場外 乱闘・オン・ステージ
具体的には五万字程度のわちゃわちゃです実にすみません。
(計画通り、すべて順調。まあそのために策を講じたのだから結果としては当然であれ―――――ふん、なんとも、他愛ない)
もう少し歯応えがあっても良かった、との驕りを隠すこともせず、ヴィンセント・キルヒシュラーガーは馬車の中でひとり悦に浸った。一定のリズムを刻んで走る馬車の速度に変化はなく、今は町中を進んでいるために流れる景色は緩やかそのもの。庶民が常用するような乗合馬車にはありがちな褒められたものではない振動も、高位貴族の威信を賭して内装に贅の限りを尽くした特注馬車には縁がない。むしろ眠気を誘発するような揺れを演出してさえいる―――――もっとも、高揚した彼の精神には目を閉じるといった選択肢など最初から存在しなかったけれど。
(ノルンスノゥク家の娘はヴィクトールが首尾良く手に入れた………くく、次期王妃が誘拐されたというのに此処の連中の呑気さはどうだ。情報規制は当然として『何も知らない』とは憐れなものだな。それに引き換え今頃王城は上を下への大騒ぎになっているに違いない―――――その隙を見逃す私ではないがね)
カタン、と馬車が一際跳ねたが、路傍の石でも踏んだのだろう。申し訳ありません、とすかさず謝罪を述べる御者を叱り付けるのは主人として当然の務めであったが今日のところは不問に付した。この程度、腹を立てることでもない。なにしろ計画は順調なのだから。
(誘拐されたフローレン・ノルンスノゥクをこのまま王子の婚約者に据えておくなど出来まいよ。代わりの婚約者を宛がおうにも適任となる者が居ない、強いて挙げるなら我が娘………マルガレーテ・キルヒシュラーガーなら可能であろうがそれは認めぬ。最初の時点でアレが次期王妃に決まっていたというならまだしも―――――ああ、まったく忌々しい、ノルンスノゥク公爵令嬢本人に資質で劣ったまま醜聞という止むを得ない事情で下げ渡される婚約者の地位に今更なんの価値がある!)
「運転が粗い! おい貴様、この私を誰と心得る! 今すぐにでも職を失いたいか!」
「申し訳ございません、申し訳ございません、滅相もないことでございますお許しください西方大公閣下!」
上機嫌から一転して不機嫌になったヴィンセントは衝動のままに吠え立てる。結果として悲鳴混じりの懇願が御者台の方から聞こえてきたが、馬車そのものは停まらない。この場で馬車を停止させて平身低頭詫びたところで許されないのは御者本人とて知っている。かつてそれをした同僚が即日放逐されたという実例が既にあったからこそ停めずに謝った方がマシかも、との判断に至った経緯はともかく、それよりも咄嗟に口にした混乱と恐慌を極めた一言が彼の命運を大きく分けた。
「ふ、ふふ。おい貴様、今、誰が何だと言った? 愚か者め、気が早い、私は西方大公ではなくただの大公代理に過ぎぬ。老いと病に倒れたとはいえ西方大公たる我が父は未だ存命であらせられるゆえ、今はまだ、な………粗忽者めが。だが許そう。貴様が手綱を握る馬車に乗っているのは未来の西方大公であると知っているならその上で励め。分かったな? 次はないと知れ」
「は………ははっ! ご温情に感謝致します!!!」
九死に一生を得た御者が気合いを入れたのが伝わったのか、法定速度ギリギリを攻めて馬車の速度が僅かに上がる。聞き分けの良い使用人の仕事に概ね満足しながらも、ヴィンセントは静かに窓の外―――――もとい、正確には窓に嵌め込まれた透明度の高いガラスに映った自分の顔を眺め遣る。
(そうとも、私こそ西方大公ルイトポルト・ヴィッテルスバッハの嫡子にして正統なる後継! 公爵位で終わる男ではない、ましてや忌々しいノルンスノゥク………娘が次期王妃というだけで威張り散らしている小物如きに遅れをとるなどあってはならぬ! 事ある毎に侮りおって、今に見ていろノルンスノゥク! まずは気に入らない貴様の面を絶望の一色に染めてやる! そして無能な王家の連中も首を洗って待っていろ、我が最愛のイルメンガルドの人生を歪めたその罪を貴様らの血で贖う時だ! どのみち有能な婚約者を立てねば王位の継承も危ぶまれるような馬鹿王子など敵ではない、元々無理があったのだ、あのように容貌しか取り柄のない愚物には置物の王とて務まるものか! ああ、ようやくだ、清々する。ノルンスノゥクの娘の脱落が既に確定している以上、あの馬鹿一人でどう足掻こうがどうすることも出来まいよ。たった一人の王子だから、とこれまでは馬鹿でも見逃されていたが………ふん、本当に王位を継ぐべきは現国王の異母妹であるイルメンガルドと西方大公家直系の私の子であるヴィクトールなのは明らかだろう。あの子の出自を公表すれば、他の大公家とてこちらの―――――)
高笑いしながら勝利の美酒に酔い痴れたい誘惑を振り払うのは現役の公爵とて容易ではなく、夢物語でしかないそれを遠くない未来の現実であると確信している男の妄想は膨らむばかりで止まらない。悲願の達成はもう間近、あとは引導を渡すだけ―――――在るべき世界への道筋を阻むものなどあるものか。
「閣下。入城手続きのため、一時停車いたします」
「うむ」
祝杯にはまだ早かろう、と己で己を律していれば、いつの間にか目的地に着いていた。御者が宣言したとおりに徐々に速度を緩めた馬車は揺れもなくぴたりと車輪を止める。侯爵家以上の者しか使用を許されない専用門とは言え場所は王城、警備は厳しい。
「馬車の紋章、並びに御者殿の身分証に問題なし………慣例につき失礼いたします、キルヒシュラーガー公爵閣下。馬車の戸を開けさせていただいても?」
「ああ。構わぬ」
「では、ご無礼を」
キィ、と僅かに軋んだ音を立てて扉が開かれる。ヴィンセントは座席に座ったままで悠々とそれを睥睨した。業者や使用人などが利用する一般口と比べれば待ち時間など無いに等しく手続きも早く済むものの、城の門扉を守る騎士が必ず行うこの面通しが彼には煩わしくてならない。己が選ばれた人間である、と信じて疑わないヴィンセントにとっては『たかが城に立ち入るだけでいちいち何者かを確認される』という工程そのものが気に食わなかった。しかも上位貴族のための専用門なのに伯爵家以下の者たちが利用する貴族用の出入り口とまったく同じシステム、というのが特に許し難く腹立たしい。
(この私が乗る馬車をわざわざ停めさせて中を検めるなどまったく毎回不愉快極まる。窓から顔くらいは拝ませてやるからそれだけで通せば良いものを………まあ登城するような用事など滅多にないからまだ許せるが)
「畏れながら、公爵閣下。本日登城のご予定はなく、また訪問のご予定も伺っていないとの記録がございます。火急の用件でございましょうか」
しかし、やはり、不快は不快。愛する息子が王位を継いだ暁にはこのあたりを改善してもらおうと密かに胸に誓いつつ、表面上は威厳ある公爵の圧を保ったままにヴィンセントは門番の質問に答えた。
「然り。訪問の報せが間に合わぬ程に事態は急を要するものでな、秘匿事項ゆえこの場では詳細を明かすことも出来ぬ。陛下、或いは宰相殿に速やかにお取り次ぎ願いたい」
「かしこまりました。しかし規則ですゆえ、まことに申し訳ございませんがこの場にてお待ちいただきたく………また、予定にない取り次ぎとなりますと少々お時間を要するものとご承知おきいただけますと幸いです。城門の待合室ならご利用いただけますが、如何なさいますか」
(使えぬな、この杓子定規め。私を誰と心得る。この場に配置されているなら何処ぞの貴族の子弟であろうが、所詮は木っ端か。道理を知らぬ。大公代理にして現役の公爵たる私が急ぎ取り次げと言っているのだ、何を置いてもなりふり構わず面会を取り付けるのが筋であろうに!)
内心で怒り狂っていようが仮にも王城の警備に向かって怒鳴り散らすなど品位が下がる、とは自尊心が山より高いヴィンセントとて重々承知している。なので寛大極まる心で飲み込んで、どうにか宥め賺して威厳と表情を取り繕った。
「ふん。まあ、致し方ないな。しかしキミ、急いでくれたまえよ。国の大事に職務怠慢で叱責を受けたくはないだろう―――――埃臭い待合室になど移動するのも煩わしいゆえ、このまま馬車で待たせていただこう」
言い方がまったく取り繕いきれていない気がするどころか嫌味が露骨、しかし門番は何事もなく爽やかに聞き流して己の仕事を全うすべく馬車から離れた。なお、あまり利用者が居ないにしても流石に城門で大型の馬車が堂々と立ち往生は困る、という理由で近場の停留所に移動を促された件についてはヴィンセントとて目を瞑る。
(さて、さて、此処まで来た。いよいよあとは大詰めだ。計画はまさに順調そのもの、唯一の懸念はノルンスノゥク公爵令嬢が行方知れずになっているとあまり広まっていないことだが情報統制の精度が高いだけなら何一つ恐れることはない。あの小娘はもう馬鹿王子の婚約者としてはおしまいなのだ。綻びはない、見落としはない、フローレン・ノルンスノゥクが攫われたという事実と瑕疵は覆らない! まあ、公になっていない以上は先程王都に入ったばかりのこちらも知らぬ存ぜぬを貫かねばならんのが少々面倒ではあるが………なに、すぐにでもあちらから暴露してくれることだろう。そうとも、放っておけばいい。私はただ、我が子ヴィクトールが王家の血を引く者であることを知って急いで報告するために駆け付けただけ。そしてその際にたまたま、たまたま、王子の婚約者が誘拐されたという醜聞を耳にするだけ。彼女が次代の王妃になれぬと決まれば無能な王子の地盤などあっという間に崩れ去る。そこに王家の血を引くヴィクトールの存在が明らかになりその能力も資質も器もあの馬鹿王子より上、と分かればこちらのもの………ふ、ふふ、後ろ盾についても問題はない、この機に乗じて正式に西方大公を継ぐ私が後見人になれば良いのだ。王の父親は公爵よりも大公の方が相応しい。キルヒシュラーガー公爵家などマルガレーテにくれてやろう。祖父である父上に影響されたのか口喧しくて可愛げのない、何かと手の掛かる娘ではあったが………それでも愚かな妻や息子に比べればマシな働きをした。ノルンスノゥクの娘に劣って生まれたことは許し難いが、親として最後の情くらいかけてやらんこともない。ふん、いやしくも政略で我が伴侶におさまったエリザベスともこれで縁が切れる………まあ、あの女も今更出戻って生家の世話になどなれまい。どのみちマンフレートともども病で先が長くないのだ、キルヒシュラーガーを継いだマルガレーテが自力で母と兄を養う分にはこちらとて大目に見るとしよう。せいぜい領地の片隅でひっそりと余生を過ごすことだ。まったく我ながら慈悲深い―――――)
その妄想に際限はなく、だからこそ彼はご機嫌なままに待ち時間を消化した。すべてが上手くいっている。そう思えばこそすべてが些事だ。成功が約束されている輝かしい未来に思いを馳せる。その作業に勤しんでいれば暇を持て余すことはない。
「大変お待たせいたしました。ご案内いたします、閣下」
「うむ。ご苦労」
ノックとともに掛けられた声に応える声は寛容で、これぞ大公の風格であるとヴィンセントは己を褒め称える。門番とは違う王城騎士の先導に従って入場し、いくらも馬車を走らせないうちに複数ある馬車留めのひとつに着いた。警備の都合で徒歩の通行しか許されないエリアに入った以上、煩わしくても自分の足で歩かなければ先へは行けない。
「キミ、陛下にはお会い出来るのかね? それとも宰相殿の方かな」
「国王陛下も宰相閣下も他の方々もおいでです」
案内人を務める騎士の答えが最良のものであったので、ヴィンセントは胸中で快哉を叫ぶ。面会希望で国王の名を最初に出したのは建前であり本命は宰相の方だったのだが、ふたり揃っているのならこれほど好都合なことはない―――――などと考えている彼は、騎士が告げた『他の方々』を重要視していなかった。というか、完全に誤認していた。
(国王と宰相だけでなく、他の者どもまでが一同に会しているということは………ははあ、さてはフローレン・ノルンスノゥク誘拐の件で緊急会議を開いているな。ふふ、ちょうどいい。そういうことなら重鎮たちも集められているに違いない。諸侯の前で諸々話せるとは都合の良いタイミングで通されたものだ。天さえ我が味方に付いたらしい)
これぞまさしく絶頂期。疑う余地のない我が世の春。そんな高揚感を胸に足取り軽く決戦の場へと歩を進めていくヴィンセントの目が、前方に人影を捉える。先導する騎士の背中越し、走ってはいないが明らかに急いでいるその人物との距離が近付いていくにつれてはっきりと見えた顔が良く知る同郷の伯爵のものだったから、ヴィンセントは彼を呼び止めた。
「おお、ナイジェル財務補佐官。どうされたのだ、そんなに急いで」
「え? ああ、誰かと思えばキルヒシュラーガー公でしたか。ご無沙汰しております、ええ、その、失礼、申し訳ありませんが急いでおりまして」
「それは呼び止めて申し訳ない。語らいの機会はまたいずれ―――――それはそれとして、貴殿。何をそんなに急いでおられる? 何か問題でもあったのかね?」
またいずれ、と口にしながら、一刻も早く立ち去りたそうにしている財務補佐官の進路を塞いでにこやかにヴィンセントは問い掛ける。これには案内人を務めていた王城騎士どころか西方一門に属するナイジェル伯爵本人までもがうんざりとした気配を醸したものの、実力で財務長官の補佐役にまで上り詰めた男は切り替えるのが早かった。
「ええ、そうなのです。とんでもないイレギュラーが発生しまして―――――財務部どころか人事も総務もとにかく今は時間との勝負で人手がいくらあっても足りず」
だからさっさと退いてください雑談に付き合ってる場合じゃないんです私は忙しいんですよ、との副音声が聞き取れたのは居合わせた王城騎士だけだった。言われた当人のキルヒシュラーガー公爵には全然届いていないというかまずもって理解していない。彼はただ財務補佐官の口にした「とんでもないイレギュラー」の部分だけを拾い上げて内心で小躍りしていた。
(ふ、はは、間違いない、ノルンスノゥク公爵令嬢が行方知れずになった件が大問題になっている! それはそうだろう、なんといってもレオニール王子の婚約者にして次期王妃殿下の誘拐事件だものな!)
上機嫌で大興奮しているヴィンセントはしかしこの時点である事実にまったく気付かなかった―――――どうして“財務補佐官”や“人事”や“総務”が大忙しの人手不足に陥っているんだという点に気付いていれば、気が付けば、せめて疑問にでも思っていれば引き返せるかもしれなかったのに。
「ほう、それで? イレギュラーとは? 皆が慌てふためく大事だ、余程の何かがあったのだろう?」
望む答えを欲しがる者は、それを聞くまで引き下がらない。欲しい言葉は決まっているのだ。本当に早く解放してほしい気持ちでいっぱいのナイジェル伯爵改め財務補佐官は、ある意味では機密かもしれないそれを早々にぶちまけることにした。
「ええそうですよ、大事です。なんと言ってもフローレン・ノルンスノゥク公爵令嬢が―――――」
来た、とヴィンセント・キルヒシュラーガーは僅かに口の端を吊り上げる。
『フローレン・ノルンスノゥク公爵令嬢が事もあろうに誘拐されて現在行方も安否も知れず』―――――別にこんな廊下の真ん中で政敵の娘の人生の終わりを決定付ける致命的な台詞を財務補佐官から聞き出したところで何がどうなるというわけでもないが、自分が仕掛けた策略に王城の者どもが踊らされている真っ最中だと実感したい誘惑に抗えず。
実はそのイレギュラーとやらの内容を既に知っている王城騎士は無駄話に付き合わされている財務補佐官に同情し、隙を見て逃がして差し上げますからねとのアイコンタクトを送っていたが内心ではもうそれどころではないナイジェル財務補佐官は気付かない。さっさと解放されたいというその一心で彼は続けた。でないといつまでも拘束される―――――仕事が、仕事が終わらない! 増え続ける仕事が一向に!
「次から次へと提出してきた『文化祭延期に伴う追加企画とその手配』に関する書類が溜まる一方で処理が間に合ってないんですよォ!!! 失礼ッ!!!!!」
シュバッ、と中年にあるまじき身のこなしと速度でナイジェル財務補佐官はキルヒシュラーガー公爵の真横を風のように颯爽とすり抜けた。最小限の動きとキレのあるターン、そういう競技経験者ですかと感心するような瞬発力にこっそりと拍手と称賛を贈る王城騎士の視線の先ではダッシュでこの場から遠ざかっていく財務補佐官の背中が見えたが、呆然とするばかりのヴィンセントにはそれを追い掛ける術がない。
「は? なん………………は?」
理解が追い付かず立ち尽くす彼の混乱した脳内に、先程叩き付けられた聞き捨てならない台詞が巡る。
(フローレン・ノルンスノゥク公爵令嬢が次から次へと提出してきた………書類? だと? 何を言っている? そんなわけがないだろう、ヴィクトールの計画通りならあの小娘が攫われたのは間違いなく今日の早朝なんだぞ!? 誘拐されて王都にすら居ない者に書類など出せる筈がない―――――どういうことだ!?)
「どういうことだ!」
「あっ! お待ちを、閣下!」
(なにかがおかしい。なにかがおかしい。ああ、こんなものは気のせいだ、きっと何かの間違いだ)
とんでもないものがズレている、なんて予感は杞憂に過ぎない。それでも、彼は焦燥感に突き動かされて駆け出した。財務補佐官を追うのではなくまったくの反対方向へ、つまるところは前へ、前へ、弾かれたような勢いで。
そんな突然の奇行に走ったに等しいヴィンセントを慌てたような王城騎士の声が追い掛ける。初動で後れを取ったとしても現役で警備の任に当たる騎士からすれば運動不足の公爵に追い付くなど造作もなかったが、実は目的地は角を曲がってすぐそこくらいの近さだったので―――――結果として、彼は単身で勢い良く『渦中』へと飛び込んだ。
***
突然だけども、さて出題―――――『王子様』に必要不可欠なモノって一体何だと思う?
優れた容貌? ありきたりだなあ。
豊かな才能? なるほどそっちね。
知性と武力? 欲張るじゃないの。
カリスマ性? ああそれよく聞く―――――でも、残念。個人的には、どれも違う。
(美貌も才能も知性も武力もカリスマ性その他諸々含め、あって困るモノではないから欲しい気持ちはあるのだけれども『必要不可欠』とまでは言わない。そして実際―――――必要ない)
明るく胸中で吐き捨てる己の心は冷めている。嫌味ではない。嘲笑でもない。けれど、致命的に冷め切っているのを隠し立てるのも馬鹿馬鹿しくて、繕うことを放棄している。なのに周囲は気付きもしない。
今に限らず、いつだって。
(ぶっちゃけついでに白状すれば、この“王国”の王家なんてものはただの王冠置き場でしかない。かつての四方大国時代に統治者として台頭していた各大公家の末裔たちとは歴史も格も地力も何もかも、新興の王家とは厚みが違う―――――四百年を経た今でさえ、国王は飾りの称号だ)
比喩などではなく言葉のとおり、そういう名称の飾り物。実際に口にしたことこそないが、明け透けに言ってしまうなら国王より大公の方が強い。暗黙の了解というやつである。
遠い昔、建国の折に彼らの血を混ぜ四家の長になるべくして生まれたという初代の国王は生贄だった。誰の目にも明らかな象徴の存在はきっと都合が良かったのだろう。でなければ新興の王家による統治などそもそも始まる筈がない。
(そうとも―――――『王子様』に資質は要らない。次の王として居ればいい)
ただそれだけで、あとはいらない。知っている。そう、知っている。象徴としての王の座に正しい血統を保持した上で座っていればそれでいい。そこにそうして在ればいい、という冷酷な現実には熱などないと、“私”は既に知っていた。
王冠を飾る台座の見目が麗しいに越したことはないけれど、有事の際には挿げ替える頭に中身などあってもなくてもいい―――――操る側にしてみたら、むしろ空っぽが望ましい。
それを知らない世の人々は『王子様』と聞いてどんな人物を頭に思い描くのだろう。
眉目秀麗? 品行方正? 才気煥発で文武両道? 当たり前のように高身長で適度に逞しく誰からも好かれ誰にでも優しく常に爽やかな笑顔が素敵な白馬に乗った超絶美形?
(そんな理想の『王子様』がいれば良かったのにな。フローレン)
他人事だった。無責任にも。覚めるより先に冷めている。現実的な思考の前に、のさばれる夢などあるものか。
おかげさまで、今日も今日とてレオニールという“王子様”は自他共に認める馬鹿のまま。婚約者であるフローレンが誘拐された今でさえ、己の知略と武力を用いて正義を示し白馬に乗って姫君のもとに駆け付けるなんて救出劇など夢のまた夢だと割り切っている。
我ながらなんて馬鹿さ加減だ。今更どうとも思わない。自他共に認める馬鹿王子様に出来ることなど何もない―――――なんて、台詞を吐くとでも?
言ってる場合じゃないんだよ。
「おっと、誰かと思えばキルヒシュラーガー公でしたか! ようこそ! ちょうどいいところに来てくださってありがたいことこの上ないけどもちょっと今かなり立て込んでましてとりあえずそちらでお待ちいただける!? ヘイ警備、閣下をご案内して!」
テンションを高く保つなら、減速するより加速しろ。付け入る隙どころか余所見の暇も許さない目映さを放ってひたすら目立て。主導権を握ったままに誰よりも早く前を行く。ただし、状況の変化については見逃さないし間違えられない。
(そう、ぶっちゃけ“王子様”に必要なのはその場のノリと馬鹿げた勢い―――――つまるところは冗談みたいな開き直りとクソ度胸!)
ノリに任せて捲し立てたついでに視線を合わせて指を鳴らせば、たった一人で大会議室内に飛び込んでくるなり呆然としていたキルヒシュラーガー公爵を追い掛けてきたらしい王城警備の騎士が心得たとばかりに頷いてゲストを席まで案内してくれた。飛び込み参加は予想の上だが出番についてはこちらが決める―――――アドリブに優しい空気作りも司会進行の見せどころ、急な乱入者に気を取られて迷子になっていた熱気と視線を再び己に集めるよう、“王子様”は王子様らしく堂々と高らかに声を張る。
「失礼、中断してしまいましたが続きとまいりましょうか諸侯―――――しかしながら宰相閣下、この段になって『承服しかねる』とは本当にどういう了見で?」
途中参加のキルヒシュラーガー公を堂々と置き去りにする発言だったが、この場に集った面々は誰一人として文句を言わない。ようこそ、ちょうどいいところに、と他でもない“私”が公爵の来訪を当たり前のように受け入れたことで大会議室内の諸侯は彼を『招かれた客』だと認識した上で今は気にする必要がないと思考から除外したのだろう。普段であれば国営を担う上層部とはいえ爵位的にも心情的にも公爵(しかも西方大公家の嫡子)を無下に扱うなんて無謀な真似は出来ないが、今この場においては話が別だ。
(だって、彼らはそれどころじゃない)
理解した上で、流れは変えない。主導権も手放さない。だから発言対象もその内容も絞り込む。直前までの遣り取りを踏まえれば私が宰相閣下を指名したことに不自然な点など何もない。だからこそ大会議室内の空気は再び程良く張り詰めて―――――キルヒシュラーガー公爵という本来であれば招かれざる者を平然と内側に引き入れて、何事もなく踊り出す。
何が起きているのかも分からない者を置き去りに、目論み通り、淀みなく。
「畏れながら、レオニール殿下。そのままの意味にございます。殿下の斬新極まるアイデアはこの老体には承服しかねる――――――学園の文化祭の打ち上げパーティーに国王陛下を引っ張り出すなど前代未聞のことですよ!」
「はっはっはっは何をおっしゃる前代未聞だからこそ大きな目玉になるんでしょうがよ!!!」
「さては大目玉を食らっているご自覚がこの期に及んで皆無ですな殿下ッ!!!!!」
昔からの顔見知りでもあるおじいちゃん宰相の雷が落ちたがフローレンより怖くないので王子様には響かない。なんなら「どういう思考でそういう突飛な発想を可能にしていますの?」と呆れつつ冷ややかに激怒している器用な脳内フローレンの方が怖いがそんなことなど知らないであろう宰相閣下のお叱りは続いた。
「よろしいですかな、今一度、順を追いつつ改めて殿下にご説明申し上げます。まずアクシデントによる文化祭の延期に伴う企画の追加と申請諸々………ここまでは宜しい。問題ありません。特に学園からの火急の報せに誰よりも速やかに対応した殿下の働きは素晴らしい、日も昇りきらぬ早朝から婚約者であるノルンスノゥク公爵令嬢ともども情報集めに奔走し『文化祭を中止にではなく延期にして開催するように』と寝惚け眼の重鎮たちから鮮やかに言質を掻っ攫った手腕は今思い出しても本当に悪い夢のようでした」
「ああうん、文化祭運営責任者としての職権を乱用した件は申し訳ない。真っ先に許可を取りに伺った御仁が既に起きていらっしゃったので他の方々も起床済みだろうと思い込みで突撃してしまったが、如何せん朝早過ぎて各々健やかにおやすみなっているところを叩き起こす結果になってしまった。改めて謝罪申し上げる―――――そして文化祭を中止ではなく延期にしてくれたことに感謝を」
白々しいことを言っているという自覚は誰よりあるけれど、恭しく畏まって礼を述べる。こちらの言い分を丸呑みするしかない状況にした上で図々しくも『突撃! 寝ている偉い人!』などというクソみたいな蛮行をやってのけた面の皮の厚さは我ながらちょっとどうかと思うが後悔は一切していない。実際に叩き起こされたのは実の父である国王陛下と勤務シフトの都合で城に寝泊まりしていた宰相閣下他数名だけなので仕事だと思って諦めてくれ、なお時間外手当の申請は各自でよろしくお願いしまァす!
(文化祭用の連絡網であのフローレンが私に後れを取った時点で既におかしい。最悪の事態を想定してアクシデント発生の混乱に乗じて入れ違いになっただの役割分担しただのそれっぽい感じで誤魔化しつつ二人分働いて正解だった―――――本音を言えばこんなもの、無駄であってほしかったんだが)
心の中は見透かせない。そんなものは誰にも分からない。だから私は穏やかな顔で、宰相閣下が必要な話を続けるのを待っている。
「いえ、殿下。その点の礼には及びませぬ。謝罪も同様に不要にて………ともあれ、文化祭の延期。それそのものは良いのです。開催の目処が立っているなら中止にする必要はありません。延期をそのまま準備期間の延長と捉えて出し物や企画を追加する。そのために学園の授業を止めて文化祭の準備に全振りする。それについても許可はしました。教育部も納得しております。ええ、私も目を通しましたが、実際にノルンスノゥク公爵令嬢が提出したそのあたりの嘆願書や申請書類については文句の付けようもない出来でした」
実際にそれを発案したのもの書類を作成したのもすべてこの“私”だと告げたところできっと誰も信じない。肯定されない真実はただの嘘に成り下がる。重要なのはその一点で、だからこそ賭ける価値がある。
(するべきことはたったひとつ―――――『フローレン』を守ること)
ひっそりと確認した己の指針は相も変わらずブレさえしない。尊厳、名誉、その立場、今まで『フローレン・ノルンスノゥク』という一人の人間が築き上げてきた集大成にして人生すべて、損なわせるなどあってはならない。それが最低条件だ。勝利条件ですらない。最低最悪の底辺ラインで死守せねばならないものがそれ。
「食用不可食材を利用した新肥料の開発と販売経路の早期確立、ダメになった大量の食材を確保可能な仕入先を全国規模で調べ上げ必要経費の計算についても運送料含めてほぼ完璧、原因となった害虫対策にも抜かりないばかりか発生したという倉庫内の衛生管理に至るまで………学園からアクシデント発生の報せを受けた僅か数時間で学生たちを纏め上げ、それらの活動を『実践的な学業の一環』と見做せば三日分の座学以上に得られるものがあるのでは、と分かり易く丁寧に説いた書面は芸術的ですらあった程です。次期王妃とは言えども学生の身であのように非の打ち所がないものを提出されては我々とて真剣に対応せざるを得ない―――――結果として突然に降って湧いたような学園文化祭関連の仕事量が他業務を圧迫する怒涛の勢いで激増したとて、それも、まあ、仕方ありますまい。諸侯らもそこは理解しておりましょう」
宰相の地位にある者でさえその有能さを疑わない、馬鹿な王子をフォローするために宛がわれた完璧な婚約者。足りないモノを補って尚余りある稀代の才媛。皆の知るフローレン・ノルンスノゥクはそういう存在だったから、だから、誰も気付かない。
「然り。王都学園は国営施設、運営費用は血税なれば、我ら経理と財務を司る者とて無関係の話ではないと無論のこと承知しております。ノルンスノゥク公爵令嬢の手腕は確かに見事なものでした。ダメになった食材の被害額をただ出すだけでなく、それを新型の肥料に転用することで可能な限り損失を補填しようという姿勢―――――あの若さで大したものですな。新たに食材を購入するための予算申請を始めとする書類も完璧な出来栄えでしたとも………ええ、きっちりと用途別に申請書を分けて提出してくれる心遣いのおかげで処理件数が膨大になってしまったのは流石に仕方のないことでしょう」
「文化祭の運営をほとんど国費で賄う以上、用途不明金に下りる予算はないものと熟知しているが故の書類ラッシュは止む無しとして………行事用の予算枠に害虫対策の倉庫改修費や新型肥料用の開発費その他諸々計上雑費を含めるのは問題があるのでは? とわざわざ別枠で訂正書と申請書を提出してくださったおかげで学園の年間予算案にまで事の次第が波及しました………ついでに過去の二重請求が通ってしまっていた件をご指摘いただきまことにありがとうございます………良く気付かれましたねレディ・フローレン………」
「いくら仕方がないとは言ってもまさか追加企画のために例のファンクラブの寄付金を投入されるとは決断と判断が早過ぎる………その関係で税務だけでなく教育部まで絡んで何が何やら………ファンクラブの収支報告と帳簿めっちゃ見易いけど件数が多い………『妖精さん』の人気が窺える………」
「しょうがないのは分かってますけど地域によって微妙に異なる運送料の税率については現在精査中なのでお待ちください………なんで一部の区域間だけ非課税設定にしちゃったの………もうノルンスノゥク公爵令嬢が考えてくれた按分案を採用すればいいじゃないですかあ………」
頑張り続けたフローレンの功績は他でもない彼女自身を救う。
次から次へと寄せられる声には裏表のない敬意があった。疲労困憊の最中にあっても褪せない感服の欠片があった。誰もがそれらを『フローレン』の仕事だと信じて疑わない。馬鹿な王子には不可能だからと知っているから思いもしない。有能な婚約者が奔走することでこの状況にまで漕ぎ着けたのだと信じているし、敬服している。
「はい、理解しております………膨大な食材を必要数確保するために複数の仕入れ先を選定することは当然のことと理解しております………国営施設の学園と取引する以上はそのすべての店と商品に問題がないかを確認しなければならないという決まりを遵守してご令嬢がピックアップした数十件にも及ぶ取引先を可及的速やかに調査しなければならないというのも分かっております………まだ予定数の半分も終わっていなくて申し訳ございません………」
「急がないと三日後に開催予定の文化祭に間に合わないのは分かっているんですがそれにしたってもうちょっとこう………もうちょっとこう………手心を………文化祭の延期に伴って以前に組み直した学園のスケジュールを更に組み直すことになるのは当然でしょうけど予算の都合で規模縮小とか日程短縮とか調整にも限度があるんです………文化祭に全振りし過ぎて他を削っていくスタイルが採用されるとは思わなかった………」
「公爵令嬢からの怒涛の書類ラッシュが落ち着いたと思ったら満を持して登場した殿下が細部を詰めながら新しい企画引っ提げて来るとかもう逃れようのない流れを察知して徹夜の覚悟を決めました。寄る年波に不安は募りますが二徹までなら走れる気がするそして残業代の計算については担当者各位の幸運を祈る」
最終的には開き直りの境地に至ったファンキーなお祈り発言でひとつの区切りがついたものの、この空気の中で『ノルンスノゥク公爵令嬢は今朝誘拐されたっきり行方不明なんだからそんな書類とか出せるわけない』なんて言えるヤツがいたらお目に掛かりたい。頭を疑われる覚悟もなしにそんなことを口走ろうものなら馬鹿だ。
(ああ、そうとも。ゲスト席で青い顔をしている暫定国賊公爵め。まったく余計なことをしてくれた)
恨みはない。憤りもない。ただ、煩わしさがある。
次代の王妃の経歴に瑕疵の類は許されない。誘拐されて行方不明、なんて貞操を疑われかねないスキャンダルなど言語道断もいいところ。そんな不都合な事実は要らない。噂であっても許されない―――――であれば、どうすればいいのか。
一計を案じて出した結論はシンプル過ぎて暴論だった。
(フローレンは誘拐されていない。行方不明にもなっていない。実際に起こってしまっていようが『なかったこと』にするしかない)
事実を無かったことにする。いないものをいると証明する。詭弁を弄し、偽証を用いて嘘も方便も真実に―――――どれだけ馬鹿馬鹿しかろうと、馬鹿王子らしく馬鹿をやれ。
我ながら馬鹿げた方針だったが決めてしまえば迷いはなかった。口で言うほど楽ではないが、楽ではないだけで不可能ではない。フローレンが誘拐されたと知られることなく、気付かせないまま、すべての帳尻を合わせるだなんて正気を疑う所業だけれどもやるしかないのでやるとしよう。
「えー、諸侯が口にしたとおり、文化祭を無事に開催し、かつより良いものにしたいというレオニール殿下とノルンスノゥク公爵令嬢の熱意を否定する者などおりません。我々とて出来る限りをしたい………ですが、殿下がご提案なさった『文化祭後の打ち上げパーティーに国王陛下を筆頭とした特別ゲストを招待するシークレット・サプライズ演出』については流石に許可が出せません。厳密に言えば不可能なのです―――――何をするにも、兎にも角にも、時間が、あまりにも、足りていない。この状況をご覧になれば、殿下とてお分かりになりますでしょう」
我々としても心苦しい、みたいな顔で理由を述べた宰相閣下を後押しするように諸侯らが激しく首を縦振りして切実な同意を示していたが王子様スマイルは崩れなかった。だって予想の範疇だもの。
(ああ、うん。フローレンが居なくなった、と世の大多数に気付かれないよう彼女の分まで仕事をするついでに学園の内外を問わず関係各所のタスクをとにかく物理的に爆増させて多忙の極みに追い込むことで処理能力その他諸々を著しく低下させる方向で“王子様”張り切っちゃったからそりゃあ時間が足りないだろうな)
そうでなければ二人分必死に働いた甲斐がない、という仕掛人側の本音はさておき出勤したらほとんどすべての部署に前日までは気配もなかった予定外の仕事が山と積まれて前人未到の山脈化とかいう馬鹿げた状態になっていたとしたら誰だって悲鳴を上げると思う。しかも他所と連携を取らねば片付かないような複雑形態がちょいちょい差し込まれている上に次から次へと関連があったりなかったりする別件が舞い込んでくるという鬼畜仕様、本来の業務を疎かに出来ない以上は並列進行で取り掛からなければならないという問答無用の死の行軍を強制された大人たちには大変申し訳ないのだけれどまあ諦めてなりふり構わず脇目も振らず力の限りに頑張ってほしい。
ていうかお馬鹿な王子様ひとりで生やして増やして捏ね回してそれっぽく整えただけの案件が大半なんだからなんとかしようと思えばたぶんなんとか出来るでしょうよ―――――お分かりになりますでしょう、と念を押されるまでもなくそうなるだろうなと確信した上で躊躇うことなく実行したヤツの面の皮がこの程度で剥げるわけなくない?
「勿論ですとも、宰相閣下。金銭、物品、人員の動きにスケジュールの管理と再調整。一時的なものとはいえ関係各所が許容量オーバーの仕事に追われている現状でサプライズにゲストを招待するなど正気の沙汰ではないことくらい私もフローレンも承知しております」
何食わぬ顔で平然と言葉を紡げるのは才能だろう。そうとも、言われるまでもなくそんなことは承知の上だとも。ついでに言うなら此処から先は王子様でも狂気の沙汰だ。馬鹿の舞台を御覧じろ。
「ええ、ですので諸侯のご負担を少しでも軽減しようと思い僭越ながら先んじて私からゲスト候補の方にオファーを出しておきました」
ルールは私が勝手に決めるし変更もするが反則ではない。
そうとも、先制攻撃は実のところ既に終わっている。だから完全に事後報告だが別にインチキでもなんでもない。虚を衝かれた相手のリアクションなど限られているから余裕で待てる。
「ほう、なるほど………えっ?」
「なんと御快諾いただけました」
「なんと。なんと? え、誰に?」
前のめりにはなり過ぎない程度のテンポで畳み掛ければ、聞いてない、と唖然とする宰相閣下は私が提出した追加企画の発案書を慌てて二度見していた。しかし何度確認したところでそこにゲスト名の記載はない。国王陛下を筆頭にした特別ゲスト、としか書いていない。
文化祭の打ち上げパーティーに組み込んだというか無理矢理捻じ込んだサプライズ企画としての必要事項は押さえているが肝心のゲストの詳細についてはその一切が謎に包まれている。けれども『国王陛下』に勝るとも劣らないビッグネームをお呼びして過去かつてなく派手な打ち上げにします的な強気の文面から醸されるのは若気の至りを通り越した一種の蛮勇に他ならなかった。勇気には違いないけれど、向こう見ずで危なっかしくて傍目にはただの暴挙でしかない―――――敢えて意図的に伏せたのは、自分でも分かっていたからだ。
(馬鹿正直に書こうものなら審議すらされなかっただろう)
だから『特別ゲスト』と濁した。宰相閣下は勘が良いから既に気付いているかもしれない。もしこの場所にフローレンが居合わせていたならこうなる前に馬鹿を諫めて何が何でも止めただろうが、私の隣に彼女は居ない。だから、誰にも止められない―――――命知らずの綱渡りだと笑いたければ笑うがいいさ。
(それでも渡り切ったからには盛大な拍手をいただこう)
時間にしてみれば僅か数秒。誰にオファーを出したのか、と宰相閣下が呈した疑問に対する答えは用意してある。ただの事実を言えばいい。何しろ嘘はひとつもないのだ。
その破壊力を知りながら、馬鹿な王子様は明るく言った。何の憂いもない声で。
「誰にって、そちらにいらっしゃる―――――北方大公閣下にですけど」
間。
沈黙。
静寂。
「ッヴァ――――――――――!!!」
絶叫というか引っ繰り返った奇声を発したのは国王だった。可聴域ギリギリの高音に腹から振り絞った低音をミックスして放出するなんて芸当が人類に可能とは初めて知ったが間違いなく怪音波の域である。フローレンに散々怪音波発生装置みたいな扱いをされているこの私をしても流石に真似出来る気がしない。でも将来的には出来ちゃう気もする、なんといっても血縁なので。
ちなみにだが実の父親の表情を見るに言いたい台詞はまず間違いなく「馬鹿バカばか馬鹿ホント馬鹿なにしてんだこの馬鹿息子!!!」という馬鹿ゲシュタルト崩壊のお叱りもとい魂の罵倒だろうけれどもたぶんこれアレ、恐ろしさのあまりに言語化しくじって「ヴァ」しか発音出来なかったそういう感じ。精神状態が危ぶまれますね、ドンマイ父上。笑い事。
などと茶化してはみるものの、実際には笑い事ではない。この場に集った諸侯たちが悉く絶句して引き攣った顔で固まっているのがその証拠である。壮観だなあ、眺めとこ。
「で、殿下………それはまことで」
「お待ちを、何を勝手なことを………私は聞いておりませぬ! 我がノルンスノゥクを通さず直接オルロフ大公家に話を持って行った、など―――――いくら殿下でも戯れが過ぎましょう!」
戦々恐々の宰相閣下のお言葉をガッツリ遮って、どん、と乱暴にテーブルを叩いて苛立ちを表現してくれたのはこの場にずっと居合わせていながら発言する機会も内容もなかったために黙り込んでいたノルンスノゥク公爵だったが私は笑顔で未来の義父をしれっと黙らせる台詞を吐いた。
「ご安心くださいノルンスノゥク公、フローレンを介して打診したのでノルンスノゥク家を蔑ろにしているなんてことは断じてありません」
「そっ………そういう問題ではなく! 家長である私を差し置いて成人前の学生にそのような大事を任せたという事実を問題視しておるのです! しかも私は娘から何の報告も受けておりません。由々しき事態だ、見過ごせぬ―――――フローレン、我が娘は今何処に!?」
娘の出来が良いからと言って親もそうとは限らない。実例はすぐ目の前にある。自分の婚約者の父親はとんでもなく高いプライドの持ち主なのでたぶんこう言えば高確率で反射的に噛み付いてくるだろうなあ、とは思ったけれどもそれにしたって釣れ過ぎなのだ。具体的に駄目出しをすると今そのアドリブは求めていない。
(要らないことまで吠えるんじゃない―――――『フローレン』の危機も知らないくせに)
ぶっちゃけホントそういうとこだぞ。そんな気持ちを抱えていようが表に出すのは三流だ。早急にお黙りいただきたいなら己でそう仕向けるしかない。そういうわけで、いざ実行。
「え、してるでしょう。フローレンですよ? 多忙を極めてもそういう報告を怠ったことはない彼女のことだ、簡易報告でも速達文書か何かで報せているでしょう。貴公のご息女は聡明です。ノルンスノゥク公ともなれば常日頃何かとお忙しい身、実の娘のフローレンにそれが分からない筈もない………だからこそ、一番確実な手段で必ず報告を上げたでしょう。それにまだ目を通していないだけでは?」
「む………それは………ありえるか………」
ありえるか、じゃないんだよ。本当にそっちが読んでないだけ。単純に確認不足なんだよだって実際に出したもんフローレンじゃなくて“私”がな。え? 筆跡? そんなものいくらでも真似して書けますけども。なんなら速記の文体だろうが余裕で再現しちゃうよ私。更に言うなら右手と左手で自分の筆跡とフローレンの筆跡でそれぞれ同じ文章が書ける。書き癖どころか文字と文字の間隔とかも一致させられる。気色悪いことに嘘ではないし誇張の類も一切ない。それくらいの精度で真似出来る。
(面白がってちょっとした宴会芸感覚でフローレンに披露してみたら『マジかよコイツ』と言わんばかりのドン引き顔でガチめに拒絶されたから封印した特技だったんだが思った以上に役に立ったというかぶっつけ本番だろうが試しにやってみてよかったな。これのおかげで書類作業がまあ捗ったのなんのって―――――おっと、しまった。下手を打ったな)
嫌な予感ほど良く当たる。確信レベルともなれば尚更、外れる方が珍しい。
「ああ、失礼。よろしいかな? 西方大公家ヴィッテルスバッハの嫡子にしてキルヒシュラーガー公爵である私、ヴィンセント・キルヒシュラーガーが発言をお許しいただきたいのだが」
案の定“私”にとっての不都合―――――今はまだ外野に留めておく予定だったキルヒシュラーガー公爵が、政敵でもあるノルンスノゥク公爵の言葉を好機と捉えてここぞとばかりに手を挙げる。一応は発言の許可を求める姿勢を見せているものの、その口元は既に次の台詞を吐こうと動き出していた。
この流れに乗じて『フローレン』が何処に居るのかをはっきりさせるつもりなのだろう。しかし焦る必要はない―――――その予感もまた的中する。
「口を挟むな、キルヒシュラーガー。貴公の出る幕などあるまい」
「なんだと? 差し出がましいことを。貴公の許可など求めておらぬ。見たところ北方大公閣下の側付きを許されているようではあるが、その程度で西のヴィッテルスバッハ大公ルイトポルトの名代たるこのヴィンセントと並んだつもりか―――――次期王妃の御父君とはいえども偉くなったものだな、ノルンスノゥク」
何故って見ての通りこうなるからだ。ノルンスノゥク公爵とキルヒシュラーガー公爵はとにもかくにも仲が悪い。同じ爵位にある同年代の分かり易くいけ好かない政敵であると憚ることなく敵対する様は社交界でも有名で、その険悪さに比べればフローレンとレディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガーの令嬢バトルなど可愛らしいじゃれあいの範疇におさまる青春の一頁扱いだろう。
(ノルンスノゥク公爵のターンが終わりきってないタイミングでキルヒシュラーガー公爵が出張ったらこうなるのは目に見えてるでしょうよ………)
呆れても物も言えねえわ、と脳内のセスの代弁に頷くしかない今日この頃だが相性最悪な割に性質能力その他諸々が似通っている両公爵は今や周囲に止められないのをいいことに堂々と睨み合っていた。王子様が投下した特別ゲストとやらが誰かを明かされた衝撃から立ち直れていない面々は置き去りになるが仕方がない。
「は、西方大公の名代ときたか。ああいや、よもや、騙りなどとは思っておらぬとも。しかし名代、ふぅむ………ヴィッテルスバッハ大公閣下といえば我が北方一門の長、北の大貴族オルロフ大公閣下の次に長く名を馳せし古参。音に聞くかの御仁の代理が貴公に務まるとよろしいが」
ほらこうなるでしょホントにもう。挑発された北方大公閣下の側付きもといフローレンのパパ公爵が案の定その喧嘩買ったと言わんばかりに早速応戦しちゃった件については予想が当たっても嬉しくない。むしろ迷惑。大いに余分。話が逸れるし段取り狂うからお止め子供じみた大人たち! 大人なら大人らしく大人になって大人しくしててほしいんですけど!
なんて駄々洩れの本心は一切表に出ない。出せない。悔やまれるね空気を読むスキル。
「いやはや、なんとも、痛み入る………過ぎた杞憂は侮辱と取られることをご存じないようだ。本来であればその傲慢には沈黙こそが相応しいところを同じ公爵位の誼で、わざわざ! 私が! そちらの顔を立てるよう心を砕いているに過ぎぬと何故理解が及ばないのか………次期王妃の生家でありながら、そんなことにも気付かぬ程に増長したか、ノルンスノゥク。まったく、なんとも、嘆かわしい」
キルヒシュラーガー公爵に至っては当初の目論見など何処へやら、既に政敵ノルンスノゥクへのマウント取りに執心しておりなんというかもうグッダグダ。学園のノリの“王子様”ならマジで梃入れ待ったなし。余所見をするな。話題を散らすな。フローレンの誘拐の件に狙いを定めていたならちゃんと最後までそちらを狙え、散らかる一方でしょうがよ。
と、思っていても、指摘はしない―――――ここで『王子様』が口を挟むより効果的な一手があると、私の勘が告げている。
「ああ、これは失礼を。どうやら貴公を心配するあまり言葉が過ぎてしまったようだ―――――であるが、次代の王妃の実父を虚仮にするような発言はこちらとしても看過しかねる。弁えられよ、キルヒシュラーガー」
「何を言う―――――代理ですらない貴公の方こそ弁えたまえよ、ノルンスノゥク」
「控えよ」
オッサンどもがうるせぇな、と口が悪い幼馴染に脳内で代弁してもらうことで気を紛らわせつつ一旦諦めてこっそりと室内に詰めている人々の様子を観察していたらこの上なくシンプルで重厚な『黙れ』がド低音で言い放たれた。それはこの場の最高権力者たる国王陛下のお言葉ではなく、見るに見かねた宰相閣下や重鎮たちのものでもない。もっと齢を重ねながらも矍鑠とした、芯のある声―――――聞いた者を震え上がらせる力に満ちた音の羅列だ。
「聞くに堪えぬ。両公爵。物知らぬ童でもあるまいに、王家、並びに諸侯の時間を無駄にするとは何事か」
誰よりも威厳と自信に裏打ちされた発声は不動の巌を思わせる。なんとも恐るべきことに、それを発しているのは女性だ。若い頃はさぞや美しかったと思わせる顔立ちに刻まれた皺は老いよりも経験の蓄積と壮健さをこそ物語り、御年六十九という実年齢が信じられない生気と闘気に満ちている。かの方こそ北方一門頭領、オルロフ大公ミロスラーヴァ卿―――――リューリ・ベルが言うところの、“北の大公のばあちゃん”である。
そうですこの人ずっとこの場に居たんだよ私がサプライズをぶっちゃけて尚しれっと黙ったまま座ってたけど!
(いやしかしこの御仁を“ばあちゃん”呼び出来るリューリ・ベルってホントなに?)
ぶっちゃけ王侯貴族というか“王国民”の悉くはこの人に頭が上がらなくない? と、思わず遠い目になりかけた私は何も悪くない―――――しかし流石は北方大公、四方大公家当主陣においての最高齢にして長老ポジション。老いてなお現役の北方軍団長でもある武闘派はただの一言でふたりの公爵を黙らせたばかりか続く言葉で弛んだ室内の空気もあっさりと引き締めた。すごい。顔や声だけでなく存在がもう怖過ぎる。
ちなみにこれは余談だけれども、一瞬にしてほぼ全員の顔に緊張と恐怖が走ったが国王陛下の背が誰よりも一番ビシッと真っ直ぐ伸びたあたりがなんともお察し案件だよねと“王子様”は思う次第だ。ドンマイ父上。笑い事。これは笑って大丈夫なヤツ。
「これ以上は私が許さぬ。公爵位の家名を戴く身なれば相応に慎め、小僧ども」
そんなナチュラルに現役公爵を小僧扱い出来るのはあなたくらいのものですよ、と声なき悲鳴が聞こえた気がした。ごめんなさい調子に乗りました(要約)と秒で詫びを入れる両公爵の顔からはすっかりと血の気が引いている。この世で最も効果の高いお肌への美白アプローチとは強面美老女の叱責でした、と学会で提唱されるレベルとかふざけた思考を回す私に「お黙りになって馬鹿王子」と脳内フローレンから罵倒が飛んだ。
幻聴でしか、ないけれど。
浸っていられる時間はない。
「お騒がせしております、ミロスラーヴァ卿。段取りの悪さをお詫びしたく」
「構わぬよ。だが、王子。次の王たるもの軽々に臣下に頭を下げるでない………弁えるべき者が弁えず、場を収める立場にある者がすぐに動かなかった不手際を年若い王子が詫びている―――――思うところはなきかや、諸侯」
「は。閣下の仰る通りにて、面目次第もございま」
「すいませんでしたなんかもういろいろホントすいませんでしたお許しくださいオルロフ大公!!!!!」
「宰相の台詞と面目を声量で押し潰すでないわ国王。ああ、宰相よ、そう落ち込まずともこれはそなたの落ち度ではない。分かっておるゆえ、気落ちせぬよう」
「オルロフ大公閣下のご温情に深く感謝いたします………」
幼少期からずっとお世話になっているご意見番的老女への恐怖心から素で謝罪一択の国王の横で宰相閣下が割と本気でちょっと泣きそうになっている、至極真面目に気遣われた上に労りの言葉まで頂戴したことでおじいちゃんの涙腺がだいぶギリギリになっているがしかし大人たちの緊張状態はもっとギリギリになっていた。直接のお叱りを受けた公爵たちのみならず、もはや誰も何も言えない。下手に発言しようものなら場がどう転ぶか分からない。
そんな不安から重苦しい沈黙が満ちた会議室内で、はあ、と短く嘆息したのは思案顔をした老女である。
「老骨がひとたび口を開けば、若い者らが委縮する………これでは先々のためにならぬと黙って見守るに留めていたが、こうなっては話が進まぬな。時間は有限であるがゆえ、少々仕切らせてもらおう―――――さて。諸侯らは大層驚いていたが、王子が先程述べた言葉は真実である。偽りはない。文化祭の打ち上げパーティーとやら、確かに参加を打診されたので快くその場で応じたとも」
「左様でしたか………え? その場で応じた? オファーってまさかの直接交渉? 殿下、貴方いつそんなこと、を………」
宰相閣下ご自身は喋っている途中で気付いたようだが残念ながらもう遅い。直接ミロスラーヴァ卿に聞くのが恐ろしいからって“王子様”に答えさせようと魔が差したのが運の尽き―――――それではみなさまご注目、ついでにクラップ・ユア・ハンズ!
「はっはっは、いやだなあ宰相閣下。いつってそんなの最初の最初に決まっているじゃないですか、ご存じでしょう? まあご存じではない方々のために改めて具体的に申し上げれば文化祭を延期してもらうために国王陛下や宰相閣下を叩き起こすよりも前ですね、誰よりも先に伺ったので」
「なんて?」
「えっ。ちょっ、ま、えっ!?」
「嘘でしょ流石にそれは嘘でしょ嘘って言って怖過ぎる」
「ばっ、ばッ………蛮勇………!」
速報、地位ある立派な大人であってもテンパった際の反応は学生とあんまり大差ない。信じられないモノを見る目を向けられまくっている件については想定内なので気にはしないが、流石に声を荒げて騒ぐ輩がいないので室内に伝播していくのは「マジかよこの馬鹿やりやがったな」という戦慄と恐怖と畏敬であった。
余談だけれども国王陛下と宰相閣下と一握りの重鎮たちだけは青褪めているもののざわついてはいない。何故なら彼らは私が早朝に北方大公閣下へと突撃したことを既に知っているからだ。そのとき言われた台詞を思えば戦々恐々としている面々が何を気にしているかなど手に取るように分かってしまう。というわけで答えをはいどうぞ。
「ああ、諸侯。ご安心ください。一刻を争う状況につき不躾ながら日の出と同時くらいの非常識な訪問になってしまいましたが幸いなことに大公閣下は既にお目覚めでしたので―――――突然押し掛けたにも関わらず軽食と紅茶までご馳走になりましてありがとうございました、ミロスラーヴァ卿」
「なに、構わぬよ。平素よりこの老骨の朝は何かと早いゆえ。むしろそなたとその婚約者は私より早い時間から慌ただしく活動しておったではないか。しかも詳しく話を聞けば文化祭の一大事………であれば原因の一端として、支援を惜しむなどありえぬ」
和やかに応じてくださるミロスラーヴァ卿のこういう一面だけを見ればリューリ・ベルの話に出て来る気の良いおばあちゃんっぽいのだがしかし現実の北方大公閣下は存在感優勝老女である。現に方々から「既に起きていたとは言っても日の出と同時にオルロフ大公閣下の滞在先に突撃した挙句きっちり文化祭延期の許可もぎ取ったついでに紅茶まで振る舞ってもらったのマジでどういう神経!?」みたいな視線が注がれているがこの際無視だ。どういう神経もこういう神経だよそれ以外にあるわけなくない?
(ああ、そうとも。あるわけない)
多少強引な流れであってもノリと勢いさえあれば大抵のことは押し通せる。不利は覆すか大胆に誤魔化すか目晦ましを多用して切り抜ける。突拍子の無さとインパクト重視で勝率爆上げを目論んでいく果敢なギャンブラー・スピリットもとい“王子様”の強みを此処で活かさずしてどうするんだと言わんばかりの蛮勇仕様全部載せ。
馬鹿だ馬鹿だと周知されているとってもお馬鹿な王子様。それがどうした。上等じゃないの。とうの昔に己は馬鹿だと自覚している私の心は今日も爽やかに晴れている。ついでに澄み渡ってお空キレイ、とかピクニック日和を讃えるレベルで一点の曇りもない有様だよ雨模様とか記憶にないな。ある筈がない。
ないものは何をどうしたって無いのだと知っている“私”だからこそ、敢えて恥ずかしげもなく言おう。
(自分にないものは借りればいい)
なんてシンプル。単純明快。気付いてしまえば最適解。ないなら無いであるところから調達すればいいだけでしょうがと世界の真理も囁いている―――――と、言うワケで、借りておきました。
なにをって? 決まってるじゃないの。衰え知らずの虎の威だよ。もっと言うなら北方大公閣下の地位とか武力とか権力とか威光とかその他諸々全部だよ。
(要するに北方大公閣下は“私”の味方なんだよなあ)
嘘のような話であるが紛れもないことに本当であり、身も蓋もない言い方をするなら事前の根回しが上手くいったので今日の王子様は普通に無敵だし負けるビジョンが浮かばない。
リューリ・ベルを単純な暴力装置と仮定するならミロスラーヴァ・オルロフは恐怖の総合力オバケである。大公という地位を長く守り統治は堅実で綻びがなくお抱えの北方大公軍は一枚岩にして屈強、しかし驕りや慢心とは無縁な厳格さは周囲を震え上がらせるついでに背筋と襟を正させる―――――つまり、そこに居るだけで、もうどうしようもなく怖い。
現役の王侯貴族の中で彼女に苦手意識を持たない者など一人として存在しないだろう。相対するのは恐ろしくとも、味方であれば頼もしく心強いことこの上ない。
(覚えておくがいいお歴々―――――“私”は虎の威を借りることに一切の躊躇も抵抗も無い!!!)
尚、目的のためには手段とかも選ばない方針だったりする。必勝法があるなら使え派。例えて言うなら百の戦力を用意すればまあいけるかな、という局面で三百とか調達してぶち込む所業。自分じゃどうにも出来ないと分かれば迷わず援軍を呼ぶ一択で調子に乗るついでに波にも乗る。ぶっちゃけ借りようと思って安易に借りられる戦力ではないのだが、今回は運、もとい天、或いは“北の民”というイレギュラーの塊がこちら側に味方した。なんてラッキー。噛み締めちゃうな、フローレンの日頃の行い。
などと己の幸運と婚約者の積んだ徳にしみじみしている間にも状況は進んでいる。意外なことに、ミロスラーヴァ卿への質問を口にする勇気を出したのは我が父こと国王陛下だった。
「あの、その、オルロフ大公。ひとつ尋ねたいのだが、事は学生の文化祭だろう? 今朝方レオニールに叩き起こされて北方大公直筆の文化祭延期嘆願書を見てからずっと思っていたのだが、この一件はオルロフ大公が心を砕くほどのことなのか………? いや、だからこそ貴女がこの場に居合わせているのだとは理解しているが」
「はは。国王陛下ともあろう御方が、なんともまあ、妙なことを聞く。そもそも“学園”の文化祭を前倒しで開催させることになった発端こそ我がオルロフ家………いや、北方大公であるこのミロスラーヴァにあるというのに、急かすだけ急かして不測の事態を理由にあっさり切り捨てるなど他の誰が許したところで私自身が許さぬよ」
己もまた当事者のひとりである、と影の権力者が示したところで一部の空気がざわりと揺れる。しかし座した老女の威容はその程度では乱れない。だから醸される強者のオーラそのままにゆったりと語られる彼女の言葉を遮る者などいなかった。
「預かっている“北の民”の帰郷の予定が早まったことで当初のスケジュールに狂いが生じ、せめてあの子に文化祭くらいは体験させてやれないか、と願った私の自己満足が関係各所に負担を強いた。相応の責は負うべきである、とこうして王都まで赴いたものの、いざ当日になったところでイベントそのものを中止にしかねないトラブルに見舞われてしまったとの報せを王子が自ら持って来たのだ。ここで動かぬのであればわざわざノルズグラートから出張った意味がなかろうが。なにより、結局土壇場で文化祭は中止になったと『リューリ・ベル』の記憶に残したくない。あの子だけでなく学園に集う他の学生たちの記憶にも、だ。子らの未来を翳らせるなど大人にあるまじきことよ。三日の延期で開催出来るというのであれば支援は惜しまぬ。金銭であれ融通であれ例え我が身の貸し出しであれ、全面的に協力するとも。当然であろう? 矜持の話だ。これ以上この国の未来を担う者たちを振り回したくはないのだよ。学生らに無理を押し付けたのは紛れもなくこの老いぼれだがな、同時にそれを容認して彼らに必要以上の難題を押し付けたそなたらに責がないとは言わせぬ。咎ではない。責任だ―――――あまり見縊るなよ、小僧ども。貴様らが『ミロスラーヴァ・オルロフ』を恐れて安請け合いした事柄を途中で学生らに丸投げしたこと、知られておらぬとでも思うたか」
拝啓、リューリ・ベル。お前は本当にどうしてこの人を大公のばあちゃんとかフランクな感じで呼べちゃうの? 率直に言ってめっちゃ怖いよ? 国王陛下を始めとして『文化祭を前倒しに開催することになったからそっちで適当に頑張って』と学園の生徒もとい現場に結構な案件を丸投げした自覚のある大人たちがこぞってぷるぷる震えているんだが?
あー、でもまあ自業自得ですね我が親愛なるフローレン並びに文化祭運営委員会のメンバーに見せたいわこのバンビな光景。なお『生まれたての小鹿さんみたいな震え』の意―――――冗談めかしてはいるものの反論も抗弁もする気力がなく心が折れたらしいオッサンどもが小動物のように所在なく縮こまって涙目になっている様は気まずいので直視したくない。宰相閣下を筆頭に無関係な人たちも連座感覚で怯えているからもうここ大会議室とかそういうのじゃなくて気分的には裁判所だよ。処刑場じゃないだけまだ慈悲深い、とりあえず王子様は傍聴席なので今のところ心に余裕があります。フローレンによろしくお伝えください。敬具。追伸。お弁当食べた?
現実逃避やめろクソ王子。
はい脳内セスの罵倒が落ち着く。そういえば北方大公閣下の怒鳴り散らすより静かに圧を凝縮した単発型の威圧の方がずっと怖いと魂そのものに刻み込んでいくあのスタイルはどうも意図的にではなくただの素でやっている気配しかしないので底知れないな、ミロスラーヴァ卿。
「で、あるがゆえ。この一件に関しては心を砕くだけでなく良識ある人生の先達として実際にきちんと対応することが当然の義務だと思うが、如何に」
「あ、仰る通りです。ハイ。打ち上げパーティー良いと思います。オルロフ大公がお出ましになるなら私もちゃんと王として参加するともあります良識。分かってます当然の義務ですハイ」
真っ先に、父が倣うのを見た。当たり前の結果だと分かっているから失望はない。軽蔑もない。そりゃまあそうなりますよねえ、という納得感だけが広がっていく。私だけでなく、室内すべてに、倒れたコップからこぼれて広がる水の動きを追うように。
「国王陛下もこう仰せである。私は最初から拒んでおらぬゆえ―――――さて、宰相。王子の企画、この期に及んで『ならぬ』とするならこの場で明確な理由を述べよ。別に宰相でなくとも構わぬ。異を唱えたい者は唱えよ。オルロフ大公家の名に懸けて、北方大公ミロスラーヴァは誰の意見であれ聞こう」
聞くだけ聞いてはやるけれども聞き入れるとは言っていない。そこに気が付かないのであれば要職に就く器ではない、つまりは全員分かっているな? という迂遠なようでストレートを極めた分からせ方がストロング。気のせいかしら、笑っているのに縄張り荒らされた熊さんみたいな幻覚が重なって見えちゃう不思議。世界一怖い老婦人ランキングとかあったら満場一致で終生一位の風格現在進行形。え、どうでもいい? ホントそう。
とまあこれだけ呑気に構えていられるのは私くらいのものなので、他の方々は大変神妙なお顔で続くミロスラーヴァ卿のお言葉を神託よろしく傾聴しているし恐怖というスパイス効き過ぎおばあさんに対して速やかに屈服を表明した国王を責める声は何処からも上がらなかった。パワーバランスがもうおかしいが実はこれ“王国”では普通である。
それを踏まえれば恐怖の代名詞と化している女傑ミロスラーヴァ・オルロフに面と向かって文句があるなら言ってみろと促されても逃げ出さなかった宰相閣下は流石に心が強かった―――――しかし北方大公閣下をしれっと味方に付けていた“王子様”を見遣る眼力も同じくらいに強いなホントに。
「発案者の殿下にお答えいただきたい………学生の、文化祭の、たかが打ち上げパーティーに! 国王どころか北方大公まで呼ぶ大義名分は考えておいでで!?」
「あっはっはっは、バッチリよ! よくぞ聞いてくれました! まあ企画書にもさらっと書いてはおいたが国賓待遇の招待学生『リューリ・ベル』のために前倒し開催されることになった文化祭の打ち上げパーティーだからな、呼んだ側の責任者の国王と後見人の北方大公家のトップが無理を通して頑張った学生たちとリューリ・ベル本人にサプライズで労いの言葉をかけるくらいのサービスはあってもいいだろう? そもそも王国史上初の国賓のための、言ってみれば臨時の国事みたいな位置付けの文化祭イベントの締め括りになるのが打ち上げパーティーなんだから、大義名分を気にするのであればむしろ逆に派手にするべきだと“王子様”は考えた―――――ぶっちゃけただでさえトラブルで延期になった国事の締めがしょぼくていいわけないと思わない?」
「国を挙げて招いた客へのもてなしが貧相でいいわけなかろう。そういうわけでな、オルロフ家は王子に話を持ち掛けられたその場で協力と支援を決めた」
物は言い様。そういうわけで、他にもいろいろ駆け引き的なことはあったけれども結論だけ言えば“北の大公のばあちゃん”は間違いなく“王子様”の居るこちら側―――――厳密には“北の民”の味方だ。断じてフローレンや私自身の絶対の味方ではないけれど、ミロスラーヴァ卿の存在ひとつで変わる局面は数知れない。
「確かにそれはそうですけれども! 個人的には許可したくとも立場的には難しいのですなんと言っても予算が! 警備が! その他諸々大人の事情が!!!」
「大人の事情をなんとかするのは我々大人の尽力であって子らには関係なかろうよ。それを理由に王子の企画を通さん理由は怠慢か?」
国王が頼りないせいで心労と胃痛がベストフレンド状態と噂の宰相閣下の切実なる訴えを真っ向から正論で叩き伏せるオルロフ大公には容赦がなかった。強大過ぎる虎の威が、それにより得た恩恵が、ひとつの勝ち筋を見せている。
(さあ、今のうちに考えろ。ミロスラーヴァ卿を味方に付けた時点で“私”はとっくに勝っている―――――重要なのは、勝ち方だ)
大差をつけるか、僅差で競るか、手持ちの駒は、残すか捨てるか。圧勝と接戦は別物である。結果はどうあれ過程にはある程度のドラマが生まれるものだ。同時に過程がどうであれ結果には印象が付き纏う。
(それを踏まえてここからどうする―――――どう誘導して決着をつける)
駒は手の内、勝利は確定、ただし狙うは最高得点。勝つこと自体は目的ではない、どう勝つかにこそ思考を削って描いた大掛かりな一枚絵には未だに足りないピースがあった。
(欠けていてもなんとかなるが、あれば助かるものがまだない)
時間を稼いでみたところで転がり込んでくる保証がないなら、やはり無いものだと割り切るべきだ。歪だろうが不格好だろうが望む未来に繋ぐしかない。
『お得意でしょう? 即興劇』
呆れたように言うくせに、棘も悪意も含んでいない信頼で補強された声音が頭の中でころころ笑う。得意だぞう、と返す相手は隣に居ない。だから言わない。アドリブ任せの人生なんていつもと何ら変わらないのだ。
誰だって、その場凌ぎであっても適応しながら生きている。自分も―――――他の人間も。
「僭越ながらオルロフ大公閣下、現段階での実現が困難な見通しにも関わらず楽観視して無責任にも許可を出すなど出来ませぬ。それこそまさに怠慢かと」
「一理ある。だがな、宰相。金銭的な問題と警備面の不足については我がオルロフ家が請け負う予定だ。親愛なる“北の民”をもてなすためならこちらは出費も労も惜しまぬ。というか、そのあたりの話は既に諸々王子と煮詰めた上でいいように進めてもらった筈だが?」
「え、は? なんて? 殿下ァ!?」
いきなり話を振られても、慌てふためく必要はない。脳内模擬実験に没頭していようが聞き取りを疎かにするのは二流だ。難聴系主人公の歴史は古いが今この場には相応しくない。
初耳ですが!? と言わんばかりの宰相閣下他重鎮の驚愕の視線を受け止めて、柔らかい雰囲気を心掛けながら私はすらすらと言葉を紡ぐ。しれっとさらっと爽やかに。屈託なく悪びれる気配なく。
「ああ。うん。ミロスラーヴァ卿の仰る通り、そのあたりについては既に相談が終わっていたのでフローレンと連携しながら必要書類を調えた………は、いいのだけれども打ち上げパーティーの企画そのものが宰相閣下のところで止まったと聞いたからまだ提出はしてないぞう。だって前提が成立してない書類が通るわけがないじゃないのよ、確認作業とか差し戻し処理なんかで無駄に時間を取られることを思えば当然の対応じゃない?」
それはそう、と理解した上で納得の表情を浮かべてくれたのはミロスラーヴァ卿と宰相閣下を含めてもたったの数名だった。他の連中は『馬鹿王子様』に振り回されるなど理由はどうあれ受け入れ難いとの抵抗と不満が透けている。このあたりで腹に据えかねたのか、挙手して発言の許可を求めた今朝の突撃偉い人チャレンジの犠牲者たる重鎮のひとりが疲れの滲むじっとりした目を私に向けつつ皮肉を吐いた。
「なるほど、確かにそうでしょう。レオニール殿下のご判断は当然と言われれば当然のもの………であれば、どうして、最初から、オルロフ大公閣下のお名前を書いて企画書を出さなかったので? 今朝、殿下が我々を叩き起こして文化祭の延期を願い出たあの段階でもう既に大公閣下がサプライズゲストを引き受けてくださっていたというのであれば、その旨を明記していただければこんな―――――」
「発言の途中で失礼。だが最後まで聞くまでもない、よって答えもとい私見を述べよう。サプライズゲストはミロスラーヴァ卿、とあの段階で明かそうものならどうせ『畏れ多い』とかそういう理由で止めたでしょうが。よりにもよって“北の大公閣下”になんて打診をしてくれたんだと拗れそうだったから記載は避けた。この状況を見るに英断だろう? 既に本人から許可を得ている、と説明したところで最悪の場合“文化祭”そのものが延期でなく中止される懸念があった。ああ、伏せたのは私の独断だからフローレンに責はない―――――文化祭が中止になってしまえば打ち上げパーティーは必要ない、なんて、オチはつまらないだろう? そんなものはこの“私”が許さない。だから、一計を案じた」
叱責は覚悟の上だとも、とにっこり笑って言い放った私を見た幾人かが息を吞む気配がした。その意図はどうでもいいけれど、流れは変わらずこちらにある。
(というかミロスラーヴァ卿の打ち上げパーティー参戦なんて胃が痛くなる展開を阻止するために文化祭そのものを中止にして企画を立ち消えさせたところで“北の民”のための催しを潰す結果になる以上はどう足掻いても北方大公閣下のご不興をダース単位で買い叩く、とかなんとか理屈捏ね回す気満々の私に嫌味を言う程度の感覚で絡むのはオススメしないぞう)
後援にミロスラーヴァ卿という最強の切り札チラつかせてる時点で今日の勝ち馬は王子様なので不要な火傷をしないためにもこちらが提示するプランその他に従った方が断然お得だとご理解ご協力お願いします―――――わざわざ口に出さなくても聡い諸侯ならお分かりだろう? いいからわかれ。
「なんと。殿下、まさかそこまで………」
「ああ、そうだとも、宰相閣下。私だってちゃんと覚悟はしていた―――――と、いうわけでせっかくミロスラーヴァ卿に御快諾いただいたスペシャル企画が大人の忖度で無かったことにされるくらいならいっそ外堀を全部埋め立てて今更断れない状況つくって何が何でも許可もぎ取って打ち上げパーティー成功させないことには怒られ損じゃんと開き直った結果が今ですハイこれ包み隠さず全容を記した最新の打ち上げパーティー企画書その他ッ! 読んだら許可のサインお願いしまァす!!!!!」
「いろいろと台無しですぞ殿下ァ!!! ひとまず目を通しますのでお待ちを」
「いいのか宰相そんなアッサリ!?」
「これもう後には引けませんぞ陛下。ああ、関係各所への書類もあるようで………ああうんなるほどコット補佐官、急いで配布を」
自分で言うのもアレだけど宰相おじいちゃんは王家の人間にちょっとだいぶかなり慣れ過ぎじゃない? いきなりお仕事モードに切り替えて必要な指示を飛ばしながら企画書をじっくり読み進めつつその場のノリで声を上げちゃったらしい国王陛下にドライな返答を打ち返すスピード感はもう熟練というか達人のそれ。実際そうなんだろうけれどもそこまで経験値の無い諸侯は唖然としたまま置き去りなので室内は突然静かになった。しかしそんな静寂は時間にして十秒も保たれない。
何故って? コット宰相補佐官が関係各所に配り歩いた書類のせいです。呪物かな? メイド・イン・王子様。
「え。え? なんだこ………ゲッ! あああああ審査が必要なやつゥゥゥゥゥ!!!」
「あああ生えたァァァ! 仕事が生えたァァァァァ! なんで斜め上からァァァ!?」
「降って湧いた北方大公閣下のところの金と人を動かす書類ィィィア!!!」
「待て待て待て待てこれ午前中に処理したヤツの数字が変わ、かわ………さ、ささささ差し戻し請求差し戻し請求ヤバイヤバイヤバイ通る前に止めて戻さないと処理がもっとめんどくさいことにぃぃぃぃぃぃ!!!!!」
「こないでこないでこないでこなくぅぅるなぁあああああ!!!!!」
一部現場の声から抜粋。最後に至っては書類を持って動く配布係(コット宰相補佐官)へのお祈りというか呪詛だったけれども労わるようにそっと肩を叩かれ絶叫の果てに諦めの境地に行き着いたらしく真顔になっていたのが印象的だ。
「え? 私にも届け物? なんだろ」
ちょっとした死の配達人みたいになっているコット宰相補佐官がもののついでみたいな感じで私に届けてくれたのは王城の備品の封筒である。重鎮犇めく大会議室の外の警備が受け取った速達便がなんやかんやあって室内を動き回っていた彼に託された流れらしいが、親展印が押されているとはいえ仮にも王子宛ての封筒の中身を検めることなく未開封のまま通してしまうのはどうなんだろうな―――――都合が良いから、いいけれど。
「マグレガー殿。少しよろしいか、こちらをご覧いただきたいのだが」
「なんでしょうかサンティーニ殿、正直それどころではな………エッ? これそちらだけに限った話じゃなくウチにも絡んできてません? 待ってつまりまだ仕事が増えます?」
「しかも北方大公閣下が関わっている案件が? 更に? え、これ帰れる?」
「はははははははホントこういうイベントに関してはしごできプリンスであらせられますなははははは勘弁願いたい」
一見和やかなようでいて、広がっていく地獄の輪。和やかに談笑しているように見える人々の目が虚ろなのは断じて気のせいなどではない。え、しごできプリンスなにそれ? 何言ってんの現実見なさい有能枠はフローレンだけで十分なんだよアイアムお馬鹿。
「副団長無視しないでくださいよねえ副団長どうすんですかコレ警備の不足を補うために北方大公子麾下の私兵を一時雇用の上で投入ってこれ逆に何処と何処に許可取って何処に話を通せばいいんですか所属が北方大公軍じゃなくて大公子個人になる場合の処理はどうすればいいんですかああああああ」
「うん? そうか、処理に困るのか。我が軍から国事の警備の穴を埋めるための手勢を寄越すとなると煩雑な手続きを踏まねばならず面倒な手間が増えるゆえ、息子の子飼いの精鋭連中を使った方がまだマシであろうと気を遣ったつもりだったのだが………それはそれで困るとなれば、普通に軍を動かすとしよう。要人警護の規則に沿うなら最低でも師団編成になるが」
「大公閣下に聞かれてたァッ! こんな騒がしいカオスな現場でも聴力が現役でいらっしゃるッッッ!!!」
「黙れ!!!」
ごん! と鈍い音を立ててその場のノリと勢いでうっかり「お年を召しているにも関わらず耳は衰えていないんですね」ともとれる発言を投下してしまった近衛騎士団筆頭事務官の頭が隣の副団長にぶっ叩かれたが誰一人として笑わない。国王陛下の後ろでずっと要人警護の任に就いていた騎士団長が無言で潔くミロスラーヴァ卿へと頭を下げたが誰一人として何も言わない。言えるわけないじゃんこの空気。
騎士団って事務官も脳筋さんなの的な非難の眼差しがざくざくと降り注ぐ新しい地獄の真っ只中で救世主になってくれたのは本当の意味で仕事が出来る有能な宰相閣下だった。取り乱してる場合じゃねえ、と言わんばかりの眼差しが決意を宿してきらりと光る。
「申し訳ありませんオルロフ大公閣下、質問してもよろしいでしょうか。私の記憶違いでなければ要人警護で師団を用いるというのはかつての四方大国時代の戦略単位基準では?」
「如何にも。作戦遂行における最小の戦略単位である」
「どうして“王国”になってから新たに定めた基準ではなく古の国取り合戦時代の『最低でも一万人以上』とかいう大国スケールの最小単位をこのタイミングで持ち出されたので!? そんな大人数差し向けられたらパーティーどころではありません、会場である学園のキャパシティを超えております。過去の記録と照合するなら国王と四人の大公が一堂に会する機会でもなければ例え要人の警護であっても師団の動員は大袈裟でしょう。最初にご提案いただいたとおり、オルロフ大公子の子飼いの精鋭を借り受けるプランでお願いしたく………ただこちら、中隊規模というのはもしや例の戦略単位基準で―――――合っている。となると、少々多いかと。ええ、警備のすべてを任せるならともかく足りない人員を補うだけなら現定義の小隊でも十分可能では」
「そうは言うがな、宰相よ。国王陛下だけでなく大公ふたりが参加する催しともなれば警備の百や二百は」
「お待ちを」
宰相閣下がすかさず待ったをかけたがこれに関しては無理もない。だって北方大公閣下は自然な流れで当たり前のようにとんでもないことを口にした。
「あの、オルロフ大公閣下。聞き間違いでしょうか、今なんと? 国王陛下だけでなく大公………ふたり?」
否定の希望に縋って揺れる声が確認のために紡いだ台詞の異常さを感じ取った人々から言葉や表情が消えた中、私だけが平然と他人事のように立っている。施した仕掛けを動かすものが常に自分とは限らない。望む結果にさえ繋がればすべてはどうでもいいまである―――――『勝ち方』を意識しておきながら、要所要所で適当なのはきっとご先祖様の血だ。
ゆったりと含みを持たせた視線を馬鹿王子へと向けながら、ミロスラーヴァ卿は思い出し笑いを堪える口調でのんびり言う。
「なんだ。それも伏せたか、王子。まあ言えるわけもなかろうな。白状すれば頼まれたときは流石の私も目を剥いた―――――どうせなら西方大公も打ち上げパーティーに呼びたいからちょっと一筆書いてくれ、とこのミロスラーヴァに面と向かって宣う図太さは大したものよ」
「はっはっはっは褒め過ぎですよ照れます北方大公閣下! ダメでもともとみたいなノリでお願いしたのに快く西方大公閣下にお手紙出してくれてありがとうございました助かりました!」
「何言ってんだ本気で何やってんだ照れてる場合か馬鹿バカばか馬鹿ホント馬鹿なにしてんだこの馬鹿息子―――――ッ!!!!! 王子の戯言に付き合って本当にヴィッテルスバッハ大公に手紙を出すとかオルロフ大公も何やってるんだちょっと子供に甘過ぎじゃない!?」
和やかに笑顔で会話する北方大公閣下と王子様にドン引きしている諸侯の前で元気一杯にキレ散らかす父上もとい国王陛下はミロスラーヴァ卿に一瞥されて即座に黙ったし小さくなったので苦手意識が根強過ぎない? という気がしなくもないけれどもこれはきっと経験の差というか単純に相性の問題だろう。もしくはアレだ、覚悟の差。それが今まさに露呈している。死ぬ瞬間までその勇ましさは衰えも綻びもしないだろうと思わせるだけの何かを持った老女は厳かに口を開いた。
「聞き捨てならんな、国王陛下。何を取り乱すことがある。先に宣言したとおり、オルロフ大公家は国賓のために“文化祭”への支援を惜しまぬ。財も、労も、伝手さえも、ひとたび協力を求められたなら惜しむことなく使ってやるとも。個人的に付け加えるなら、ひとときの青春の思い出をより良きものにしてやろう、という王子の気概は買うに値する。今の“学園”にはルイトポルトの孫娘が在籍していることを思えば考え無しの無謀な人選というわけでもなかろうて」
呵々、と豪胆に笑い飛ばすミロスラーヴァ卿がぜんぶを薙ぎ倒してくれるから王子様は穏やかに微笑んでいるだけでいい。宰相閣下が改めて頭を抱えていらっしゃるけど知ったことではないですね。馬鹿が馬鹿みたいな我を通すには突き抜けた馬鹿になるのが早い―――――なにより、あまりの馬鹿馬鹿しさに耐えかねた何者かが釣れるので。
「ば、ば………馬鹿なことを!!!」
だあん! とテーブルに拳を叩き付けたキルヒシュラーガー公の激昂を、私は横目で見るにとどめる。直視はしない。何事だ、と目線ひとつで態度を示す。騒ぎを起こす者が誰かを視界の端で確認するだけの作業感を醸し出せ。プライドの高い貴族の典型の習性を上手く利用しろ。
「我が父に………誇り高き西方一門の長、西方大公家ヴィッテルスバッハのルイトポルトに北方大公経由で学生どもの文化祭の打ち上げパーティーに参加しろなどというくだらない打診をしたのか、貴様は!!! 馬鹿馬鹿しい! ふざけている! こんな侮辱が許せるものか! 病に伏せった我が父が余命幾許もない身であると知りながらよもやそのような………たとえ王命であったとしても、弱り切った身体では参じられるわけがないというのにお戯れが過ぎましょう! オルロフ大公閣下もですぞ、このように天真爛漫なだけの王子に丸め込まれて言いなりになるなど嘆かわしいにも程がある………とは言え、そのような愚行に走る王子がもっとも度し難い!!!」
感情のままに吠え立てているキルヒシュラーガー公爵からは“王族”に対する建前というものがいい感じに剥がれ落ちている。しかし腐っても公爵位、最低限だけは取り繕ってここぞとばかりに責め立ててくる彼の態度を咎める声は流石に何処からも上がらなかった。公認ライバルポジションであるノルンスノゥク公爵でさえいくらなんでもこれについては一切反論のしようがないと口を噤むあたり相当だろう。誰もフォローのしようがないし、実際キルヒシュラーガー公爵の怒りは普通に考えたら正統なものだとこの“私”でさえ理解は出来る。
だからこそ、今、餌にした。
(西方大公、ルイトポルト卿が病に侵され養生の身と知らない者は誰一人としてこの場に居ない。近年ではとうとう代理を立てねばならない程に体調が思わしくないことを知った上で文化祭の打ち上げパーティー如きに呼び出すなんて思い付いても実行するとは思えないような狂気の沙汰だ。不謹慎だし非常識だと憤るのは当然だろう。宰相閣下やミロスラーヴァ卿さえ様子見姿勢なのがその証拠、キルヒシュラーガー公爵の怒りには明らかな正当性がある―――――食い付きが良過ぎて助かっちゃうな)
表情にも態度にも出さないが、もう釣れる、という確信がある。あとはただひたすら待てばいい。あちらが北方大公閣下に直接絡む危険を避けるべく私に狙いを定めたとして、睨まれようとも受け流すだけの余裕を持って決定打を待つ。
その瞬間はすぐに訪れた。
「まったく、ノルンスノゥク公爵令嬢は一体何をしていたのか―――――ああそうだ、ノルンスノゥク公爵令嬢! 婚約者の彼女がレオニール王子を御しきれずにこのような事態を招いたのがいけない!!! レディ・フローレン・ノルンスノゥク! 彼女は今何処に居るのです!? よもや所在を把握していない、などとは言いますまいな!!!!!」
言い掛かりにも程がある、とは誰も口にしなかった。実父のノルンスノゥク公爵でさえ。誰も彼女を庇わない。それ程までに『フローレン』という婚約者は『王子様』の目付け役であり子守であり都合の良い生贄だった。婚約者と決まったあの日から。或いは、もっと昔から。
何か言いたげに口を開きかけている宰相閣下とミロスラーヴァ卿に先を越されるわけにはいかない“私”が先に答えを攫う―――――その質問を、待っていた。
「ええ? キルヒシュラーガー公、何を仰るかと思えば………把握していないも何も、貴公の方がよくご存じでしょう?」
何ひとつとして、嘘は言わない。言う必要がないからだ。危ない橋など渡らない。橋ですらない綱の上をずっと突っ走っている。笑い出したいのを必死に堪えて、嗤いたい衝動を捻じ伏せながら、この人は何を言っているんだろうと言わんばかりの顔をして。
「よくご存じの筈ですよ。だってフローレンは今、貴公の御子であるキルヒシュラーガー公子と一緒に居る筈なんですから」
「………え?」
違います? と、小首を傾げて、なんでもないふうを装って、なんでもないことを告げるように。ずっと用意していたのだと悟られないよう敢えて平然と紡ぎ出されたこちらの答えと問い掛けに、高揚していたヴィンセント・キルヒシュラーガーの顔から一瞬にして血の気が引いた。ひゅ、と発音し損ねたらしいなんらかの音は沈黙を挟み、不自然に固まった表情の中で蒼白の頬を引き攣らせながら彼は驚愕に震える声を喉から絞り出している。
「は、な………なっ、なぜだ、なぜ、それを………!?」
「え? 何故も何も、知っていて当然のことくらいは知っていますよ。逆に知らない筈がないでしょう? 逆にお伺いしますけれども、キルヒシュラーガー公が突然この場に現れたのをさらっと受け入れて歓迎した張本人の私が何も知らないなんてことあると思います? あの対応は貴公が先触れを忘れる程に急ぎ登城した理由を把握しているからこそである、と判断した方が自然でしょうに、いやだなあ、もう、敢えて試すだなんて―――――人が悪くていらっしゃる」
「あ、あ………」
にこやかに冗談めかしてみても、相手の顔色は冴えない。怖気付いたように半歩後ろによろめいたキルヒシュラーガー公爵の目に映る今の私はさぞや不気味で得体の知れない存在だろう。侮り蔑み見下していた肩書だけの馬鹿王子様に「お前の企みなどすべて把握した上で迎え入れたに決まっているだろう」的なニュアンス込みの笑顔で宣われ、呆然自失一歩手前の公爵は致命的に口を滑らせた。
「なぜ、何故だ………どうして………ノルンスノゥク公爵令嬢が我が子ヴィクトールと共に居ることをどうやって突き止めたというのだ!!!」
いや待って暫定国賊公爵超爆速で墓穴掘るじゃん。
願ったり叶ったりではあるんだけれども笑いが止まらなくなりそうになるのを堪える私の身にもなってくんない? いやまあ普通にとぼけられるけど。脳内のセスとリューリ・ベルが疑いの目を向けてくるので証拠をお見せするとしよう、“王子様”の面の皮の厚さをご覧!
「はい? なんて? ヴィクトール? 失礼、キルヒシュラーガー公。それは誰のことでしょう」
「とぼけるな! なんと白々しい! レディ・フローレン・ノルンスノゥクはキルヒシュラーガー公子と一緒に居ると言い当てたのは貴様であろうが!!!」
「はあ。確かにキルヒシュラーガー公子と一緒に居る筈とは言いましたけど………え? 何か問題が?」
「ええい、ふざけるのもいい加減にしろ! 何故分からんのだ大馬鹿者め! だから貴様の言うそのキルヒシュラーガー公子はヴィクトールのことであろうとさっきから」
「私が口にしたフローレンと一緒に居る『キルヒシュラーガー公子』というのはレディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガーであってヴィクトールなる者は知りませんけど?」
さっきから何喚いてんだコイツ、みたいな困惑を全面に押し出しつつ首を捻ったついでに「ていうか誰それ知らん知らん怖」的な視線をキルヒシュラーガー公爵に突き刺したところ相手は絶句して固まった。完全に予想していなかった答えを浴びて混乱したらしい公爵は、勢いを削ぎ落とされこそしたもののとりあえず何か言わねばと必死に知恵を絞ったらしい。呼吸をなんとか整えて、繕いながらも彼は言う。
「な、そん………まッ、紛らわしい! マルガレーテのことであるなら最初から『キルヒシュラーガー公女』と言うべきであろう! 小癪な真似を!!!」
「いやあの現在の“王国”的には男女の区別なく『公子』呼びで統一してるのでそう言われても困るっていうか………西方貴族の慣習を否定するわけではないんだけれどもそこを詰められてもなあ、っていうか………」
まず開口一番に突っ込むポイントそこなんだ、という気持ちを隠すことなく周囲を見遣れば返って来たのは労りの視線と同意を示す短い首肯だ。だよね。これに関してはそう。細かい呼び方にこだわっているのは今となっては伝統を重んじる西方一門くらいのもので言ってしまえばローカル・ルール、諸侯もそれは分かっているのでキルヒシュラーガー公爵の主張はそんなこと言われましてもね的なものに留まって追い風にはならない。
「そもそも『キルヒシュラーガー公子』と聞いて真っ先に嫡子のマンフレート殿ではなく『ヴィクトール』なる者の名が出たことが私には不思議でならないのですが………本当にそれ、誰なんです? しかも貴公、どうしてその者が私の婚約者と一緒に居るなどと見当違いな誤解したので?」
心の底から理解不能だとの副音声を滲ませながらゆっくりと紡いだ私の疑問に、言われてみればそのとおりだと周囲の同調が重なっていく。キルヒシュラーガー公爵は言い訳も出来ないらしかった。引っ掛けたのはこちらだが、当然と言えば当然だろう。
(フローレンが誘拐されたと知らない者からしてみれば、『キルヒシュラーガー公子』と聞いてマンフレート殿でもマルガレーテ嬢でもない名前を出して取り乱す公爵は明らかに不審だしおかしい。真実を知っている者からすればフローレンを誘拐した犯人もその素性も既に把握していると言い当てられたに等しいからあの反応はむしろ妥当だが、まさかそれを第三者相手に堂々と説明するわけにもいかない―――――さて、どうする? 暫定国賊。この状況で次期王妃が攫われた事実を明かせるか? それとも彼女が自分の娘と一緒に居る筈がないと抗弁するか?)
おそらく後者だ。ほとんど確信に近いそれに対する返答は用意してある。迎撃の機会が訪れたのは、ほんの二秒後のことだった。
「ご、ご冗談を、レオニール王子………我が娘、マルガレーテ・キルヒシュラーガーがノルンスノゥク公爵令嬢と行動を共にしているなどと、そんなことある筈がありません。あれは大変気位が高い。己がライバルと定めた者と慣れ合うなど絶対にあり得ませぬ」
「あれ? キルヒシュラーガー公、もしかしなくてもご存じない? レディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガーとフローレンは確かに何かと切磋琢磨し合う関係ではありますが、高位貴族の御令嬢らしく己が責務に忠実です。しかも今は文化祭という臨時国事イベントの一大事、ぶっちゃけ張り合ってる場合じゃないので手に手を取って協力関係ガチガチに築いて鋭意対応中ですよ―――――ああもう説明めんどくさいな。あ、そうだ。お疑いならさっきフローレンから届いた手紙でも読みます?」
「は? 貴様ァ! たかが飾り物の王子でしかない分際で大公子であり公爵でもあるこの私に向かってめんどくさいとは何だめんどくさ―――――さっきフローレンから届いた手紙!? ば、馬鹿な! そんなもの貴様の手にある筈が………!」
「いや馬鹿なも何も見てのとおりホントに此処にありますけども?」
そう言って私が掲げて見せたのは先程コット宰相補佐官に届けてもらった封筒である。実はこれ保険のひとつとして仕込んでおいたものだったのだが、郵送という手段を取っている以上どのタイミングで手に入るかは完全に運任せだったので今さっき届いたことは奇跡に近い。
「そ、それが先程届いたものだとは」
「え。まさかコレ証明いる感じ? 嘘でしょ。出来るけど。えーと、コット宰相補佐官。コレ届いたのってさっきだったよね?」
「はい、殿下。仰る通り、つい先程、外の警備から渡されたそちらの封筒を私自らレオニール殿下にお届けしました。僭越ながら申し上げますが、差出人には『マルガレーテ・キルヒシュラーガー』との記載があったと記憶しております。なお、発送地はブルカウクスでした」
一個人の力だけではどうにも操れない運要素さえも味方に付けたギャンブラー魂を信じられないキルヒシュラーガー公爵が諦めずに難癖をつけてくれたが第三者の証言で沈黙していた。ありがとうコット宰相補佐官。差出人名どころか発送地まで補足してくれて超助かる―――――偶然を利用しない手はない。
「は? いや、待て、ブルカウクス………? で、でたらめを言うな、そんな筈がない、私が王都に赴くためにブルカウクスの別邸を発ったのはほんの数時間前のことだぞ………!」
「ああ、なるほど。どうにも話が噛み合わないとは薄々感じていましたが、つまりはそういうことですか。どうりでご存じないわけだ―――――北方大公閣下経由で西方大公閣下に打ち上げパーティーの参加を打診した、とキルヒシュラーガー公に報告するためにフローレンを伴ってブルカウクスに向かったレディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガーとまさか入れ違いになっていたとは!」
でっち上げは堂々と言い放つに限ると思っているので私は堂々と言いました。ほーら、自信たっぷり過ぎて嘘っぽさゼロじゃん? 嘘だけど。厳密に言えばレディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガーがブルカウクスに行ったのは本当だとしてもフローレンは一緒じゃないので割合半分で嘘だけど。
「………………はあ!?」
「あっはっは、いやあ、申し訳ない! てっきり西方大公代理として詳細を詰めに王城までわざわざお越しくださったものだとばかり思っていましたが何もご存じなかったんですね! ごめんなさいねホント気付きませんで! ああ、遅れ馳せながら簡単にご説明させていただきますと、速度重視でキルヒシュラーガー公家もとい大公代理であらせられる貴公を飛ばして北方大公閣下を介し直接西方大公閣下にお願い事を申し上げるなど流石に焦り過ぎだったかなあとこちらとしても反省しましてご息女であるキルヒシュラーガー公子、失礼、キルヒシュラーガー公女から貴公に話を通していただくよう図らってもらったんですよ。で、貴公がいらっしゃるというブルカウクスに赴く彼女に我が婚約者のノルンスノゥク公爵令嬢も同行しました。キルヒシュラーガー公への報告だけでなくあちらでいろいろと“文化祭”のためにやるべき雑事がありましてね、どうせならそのあたりも一緒に纏めて片付けた方が効率的ということになりまして―――――粗方無事に終わったものの、まだ算段のついていない案件がいくつか残っているらしく。本日中に王都に戻るのは無理そうだからレディ・マルガレーテと一緒にブルカウクスにあるキルヒシュラーガー公家の別邸に泊まります、という報せがこちらの手紙になります」
強めの語調ですこぶる明るく言い放ったこちらに対してキルヒシュラーガー公爵は驚愕に顎を外すしかない。実際には外れてなどいないだろうが、それぐらい大口を開けて呆ける相手にここぞとばかりに私は都合の良い設定をぐいぐいと押し付けたついでに小道具の手紙を活用する。
神経質そうな細やかな字で、しかし優雅に嫋やかに紙面を踊っているインクが綴るのは簡潔に要点をおさえてまとめた現地での成果と今後の予定だ。そして締めには何かと羽目を外しがちな婚約者への釘もとい気遣いに溢れた気品ある小言が彼女らしい表現で連ねてある―――――ちなみにこちらの手紙だが、もちろんのこと“私”が書いた。フローレンの筆跡でフローレンになりきって私が書いた。それをレディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガーに持たせてブルカウクスで出してもらった。キルヒシュラーガー公子からの速達にフローレンの手紙が同封されている、という事実はあのふたりが揃ってブルカウクスに居るという物的証拠として成立するだろう。こじつけ? なんとでもおっしゃい!
(キルヒシュラーガー公子の協力が取り付けられたのは僥倖だったな―――――フローレンといい彼女といい、親よりよっぽど出来た『貴族』だ)
“王子様”は彼女に嫌われているから助力が得られるかは賭けだったのだが、レディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガーはフローレンが誘拐されたと聞くや否やこちらの味方に付いた。北方大公閣下の助言に従い誘拐犯の正体やその目的をある程度絞り込んだ上で協力を仰いだのは正解である。いろいろあったが大胆に結論だけ言ってしまうなら、彼女は自身の父親が愛人に産ませた庶子の存在をとうの昔に知っていた。それが己より年上なことも、鳴かず飛ばずとはいえども伯爵位を継いでいることも―――――きっと、実父や腹違いの兄の度し難く馬鹿馬鹿しい愚かさも。
知っていたから、ああもあっさり、フローレンのために動こうとする“私”に協力してくれた。
「な、そんな、まさか、ま、マ―――――マルガレーテェッ!!!!!」
間違いなくフローレン本人の手による彼女にしか書けない手紙である、と実父であるノルンスノゥク公爵含め国王陛下や宰相閣下その他数名に太鼓判を押された手紙を読んで、キルヒシュラーガー公爵は己の娘が敵だと悟った。まさか実子にこんな形で自分の計画を阻まれるとは夢にも思っていなかったらしく、蒼白だった顔色が憤怒の赤へと忙しない。ふたりが一緒に居る筈がない、といくら真実を口にしようとも当の娘本人が「一緒にブルカウクスに赴いた」とフローレンの同行を証明するのだ。親世代ほどではないにせよ彼女たちもまたライバルであるとの認識は周囲に根付いているからまさか親を切り捨てて相手を庇っているとは思うまい。
都合が良い。本当に都合が良い。こうも私に都合が良くていいのかしら? いいんだよ。
(それで守れるなら何でもいい)
最悪過ぎるタイミングで発生した娘の反抗期もとい離反に怒りで震える暫定国賊はどうかそのまま運という運に永遠に見放されていろ。理想の勝ち方にはあと一手。それを差すなら、今ここだ。
「さて、ひとまずフローレンの所在云々についてはこれでお分かりいただけたでしょう。彼女は貴公のご息女であるキルヒシュラーガー公子と共にブルカウクスに滞在中です。西方大公閣下に直接打ち上げパーティー参加を打診したこの“王子様”の尻拭いのために、ひいては学園の文化祭をより良いものにするために―――――とは言え、結果的にキルヒシュラーガー公を混乱させることになってしまい、大変申し訳ありませんでした。よもや入れ違いになっていたとは………てっきり彼女たちの報告を受けて急ぎ駆け付けてくださったとばかり………ご寛恕いただけますと幸いです」
「いや………その………ええ、はい。そういう、ことも、あるのでしょうな。はは、いや、私も取り乱してしまい申し訳ない。場を掻き回してしまいましたな、事情も分かったことですし、諸侯も何かとお忙しかろう。他に用もないことだし、私はこのあたりで下がらせて―――――」
取り繕った公爵の声が逃げの一手を打っている。これ以上この場に留まることは自滅を意味すると知っているのだ。
「え? キルヒシュラーガー公、他に用がないわけではないでしょう?」
けれど逃がす筈がない。罠に掛かった獲物を逃がしてハートフル系な王子様を気取ってる場合じゃないんだよ。
(だって私は馬鹿だもの)
有能な婚約者に支えてもらってやっと王位を継げる馬鹿。フローレンの隣の馬鹿王子。能天気そのもので微笑んで、殊更平和を装って、穏便に殺すべく王手をかける。
「フローレンやキルヒシュラーガー公子と入れ違いになったということは、彼女たちが着くよりも先にブルカウクスを発ったのでしょう? 彼女たちに会うことなく、けれどこうして王城を訪れた貴公には何らかの用向きがある筈でしょう? 西方大公閣下に打診した打ち上げパーティーの件以外で、キルヒシュラーガー公爵であり西方大公閣下の代理でもある貴公が、わざわざ、先触れを出す余裕もなく急ぎ駆け付けねばならない程に切迫するような用件が。それを果たさなくてよろしいので?」
「ああ、そういえば火急の用件で国王陛下か宰相閣下に面会を求めておりましたな―――――門番によれば秘匿事項、或いは国の大事であるとか」
「言われてみれば確かにそのような報告を騎士団長から聞いた覚えが………しかしキルヒシュラーガー公。秘匿する程の大事とは………穏やかな話ではなさそうですな。幸いにして今この場には陛下もオルロフ大公閣下も重役の方々も同席している。これ以上の機会はありますまい、御用件を伺いましょう」
「エッ………今………? こ、この場で………!?」
本来ここに来た目的そっちのけで逃げ帰っちゃっていいんです? とオブラートに包んで宣った私の言葉に反応してくれた騎士団長と宰相閣下のファインプレーによりキルヒシュラーガー公の退路が絶たれた。これで大した用じゃなかったら顰蹙を買うどころの話じゃない。
「いえ、その、なんと申し上げたものか………ただの私見でありますが、これはあまり多くの耳目を集めぬ方が良いのではないかと………」
「なんと。そこまで大事なのか」
「ええ………この状況でオルロフ大公やヴィッテルスバッハ大公を学生の打ち上げパーティーに呼ぶ以上の大事って何………なんなの………ホントなに………?」
「西方貴族のナンバーツーが自ら持ち込むビッグトラブル………気を引き締めて聞かねばなりますまい………」
宰相閣下が目を見張り、国王陛下の気が遠くなり、騎士団長は居住まいを正したがキルヒシュラーガー公爵本人はどんどん小さくなっている。下手に言い淀んだことにより勿体ぶっている感じが出た結果みるみると首が締まっているな。なんやかんやあって文化祭についてのアレコレに振り回され爆弾情報を小出しにされてちょっと脳が疲れたところで小休止的に挟まれたまったく別のトラブルの気配を感じ取った諸侯の方々もすっかり勘弁してくれ的な雰囲気を漂わせている。しかしそこはまあ偉い人たち、投げ出すことなく固唾を飲んで秘匿事項の開示を待ってくれるあたりがなんとも大人。
「ところで、キルヒシュラーガー公。僭越ながら一刻も早く本題に入っていただきたい」
「然り。先刻オルロフ大公閣下が仰せになったとおり時間は無情にも有限にて………片付けねばならぬ仕事が増えるなら早く知るに越したことはないでしょう」
「むしろ早く教えていただきたい。何をまごついていらっしゃるので?」
「まあまあ方々、そうせっつかずとも………え、まだ引っ張る感じなんです? すみませんがキルヒシュラーガー公、流石にそれはちょっとどうかと………」
前言撤回、大人であっても黙って待っているだけでは埒が明かないと早々に察して全員総出でキルヒシュラーガー公爵に話を促しまくっているので偉くはあっても人の性には抗えないんだなあとかなんとか思わなくもない王子様だよ。それはそれとして心情的には集団私刑を受けているに等しいせいか怖気付いた暫定国賊が煮え切らない態度でまごまごしてるから勿体ぶるのも大概にしろとそろそろ気の短い誰かがキレそう―――――と、そんな張り詰めた空気の中に、たったひとりだけ種類の異なる闘気を放つ人物がいる。手元に広げた紙面に注ぐ視線が険しさを増していくばかりの人が。
「こ、このような場で申し上げるなど―――――やはり日を改めさせていただ、ヒェッ!」
はよ言えや、と貴族的な言い回しで突かれていたキルヒシュラーガー公爵がついに形振り構わずに逃げ出すという愚行に出たが、それをあっさりと阻んでみせたのは騎士団長―――――ではなく、警備でもなく、どころか王城勤務の騎士とはまったく意匠の違う軍服を着ている時点で所属はお察し。名前こそ存じ上げないが、北方大公閣下に付き従ってずっと彼女の後ろに立っていた肩書的には秘書官の人、立ち振る舞いから予想するにおそらくはゴリゴリの武官であろう人物は敵前逃亡を図った男の前に立って無言を貫いていた。もちろんミロスラーヴァ卿の指示があっての行動だろう。どう命じられたかまでは知らないが、立ち塞がる、と形容するのがぴったりの直立不動の構えで無言のままに眼前の獲物を逃すまいと視線を固定する様は控えめに申し上げて恐怖でしかない。
「そちらが日を改めるというなら構わん、と言ってやりたいところだが、こちらはそういうわけにもいかぬ。待て。ヴィンセント・キルヒシュラーガー。確認せねばならんことがある」
「お、ォオ、オルロフ、大公………大公閣下が、私に、何を?」
有無を言わせない命令形に爵位ではなくフルネーム呼び。ミロスラーヴァ卿に一対一で名指しとかもう怖過ぎる。だが現役の軍人を押し退けて逃亡など出来る筈もないキルヒシュラーガー公爵は大人しく応じる他になく、結論から言えばどうせ本日この場に現れた用件を述べよと改めて問い質されるだけだろうと思っているだろう彼はこの段になってようやく腹を括った。
そんなに言わせたいのであれば公にしてやろうではないか、とヤケクソ気味に開き直ったらしいキルヒシュラーガー公爵に向けて、ミロスラーヴァ・オルロフは至極単刀直入に、感情の消失した冷淡さで以て確信に満ちた断定を投げる。
「ヴィンセント・キルヒシュラーガー、そなた―――――公爵家の簒奪を目論みおったな」
「………………………はっ?」
まったく予想していなかった内容だったが故に上手く飲み込めず、どころか意味を理解するのに数秒を要してもまだ足りない。思考停止という致命的な隙を見せたのは公爵ひとりではなかったけれど、その場に集った者たちの再起動を待たないままにミロスラーヴァ卿は己の配下に迅速かつ的確な指示を飛ばした。
「バーベリ伯。捕縛せよ」
「御意」
いらえは短く、無駄がなく、同時に躊躇も容赦もない。つい先刻は壁としてキルヒシュラーガー公爵を逃すまいと立ち塞がったミロスラーヴァ卿の秘書官は護衛も兼任しているらしく、端的に言えば強かった。涼しい声で応じた直後にはもう近接格闘術を駆使して対象を床に固定している。荒々しさなど感じさせない一連の作業は流れるようで、気付いたときには捕縛対象者が棒立ちから俯せになっていた。そして次の瞬間にはもう公爵の手が背中側であっさりと縛り上げられている。魔法のような手際の良さに、見惚れた誰かがついつい場違いな拍手をぱちぱちと―――――国王陛下、気持ちは分かるけど今は駄目でしょ気付いて父上! 私でさえ我慢したのにさあ!!!
「は? え? 今、何が。どう………ッ!? なんだ、これはどういうことだッ! どうしてこの私がこのような辱めを受けねばならんのだ! おい、耳は聞こえているだろうさっさと放せこの無礼者! 一介の軍人風情めが、このヴィッテルスバッハ大公子キルヒシュラーガー公であるヴィンセントを這い蹲らせるなど身の程をわ」
「黙れ」
単語としても要望としてもシンプルを極めているというのに込められた圧が強過ぎる。突き放すように吐き捨てられたド低音の重さときたら最初の「控えよ」の比ではない。当然の如くにビビり散らかしたキルヒシュラーガー公爵は瞬間的に委縮したし周囲の諸侯もぷるぷる震えた―――――だって、誰の目にも明らかに、これ以上ないってくらいの形相でミロスラーヴァ卿がおこなのである。表現的にぼかしてみたところでお怒りなのは間違いない。強いて言うならそのへんの阿呆に貴重な糧を台無しにされたリューリ・ベルの上を行く激怒。定義としては怒らせた当人のみならず居合わせた人の大半も生きた心地がしないやつ。
味方で良かった、本当に、と私は呑気にそう思った。
「囀るな。口を閉じよ。貴様の言い訳など聞くに能わず、また弁明の余地もない―――――行いを恥じ、慈悲を祈れ。貴様に許されたことはもうそれ以外には無いと知れ」
「なにを、なにを仰っているのか分かりかねます、オルロフ大公閣下! いいえ、いくら大公閣下でもこんなことは許されぬでしょう!? 西方大公家の直系にしてキルヒシュラーガー公家の長たる者を公衆の面前で愚弄するなど、ましてや捕縛するなどと正気の沙汰とは思えませぬ!」
「その口を閉じよ、と申し付けたのが聞こえなんだか。愚か者めが………そのキルヒシュラーガー公爵家を庶子に継がせようと企んだことが露見したのだと何故分からぬ」
ざわ、と室内の空気が揺らぐ。床に転がされた男が喚いて暴れるのを止める代わりに勢い良く顔を跳ね上げた。そこにあるのは困惑と、あとは畏れがひとかけら。
「はあ? 我がキルヒシュラーガー公爵家をヴィクトールに継がせる………ですと? はは、なにをそんな、馬鹿馬鹿しい! 言い掛かりです、冤罪だ! 事実無根も甚だしい! 寝耳に水でございます、そのようなことを企んだことはヴィッテルスバッハ大公である我が父に誓ってありませぬ! 大体そんな荒唐無稽な作り話が何処から湧いたやら、いくらオルロフ大公閣下と言えどもこの暴挙は許されますまい、どう責任を取るおつもりか!!!」
毅然と声高にそう叫ぶ公爵の姿に嘘はなかった。突然拘束され床に倒されるという屈辱に耐えながらも勇ましい糾弾を繰り広げる姿には何ひとつ恥じ入るところがない。
(まあ実際は『キルヒシュラーガー公爵家』どころか『王位』を自分の庶子に継がせるつもりだったんだから、国家の簒奪をお家騒動にスケールダウンされたのは心外もいいところだろうが………レディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガーと似てはいなくとも親子だな)
なんというか、致命的に、とことんアドリブに弱い―――――だから懲りずに墓穴を掘る。
「吠えるな、小僧。気付いておらんのか………何処から湧いた話も何も、誰あろう貴様の父親から、たった今、知らされた話だが」
そう言って、オルロフ大公は手元にあった手紙をひらりと振った。少々距離が離れているのでその内容までは読み取れないが、便箋の最後に記された署名に続いて押されているのは大公本人にしか使えない大公家の紋章印だろう。それを視認したキルヒシュラーガー公爵の狼狽えっぷりは確実に犯人とかそういう系のアレ。
「ま、まさか、父上………いや、否! あり得ない! そんな筈はない! 病床に伏した我が父が、主治医に余命幾許と宣告されるほどに弱った身体で手紙など認められるものか! おのれ、誉れ高きヴィッテルスバッハ家の紋章印まで偽造するとは手の込んだ真似を………! ふん、そんな子供騙しを誰が信じる、馬鹿馬鹿しい! 遠目で見る分にはよく出来ているようだが所詮はそれだけ、偽物だろう、本当にそれを我が父が書いたものだと証明出来るものならこの場でしてみろ! そもそも『たった今知らされた』などとあからさまに白々しい嘘を―――――真に行いを恥じるべきなのは貴様自身と知れ、老害!」
「あ、たった今云々についてはたぶん証明出来るぞう。だってその手紙さっき“王子様”宛に届いたレディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガーからの速達に同封されてたやつだもの」
しれっと宣った私の明るさに反比例した沈黙が重い。
よりにもよってあのミロスラーヴァ・オルロフを相手に老害とかいうとんでもねえワードを勢いで叫んでしまったキルヒシュラーガー公爵に狂人を見る目を向けていた面々が弾かれたように私を見てそのまま石のように固まっていた。バーベリ秘書官の技術により床と仲良くしている最中のキルヒシュラーガー公爵でさえこの私を見て固まっていた。信じられないものを見る目を文字通り全身に浴びながら、しかし“王子様”は小揺るぎもせずノリとタイミングで発言する。
「ちなみにレディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガーから届いた速達便の中には『私に宛てたフローレンの手紙』と『私に宛てたキルヒシュラーガー公子からの報告書』と『北方大公閣下に宛てた西方大公閣下の私信』の計三通が入っていたので最後のやつは当然のことミロスラーヴァ卿にお渡ししたぞう。打ち上げパーティー参加の可否のお知らせかなとか思ってたけども―――――」
まさかお家騒動の告発文とは思わないじゃん、みたいな雰囲気を醸して濁せば、それはそう、と納得十割な周囲の同調が飽和した。西方大公閣下本人が書いたものかどうかの確認は流石に精査が必要だろうが、孫娘であるレディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガーが王子宛てに速達で送ったものに同封されていた大公家の紋章印入りの私信となれば信憑性はそこそこ高い。父の企てで庶子如きに家を乗っ取られると思った彼女が祖父の名を騙って北方大公閣下に告げ口したと穿った見方も一応可能は可能だが、それはミロスラーヴァ卿本人が真正面から否定した―――――というか、諸々すべてを潔く堂々と切り捨てた。
「さて、ヴィンセント・キルヒシュラーガー。今この手が持つ手紙だが、貴様の父である西方大公家のルイトポルトが書いたものに相違ないと私は確信している。疑うのであれば好きに疑え。私は逃げぬ。手紙も逃げぬ。しかし貴様は逃げるであろう。現に日を改めるとの名目で急ぎこの場を辞そうとしたな―――――時間の無駄ゆえ、結論から言う。貴様の願いは叶わない。無謀な野望はこの場で潰える。ルイトポルト・ヴィッテルスバッハは貴様がヘンスラー伯爵令嬢に産ませた男児の存在を知った上で敢えて放置していた。考えなしの愚息の火遊びで生まれた命に罪はない………その判断は間違いであったと今になって悔いるあやつも大概だがな、貴様も貴様だ。運良く見逃され成人まで永らえた庶子がヘンスラー伯を名乗れただけで満足すればいいものを、正式な跡取りたる双子を差し置き公爵家を『真に愛する息子』とやらに継がせようなどとは笑止千万!!!」
本日、この大会議室内においてミロスラーヴァ・オルロフが声を荒げたのは意外なことにこれが初だと気付いた者は居るのだろうか。そんなことを考えながら、激情に駆られて苛烈さを増す老女の気迫を眺める私は視界の端でキルヒシュラーガー公爵の観察も怠らない。
「ちが、ちがう! そうじゃな」
「黙れ! 我欲で相応しくない者を担ごうとした事実は変わらぬ! 言ったであろう、愚か者。貴様の無謀な野望は潰える。間に合わぬので代わりに頼む、とルイトポルトに託されたゆえ、我が身命に賭して私が潰す。大公が大公に事を託すとはそれだけの重みを持つと知れ」
まったく取り付く島もない北方大公閣下の態度を見れば助け船など出る筈もなく、舞台は彼女の独壇場。山場がいつかは分からない。もう過ぎたかもしれないが、しかし演目は続くのだ。幕が下りるその瞬間まで。
「まあ、知ったところで諸々タイミングが良過ぎることにも気付かぬ察しの悪さではなあ………説明するだけ時間の無駄よ。であれば省く。だがこれだけはルイトポルト・ヴィッテルスバッハの代わりに告げねばなるまいよ―――――この、救いようのない、愚か者めが。のこのこと現れおってからに。国の大事が聞いて呆れる。蓋を開ければ勿体付けて秘匿する意味も価値もない。キルヒシュラーガー公家の後継を『ヴィクトール』なる庶子に据えるなど、大公代理の権限を用いてもかなうわけがなかろうが。仮に誰かが許したとしてもルイトポルトが許すまい。このミロスラーヴァも同様である。たかがお家騒動とはいえ、事は大公家の血を汲む家門。露見した以上は貴様もその庶子も無事では済まぬ。済まされぬ。その覚悟あっての愚行であったと示すのならばそれで良し、万が一そうでないと言うなら―――――相応の扱いを心得よ」
誰も彼もが聞き入っている。北方大公ミロスラーヴァ・オルロフが静かに締め括った口上に、朗々と語られた真実に―――――“私”に都合良く騙られたそれを聞いた愚かな公爵は、何を思っているんだろう。
(フローレンを誘拐することで『王子様』を失脚させて、『王家のストック』だと信じているヴィクトール・ヘンスラーを担いで王位を簒奪、そして自分はヴィッテルスバッハ大公を継いでめでたしめでたし………なんて、無謀な計画を立てていざ走り出したら『キルヒシュラーガー公爵家を庶子に継がせようとしたお家騒動』なんて型に無理矢理嵌められて逆転なんか望めやしない。既にいろいろと手を打ってくれていた北と西の大公を引き込めたからこそ都合良くスムーズに進んだけれど―――――結果論だな。私は運が良い)
詳しいことは聞かされていないので細かいところまでは知らないが、ふたりの大公閣下にとって“王子様”からの協力要請はきっと好都合だったのだ。バラバラの歯車が偶然噛み合って上手いこと回ったのは奇跡に近い。幸運にしても豪運過ぎる。そしてキルヒシュラーガー公爵はきっと運が悪かったのだ。私に都合が良いことに。
「違う、話を、話を聞いてくれ! 宰相殿! 諸侯! 聞いてくれ、こうなったら誰でもいい、いっそノルンスノゥクでも構わん! よく聞け、違う、本当に違う、キルヒシュラーガー公爵家の簒奪など私は考えたこともない、そんな小さな器じゃない、私は、私たちは相応しい地位に! ヴィクトール! あの子だって本当なむぐッ!?!?!」
この期に及んで覚悟のなさと器の程を存分に披露したキルヒシュラーガー公爵は、ミロスラーヴァ卿の宣言通りに相応の扱いを受けて静かになった―――――武闘派バーベリ秘書官が公爵の口に柔らかい布を手際良くぎゅうぎゅうに詰め込んだので静かにせざるを得ないというか沈黙のさせ方が優しく物理。え、ぶん殴って黙らせないだけ優しいと思うのは私だけ?
ちなみにだが使用された布はなんと公爵本人のクラバットを失敬していたのでなんというか本当に無駄がない。制圧も拘束も手慣れている感が行動の端々に見受けられる。
「ふぐんがが! むぐがごがごごぐ!」
床に転がされている人間が鬼気迫る目で何か言ってる。たぶん不服を訴えている気もするが詳細は不明なので黙殺された。じたばたじたばた、と巨大な芋虫が暴れていますみたいな絵面になっているのはバーベリ秘書官がキルヒシュラーガー公爵の足もぱぱっと縛ったからだが直視していると笑いが込み上げてくるついでにシュール過ぎて誰も何も言えない感じ。結果的に芋虫スタイルの大人が奏でる騒音だけが響く気まずい室内で、立て続けに情報を流し込まれまくった諸侯の顔には色濃い疲れが見えていた。
もう一刻も早く帰って寝たい、そんな願望が透けている。が。
(呆けているような余裕と時間があなた方にあるとでも?)
ぱあん! と打ち合わせた掌の内側で空気が破裂する。結構な音を響かせたそれに大半の人間の肩が跳ねたが、私はそんなことに頓着しない。
「確認ですけど今露見したキルヒシュラーガー公の一件は“文化祭”に何か関係あります?」
「嘘でしょ殿下」
「この空気の中で良く言えるな………逆にすごいのかこの王子………」
「なんと。これが………王の器………?」
誰か分からんけど馬鹿言うんじゃないよこんなのは馬鹿のクソ度胸だよ。
実際まともな神経していたらこんな発言は出来ないだろうがどっこい馬鹿王子歴が長いのでそれは杞憂だ“私”はやれる。実際やった。証人はこの場にいる大人。
裏で国家転覆案件から公爵家のお家騒動にまでスケールダウンさせたとは言ってもまさか大公が自ら動く規模のスキャンダルを知ったその場で「それ文化祭に関係ある?」とか堂々と聞いちゃう王子を前に割とまとも寄りの神経をしている諸侯各位は絶句した。やってしまったキルヒシュラーガー公爵でさえ「正気かこの馬鹿」みたいな目をして暴れるのも忘れて黙っているので相当びっくりしているらしいがそんなことはどうでもよろしい。
欲しい答えは決まっているし、それは必ず返される。何しろ仕掛けた側なので―――――明確なオチがあってこそ、喜劇は喜劇として終わる。
そうでなければ、終われない。
「案ずるな、王子。関係はない。これはそなたたちの文化祭には何の影響も及ぼさぬ大人どもの不始末よ。文化祭も、打ち上げパーティーも、滞りなく催されよう―――――さて、そのためには責任を持って我らが事に当たらねば。分かっておろうな、各々方」
北方大公閣下ともなれば役者としても一流らしく、ミロスラーヴァ・オルロフはすぐに私の意を汲んだ。本来であれば国王がとるべき音頭を彼女がとったとしても違和感はなく、反論もなく、各々方と呼び掛けられた面々の背筋が反射で伸びる。
「結構。では騎士団長。西方大公ルイトポルト・ヴィッテルスバッハからの要請により北方大公の権限を行使、手始めにそこのキルヒシュラーガー公を王城地下区画に隔離せよ。罪状と沙汰は追って固めるが今日この場で出来ることはない。規定に則り勾留せよ。なお面会は許可出来ぬ、外部との接触も同様である。常に王城騎士一名………念のため西部貴族とその縁者以外で監視にあたれ。我が軍部からも一名付ける。裁きの日まで逃さず生かせ。如何に愚かな真似をしたとて今はまだキルヒシュラーガー公爵家の当主であることに変わりはない………が、ヴィッテルスバッハとオルロフの家名に賭けて“文化祭”の開催前には片を付けよう―――――ゆえに、くれぐれも、荒立てるでない」
分かっているな? と言わんばかりの眼力に射竦められた面々が「はい絶対にこの件は口外しません」との決意を込めて頷いた。政敵がお家騒動を企んで実父の西方大公にバレただけでなく北方大公にまで詰められて失脚間違いなし、という美味しいネタを仕入れたにも関わらず一切吹聴するんじゃないと釘を刺されたノルンスノゥク公爵あたりはもっと難色を示すかと思ったがミロスラーヴァ卿が怖過ぎるのか誰よりも激しく頷いている。あれは言わない。絶対に言えない。というか、北と西の大公ふたりを確定で敵に回す厄ネタなんてものは誰も漏らせないだろう。メリットがない。スルーが安全。
「バーベリ伯。王城騎士らと共にその者を護送せよ。念のために勾留先の状態確認も怠るな」
「御意」
大公権限で一時的に指揮系統の頂点に立った北方大公閣下の命令を遮る者など存在しないし逆らえる空気などある筈もない。バーベリ秘書官は相も変わらず涼しい声で受諾するなり強制芋虫スタイルで呆然としている公爵を大きな荷物よろしく肩に担ぎ上げようとしたところで王城騎士のひとりに止められていた。公爵家のご当主の運搬方法ではないですそれは、との理由かと思えば北方大公閣下の秘書官であらせられる伯爵位の御方にそんな労働はさせられませんという斜め上方向のお気遣いである。そうして警備を務めていた騎士たちの何人かが騎士団長の指示でわらわらと集まり一塊の集団となって物々しく公爵を護送していくのを諸侯らは呆然と見送った。身軽になったバーベリ伯が自身の主へと一礼を残して退出していったその後でぱたんと扉は閉ざされて、人心地つく暇もなく主演の言葉はまだ続く。
「さて、諸侯。いろいろと不測の事態はあったが各々職務を全うされよ。諸侯のやるべきことは変わらぬ。王子が望み、動いたとおりに“文化祭”は開催される。ああ、言い忘れていたが西方大公のルイトポルト・ヴィッテルスバッハは打ち上げパーティーの参加を承諾したぞ。これが証拠だ。同時にヴィンセント・キルヒシュラーガーに裁きの場を設ける根拠でもあるが………読むかね、宰相」
「ここまで独走しておいて今おっしゃいますかオルロフ大公閣下」
「すまぬ。ついつい勢いでな―――――そういうわけだ、各々方。油を売っている時間はあるまい? 国事に等しい文化祭のため諸侯らの奮闘を期待する。なァに、降って湧いた些事など我らに任せておけば良い。なんといっても国営を担う財務や総務や人事その他には全く関係ない話ゆえ………国王陛下とふたりの大公が関わる学生行事の方が優先度としては高かろう?」
かっかっか、と豪快に笑い飛ばしている北方大公閣下が言外に忍ばせた「お前らは一切関わらなくていいから文化祭案件に集中しろ」の意図を理解出来ない者などこの場には居ない。居てはならない。だから口々に退室の言葉を吐いてこの場から離れていくのだ。やるべきことはもう定まっていて、失敗も遅延も許されない。降って湧いた些事とやらが事後報告でどうなったかを聞かされたとしても彼らはきっと利口に立ち回ってみせるだろう。そうでなければ国営に携わるなど出来はしないのだ―――――ごめん嘘、ノルンスノゥク公爵だけは別。
フローレンが誘拐されたと知らないままでいてもらうために北方大公閣下に無理言って側付きとかいう名目で隔離してもらっただけなのでこのオッサンに立ち回りとかそういうものは期待してない。無理寄りの無理。放っておくと本当に要らんことしかしないんだよなあ。そのあたりは北方大公閣下も良くご存じの筈だから、まあ上手いことやってくれるだろうけど。
「ああ、ノルンスノゥク公。そなた、今すぐ邸に戻って娘御からの報せがないかを確認した方がよかろうよ。彼女がブルカウクスに泊まる旨は既に王子の口から伝えたが、それより以前の報告が届いている筈なら目を通しておけ。どのみちこれからの話し合いにはそなたを同席させられぬゆえ、今日のところは下がって休め。用があれば追って使いを出そう。それまで邸で待機を命ず。重々承知のこととは思うがくれぐれも軽々な行いは慎め。分かっていような―――――二度目はない」
「かしこまりましたオルロフ大公閣下ッ!!!」
植え付けたトラウマをぶっ叩くのも辞さないミロスラーヴァ卿ったら厄介払いがストレートというか扱いが雑な上に忠告重め。しかし異を唱える様子がないノルンスノゥク公爵は本当に北方大公閣下のご機嫌絶対損ねたくないマンだなあ、過去の一件で負い目しかないから頭が上がらないんですよね知ってるむしろ今日この場に集っていた面々の中では知らない方が珍しいって次元だからねあの一件。
(あっはっは―――――なんとかなっちゃったなあ)
気付けば大会議室の中に残っているのはたったの五人だけ。私と北方大公閣下と、国王陛下と宰相閣下と護衛として立つ騎士団長。嵌められた者は連行されて、仕事に追われた者たちが去って、追い払われた者が出て行けば舞台は随分と寂しくなった。
「なんとまあ、よくぞやりきったものよ。そなた道化の才だけでなく賭博師の資質まであったのか。まさにお見逸れ。大したものよ」
上機嫌な北方大公閣下の言葉が耳朶を打つ。称賛ではあった。その目の奥に宿っているものがなんであれ、それは虎の威を借りて暴れ倒した自分が受け止めるべきものだ。ここまで引っ掻き回しておきながら後は大人に任せておけ、なんて都合の良さまでは期待していない。
拙い脚本、拍手は不要。お代はお気持ちで結構。
(なあ、分かっただろう? フローレン。馬鹿の隣にお前が居ないと、馬鹿は馬鹿のまま馬鹿をやるんだ。やってる場合じゃなくたって、馬鹿らしくやるしかないんだもの―――――だから早く帰って来ないとめんどくさいぞう。後始末とか)
心の中で唱えたところできっと彼女に届きはしないが、頭の中で響いた罵倒は聞き慣れた声で再生された。明日になれば幻聴ではなく本人の口から聞けるだろう。
そんな幻想を胸に抱いて佇む私を眺め遣り、演目の都合で主演を譲った北方大公閣下は笑った。一時閉幕の舞台裏にて一番の協力者はさらりと言う。
「気が変わった。少しだけ、大人の事情を教えてやろう………ああ、その前に、国王陛下も宰相も騎士団長も聞いておけ―――――この王子、とんでもなく馬鹿げた筋書きでこの“王国”を救ったぞ」
最初は王子様の幕間の筈が二万字使っても本題に辿り着かずなんか諸々削って足していったらこうなったんですが大乱闘と名高いスマッシュなブラザーズでもたぶんここまでごちゃつかない←
そんな状態の本文を乗り越えここまで辿り着いてくださった読者の方に敬意と感謝を捧げます。本当にありがとうございます。どうして主人公が登場しないのに五万字超えたんだろうなあ(反省)
次回は登場する予定なので許されたい気持ち。かしこ。




