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2-1 最悪な別れ方をしたからと言って、もう2度と会わないということはない1

 学生や多くの社会人にとって、土曜日の朝というのは大抵嬉しい時間なのではないだろうか。散々、価値観の違う人間扱いされた俺だって、こうして朝遅くまで寝ていられるというのは幸せだと感じる心はある。

 ただ、遅くまで寝ていられると言っても、他の人たちと比べるとだいぶ早い時間だろうが。


 カーテンの隙間から差し込む暖かい日差しに焼かれて、重い瞼を開く。通常の8割ほどまでに広げた視界の中に映り込んでいた目覚まし時計を見ると、しっかりとデジタルでAM8:04と表記されていた。

 充分以上の睡眠を取れたことに満足した俺は、人間誰もが起きた直後にする行動ランキング上位入賞を果たすであろう「欠伸」と「伸び」をして、ベッドから立ち上がった。


 寝巻きから部屋着に着替え、一階に下りてすぐの場所にある洗面所で顔を洗い、歯を磨く。よくヒロから鋭いと指摘される目つきで、寝起きの自分の顔を眺めながら寝癖がついている箇所を直す。目つきが鋭いのは単純に少し目が細いだけだから放っておいてほしい、と内心で愚痴をこぼしながら一週間分のたまった洗濯物を洗濯機にかける。



 さて、いつもならここで台所に向かって朝食を作り始めるところだが、今日は再び2階に上がった。目指す場所は、俺の部屋を通り過ぎた先にある、もう一つの個室。

 そう、そこは俺の2個上の兄の部屋。そして昨日は、兄と兄の親友の凌太先輩が遊んでいたはずの部屋。

 普段は兄の部屋に行く用事なんてないのだが、今日は少しばかり寄る必要があった。



 ーーー夜中になってもずっとバカやってた馬鹿2人をしばき倒すためだ。


 「起きろ馬鹿ども!!!!!」


 入り口のドアノブを下げたと同時に蹴り開けて、俺は大声で叫んでやった。

 真っ先に視界に飛び込んできたのは、大の字で気持ち良さそうに寝転がっていたチャラ男。グゴーッ、グゴーッと気持ち良さそうに睡眠をむさぼってやがる。


 その一方で、思いっきり体を震わせ警戒心マックスでこちらを見てきたのは、大の字で寝ている男の隣で1人黙々と胡坐をかきながら横スクロールアクションRPGをやっていた凌太先輩だ。不意打ちの一撃を受けてコントローラーを床に落とした凌太先輩は、口をパクパクさせながら真っ赤に充血した目でこちらに振り返っている。驚いた拍子にジャンプボタンを強く押してしまったようで、操作していたキャラクターはそのままステージに空いていた穴に一直線に吸い込まれていったが、それに気づく素振りもない。


 「いや、1人徹夜でゲームとか何してんすか。」


 「あ、ああ・・・、海斗か。」


 すでに半分くらい意識を失ってそうな掠れた声が返ってきた。


 「ゲーム好きもほどほどにしてください。そんなゾンビ状態の人には朝食も作りませんよ?」


 「りゅ、流渡に勝負で負けちまったからその罰ゲームなんだ。こいつが起きるまでにこのゲームをクリアしないと、焼肉全額奢りって言われてんだよ、ふあぁぁぁ・・・。」


 頭をぽりぽり掻く余裕を取り戻した先輩は、そのまま眠気を隠そうとすることなくそう答える。

 この2人は相変わらずまた馬鹿やっていたらしい。人の家にまで来て何してんだこの人は。呆れてものが言えん。


 というより、その悪の元凶である兄からいまだに反応一つないのだが。


 「こいつ、まだスヤスヤ寝息たててやがる。」


 「そうじゃないと困る。まだあと2面も残ってるんだから早くクリアしねえと・・・。」


 寝息を立てる兄を見て我に返った先輩は、ついさっき落としたコントローラーを握ると再びテレビに向き直ってしまった。


 「ったく、とんだ青春があったもんだ。」


 年明けに受験を控えているとは到底思えないなこいつら。流石にこの2人と言えども、やるときはやるとは思うが、この様子を見ているとどうも気が気でない。

 正直な話、凌太先輩が浪人したってどうでもいいが、兄が万が一にも浪人してしまったら、家にずっと居座れるばかりか、学校で俺が笑い者にされる。ただでさえ兄は教師陣には有名なんだから、これ以上悪名が轟かれると俺の学生生活がいよいよ危うい。


 

 とりあえず全くスッキリはしなかったが、イライラの感情はいくらか薄まったので兄の部屋を後にすることにした。どうせ今日1日は家にずっといるんだ、罰ゲームの結果は望まなくても耳に入ってくるだろ。



 「・・・海斗君、今何時だと思っているの?」


 ただでさえ悪い目つきをさらに悪くさせていると、いきなり目の前に桃色のフサフサしたものが・・・、正確にはその桃色のフサフサしたものを着て、普段の俺くらいの悪い目つきをした妹が立っていた。ちょうど少し俯いていたので、怒りを滲ませた妹とバッチリ目が合ってしまったのだ。


 「何時って・・・、もう8時半過ぎだよな?」


 「『まだ』8時半過ぎ!そんな時間にいきなり大声を浴びせられて起こされる私の気持ちにもなってくれる!?」


 まだ出会って数秒だと言うのに、早々に妹からの怒号を浴びせられる俺。

 でもどうして8時半過ぎに起こされたからと言って、中1の妹に朝からこんな不機嫌そうな顔で怒られないといかんのだ?そんなこと言われたら俺はどうなる、俺は。


 「良い子の皆さんはもうとっくにお目覚めの時間だと思いますけど?」


 「私が良い子の皆さんの一員じゃないことは海斗君が一番よーーーーく知ってるはずよね?」


 なおもムスッとした顔で不服の申し立てをしてくる3個下の妹、藍波(あいは)


 中学に入ってからはそれなりにしっかりと手入れしているミディアムロングの黒髪は、寝起きのせいでところどころはねている。目つきも本来ならぱっちりとしていて鼻立ちもいい。まだ幼さは残るが、それなりに愛嬌もある・・・のだが。

 こいつは兄とは別のベクトルで世話がかかる。それは今本人が公言した通りの理由で、だ。

 

 「知ってるからといってどうして配慮してやらなきゃならん。なんなら俺は夜中からずっとその配慮を受けられなくてさっきまで若干不機嫌だったんだけど、どうしてくれるんだよ。」

 

 「知らないよ。どうせまた流渡君が馬鹿やってたんでしょ?」


 なぜか藍波の方が迷惑そうにしながらそう言い返してくる。別にこいつにとっては、そこまで悪い環境ではないと思っていたのだが。


 「少しは俺の苦痛を味わってみろ。次、凌太先輩が来たときは部屋交代な。」

 

 「い、嫌に決まってるでしょ。」


 「大声で騒ぎながらゲームやってるだけだぞ?俺はともかく、お前なら平気だろ。」


 「う、うーん・・・。」


 ほら、こう言うとご機嫌斜めの様子だった藍波の表情が少し緩んでいく。


 「なんなら次から一緒に混ぜてもらえばいいじゃねえか。その間に俺はさっさとお前の部屋で寝るからよ。」


 「うっ・・・。いくら海斗君でも、私の部屋で寝るのは流石に無理。」


 「チッ、反抗期かよ。」


 「どこの家の妹も同じこと言いますー。」


 「夜中もゲームができる権利と兄を自分の部屋で寝かせる権利を天秤にかけて、悩む妹なんかいねえよ。」


 普通はノータイムで「絶対嫌!」って拒否するところを、断腸の思いで拒否する時点でどうかと思う。

 だが藍波の思考回路なら、これが普通なのだ。むしろ昔までの藍波なら、本当に俺の提案に食いついていた可能性すらある。



 ーーーそう、藍波は重度のゲーム好きなのだ。ついでに言うと、無類の漫画・アニメ好きでもあるのだ。


 「そりゃずっとゲームをしていられるって言われたら、それくらい悩むでしょ!」


 「いや、悩まん。俺なら寝る。」


 「はいはい、さすが海斗君だねー。」


 「生意気言うと、朝飯抜きにするぞ。」


 「うわ、職権濫用だよそれ。」


 「持てる権利を行使して何が悪い。」


 文句を言うなら、一人前に家事を一通りこなせるようになってから言うんだな。

 なんて会話をしていくうちに、いつの間にか藍波の表情はいつもの、黙っていればそれなりに可愛らしい妹のものに戻っていた。


 「ふん、海斗君と話してたら目が覚めちゃった。着替えて顔洗ってくるから、朝食作っててね。」


 「言われなくても作るっつーの。」


 「ちゃんと私の好きなスクランブルエッグもだよ?」


 「へいへい、さっさと着替えてそのぼさぼさの髪を直してこい。」


 最後に一瞬だけ笑顔を見せた妹は、俺の部屋から階段とトイレを挟んでさらに向こうにある部屋の中へと戻っていった。


 普段よりも2時間以上早い妹の起床をほんの少しだけ喜びながら、俺は妹のリクエストに応えるべく階段を下りていくのだった。


            *     *     *


 「朝ご飯食べたらまた眠たくなってきちゃったかも・・・。」


 「食べてすぐ寝たら太るぞー。」


 バターを塗った食パンとスクランブルエッグをペロリと平らげて、藍波はソファーの上で横になっている。最初は、普段は寝ている時間帯にやっているテレビ番組を見ると言って意気揚々とリモコンを手にしていたが、どうやらお気に召すものはなかったようだ。

 そんな無防備な姿の妹とは対照的に、俺はせっせと台所で食器洗いだ。ちゃんと台所からリビングの様子が一望できるようになっているのだが、基本的にここから見える景色はテレビ番組か、携帯ゲーム機を握りしめている妹の姿か、ギャーギャー騒いでいる兄の姿だけだ。


 「海斗君って本当デリカシーないよねー。」


 「何急に女ぶってんだ。女子アピールしたいんだったらその格好をまずなんとかしろ。」


 「えー、なんで家でまでしっかりしてないといけないの。」


 「じゃあ俺も、なんで妹にまでそんな気遣いしないといけないんだって言うぞ?」


 そう言うと、こっちをいつもより鋭い視線で見ながら藍波は渋々起き上がって乱れていた服を整え始めた。


 「だいたい、なんの部活もやっていない中学一年生が8時半に起きることを苦痛っていうことが少し疑問だけどな。」


 「しょ、しょうがないじゃん。金曜の深夜アニメは熱いんだから!」


 さっきまでぐでっとしていたはずの妹が、ほんの一瞬でスイッチが入ったようにシャキッと姿勢良く座って俺にその言葉通り熱く語ろうとしてくる。


 「別に録画して、あとで見ればいいじゃねえか。どうせ休みの日は暇なんだろ?」


 「そんなことしたら他の日に撮ったやつを見れないし、何よりゲームをやる時間が削れるじゃん!それに、あのアニメはリアタイで見るのが熱いんだよ!!!」


 はあ、いかん。努めてローテンションで会話をしようとしても、次々と地雷を踏み抜いていってしまっているせいで、一向に藍波のハイテンションが止まらん。


 「海斗君も見るべきだよ、『ブレイド・アーツ・ネットワーク』!あれは誰が見たって面白いって言うに決まってるし!今ちょうどいいところなんだから!!!」


 「あーはいはい。てか、それなら1話だけ一緒に見たじゃねえか。」


 「あれ、そうだっけ?逆にあの1話を見て、よく続きが気にならないね!?」


 なかなか眠りにつけなくて飲み物を求めてリビングまで下りていったら、ちょうど藍波がそれを見ている現場に遭遇したから、一緒に見ていたのだ。


 「だって結局、ああいうのって紆余曲折を経ながらも主人公が成長していくって感じだろ?現実味がなくて感情移入ができん。」


 「アニメに現実味を求めたらダメだよ海斗君・・・。」

 

 「生々しい日常を切り取ったアニメとかあったら、見てみようと思うかもしれんけどな。」


 「海斗君にしか需要ないよそんなアニメ・・・。」


 「それにああいうのって必ず最後はハッピーエンドだろ?都合が良すぎるじゃねえか。」


 「アニメがバッドエンドで終わったら後味が悪いじゃん・・・。」


 とまあこの通り、俺にアニメやラノベが合わない理由はこの会話一つで全てわかるだろう。この妹の顔を見ろ。さっきまであんなにハイテンションだったのに、すっかり干物のように乾ききった目になってしまっている。

 

 残念ながらこういうジャンルの人と話すと、常に相手の顔がこうなってしまう。それを俺は何度も経験してきたというのに、あの女は話してみないとわからないなどと世迷言を吐いて、俺が間違っていると決めつけてきたのだ。

 目の前に地雷が埋められているのがわかっているのに、その奥には宝物があるから取りに行ってこいと言われているようなものだ。これでは勇気を振り絞るとか、失敗を恐れないとかいう問題ではない。逃げるのが最善であり、諦めるしか手がないのだ。


 「どうして急に海斗君がイライラし始めるのさ。」


 「いや、藍波に怒ったわけじゃない。ちょっとした思い出しイライラだ。」


 「朝からずっとご機嫌斜めだね?そんなにうるさかったの、流渡君たち?」


 「まあそれもあるけど、別件だ別件。身の程も知らずに俺のポリシーにケチをつけてきた愚か者がいたのを思い出しちまっただけだ。」


 「うわー・・・、ちょっとイタいねその発言。」


 「お前にイタいとか言われたくないわ。」


 ちょいちょいオタク用語とか使ってくるお前の方がよっぽどイタいわ、とは流石に言わない。言えない。

 よし、なんとかイライラしながらも、一通り片付けと水回りの掃除は終わったな。次は掃除機だ。


 

 「あ、海斗君の携帯が鳴ってるよ?」


 「ん?なんだ、珍しいな。」


 LINEならともかく、俺の携帯に電話をよこす人なんか、ヒロと兄妹以外に思い浮かばないが。

 テーブルの上に置いてあった俺の携帯をとって渡してくれた藍波に軽い感謝の言葉を添えて受け取り、こんな朝っぱらから誰だという気持ちを込めながら、光っている画面を覗き込んでみる。


 「ってなんだよ、やっぱヒロじゃねえか。」


 画面上に表示されている弘正の2文字を確認し、その下部に緑色の受話器のボタンを触って耳を当てる。



 『おう、やっぱお前なら起きてると思ったぜ海斗。』


 スマホ越しで少し違って聞こえるが、この声は間違いなくヒロだ。


 「普通の学生でも、10時前なら流石に起きてるだろ。」


 『お前の普通は普通じゃねえっていつも言ってんだろ?』


 「それを伝えにわざわざ朝っぱらから電話をよこすほど、お前は暇人じゃねえよな?」


 スピーカーからは、明らかにヒロのものじゃない声もいくつか聞こえてきている。つまりあいつはすでに外出中ってことだ。


 『土曜の午前中は部活があるんだよ。んで今少し時間ができたから、昨日の放課後の結果でも聞こうかと思ってな。』


 「なんだ、結局暇人なのに変わりはねえのかよ。」


 『お前は今何を聞いていたんだ。部活だ、部活。』


 「部活に入りたての1年生が、部活中にも関わらず電話をかけられるくらいだから、相当暇なんだろ。」


 『相変わらずそういう洞察力だけはあるよなお前。・・・そうだ、張り切って学校に来たまでは良かったんだが、どうやら今日は中止になったみたいでな。』


 ははは、と電話越しにヒロの笑い声が聞こえる。ということは後ろの喧騒は、休日でもわざわざ学校に足を運んでいる生徒の声ということか。他の部活はやっているとかそんなところだろう。


 「いや、学校に着く前に気づけよ。」


 『いやー、キャプテンが体調崩したらしくてなー。指揮系統が誰もいないから中止ってことらしい。』


 「自主練とかすればいいじゃねえか。」


 『そうしたいんだけど、上級生がいない以上は勝手な行動はできない決まりらしいんだよ。』


 なんだ、やたらとこういうところには厳しいんだな、うちの高校は。最近できた高校だし、そういうルールも他の学校とは違うってことか。


 『ってことで俺は今から帰るから、その間に外出準備整えて駅で待っててくれや!そんじゃ!』


 「お、おい!!!」


 つーつーっとスピーカーから機械音が聞こえる。どうやら言いたいことだけ言って、勝手に電話を切ったらしい。


 「ったく、あいつは兄貴かっつーの・・・。」


 「どうしたの海斗君?電話口で叫ぶなんて柄じゃないのに。」


 「俺もそう思ってたんだけどな。」


 そもそも電話というもの自体、利用する機会が少ないんだけどな。

 えーと、学校から家の最寄の藤が丘駅までは、だいたい30分強。俺の家から駅までがだいたい10分くらい。ってことは自由に使えるのは20分ってとこか。


 「わりい、ヒロから急な呼び出しくらったから、ちょっくら出かけてくる。」


 「えー、海斗君がいなくなったらご飯はどうしたらいいの?」


 「昼はカップ麺でもすすってくれ。夕飯までにはちゃんと帰るから。」


 「私だけならまだしも、流渡君たちもいるんだよ?」


 「どうせ俺がいないってわかったらさっさと家から出ていくだろ。ほっとけ。」


 どうせずっと夜中は騒いでたんだから、もうしばらくは寝ているだろ。そんで起きたら適当にシャワーでも浴びて、すぐに外へ遊びに行く。結局あいつらの朝飯は作ってないが、もう知らん。残された時間で家中の掃除をしないといけないんだから、そんなことをしている暇は俺にはない。恨むならヒロを恨め。


 「じゃあ私は部屋にいようかな。」


 「ゲームもほどほどにな。適度に休憩をとって・・・」


 「わかってる!もう、海斗君は過保護なんだから。」 


 「だって眼鏡をかけないといけなくなると面倒だろ?」


 「その台詞も聞き飽きたから。ほら、急がないと遅刻しちゃうよ?」


 早く行けと言わんばかりに背中を押してくる藍波。俺は純粋に眼鏡女子は地味な印象をプラスしてしまう気がするから推奨しないというだけで、断じて過保護という訳ではないのだが。

 ・・・いや、でも眼鏡を取った後のギャップというのも悪くないかもしれん。うん・・・、そこまで悪くない・・・かもしれんな。


 「海斗君、何ぼーっとしてるの?急いでるんじゃなかったの?」


 「あ、ああ。早く掃除機かけねえと!」


            *     *     *


 「はあ!?吉川礼華ってあの同じクラスの特徴的な眼鏡の子だよな!?」


 「声がでけえよばか。誰に聞かれてるかもわかんねえんだからよ。」


 「お、おう、悪い。」


 駅近くにある喫茶店でコーヒーを飲みながら、俺は休日にも関わらず制服を着ているヒロに、昨日の放課後にあったあの出来事の一部始終を語っていた。誰か知り合いに聞かれていたら面倒だと思い周りを見渡してみたが、時間的にあまり店内は混んでいなかった。隣の席にお互いをニックネームで呼びあってニヤニヤしているバカップルがいるくらいだ。

 やはりヒロにとっても、俺が騒いでいた例の図書室の女子があの吉川礼華だったというのはなかなかに衝撃的だったようだ。


 「でも確かにあの子が眼鏡を取った姿って俺見たことないかもしれん。」


 「一応寝起きの顔なら見たが、とてもいつもクラスの隅っこで本を読んでるやつの顔と同一人物だとは思えんかった。」


 「まさかあのよくわからん眼鏡の裏には、海斗を唸らすほどの美貌が眠っていたとはな・・・。人は見かけによらんもんだ。」


 「その言い方はやめろ。体がムズムズする。」


 「お、おう、悪い。」


 とはいえ、ムズムズするということは遠回しにそれが事実だと肯定しているということなのだろう。昨日の朝や一昨日の夜ほどじゃないにしろ、今でもあの寝顔を思い出すと少し心臓が高鳴ってしまうし。


 「でも、その偶然に感謝だな!おかげで吉川さんとお近づきになれたんだろ?」


 「お前は昨日の朝の会話を忘れたのか?お近づきになんかなるわけねえだろ。」


 「お、おう、悪い・・・ってそれはおかしいだろ!?」


 一瞬流されそうになりながらも、すぐに異変に気付いたようだ。俺からすると何も変ではないのだが。


 「でも白瀬さんとは話したんだろ?いくらお前でも、その場にいる人間を無視することはしないと思ったんだけどな。」


 「俺だって別に話しかけられたら返すくらいはする。それをしなかったってことは、そういうことだ。」


 「あーもう、相変わらずめんどくさい話し方するなお前は。つまり、吉川さんからお前に話しかけられることがなかったから、お前も話すことはしなかったってか?」


 さすがはヒロ。長年のコミュニケーションを経て、ついに主語がなくても俺の意図していることを理解できるようになってやがる。


 「前以て言っておくが、吉川は寝ていたんだ。断じて俺に問題があったというわけじゃない。」


 「よくわからんがお前は結局、吉川さんが寝ている中、ずっと白瀬さんと話していただけってことか?」


 「よくわかってるじゃないか。そう、俺はただひたすらあの高校デビュー女と会話していただけだ。」


 悪意たっぷりに俺は白瀬のことをそう呼んでやった。だがヒロはそれを好意的にとったようで、明るい笑顔を向けてきた。


 「いやー、吉川さんのこともびっくりだが、高校初日に白瀬さんを見たときもびっくりしたよな!こう言っちゃなんだが、あんまり華のある感じの子じゃなかったのに、まさかあそこまで可愛くなるとはな!」


 「見た目はともかく、中身までしっかり変わっちまってるしな。」


 「そうそう!学級委員にまで立候補してたし、クラスの誰とでも話せるような物腰の柔らかさもあるしな!すっかりクラスの中心人物になっちまってる。」


 「自分の主張を押し付けてくる面倒な女だけどな。」


 「高校入ってすぐで、みんなもそんなに積極的じゃないだけだろ。最初はああいう意見をはっきり言ってくれるリーダーみたいな人がいてくれる方が、クラスも円滑に回っていいじゃねえか。」


 「自分が正しいって信じてて、他人の意見なんてまるで聞こうとしないけどな。」


 「・・・なんかあったん昨日?」


 まるで信者の如く褒めまくっていたヒロが、ついに何かがおかしいということに気がついたようで、呆れ顔で俺に事情の説明を要求してきた。


 ということで、第2の本題に移るとしようか。



            *     *     *


 「いや、お前が100%悪いだろ。」


 「どうしてそうなる!?」


 「そりゃだって、白瀬さんが言っていることが的を射ているからな。」


 俺の口から当時のあの白瀬とのやりとりを説明したというのに、それでもヒロは10割俺に非があると言いやがった。普通に聞いていたら白瀬が悪者に聞こえるように少し話を盛ったし、何よりヒロは俺の頭の中を全て理解しているだろうという自信があったから、絶対に俺と同じ意見になると思っていたのだが。


 「俺の考えのどこが間違ってるってんだよ?」


 「いやだから全部だよ。」


 「はあ!?全否定かよ!?」


 「じゃあ一個一個説明してやろうか?まず、吉川さんと一言も話したことがないくせに、いかにも「俺はあいつのこと全部知っています」的な考えでいること。」


 「あいつはラノベ好きで、どんなときもラノベを読むしか能がない人間だろ?そんな人間と話せることなんてない。」


 それは今朝の藍波との会話でより強く思い知った。やっぱり俺は2次元というものに適応できる頭の持ち主じゃない。あいつらとは根本的に考えが合わないのだ。


 「別にお前が共通の趣味を持っている必要はないだろ。それこそ藍波ちゃんの話でもしてやればいいじゃねえか。同じ趣味の妹がいるって言ったら、少しは会話も弾むだろうよ。」


 「それのどこが楽しい会話なんだ?そんな上っ面の会話のどこに面白みを感じるってんだ?」


 仮に俺が見ず知らずの誰かから、「私の弟もあなたと同じ趣味を持っているんですー」と言われたところで、「へーそうなんですかー。」で終わる。その誰かに興味がなかったら、その誰かの弟に興味が湧くことなんてありえないからな。


 「・・・お前、この数年で会話のイロハすら忘れたのか?共通の話題から入るってのはテッパンだろ。それが仮にお前の妹の話だったとしても、そこからお前自身に興味が湧くかもしれないじゃねえか。」


 「それで最終的に価値観が合わなくなって終わりだ。時間の無駄だろ。」


 「そんなもんやってみねえとわからねえだろうが。趣味がラノベだけじゃねえかもしれねえ。性格だって話してみたら全然違うかもしれねえ。」


 「期待するだけ無駄だろ。また期待して裏切られる方が・・・」


 「ーーーお前はまだ何もあの子のこと知らねえだろ!?」


 机に身を乗り出し、威圧的に俺の方を見てくるヒロ。机の上に置いてある2人分のフラペチーノが、その衝撃で少し揺れている。

 ・・・これでは、位置関係が少し違うだけで昨日の夜の白瀬とのやり取りの再現だな。


 「お前までそういうこと言うんだなヒロ。お前も俺に地雷原の中に生身で突撃しろって言うんだな。」


 「何バカ言ってんだ海斗。お前が勝手に地雷があるって思い込んでるだけだろ。」


 「・・・そうか、もういいよ。」


 ヒロの手に引っ掛けられるのを恐れて、俺はまだ半分以上残っている自分のフラペチーノを手に持つ。


 もうこれ以上、俺からは何も言うことはない。

 これはもう完全な価値観のズレなのだ。一生話し合っても分かり合えることはない。


 そんな俺の様子と、周りの他の客からの視線を集めている事実にようやく気付いたからか、ヒロは静かに椅子に座りなおし、ヒートアップした頭を冷やすように、自分のフラペチーノをストローで吸い上げていった。


            *     *     *


 その後は、互いが互いのスマートフォンに釘付けになる時間が訪れた。その間に会話を交わすことはなく、隣に座る色ボケカップルのキャッキャッした会話が一言一句漏れることなく聞こえてくるくらいの静寂が支配していた。

 唯一、正面から聞こえてくるのは、LINEを受信したときに聞こえてくるピコンという音だけ。それも多少鬱陶しく思うくらい、結構頻繁に聞こえてくる。

 どうせ、榛名に愚痴のLINEをしているか、サッカー部のLINEグループが機能しているかのどっちかだろ。いや、この着信音が鳴る頻度の高さ的にグループLINEの線が高いか。ま、両方という可能性もあるが。


 俺はと言うと、スマホを眺めているふりをして晩飯の献立を考えていたり、兄貴と凌太先輩はあれからどうしたのかを考えたりと、生産性がないようなことばかり考えていた。

 正確には、生産性がないようなことを意識して考えるようにしていた。・・・そうでもしないと、ヒロにも白瀬と全く同じことを言われたというダメージがじわじわと効いてきそうだったから。 



 正直に言うと、ヒロにまであんなことを言われるとは思っていなかった。俺のことならほとんどなんでも知っているヒロなら、俺のこの考えに賛成するとまでは言わないが、否定することまではしないと勝手に思っていたから。かつて俺に何があったのかを全て知っているヒロなら、この考えを口にしても納得してくれると思い込んでいたから。


 でも俺は間違っていないはずだ。だってこの道を進めば、誰も傷つけないし俺も傷つかないのだから。

 もしかしたら。本当に僅かだとは思うが、吉川と仲良くなれる可能性を秘めているかもしれない。100%ないとは俺も言い切るつもりはない。だが、そうならない可能性のほうが圧倒的に高い。そしてそうならなかった場合、高確率で俺は傷つき、吉川もいい気分にはならないだろう。

 そんなリスクを背負いながらも、その僅かな可能性にかけて一歩進もうという気持ちには俺はなれない。・・・少しでも気になってしまっている人から、こいつと話していてもつまらないと思われたくない。上っ面だけ仲良くなって、後に拒絶されるくらいなら、最初から関わりたくない。


 そう思う俺の気持ちは決して間違っていないはずだろ?百歩譲って、白瀬のように俺が間違っていると言う人がいたとしても、ヒロだけは。・・・ヒロだけには理解してもらえると、そう思っていたのだが。


 

 そんなことを考えていると、さっきまでピコピコ鳴っていたスマホと睨めっこをしていたヒロが、いつの間にか空になっていたカップを持って、突然立ち上がった。気づかれないように視線だけでその動向を追っていると、青色の男の人と赤色の女の人のシルエットがついた標識が示す場所へとたどり着いた。一言くらいかけていけとは思ったが、今の冷戦状態を考えるとそれもおかしな話か。


 いつの間にかあの隣に居たバカップルも消えていたし、ヒロがいなくなったことであの煩わしいピコンピコンも聞こえなくなったことで、本当の意味で静寂と心の安寧が訪れた。

 すると無意識に、昨日と合わせて通算何度目になるのかわからない溜め息が漏れた。溜め息をつく度に幸せが逃げていくという迷信を信じていたとしたら、俺は今頃不幸の塊と成り果てているだろう。


 目の前にあった威圧感から解放されてようやく堂々と頭を上げることができるようになったので、ここで辺りをぐるりと眺めてみると、随分と長い間沈黙の時間を過ごしていたことに気づかされた。入店時にはガランとしていた店内も土曜日の昼時になったことで見事な賑わいを見せており、空いている席はさっきまでいたバカップルの席のみになっていた。確かに今の期間限定のフラペチーノは前評判が良かったし、この繁盛ぶりもわからなくはない。

 イートインなのかテイクアウトなのかまではわからないが、レジにもそれなりの列ができている。これでは、隣が埋まるのも時間の問題だろう。俺の飲み物も残りわずかだし、ヒロが帰ってきたタイミングでここを離れるべきか。『心落ち着かせられるひと時を」を店のコンセプトに掲げている以上、長居したところでそこまで白い目で見られることもないだろうが、話もせずにひたすら男子高校生がスマホをいじる絵面を続けたって誰も得しないしな。



 「隣、空いてる?」


 そんなことを考えながらぼーっとしていると、突然声をかけられた。


 慌ててその声の方向を振り向くと、そこには眼鏡をかけた女子高生と思わしき小柄な女の子が、さっきまで俺たちが飲んでいたのと同じものを持って立っていた。


 「え、あ、はい。空いてると思いますよ。」


 「・・・そうですか、どうもです。」


 自分で聞いておいてなぜかあまり興味なさげな態度を示したそのJKは、こちらに軽く会釈して俺の対角線上にある椅子にさっさと1人で座った。

 隣の席には何か物が置いてあったわけでもないのに、どうしてわざわざ確認をとってきたのだろうか。パッと見、そこまで社交性なんて感じられないし。ただ、顔立ち自体はかなり整っている印象だった。いくら対角線上にいるとは言え、あまりジロジロ見ていると変態扱いされそうだからやめておくが。

 普通のロゴ付きの白い長袖Tシャツに、7部丈くらいの黒いハイウエストのパンツを身につけた、茶色っぽい黒色の髪のその女子は、そのままポケットからスマホを出して、さっきまでの俺みたいな状態になった。

 

 するとしばらくもしないうちに、またあの音が聞こえてきた。ーーー例のピコンピコンだ。

 なんで最近の若者はマナーモードにしないんだ?そんなに自分が今LINEをしているということを世の中にアピールしたいのか?これ以上その音を聞いたら、ノイローゼになりそうだなおい。


 まあここから去るつもりでいたわけだし、さっさと残りを飲み干して帰る準備をしよう。


 「ねえ。」


 そう思い、ストローに口をつけたとき、なぜかまたこちらに向かって声がかけられた。気づかなかったフリをして一度やり過ごそうかとも思ったが、横目にちらりと映るそのJKは間違いなくこちらを向いている気がする。


 いや、なんで?


 「な、なんすか?」


 戸惑いを前面に出しながらとりあえず返事だけはしてみる。ここでようやくまともに視線を交わしたわけだが、これが意外と可愛い感じの女子だ。小動物のような愛くるしさを感じさせながらも、メガネをかけていることでどこか大人びた雰囲気も醸し出す不思議な雰囲気の少女、といった感じ。


 「せっかく隣に来たのに、何か言うことはないの?」


 だが不思議なのは、その発言内容もだった。それなりに高いのにどこか落ち着いた印象を与える声。俺の好きな部類の声で一瞬テンションが上がりそうにはなったが、それ以上に別の感情が湧き上がってくる。

 そんな今の俺の感情を一言で表すならやはりこれだ。


 だからなんで???



 「えーっと、もしかしてあんた、この喫茶店に出会いを求めに来ている感じの人っすか?」


 なのでとりあえず真っ先に思いついた可能性を口にしてみる。


 すると今度は、先ほどまでとはわかりやすく不機嫌になった表情を見せた。

 そしてしばらくの沈黙の後、


 「・・・はあ?」


 と少し殺気が混じった言葉が返ってきた。その間にも彼女のスマホはピコンピコン鳴っていたが、視線を一瞬向けるだけで返信しようとする気配がない。


 え、俺が悪いのこれ?なんかいけないことでも言ったか?

 とりあえず謝ったほうがいい流れか、これ。


 「あ、いや。違ったなら申し訳ない。ただ今時、見知らぬ男子に平気で話しかけてくる女子学生なんているんだなと思っただけでだな・・・。」


 って何言い訳がましいような発言してるんだ俺。このまま放置するのはどうも得策に思えなかったってだけなのに、なんかこれだとただの惨めなやつじゃねえか。


 「・・・ああ、なるほど。なんか聞いていた話と全然違うと思ったからどういうことかと思えば。ーーーあなた、すごいわね。」


 その必死に見える弁解の甲斐があったのか、そのJKは若干呆れ気味に俺の方を見て、半笑いでそう答えた。

 全く褒める意図を感じないその賞賛の言葉に何か言い返そうかと頭を回していると、彼女はさらに言葉を続けてきた。


 

 「わざわざ土曜の朝っぱらに叩き起こされたと思ったら、いきなりここに来てあなたの相手をしろって言われたのよ?そしたらまさかその相手に、私のことが誰かわからないって言われるなんてね。・・・たしかにちょっと面白そうな人ね、イガグリ君。」


 そう言いながら、スマホで何やら打ち込み始めた。と言うか、俺の相手をするためにここに呼ばれたってどういう意味だ?そもそもイガグリ君ってなんだ。


 

 「あっははは!いやー、流石にこの流れは予想外だよ、栗生君。」


 「ああ、せっかくどんな反応が見られるか楽しみにしてたってのによ!誰かわからないってオチがあるかよ普通!?」


 そのJKの謎の言葉に頭を混乱させていると、急に別の場所から2つの声がした。

 今朝の凌太先輩にも負けないくらいのスピードで、その声がした方向に振り返る。


 するとそこには、トイレに行っていたはずのヒロと、



 「・・・おい、あんたがなんでここにいる、白瀬。」


 白いシルクのワンピースにジージャンを着た白瀬美桜が並んで立っていた。


 「倉田君の手引きよ。無理言ってあなたたちの居場所を教えてもらったの。」


 「急に白瀬さんが俺たちに会いたいって言ってきたから教えただけだ。そんで、お前と吉川さんを2人きりにしてみたいって提案を受けたから、急いでトイレに避難したっていうのに、お前ときたら・・・。」


 白瀬は気まずそうに、ヒロは額に手を当ててやれやれと言わんばかりにしている。


 ん・・・、吉川さんを2人きり・・・?




 吉川さんと2人きり!?


 

 頬杖をついて俺の様子を見ていたそのJKは、つまらなさそうにかけていた眼鏡をとって、俺にこう告げる。

 

 

 「初めまして、吉川礼華です。とでも言ったほうがしっくりくるシチュエーションかしらね、栗生海斗君?」

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