織に大体説明してあるからよ!」
「それお前が言いたかっただけだろ。」
ヒロは後頭部をかきながら、バレた?と茶目っ気たっぷりに言ってきた。大事なことは死んでも言わないくらい口が固いのに、こういうことに関しては前もって口止めをしておかないとすぐ榛名の耳に入ってしまう。
「あんたが散々美少女2人に遊ばれたってエピソードを延々と聞かされた私の身にもなって。」
「知るか。てか、どういう話の伝え方をしたんだお前は。」
「ん?ありのままだぞ?喫茶店に2人で入ってから、吉川さんたちが合流して店を出るまでの話をしただけだ。」
「お前の脚色が入ると、簡単に事実がねじ曲がるから聞いてんだよ。」
このお調子者は彼女に話をする時に、面白いと思って欲しいという欲求が勝るのか、だいぶ盛って話をすることがままあるのだ。そのせいで、たまにこうして榛名と会話をする時に、予想だにしない一言が飛び出ることがある。
おまけに榛名は、ヒロの話を何も疑いを持たずに聞く習性があるので、ヒロが話したことは全て事実として捉えてしまう。本当は嘘だってわかっているものもあるのかもしれないが、表面上は全て信じている素振りを見せる。
「あれだけご執心だった彼女に、いざ実際に会ってみると誰だか認識できなかったって。笑っちゃうわね。」
「ほっとけ。気が動転してて気づかなかっただけだ。」
「でもそのあとは何度か話す機会があったんでしょ?鼻の下が伸びてたって、ヒロが笑っていたわよ。」
こいつ、本当にいらんことしか言わんな。
「何だよ、事実だろ?吉川が笑うたびに少しビクっとしてるの、俺はずっと見てたんだぜ?」
「はあ?んなことするわけない・・・」
と言い切ろうとして躊躇った。というのも、心当たりがないでもなかったからだ。
実際、吉川が少し表情を緩めるだけで、脳内で心を落ち着かせようとあれこれ考えるようにしていた節はある。ということは、もしかしたら俺の体は無意識にそういうことをしていたのかもしれない。
だとしたらヒロの場合、それを認めさせるために具体的なエピソードを出してくる可能性がある。となると断固否定の構えを取ると、ますます面倒なことになる。
「と思ったが、もしかしたらそうだったかもしれない・・・。」
「な、志織。あの海斗が自分で認めるくらいだぜ!?」
「確かにそこまでとなると、私もあの眼鏡をとった吉川さんの顔を一度見てみたくなるわね。」
こう答えておくことが、被害を最小限に抑える手段としては最適。ヒロの性格を知っているからこそ取れた防衛手段だ。
「それにしても、吉川さんと白瀬さんが親友同士だったっていうのも私からすると意外だったのだけれど。」
「ああ、それに関しては俺も予想外だった。まあ中学時代の白瀬さんを知ってる俺らからすると、その驚きも少ない方かもしれないけどな。」
ヒロと榛名は楽しそうに、土曜日にあった話で盛り上がっている。いつの間にかヒロは俺の隣にいたはずなのに、徐々にペースを落としていったと思えば、榛名の隣にちゃっかり移動していた。
やっぱりなんだかんだ言って、こうして一緒にいるときくらいは2人きりで話したいのだろう。もともとこの場にいることに違和感を覚えていた自分にとっては、むしろこうなってくれた逆に気が楽だとも言える。これを毎回やられたら流石に文句の一つでも言ってやろうかという気にもなるが、今回は朝練がないからたまたま一緒に居られる、いわゆるイレギュラーな日だ。今後こうして一緒に登校できる日は限られているわけだし、何も言うつもりはない。
雨粒が傘に当たる音を聞きながら、俺は再び自分の世界へと入っていくことにした。
* * *
雨はやはり1日中降るのか、全ての授業が終わった今もまだ外は暗いままだった。窓から見えるグラウンドには、大きな水溜りができている。これは、いくら雨の中でやるスポーツだとは言え、サッカー部の活動も屋内に限られるだろう。
そんなことを思いながら、今日1日の学校活動を締めくくる終礼に耳を傾けていた時だった。
「終礼が終わったら、倉田君、栗生君、吉川さんは私のところに来てくれる?」
クラス内ではあまり目立たないようにしている俺が、高校に入って初の先生からの呼び出しを受けることになった。
「俺たち、なんかやらかしたか?」
同じく名前を呼ばれたヒロも心当たりがないようで、俺に確認してきた。
「いや。でも吉川まで呼び出しを食らっているってことは、何となく理由はわかった。」
「お、さすが。んで、名探偵栗生の推理は?」
「少なくともお叱りを受けるわけではない、とだけ言っておく。」
「何だよ、教えてくれたっていいじゃねえか。」
「心配するな、お前には関係のないことだ。」
担任の新井先生の解散の一言で、クラス内が一気にざわつきだしたので、その喧騒に紛れるように俺も立ち上がる。ヒロは俺の態度に若干不機嫌そうにしていたが、俺の予想が的中していたとしたら、これから話される内容についてはヒロは本当に無関係なのだから、わざわざ説明するのも無駄だろ。
俺の後ろに続くようにヒロも教壇にたどり着く。それから少し遅れて吉川も到着し、先生が招集をかけたメンバーが揃う。
「わざわざごめんね。用っていうのは、君たち3人のうちの誰かでいいから届け物をしてあげてほしいの。」
「届け物ですか?」
「ええ。今日は白瀬さんが欠席しているでしょう?普段なら頼まないんだけど、もうすぐ中間試験も近いから、今日やった授業のプリントだけでも渡してあげられないかと思ってね。」
この新井先生という人は、教師にしては物腰がとても柔らかく、生徒一人一人にも真摯に向き合う態度を持ち合わせていると個人的には高く評価している。今回も、中間テストに出遅れると可哀想だからという理由で、今日の授業の範囲を白瀬に伝えられないかとお願いしてきている。
幸い、このクラスは性格のひん曲がった生徒がいなさそうだから、この人のやり方はうまくいくだろうが、これが問題児だらけのクラスだったらどうなるのか少し心配になるくらいのお人好し加減だ。
さて、先生が言うように、実は白瀬は今日欠席していた。朝礼の時点で体調不良だと聞かされているが、正直のところ本当にそれが原因なのか疑わしい。
「あなたたち3人は家が近いって聞いたから、もし白瀬さんの家を知っていたらお願いしようかと思って。もちろん無理強いをするつもりはないけれど、どうかしら?」
誰から聞いたんだっていうツッコミはさておき、もし俺たちが白瀬と家が近いってことを知らなかったとしたら、これって個人情報保護の観点的にどうなんだ。
「あーすいません、俺はこの後部活に行くんで2人に頼んだ方がいいかもしれないっす。」
やっぱりこいつはそう言うだろうと思っていた。だから俺はあえてヒロには何も言わなかったのだ。部活という口実(部活がなかったら特に嫌がることないと思うが)を使って1人だけ離脱するのが目に見えていたから、さっきは少し八つ当たりをしていたってわけだ。
俺たちも部活っていう口実を使えればヒロも他人事にはできなかっただろうが、あいにく俺もおそらく吉川も放課後はフリーだろう。新井先生も、それなら仕方ないと言ってすぐにヒロを解放してしまった。
そもそも、吉川が二つ返事でこれを承諾してくれればここまで俺も過剰に反応する必要はないんだけど。だが、吉川が二つ返事でこれを了承するとは俺は最初から考えていなかった。
「栗生君は学校ずっと一緒だったし、白瀬さんともそれなりに話すわよね?」
そして実際、吉川は淡々とそう言って俺にその仕事を擦りつけようとしてきた。こちらを見る目はやはりどこか退屈そうで、というよりその意味のわからない眼鏡のせいで感情がイマイチ伝わってこない。
とりあえず吉川は行きたくないという意思が先生には伝わったようで、あっさりとターゲットを俺に絞ろうとする。この動きの早さから察するに、最初から先生も吉川には期待していなかったのだろう。
「お願いできないかしら、栗生君。」
無理強いをしないとか言っておいてその頼み込む目をするのはどうかと思う。そんな断りづらい眼差しを向けられたら、嫌だとは言いづらいだろ。
「わかりましたよ。この紙類を白瀬に届ければいいんですよね?」
「やってくれる!?ありがとー、助かるわ!」
パーッと満面の笑みを浮かべて、教壇に置いてあった今日1日分の書類が入ったクリアファイルを手渡してきた。この反応を見る限り、俺もまた望み薄だったのだろう。やんわりと断るのも手だったのだが、このクラスが開始してまだ間もないんだ、ここで教師からの印象を良くするのは悪い手ではないと判断した。
それじゃよろしく、と肩の荷が下りたと言わんばかりのフットワークの軽さで、新井先生はすでに大半の生徒がいなくなった教室を後にした。
「まさか、お前が引き受けるって言うとは思わなかったぞ海斗。」
俺の返事が予想外だったのか、ヒロは若干興奮気味だ。
「まさか本当に白瀬さんのことが気になり始めてきてるのか、このこのー。」
「違う。・・・あんなもん見せられてそんなこと思えるか。」
「・・・ま、それもそうか。」
お互い妙な沈黙を残してこの会話を切り上げる。そのままヒロは笑顔で部活に行ってくると言って教室を後にした。
終始無言で俺たちのやり取りを見ていた吉川も、解散の流れを察知したのか自分の席に戻ろうとした。
が、俺は逃すまいとその背中に向かって彼女の名前を呼びかけた。
「・・・何?」
振り向くこともせずに、吉川はだるそうにそう答える。一昨日のカフェの時と話し方は変わらないのに、さっきといい今といい、教室で言葉を発する時は妙に刺々しい印象を持ってしまう。おそらく意図的だろうが。
「名目上、これで俺が渡すことになったはずだ。あとはあんたが渡してやってくれ。」
「・・・どうして私にそんなこと頼むの?」
自分のクラスでの立ち位置上、やりますと言えなかったんじゃないかと思ってわざわざやると代弁したってのに、この女、平然としらばっくれてきた。まだ数人教室に生徒が残っているのが原因だろうか。そこまでして尻尾を掴ませたくないってことかよ。
「はあ・・・。本当めんどくせえな、あんたら。」
「安請け合いしたのはあなた。やると言ったからには頑張って。」
吉川は一度止めた足を再び動かして、自分の席に戻る。引き出しの中をさっくりと整理し終えたら、そのままさっさとカバンを持って教室を後にした。
俺だけにわかるようにカバンから本を出す仕草だけを残して。
そのジェスチャーが何を表しているのか、俺はすぐにその意図を理解した。
「本当めんどくせえよ、あんた。」
俺もまた、立ち去る吉川の後ろ姿を見送ると、自分の机の上に置いておいたカバンを持って図書室へと向かった。
嫌々という雰囲気を表面上は出しつつ、心の奥が少しだけ暖かい気持ちになっていることに気づいていたが、敢えてそれに気づかないふりをした。
* * *
俺はあの日以来、どうにもスッキリとしない日々が続いていた(とは言ってもたかだか2日だが)。
放心状態で立ち尽くす白瀬と、その白瀬を抱き寄せる吉川の姿。
涙すら流すことができないくらいのショックを受けていた白瀬の姿がどうしても心をザワザワと掻き立てるのだ。
自分でも、どうしてここまで気になっているのか不思議でしょうがない。
断片的ではあるが、白瀬の計画を知ってしまったから?いや、きっとそうではない。俺はその計画に危うく巻き込まれそうになって怒っていたじゃないか。
人が初めてフラれる姿を目撃をしたから?いや、多分そうでもない。普段の俺なら、友達でもなんでもない人間がフラれたところで、全く気にも留めないはずだ。
じゃあフったのが、俺もよく知る人物だったから?これはないとは言えない。凌太先輩は、兄に振り回されているところばかり見ているせいでイマイチ俺の中では評価が高くないが、顔だけ見ると決して悪くない。これがそこそこのブサイクだったら、なんでブサイクの分際であんな美少女を傷つけてんだよって思っていただろう。
ちなみに、あの後帰ってきた兄に凌太先輩のことを聞いてみたが、焼肉の場では何も話そうとはしなかったらしい。何か事情があることだけはわかったってところか。
とまあ、こんな感じで色々俺の中で考えてみてはいるが、はっきりとした答えは出ていない。それがより気持ち悪さを増幅させている。
気を紛らわそうと思ってひたすら脳内でこんなことを考え続けていたが、隣に吉川がいる今の状況で考える内容ではなかったかもしれない。
「雨、止まないな。」
「・・・・・・。」
「本当に一日中降ってるな。」
「・・・・・・。」
隣を歩く女子からは相変わらず返事がない。今のが本当に耳に届いたのか疑いたくなるくらいの無反応っぷり。
それでもまさか、こうしてクラスの女子と2人きりで下校するなんてイベントが発生するなんて、流石に自分でも驚きを隠しきれない。それも相手はあの吉川礼華ときたもんだ。先週の金曜日以前なら、どうしてこうなってしまったと後ろ向きな意見が飛び出していたところだろうが、真の姿を目撃した今となっては、妙なドキドキを感じてしまっている。
だが、一昨日の一件のことや、今の彼女の見た目が影響しているのか、心は思った以上に静まっていた。
それに、図書室を出て以来、吉川は一度も俺と会話をしようとしてくれないせいで、居心地の悪さが半端ない。百歩譲って、学校から駅までの道のりでそれをされるなら、周りの視線も気になるだろうし無理もないと納得もできる。電車も隣同士に座らないというのも、気恥ずかしさがこちらにもあるのでまあ納得できる。でも、電車降りてから白瀬の家に向かうこの時間まで無言は流石に勘弁してほしい。
そもそもどうして俺が吉川と一緒に白瀬の家に行くことになっているのか。それは、
『ちょうどよかった。私もあなたと2人きりで話したいことがあったのよ。』
誘い込まれた図書室に顔を出すと、開口一番吉川がそう口にしたからだ。ここだと会話が誰かに聞かれる可能性があるし、図書室で話しこむという行為自体あまり褒められたものじゃないからという理由で、話は帰り道で聞くということになったのに、どうしてこう無視され続けなければいけないのか。
「もうそろそろ話してくれてもいいんじゃねえの?もう誰もいないだろ。」
遠回しに聞くのも逆効果だと思い、俺は直球を投げつける。すると、ようやく相手をする気になったのか、でか眼鏡をかけた女子がこちらを向いた。
「あなたってあれね。1人でいることに苦痛は感じないくせに、2人でいるときは沈黙が苦痛でしょうがないってタイプの人なのね。」
感情が窺えない声色で、吉川は数十分ぶりに声を発した。
「他人の顔色を気にしていないようで、人一倍気にするタイプ。私とは似て非なるタイプね。」
「ようやく相手してくれる気になったかと思えば、嫌味か?」
「ううん、あなたがどういう人なのかを分析していただけ。それ以上の意味はないわ。」
そう言うと、また吉川は何事もなかったように前を向いた。本当にその言葉通りのことしかしていないんだろうが、俺にはその態度がどうも受け入れられなかった。
「あんたのそのでかいお眼鏡にはかなわなかったってことかよ。」
「また少しイガグリ君の片鱗が出ているわよ?私としては、あなたを不快にさせるつもりはなかったのだけれど。」
「受け手がその言葉をどう受け取るかで全て決まるんだよ。あんたにどんな思惑があったのかなんて関係ない。」
「・・・じゃあ、私は今失敗したということかしら?」
「残念ながらそういうことだな。俺からの好感度は下がったと思ってくれていい。」
自分でもなかなかきつい言葉を浴びせたという自覚はあるが、これくらいは言わせてもらってもいいと思う。俺は何度も歩み寄ろうと頑張った方だというのに、その善意を向こうから無駄にしてきたんだからな。
そう自分に言い聞かせて、何とか襲ってくる罪悪感から逃れようとしていたのだが。
「・・・そう、やっぱり普通の人との会話は難しいわね。」
なぜか隣を歩く吉川はさっきよりも少し俯き気味に、歩幅も少しだけ狭くなっていた。相変わらず表情は読めないが、全身から悲しそうな雰囲気を俺でも感じ取れるくらいに撒き散らしていた。
その明らかな変化に、俺の良心がズキズキと痛み始める。いやまさか、これほどダメージを受けると思ってなかったっていうか。ってこれじゃまるで、俺が悪者みたいじゃねえか。
「わ、悪い。今のは少し言い過ぎたかもしれん。忘れてくれ。」
罪悪感に押し潰されそうになり、俺はつい謝罪の言葉を口にしてしまった。こんなことを言うつもりは毛頭なかったのに、彼女から悪い評価を受けるのだけは避けたいと思う自己防衛本能が自動的に働いてしまったみたいだ。
それから白瀬の家に到着するまで、俺と吉川の間に新たな会話が生まれることはなかった。
* * *
「ここなのか?」
当然ながら俺は白瀬の家が俺と同じ学区内にあるという情報しか知らないため、ここまでは吉川の足取りを無言で確認しながら歩いていた。次どっちに行くのかとか聞きたかったが、空気を決定的に悪くしたのは俺だったからどうも話しかけづらかった。
そしてようやく辿り着いたのが一つの一軒家。見たところ、普通のよくある2階建ての家だな。俺の家みたいなもんだ。
一応確認を取ろうと吉川に話しかけてみたものの、やはり返事をされることはなく、彼女は家のインターホンを鳴らした。ちゃんとインターホンの上に「白瀬」の表札があるから間違いないだろうが。
『え、えーっと、どちら様ですか?』
なのに、インターホンから聞こえてきたのは困惑の声。
「おい、どういうことだ?」
これには吉川も少し焦っていたが、すぐにその原因がわかったようで、その特徴的な眼鏡を外した。
「失礼しました。私です、礼華です。」
どうやらその行為一つで全てが解決したようで、それから数秒と待たずに、玄関の扉が開いた。
「ごめんなさい。てっきりインターホンに美桜が出ると思ったのかしら?」
そう言って軽く笑みを浮かべているのは、おそらく白瀬の母親だろう。柔らかい笑顔が印象的だ。
「いえ、そういうわけではないです。美桜が体調不良で学校を休んでいるのは知っていますから。」
「でもいつもならこの時間に私がいないことくらい、礼華ちゃんなら知ってるじゃない。」
そうですね、と軽く微笑み返す吉川。眼鏡というキーアイテムを外したことで、一気にどこかあどけなさすら感じる美少女に早変わりしている。
「ところで、そちらにいるのはお友達かしら?」
現れた一昨日の彼女にわずかばかり動揺していると、突然話題が俺へと投げられる。
「あー、俺は白瀬の・・・って違うか。み、美桜さんのクラスメイトです。今日欠席していた分のプリントを届けにきました。」
「あら、それはわざわざありがとね!どうぞどうぞ、お茶くらい飲んでいって!」
「い、いや、俺はただプリントを渡しにきただけなので・・・。」
「こんな雨の中立ち話っていうのもなんだし、遠慮しないで!それに、美桜もきっと2人の顔を見たら喜ぶと思うわ!」
そう言って白瀬母は俺たちの傘を半ば強引に受け取り、家の中に客2人を招き入れた。なんというか、兄とは別ベクトルだがどこか同じ匂いがする・・・。
このあまりの急展開に助け舟を求めるように吉川を見たが、「いつものことだ」とでも言うかのように目配せを送ってきた。眼鏡がなくなったことで、ようやく少し意思疎通を図れるようになったのは喜ばしいが、救いの手を差し伸べてくれる気はなさそうだ。いや、吉川の力を持ってしても無理って捉える方が正しそうだな。
中に入っても、外見通りの普通の一軒家だ。玄関を抜けるとすぐに2階へと上がる階段があり、左に曲がると大きなLDKスペースがある。
てっきり俺たちはそのリビングに通されるのかと思っていたのだが、母親は階段を登るように勧めてきた。ここで階段を登るっていうことは・・・多分そういうことだよな?部屋直行コースってことだよな?
本当に大丈夫なのか、と許可を請う目をやはり吉川に向けてみるが、先ほどと同様の目配せが返ってきた。流石に本人の許可なしに上がりこむのはまずいと思うのだが。
と言うより、俺は妹の部屋以外に女子の部屋に入ったことなんて一度もないんだぞ。これが百歩、いや一億歩ほど譲って彼女の部屋だって言うならまだしも、仲が決して良好ではない人間の部屋だぞ?普通に考えて怒られるだろ。
「美桜ー!礼華ちゃんたちが来てくれたわよー!」
そんな心配をよそに、白瀬母はツーノックをすると、そのまま中からの応答を待たずに平気で部屋のドアをこじ開けた。・・・控えめに言ってドン引きだ。
そんなプライバシーのかけらもない動作の餌食となった白瀬はと言うと、
「やっぱりあれだけ不幸なことが起きたら少しはいいことが起きるものね、礼華ちゃ・・・」
あろうことか、ベッドで胡座をかいてゲームをやっていやがった。完全にリラックスモードじゃねえか、と内心でツッコミを入れたのもほんの一瞬。なにやらいつもと様子が違うことを察したのか、白瀬が急に扉の方、つまり俺たちの様子を確認してきた。
そこで当然、白瀬と俺の視線は交わる。
「え?・・・え?・・・・・え?」
「・・・言っておくが、俺だって不本意だからな?」
目を真っ赤に腫らしながらも喜びの鼻声をあげていた白瀬美桜は、俺と吉川と母親の顔を何度も何度も見ていたが、ついに何度目かの俺の顔を見るターン。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?」
すでに所々真っ赤になっていた顔を全体に染め上げ、布団の中に潜り込んでいった。
「それじゃ、ごゆっくり〜!」
そんな娘の様子を何一つ意に介することなく、俺と吉川を部屋の中に閉じ込めていく白瀬母。
「こりゃ、完全に踏み込んではいけない場所に足を踏み入れちまったみたいだな・・・。」
俺は天井を見上げ、また一つ大きなため息をついた。