4.やるならベストを尽くせと思う
主人公、割と怒る(ただしあんまり持続しない)の巻。
石で組んだ簡易かまどの中で、炭のようになった薪が赤々と力強く輝いている。激しく燃え盛るわけでなく、ただじんわりと熱を発し続ける熾火は派手ではなくとも安心感があった。ばちん、とたまに爆ぜるそれを眺めながら、私は郷里での日々を思い出してぼんやりと懐かしいものに浸っている。
野外学習。
字面をそのまま信じるとしたら野外で行われるであろう学習活動の一環あたりか、ぼんやりとしたその認識は大体のところで合っていた。王都から馬車で十分も掛からないところにあった、それなりに自然豊かな山。視界を埋め尽くさんばかりの緑は雪と氷が大半を占める故郷ではあまり見ない光景で、穏やかな午後の日差しと相俟ってほんの少しだけ目に眩しいから炎の赤がありがたい―――――ああ、やっぱり焚火は心が落ち着く。
「きゃぁ! すごいですザック様ぁ! 完成一番乗りですよ!!! あっという間にお魚さんが美味しそうに焼けちゃいましたぁ!!! ザック様が火の勢いを絶やさないでくれたおかげですね! どこよりも立派なお魚さんをとって来てくれたヘンリー様も本当にありがとうございますぅ!!! こんなにも頼れる方々と同じ班になれるなんて、シェリーナは幸せ者ですぅ!!!」
「はは、そうだろうそうだろう! シェリーナは素直で可愛いなぁ!!!」
「まぁ、僕たちは優秀ですから。こんなお遊びの企画なんてそれこそお遊び感覚で簡単にこなせてしまうんですよ」
本日の野外実習とやら、蓋を開ければ内容はなんと『各班自分たちの力でお魚さんをとって焼いて食べてみよう』だったのでなんだそれはと目が点になった。学園で学んだ知識を存分に活かして事に当たれ、とのことだったが、私の属する錬金術科はともかく他の学科の生徒たちは普段何を学んでいるのだろう。教育の方向性がまったく分からん。というか、そもそもこの野外学習、どの学科が参加しているのすらいまいちよく分かっていないのだけれど―――――まぁいいか。得意分野だし。自給自足。
のんびりとした気持ちで穏やかに熾火の様子を眺めながら、たまにへし折った枝を使って炎の具合を微調整。最初にたっぷりとつくった熾火はちょっとやそっとじゃ尽きないが、周りをぐるりと囲む簡易かまどの石の隙間にいい感じで固定した焼き魚の串は大事にじっくりと育てていくべきものだ。火力を弱めたいときは燠の量を減らし、逆にもう少し焼きたいところには集めて重ねて置いておく。人生がそのままサバイバル的なライフスタイルを素で突っ走る“狩猟の民”として野営にも結構慣れている私は経験則で知っていた―――――勢い良く燃える焚火より、こういう熾火状態の方が調理の際には都合が良いと。
「なぁ、リューリ・ベル。まだか?」
「黙って待てや、レオニール」
まだかなまだかなー、とうずうずした様子で香ばしい匂いをさせ始めたお魚さんの焼き加減を見守る王子様を、大胆に寝っ転がって待つ姿勢のセスが雑な言葉で窘めている。最初はどうなることかと思ったが二人は意外と協力的だったので普通にちょっとしたキャンプ感覚だった。本当に、当初想定していた程には労力を割かずに済んだ気がする。私程ではないけれど、手際の良さから察するにセスは慣れているらしい。そしてめげないしょげないへこたれない王子様はこの見た目で意外と根性がある―――――生来的なものなのか、それとも婚約者のフローレン嬢が後付けで叩き込んだものかの判別は流石につかないのだけれど。
安定した熱を発し続ける火の中に魚の油が落ちて、じゅわっと美味しそうな煙が立ち上った。よしよし、お魚さんの表面にたっぷりまぶした岩塩がだいぶ良い色になってきたからもう少し火を弱めておこう。基本はじっくり、中までしっかり。慌てても焦ってもいけない。逸らず落ち着け。座して待て。食材の旨味を引き出すために妥協は許されないと知れ。
「シェリーナさんだって大したものですよ。ザックは火を用意しただけ、僕は魚を用意しただけですからね………本当に、調理に関してはからっきしで、魚を上手く捌けたかどうかも怪しい。ですが、貴女のおかげで恙無くここまで漕ぎ着けることが出来ました。これで私たちの班の評価は最優判定間違いなしでしょう」
「そんなぁヘンリー様、褒め過ぎですよぅ! 大したことじゃありません! カッコいい貴公子様にそんなに熱い目で見詰められたらシェリーナは照れてしまいますぅ!!!」
「おい、ヘンリー! 自分だけいいカッコしようとするんじゃないぞ! ともあれ、まずは先生を呼んでこの最高の焼き魚の評価してもらわねば―――――本来なら今すぐ、俺が誰よりも何よりも早くシェリーナお手製の焼き魚を味わいたいのだが。実習だからしょうがないとしよう」
先生ー! と大声で呼び付けられた引率役の教員が、椅子代わりにしていた大岩からよっこらしょと立ち上がって栄えある実習評価一番手の班のもとに向かう。それを横目で眺めつつ、各班対抗の競争ルールは設けられていないので私はあくまでマイペースに穏やかな心地で火を眺めていた。
今回の実習の主体は『如何に上手く焼き魚をつくるか』である。最初に明言されていたのでそれは全員知っていた。私は言われるまでもなく持てる力のすべてを以て上手く美味しくお魚さんを焼く所存だ―――――だって食べるなら美味しいものが食べたい。あと、単純に大陸中央部近辺の川魚ってどんな味なのか興味がある。食堂のおばちゃんたちが作ってくれる美味しい料理に不満など一切ないけれど、獲れたてで新鮮な魚の塩焼きは一味違うと思うのだ。野生の勘がそう言ってる。
ぱっと見はタラとかの近縁種っぽいけどどうかなー、などと期待に胸を膨らませつつ、私はひたすら焼き上がりのタイミングを見極めるべくお魚さんたちを注視していた。
「さぁ先生、早速味見を………ぬあぁぁぁぁぁ魚が崩れて串から落ちたぁあぁぁぁ!?」
「何をやっているんですかザック! まったく、これだからガサツな剣術科は………せっかくの魚をダメにするなど許されませんよ!!! 申し訳ありません、先生。こちらをお召し上がりください」
「はい。ふむ―――――ふむ。なるほど。これは食べるに値しません。失格です」
「えーっ! なんでですかぁ!?!? 食べてもくれないなんて酷過ぎますよぉ!!!」
キーンとした声が耳を劈いたが無視してカッと目を見開く。五月蠅いぞ外野静かにしろ―――――食べ時だよ~、と教えてくれるお魚さんの親切な合図(鰓から水分が吹き出して来なくなった一瞬の音の変化)を危うく聞き逃すところだったろうが!!!
「よし焼けた!!!!!」
「やったー! 上手に焼けたのか!?!?」
「王子様、私を誰だと思ってるんだ」
「めちゃくちゃ食い意地の張った純正狩猟民族だと思ってる!!!」
つまり上手に焼けたんだなやったー!
と、謎の盛り上がりで両手を空へ突き出す王子様。何が「つまり」なのか分からない。思考回路が意味不明。こいつ頭大丈夫か、と言わんばかりのげんなりした目で王子様を一瞥しつつ無かったことにしたらしいセスの判断は概ね正しい。
「先生、次こっちお願いします!」
ぶんちょぶんちょ、と大きく手を振って先生を呼ばうこの無駄にきらきらしい美形がこの“王国”の王子様だなんて一体誰が思うだろう。ただのお馬鹿さんでしかない。ちなみにお目付け役のフローレン嬢は残念ながら不在である。野外実習そのものにそもそも参加していない。セスと私に馬鹿のお守りを押し付けて所用とやらを済ませに行った。多忙なお嬢様である。
「あー………フローレンが居ないせいかやっぱり伸び伸びしてやがんなこの馬鹿」
幼馴染らしいセスからあまり聞きたくない事実を聞いた気がしたのでそっと聞かなかったことにして、焼き上がったお魚さんがぶっすりと刺さった木の串を四本回収してその場に立つ。三人一組で一人一本、余りは教員の採点用だ。
「先生、どうぞ」
「はい。確かに」
背の高い先生はちょっぴり前屈みになりながら串を一本受け取って、矯めつ眇めつ検分を始めた。ある程度見て、嗅いで、ぱくりと齧りもぐもぐ噛んでこくりとしっかり飲み込んで、まだうら若い見た目の女性教諭は顔色ひとつ変えずにしっかりと頷く。
「文句の付け所がありません。最優判定です。おめでとう」
「よし!!! やったぞうお前たち!!!!!」
小躍りせんばかりの勢いで誇らしげに胸を張る王子様はひとまず無視して、私は手元にある塩魚の串焼き三本を見やすいように持ち直した。意図を理解したらしいセスが逸早く目を光らせる。素早く視線を這わせた彼は、迷うことなく一番大きな魚が刺さった串を指差した。魚を獲って来たのは誰あろうこの三白眼なので、当然ながら正当な報酬として魚を選ぶ権利が発生するのだ。
「あっ、セスずるい!!! 一番大きいの選んだだろう!?!?」
「喧しい! 俺が獲って来たんだから俺が一番に選んでいいんだよ文句あっか!!!」
「それはそうだろうけれどもここは私の初アウトドア体験に花を添えてくれてもいいんじゃないか!? せっかくなら大きいのが食べたい!!!!!」
「花? 花を添えて食べるのが“王国”での焼き魚の作法なのか? 変な風習だな」
「違うよ!? そういう意味の花じゃないからってあ―――――! セス! 食うなよ!!! 先に食うなよ!!! 皆で一緒に食べようと思ってたのに何で一人でがうがう食べ始めてんのお前!?!? 取らないよ!? いくらなんでも取らないから待って早い食べ切らないで一緒に焚火囲んで食べようってねぇ頼むから話聞いて!?!?」
「お。しっかり脂がのってて美味しい。皮もいい感じにぱりっぱり」
「リューリ・ベル、お前もか―――――ッ!!!!! もういい私もいただきます!」
もぐもぐもぐもぐ熱いうまーい!
やっぱりテンションが振り切れているらしい王子様がワイルドに魚に齧り付くなり浮かれた歓声を上げていた。五月蠅いので静かに食べて欲しい。まだお魚さん焼いてる他の班の学生各位の羨ましそうな視線が刺さる。大丈夫、待ってればそのうち焼けるからこっちじゃなくて焚火を見守れ。油断してると焦げるぞ普通に。
「こっ………これは贔屓だ! 不当な評価ですよ!!!!!」
こんなことは許されない! と大袈裟なくらいに声を張った誰かが一同の視線を集めていたが、私は見向きもしなかったので誰が言ったかは分からない。塩っ辛いくらい贅沢にふりかけた塩、ぱりっと程良く焼き色をつけた香ばしい皮、熱々で脂がのった白身。ハラワタを綺麗に取り除いたあとで塩と一緒にすり込んだその辺で自生してた香辛料の実(そのままだと使いにくいのでダイナミックに石とかで叩いて潰して粗挽きにした)のピリッと加減が隠し味でいい仕事をしている。
「おうリューリ、さっきの香辛料まだあるか?」
「ある。使う? あんまり足すと舌がびりびりするけど」
「らしいぞ、セス。過剰摂取は良くない。お前ただでさえ味濃いもの好きなんだから気を付けないと。お互い健康には配慮していこうな」
「なんでテメェに母親面されなきゃならねぇんだよレオニール。ほっとけや」
「お願いですからそこのお三方は話を聞いてくれませんかねぇぇぇええぇぇぇ!?」
絶叫が響き渡ったので、私とセスと王子様の三人は揃いも揃って焼き魚に口を付けたまま完全に惰性で声の主を見遣った。やれやれ、と緩やかに頭を振っていた女性教諭の姿がたまたま目に入ったのだけれど、彼女は彼女でしっかりと私たちの班が作った焼き魚を手にしているのでこの一角だけ絵面がおかしい。
口の中に物を入れたまま喋ってはいけない、とお貴族様らしくちゃんとそのあたりは躾けられているらしい王子様が、もぐもぐごくんと魚を飲み込んでから今気付いたと言わんばかりにぱちぱちと目を瞬かせた。
「誰かと思えばザックとヘンリーじゃないか。久し振りだな。どうかしたのか?」
「どうかしたのか、ではありませんよ殿下! 僕は今、教員による不当な贔屓を糺さんと声を上げているのです!!!」
びしっ、と大仰な仕草で焼き魚を片手に佇む女性教諭を指差す男子生徒。はあ、と溜め息のように気だるげなものを吐く女性教諭。小首を傾げる王子様。頑なにお魚さんを齧り続ける私はお作法なんか知ったこっちゃないので口の中をもごもごさせたまま普通に気の無い声を上げた。
「へぇ。王子様の知り合いなら私には関係ないな。あとは任せた」
「俺も知らん―――――、ぅげッ」
「どうしたセス!? 眉間の皺がすごいことになってるぞ!?!?」
「あー………たぶん砕ききれてなかった香辛料の実のでっかい欠片噛んじゃったんだな………固いし辛いから反射的に顔がぶさいくになっちゃうのも無理ない。どんまい。ほら、水飲め水」
「ホントだ、顔が一時的にすごい不細工に見えあいたたたたたたごめんてセスごめんて肩狙うの止めてお魚さん落としちゃうから!!!」
「ちょっと殿下はその連中に毒され過ぎなんじゃないですかねぇ!?」
元々キツめの顔立ちを更に険しく顰めるセスに水入りの瓶を差し出してやった私の耳に届いた台詞は果たして苦言だったのか、よく分からない羨望のようなものを感じて思わず半眼になってしまう―――――『毒され過ぎ』とは一体全体どういう了見だこの野郎。この馬鹿王子押し付けられて地味に面倒を被ってるのはむしろこっちの方なんだがな?
「おい。さっきから五月蠅いぞ。そもそも何を喚いてるんだ。ていうかお前、王子様の知り合いなんだろ? だったら勝手によろしくしてくれ、私は知らんし興味もない」
「ちょっと待ってくださいよ貴女、覚えてないとか嘘でしょう!? 前に会ってますよ食堂で! 面識ある筈ですよ僕ら! ほら、僕とこっちのザックよく見て!!! あのとき殿下と一緒に居たの貴女もちゃんと見てたでしょう!!!!!」
「え、いつ? 居たか? 言っておくが私基本的に人の顔とか覚えてないぞ」
さして他人に関心ないし。
事実を告げただけなのに「嘘でしょコイツ」みたいな目で見られるの腹立つ。隣でぽかんと呆けているザックとかいう大柄な男子にも会ったことあるとか言われても記憶に残ってないから分からん。横手から助け舟を出したのは、何故か苦笑気味の王子様だった。
「リューリ・ベル。婚約破棄騒動の時って言えばお前も思い出すんじゃないか? ほら、例の銀髪の―――――アレッタ関係のあれだ」
「あー………?」
言われて初めて記憶を辿る。いつかの婚約破棄騒動。食堂でBランチを食いっぱぐれた覚えはあるが、ランチを奢ってくれたフローレン嬢とその隣で意気消沈した王子様、あとはニセ銀髪のお花畑娘くらいしか思い出せなくて匙を投げる。
でもまぁ確かに言われてみれば、宿屋のチビちゃん語録を参照するなら取り巻きABC的な立ち位置でこんな感じのやつらが居たような気も―――――居たかなこんなやつら。印象に残っていないので、初対面判定でもいいくらいだと思うのだけれど。
「元々アレッタを中心に集っていた面子だったからなぁ。友人というよりは恋敵だったし、フローレンにも関わるなって真顔で警告されたからあれ以降疎遠になってたんだが………思った以上に元気そうだな………」
あれは私も予想外、と遠い目で呟く王子様である。一回やらかした自覚のある馬鹿でも元恋敵たちの現状は予想の埒外だったらしい。というか、一つの恋が潰えても即新たな恋に跳び付く姿勢などまったく見習いたくはない。
だからなんだ、くらいの感覚で、大事につくった焼き魚を細かい骨ごと豪快に食い千切りながらお食事続行姿勢の私は問う。
「まぁ、細かいことはどうでもいいや。で、つまり何なんだ。お前は何を言いたいんだ」
不正がどうとか言ってたけど、と面倒ながらも尋ねてみれば、我が意を得たりと言わんばかりに満足そうな笑顔に変わる。ヘンリーとかいうその男子は事の成り行きを見守っていた女性教諭を指差して、力強く声を張り上げた。
「レクサンドラ・ルノヴァ先生! 貴女は王族である殿下が属する班の評価を故意に高くしておいでですね!!! でなければ、僕たちの班の焼き魚が食べる価値すらなく失格などというふざけた結果はありえません! 権力におもねるその姿勢、生徒を導く教職員としてあるまじきものと知りなさ」
「馬鹿なのかお前は」
思わず全部言わせずに途中でぶった斬ってしまった。
気持ち良く垂れ流していた口上を言い切る前に水を差されたヘンリーなる男子生徒はひくひくと口元を引き攣らせている。不測の事態に弱いらしく、そういや前にもこんなことあったなぁとよみがえる記憶に飽き飽きとしたものを抱いた。あ、うっかり塩の塊噛んだ。塩辛っ。
んべ、と舌先を外気に晒して味覚を誤魔化すついでがてら、呆れを多分に含んだ声音で私は思ったままを言う。
「あのなぁ、王子様が居るからって贔屓なんかされるわけないだろ。レクサンドラ先生が公明正大なスパルタ系だってのは最近学園に来たばっかりの私でさえ知ってるくらいだぞ―――――むしろお前はなんだってそんなにも自信たっぷりなんだ? お前らの班の何が駄目かなんて、ここから見るだけでも分かるってのに」
あーあ、だから止めとけって一応ジェスチャーしたのになぁ、と諦め気味の王子様がちびちびと遠い目をしながら焼き魚を齧っている。言い掛かりに等しい暴論をさも正論のように叩き付けられた当の女性教諭―――レクサンドラ女史は実のところ錬金術科の担当教員なので先に宣言した通り私でも彼女のことは分かる―――は激昂するでも呆れるでもなく、ただ平静な視線で以て無言のまま成り行きを見守っていた。ちなみにセスはごくごくと無心で水を飲んでいる。相当舌にビリッと来たらしい。
屈辱なのか何なのか、ぷるぷる震えるヘンリーに代わってそれまで空気だったザックとやらが猛然と割り込みを開始した。
「おい、リューリとかいうお前! 俺たちの何が駄目ってんだ!!! 焚火も魚も何もかも他の班よりでっかくて立派なやつを用意したのになんでそれが評価されねぇんだよ! おかしいだろ普通に考えて!!!!!」
普通に考えたらおかしいのはお前だ。指摘するのも馬鹿馬鹿しい。これだからアウトドアに不慣れなやつって嫌なんだ。中途半端な知ったかぶりと先入観で決めつけやがる。
頭と尾と骨以外の部分は綺麗に食べ切ったお魚さんの亡骸が引っ掛かった串を軽く振って、私は尖ったその先端を雑に馬鹿どもに突き付けた。
「あのなぁ。ちゃんと考えろよ―――――でかけりゃいいってもんじゃないだろ」
「あ?」
「え?」
なんで? と本気で疑問符を浮かべているらしい馬鹿どもに軽い眩暈のようなものを覚える。ああそうだ、確かに王子様にくっついてあの時こんな馬鹿が居た気がする、雁首揃えていた気がする―――――トップオブ馬鹿の王子様が際立ち過ぎてて忘れてたけど取り巻きも十分に馬鹿だった。これぞ類は友を呼ぶ。つまり馬鹿は馬鹿を呼ぶ―――――大きければ大きい程強くて偉くてすごいだなんて、そんなちびっ子の理屈じゃないんだから。
「あのなぁ………よく聞け、都会暮らしのお坊ちゃんども。まずなんだってそんな大きな魚をわざわざ選んじゃったんだよ。大きければその分調理に時間が掛かるだろうが。まんべんなく火を通さないと腹とか壊して大変なんだぞ。焼くときだってサイズがでかけりゃそれだけ重さで倒れやすいし、串打ちしっかりしてないから簡単に串から外れたり身崩れしたりしちゃうんだよ。ちょっと考えれば分かるだろうが。そもそも焚火で調理するなら、でかい火なんて逆に邪魔だわ。想像力があれば分かるだろ。火力が強けりゃ強いだけあっという間に焦げるだろうが。下手すりゃ炭になるだろうが。勢いのある火の側に置いてあっという間に出来上がり、なんて焚火舐めてるにも程があるぞ。表面がいくらこんがり焼けてようが中まで火が通ってないから実際のところ生焼けだしで正直食えたモンじゃない」
「ええ、ご明察のとおり生焼けでしたので。食するに値しませんでした」
しれっと合いの手を挟みつつお上品に私たちの班の焼き魚をもぐもぐしている先生はきっとお腹が空いているのだろう。もう少しで他の班の魚も焼けてくると思うので引率頑張っていただきたい。
「そ、そんな………俺の努力が無駄だったと………!? 大きい魚だったから強火で焼いた方が絶対良いと思ったのに………シェリーナだってすごいすごいって………」
ショックを受けているらしいザックとやらはきっと焚火担当だったのだろう。女にいいカッコしたいがためという動機の時点で不純だった。その恋愛脳ごと内側から爆ぜろ、と心の中で無慈悲に切り捨てた私が何かを言う前に、水を飲んで復活したらしいセスが焼き魚を骨ごとばりぼり砕きながら器用にも鼻で笑って嘲る。
「焚火の仕組みも注意点も事前に授業で習っただろうが。なんも聞いてねぇからだ、ボケ」
セス、お前その口振りだと授業態度は真面目なんだな? 人相も口も態度も悪いけど授業はちゃんと受けてるんだな? とは空気を読んで言わないでおいた。空気は吸うものであって読むモンじゃないとは思うのだが今は沈黙を保つとしよう。
そんな私の気遣いなど露とも知らないであろうザックが分かり易く歯を剥き出しにしてセスに対する威嚇を始めた。剣術科同士の諍いはよそでやれよと思わなくもない。
「なんだとこの野郎、偉そうに! だがなベッカロッシ、そんな態度でいいのかよ? お前だって似たようなもんじゃねぇか、どうせ自分じゃ焚火なんか出来やしないからそこの辺境民に泣き付いたんだろ!!! 見た目はどうあれ女子に一から十までやらせてたくせに上から目線で威張ってんじゃねぇぞ!!!!!」
「え? 久々に全力で焚火したいからやりたいって言ったの私だけど?」
ここぞとばかり燃やしたけど。
勝ち誇ったようなザックの台詞に平然と答えを返したら妙な沈黙が場におりた。ぱちぱちと薪が燃える音に掻き消されそうなささやかさで「ザックもヘンリーもこれ以上は止めた方が良いと思うんだけどなぁ」と王子様がぼやいている。どこか達観した響きだった。構わず続けることにする。
「魚獲って来るよりはそっちの方が慣れてるからな。王子様が焚火のやり方覚えたいって言い出して、セスが教えるの面倒臭がったから食材集めを一任して焚火は私と王子様でやったぞ。準備さえしっかりしとけば割と誰にでも出来るし、火点けも発火剤使っていいって言われてたから王子様でも簡単だったし」
「ええ………王族に焚火の仕方教えたんですか貴女………って、ん!? 発火剤!? なんですかそれどういうことです!? ザックはわざわざきりもみ式で頑張って火種をつくったんですよ!?!?」
「は? きりもみ式? なんだそれ。え? ああ、木を擦り合わせてやるアレか? なんでそんな手間の掛かることしたんだ? そこまでしてカッコつけたかったのか? 錬金術科は実習用に全員発火性の粉末を調合してる筈だぞ? 木の枝の先とかに付けて岩の表面にでも擦り付ければ摩擦で簡単に着火するやつ」
「えっ………なんだそれすごい簡単………………シェリーナ?」
自分の努力が無駄だったと呆然とした様子のザックに名前を呼ばれた同じ班と思しき少女はびくりと身体を震わせた。おそらくは錬金術科なのだろう。言われてみれば見覚えがあるような、ないような、ないような―――――分からん。でもまあ、予想はつく。
「調合に失敗して持参出来なかったんじゃないか? で、恥ずかしいから最初っからそんな便利道具があるとは言わなかったとか」
「ぎくぅっ!!!」
「うわ。ぎくって自分で言うやつ初めて見た………引く………」
「俺もだわ」
気色悪、とあっさり吐き捨てるセスに同意するかたちで頷いて、ザックとヘンリーと同じ班らしいシェリーナとかいう娘を視界に入れる。これから食べようと思っていたのか串に刺さった魚を大事そうに持っている姿は如何にも純朴そうだったけれど、私の視線に慄いたのか後退った彼女の足が地面に落ちていたボロボロの焼き魚の残骸を踏み付けたのを目撃して一気にいけ好かなくなった。
元から思うところなど欠片もありはしなかったけれど、今完全に振り切れた。おい、と絞り出した声はここ最近では一番低い。
「おい、お前らふざけるな。獲った命はちゃんと食え。分かってんのか馬鹿野郎ども。お前らの調理の仕方が悪かったせいでそんな無残なことになったんだぞ。女にいいカッコしようが出来る出来るって自惚れようが基本的にはどうでもいいけど見栄張ったばっかりにそのザマだ、ホントなら美味しく食べられたのにお前らのせいでそんなことになったんだ、なんで地面に落として平然と放置してんだよ。踏んでんじゃねぇぞ、食べ物だ。資源は有限、食料は貴重、生きてく上での常識だろうが!!! 自分たちじゃもう食えないにしても無い知恵絞れよちゃんと活かせよどうにかするのが筋ってモンだろ粗末にしていいわけがないだろ―――――お前らの頭カチ割ってお気楽な脳味噌炙ってやろうか?」
あ、無駄だな。だって中身が空っぽだもんな?
据わった目のまま口の端だけ持ち上げて嗤えば対峙していた三人がそれだけで震え上がって黙る。それを眺めていたところで溜飲はちっとも下がらない。心の底から不愉快だった。
「お前らがどうしようもないのは私に一切関係ないし、何度でも言うがどうでもいい。だけど、生き物を獲って食うなら二度とお遊び感覚でやるな。無駄にするな。腹が立つ」
なにやら静まり返っていた場にやたらと重々しく響いた声は、紛れもない私の本音である。次はないぞと脅す口調で真実全力の脅迫だった。故郷で培ったこの価値観がこちらで通用するなどとは毛頭思わないけれど、それでも言わなければ気が済まない。命を粗末にしたやつは死ぬ、とは故郷のじいちゃんの格言である。具体的には餓死なのだが。
誰も何も一言も発しない眺望の良い山の中腹あたり、その時ふらりと動き出したのはたった一人だけだった。誰あろう、かつてのトップオブ馬鹿だ―――――いや、今も馬鹿なんだけど。
「うん。流石に漁猟が主体ではないんだろうが、“狩猟の民”のお前が言うと説得力と重みが違うな。肝に銘じておくとしよう―――――私もお遊び感覚で初めての焚火に舞い上がっていたから耳が痛い。ザック、ヘンリー。すまないが、その地面に落ちたお魚さんを私に譲ってはもらえないだろうか。他の班の皆も自分たちのお魚さんにそろそろ目を向けた方が良いぞう。誰の頭がカチ割れるところも私は見たくないからな」
場違いなくらいに朗らかにそう嘯いた王子様は、未だ魚を踏ん付けたままの少女に優しく声を掛けてその足をスマートに退かせていた。固唾を呑んで見守っていた絶賛焼き魚製作中の各班員が目の色を変えて一斉に焚火と向かい合い始める。身崩れして串から地面に落ちたらしいお魚さんの残骸を丁寧にハンカチでくるんだ王子様は、いつもと大差ない能天気さで戻って来るなり眉尻を下げた。
「お前が言うと冗談に聞こえないんだよなぁ。フローレンとは違うけど怖いよ。物理的に躊躇いなく実行しそうで冷や汗出るからあんまり脅さないでやってくれ―――――というか、リューリ・ベルが頭カチ割らなくてもあいつらの婚約者殿たちが嬉々として割って吊るしてくれるだろうから。チーム・フローレンの楽しみは取っておいてやってくれ」
「あ、あの時の婚約関係まだ続行してるん―――――待って。なんて? チーム・フローレン?」
なんだそれ。流石の私でも気になるぞそれは。
素直に意外だったのと飛び出した単語の奇怪さに声のトーンが上擦った。そういえばフローレン嬢と例の連中の婚約者令嬢たちはお友達であったと記憶している―――――フローレン嬢を筆頭として成り立った集団だからチーム・フローレンなのだろうか。もしかしたら正式名称ではなく王子様がアドリブで付けた俗称なのかもしれない。
こちらの会話が聞き取れたのか、びくっ、と肩を跳ねさせる馬鹿野郎どもの額からだらだらと尋常でない汗が垂れている。訳知り顔の王子様が賢者のように微笑んで、そこには触れないでやってくれと至極穏やかに告げられた。面倒な気配を察知したので私は即座に忘却を選ぶ。
「話は終わりましたかね?」
綺麗に骨と頭だけを残して焼き魚を平らげた先生が、枝を削ってつくった串を指に挟んだままぱんぱんと手を打ち鳴らした。静観姿勢から一転、事が収束したとみるや即座にたたみにかかる姿勢には合理性しか見当たらない。そこには快も不快もなく、事務的ではあるが苛烈さを秘めた力強い眼光だけがある。
「頭を割る割らないの話は一学生の戯言だとしても実習にはきちんと取り組みなさい。失格したら単位が落ちます。単位が落ちたら―――――お分かりですね?」
ヘンリーはあとで反省文と説教ですご実家にも報告しますからね、と不正疑惑を吹っ掛けてきた生徒への処置を手早く決めた先生は、次の焼き魚を求めてまばらに散らばる各班の間を周遊のように進んでいく。
火が消えたように大人しくなった元恋敵兼元友人たちから視線を外した王子様は、それじゃぁちょっとこのお魚さん山の動物さんに分けてくるな、と何処かへ歩き去ってしまった。
「………どーしよーもねぇ馬鹿なんだが、ああいうところなんだよな」
フローレンに見捨てられねぇの、と感情の薄い声で独り言のように呟いて、セスはそれっきり黙り込む。幼馴染という下地ならではの何かを感じ取っているらしいが私にそんな土台はないので飄々と肩を竦めるに留め、どうせ全班終わるまで帰れやしないからという理由で燃やせるだけ薪を燃やそうと思った。
あれだ。もう際限なく火力出してかまどの限界まで燃やそう。
そんな野望を胸にぽいぽいと火に薪をくべていく私。暇を持て余したらしいセスが悪ノリして何処かから採って来た謎のキノコを枝の先に刺して焼こうとしたところでちょうど帰って来た王子様は、仲間外れにしないで混ぜろと謎のノリの良さを発揮するが早いか直後に「はっ―――――」と何か閃いたらしくきらきらした目で私とセスを交互に見遣った。そうして笑顔で馬鹿は言う。
「変なキノコよりマシュマロ焼こう! あれ憧れだったんだよ昔から」
「ンなモン山に自生してるわけねぇだろ寝言は寝て言え馬鹿王子」
「そもそもましゅまろってなんだ?」
「あ? ぶよぶよの砂糖の塊」
「あながち嘘じゃないんだけれどもなんだってそんな悪意しかない言い方した!?」
お前マシュマロに何の恨みがあるんだよ、と悲鳴を上げる王子様。渋面をこさえて聞き流していたセスが、キノコをぶっ刺したままの枝を焚火の中へと放り投げた。ぼう、と燃える細い枝はみるみる炎に呑まれていく。ぶっちゃけ今のアレ食えないキノコなんだよなとカミングアウトした三白眼にはじゃぁなんでわざわざ採って来たんだと冷め切った目でツッコんで、マシュマロマシュマロー、としつこい王子様の内心は別に知りたいとも思わない。
「まぁ、なにはともあれ焚火のやり方はもう覚えたから次は私に任せるがいい!」
そう言って大きく胸を張った王子様に漠然とした不安を覚えた私の予想は的中した。
翌日。
「おはようございますリューリさん―――――実は昨夜あの馬鹿が王城の庭園でボヤ騒ぎを起こしたのですけれど」
「そっかー。なんかやたらとマシュマロ焼きたいとか実習の時点で言ってたぞ」
「ええ、絞り上げたらそう供述しましたがこれだけは言わせてくださいまし―――――馬鹿が火遊びとか洒落にならないので安易に知識を与えませんよう」
やるならトラウマ刻み込むくらいきちんとみっちり叩き込んでください、と真顔で言い渡されたので、トップブリーダーへの道って厳しく険しく根性要るんだなと思った。ホントに。
一回仕上げたものが気に入らなくてリテイクを繰り返し結局全没にして書き直したら文字数増え過ぎててどうしてこうなったんだろう………。