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1-1.運命の出会いを果たしたからって、そこから幸せな未来が待っているとは限らない

 

 共通の趣味を持っていると、それだけでその人との距離を詰めるスピードを段違いに早めてくれるし、その人の記憶にも残りやすい。性格や考え方が違えばその限りではないが、強い絆というのはその共通の趣味がある人たちの間で生まれやすいものだろうと俺は考えている。


 裏を返せば、共通の趣味がなければその人と仲良くなるのは途端に難しくなるし、友達のその先を目指すことはほぼ不可能と言っていいだろう。せいぜい「よっ友」くらいで止まるのがオチだ。広く浅い交友関係を望むならそれでもいいんだろうけど、よっ友はよっ友で扱いに困るから、増やしすぎるとかえって面倒くさい。


 つまり、共通の趣味、百歩譲ってもその趣味に興味があるくらいのレベルじゃないとその人と深い仲にまで進展することはできない。そういった仕組みが働いているから、自然と人間というのは自分と共通の趣味を持つ人間に惹かれ、グループを形成していくのだ。


 逆にこの理から外れ、無理やり全く趣味の合わない人間と付き合おうとすると痛い目を見る。そもそも会話自体が成り立たない可能性だってある。そんな人と仲良くなろうとするなんて、茨の道を行くが如しだ。

 ましてや、それが自分が気になっている異性なのだとすると、それは茨の道どころか毒沼と化すだろう。


 よって、そんなことは不毛。


 やる価値がない。

 

 無駄。

 

 時間の浪費だ。


 

 そうやって栗生海斗(くりゅう かいと)はこの15年間を生きてきた。


 

 生きてきたのだが。


 

 高校1年になっておよそ1ヶ月ほどたった5月初頭。その固いポリシーは今、崩壊の危機にあった。



            *     *     *


 「じゃあ、俺とお前の関係性って何?そもそも趣味が無いお前がそんなこと言ったら、一生友達なんかできねえじゃねえか。」


 「あれはあくまで一般論だ。俺の中での一般論が形成される前からお前は近くにいたんだから例外だ、例外。」


 「いやあ、お前の理論って都合良すぎだろ・・・。」


 制服を着た学生にスーツを着たサラリーマン。この世の経済を支え支えていくビッグファクターが揃い踏みしている、この地下鉄という乗り物での通学にようやく少し慣れてきた今日この頃。この通学生活が始まってからまだ一度も朝のこの時間に座席に座れた試しのない俺は、幼稚園からの腐れ縁である弘正(ひろまさ、通称ヒロ)と並んでつり革を必死で握りながら、学校の最寄駅に到着するのを待っている。


 「それに俺は一言も会話をする気がないとは言ってない。話しかけられたらちゃんと会話には応じるし、クラス行事があったら協力だってする。」


 「それをしないって言うならそれはもう社会不適合者だっつーの。ほら、着いたし降りるぞ。」


 同じ制服を着た学生たちの流れに乗るように俺たちは電車から降り、改札を通り過ぎる。ここから歩いて10分もすれば、俺たちが通う見月原高校が見えてくるのだが、意外とその道のりが険しかったりする。


 「んで、家を出てから数十分くらい延々とお前の御託を聞いたわけだけど、いつになったら話の核にたどり着くんだ?」


 「いや核とかないけど。改めてこのスタンスを高校でも貫いていかないといけないと、身を奮い立たせていただけだ。」


 「嘘つけ!今日会った時からずっとなんかモジモジしてんじゃねえか!さっさと言えっつーの!」


 その険しい道を進むのは、あまり筋肉がない俺にとっては毎朝訪れる憂鬱なイベントだ。そのイベントがこれからまた始まるというのに、それをどうでもいいと思ってしまうくらいに、俺にはずっと考えていることがある。心の中にずっとそれがモヤモヤと居座り続けていて、昨日の学校の帰り道から今に至るまで大暴れしているのだ。


 ずっと瞼に焼き付いていて離れない光景。その時に見た光景が、ずーっと俺の頭を悩ませているのだ。


 「実はだな・・・。」


 「何を朝からそんなに大きな声を出してるの?」


 ようやくここでこの頭の中の景色をアウトプットしていこうという時に、耳馴染みがあるクールな声が後ろからかけられた。


 「おう、おはよう志織。こいつがいつになく煮え切らない態度をとってるからいい加減にしろって喝を入れてたとこだ。」


 「ふーん、栗生が悩み事なんて珍しいわね。何でもかんでも自分のルールに当てはめて自己解決するから、悩むことなんてないって思ってたのに。」


 突如現れてサラッと会話に入ってきたのは、中学からの知り合いの榛名志織(はるな しおり)。女子でありながらそれなりに高身長で、170ちょいあるはずの俺とそこまで目線の高さが変わらない。春風になびく長髪とこの端麗な顔だけを見ていると普通の清楚系の美少女だが、あまり人当たりがよくなく、少し攻撃的に聞こえる言葉遣いをするのが玉に瑕だ。


 「その自分のルールにちょっと外れそうになっているからこうして悩んでんだよ。」


 「ああ、そういうことかよ。通りでそのルールとやらをやたらと熱く語ってくるなと思ってたら。」



 そう、昨日の放課後に事件は起きていた。


            *     *     *


 「かいさーん!」


 帰りのホームルームが終わり、ざわめきに溢れる1-A。クラスの中心グループの男女が放課後に遊ぶ約束をしていたり、各々が所属する部活に向かったりしている中、とくに部活に所属しているわけでもなく、下校途中にどっか寄る約束をするような友達もいない俺は、適当に宿題をやってから帰ろうと思い図書室へと向かった。


 学校のあらゆる喧騒から解放された空間である図書室は、勝手に心を落ち着かせられる場所という認識があって、まだ通い始めて1ヶ月足らずの見月原高校の中でも屈指の名スポットに認定している。


 窓際の席を陣取って、そこから最初の30分くらいは集中して宿題をしていた。だが、ちょうどいい室温に保たれた部屋の中で、窓から差し込む程よい春の日差しを浴びていると、いつの間にか頭がふわふわした気持ちになってきて、気がついたら寝てしまっていた。

 図書室の窓から外を見ると、すでに外は夕暮れ時で、綺麗な夕焼けが差し込んできていた。


 「ふああああ。すっかり寝ちまってたか。」


 誰にも聞こえないような声でそう呟いてのろのろと、覚醒しきっていない状態の頭で俺は帰りの支度を始めた。こんな遅い時間だからもう誰もいないはず。そう思ってふっと隣を見たら・・・。


            *     *     *


 「ーーーいたんだ。」


 「いや別に、お前がいないと思い込んでただけって話じゃねえか。それで人がいたんですよ!とか言われたってあっそって感じだわ。」


 「ちげーよ、そういうことじゃない。」


 「もったいぶらないでさっさと話しなよ。何がいたの?」




 「ーーー目を奪われるほどの美少女が寝ていた。」


 

 「・・・・・・・。」


 「・・・・・・・。」


 「いやなんか言えよ!?」


 その『うわー、なんか言ってるわこいつ』みたいな目をやめろ。


 「あんたってさ、今まで変わったやつだとは思ってたけど、こういうベクトルで変なやつだったとは思わなかったよ。」


 「うんうん、よくも悪くも他人をそんな風に言ったことはなかったよな。」


 「待て、お前らが言いたいことは俺にもよくわかる。柄でもないことを言っているという自覚はある。でもあれを見たら、きっとお前らだって同じことを言っていたはずだ。」


 話す前から、こうして実際に見れた者と見れなかった者の間で温度差が生まれることは想定済みだ。もしヒロと俺が逆の立場だったら、もっとひどいことを言っただろうという自信がある。


 

 でも実際に見た者からすると、あの景色を共有することができないことが心底残念に感じるほどの衝撃があった。


 人間の睫毛ってこれほどまで伸ばすことができるのかと思うくらいに長い睫毛。太陽光に当てられて輝く焦げ茶色の髪。ギリギリうなじを隠しきれていない程度に揃えられた髪。一切化粧をしていないだろうに妙に艶のある唇とほんのり赤みがかった頰。


 どのパーツをとっても欠点が見当たらない。まさに完成された可愛さだと思った。



 「まあでも、これだけこいつが馬鹿騒ぎをしているのは、マジで小学生時代に5教科全部で90点以上取ったとき以来かも知れねえぜ?」


 「そもそもこれを馬鹿騒ぎと呼ぶこと自体に違和感があるんだけど。良くも悪くもこれが普通の男子高校生のテンションなんじゃないの?」


 「いつからこいつが普通の男子高校生だと錯覚していた?」


 「わかってはいたけど、やっぱり変よねあいつ。」


 そもそも別に友達でもなんでもないあんたがここまで俺のことを知っていることが変なんだよ。

 と言いたくなったが、空気が悪くなりそうな気がしたから流石にやめた。


 「それよりその寝ていた美少女って誰なんだよ?図書室で寝ているんだからこの学校にいるんだろ?」


 「それがわからないんだよ。」


 「わからないってことは、上級生ってことか?」


 「いや、上履きの色が同じだった。だから十中八九、同級生だ。」


 「なんで同級生なのにどこの誰なのかわからないのよ。」


 「入学してまだ1ヶ月程度の段階で、どうして同級生全員の顔を覚えられると思っている。」


 40人ずついるクラスがAからFまであるってのに、覚えられるかっつーの。俺たちを除いても残り237人いるんだぞ。


 「なるほどねえ・・・。その美少女の寝顔が頭から離れてくれないと。」


 「言葉にされるとなんだか変態みたいな響きだな。まあ間違っちゃないが。」


 「じゃあ今日一日使って探そうぜ!そのお前の心を射抜いた可愛い同級生とやらを俺も見てみたいしよ!」


 「いや、そこまではしなくていい。」


 「はあ?なんでだよ。お前だって気になるだろ?そんなにご執心なんだったらもう一回会いたいだろ?」


 「そりゃそうだが、もう一度会ったところでそれは無意味だ。」


 人間の本能のままに動こうと思うのなら、確かにヒロが言っていることを行うのが正しい。

 でもそれは俺、栗生海斗のルールに則って動くと言うのなら、それは間違った行いだ。


 それはなぜか。



 「俺と彼女の趣味は間違いなく合わない。よって、恋人になるのはおろか、友達になることすら難しいからだ。」


 

 「・・・・・・」

 「・・・・・・」


 「いや、だからなんか言えよ!?」


 「ヒロ、よくあんたのその価値観でこの男とずっと一緒にいられるわね?」


 「ああ、ここまでの重症患者だとは思っていなかったからな。でも今日からは一歩距離を置いてみようかと真面目に検討している最中だ。」


 「そう結論を早まって出そうとするな。俺だってしっかり1日悩んで出した結論なんだ。」


 「早まった結論を出してるのはどこのどいつだ・・・。」


 そう、俺は昨日の帰り道からさっきヒロに会うまでの時間の全てをこの命題に捧げたのだ。晩御飯の途中も、風呂の中でも、暇つぶしの動画鑑賞の時も、ベッドに入ってから眠りにつくまでの時間も。ずーっと、あのスヤスヤと寝息を立てる天使のような寝顔を持つ女の子のことを考え続けていたのだ。


 放課後の図書室で一緒に寝るなんていう偶然を共にした女子だ。きっと俺と思考回路もさぞかし似ているに違いない。きっと仲良くなれるんじゃないかと最初は思ったんだ。


 それでもその期待はあっけなく裏切られてしまった。そう、なぜなら、



 「彼女の周りに、大量のライトノベルが積まれていたんだ・・・。」




 「「・・・で?」」


 「無理だ、そんな女の子に話しかけたって仲良くなることはできん。」


 残念ながら俺はオタクではない。もちろんそういう文化があるってこと自体は知っているが、あいにくと俺はそう言った分野には全く興味がない。ゲームもほとんどやらないし、アニメだって子供の頃に見ていた程度だ。とてもじゃないがオタクと名乗れるほどではないし、あんな学校の図書室でおおっぴらに隣でラノベを大量に積んで読み耽ることができる人と会話など続くはずがない。

 つまり世界が違う。世界が違う人間に話しかけるという行為そのものが間違っているのだ。


 と頭ではわかっているつもりだ。そしてそれがきっと正しいと信じてもいる。でも身体のどこかでそれを否定したがっている自分がいるのだ。

 だから改めてさっき自分のルールを再確認したのだ。声に出し、他人に説明することで自分の行動原理はこうであると自分に釘をさすように。


 

 「・・・俺ら、先行ってるわ。」


 「そうね、こんな奴の相手なんてするだけ時間の無駄だわ。」


 「え、ちょ、おい!」


 だがやはり俺のルールはなかなか他人には理解してもらえない。

 それは10年以上の付き合いにもなる幼馴染ですら例外ではないようだ。


 なんとか右手を伸ばしてみるが、2人はスピードを上げて俺の先をさっさと歩いて行ってしまった。薄情者どもめ。困っている人間を見捨てるなんて鬼畜の所業、流石の俺でもしないぞ。


 だが、悲しい気持ちにはなったが、冷静に考えるとこれはこれで良かったのかもしれないという気持ちにもなった。


 

 なにせあの2人は、すでに付き合い始めて2年以上にもなる熟練カップルなのだから。


            *     *     *


 人間の代表的な欲求として、睡眠欲、食欲、性欲とあるように、恋愛をしたいと思うのは決しておかしな感情ではないはずだ。ならば、その当然の欲求を、自分個人が勝手に作り出したルールによって抑制しようとするのは人間として間違った考え方なのだろうか。

 仲睦まじそうにとは言えないが、互いに互いを理解し合っているかのように、並んで目の前を歩き去って行った2人を見てわずかにそんな気持ちが芽生え始めてきていた。今まではあの2人が並んで歩いている姿を見たって心ひとつ動かされなかったというのに、なぜか今日に限ってはモヤモヤが支配している心にチクリと痛みが走ったような気がしたのだ。その理由は全くわからない。だがそれに呼応するように、心はよりあの美少女にもう一度会いたいという気持ちを強くさせていた。


 が、そうして1人黙々と無心に考え事をする時間は、自分の下駄箱が見えてきた時点で終わりを迎えた。

 

 比較的できてからまだ新しいこの学校はそれなりに設備も整っていて、校舎もなかなかに広い。3階建てでしっかり各学年ごとにフロア分けがされているのは他の学校と変わらないだろうが、冷房暖房が各部屋に配備されていて、食堂も600人は収容できそうな広さを誇っている。ほとんど汚れのない綺麗な白色に染められた壁には、よくありそうな「〇〇参上!」とか「〇〇♡〇〇」とか「〇〇 was here, 2020 3月9日」みたいな低レベルな落書きは見当たらない。


 グラウンドには、頑張れば野球とサッカーを同時にできそうなスペースがあるし、テニスコートもある。体育館は第一第二と2つあるし、主要な運動部は一通り揃っていると見ていいだろう。ヒロもすでにサッカー部としての活動を始めている的なことを言っていた。

 その代償として、駅からそれなりに歩かないとたどり着かないような場所にあるというデメリットがある。俺からすると、メリットとデメリットが半々くらいか。


 

 下駄箱のロッカーを開けて、だいぶ自分の足に馴染んできた上履きと、4月におろしたばかりの年季がまだ入っていない靴を取り替える。上履きに緑色の線が入った模様は1年生の証だ。この色が自分のものと一致していたから、昨日の夕暮れの美少女が自分と同級生だとわかったというわけだ。


 朝礼開始の5分前ということもあり、校内はすでにたくさんの学生たちでいっぱいだ。そのたくさんの学生たちが予鈴が鳴ったと同時に、自分たちのクラスに戻り始めていた。


 その流れに乗るように俺もまた「1-A」の表札がある部屋に入る。


 クラス内にはすでにこの1ヶ月でグループが出来上がっており、その中でもいわゆるトップカーストに君臨する女子グループが教室の入り口周辺でたむろしている。キャーキャーと昨日のドラマの話題で盛り上がっているようだが、もう少しボリュームを落とせないものだろうか。いきなり甲高い声を浴びせられる身にもなってほしい。

 でもそれは性別というよりはカーストによるものだろう。現に今度は教室の後ろの方でたむろっている男子のトップカースト組がこれまた大声をあげてゲラゲラと笑い声をあげているのだから。いや、これはカースト云々というより知能指数の問題なのか?まあ、どうでもいいことだ。 

 

 しっかし、部屋の隅には大人しそうに1人で朝から本を読んで過ごしているやつだっているというのに、どうしてここまで差が出るものなのか。別に群れるなというつもりはないが、自分たちの輪の中に入ってない人たちのことも少しは考えてみてはだろうだろうか。

 と直接伝えたところで、どうせ友達がいない人間のやっかみだと一蹴されるのがオチだろう。人と話すこと自体はそこまで嫌いではないが、そんな内容で会話をしたいとは思わない。まあ人間誰だってそう思うだろうが。


 結局、何かアクションをとるわけでもなく、俺は真っ直ぐ自分の席に辿り着く。すると、一足早く自分の席についていたヒロが、真後ろの席に座った俺を見るなり、絡んできた。


 「よう、少しは頭が冷えたか?」


 「5月の頭だぞ?冷えるどころか湧いてくるわ。そもそも冷やす必要があるほどヒートアップもしていない。」


 「はあ・・・お前ってやつは本当に。」


 頬杖をつきながらつまらなさそうにため息を吐き捨てるヒロ。


 ちなみに、ヒロのフルネームは倉田弘正(くらた ひろまさ)という。だから俺たちは同じクラスになった場合、大抵出席番号は隣同士だ。入学してまだ間もないこの時期はだいたい出席番号順に座らされるから、俺たちはだいたい席順が前後になる。それが幼稚園の頃からずっと今まで続いているんだから、そりゃここまで深い仲にもなる。


 「でもま、あれが誰だったかを知るくらいの努力はしてもいいとは思い始めてきた。」


 「お、やっぱりちょっと頭冷えてんじゃねえか。そうこなくっちゃな!」


 「なんでお前がテンション上がってんだ。」


 「そりゃあ、お前にあそこまで言わせた美少女とやらどんなやつなのか気になるからな。よし、そうと決まれば早速行動だ!」


 「あほ、もうすぐ朝礼だ。座れ。」


 意気揚々と立ち上がる目の前の快活児の両肩を上から押し込んで椅子に座らせる。


 「じゃあこれから各休み時間になったら順番にクラスを回っていくぞ!」


 「あほ、今日は体育と移動教室があるから無理に決まってんだろ。昼休みも使えば充分に時間はあるんだから焦るな。」


 「なんだ、半日くらいずっとご執心だった割には随分と冷静だな。」


 「正直、見つけたところで何も変わらないだろうってわかってるからな。」


 「・・・まあ、本当にそうかどうか楽しみにしてるわ。」


 なんだ、また一段と深い溜め息が待っているかと思ったら、謎の含み笑いを浮かべてすっと前に向き直っていった。そのなんでも俺はお見通しだぜ感が漂う背中を見ていると、なんか少しイライラしてきたな。


 ということで後ろに座れる特権の1つである、背中にシャーペンの芯を突き刺す攻撃をお見舞いしてやった。

 すると、目の前の憎たらしい男は、一瞬ビクッと身体を揺らしながら、後ろにも聞こえるような音で大きな舌打ちをした。その様子を見て俺は少しだけモヤっとしていた心がスカッとした。


            *     *     *


 うーん、どうしてだ。


 そんな言葉を心の中で呟きながら、俺は教室のとは違い長めに作られている机に突っ伏せる。この方法なら、わざわざ自分から探しに行かなくたってターゲットに接触できると思っていたのだが、どうやらそれは失敗に終わったようだ。

 というより、よく考えたら昨日がイレギュラーだったと考えるべきだ。俺は割と結構な頻度でこの時間はここで過ごしているのに、昨日を除いて一度たりともあのような女子生徒は見たことがなかったのだから。ここにくる可能性自体そこまで高くなかったのだ。


 しかし、上履きの色を見間違えたという可能性は限りなくゼロに近いと思っていいはずだ。この目ではっきりと彼女の上履きに俺のと同じ緑色の線が入っているのを見ているのだから。寝ているのをいいことに、何回も自分と彼女の上履きを見比べもした。まちがいない。ほぼ100%同級生のはずだ。


 じゃあどうしてどのクラスにもその子の姿はなかったのか。その説明だけがどうしてもつかない。たまたま欠席しているのかと思い、ヒロがこの1ヶ月で築いた人脈と同小同中だった奴らの力を使って、全てのクラスの出欠の状況を確認したが、珍しいのか珍しくないのか今日は俺らの学年の女子生徒は1人も欠席していなかった。

 

 そして最終的にヒロが、俺が上履きの色を見間違えたか、あるいは寝起きで幻を見たかどちらかだという結論を出して、一日がかりで行った夕暮れの美少女捜索作戦は終わりを迎えたのだった。


 昨日から本格的に部活が始まったヒロは放課後が空いていないので、今日もこうして1人放課後の時間を使っていたのだが、残念ながら昨日のような結果は得られなかった。


 

 でも別に、会ったところで会話をしようという気はなかった。ただもう一度会えば、この自分のモヤモヤした気持ちに決着をつけられるんじゃないかという心持ちだったのだ。でも、今日1日どのような手を尽くしても会えなかったことで、かえってこの心のモヤモヤは激しさを増してしまった。

 だが、かと言って今も言ったように打てるだけの手はすでに打ってしまったのだ。ここでどんな気持ちになろうと、もはや俺の欲求は満たされることはない。


 「はあ・・・、帰るか。」

 

 今日1日で何度溜め息をついたのだろうか。他人につかれた数も含めれば人生の溜め息回数ランキングは間違いなく更新していると思う。


 そんなどうでもいいランキングを作ってる間に、さっさと俺は図書室を出た。この時の自分はきっと、この心のモヤモヤの中にはイライラが相当な割合を占めていることに気づいていなかっただろう。まさかこれほどまでにあの美少女にもう一度会いたいと願っているとは、自分自身も思っていなかったのだから。


            *     *     *


 こうして俺は電車に1人揺られながら、家への帰路についている。朝は隣に俺より少し身長の高い、短髪の爽やか系男子が立っていたのだが、今はヒロどころか電車内に人があまり乗っていないので、普通に座席に座れている。朝のように人混みに揉まれながら必死につり革にしがみつく必要はない。

 だから落ち着いてスマホをいじりながら目的地に到着するのを待つことができる。まあ、心中はあまり穏やかではないが。


 学校内では見られなかったLINEを開くと、兄、妹が揃って今日は夕飯はいらないという連絡が入っていた。兄はどうせ同級生と、花の金曜日の放課後をカラオケかどこかで過ごしているのだろう。妹はオタク友達の家に上がり込んで、漫画の貸し借りでもしているのだろう。いやでもそれだと、夕飯がいらない理由がわからない。だとするとファミレスで推しについて誰かに語ったりでもしているのだろうか。何にせよどうでもいい。俺の家事の手間が省けた分、ラッキーだと思うことにしよう。

 とすると、自分も駅前のファミレスで済ませてしまう方が楽でいい。頭が疲れている分、今日は夕飯を外で済ませられるのは嬉しい誤算だ。


 

 明るい展望に胸を膨らませていると時間というものは早く経ってくれるもので、ファミレスに行く決意を固めてからはすぐに最寄駅に到着した。外はすでに太陽が沈みきる寸前で、青と橙の合わさった独特な色が辺りを染めている。

 時刻は18時半前。夕飯にしてはいつもより少し早めの時間だが、俺は迷わずファミレスに向かって歩き出した。


 歩くことわずか2,3分。俺は全く迷う素振りを見せることなく、昔から行きつけにしているイタリアンファミレスにたどり着いた。

 安いし、味も悪くなく、おまけにドリンクバーまでついてくるという、まさに学生のために存在しているかのような聖地だが、たまにやたらと大声で騒ぎ立てる他の学生たちがいるのが唯一の懸念点だ。

 だが、そんな入店前の些細な心配をあっさりとかき消すように、笑顔の女性店員が俺を店の奥の方にある2人席のスペースへと案内してくれた。案内された席の隣に女子高生らしき2人組が向かいあって座っていたが、会話をしている気配がまるでしないし大丈夫だろう。


 心の中でやれやれと呟きながら座り込むと、自然と一つ大きく息が出た。それが単なる疲れから出たものなのか、今日一日かけて成そうとしたプロジェクトが成功しなかったことに対する失望のそれなのかはわからないが、とりあえず頭の中はこれで空っぽになった。いらぬ邪念は捨てて、今日は久々にドリアに骨つきチキンでも追加してやろう。

 テーブルに置いてあったピンポーンって鳴るやつを押して、注文を終える。これで店員が注文品を持ってきたら、しばらくは至福のひとときが待っている。調子に乗って1人なのにドリンクバーまでつけたのだから長居してやるぞ。



 兄妹が家にいると、どうしても俺は家に帰って家事をこなさないといけない。


 両親は中1の頃に離婚している。その原因がすれ違いだと母から聞いたときは、いい歳して離婚の理由がそれってどうなのよって思ったけど、そればっかりは当事者にしかわからない何かがあったんだろうから深くは追求しないでおいた。


 ただ、そんな両親の離婚事情の中でもどうしても一つだけ納得がいかないことがある。


 それは、普通のサラリーマン生活を送っている父親ではなく、海外転勤が決まっていた母親がなぜか俺たち兄妹の親権を持ったことだった。そうなったら俺たちは兄妹3人だけで生活しないといけなくなるというのは両親もわかっていたはずなのに、それでもこの選択をとったあの2人の考えだけはいまだにわかっていない。

 父親に引き取られたところで、あの人も家事ができるわけではなかったから状況は変わらなかったもしれない。でも精神的な支えにはなっただろとは思う。俺や兄はともかく、妹のためにはどちらかがいて欲しかったと思う。


 離婚当時、兄は中3で受験勉強が忙しい時期だったから、家事を覚える暇なんてないときっぱり言われてしまった。どうせ受験勉強がなかったとしても、あの大雑把でチャラい兄のことだ。何かしら理由をつけて家事から逃げ出していただろう。俺としても、そんな兄に任せるくらいなら自分でやった方が安心だと思うからそこに関しては割り切っている。


 そうすると今度は、妹に白羽の矢を立てようとするわけだが、妹は当時小学4年生。突然両親が2人ともいなくなったという事実を吞みこめず、家事を覚えるどころの騒ぎではなかった。そんな妹に、女なんだから家事をやれと強要することは流石に外道だと思った以上、俺がやる以外に選択肢がなくなっていた。


 おかげで、両親の離婚をきっかけに俺は普通の学生生活を放棄することになった。ただ唯一の救いは、家事というものは意外と俺の性に合っていたということくらいか。それでも俺の自由にできる時間は削られるし、単純に面倒くさいという気持ちは拭えない。


 そんな俺にとって、兄や妹の世話を焼く必要がない今日のような日はご褒美デーなのだ。たまにはこうして近場のファミレスで羽を伸ばすくらいしたって誰にも責められないだろう。



 そう思っていた時だった。


 

 「ら、礼華ちゃん、起きて。帰るよ。」


 何やら隣からコソコソと話す声が聞こえてきたのだ。


 「お願い礼華ちゃん、今のうちに帰らないと・・・!」


 なぜ周りに俺しかいないような状況でそんなコソコソと話さないといけないことがあるんだろうか。言っておくが、こういう状況だったら普通に会話するよりコソコソと話した方が逆に目立つからな?


 そんなよくわからないやり取りをしているのは、さっき席に通されるときにちらっと見えていた女子高生の2人組だ。俺が来るまでは平和そうにしていたのに、なぜか俺が隣に来た瞬間にそんな会話が始まっている。なんかまるで、こんな些細な幸せすらも歓迎されていないように感じてしまい、少し悲しい気分になる。


 「うぅぅぅ。やだ、まだ寝足りない・・・。」


 「お願い礼華ちゃん。早くしないと!」


 必死に目の前で気持ち良さそうに寝ている友達らしき人を起こそうとしている女子高生。気を遣って気づかないふりをしようかとも思ったが、何をそんなに必死になっているのかと気になってしまい、ついつい声のする方向を見てしまった。


 すると、そこには俺の予想の斜め上の展開が待っていた。


 あれだけ必死になって起こそうとしていたくらいだから、その寝ている友達の方を見ているのだとばかり思っていた。なのに、俺がそっちをほんの一瞬チラッと見ただけなのに、その女子高生とバッチリ目が合ってしまったのだ。まるで、ずっと俺の方を見ながら起こす作業を行っていたかのように。


 ただ、予想外だったのは目が合ったこと自体ではない。


 「あ・・・。」


 「・・・ん?あれ、白瀬?」


 その謎の挙動を繰り返していた女子高生が、俺も知っている人物だったのだ。

 

 「あっははは・・・。こ、こんばんはー、栗生君。」


 小中高と俺と同じ学校に通う数少ない人で、今も同じクラスの白瀬美桜(しらせ みお)は、どうしてかとても気まずそうに俺のことを見ている。その証拠に笑顔は引きつっているし、挨拶もぎこちない。


 なんなんだ一体?

 確かに学校以外の場所で会うのは恥ずかしいというのもわからなくはない。冷静になって考えると、いわゆる「よっ友」程度の距離感の相手が近くにいる状態でご飯を食べるのはあまり美味しく食べられるシチュエーションではないかもしれない。


 ああ、なるほど。それを嫌って向こうは俺に気づかれる前にさっさと店を出ようとしていたのか。それはすまないことをした。俺が気づかない方がお互い平和に過ごせたであろうに、俺が興味半分で様子を窺ってしまったせいで、お互い気まずい空気が流れてしまったというわけだな。

 これは9割俺が悪い。向こうが気を遣って自分たちが犠牲になろうとしてくれたのにも関わらず、俺はその善意を踏みにじってしまったのだから。ただ、もう少しやり方を考えて欲しかったという意味で、白瀬に残りの1割をプレゼントする。

 次回からは自然に振舞ってくれ。そしたら今度こそお互い、「よっ!」程度のコミュニケーションで全てが済むと思うぞ。


 さて、こうなってしまった以上は俺からも何かアクションをとる必要があるかもしれない。少なくともこの謎の空気を改善するくらいの一手は打つべきだろう。


 「き、奇遇だな。そっちは2人で夕飯か?」


 「う、うん。そうなのー・・・。もう少ししたら出ようと思ってたんだけどー・・・あはははは・・・。」


 少しは気まずさを隠そうとしてくれませんか白瀬さん。こうあからさまに態度に出されるとさすがの俺の少しは傷つきますよ?


 「うー・・・、美桜の意地悪ー。もうしばらくここにいるから寝てていいって言ったのにーーー。」


 すると、頑張ってたたき起こそうとしていた相方が、ようやく顔を上げた。


 

 その時だった。


 俺はただ、何気なく声がする方向に視線を向けただけだった。


 なのに、その視線を向けた先の光景を見た瞬間、全身の毛が逆立っていくような感覚に襲われた。

 それと同時に心臓の鼓動が急激にピッチを上げ始めた。

 脳みそを動かす歯車が次々に止まっていくのを感じた。

 そして何より、さっきまで冷え切っていたはずの顔が、急激に熱を持ち始めていることに気がついた。


  


 「嘘・・・だろ・・・?」



 店内の光に当てられて輝く焦げ茶色の髪。。一切化粧をしていないだろうに妙に艶のある唇とほんのり赤みがかった頰。起き上がった瞬間に後ろ髪が左右に分かれたことで露わになったうなじ。


  

 「なんで・・・ここに・・・!?」



 そう、気怠そうに目の前に座る友達を見つめる寝起きの彼女こそ、昨日俺が見た夕暮れの彼女だったのだ。

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