表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/35

5.釣られてアウトをくらうアンチ

一から十までフリーダム。


ブックマーク、評価、誤字脱字報告に感想、そして初めて賜りしまさかのレビューと皆様から頂戴する温かさに感謝の念が絶えません。いつもまことにありがとうございます!


「なぁ、リューリ・ベル。ひとつ聞いてもいいだろうか」

「うん。断る」

「嘘だろ今の明らかに『いいよ』って言う流れだと思ったのに!? そんなことつれないこと言わないで聞く耳持って? 頼むから」

「えー。王子様めんどくさい。私ランチ食べたいからなるべく簡潔にまとめてくれ」

「うん、そこで答えてくれる気があるあたりはまだ良心的なんだけど本当にビックリするくらい食事を優先するよなお前。じゃぁもう要点だけダイレクトに言うけれども―――――なにこれ本気でどういうことなの!?!?」


切羽詰った質問だった。無理もないよなぁ、と思いつつ、それ聞いちゃう? という気分にもなって私はひとつ溜め息を吐く。あー、もう。めんどくさい。それ以外の感想が特に浮かばなかったから、面倒臭さを全面に押し出した顔を無理矢理根性で上向けた。

青い空。白い雲。からりと晴れたお昼時、のんびりとした気候に相応しく吹き抜ける風は柔らかい。絶好のピクニック日和とも言える、なんとも平和に穏やかな光景―――――を、もろに侵害するように。


人間が、一人浮いていた。


この世に魔法なんて奇跡は無く、万国共通の認識として人間は空を飛んだりしない。ふわふわと浮かび続けることも出来ない。跳ぶことはあっても飛ぶことはなく、大抵は地に足をつけての生活というものを強いられる―――――そんな当たり前の法則を無視して人間が一人浮いていた。正確には中空に吊られていた。


ぶらーん、とでっかい樹木の枝に吊り下げられているのはこの“王国”の王子様である。


私がやった。繰り返す。これは主に私がやった。狩猟用の罠を仕掛けるまでもなく普通に縛って普通に吊った。狩猟本能を呼び覚ますまでもない簡単極まる作業だった。場所は学園の敷地内、学舎がまったく存在しない自然豊かな謎区画で、普段は生徒たちが学業の合間に憩うフリースペースなのだという。そんな場所に王族を吊るして何をするのかと問われれば―――――正直、知らんとしか言い様がない。


「フローレンさんに聞いてくれ」

「予想はしてたけど今その名前一番聞きたくなかったなー!!!」


ばたばたと暴れる王子様。ぎぃぎぃと不穏に軋むロープにみしみしと悲鳴を上げる枝。チッと激しい舌打ちが聞こえたと思った次の瞬間には鋭い蹴りが問答無用で樹の幹に目掛けて炸裂していた。


「五月ッ蠅ェぞ黙れこの馬鹿!!! 誰のせいで俺まで巻き込まれたと思ってやがんだ暴れてんじゃねぇクソッタレ!!!!!」


どごん、みたいな鈍い音がしてひぇぇと鎮まる王子様である。黙らせたのはセスだった。怒り心頭の三白眼は言うまでもなく機嫌が悪い。元々凶悪な面構えが更に取り返しのつかないことになっている。が、まぁそれはそれこれはこれ。


「言いたいことは分かるけど樹にあたるのは止めろ、セス。ただでさえ重いものぶら下げさせてもらってるんだから、労わりこそすれ蹴るのはちょっと」

「なんで!? なんで蹴られた樹木の心配はするのに私の扱いはこんなんなの!? 二人とも普通に酷くない!? 自然に配慮しておきながら王族への敬意がまったく見当たらないのはどういうことなの説明を求める私にはその権利があるぞう!!!!!」


セスに脅されて怖かったのか、口だけをフルに回転させて王子様はキリッと言い切ったが如何せん樹に吊り下げられているので威厳なんぞは微塵もない。私とセスが王子様を見上げたのはほとんど同時のタイミングだった。どちらともなく口を開いて包み隠さず真実を述べる。


「いや、だから知らんって」

「説明しようにも出来ねぇよ。フローレンが吊れっつったから『とりあえず吊るか』ってなっただけだ」

「とりあえず程度のフラットさで理由も分からんまま王族吊っちゃうとかどういう神経してんのお前ら!?!? これ下手したら責任問題だよ、フローレンの差し金じゃなかったらちょっと後始末面倒臭いやつだよ!!!」


フローレン嬢の差し金だったら大丈夫なのかよと思ったが、口に出したら最後だと思って沈黙を貫く私であった。どうせ後始末を押し付けられるのは当のフローレン嬢だろうし、彼女自身が言い出したことならたぶん大丈夫なんだろうなぁという出所不明の信用もある。

ともあれ、答えられない質問には「答えられない」と答えるのが妥当だ。嘘はないので堂々と、肩を竦めてぶん投げた。


「私もセスも理由は知らないから聞くだけ無駄だぞ王子様。婚約者だろ。本人に聞けよ」

「聞こうにもそのフローレンが現状何処にも見当たらないんだよなぁ! って、なにやってるんだ? リューリ・ベル」


ぶらーん、とミノムシなる生物よろしく樹にぶら下げられている王子様が、自分の置かれた状況を無視して不思議そうに小首を傾げた。そんな素朴な質問くらいなら片手間でも答えられるので、その辺の芝生に仮置きしていた荷物を持ち上げつつ雑に答える。


「なにって、要件はもう済んだんだしランチタイムにしようかなって―――――ああ、そういやセスの分もフローレンさんから預かってるぞ。食堂のおでかけランチパックセット」

「さては食い物に釣られたなお前ら―――――っ!!!!!」


力一杯叫ぶ王子様をガン無視してランチパックの紙箱をいそいそと籠から取り出す私と違って苦々しい顰めっ面で宙ぶらりんの幼馴染を見上げたセスは、つくづく心外だと言わんばかりに憮然とした声音で呟いた。


「違ェわ。リューリと一緒にすんな」

「それはどういう意味だセス………ん? 違うってことはあれか? もしかしてセスこれ要らないのか? だったら私がもらっていい?」

「やらん。あるなら普通に食うわ。今からメシ調達すんの面倒臭ェし」

「ずーるーいーぞー! ちょっと! お前ら二人だけピクニック感覚でランチタイムに突入しようとしないで!? あとそれどうせ私の分は用意されてないパターンだろうってのがなんとなく分かるのがツライ!!!」

「おお、すごいな王子様。フローレンさんからは二人分のご飯しか預かってないから大当たりだぞ」

「景品どころか弁当すらねぇけど良かったな、レオニール。一食くらい抜いても死なねぇから安心してそのまま吊られとけ」

「何一つとして良くなくない!? ―――――って嘘だろホントにこのままなの私!?」


こんなピクニックは残念過ぎると声高に主張する王子様だが私だって純粋に嫌だよこんな意味分からんピクニック。言っておくがセスも私もランチパックに釣られて王子様を吊ったわけではない。ただ時間的内容的に昼休みを丸ごと消費してしまいそうだったので、依頼人たるフローレン嬢が気を利かせて昼食を用意してくれたというだけのことである。なお、前述した通りではあるが本当に王子様の分の昼食は用意されていない。


『―――――昨夜王城で殿下が起こしたボヤ騒ぎについて、思うところがありまして。少々ご助力願いたいのですけれど、リューリさんもセスもよろしくて?』


昨日の実習で焚火の仕方をあの馬鹿に教えたことについては別に怒っていませんけれど、無関係とは言わせなくってよ。


笑顔で脅されたとも言う。よろしくて? と微笑む淑女の背後に逆らい難い何かを見た。セスも同様だったらしい。むしろ幼馴染として付き合いが長い分、私よりも先に折れたのではないかと思える程に招集直後のセスの目には光というものが一切なかった。詳細は怖いので聞いていない。ただ私たちに言い渡された指令は単純にして明快だった。


『あの馬鹿吊ってくださいまし』


これである。

公爵令嬢の発言とは思えないが大層いい笑顔でおっしゃっていたので幻覚幻聴の類ではない。普通の王国民ならまず引き受けないであろう申し出だが、しかし私は辺境民だしセスはセスで幼馴染たちの扱いにはひどく慣れてしまっていた―――――ので。


吊った。


まったく躊躇いなく普通に吊った。セスが王子様をここまで連れて来たのでそのあと私が流れ作業で縛って吊るして今に至る。場所を指定したのがフローレン嬢なら道具一式を揃えたのも彼女だった。お膳立てが完璧過ぎて何故私たちに白羽の矢が立ったのかはつくづく謎だが考えたらその時点で負けである。


「えー………てことはもしかして、これは私午後の間ずっと吊るされて放置される感じ?」

「知るか」


ケッ、と吐き捨てたセスはその場に腰を下すなりヤケクソ気味にランチパックの蓋を抉じ開けて乱暴に中身を引っ掴んだ。お野菜たっぷり何かの薄切り肉たっぷり、こぼれんばかりの具が挟まれたボリュームばっちりのバゲットサンドは食堂ランチパックの限定メニューである。テイクアウトでしか食べられないからこれは嬉しい心遣いだ。中身を確認した私は晴れやかにひとつ頷いて、つとめて自然に重心を移動させた。


「じゃ、あとは頼んだぞ。セス」

「待てや」


がっ、と力強く掴まれた肩に指が食い込んで痛い。さりげなくランチパックを手に立ち上がろうとしたところを素早く阻んだセスが、バゲットサンドに齧り付きながらも鋭い視線でこちらを睨んでいる。


「何処行く気だテメェ」


フローレンが来るまでここで待機って話だったろうが、と凄んでくる三白眼の迫力たるや子供が泣き出すレベルだけれど、テメェ一人だけ離脱しようったってそうはいかねぇぞ的な雰囲気がひしひしと伝わってくるあたりが悲壮だ。ぶっちゃけ王子様を放置してこの場を離れる、という非道な選択だってあるだろうにその発想はないらしい。真面目か。


「ええ………せっかくだから景色のいいところでのんびり食べたいんだけど。ひとりで」

「こっちの台詞だふざけんな。俺だってこんなでっか五月蠅い馬鹿の近くでメシなんざ食いたかねぇんだよ。しかも一人でとか冗談じゃねぇ、考えただけで気が狂うわ。まだテメェが居た方がマシってモンだろ、察しろリューリ」

「いやまぁ気持ちは分かるけどさぁ―――――ところで『でっか五月蠅い馬鹿』って表現ちょっと面白いなセス。揚げ芋少し分けてくれるならここに残ってもいいぞ」

「少しと言わず袋ごとくれてやるからとっとと座れ」

「話が早いな」

「テメェもな」


でっか五月蠅い馬鹿王子の相手を一人でやるのがそんなに嫌か、と頭の片隅で思いつつ、交渉は即時成立したので私はその場に腰を下ろした。すぐさまセスから手渡された小さな紙袋を受け取った直後に開封し、ハーブソルトをぶっかけてから袋の口を折り曲げてふりふりしゃかしゃかと軽やかに振る。芋が良いのか油がいいのかそれとも両方が素晴らしいのか、食堂の揚げ芋はとても美味しい。よくいろんなメニューに添えられている付け合わせ界のエリートさんなのだが単品として売っていないのが勿体無いと思うレベルなので、是非ともサイドメニューに加えてくださいお願いします食堂のおばちゃん。買うんで。


「うーん。でっか五月蠅いとかいう謎の造語にツッコミたいけど揚げ芋一袋で買収されるリューリ・ベルになんか全部吹っ飛んだわ。私が言えたことじゃないけどそんな単純で大丈夫? 食べ物に釣られて騙されたりとかしない?」

「よく分からん芋女に釣り上げられてフローレンにとっちめられた挙句なんでか今は樹に吊り下げられてるテメェに言われたかねぇだろうよコイツも」

「誰が上手いこと言えって言った!? 確かにー、とかちょっと納得しかけただろう! にしてもコレ、だいぶ意味の分からない絵面だよなぁ―――――でもとりあえずローストビーフのバゲットサンドもぐもぐしながら喋るのは行儀悪いぞう、セス」

「ぶっ………やめろ喧しい! ぶらぶらゆらゆら揺れながら真顔で説教垂れてくんなやうっかり吹き出すとこだったろうが!!!」

「あ、今の笑い取れたの? じゃぁもういっそのことこの光景全部込々でシュールレアリズムの最先端とか言い張ったらフローレン許してくれないかなぁ」

「知るか! 本人に聞きやがれ」


シュールなんとかは知らないが、そもそもこの状況の発案者がフローレン嬢だという事実に目を向けた方が良いんじゃないのか―――――なんでもいいな。片や宙吊り、片や芝生にどっかり胡坐の王子様とセスが淡々と気安い会話を続けているようだがランチの前には些事である。

いただきます、と祈りを捧げてしっかり振り混ぜた揚げ芋の袋を無造作に開けてひとつまみ、外はカリッと中はホクッと仕上がった揚げ芋にハーブソルトの組み合わせはやみつきになること請け合いの味わいでまぁ要するにひたすら美味しい。ありがとう食堂のおばちゃん。ありがとう食堂謹製のハーブソルト。ありがとうお芋とハーブを栽培してくれたらしい農業科のプロ農民さん各位。


「居たぁあぁぁぁぁぁ!!! 見付けた、見付けました! こんなところに居ましたよあの人! イアン! ザック! こっちです!!! レオニール殿下はこちらです―――――ってなんか樹に吊るされてませんアレ!?!? なんで!? 馬鹿だけど一応王子様なのに!?!?」

「そうそう、やっぱりあれが普通の反応だよなぁ………待って? こっちに駆け寄って来てるアレたぶんヘンリーだと思うんだけど、あいつ私のこと普通に大声で馬鹿って言わなかったか今」

「言ったな。つぅか今更だなオイ。俺らに散々言われてきたのに気にするところそこなのかよ」

「セスやフローレンに馬鹿にされるのは昔からだしリューリ・ベルについてはもう諦めてるからいいとしても他に言われるとなんか不愉快………ていうか流石にもうそこまでフォローしてやる義理ないって言うか………え、なぁコレどうしようセス。思った以上にイラッとした」

「そのザマで言われてもシュールで笑えるだけだけどな―――――おらよ、レオニール。昔の馬鹿仲間のお出ましだ。フローレンが来るまでの暇潰しがてら相手してやれ」


観客くらいにゃなってやるよ、とバゲット最後の一口を放り込んだセスが笑う。食うの早いな。私はやっと揚げ芋を一袋消費したところだぞ。美味しいものは無くなるのも早いが今回はなんともう一袋あるのでそんなに悲嘆に暮れなくてもいい。豪気に袋ごとくれてありがとうセス。揚げ芋最高。

無心で口に運び続けた結果あっという間に食べ切ってしまった揚げ芋の空き袋を名残惜し気に折り畳み、メインディッシュのバゲットサンドを丁重な手付きで紙箱から取り出す。もう一袋ある揚げ芋はあとでゆっくりいただくとして、メインディッシュを味わう時間だ。バゲットというパンの形状上サンドイッチよりも長く立体的なそれは、ざっくりと深く入れた切り込みにこれでもかこれでもかと具材を挟み詰めた食べ応えのありそうな一品だった。


「はぁ? ヘンリーお前何言って………ちょっ………で、殿下ァ!? マジで宙吊りにされている!?!? 何故貴方様がこのようなことに!?!?」

「ほら見ろ僕が言った通りじゃないですか―――――!」

「ザックもヘンリーも静かにしろ、そんなことより殿下の御身だ! お労しい、すぐに不肖私めがお救い申し―――――結び目固ッ!!! なんだこれ!?!? 切るしかなかろうこんなもの! しかし手持ちに刃物なんて………ええい、そこで知らん顔をしている二人! 私の質問に今すぐ答えろ!!! お前たちがやったのは見れば分かるが意味が分からん!!! 何故こんなことになっているのだ!!! これは王族への不敬に当たるぞ!!!!!」

「だぁぁぁぁぁ五月ッ蠅ェなぁクソども!!!!!」


一気に賑やかしくなって混沌と化した樹の下でセスが何やら吠えているが私はランチで忙しい。だってこれすごく美味しそう。

ふんだんに盛られた新鮮な葉野菜に紛れる小さなオイル漬けオリーブのスライス、トマトの輪切りにしゃきしゃきタマネギ、ほんのりと赤味を残す程度にじっくり焼き上げられたのであろう薄切り肉を何枚も重ねた上には血を彷彿とさせる鮮やかな色のソースと粉チーズ。よくよく見たらバゲットそのものにも何かしらの穀物が練り込まれ、しかも食感と香ばしさを上げるためか軽くトーストされている。すごい。すごいぞランチパック。

気候風土的な問題から故郷ではお目に掛かれないであろう手間のかかった食品の掛け算への感動に一頻り胸を震わせて、大口を開けて齧り付く。女子が大口どうこうなんて“王国”の作法なんぞ知らん。


「おい、聞いているのかそっちの白い方! っていうか因縁のリューリ・ベル! 私の質問に答えなさい―――――ええい、だからバゲットを齧るのを止めろと言っているだろうがこの意地汚い辺境民ッ!!!!!」

「―――――むも?」


近距離でがなり立てられた気がしたので顔を上げてはみたものの、お肉が上手いこと噛み切れない。薄切りだから噛み切らなくても飲み込むのに支障はないけれど、一枚丸ごと引っ張ろうものならそこだけごっそり具材が抜けるので出来る限りは避けたいところ―――――よし、今齧ったやつ嚥下したらもうあと一口分くらいなら齧れそうになったからいこう。この一枚分のエリアをきっちり口の中におさめてしまおう。退いて後悔するくらいなら前進して後悔した方が好み。

そんな結論に至ったので実行に移しただけだったのだが、いつの間にやら近くに来ていた男子はどうやら私の行動がまるでお気に召さなかったらしい。みるみる目尻がつり上がっていくので視覚的に分かり易かった。

ていうか、珍しいことに―――――こいつの顔には見覚えがあるな。


「だぁぁぁから食うのを止めろと言ってるだろうこれだから愚図は嫌なんだ!!! 頭が悪いやつの相手なんて私にはまったく向いていない!!!!」

「はぁ? お前に頭悪いって言われたくないぞ―――――錬金術科の生徒のくせにお花畑娘の銀髪の秘密に全然気付きもしなかったやつにそんなこと言われる筋合いない」


「リ………リューリ・ベルが人の顔覚えてた―――――ッ!!!!!」


ぐ、と言葉に詰まったらしい男子の斜め上(物理)方向から驚愕に彩られた表情で絶叫する王子様の声がすごく五月蠅い。驚くポイントそこなのかよ。セスまでビックリしてんじゃねぇよ。言っとくがお魚さんを無駄にしたザックとヘンリーとかいうそこの馬鹿二人も昨日の今日で忘れてないぞ。私をなんだと思ってるんだ。揃って驚いてんじゃねぇぞ。

そう、自分でも珍しいと思うけれど私はコイツを覚えていた―――――例の婚約破棄騒動のとき、アレッタなるお花畑娘を王子様と一緒に囲んでいたうちの一人にして、錬金術科のくせに毛染め剤の材料にまるで思い至らなかった馬鹿野郎だと記憶している。成績悪いだろうさては、と当時抱いた感想までもはっきりくっきり明確に。


「ぐぐぐぐ………い、いらんことばっかり………そんなことは今どうでもいい! ていうかもういい、段取りがいろいろと狂ってしまったが貴様がこの場に居るのであれば手間が省けるというものだ!!! 殿下! 恐れながらこのイアン、急ぎ殿下に申し伝えたき重要な案件がございます!!!」

「ふぅん。今この状況で私にそれを言えるお前もなかなか偉くなったな? イアン」


どことなく冷めた感じに文字通りの意味で高いところから場を見下ろしている王子様は、やっぱり吊られたままだった。ぶらーん、としている。たまに吹く穏やかな風がぎぃぎぃとロープを軋ませて、なんともふざけた絵面だった。

仮にも話を聞いてもらいたい相手がそんな状態だったら私は迷いなく日を改める。

だって明らかにおかしいからな。面倒臭い気配しかしない。関わらないで見なかったことにした方がいいに決まっているのにどうしてわざわざ自分から突っ込んできてしまったのか。もう回れ右も出来ないぞ。やっぱり馬鹿なんじゃないかなこいつら。


「事は急を要するのです、殿下。あとで必ずや救出いたします故、ひとまず耳を傾けていただきたい―――――と、言いますか。すべてはこの辺境民が悪いのです!!!」


ずびしっ! とイアンなる男子の勿体付けた言い回しとともに私へ向けて突き出される人差し指。それが思ったより顔に近くて驚いたので―――――思わず反射で身体が動いた。


めきゃっ。


「あぁぁっいだぁぁぁぁぁぁぁ!?!?」


人間の関節は曲げちゃいけない方向に曲げるとめちゃくちゃ痛いよな、と他人事感覚でバゲットサンドを齧る私が見下ろす先で、イアンとかいうめんどくさいやつが指を押さえて転げまわっている。突き付けられていた指を掴んで軽く捩じ曲げてやっただけなのだけれど、王国民の肉体強度は思った以上に低いらしい。

大袈裟、と素っ気なくこぼした平静極まる呟きに、ザックとヘンリーの二人が身を寄せ合ってヒェェとか死にそうな顔で震えていた。


「こらこら、リューリ・ベル。気持ちは分からなくもないけれど、思い切りが良過ぎてちょっと引くぞう。次からは指へし折る前にまず口で言ってから行動に移すようにしような」

「え、悠長………まぁ“王国”に居る以上そこらへんはなるべく善処するけど………ところで王子様、折ってないぞ。捩じっただけだ」

「ええ………捩じっただけであんなエグい音しちゃう………? とは言え、今のはイアンが悪い。至近距離で人の顔をいきなり指差すのは駄目だろう―――――ていうか相手はリューリ・ベルだぞ。もっとよく考えてからにしなさい。正直自殺行為でしかないから」


私を何だと思っているのか問い質したくなる台詞だなおい。

淡々とイアンが悪いと言い切る王子様の目に、慈悲の類は一切なかった。真実「そうだ」と信じている者の目で、決定はどうにも覆らない。信じられないものを見る目で芝生の上に蹲るイアンが宙吊り状態の王子様を見、直後行き場のない怒りの類を押し込めた真っ赤な顔がこちらに向いた。そうして怒りで痛みを忘却したのか勢いよくその場に立ち上がり、やたらとカッコつけた台詞を演説のようにぶちまけるのだからまったく迷惑極まりない。


「たかが北の辺境民風情が、侯爵家の嫡男である私にこんなことをして許されるとでも………! そもそも殿下に対してこのような無礼を働くことが度し難いまでに愚者の証左、いくら“北”からの招待学生で融通を利かせているとは言えど些か寛容が過ぎるのではありませんか!?!?」


なんだろう、一人で勝手に盛り上がって一人で白熱してないかコイツ? どうにもめんどくさい気配がする。そんな私の直感をよそに、殿下! と声を荒げたイアンが覇気に満ちた目で王子様を見上げた―――――当然ながら未だ樹に吊るされっぱなしの王子様をだ。先に助けてやらないのかよと思わないでもなかったが、もはや誰も何も言わない。セスも同意見だったのか、鬱陶しそうに顔を顰めながら静観するに留まっていた。もうこうなったら全力でお互い空気に徹したい。ていうかこっそり消えてもいいかな。


「殿下、こちらのリューリ・ベルについてですが………まことに残念ながら、我が誉れある王都学園に籍を置けるような優秀な人材ではございません!!!」


言ってやったぞ! みたいな勝ち誇った顔がこちらを向いたが無視をした。私の名前が出て来たけれども何でだよ、と心底思う。昼休みだぞ。ランチタイムだぞ。美味しいご飯の時間だぞ。なんでそんなタイミングでお前みたいなよく分からんテンションのやつに人材どうこう言われにゃならんのだ。せめて偉い人を連れて来い。


「えーと、イアン? 話がまったく読めないんだが?」


ごもっともな発言をしつつ困惑しきりの王子様だが相変わらず宙吊りのままである。ふぁあ、と暇そうに大欠伸しているところを見るにセスはとっくに飽きていた。イアン一人が盛り上がっているせいで若干置いてけぼりをくらっているザックとヘンリーがそんなセスを睨んではいるが、私と頑なに目を合わせようとしないあたり逆にセスの方しか向いていられないのかもしれない。

あ、もしかして今が好機なのでは?

直感だけでそう判じた私は即座に食事を再開した。幸いにも今は注目されていないのでゆっくり味わって食べられる。アクセントのオリーブが美味しい。


「こちらをご覧いただきたい」


自信たっぷりのイアンが勿体ぶって取り出したのは、一枚の紙っぺらだった。もう完全に他人事感覚なので「何だろあれ」くらいにしか思っていない。たかが一枚の紙っぺらを大仰に掲げる男子生徒に、王子様は顔色一つ変えずどこか気だるげに言い放つ。


「………白紙の答案用紙に見えるが?」

「如何にも―――――これはつい先程、錬金術科の授業で行われた抜き打ち試験の答案用紙です! ご覧の通り、『リューリ・ベル』と下手な字で書かれた名前欄以外は真っ白のね!!!!!」

「へー」


へー、って。勝ち誇ってる感ある相手の言動に対して反応薄いな王子様、と観客気分で見上げていたらバゲットサンドがなくなってしまった。とても美味しかったので今度は自分で買おうと思う。次は静かなところで食べたい。

楽しみにとっておいた揚げ芋の袋を手に取って、ハーブソルトの封を切る。イアンの熱弁が鼓膜を揺らすが内容は頭に入って来なかった。


「仮にも王家と学園から多大な補助と特別待遇を受ける“招待学生”の身でありながら、白紙解答など許される筈がありません! ふざけているとしか思えない、こんな不真面目で不出来な生徒を優遇するなどもってのほかです!!! 確かに閉鎖的と言われる“北の辺境民”からの招待学生となれば希少性は歴史上類を見ないかもしれませんが、しかし学生である以上は勉学に打ち込むのが筋というもの!!! 学業の機会に恵まれず涙ながらに燻るしかない憐れな弱者にこそ手を差し伸べるべきなのです―――――こんな無様な成績しか残せない愚図はさっさと退学処分にでもして、代わりに別の相応しい者を学ばせた方がよほど国益に繋がるというものでしょう!!! 王族への敬意も王国への理解もまるで足りていないこの無礼千万な野生児より優れた人材などいくらでも居ります!!! さぁ殿下! リューリ・ベルなど一刻も早く追い出して早急に次の候補者を」


「なんでテメェがそれ持ってんだよ」


鬱陶しいくらいに回りくどくてやたらと五月蠅い長台詞をぶった切ったのはセスだった。

予想外と言えば予想外のところから入った横槍に、イアンの言葉が不自然に止まる。それくらい威圧感のある声だった。喉元に刃物でも突き付けられているのかと錯覚する程に冷え冷えとしたそれは、私にとっては懐かしくもある原初の殺気によく似た威嚇だ。


「テメェ、今なんつった? 『つい先程、錬金術科の授業で行われた抜き打ち試験の答案用紙』―――――しかもリューリの答案だぁ? なんで一学生に過ぎねぇテメェがこれみよがしにンなモン持ってやがる。普通に考えておかしいだろうが」

「そっ………それはもちろん、先生の許可を得た上でだな………」

「ほう? それは聞き捨てならないなぁ。いくら教職員とは言えども学生に学生の答案を預けるだなんてプライバシーの侵害も甚だしい。なぁ、イアン。お前にそれを渡したのは―――――事と次第によっては免職処分でも足りない愚行をしでかしたのは、誰だ?」


王子様が珍しく、笑っていないと分かる顔でひどく穏やかに笑っている。あれもまた一種の威嚇だと思った。かつて笑顔とは動物で言うところの威嚇に等しいのだと教えてくれたのは誰だったか、少なくとも緩やかな微笑を絶えず浮かべる我らが族長の揺るぎなき強さは“狩猟の民”のすべてが知るところである。


「こ、これの出所など些事ではありませんか、殿下! 重要なのはここに記された白紙という事実のみでしょう!? あの辺境民にはこんな簡単な問題すら解けないのです!」


その言い訳は通らないだろ、と呆れるしかない抗弁に、私はやれやれと頭を振った。ちょっと考えれば分かりそうなことに思い至らず突撃してくるイアンはやはり馬鹿なのだろう。その手が免罪符のように高々と掲げていたのは確かに私の答案用紙で、名前を書いた覚えはあるからそれは間違いないのだけれど、なんだかなぁと面倒臭い気持ちで揚げ芋の袋をしゃかしゃかと振った。


「おーい、リューリ・ベル。どうして今日は大人しいんだよ。いつもならもっと早い段階でぽんぽん言いたいこと言うだろう? 揚げ芋はこの際あとにしなさい」

「冷めると味が落ちるから嫌だ」

「そうだなー、せっかくなら美味しく食べたいもんな―――――ところで、イアンが持ってるあの解答用紙についてどうして白紙なのかくらいは教えてくれても良くない?」


いつもと変わらないノリで小首を傾げつつそんなことを聞いてくる王子様。揚げ芋の袋をしゃかしゃかと振り続ける手は止めないで、隠すようなことでもないので普通のトーンでさらっと答える。


「どうしても何も、普通に答えられなかっただけだぞ―――――そもそも問題読めないし」

「ほら! ほら!!! やっぱりその程度の低い学力しかな………は?」


イアンの声が中途半端に途切れたあとで引っ繰り返って静かになった。野次を飛ばそうとしていたザックとヘンリーも黙り込み、やはり信じられないようなものを見る目が勢い良くこちらに向けられるが、私は事実を言っただけなので平然と振り終わった揚げ芋を齧るだけである。あ、ちょっと時間が経ったせいか油が回ってしんなりしちゃってる。悲しい。


「も、問題が読めないなどと見え透いた嘘を吐くのは止めろ!!! 単にお前の勉強不足というだけだろうがッ!!!!!」

「そうだぞ? お前が言う通り勉強不足だ。『喋る』方に重点を置いて覚えたせいで読み書きの方はいまいちでな―――――ぶっちゃけ、簡単な単語くらいしか読めないし書けない。元から故郷じゃそんなに“文字”が重要視されてなかったからな。馴染みが薄いんだよ、そもそも」

「………えっ」


おい、こっちが正直に肯定してやったってのになんだその途方に暮れたような面は。王子様までもが形容し難い顔をしている。唯一納得を示しているのはセス一人だけらしかった。


「あー。コイツやたらと流暢に喋りやがるから忘れがちだが、ちょっと前までは言語体系すらまったく違ェ“辺境”から来たんだから当たり前っちゃ当たり前だわな。意思疎通に必要な『会話』の習得に全振りして、読み書きの方に関しちゃマジで申し訳程度にしか理解出来てねぇんだろ」

「そうは言ってもなセス、十日だぞ? 十日でこんなけ喋れるようになったんだぞ? ゼロから始めたにしては上出来だろ―――――つっても語彙が増えたのは宿屋のチビちゃんのおかげなんだけど」

「そこまでペラペラ喋れるまでに十日って短さを褒め称えるべきか宿屋のチビちゃんとやらを尊敬すべきかまったく分からない心境なんだが………じゃぁリューリ・ベル、お前今まで筆記試験とか掲示物のお報せとかどうしてたんだ?」

「私が読み書き苦手って学園側にも事情は通してあるからな。筆記は他の生徒より先に一人別室で口頭解答すればよしって許可貰ってたしお報せの類は先生たちがその都度必要事項を教えてくれることになってる」

「ああ………だから昨日『野外学習がある』ってことは知ってたのに『誰と一緒の班なのか』はまったく知らなかったのかお前………班分けについてだけは掲示板貼り出しだったもんな………」


合点がいった、みたいな感じでしみじみと頷く王子様。そんな馬鹿な、とわなわな震えるイアンに冷めた目を向けて、私は飄々と肩を竦めた。


「まぁ要するに、その問題についてはもう事前に口頭で答えてあったんだよ。ちなみに全問正解したぞ? それでも一応他の生徒と同じように授業は受けなきゃいけないから同じ時間に問題と答案は配られたし、『これはこういうことが書いてある問題だ』って理解を深めるためにも目を通しておきなさいって先生が言うから解く努力はしてみたけどさ―――――錬金術科の問題って専門用語多過ぎて無理だ。長文しんどい。食堂のメニューは割と一目で覚えられたんだけどなぁ」

「分かっちゃいたけど食に直結することだけ記憶力がやたらと凄過ぎない!?」


王子様のツッコミを無視して、揚げ芋を手に私はのんびりと放心するイアンに目を向ける。そんな馬鹿な、と繰り返す馬鹿さ加減に関してはまったく学習していないなと呆れ果てる反面で、どうしてそんなに私に絡むのかこの段階になって気になった。


「なぁ、お前。そんなに私を追い出したいのか? なんでだ? 後ろの馬鹿二人に関しては頭カチ割って脳味噌炙るぞとか脅したからともかく、お前個人には別に何もしてないと思うんだけど?」

「よっくもそんなぬけぬけと………! 貴様のせいで私がどんな目に遭わされたと思っている!?!? アレッタの件で頭の出来を疑われ、成績が下降の一途を辿って今は下から数えた方が早いと知れ渡り殿下の側近候補からは外されて、心機一転やり直そうと思えば婚約者にネチネチといびられ『リューリさんは大層立派な成績を修めておいでですのに、頭の出来が可哀想な貴方はその足元にも及ばないばかりか今や息を吸って吐くだけの愚者愚図愚鈍もいいところですわねホントいいところ無しの顔だけしか取り柄がない大馬鹿野郎のクズ男!』と容赦なく詰られる始末!!! 耐えられない! 婚約破棄失敗して彼女に頭が上がらないから言われっ放しでも我慢しなきゃだし見限られたら最後実家からも縁切られることが確定してるしで私にはもう後がない!!! だから彼女になんとか認めてもらえるように頑張るしかないっていうのに―――――『リューリ・ベルさんファンクラブ結成することにしましたので当面貴方は放置です。どうせ大したこと出来ませんし』とか言われるしでもう意味が分からないんだが貴様ちょっと本気出して故郷に帰ってくれないかなぁお願いしますリューリ・ベル!!!!!」

「多い多い情報量が多い」


処理しきれねぇよ。あとそんな腰の角度を九十度にして頭を下げるのは止めて欲しい。ストレートに困る。セスはドン引いてる。私もそっちに行きたいんだが王子様のなにかを悟ったような微笑みがやけに印象的だった。


「ザックとヘンリーのところも似たようなものと言いますか、ちょっと可愛い女の子に持ち上げられていい気になったところをぐっしゃぐしゃに叩き折られた挙句リューリ・ベルに迷惑を掛けたとチーム・フローレン・ネットワークで即日バレてヤバいとしか言えない状況なんですどうか我々を助けると思って!!!」

「助ける義理ないし自業自得だし私なにひとつ関係ないしでコメントにすら困るんだが」


とりあえずチーム・フローレン・ネットワークってなんだ。お前らの進退はどうでもいいけどまた新しいパワーワードが平然と飛び出して来てるのが気になり過ぎてそっちを掘り下げたい。あと「ふぁんくらぶ」ってなんだ。蟹の仲間?

現実逃避がてらにこの間食べたカニクリームコロッケ美味しかったなぁと思い出す私の前で、樹にぶら下がりっぱなしの王子様とドン引きして無言のセスが胡乱な視線を突き刺す中で、三人の馬鹿が示し合わせたように勢いよく揃って腰を折る。


「そこを!」

「なんとか!」

「お願いしまぁぁぁす!!!」


「なんて―――――戯言が通るとでもお思いで?」


空気が凍った。

とても涼やかな声がして、爽やかな風が頬を撫でる。不思議と芳しい香りがしたので釣られるように向けた視線の先で、案の定というかお約束というかフローレン嬢が立っていた。後ろに控えたご令嬢方三名もまた素敵な笑みを浮かべてらっしゃる。額に青筋が浮かんでいるのに表情そのものは淑女のそれで、ちぐはぐを何周か巡りに巡っていっそ調和が取れていた。

端的に言ってすごく怖い。


「ごきげんよう、殿下。セスとリューリさんの仕事振りは如何でした?」

「見ての通りだ、フローレン。鮮やかな手際で吊られたぞう。結構時間が経っているのにあんまり身体が痛くならないのはすごいな。この技術王国騎士団に導入しない?」


凍り付いた旧馬鹿仲間三人組はガン無視の方向でのんびりとした遣り取りをしているフローレン嬢と王子様だが、傍目にはもう意味が分からないし同じ空間に居る私もまったく理解が追い付かない。背後に控えるお嬢さん方は二人の和やかな雰囲気を壊さないようにちょっと離れた木陰のあたりに大きな敷物を広げていた。状況に対してのどか過ぎやしないか?


「ええ、でしたら検討いたしましょう。ところで、どうしてそうなったのかはちゃんと考えていただけまして?」

「昨日の夜に王城の庭で派手にボヤ騒ぎを起こしたせい、で合ってるか?」

「はい、正解です。次からはせめて芝生のないところで焚火を試みてくださいまし。木の側でやるのも論外です。ご存知の通り燃えますからね。次はなくてよ」

「はい。すみませんでした」


ぶらーん、と樹に吊り下げられたまま殊勝に頭を下げる王子様である。ボヤ騒ぎを起こした罰で吊られる王族ってなんなんだ。いいのかそれで。


「さて、それでは殿下でリハーサルも終えたところで―――――リューリさん、セス。そこで震えている馬鹿三名も同じように吊ってくださる?」

「え? 私、まさかのリハ扱い?」

「お黙りになって馬鹿王子。逆さ吊りに挑戦したいんですの?」

「すいませんでしたこのままがいいでーす!!!!!」


秒で折れるなもう少し粘れ。もとい、ナチュラルに私とセスが三人吊るさなきゃいけなくなってる話の流れについていけない。チッ、とすっかり聞き慣れてきたセスの舌打ちが雑に響いた。


「おいフローレン。なんで俺がそこまでしなきゃなんねぇんだよふざけんな」

「ええ、貴方は絶対そう言うと思ってピーチパイをホールで用意しましたの」

「やるわ」

「決断早ッ! どんだけパイ食いたいんだセス!?」

「フローレンさん、私の分は?」

「リューリさんの分もホールです。業界でも最高峰と名高い我が公爵家の専属パティシエが学園の厨房を借りてついさっき焼き上げたばかりの出来立て新鮮ピーチパイ。腕によりをかけさせましたので味については言うまでもなく―――――冷めないうちに召し上がっていただきたいですわね」


「セス!!! 吊るぞ!!!!! ロープ持ったか!!!!!」

「獲物が逃げやがった先に追う!!!!! テメェは左から回り込めぇ!!!!!」

「ピーチパイに釣られて二人とも完全に狩人と化した―――――!!!」


チーム・フローレンから新しく支給されたロープを手に走り出す私の背中を、マジかよあいつらみたいなノリで叫ぶ王子様の声が追ってくる。誤解を招く言い方は止めろ。ピーチパイとかなくたって“狩猟の民”は元から狩人だよ。

イアンとヘンリーとザックとかいう中途半端な馬鹿三人はここで逃げ出したところで結局はいつか捕まるだろうに、往生際が悪いというか覚悟がなっていなかった。詰めというか見通しが甘い。少なくとも美味しいデザートのためだったら労働を厭わない精神だぞ私は。

にしても本当に中途半端―――――そう、なんとも中途半端だ。

この学園に来てまだそんなに経っていないのだけれど、何かがおかしいとぼんやり思う。婚約破棄騒動があったりわざと誰かの気を惹こうとしたり、女にいい顔をしたがったり男にやたらと擦り寄ったり他人を貶めようとしたり。


勉強をする筈の場所なのに、まるで遊び場のような。まるでそんなの二の次みたいな。


変なの、と胸中でぼやけど両足は関係なく動くから、動きが全然なっちゃいない貴族のお坊ちゃん三人衆を捕獲して吊るのにさして時間は掛からなかった。連中とは入れ違うかたちでようやく解放してもらった王子様が普通にフローレン嬢たちとランチを囲んでいる横で食べたピーチパイの味についてはただただ美味しかったので、教師陣の都合により何故か急遽自習になった(フローレン嬢情報)という午後の時間をどう過ごすかはゆっくり食べてから考えよう。

学習能力低空飛行な三人の王子様の元お馬鹿な仲間たちは午後の授業時間終了後までまるっと吊るされ続けましたがプライドが複雑骨折して地面に下りたとき足元がふらっふらしてた以外は健康でした。良い子も悪い子も真似しないでください。


なお、王子様たちを吊るしていた樹は大層立派なぶっとい長老級樹木なので三人くらいまでならたぶんセーフ(ちなみに枝にロープを結んで吊り下げるのではなくロープを枝に経由して端っこを幹に固定する方式)ですが絵面はやべー儀式みたいなので、その下で呑気にランチしてるとか割と狂気の沙汰ですね。

誰も近寄りませんこんなの(だって見るからにやべーから関わりたくない全力で)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ