26.そんなことある? リターンズ
コンパクトな仕上がりなので真夜中でもご安心してお読みいただけます。
タブン!
「おっと、グッドタイミング? 迎えに来たぞうお子様たち!」
ぶっちゃけるだけぶっちゃけて、お肉が焼けたから美味しく食べて、後片付けも全部すませて迎えの馬車が来る頃合いまでどうやって時間を潰そうか、と考えていたタイミング。陽気な声が私とセスの鼓膜を揺らしたものだから、二人揃って「なんでお前が迎えに来るんだ」みたいな顔で見遣った先には案の定―――――大自然には似つかわしくない王子様の姿があった。にこやかに手を振りながら護衛と思しき大人を連れて歩み寄ってくる長身を見据えたセスの眉間に皺が寄る。
「あ? なんでテメェが此処に居やがる仕事はどうしたクソ王子」
「あっはっはっは迎えに来たって言ったでしょうが話聞いてた?」
「聞き流してた」
「お黙りセス! 言うと思った―――――と、じゃれ合いたいのは山々なんだが今はそういう時間がないので大胆にカットしていこう」
軽薄極まる口振りで、けれど有無を言わせない強引さで主導権を握った王子様がちらりと私を一瞥してから三白眼に視線を合わせた。そしていつもと何一つ変わらないノリでさらっと言う。
「どうせお前のことだからリューリ・ベルに包み隠さず何もかも全部言ったんだろう? 咎めはしない。権利もない。お前らしいなと思うだけだ―――――で、答えは? 予想は付くけど」
「そこの川にぶん投げられたわ」
「それは予想してなかったな!」
あっはっは! と文字通りの意味で笑い飛ばしている王子様だが対するセスは驚く程に真顔だったし冷めていた。予想を斜め上方向に裏切られて楽しそうだなオイ、みたいな視線が雄弁過ぎてまったく無言の意味がない。他人事だと思いやがって感が仕事をし過ぎているとも言う。なにそれ。自分で言ってて分からん。他人事だと思いやがって感って何?
「断られるとは思っていたがまさかの物理かリューリ・ベル。ある意味ではなんともお前らしくて王子様笑顔になっちゃうぞう―――――それはそれとして人間を川に投げ込んじゃいけません、っていうごく当たり前の説教すんでる?」
「謝罪も和解も終わってる」
「ごめんなさいしたら許してくれたぞ寛大の極み三白眼」
「そんな寛大な俺であってもクソ王子のノリは癪に障る」
「人の神経を逆撫でしていくタイプだもんなこの王子様」
「慣れてても腹立つ」
「シンプルな苛立ち」
「他人事みてぇに言うなや白いの」
「敢えて言うけど他人事だぞこれ」
「それはそう」
「まじでそう」
「はっはっはっは想像以上にいつも通りで何なのキッズ。相変わらず雑に通じ合うじゃんちょっとくらいはドギマギするとかギスギスしたりしちゃうかなあって緩和策いろいろ考えてきた王子様拍子抜けしちゃう―――――うん。正直言って助かる」
ホントいつも通りで助かる、と王子様は繰り返す。いつもと同じノリの声だった。とにかく軽い。重みがない―――――なのに、何故だか耳に残る。なんだか含みのある響き。けれども揶揄う素振りなどなく嫌味や皮肉の類でもない。掛け値なしの本音である、と音程だけで示す技量は王子様固有のものなのか、考えたところで答えは出ないので考えるだけ無駄だけれども。
「状況的にやむにやまれず焚き付けた身で言うのもアレだが、私の予想を遥かに上回るベストを叩き出してくれてありがとう。実際に川に投げ飛ばされたセスには悪いが心の底から拍手したいし最高が過ぎると褒め称えたい。だって、リューリ・ベルにとって現状一番好感度が高い“王国民”の異性ことセスが真正面から真面目に口説いて『川にぶん投げられた』ならそれはもうどうしようもない。むしろ下手に言葉を尽くすより分かり易くて都合が良い。明確なお断りの意思表示としてはインパクトも込みで最適解だ。公爵家で囲い込みたい“北の民”本人が強過ぎるから強硬手段に訴えて既成事実をつくるだなんて無謀の極みは実現不能、外堀を先に埋め立てようにも“北の大公”が健在な限りはどう足掻いても詰め切れない―――――うん、ノルンスノゥク公爵の方はこれでほとんど片付くな。ようやく雑事にかまけることなく降って湧いたトラブルに全振りできる」
謳うように、彼は言う。こちらに語り掛けているようで、盛大な独り言に近いそれ。既にセスが王国側の内情を暴露しているだろうから、との前提で放られる言葉の数々に引っ掛かりを覚えたらしい三白眼の眉間に皺が寄る。
「あァ? 何言ってんだテメェ。ンな簡単に片付けられるモンでもねぇだろ、あのオッサン。仮にも公爵閣下だぞ。俺だけじゃねぇ、テメェやフローレンだって散々振り回されただろうが。それをそんな簡単にどうこう出来るわけがねぇ。軽口にだって限度があるわ、馬鹿も休み休み言えクソ馬鹿王子」
「うん? ああ、大丈夫だセス。心配せずともなんとかする―――――というか邪魔にしかならないのならこの際ついでに片を付ける」
それどころではなくなった、と吐き出したその瞬間さえも、王子様は笑顔のままだった。
馬鹿馬鹿しいくらいの能天気さに口元を綻ばせたまま、目元も声音も明るく爽やかに笑ったままだが様子がおかしい。私がそう思って身構えたのはただの勘であり反射だったが、セスは付き合いが長いだけあって思うところがあったのだろう。
彼は即座に切り替えて、王子様に噛み付くのを止めた。本来自分には関係なかった公爵家の跡取り云々という責務と重圧を背負うことになった元凶をもののついで感覚で片付けると宣ってみせた相手を前に、酷く冷静に適切な言葉を紡ぎ出すセスの雰囲気は物々しい。
「ノルンスノゥク公爵を雑事扱いかよ、レオニール―――――何があった」
「話が早い」
そういうところだベッカロッシ侯子―――――と、涼やかな声で微笑んで、自他共に認める馬鹿王子様は「結論から言おう」と前置いたあとで本当に何ひとつ引っ張ることなく最速の直球で結論から言った。割と、とんでもないことを。
「実はな、フローレンが誘拐された」
「は?」
緊張感とは無縁の朗らかさで王子様の口から飛び出した台詞にセスの声が引っ繰り返った。冗談にしては性質が悪いが真実だとすれば洒落にもならない。そんな複雑な心境を眉間の皺で表現した三白眼が困惑気味に口を開くのを私は真横から観察していた。
「なんだそれ。フローレンが誘拐された? 馬鹿も休み休み言え、なにがどうしてそういう発想に至ったんだよ意味分からんわ。つぅかマジで誘拐されてたら大事だろうがよ、ふざけんな」
「残念ながらふざけていない。冗談抜きで今現在、フローレンの行方が分からない。連絡が付かず姿が見えず、誰も彼女の所在を知らない。厳密に言えば文化祭運営責任者として“私”が害虫騒動の報せを受けた時点で既に何処に居るか分からない状態だった。明け方に馬車を出して学園に送り届けた、という公爵家お抱えの御者の証言を最後にフローレンの足取りは途絶えている。しかし他でもないこの“王子様”も含めて今日学園内で彼女に会った者は誰一人として居ないって明らかにおかしいでしょうがそんなの。フローレンがこのタイミングで姿をくらませる理由がない、少なくとも本人の意思ではない。“私”の見立てでは十中八九攫われている―――――かなりまずい」
「はァ!?」
再度引っ繰り返ったセスの声には先程より衝撃の色が濃い。なんて? と聞き返す余裕もないレベルの驚愕に彩られた単音には混乱の程が窺える。それにしたって大事だった。私でさえもフローレン嬢が攫われたのなら相当にまずい事態だと思うけれどもいや待ってちょっと待ってやっぱだいぶ待って? 自分の婚約者が誘拐されたって確信してるにも関わらずなにやってんだこの王子様? かなりまずい、って言いながら全然焦ってないじゃねぇかよ悠長優雅の極みじゃねぇかよまず間違いなくこんな山の中に私たちを迎えに来てる場合じゃないだろなんだこいつ怖いどういうメンタル!?
「は? やば」
「そうだぞうリューリ・ベル。だいぶヤバイ」
話が早くて大助かり、と爽やかに宣う王子様だが私が口を滑らせたのはお前に対しての戦慄であって危機感のあらわれとかではない。やべーやつをやばいと認識したその刹那に思わず口を衝いて出た紛れもない本音というやつである。やばい以外にどう言えってんだよこんな得体の知れないおばか。
「ばッ………馬鹿か!? 馬鹿だわクソ知ってた! テッメェそんな非常事態でなにを悠長に俺らの迎えになんざ来てやがんだよレオニール!!! もっと他にやることがいろいろ山程あるだろうが!!!!!」
「そんなものすべて終わらせて来たに決まっているだろうが落ち着けセス」
ひゅ、と鳴ったその音は、どちらの喉から漏れたのだろう。
セスかもしれない。私かもしれない。或いは両方かもしれないが、その選択肢には絶対に王子様自身は含まれない。
私が知覚出来たのは、痙攣のような振動だった。本能的に覚えのあるそれに釣られた身体が反射でその場から距離を取る。飛び退く程のことではない。そこまでの脅威ではないにしろ、ただ一歩だけ後ろに下がって構えた私の視界の中では王子様が笑っている―――――ずっと、かすかに、笑っている。さっきからずっと、今でさえ。
余裕を一切損なわないまま立ち続けるその男が口を開いた。
「やるべきことが山程あっても片付け続ければいつかはなくなる。情報収集、印象操作、いくつかの保険と支援の要請。出し惜しみなく策を講じて現状で打てる手はすべて打った。手を尽くしたから手詰まりなんだ、現状打破にはピースが足りない。だから状況を動かすべく最速でここまで来たんだよ―――――さて、セスにリューリ・ベル。時間はないが、猶予はある。情報の擦り合わせといこう。残念ながら緊急事態につきお前たちには“私”に付き合うの一択しか存在していない。業腹だろうが飲み込んでくれ。フローレンが戻ってきたあとなら“王子様”はいくらでも謗られよう」
「なあお前。ホントに王子様?」
「もちろん。私はお前の良く知る王子様だとも、リューリ・ベル。自他共に認めるトップオブ馬鹿だぞこの私以外に誰がいる―――――とは言え、馬鹿が馬鹿をやったところでどうにかしてくれるフローレンが馬鹿の側に居ない以上はおちおち馬鹿もやれやしない」
困っちゃうよねえ、と困ったように笑みを深めて見せる姿は見慣れた王子様のものだった。得体の知れない生き物ではない。物理的な強さが上がっているわけでもなければ肉体の強度にも変化はないだろう。あるとすれば、纏う雰囲気の奥底に異様な何かが窺えるくらいで他に差異などない筈なのに―――――際立つそれがあまりに不気味で、私は何も言えなかった。
「焦って事態が解決するならいくらでも滑稽に演じてやるとも、慌てて現状が好転するなら誰よりも無様に喚いてやるさ。だがそんなものは時間の無駄だ。自分で動いて場を動かして取り戻した方が遥かに早い。最善を選び人事を尽くし、縁と運にも恵まれた末にようやく辿り着いたのが今この瞬間というやつだ。あのフローレンを除いては、お前たち程に信頼出来る赤の他人など私は知らない。すまないが力を貸してほしい―――――私の婚約者を、助けてくれ」
「それはいいけどなにすりゃいいんだよ」
「結局前置き長ェんだよ馬鹿本題入れや」
「おおっと秒で即答じゃんそういうとこホント愛おしいなあ控えめに申し上げて大好キッズ!」
真面目な雰囲気をかなぐり捨てていつものノリで叫んじゃうくらいには締まらねぇトップオブ馬鹿である。ていうかダイスキッズってなにクソガキッズの類似系? という質問を口に出さない程度には空気というものを読みました。流石に今それ聞くのもどうよ、くらいの分別は“北の民”にもつくんだよ―――――まあ常日頃そうだったとしても結局はしれっと言い放つので意味はあんまりないけれど。
そんなこちらの配慮も知らず、力を貸すのも吝かではないと即断即決した私とセスに一瞬だけ顔をくしゃっとさせて、すぐさま綺麗な満面の笑みを繕った王子様は決断が早ければ話も早いダブルフリーダムありがとう! とかなんとかほざいた後でキリッと真面目な顔をする。今更だなおい、と私は思った。たぶんセスもそう思っている―――――いやまあ流石に言わないけれども。
「さて、では言質をとったところで早速本題に入っていこう。まず我々が考えるべきはもちろんフローレンの奪還だ。ただし、可及的速やかに彼女の所在を突き止め無事に救出すればいいという生温いミッションでは足りない。彼女が『攫われた』という事実そのものを秘匿したまま取り戻す。隠蔽工作もそこそこに、極力内々に事を収める。これが最低条件だ。なんといっても次代の王妃を担うフローレンが被害者だからな。たとえ運良く何事もなく無事に救出されたとしても、実際に誘拐された時点で貞操が疑われてしまう。拐かされて消息不明だなんてこの状況を世に知られるのが実のところは一番まずい―――――だからバレるその前に、私の婚約者を返してもらう」
とんでもなく難易度の高いことを言っているような気がするが、王子様の声に迷いはなかった。出来る出来ないの問題ではなくやるしかないからやるしかない、と割り切って挑むその姿勢はいくらなんでも潔過ぎてちょっと慄いちゃうレベル。
「は、簡単に言いやがる。要はフローレンの誘拐が露見する前にアイツの居場所突き止めて助け出して犯人もどうにかした上でしれっと『最初から誘拐なんてされてなかった』って面で諸々の帳尻を合わせなきゃならねぇってことだろうがよ。流石に無理だわ」
「はっはっは、案外そうでもないぞう。しかし負けず嫌いの一番絞りにあるまじきちょっと弱気な発言びっくりしちゃった、どうしたんだセス。ひょっとして頭とか打った?」
「喧しいわ黙れクソ王子。案外そうでもない、じゃねぇだろ実際のところどうするつもりだよあのフローレンの不在だぞ。ンなモンすぐバレて大騒ぎに―――――待て。ああクソ、そういうことかよ」
勢い良く捲し立てていた途中で何かに気付いたらしい。三白眼は鋭く舌を鳴らして、眼前の王子様を睨み付けた。獣の唸りにも近い低音が地を這う如く馬鹿に迫る。
「テメェ、なんで『今』なんだ。今更だろうが、レオニール」
「違うな。そこは『今だからこそ』だ。過程がどうあれ結果を出すべく私は最善を尽くすだけ―――――独善的でしかなかろうが、フローレンが戻ればそれでいい」
トップオブ馬鹿はそう言い切って、そこにはなんの憂いもなかった。能天気そうな微笑みの底に揺るぎようのない決意の類が根を張っていてびくともしない。これは折れない。そう思わせるだけの何かを見付けた私の脳裏に過ったのはなんと故郷の族長である。そして瞬時に悟ってしまった―――――途轍もなくめんどくさい気配がすると。
こういうときにはそっと挙手してとりあえず流れを変えるに限る。
「お前らだけで通じ合われても困るんだよ置いていくんじゃねぇよ何も分からん『今更』って何? なにひとつわからん。どういう意味だ」
「やけに大人しいと思ったら付いて来てなかっただけかよリューリ………いや、すまん。そりゃそうだ。まあ俺が今更っつったのは読んで字の如くそのとおり今更言うなやって意味でしかねぇよ。もしくはもっと早く言えやボケ、って言い換えた方が分かり易いな。だってそうだろ、さっき聞いた話からしてフローレンが居なくなった経緯や正確な時間はともかくこの馬鹿王子がアイツの行方不明を確信したのは『食堂スタッフから害虫騒動の一報を受けた後』でとりあえず間違いねぇ筈だ―――――つまり、早朝の“学園”で、文化祭が延期になったと俺やリューリや他の生徒に大演説ぶちかましてた時点ではもうフローレンが拐かされたと分かってたってことだろテメェ!!!」
なんでその時に言わなかった、と憤る三白眼の押し殺した声に私は一人で納得していた。なるほど、確かに今更だ―――――ていうかそんな切羽詰まった状況で将来的には義理の姉となる幼馴染ことフローレン嬢の危機を伏せられたまま“北の民”を口説き落とすためにも二人きりでピクニック行って来て、とかクソみたいなこと頼まれていたと知ってしまったセスの心中お察し案件。パイ料理を持て。シンプルにおふざけあそばすなよとわけのわからない王国語で凄んで殴ってもたぶん許されるに一票。セスはそろそろ怒っていい。
しかし王子様は幼馴染の指摘を堂々と肯定して、あまつさえ笑みを深めてみせた。
「うん、そのとおりだ。間違いない。セスの言っていることは正しい。今朝“学園”で文化祭の延期を発表したあの時点で既に私は危機を知っていた。フローレンの窮地に気付いていた」
笑顔のままに、彼は言う。貼り付けられたものではない、自然と浮かぶその表情には違和感というものが存在しない。ただ底知れない何かを見るのは観察する側の心理であって、彼本人にはどうでもいいし知ったことでもないのだと言わんばかりの清々しさで輝く美貌の主は続ける。
「その上であのように振舞ったとも―――――だから、あっさり信じただろう? あの場に集った生徒たち、勘の鋭いリューリ・ベル、付き合いの長いセスでさえ、誰一人としてこの“王子様”の言葉を疑ったりしなかった」
確かにそうだ、と私は思った。それはセスも同様だろう。憎まれ口のひとつも叩かず険しい顔をしているが、傾聴の姿勢を貫くためか刺々しい態度は引っ込めている。肯定と同義の沈黙だった。
こちらとしてはあの時点で既にフローレン嬢が消えていた、なんて言われたところでンなモン分かるわけねぇだろくらいのコメントしか出せない。ていうか誘拐の可能性なんて思考の端の端にすら存在しませんでしたけど? ぶっちゃけ気付けるわけなくない? くらいの気持ちで聞いている。
「騙し討ちじゃん王子様」
「そうとも。正々堂々とした騙し討ちだぞう―――――それがどうした」
私の素直に過ぎる本音はさらっと声に出ていたらしく、トップオブ馬鹿と名高い何かは鷹揚に頷いて同意を示した。そして淀みない語りが続く。朗々と、滔々と、耳から脳を揺らす声で。
「誰も、何も気付かなかった。思いも寄らなかっただろう? フローレンはこの場に居ないけれども文化祭延期に伴う調整のためにあちこち慌ただしく駆け回っている、と私が吐いた嘘を信じて、“学園”には姿を見せていないが別のところでいつものように奔走しているのだと聞かされて、誰も彼もが得心した。ああなるほど、と受け入れて、疑うことをしなかった―――――だって『レディ・フローレン』ならそうするだろうと知っているから」
そう思える下地があったから、誰も疑ったりしなかった。王子様の言葉にはやたらと説得力がある。こいつが言うならそうなんだろうな、と思わせるだけの何かであり、それはフローレン嬢の有能さに裏打ちされた信頼だった。
あのフローレン嬢が攫われて、何処に居るのかも分からない―――――何も知らずに早朝の学園に集った面々の中でその可能性に辿り着いた者は誰一人としていなかった。たとえ姿が見えずとも、彼女はきっと、いつものように、トップオブ馬鹿の婚約者として己の責務を果たしているに違いない。他でもない私自身も含め、誰も彼もが無条件にあの人のことをそうだと信じた。それはそれは盲目的に、いっそ無責任な程に。
「他でもないセスやリューリ・ベルも含め、あの場に集っていた者たちは『レディ・フローレン』というこれまで彼女が積み上げてきたものに敬意を払って疑わなかった。努力を認め、功績を称え、その能力と献身に信頼を寄せていたからこそすんなりと騙されてしまったわけだ。学園内だけでなく学園外でも同じ方便で通用したぞう、実父のノルンスノゥク公爵でさえ娘が誘拐されたとは気付いていないし思っていない、気付けもせず思い至らない―――――おかげで事が露見しないから都合が良くて助かっちゃうな! だから今のところ事態の秘匿そのものは無理でもなんでもなかったりする、だって“私”もう実践してるんだもの!」
あっはっは! と朗らかに笑っている王子様だが明らかに笑っている場合ではない。陽気過ぎて逆に怖かった。なんだこいつこれどういう感情? みたいな得体の知れない何かが私の背骨あたりを駆け抜けているが隣に立つセスに至ってはなんかもう形容しがたい顔をしている。こっちもこっちで今の心境がどういうものなのかまったくわからん。他人の胸の内なんてそんなものわかるわけないだろ。しょうがないのでとりあえず聞くだけ聞いてはみるけれども。
「いろいろ大丈夫か三白眼」
「諸々あり過ぎてしんどい」
「大丈夫そう?」
「なんとかする」
それもうただの根性じゃんよ、といつもの調子を取り戻そうと口にしかけた言葉はしかし王子様によって阻まれた。妨害されたわけではない。ただにこやかに青い目を向けられただけだうわなんだよやめろこっち見るな怖い怖い怖いなんか嫌。
「音を上げるのが早いなお子様たち。時短で進めるから頑張って? はい、そんなこんなでフローレンが居ませんっていう事実を隠すのは案外どうにか出来るって王子様の言いたいことはお分かり?」
「そこは分かったけど結局お前がなんで今になってフローレンさんを助けてくれって私たちに頼みに来たのかが分からん。セスがさっきキレてたけれどもまじでもっと早く言えよ。ピクニックさせてる場合じゃないだろ」
「いや? 『リューリ・ベル』を“学園”の外に出すことでフローレンの誘拐が何を目的としたものか動機含めて絞れそうだったからあの時点では最善の一手だったと自負している」
実際だいぶ絞り込めた、とか平然と答える王子様。意味が分からなかったので私とセスは無言になった。私を学園の外に出すことで公爵令嬢誘拐事件の動機その他が炙り出せるって何それどういう理屈と発想? 本気でどういう脳構造?
「一言で『攫われた』と表現してもそこある動機と目的までは流石に想像の域を出ない。ノルンスノゥク公爵家に恨みを持つ者の犯行か、王子の婚約者の挿げ替えを目論む輩の行き過ぎた愚かな横槍か、或いは予想外の別口か………お前たちを敢えて“外”に出すことで、少なくとも“招待学生”の『リューリ・ベル』を利用したいと企んでの行いではないことが明らかになった。だってセスと二人だけで監視の目もなく山の中、なんていう絶好の機会に飛び付くどころか最初から最後まで放置なんだもの。追加で攫うとか襲撃するどころか接触する気が最初からない。お前たちをどうこうしたところで得られる利益はないとみた」
「口挟んでごめんなんだけど敢えて聞くぞ王子様―――――その口振りだとお前しれっと私たちのこと囮にした挙句もしかしたら誰かに襲われてめんどくさいことになるかもなあ、って分かった上でピクニックに行かせたことになる気がするけど弁明あるか?」
「ないぞう! リューリ・ベル鋭い!!!」
「なあセスこの馬鹿蹴っていい?」
「気持ちは分かるが今は堪えろ―――――ああ、ちくしょうこの野郎。てっきりスケジュール調整にかこつけた“北の民”を利用したい一部クソッタレ上層部からの無茶振りとばかり思ってたけどよ、その口振りだと違ェな? レオニール。敵の出方を伺うためにリューリを学園の外に出す、そういう意図はおくびにも出さずそれっぽいこと適当に言って下の迷惑省みねぇ司令塔気取りのクソ狸どもを上手いこと誘導しやがったろテメェ」
「そうとも言うなあ。否定はしない。あちらの要望に沿ったかたちでこちらの都合を組み込んだらそうなった、ってだけなんだけども」
王子様のその返答には悪意も悪気もありはしない。利用したけどそれ重要? みたいな雰囲気さえあった。地位や気位の高い輩にお馴染みの傲慢とは一味違う何かを持った男を前に、私はいよいよ呆れた気分で雑に言葉を放り投げる。
「で? 話の腰折っちゃった私が流れを元に戻すけど、王子様。結局お前、私たちを囮にして何をどこまで絞り込めたわけ?」
「誘拐犯と犯行動機にあたりをつけてフローレンの監禁場所の候補を三つまでは絞り込んでみたんだがここから先がちょっとなー」
「いや意外とあっさり絞り込んでるっていうかこの短時間にそこまで割り出しといてなんで私たちを頼るんだお前は!? もっと早めに専門家とかとにかく大人に頼れ―――――ないのか。むしろ大人たちにこそフローレンさんが誘拐されたって知れ渡ったら困るから」
「そうなんだよホント困ったことに」
困る、とか普通に言ってる王子様の扱いに今一番困ってるのは私たちだよなんとかしてくれ有能なのか馬鹿なのか温度差酷過ぎてもうわからん。そういうときは黙っているのが案外最善だったりする。なんといってもこの王子様、適当に放置しておけばペラペラと勝手に喋るので
「さて、必要事項だけ簡単に説明していこう。まずフローレンがいつ攫われたのか、正確な時刻は不明なままだがそこはさして重要ではない。何故なら『明け方に学園へ送り届けた』という公爵家の御者の証言が学園側の入門記録と間違いなく一致しているからだ。従って彼女が消えたのは“学園”の中ということになる。誘拐の方法に関しては考えても無駄だから今はいい。問題はフローレンの安否と居場所だ。貴族令嬢としての価値を損ねるならその場で襲って人目のある場所に打ち捨てておけばいいものを、犯人はわざわざ連れ去っている。もちろん、広大な敷地を有する学園のどこかに人知れず監禁されている可能性がなくもなかったので念のため人海戦術で―――ぶっちゃけ害虫駆除に際して大量の食材をあちこちに分散保管する必要があったのでそのあたり利用させてもらう感じで―――手当たり次第に潰して回ったがフローレンは何処にも居なかった」
いや突発的に起きた害虫騒動の後始末名目でしれっと人海戦術してるこの王子様まじで何。思っても口に出してはいけない。言いたいけど今は堪える方向。同じく無言を貫くセスもなんか言いたげな顔をしているがお互い黙って聞いていた。私たち、もしかしなくても偉い。
「以上を踏まえ、フローレンの身柄は既に“学園”の外に移っていると断定する。しかし起点が明らかであれば足跡を追うのは難しくない。人間一人を秘密裏に運び出すなら荷車や馬車を使うだろうが、学園を出入りするには誰であれ門扉を通る規則だ。門番がつけた記録をもとに学園から出た馬車の持ち主を特定、そこから更に間を置かず王都の外に出た者たちの記録をざっと確認し―――――フローレンを乗せていると思しき馬車が東門から外に出たことまでは掴めたがそこから先については不明。ノルンスノゥク公爵令嬢を『誘拐』することで利を得る者、という方向性で犯行に及びそうな輩の目星はあらかた付いていたんだが、一向に犯行声明を出して来なかったり“北の民”の利権は関係ないと判明したりでかなり情報が絞れてきたので犯人についてはほぼ確定した。そこさえ割れれば犯行目的の類もある程度推察可能だし、フローレンの監禁場所も闇雲に探すよりあたりがつけやすい。王都を出た時刻と馬車での移動可能範囲に加え、犯人と思われる人物にとって都合良く令嬢を隠せるところ………という流れで選択肢を三つまで狭めたはいいが、私は此処で手詰まりになった」
「要するにフローレンさんが居そうだな、ってところを三ヵ所行って回ってさくっと助けて戻れってことで合ってるか?」
「あっはっはっは、違います。総当たりにも程があるじゃんやる気なのは助かるけど落ち着いて? もうちょっと王子様の話聞こう?」
「ちょっとだけだぞ」
「了解、巻きまーす! 三ヵ所にまで絞った、って言ってもそこまでの移動距離とか所要時間とかはどうにもならないので三ヵ所全部回ってたら時間がかかってしょうがない! こちらがそんなことしている間に相手方に動きを気取られてフローレンを移動されたら困るしそもそも誘拐犯の拠点に何の作戦も勝算もなくお前たちを乗り込ませるわけなくない!? セスの実力は疑ってないしリューリ・ベルをどうこう出来る“王国民”がいるなんてちっとも思ってないけども、しかし今回のミッションは『フローレンの奪還』であって救出対象は有能であれ身体能力はか弱い女性だ! ダンスを嗜むくらいしか運動については縁がないので敢えて最悪の言い方をするなら足手纏いでしかないレベル! そんなの連れて誘拐犯にバレないように脱出とか相当難易度高いでしょうが―――――ああ、間違ってもその場に居る全員殴り倒して正面から堂々と帰ればいいじゃんとか言わないようにな子供たち。誘拐事件そのものを秘匿したまま片付けたい、って王子様散々言ってるでしょうよ派手に蹴散らすのは駄目です」
「殴り倒して逃げ去るのではなく息の根を止めて証拠を隠滅すれば問題ないのでは?」
「まさかのセスから超大真面目に問題しかない発言どうした!?」
「いつになくやけくそだな三白眼」
「ヤケクソにもなるわこんなモン」
「だよなあ。何をどうしろって感じ」
「どう助けて欲しいか言えよって話」
助けてくれ、と頼まれて、請け負ったまでは良いけれど。結局のところこの王子様が私たちに何をさせたいのかが現状まだ良く分からないのでいまいちすっきりしないのである。まあ今は結論を先に捻じ込むよりも必要な情報を詰め込むことを優先しているらしいエンタメ有能系トップオブ馬鹿の話術に関しては疑っていないので文句を言いつつも話は聞くが―――――状況はそこそこ分かってきたから結論はよ、みたいな気分になっているのは否めない。ご存じないかもしれないが、私はあんまり気が長くないし三白眼もたぶんそう。
そんな視線ですべてを察したらしい王子様が、いきなりぱん、と手を合わせた。注意を引き付け意識を切り替える合図としての軽やかな音に私とセスが口を閉じる。
「それじゃあ説明も済ませたところでいよいよ助けてもらいたいので注目。ハイ。まず、リューリ・ベル。お前に聞きたいことがある」
「なんだよ」
ここまで前置いて質問コーナー? と胡乱な眼差しを向けるこちらに王子様は怯まない。むしろこれが核心だ、と言わんばかりの圧と一緒に投げられる問いの数々に気兼ねなく答えること数回、請われるがまま躊躇いもなく自分の記憶を頼りに相手の望むものを渡していく。
そうして情報の擦り合わせとやらを終えたらしい馬鹿の頂点と名高い馬鹿は「情報提供に感謝する」と本日一番の輝かしい笑顔で何の前置きもなく言った。
「じゃあリューリ・ベルはとりあえず遠足のお時間だ文句は受け付けないちなみに行き先の指定理由や誘拐犯の動機その他諸々についての説明は丸っと省略しよう、だってお前興味ないだろう時間の無駄だし短縮しちゃう」
「それに関しては異論ないけど王子様、お前ノリ軽過ぎない?」
「事情があるにせよテメェの婚約者の救出を遠足扱いすんなや」
緊張感が見当たらねぇ、みたいな顔をしたセスが呻く。こんな危機感の足りない有様でもし万が一フローレン嬢に何かあったらどうするんだとは考えないでもないけれど―――――王子様のテンションから判断するに、たぶんあの人攫われていても無事は無事なんだろうなあ、という謎の確信があったので。
「じゃあまあちょっと行って来る」
分からないなりに流されて、何も聞かずに望まれたとおり遠足とやらに行くとしよう―――――あ、待って。ごめん待って。食糧持ち込みの可否についてだけやっぱり知りたいかもしれない。
毎度のことながら後書きにまで目を通していただき誠にありがとうございます。進行上の都合でちょっと待てやオイみたいなことになっている件につきましては仕様ですのでどうすることも出来ません実にすみません後悔はしてない(オイ)
諸々削ったことにより本格的な繁忙期に突入する前に更新することが出来ました。次回お届け出来るのは年を越してからになると思われますが、ごゆるりとお待ちいただけますと幸いです。




