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21.なんだかいろいろままならない

新年が明けてから一ヵ月以上が経過していましたがおめでとうございます、今年も(読み難い)本作にお付き合いいただけると幸いです……!

そして冒頭から恐縮ですが、どうか勢いでスルーしてください。


どぉん、と衝撃が駆け抜けた。


一拍遅れて、ずるずるずる、と擦れる音を立てながら、呆けた顔が落ちていく。

壁に背中をくっつけたまま、驚きによって見開かれた目にじわじわと恐怖を滲ませて、なのに意識を逸らすことなくこちらを凝視し続けたまま―――――ずるずるずる、と落ちていく、相手の顔を見下ろしている私の心には何もない。ただ、見ているだけだった。

名前も知らない男子生徒は引き攣った顔で何も言わない。ただただ私から逃れるように、ほんの少しでも距離を取るよう下へ下へと沈んでいく。それを追い掛けるこちらの目線もゆっくりと下がっていくのだけれど、相手の臀部が完全に床へと到達してしまったので下降はそこでおしまいになった。

誰も何も言わないので、このままでは埒が明かないなあと口を開こうとした私の耳朶を面倒臭そうな声が打つ。


「冒頭から壁ドンって何だリューリ」

「話すと短いけど言うのがめんどい」

「奇遇だな俺も面倒臭ェよ」

「一緒じゃんセスよし解決」


「何も解決してなくてよ!!!!!」


なんやかんやで終わりました、的な空気を醸して頷き合った私といつの間にか近くに来ていたらしいお気遣いの三白眼を真っ向から否定するように、縦巻き髪がばっちり極まったお嬢様が声を張り上げた。爆発的に響いた声なのに彼女本人の品性その他が一切損なわれていないのはどういう理屈だと思いつつ、しかしそんなことはどうでもいいので敢えて気にせず会話を続行―――――しよう、と思った矢先にはもうセスの方が動いていたので三白眼のお気遣いスキルが本日も留まるところを知らない。


「どうせそこの野郎がなんかしてこの白いのが更にやらかしただけだろ」

「言い方がなんか引っ掛かるけど三白眼だからまぁいいや。どのみち大体合ってるしな―――――と言っても『恋愛小説その他によくある男性側が女性を壁際とかに追い詰めて思いっきり手を突いて音を立てながら相手に迫る様式美の皮を被せた迷惑行為こと壁ドン』とかいう犯罪現場を未遂とはいえ目撃しちゃったからには宿屋のチビちゃんの熱意に誓って戦うしかないと思っただけなんだけどもぶっちゃけた話」

「宿屋のチビが壁ドン行為をバチクソ嫌ってることだけは分かった」

「イケメンに限る、とか想いを寄せている相手に限る、とか『好意を持っている前提で成り立つ様式美』だとは認めてたっぽいけど『現実的に考えればそういう相手以外からの壁ドンは率直に迷惑でしかない、物理の威嚇は悪質極まる脅迫行為なので見付けた端から通報を義務付けた方がいい社会的に処されるべき悪事』っていつになく真顔で言ってたからなチビちゃん―――――黙れよ、とか正直になれよ、とか至近距離で言われた日には自分の嫌悪感に正直に急所を蹴り上げることも辞さないって超力強く断言してた」

「さ………流石は北方大公閣下の直轄地に居を構えるお宿のおチビさんね………性別を問わず傭兵業で日々の暮らしを支えてきたという北部域の血が濃いのだわ………! 生粋の武闘派系軍人の聖地はいたいけなおチビさんでさえ心構えと熱意が違う………!!!」


妙なところで感心しているマルガレーテ嬢の誉め言葉には納得と畏怖が半分半分、とりあえず宿屋のチビちゃんに対する好意のようなものは汲み取れたので深くは考えないことにする。

そんなことより気になったことを、私はセスへとぶん投げた。


「ところでセス、さっきのバチクソってなに?」

「思わず口から滑り出たいつものクソの強調系」

「適当言って誤魔化さないそういうところは嫌いじゃない」

「ぽろっと口が滑った以上は開き直った方がぶっちゃけ楽」

「しれっと真顔でさらっと本音をぶっちゃけるこの三白眼」

「殊勝な俺とか俺が好かん」

「それは私もバチクソ同感」

「面白がって使うなリューリ」

「使うなら今な気がしてつい」

「テメェのそのノリ嫌いじゃねぇわ。ただし説教は道連れな。今度はフローレンが出て来るぞ」

「恐ろしいこと言うなセス。きりっと真顔で道連れ発言ぶちかますそのノリ割と怖い。ヤダよ」

「嫌だじゃねンだわ諦めろ。俺はもうとっくに腹括った」

「おい待て一人で勝手に括るな私の心の準備はまだだぞ」

「知らねぇよ秒で覚悟決めろ」

「バチクソに雑だな三白眼!」


思わず吠えても何処吹く風、言い訳もなく誤魔化す気もなく開き直ってきっぱり言い切るその潔さがまさにセス。見習っていきたい雑な姿勢。

ついこの間“王子様”に言われてちょっとだけクソとか口走るの控えるか、的な着地点に落ち着いたものの、人間の口はその場のノリと勢い任せであっさり滑る。言っちゃったものはもうしょうがないよね、みたいな学びを胸に刻み込みつつ次回に活かしたいものである。思っているだけで実行されるかどうかは別問題だけど。


「あなたたち、仲が良いのはいいことだけれど、その………あまり褒められたものではない言葉遣いの強調系は控えた方が良いと思うのだわ―――――まあ、もっとも? 私はフローレンに告げ口するような心根の持ち主ではないのだけれど!」

「あ、マルガレーテさんもしかして今聞いたこと諸々内緒にしてくれる感じ? ありがとうございます助かります、フローレンさんのお説教ヤダ」

「臨機応変なご対応、感謝申し上げますキルヒシュラーガー公子」

「んんんんん屈託ゼロの爆発スマイルで無邪気に感謝されちゃうくらい嫌がられているのねフローレンのお小言! 子育てって大変なのだわ………今度何か差し入れしましょう………って思わず流しちゃうところだったけれどベッカロッシ侯子突然どうされまして? 普段の貴方からは想像もつかない真っ当極まる言葉遣いを駆使した謝意の表明にうっかり居合わせた女生徒各位が心不全を起こしているのだけれど!?」

「気のせいだぞマルガレーテさん。その辺の男子がすごい顔してるのも単純な目の錯覚だ」

「それか集団幻聴だろ。唐突に予想外のモンぶっ込まれると脳が混乱するらしいぜ白いの」

「まぁ信じられないもの見たり聞いたりしたら大概そうなるよな人類」

「だな。前後の記憶を軽く忘れる程度の混乱だと個人的に都合が良い」

「思い切りの良さとブッ込みスタイルが潔過ぎる三白眼」

「本音は?」

「落ち着く」

「あらあら、相変わらずの仲良しさんねえ」


着地点もなく転がすだけの私とセスの遣り取りを、マルガレーテ嬢が適当なところで拾い上げてくれた頃にはギャラリー各位もそれなりに落ち着きを取り戻していた。縦巻き髪のお嬢さんはこちらの会話の応酬に何らかの和みを見出したらしく、なんだかほっこりした表情でにこにこと上機嫌に笑っている。醸す空気は穏やかで、近寄り難さなどどこにもない。

そんな彼女の表情を見ながら私は思わず溜息を吐く。セスも同じ結論に辿り着いてしまったらしく、小さな吐息をこぼすなり未だ床にへたり込んでいる男子生徒を睥睨した。


「おい、そこの。座ってるテメェ。テメェだよ、壁ドン未遂野郎。聞き齧りで決め付けちまうのもアレだがどうせリューリの言う通り、キルヒシュラーガー公子相手に壁ドン迫ったところでこの白いのが出張ってきたから口論になってなんだかんだで『同じこと』やり返されたクチだろ。違うなら今のうちに弁明してみろ。情状酌量の余地があるかは返答を聞いてから決める」

「な、なんでベッカロッシ侯子に………!? わざわざ貴方にそれを言う必要などなければ情状酌量云々も貴方の決めることではないでしょう!」

「メンッドクセェな畜生が、あとで揚げ芋買ってやるからざっくり経緯話せリューリ」

「揚げ芋大好き話が早い。ざっくり言えばマルガレーテさんに『文化祭がどういうものなのか』を教えてもらいがてら皆がどんな準備してるのかを一緒に見ながら回ってたら、ちょっとお茶買ってた隙にマルガレーテさんがそこの男子に壁ドンされて困ってたんで物理的に引っ剥がしてなんやかんやあって『ルックスの優れた異性に大胆かつ強気な姿勢で迫られて求められるというのは全女性の憧れでしょう、嬉しくない筈がないじゃないですか部外者は引っ込んでてください!』的な訴え方がなんか切実だったから、そういう理屈なら“王国民”的に顔は文句なく整ってるらしい女子の私がお前に同じことすれば問答無用で嬉しがって大喜びするんだなよし試すわ、ってノリで壁ドンしてみたあたりでセスが来てぐだぐだして今に至る。終わり」

「想定通りに想像以上のダイナミックさ発揮すんなや。キルヒシュラーガー公子。今のリューリの説明に誇張や齟齬や虚偽の類は?」

「なくてよ、ベッカロッシ侯子。大胆なまでにざっくりと要約されているけれど、大筋としては正しいわ―――――もっとも、私としてはいきなり呼び掛けられたと思ったら耳の近くで大きな音が鳴って、驚いて硬直しているうちにあれよあれよと状況が進んでリューリ・ベルさんがそちらの男子生徒に壁をドンッとし返したという認識だけれど………なんというかその、彼女が壁に向けて手を突き出したら自分が実際にされた以上の轟音がしたものだから、私としたことが恥ずかしながら意識が遠くなってしまったのよ………」


マルガレーテ嬢はそう言って、ここではないどこかへと視線を飛ばす。視界に入っているギャラリーの一部もまた同じような顔をして、同意を示す「わかる」とのコメントがあちらこちらから寄せられた。

何を隠そう床にへたり込んだ壁ドン男子まで似たような目で首を振っている。縦に、激しく、壊れたように。思い出したのかがちがち震える歯の根から絞り出すが如く、漏れ聞こえてくる悔恨の声。


「む、無理………むり、何アレ、こっわ………中身はどうあれ見た目はとにかく妖精みたいな超絶美人に壁ドンしてもらえるって嬉しいかなとか無理矢理過ぎるポジティブ抱いてリューリ・ベル嬢に言い返しちゃった僕のアドリブ神経万死、ナチュラルに怖いしシンプルに無理、整った顔が近くにあるより瞳孔の開いた目が怖い、腕力的にも敵うわけないのが一瞬で分からされて死んだと思った―――――美人の女の子に壁ドンされて男の僕がこれだけ怖いなら女子が男子に壁ドンされるって本当にものすごく怖いんだろうな………キルヒシュラーガー公子、怖かっただろうな………やっぱり、噛ませ犬なんて引き受けるんじゃなかったなあ………僕の人生終わったなあ………それにしても近くで見るとホントめっちゃ綺麗だったけど人類の持ち得る色として一般的じゃない気がする透き通った目でガン見されるの控えめに言ってゾッとしちゃったけどアレなんかもう美的レベルが人外過ぎて意味分かんないから雪原地帯に棲む伝説の人食い生物です、って言われた方がしっくりくみぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?!?」


がん、と結構な音がして、呻くようにぶつぶつと何事かを呟いていた男子の声が引っ繰り返ったが恐怖に染まったその顔のすぐ横にはセスの足があった。面倒臭さより鬱陶しさを感じさせる眼光で、眉間にちょっと皺を寄せた彼は心底うざったそうに言う。


「独り言がでけぇよ黙ァってろボケ―――――もういい。連れてけ、ボランティア当番。聴取はそっちに一任する」

「はッ! お任せください、ベッカロッシ兄貴!!!」

「侯子呼びをさりげなく兄貴に変えるな舎弟を持った覚えはねぇぞ」

「すすすすすスルーされると思ってたのにお声掛けいただいちゃったんだが!?」

「ご兄弟枠ではなく舎弟扱い解釈一致ですありがとうございますッ!!!」

「よっしゃご期待に応えるべく全力で頑張るぞ野郎共!」

「オラ立てお前だよそこの不審者殿! キルヒシュラーガー公子への迷惑行為に加えて妖精さんもとい“招待学生”のご令嬢をネガティブな意味で人外扱いするような失礼極まる発言を公衆の面前で吐いちまった以上、爵位持ちだろうが金持ちだろうが最低限の人権以外は保障してもらえると思わないでくださいよゴルァ!!!」

「キャァァァァァアァァァ学園内なのに治安が全然よろしくないぃぃいぃぃぃいぃ!!!」

「オメーが言うなこの女性の敵ッ!!!!!」


まさに、嵐のようだった。セスが呼ぶなり現れたボランティア当番なる屈強な男子四名はどこからともなく現れて、びっくりするくらい大はしゃぎしながら床に座り込んでいた男子を回収するなり去っていく。

連行、という王国語がぴったりと当て嵌まるその光景を見送るマルガレーテ嬢は唖然としていた。事前に聞いていたとおり、やはり不意打ちの類にはあまり強くない性質らしい。


「なんかセス仲良しさん増えた?」

「増えてはいねぇよ。ただまぁ、なんだ。剣術科の連中が最近妙に声掛けて来やがる………実戦的な訓練をこなすに当たっては意思疎通その他が円滑に進む方が有意義なのは間違いねぇけど、俺を遠巻きにしてた頃の警戒心や危機管理能力は個人的にもう少し残しとけよと思うわ―――――つっても、ありゃあほとんどメチェナーテの影響だな。あの馬鹿が事ある毎に『教えてくれ』だの『意見くれ』だのめげもしえねぇで聞きまくってくるから適当に答えてあしらってたんだが、どうもそれ見てた他の連中の心境っつぅか認識がアイツに釣られてめでたい方向に揃いも揃って振り切れたらしい。正直マジでどうかしてやがる」

「なるほど。つまりティトの能天気効果で結果的にはセスに舎弟が出来たと」

「兄貴だの親分だのそんなモンに祭り上げられる側の身にもなれやリューリ」

「お前それよりによって私に言う?」

「言われるまでもなく俺が悪かった」

「揚げ芋にお肉追加していい?」

「おう。燻製チーズも付けるわ」

「はい絶対美味しいじゃん最高か。ありがとうございます三白眼―――――と、脱線したけどつまりさっきのボランティアさんは剣術科の生徒たちなんだな。こういう言い方はあれなんだけども“文化祭”の準備しなくていいのか? 皆忙しそうにしてるのにお前らだけ割と暇だったりする?」

「ああ、正直暇っちゃ暇だな。ざっくり白状しちまえば今度の“文化祭”の主役は剣術科以外の生徒なんだよ。俺らの晴れ舞台の“剣術大会”は不完全燃焼とは言え終わっちまってるから今回剣術科生が担当するのはもっぱら警備と裏方だ―――――つっても、例によって繰り上がった緊急過密スケジュールの影響で今年の“文化祭”は外部の人間一切招待しないことになったから益々やることねぇんだけど」

「あら? そうは仰いますけれど、要人警護や施設警備の実地訓練も兼ねて当日の警邏スケジュールを回すのは例年剣術科の首席でしょう? 『分隊を編成するところから始めないといけないから、首席代表のセスにしろ大貴族子女の公女様にしろ人の上に立つ役職って大変なんだなぁと思いました』―――――と、メチェナーテ侯子が最近の手紙に書いて寄越したから多少のことは把握しています。つまり、他の方々はともかく貴方個人はそれなりにお忙しいのではなくて? ベッカロッシ侯子」

「メチェナーテ侯子の綴る文面はさながら幼年学校の生徒が手探りで書いた作文のような初々しさであると申し上げます、キルヒシュラーガー公子」

「分かっていてよ、分かっていてよ、そのあたりはきっちりと念押しして返信を認めましたので何も仰らないでベッカロッシ侯子! けれどこれだけは言わせて頂戴―――――内容はさておき字体そのものはだいぶ綺麗になったのよ、あの子」

「中身は子供の作文でもキッタネェ字はそれなりにマシになったってことだぞリューリ」

「翻訳ありがとう三白眼。でもそれ別にどうでもいい。ところでお前今サボり中なの?」

「違ェよ。キルヒシュラーガー公子の言ってることは違わねぇけどやるべきことサボってテメェと駄弁る程俺だって暇持て余してねぇ。分隊編成と当日スケジュールの概要はもう提出済みで今は上の承認待ち」

「まあ、流石ねベッカロッシ侯子」

「あとこれ余談だけどエッケルトの後釜次席まさかのメチェナーテだからアイツ普通に泣き言抜かしながら今必死こいて書類仕事してる―――――時間ねぇっつってんのにたまたま浮かんだらしい手紙の返事の内容を提出書類の端っこに覚書してたから頭ど突いて書き直させた」

「何をしているのかしらねあの子は―――――ッ!!!!!」


マルガレーテ嬢の反応がすっかり駄目な飼い犬を躾ける飼い主さんのそれである。ティトが剣術科の次席になったという驚きの新情報は元から知っていたらしく誇らしげな顔で聞いていたのに駄目なエピソードを開陳された瞬間の高低差というか落差がすごい。


「まったくもうメチェナーテ侯子ったら他人に付け入る隙を与えるような行いはしないように気を付けなさい、ってあれ程言って聞かせているのに私的文書の端書をうっかり人目に触れるような場でさらさらっとしちゃ駄目でしょう………あらやだでもこれもしかしてあの子に自覚はないのかしら………いい感じのフレーズ思い付いたから忘れないうちにメモしておかなきゃとかそんな理由で軽率に書きそう、自分が今まで向き合っていたのが重要書類とか提出物とかそういう事実を閃きの彼方に秒速で押しやって忘れていそうな無邪気な様が目に浮かぶのだわ………」

「余談に余談を重ねると、あのアホの頭ブッ叩いた直後の第一声が『せっかく思い付いた公女様へのお手紙の上品な言い回し忘れちゃったじゃんかセスの馬鹿ーッ!』だったモンだからついイラッとして追加書類顔面に叩き付けて息抜きがてらに散歩してたらリューリの壁ドンに遭遇した」

「まあ、やはりそうでしたのね。私の指導が行き届かず、ベッカロッシ侯子には多大なご面倒をおかけして誠に申し訳ございませ………ってこの私に頭を下げさせるなんてあの子ったら本当に困ったさんね! 次に会ったらお説教コース三十分は免れないのだわ―――――たまたま思い付いた言い回しをメモし損ねて忘れました、なんて言い訳を口にする前に、すぐさまそういう表現が浮かぶセンスを磨くようにしましょうねって私あれ程言ったのに!!!」


駄目犬に憤る飼い主さん再び。なんとなくフローレン嬢と話が合いそうだなあ、だなんて他人事感覚で夢想しながら、とりあえず能天気系の馬鹿から与えられるストレスを軽減させようと散歩に出た先で別の面倒事にぶち当たっている三白眼はちょっと面白かった―――――伝えたところでセス本人はまったく嬉しくなさそうに顔を顰めるだけだったけれど。


「面白がってる場合かよ白いの。言っちゃあなんだがこの状況、マジでレオニールの推察が正しかったどころかもっとヤバい」

「あ、やっぱりセスもそう思う?」


面倒だ、とは思っていても基本的に律儀な三白眼は、マルガレーテ嬢を気に掛ける台詞をぼそりと小さな声で吐く。すぐ隣に居る私にだけ聞こえるようにと配慮されたその発言は凶悪面には似つかわしくない優しさが確かにあったのだけれど、応える側があっけらかんと普通の音量で同意を示したから気遣い成分の八割くらいは秒速よりも早く蒸発した。

おい、と言わんばかりの顔で視線に険を含ませたセスがそれでも言葉を続けたのは、単純に渦中の公爵令嬢がティトへの教育的指導を考えることに意識を割いてこちらの話など聞いちゃいないと見込んでのことに違いない。


「そう思う、どころじゃねぇぞ実際。俺ら剣術科の学生はさっき簡単に説明した通り“文化祭”にゃ裏方参加だが、その分力仕事だの何だのであっちこっちに駆り出されるから噂や情報はそれなりに多く手に入るし聞きたくなくても聞こえてくる―――――キルヒシュラーガー公子狙いの暴走型花畑思考ども、ここ数日間あちこちで無駄な小競り合い起こしてやがった。そもそも全員がライバルだからな、そんな連中に抜け駆け禁止だの八百長不可だの説くヤツも聞くヤツも居やしねぇ。正々堂々真っ向勝負、なんて概念の持ち合わせもなくルール無用の早い者勝ちで誰が誰の足引っ張ってんのかもう分かんねぇとこまできてる。つっても今のところはまだリューリ効果とレオニールたちの事前対策の初動が効いてギリ水面下の騒ぎ程度だが………とうとう立場の低い生徒を脅して噛ませ役にして颯爽と本命の自分が助けに入る、とかいう寒過ぎる陳腐な小芝居企むクズまで湧いて出やがったらしい」

「なるほど。つまりさっきの壁ドン未遂は『やらせたやつ』がまだ野放しなんだな?」

「なんだリューリ。気付いてやがったか」

「話の流れでなんとなくそんな気がした」

「直感すげぇ」

「感心された」

「察しが良くて話が早ェそういうところマジで楽だわ」

「お前はあっちでもこっちでも苦労してるよな三白眼」

「ところであなたたちはさっきから何の話をしているのかしら………?」

「マルガレーテさんの話をしてるぞ」

「おうこら口が滑ってんぞリューリ」

「わざとですけど?」

「ブッ込みやがった」


まあいいか、で雑に締め括って特に咎めもしないあたりが安心安定のセスだった。わざわざ示し合わせなくたってその場のノリで転がる状況をどうにでもなれとぶん投げて、冷静に状況を見定めながらも淡々と受け入れていく様は臨機応変云々の域を超えてなんというかもう適当である。

察するに、彼は慣れていた。“私”という異物にもう慣れて、その上でそういうスタンスを貫くと決めているのだろう。既に確立しているからこそ安定している対応は、こちらとしても呼吸が楽だからシンプルにただありがたい。

反対に、きょとんとしているマルガレーテ嬢はきっとまだ慣れていないのだ。もしかしたら永遠に慣れないし、交わらないし分かり合えない生き物かもしれない“北の民”が突然何を言い出したのかと目を丸くしてこちらを見ている。

わたくしのはなし、と小さく動く唇は熟れた食べ頃の果実の色で、がさがさに荒れて罅割れて滲み出た血が凍ったことなど一度もなさそうな潤いと艶を保っていた。そんな彼女の独り言を頷くことで肯定し、何でもないことを告げるが如く殊更平然と私は言う。


「うん。そう。マルガレーテさんの話―――――簡単に言うとマルガレーテさん、お花畑の男子各位に大人気らしくて所構わず婚約者の座狙われてるような状況なのに本人いまいち自覚してないし危機感も足りてない感じがするから『ちょっとリューリ・ベル用心棒よろしく』ってこっそり私に頼んでくるくらい王子様とフローレンさんに心配されてるんだけど知ってた?」

「なにそれ初耳なのだけど!?」


くわ、と勢いよく目を見開いて全力で叫ぶマルガレーテ嬢の表情は随分と険しくてこわい。プライドを傷付けられたのだ、と分かりやすい態度ではあったけれど、それはそのままフローレン嬢と王子様の懸念を証明していた。


「なんてこと………“文化祭”という一大イベントがどんなものかをリューリ・ベルさんに説明しがてら学内の雰囲気を見て回ることで催しの意味と参加の意義と『楽しい思い出を作りましょうね』という大事なメッセージを伝える大役をこの私に任せるだなんてよっぽど忙しいのねフローレンよろしくてよそれくらい寛大な私は快く引き受けて差し上げてよ―――――だなんて得意気に胸を張っていた私を張り倒したい気分だわ。ええ、私は自分の価値を正しく把握していてよ。ですから、我が家と縁を結びたいという方々の熱烈極まるアプローチなど今更珍しくもないわ。その程度のことでキルヒシュラーガー家の娘が無様に動じるものですか! お花畑な殿方各位に妖精さんの用心棒? まあまあまあまあ、メルヒェンですこと! 冗談も大概になさいまし! 自覚も危機感も足りていない、とはこの私も見縊られたものね! レオニール殿下だけならまだしも、よりにもよってレディ・フローレンまでこのマルガレーテ・キルヒシュラーガーを庇護下に置こうとするなんて………! 久々でしてよ! こんな屈辱!」


著しく機嫌を損ねた様子で加速していく呪いの言葉は威勢もテンポも良いものだったが、笑っていないと分かる笑顔で叫び終わるなり駆け出そうとする華奢な身体は炎のよう。けれど、爆発する前であればどうとでも対処のしようはある。

だから私は普通に彼女の腕をぱしんと掴んで縫い止めた。腕力の差は明白で、激情だけではどうしようもない物理的な制止に苛立つ美女の縦に巻かれた金色の髪がこちらを睨んだ勢いで唸る。武器のように襲い来るそれをひょい、と気軽に小さく避けて、マルガレーテ嬢に怒鳴られる前に自分の知る真実を捻じ込んだ。


「よく分かんないけどマルガレーテさんのためじゃなくて、“文化祭”? を恙無く開催するための措置のひとつってやつらしいぞ」

「………は?」


マルガレーテ嬢のためではない、という直球過ぎる一文に、彼女は整った眉を顰めてどういうことかと細める。探るような視線からは先程までの激情の名残が少し燻っているだけで、気勢は削がれたらしかった。


「マルガレーテさんの婚約者になりたい、って連中が例えばの話“文化祭”の準備も手伝わないで要らん騒ぎを起こしまくったら普通に頑張ってる他の学生は迷惑だし邪魔だし気が散るじゃん? お花畑の視野狭窄は今に始まったことじゃないけど、前倒しになって過密スケジュールもいいとこのイベントを開催するのに忙しく動き回ってる中でそういう変なのが絡んできたら鬱陶しいだろ。フローレンさんも王子様も、何よりマルガレーテさん自身もいろいろやらなきゃいけないことあるのにそんなめんどくさい馬鹿の集団に時間取られるのって嫌じゃない? だから特に準備とかすることもなくて暇してる“私”がマルガレーテさんの近くに居れば、お花畑の住人も軽挙妄動を謹む方向で諦めて大人しくなるのでは? みたいな感じであの“王子様”に頼まれた。マジで今忙しくしてるから運営側のフローレンさんたちにかかる無駄でしかない負担の類は極力軽くしたいらしい。だからマルガレーテさんを見縊ってるとか、自衛も碌に出来ないんだって馬鹿にしてるわけじゃないと思うぞ―――――真面目に頑張ってる学生さんたちと“文化祭”をちゃんとやるために、使えるやつを可能な範囲で動かして『対策』しただけだ」

「な―――――ああ、そう。そういうこと。そういう理屈を捏ねたのね? 確かにそれは私のみならず他の生徒たちに迷惑だもの、公爵令嬢ならどうにか出来ても立場の弱い子たちにとっては対処が難しいでしょうし、何より“文化祭”の準備で忙しい方々には本気で邪魔でしかないわね………ふん。相変わらず癪に障ること。ええ、ええ、なるほどね? 納得はしかねているけれど、理解は出来なくもないわ」


憤る程のことではない、と高貴なるお嬢様が鉾をおさめる。まるで己に言い聞かせるような口振りではあるが理知的であり、誰よりも自制がきいていた。感情の起伏の振り幅が恐ろしく広く何より素直で、けれどそれを理屈と理性で抑える術を知っている。


「私一人に限ることなく、全体を俯瞰する視点。大局を見越す最適解。そういうことなら、話は別よ。些か業腹ではあるけれど―――――ここで取り乱して噛み付くようでは、それこそ公女の恥というもの」


何より、事実は事実でしかない。

敢えて口に出すことでより早く折り合いをつけたのか、居住まいを正したマルガレーテ嬢はただ真っ直ぐに前を見た。それはつまり、彼女を止めた私と向き合うということで、こちらとしても制止した手前逃げ出すなんて真似は出来ない。


「けれども、ねえ? リューリ・ベルさん。貴女だってお分かりなのではなくて? 先程の一件を思い返すに、レオニール殿下が想定したより事態は遥かに深刻なようよ? だって貴女が側に居たのに隙をついて突撃して来る向こう見ずな殿方まで出て来たのだもの」


そうでしょう? と微笑む彼女にこちらをやり込める意思などなく、ただの事実を指摘しただけの言葉に反論などある筈もない。だから、素直に頷いて、ついでに私見も述べておく。


「そうだな。立場の弱い人を脅迫して安易に女性を襲わせる犯罪行為を強要しながら自分は善意の第三者を装い颯爽と助けに入ってお手軽に好感度を上げようとするクズは物理的にも社会的にも排除しておくべき邪悪、って宿屋のチビちゃんが断言してたタイプまで湧いて出たらしいから事態は相当深刻だと思うぞ」

「お待ちになって殺意が高い宿屋のおチビさんが気になるけれどもちょっと待って流石にお待ちになって、さらっと出てきた暴行教唆は本気で深刻案件でしてよ!!!」


悲鳴のような声を上げて冗談だと言ってほしいみたいな目でセスを見たマルガレーテ嬢に対して三白眼は容赦がない。隠し立てもせず手短に、ただ首を横に振って見せただけで彼は公爵令嬢の抱いた淡い希望を粉砕した。


「なりふり構わなくなってきた、なんて言葉にしちまえば陳腐だが………巻き込まれる側にしてみれば堪ったモンじゃねぇだろうよ」

「そんな………そんな馬鹿な話………いいえ、本当に、あるのでしょうね」


縦巻き髪のお嬢様から血の気がみるみる引いていく。ことは彼女一人に限らず招待学生や剣術科の首席や未来の国王夫妻といういつもの面々に留まることなく“学園”全体に面倒事をもたらすレベルにまで到達していた。尊き血を引く貴族の娘として矜持を重んじてはいるが、それと同じだけ責務や規律に厳しいマルガレーテ嬢は今や傍目にも分かってしまう程に弱々しく眦を下げている。


「ひとの迷惑も省みないような身の程知らずには絡まれた端から分からせて差し上げれば良いだけだと安易に考えていたのだけれど、そういえば『そういう可能性』があってもおかしくはないんだって、私、たった今気付いたのだわ………悔いたところで、遅いのだけれど」


他の誰でもない自分自身のせいで、己よりも弱い者たちが迷惑と損害を被っている―――――それに頓着することのない神経の持ち主だったなら、たぶん彼女はそんな顔で途方に暮れたりはしなかった。

泰然と構えて迫り来る者たちを片っ端から迎撃していればいつかは状況も落ち着くだろう、なんて悠長なことを言っていられる段階はとうに過ぎている。そうと知ってしまったからこそマルガレーテ嬢は落ち込んでいた。お労しや、との気遣わしい囁きがどこからともなく聞こえてきても、それは解決の一助にはならない。

不測の事態に弱い人。想定外に狼狽えて、予想外に取り乱す。なまじ真面目な性分だから混乱に混乱を重ねていようが反射的に頑張って空回りしてしまいがち。基本スペックはフローレン嬢と同等くらいに高いお嬢様らしいので、落ち着いていれば割とてきぱき対処出来ると思うのだけれど如何せん不意打ちに弱い―――――あれ? と疑問が浮かんだあとで、脳裏に閃きが走った。

重たくなり始めた雰囲気を他所に、ぱん、と乾いた音が鳴る。

隠すことでもないので言うが私が手と手を合わせた音だ。両掌を身体の前で合わせれば多少の強弱の違いはあれ大抵こういう音が鳴る。


「なあ、マルガレーテさん。今ちょっと思ったことがあるんだけど言っていい? 言いたいから言っちゃうな」


急に何をしてんだテメェは、みたいな目で見下ろしてくるセスの視線を感じつつ、びっくりして目を真ん丸にしているマルガレーテ嬢に言葉をかけた。それは“王子様”に短期労働を持ちかけられて了承した身としての発言であり、たくさん食べた美味しいクレープに見合う働きはしなければという単純極まる思考が示した私個人の意見である。

言っていいかと聞いておきながら言いたいからもう言っちゃうわ、という時点で自分勝手ではあるけれど、だけど、直感が告げていた。たぶん、これは口に出して伝えた方がいいやつだ、と。


「迷惑してるしめんどくさいなら全部まとめて片付ければよくない?」


それが出来たら苦労はしない、と表情だけで器用に語ったのはマルガレーテ嬢かセスかそれとも両方だったか、思い付くままを口にした後で首を傾げる二人を伴って私は移動を開始する。


そうして、そんなに歩くこともなく辿り着いたその場所は―――――なんというか、一種の戦場だった。


「殿下ァ! 特別学科第一班からのメインホール使用抽選申込書が未だに無いと言いますかそもそも必要書類系を書き上げてすらいないようなのですがこちらは催促に向かった方がよろしいでしょうかご指示願います!!!」

「は? 提出は本日の正午まで、と期限を定めていた申請書類をこの期に及んで未作成とはいい度胸をしているな、そんな甘ったれた連中は放置一択で構わないからさっさと忘れろ時間の無駄だ! 今件において期日切れの申請は一切例外を認めない、と最初に明言した以上催促してやる義理など無いしそこに割く人員も勿体無い! 毎年のように確保されていた優先枠だから多少書類が遅くなろうが用意してもらえて当然だというその精神が気に入らない上に“王子様”と同じ学科専攻だから多少は大目に見てもらえるだろう的な甘い怠慢が透けてるなんてそもそも論外に決まってるでしょうがイベント開催で運営サイドの負担を不必要に増やす阿呆は不要!!! もしも連中が文句付けに来たら『今更どの面下げて来やがったんですかもう受け付けてませんサヨウナラ』って力の限りに追い返して構わん何なら私の名前も出して嫌味と皮肉と当て擦りの雨をここぞとばかりに降らせていいぞうむしろ私がやってやりたい!!!」

「失礼します殿下! メインホール利用希望グループの書類審査が終わりましたので最終確認をお願いします! なお各希望グループが提出した予定発表時間から割り出した当日の最大効率スケジュール案数点も併せてご確認いただきたく!!!」

「はいはいはいはいちょっと待ってざっと目を通す時間ちょうだ………あ? 待って、なにこの時間割り。全部が全部こんな分単位にキッツキツのスケジュール組んだところでその通りに進行出来るわけがないじゃんリテイクッ! 時間が押しても対応出来る余白を組み込んでおかないと当日になって現場が死ぬぞ! あと発表者の入れ替えやら壇上の再セッティングといった細々とした準備時間が想定されてない気がするからそのあたりも踏まえて見直していけ! 発表者たちが己の学業の成果を披露する時間を少しでも長く確保してやりたい、というタイムスケジュール班の熱意は買うけれどもここで我々が見誤ったらその皺寄せが何処に行くのかを考えて案を練りなさいそれはそれとしてハイ書類の最終確認終わった問題なし王子様のサインよし!!! 次!」

「殿下、イベント簡易出店に際する食品衛生責任者試験と検査日程についてのご相談が!」

「大変です例年より食べ物屋さんやりたがってる人が多くて出店スペースが足りないってたった今学園側から通知来ましたあ!」

「すみません通してください通してください『揚げ鳥屋の出店許可をどのグループが勝ち取るか』でお貴族様たちが揉めてるんです平民じゃどうにもならないので何とかしてください殿下ぁぁぁぁぁ!!!」


慌ただしい空気。犇めく人々。騒然とした様子の室内には書類と大声が飛び交って、その渦の中心であろう輝く金髪の持ち主は休むことなく手と口を動かしながら次から次へと舞い込む案件を的確に手早く捌いていく。


「ああもうこの忙しい時にッ! そこのキミ、よく報せてくれた。しかし一息入れる前にすまないがもう一仕事頼む―――――ザック! 人員整理は一旦置いて揉めているとかいう連中を仲裁しに行ってもらいたい! 案内はそちらの彼にしてもらえ、あと出店そのものを許可する前から出品物で争う輩には多少強気に出て構わん! ヘンリー! 念のためお前も同行してくれ、それで小競り合いが収まらないなら最悪フローレンが出る!!!」

「私も忙しくてよ馬鹿―――――そこの貴女、これとこれとこれ、書類に不備がありましてよ。添付資料も足りません。殿下へ決済をお願いする前に今一度よく確認なさいまし………ああ、お待ちになって。隣室に休憩スペースを設けてありますのでそちらで一息入れていらっしゃい。貴女がこんな初歩的な確認ミスをするなんて、余程お疲れなのではなくて? 見たところ指摘箇所だけを直せば問題なく通せそうでしたから、ゆっくりと呼吸を整えてから慌てず焦らず対処の程を」

「ん? フローレン、すまない。ちょっとお前の意見を聞きたい。これクレープ屋さんをやりたいグループの予算に関する申請書なんだが、ここに書いてある仕入算出額が現時点における概算とはいえ私が把握している市場価格との乖離が著しい気がする………ここに書いてある果物がこの金額で取引されてたのって、自然災害で収穫量が激減した去年だけの話では?」

「拝見します………そうですね、殿下のおっしゃる通りかと。こちらの品であれば今年は供給が安定しているのでもっと安価で手に入るでしょう―――――ああ、あとコレと、おそらくこのあたりも適正価格より設定が高めです。誤差と言われればその範疇におさまる程度でしょうけれど、積もり積もれば看過出来ない金額になってしまうでしょうね?」

「まあそう尖るな、フローレン。教養科主体の飲食系出店は大半が興味本位でしかないから多少のリサーチ不足くらいは想定の範囲内だろう………が、このグループに関しては農業科や商業科の生徒たちに市場の動向と仕入価格についてアドバイスしてもらって書き直せ、と言ったところで素直に聞く面子とは思えない―――――そう考えるとやはり各店個別仕入れではなく食堂を通して馴染みの業者から全店一括で仕入れる方が諸々合理的なのでは? 品質についてはまず問題ないし、食堂のプロフェッショナルたちが文化祭当日まで食材管理を担当した方がコストもリスクも少ない気がする。懸念点としては食堂スタッフの仕事量激増が真っ先に挙げられるところだが、それを差し引いてもメリットが大きいのでこれは真剣に検討したい」

「同感です。そのプランですと食堂スタッフへの負担は確かに倍増しますけれど、あちらからは今回全面的に協力するとの確約をいただいておりますので細部を詰めれば問題はないかと………ただ、納品分を確保する業者への発注タイミングは早めに設定すべきでしょうね。あとは出店する側にもより具体的かつ現実的な仕入量の割り出しが必要です」

「これは私の所感だが、出店予定リストを見た限り全体の九割近くのグループは早期提出を通達しても問題なく対応出来るだろう。というかそういう経験を積むのも“文化祭”を行う意義のひとつだからどうにかしてもらいたいところだなー、っていうのが私の本音であり願望だな。そして泡を食うであろう残りの一割が駄々を捏ねるのは目に見えているが、正直今回は『文句を言えば斟酌してもらえる』的な甘えを許す時間も余裕も運営側にはまったくない―――――ので、申し訳ないがフローレン。今から動いてもらえるか。走り書きだけどこれ今話してたプランの概要と学園側への仕様変更書類と食堂へのお願いと駄々っ子連中用の通達書。ざっと目を通してもらって大丈夫そうだったら“王子様”のサインする」

「あら、殿下。いつの間に? こういうことに関してだけは本当に仕事が早いこと………学園側への提出書類はこちらで良いかと存じます、簡略化した書式ながらもきっちりと要点がまとまっているのですぐにでも通してもらえるでしょう。ただ、大局も見据えず囀る方々への通達書には『上記に同意できない場合は問答無用で出店不許可』の文言を追加してしまってもよろしいのでは?」

「ついていけません、との泣き言は切り捨てていくという無慈悲なスタイル、それでこそ文化祭運営委員会統括副官だフローレン―――――サインだけじゃなく“王子様”の捺印もしといたから容赦は不要、食堂スタッフに話をつけて学園側に最速でプラン変更の書類を通して出展者各位へ変更点を通知、お前相手に不平不服をぶち撒ける根性のある輩が居たら滅多に使わない強権ですり潰していく方向で!!! あ、でも休憩は適宜とるのを忘れずにな。お互いに過労でダウンは避けるべく可能な範囲でとにかく頑張ろ」

「ええ。勿論でしてよ、レオニール。倒れた分だけ仕事が溜まって進行は滞る一方ですもの」

「それな!!!!!」


てきぱきと、二人にしか醸せない空気と疾走感で会話を成立させているフローレン嬢と王子様は誰がどう見ても多忙だったし分かり易いくらいに有能だった。フローレン嬢だけでなくトップオブ馬鹿と名高い馬鹿までちゃんと仕事をしているというか出す指示がいちいち的確である。誰だあれ。こわ、と密やかに戦慄していた私の横で、ぼそりとセスが呟いた。


「あの馬鹿なんでかイベント系に関してだけは天才なんだよ。企画も運営も折衝も」

「ああ、レオニール殿下のそういう分野に関する能力の高さだけはフローレンも昔から評価していたわね………イベント特攻王子様、って本当にどういうことなのかしら………」


幼馴染の三白眼に加えて割と昔から付き合いがあるらしいマルガレーテ嬢からもコメントが寄せられたがイベント特攻王子様って本当にどういうことなんだろうな、と心の中で同意して、前に並んでいる人が一歩前進したところで同じように一歩進む。

文化祭運営委員会本部、などと読むらしい仰々しい看板が掲げられていた部屋の中には王子様とフローレン嬢を中心とした集団が大変忙しそうにしていて、何をするにも順番待ちなのでとにかく列に並んでくださいとのルールが出来上がっていた。全員それに従っているので大人しく私たちも並んでいるが、たまたま前後になった生徒からは「順番お譲りしましょうか?」とちらちら視線が向けられまくるのを気遣い無用とマルガレーテ嬢がきっぱり断って今に至る。


「雨が降っても文化祭は構わず実行されるんだから飲食スペース用の仮設テントは早めに点検しておけとあれほど―――――ん? んん? 待ってなんか今あのあたりにすごく白い色が見え………たと思ったらリューリ・ベルがしれっと並んでるんだけれどもなんでお前らが並んでんの!?」

「王子様に用があったんだけど忙しそうだから順番待ちしてる」

「あらやだお気遣いありがとう! どうでもいいけどキルヒシュラーガー公子とセスも一緒って組み合わせが謎だな! フローレン、管弦楽団と有志演劇のリハーサルこっちで対応しちゃっていい!?」

「可能であれば芸術部門の公演スケジュール確認も併せてお願いします殿下。では私は先程の件で少々席を外しますので―――――失礼、通してくださいまし。列待ち中で展示発表の小講堂に関する急ぎの案件をお抱えの方、私に代わり十一番が対応しますのでそのつもりでお願いいたします。それとこの中に職員室への提出書類をお持ちの方は? はい、挙手をした方は今から私とご同行願います。時間が無いので確認は歩きながら行うとして………十二番、この場に残って補佐を。十三番は一緒に来てください」

「書類をお持ちします、フローレン様」

「ええ、ありがとう。殿下、一時失礼しますわ―――――リューリさん、せっかくご足労いただいたのに慌ただしくて申し訳ありません。セスも付き添いご苦労様。ところで、レディ・マルガレーテ」

「確認待ちの生徒たちが出入り口で貴女が来るのを待っていましてよ、レディ・フローレン。きちんと職務を全うしている者たちを雑談で待たせるおつもりかしら?」

「まあ。ご忠言、痛み入ります。お言葉に甘えて失礼しますわ、レディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガー」

「ええ。お忙しいでしょうに、私のことまで気に掛けていただいて光栄でしたわ、レディ・フローレン。お務め、励んでくださいまし」

「ごっめんフローレン外回りついでに追加で芸術科教諭に伝言頼める? 『こだわるのは分かるけど締め切りに関しては絶対伸ばさないからな』ってお嬢様スマイルで圧掛けてきて! ポスターの打ち合わせが未だに出来ないって広報担当と私の胃壁が死にそう!」

「かしこまりました。食堂に寄る予定があるので胃腸に優しいハーブティーのデリバリーを注文しておきます」

「素敵! あ、領収書は運営本部で出してもらって。間違いなく必要経費で落ちる。というか落とす。絶対にだ」

「職権乱用でしてよ馬鹿―――――と、言いたいところですが今回ばかりは必要経費なのでお任せください。弾かれたら二人で抗議しましょう」

「はっはっは、フローレンもだいぶキてるー! 笑い事じゃないな行ってらっしゃい! ちょっと建築科の設計図とかこのまま持って来られても私に分かるわけないでしょうが屋外舞台の設置については流石に担当教諭に聞いて!!! は? 演出で爆竹使いたい? それは発表内容による!」


何から何まで本当に、いろんな相談その他諸々が寄せられまくっているらしい。分からないことがあったならまずは王子様に持って行け、みたいなノリで集っているのかとにかく仕事量が多かった。


「チッ、こっちはこっちで想像以上に人手も時間も足りてねぇな。リューリ、このまま並んでろ。埒が明かねぇから手伝ってくる」

「順番無視して突撃しないで面倒臭くても手伝うことで列そのものの消化速度を上げようとするお前のそういうところ尊敬する」

「待つより動いてた方が楽な性分してるだけだけどな―――――レオニール! 待機列減らすの手伝ってやるからテメェとフローレンの裁量で捌ける範囲が分かるモン寄越せ!」

「えっ、マジで? いいの? ありがとう、本気で助かるイアンこのメモ書きセスに渡して大至急! よし、飲食物の販売店舗数過多については設置スペースそのものを増やす方向で調整されると思うからとりあえず空き地を確保して―――――いや待て、いっそ闘技場あたりを使わせてもらえないか交渉するか。学園中の生徒を収容出来るくらいの大規模施設を剣術大会くらいでしか使わないのは勿体無いし、舞台上で大々的にオープンキッチン展開させて客席をそのまま飲食スペースに………食べ残しやらゴミ問題やらいろいろ突かれそうな部分はあとでフローレンと煮詰めるにしてもアイデアとしては悪くないな。これが通ればこっちとあっちの問題は片が付くとして………うーん、なんというかこの忙しさ、運営の業務内容を細分化して各所に専任者を配した筈なのにあんまり機能してないっぽいなあ。今日中にシステム見直さないと………おっと、すまないこの辺については悉くフローレンが帰って来てからじゃないと二度手間になるんで後回し! 今無理! はい次お待たせー!」


王子様がものすごく仕事の出来るやつみたいなこと言ってる。気がする。気のせいかもだが。

トップオブ馬鹿には似合わない有能さを醸している王子様が走り書きしたらしいメモを受け取った三白眼はいつの間にか隣から消えていて、待機列からはじわじわと人が離れ始めている。王子様じゃなくても判断出来ることは分担して捌いているようで、セスは順番待ちをしている生徒たちの相談内容等を聞き取っては各所に振り分けているらしい。


「ああ、フローレンが外回りに行ってしまったから全体の処理速度が落ちたのね………相談内容の取捨選択はベッカロッシ侯子が担うとしても、捌く人手が足りていなければ歩みが鈍るのは自明の理。リューリ・ベルさん、私少々席を外させていただきます。一人でお留守番出来るかしら?」

「マルガレーテさんの中の私はもしかしなくても幼児か何かか?」

「はっ! 嫌だわ何故かしら、ついつい小さなレディ向けの台詞が飛び出てしまうだなんて………ごめんなさいね、わざとじゃないのよ、お詫びに購買部でバターたっぷりの焼き菓子の詰め合わせを買ってあげますからね」

「焼き菓子! 好きです! ありがとうございます! 幼女とか妖精とか目の錯覚とか幻覚の類とかぶっちゃけ割とどうでもいいので気にしてないから大丈夫だけどそれはそれとして焼き菓子嬉しい」

「ううん、分かってはいたことだけれど食べ物に対する執着がすごい………それでは謝罪も済んだところで、改めまして、失礼致します」


見兼ねて手伝いを申し出たのはマルガレーテ嬢も同じだったらしく、彼女は十一番さんと一緒に相談者の対応に当たり始めた。公爵令嬢という肩書きが効くのかそれとも最初から運営本部に所属している幹部だったか、そのどちらでもない私はと言えば手伝おうにも手伝えないので普通に列に並んだままだ。

ぼんやりしていていいものか、と思わないでもないのだけれど、ぼんやり並んでいるくらいしか出来ることが存在していない。なので、あちこちから聞こえる音をやんわり遮断して今日のランチに食べた鶏肉のフライバーガーの味を思い出していた。揚げたてはもちろん美味しいけれど、衣にしっとり染み込んだ絶妙な甘味を持つソースとぴりっと舌と鼻にくる適度な辛味の新鮮野菜の組み合わせもまた前者とは違った良さがある。感動したのでお一人様に売ってもらえる限界量を追加で買っていただきました。十五個も用意してくれてありがとう食堂のおばちゃんたち。


「あ、私の方もう片付いたっぽい? 現状とりあえずこれでラストか………分かった、他のメンバーに割り振られたやつの中で手間取りそうなやつがあったら持って来てくれ。やっておこう―――――セスとキルヒシュラーガー公子のおかげで思っていたより余裕が出来たな。よし、手が空いた者から休憩スペースで水分と糖分を補給してらっしゃい。短くて悪いが十五分間はフリータイムとして保証しよう。根を詰めるより一息入れてエネルギー補給等に努めた方がより良いパフォーマンスを期待出来る、とは世の研究者たちも認めているので仕事のことは一旦忘れて英気を養う方向で。以上、一時解散。お疲れェ!」


労りの一言のノリがなんだか体育会系と呼ばれる連中のそれに似ているが喋っているのは無意味に煌めく美貌を持った王子様だし中身は異様にノリの良い馬鹿だ。特定分野においては非凡とまさに目の前で証明されたがそれでも一定確率で馬鹿をやらかす馬鹿王子である。忘れそうな事実を忘れないために反駁する作業の虚しさについては敢えて考えないようにしたい。

そんな内心など露知らず、王子様の号令で机に齧り付いていた運営委員会の面々とやらが一人また一人と席を立つ。お互いの奮闘を称え合いながら扉を潜ったその瞬間に「糖分が足りねぇぇぇぇ!」などと絶叫しながら隣室にあるという休憩スペースに突撃していくあたりが末期だ。なんとなくランチタイムを前にした飢餓感溢れる私に似ている。彼らの方がまだ上品だけれど。

死相を浮かべたイアンが十一番さんに伴われてゆっくりと退室していくのを何となく目で追い掛けて、いつの間にやら自分の後ろにあった列がないことに気付いて少なからず驚いた。部屋の中に残されているのは、王子様とセスとマルガレーテ嬢と私だけになっている。


「―――――で? 珍しいことに“王子様”に何の用があるんだ? リューリ・ベル」

「マルガレーテさんの件で相談がある。短期労働を引き受けた身として雇用主に相談、ないし、提案があるんだけど今時間ある?」

「時間というものは人類平等に同じ速度で一分一秒消費されていくものなんだよリューリ・ベル………見ての通り忙しいので厳密に言えば時間はない、が、何かをするための“時間”ってのは基本捻出するものだと今の私は断言しちゃうので気にせず本題に入ってくれ。但し、結論から頼む。それさえ先に伝えてもらえれば後は王国語が支離滅裂だろうが言いたいことを言いたい順序で羅列されようが“王子様”内容汲み取っちゃうから」


しれっと軽々しく言ってはいるが、王子様の顔は割と真面目だ。真面目な顔をして書類を片付け引き出しからクッキーの包みを出して食べカスひとつ溢すことなくお上品に食べて飲料水のボトルを傾け控えめに喉を潤している。一連の動作には無駄がなく、優雅に洗練されていた。貴重に違いない休憩時間をこちらとの会話に充てているのだと私にすら分かる状態なので横槍を入れる者は居ない。

なので、リクエストされたとおりにまず結論から叩き込む。最短距離で、最速で、ついでに最高出力で。


「分かった、他に言い方思い付かないからあんまり良くないけどそのまま言うな―――――文化祭でマルガレーテさんのこと大っぴらに見世物に出来たりしない?」

「なんて?」

「ハァ!?」


王子様とマルガレーテ嬢の声がほとんど同時に引っ繰り返った。無理もない、と自分でも思う。他にもっといい言い方があれば迷わずそちらを選んだが、実はずっと思い付いてから今口に出すこの瞬間まで考えていたのに浮かばなかった。言い方が良くない。言葉が悪い。視界の端にものすごい顔で私を凝視している美女が見えるが彼女の反応はもっともである。見世物にされて喜ぶ人種はきっとそういう職業の方か生来そちらに素養のある趣味に正直な人くらいだと宿屋のチビちゃんも言っていた。この場合は私の言い方が悪い。本当にごめんなさいと思う。

しかし、正当な権利として激昂気味に抗議の声を上げようとしたマルガレーテ嬢の機先を制したのは秒で落ち着きを取り戻したらしい真顔の王子様だった。


「キルヒシュラーガー公子、少し抑えてくれ。リューリ・ベル、質問に答えて欲しい―――――レディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガーに他者を巻き込んだ悪質なアプローチをする輩が出始めたという報告は私の耳にも入っている。同時に、お前とセスが彼女と一緒に私のところへと来た時点で、キルヒシュラーガー公子本人に我々の思惑もある程度の事情も通っているものだと判断している。しかしそうした前提を踏まえても“文化祭”で彼女を『見世物に出来るか』という今のリューリ・ベルの発言の意図を測りかねると言わざるを得ない。定義に困る。情報が足りない。まずお前の言う『見世物』は具体的に何を指しているのか、例えというか、近しい事柄を挙げてもらえると助かるんだが?」


クッキーも飲み物も横に置き、机の上で組み合わせた手に顎を軽く乗せるような姿勢で王子様が僅かに目を細める。抑えてくれ、との一言だけで激昂したマルガレーテ嬢を封殺してしまった謎の貫禄を普段から発揮していれば、きっとフローレン嬢に怒られることもないだろうにとしみじみせずにはいられない。

気圧される必要性は無いのでどこまでも自然体なまま、答えてほしいと言われたことに反射の領域で言葉を返す。それこそ自分が実際に経験していたことだったから、むしろ答えやすかった。


「セスがでっかいハンバーガーくれたときのやつ」

「ああ、あのくっだらねぇ馬鹿げたランチ対決か―――――なるほど。確かに『全部まとめて片付ける』なら手っ取り早くてアリかもしれねぇ」


一人だけ先にこちらの意図を見抜いたらしいセスが言い、おそらく認識に齟齬はないと判断したので首肯を返す。当時まだ休学中だったマルガレーテ嬢にはよく分からないかもしれないが、司会進行までノリノリでやっていたエンターテイナー気質の馬鹿があれを忘れるはずもない。


「そうそう、セレクト・ランチ対決だっけ? よく分からんお花畑思考の男子とセスが用意したランチのどっちをお昼に食べたいか、私が選んで勝ち負けを決めたあの馬鹿馬鹿しい見世物だ。ああいうのをやればいいと思う。要はマルガレーテさんの婚約者になりたい連中が好き勝手して迷惑してるなら好きにさせなければいいんじゃないか? ルール無用だからめんどくさくなるんだ。巻き込まれる人たちも迷惑なんだ。だったらこっちでルールとか決めてマルガレーテさんが有利な状況でまとめて対処すれば良くない?」


口に出しているうちに、見世物よりもほんの少しだけマシな表現を見付けた気がしてすぐさまそれを音声化する。こちらの意図が読めたらしい王子様の表情は徐々に綻んでいったけれど、マルガレーテ嬢は唖然としていた。


「要するに、イベントにしちゃえばいいんじゃないかと思う。催し物ってことにして、堂々とやっちゃえばいいんじゃないか? めんどくさい連中を全員まとめて同じ舞台に引っ張り上げて、誰の目にも分かりやすい『勝ち負け』をはっきりさせればいいんだ。突発的に、行く先々で、あっちのタイミングで絡まれるよりはそっちの方が楽だと思うぞ。急に変なやつらが来るからマルガレーテさんもあっちの勢いに呑まれて困ったことになるんだ―――――だって、普通に正面対決したらたぶんお花畑の類なんかに負けないんじゃんこのお嬢様」

「待ちなさい、貴女って子はさっきからな―――――あら? うん? ええと、そうね? 言われてみればこの私が真っ向勝負で花畑の民に後れを取る筈ないのだわ、言い方は最悪に近かったけれども一番大事な部分がきちんと分かっているのでしたら大目に見ましょう、寛大ですのも、懐の深い公女の温情に泣いて感謝してよくてよ!!!!!」


今にも噴火寸前だった憤怒を何処かへ消し飛ばし、なにやらちょっぴり照れながら居丈高に豊かな胸を張るマルガレーテ嬢のチョロさについては最早否定のしようがない。見世物扱いについてはさておき正面対決にさえ持ち込めば花畑思考の連中などには負けやしないという私の言葉に即刻機嫌を直したらしく、王子様とセスの生温い視線を浴びながらもそれに一切気付かないまま艶やかな笑みを刷いていた。

溢れる自信と強烈な自負はそのまま彼女の武器になり、流れる弁舌は止まらない。


「なるほど、大っぴらに見世物云々というのはこの私が勝つと信じての進言だったのね? 理解しました。そうと分かれば噛み付くだけの愚かな真似などしませんわ、時間の無駄だもの。確かに後手に回るより、打てるなら先手を打つべきです。ルールが無いなら作ればいい、場が悪いなら整えればいい、状況が望ましくないのであれば奇策でも用いて引っ繰り返す突飛さも存外嫌いじゃないわ。例え目玉の『見世物』が他でもない私であってもね―――――けれども、そんな見え透いた罠がそうそう上手く行きまして? そもどうやって役者たちを舞台に上げれば良いのやら、まるで思い付かないのだけど」

「大丈夫だぞマルガレーテさん。そんなもん私も思い付かない」


閃いたのはアイデアだけだ。ちょっとした思い付きでしかないそれを催し物として昇華出来るだけの知恵も経験もない私は、言いたいことを言うだけの無責任な他人でしかない。着眼点が良かろうと、実現に至るとは限らない。思い浮かんだ何かしらをある程度まとめる必要がある。

現実的な形にして、可能な範囲に落とし込み、それを外部に伝えないことには結果なんて伴わない。頭の中にあるものを外側に出力しないことには何一つとして変わらないし、変えられないのが現実だ。それが分かっているからこそ、今この場所に立っている。

“王子様”の、目の前に。


「だから、なんか思い付きそうなやつに話を聞きに来たんだよ」

「だとよ。どう思う、レオニール」

「どうもこうもやればいいと思う」


意見を求めたセスに対して王子様の言葉は簡潔だった。悩む要素が見当たらない、くらいの潔さと気軽さであっさりとイベント開催を肯定する姿は能天気なお馬鹿さんそのものだが、マルガレーテ嬢のように呆れた視線を突き刺すにはまだほんの少しだけ早い。


「キルヒシュラーガー公子が矢面に立つならやれることはいくらでもあるだろう。現状では本人の意思やその他都合をまったくのガン無視で無断開催されているレディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガーの婚約者争奪戦の主導権を彼女自身が握る、というのはある種の正攻法ですらある。イベント仕立てにするのであればそれこそ遣り様と条件次第だ―――――うん、文化祭に託けるなら私とフローレンが主催して『理想の殿方コンテスト』とかやっちゃうのが一番手っ取り早いだろうな。筆頭審査員にキルヒシュラーガー公子を据えて各派閥からまだ婚約者の決まっていないご令嬢方を集められれば体裁は整うし釣り餌としてもベストだ」

「貴族令嬢をシンプルに釣り餌っつったぞこの馬鹿王子」

「私が言えたことじゃないけど王子様選ぶ言葉が酷いな」

「それを言うなら『理想の殿方コンテスト』ってイベント名も大概でしてよ」

「はっはっは、覚えておくがいい子供たちアンド今回の被害者兼仕掛け人候補! こういうことこそ分かり易さ重視で露骨な方がいいんだぞう? 何と言っても馬鹿馬鹿しい。あまりにもストレートに見世物過ぎて逆にネタだと思わせればその時点でもう九割は勝ってる」


だがしかしネタでもガチである、と言わんばかりに彼は言う。これ以上ない機嫌の良さで口の端っこを持ち上げながら朗々と言葉を紡ぐ姿は誰がどう見ても道化の類で、しかし気品に満ちていた。


「正面切って叩き潰してやるからさあ挑んで来るがいい! なんて言って待ち構えたところで誰も乗ったりはしないだろうさ。けれど『参加しなければ言い寄る資格すら認めない』と暗に示されればどうだろう? 不参加の方が損をする、乗った方が分の良い賭けだと誰の目にも明らかだったなら? そうだと思わせる条件を整えて提示出来たなら―――――十中八九、過激なヤツほど舞台に上がると“王子様”は踏んでいる。妙な自信がある輩こそむしろ率先して食い付くだろうな。自分が負けるビジョンというものを描けないタイプこそ燃え上がるに一票」

「簡単に仰いますけれど、そんな都合の良い条件をそう簡単に思い付けまして? 参考までに是非ともこの場で伺いたく存じます、レオニール殿下」


自信たっぷりな言葉を吐き出す王子様に向かってそう言ったのは、声と眼差しに棘を含ませた不機嫌なマルガレーテ嬢である。いつになく勿体付けた口振りだった王子様はそこで我が意を得たりとばかりに一層笑みを深くして、事も無げにあっさりと答えた。


「簡単だ、キルヒシュラーガー公子―――――『リューリ・ベル』を除外する」

「………エッ?」


縦巻き髪のお嬢様の声がこれ以上ないくらい引っ繰り返って、信じられないと物語る目が私と王子様を往復している。そんな反応を示しているのはマルガレーテ嬢くらいのものだったので、続く補足の説明は必然的に彼女のためのもの。


「我々“王国民”が勝手に『お花畑特攻妖精さん』などという愉快な認識を抱いている“招待学生”ことリューリ・ベルを舞台の外に置けばいいんだ。どうしようもなく邪魔なのにどうにも出来ない障害を、敢えてこちらから退けてやる。餌と狩場を用意した上で『この場に天敵は居ませんよ』と明言してやればそれでいい。仮案ではあるが例えばの話、このイベントにおいてのみリューリ・ベル個人は参加者各位の言動について一切口を出したりしない、みたいな分かり易い保証の類があれば………あとは、分かるな? 他の参加者というライバルが居ようがそんなものより『リューリ・ベル』の方がどうしようもないと思っている連中は間違いなくこの機を逃さないだろう。逆に、動かない理由がない。罠かなあ、と疑う者たちも高確率で参加に踏み切る―――――だって、『リューリ・ベル』が出て来ないなら、それに勝るメリットなんてない」


これを逃したらこんな好機は二度と訪れやしないのだ、という状況を敢えてこちらから作り出す。お花畑の住人たちが私を苦手とすればする程に絶大な効力を発揮するそれは、不思議な説得力で以てマルガレーテ嬢を沈黙させた。確かに、と思ってしまった時点で王子様の術中である。

彼女自身がそう思ったなら、間違いなく他の連中もそうだと思うに違いない。

畳み掛けるように彼は続けた。


「かつてこの学園の文化祭では『淑女コンテスト』なるものが開催されていたと聞く。その名の通り淑女としての優劣を競うイベントであり、容姿だけでなくありとあらゆる美しさと品位を備えた女生徒の頂点を決める戦場だ―――――それをちょっと俗っぽくして婚約者の居ない女生徒たちが選ぶ『理想の殿方』コンテストにする。参加者たちは運が良ければそのまま誰かの婚約者になれるかもしれないし、そうでなくとも優良物件としての高評価を得られれば今後が有利になるかもしれない。そういう印象操作を行った上で文化祭前日あたりにぶち込む。あくまでもレクリエーションでありお遊びの域を出ませんよ、くらいの軽さで丁度いい。学園側にコンテスト開催を認めさせること自体は難しくないから任せておけ。“王子様”ちょっと頑張っちゃうぞう―――――そうだな、せっかくやるんだったら理想の婿探しコンテストというイベントに的を絞らせることで他に起こり得るトラブルの芽も合法的に摘んでいきたい。出場参加者を募る際に『当日までコンテスト運営関係者並びに審査員への不必要な事前接触は認めない』、『本イベントのために“文化祭”開催のための準備そのものを疎かにしない』、『他人を巻き込んだ迷惑行為に及ぶ者はそもそも論外であると知れ』あたりの禁止事項を盛り込みまくって要らんことしでかす阿呆の類をコンテスト当日まで大人しくさせることが出来ればある程度こちら側の負担も減るな。面倒事に巻き込まれるかもしれない部外者各位も抗議の声も上げやすくなるというものだ。むしろ自分以外の誰もが違法を見咎める目撃者、利用していい相手ではなく監視者であるとの認識を強められれば万々歳。ありとあらゆる手を尽くし『理想の殿方』というイベントの主旨に相応しくない行いをする輩は参加資格すら得られないとの周知徹底を迅速に―――――」

「ちょ、ちょっと、ちょっと! お待ちになって! 何を一人で足早にお話を進めていらっしゃるのかしら貴方は!? 私はまだ見世物になると公言したつもりはないのだけれど!」


恐ろしい速度で独り言を吐きながら書類にがりがり筆記具を走らせ始めた王子様を慌てて物理的に止めるべく、マルガレーテ嬢の華奢な身体が弾かれたように飛び出していく。ばん、と駆け寄った勢いも込みで彼女が両手を叩き付けた机からは強めの音が鳴り響いたが、王子様は驚きもせずただ瞬きをしただけだった。


「あれ? キルヒシュラーガー公子、殿方コンテストやらないの?」

「やらないの? って当たり前でしょう! この私がどうしてそんな酔狂極まる催し物に自ら参加するとお思いで!? リューリ・ベルさんの提案も殿下のご配慮も“文化祭”のためを思うなら呑むべきだと理解はしているつもりですが、それとこれとは話が別だと申し上げざるを得ませんわ! 第一、大公家の血を引く公女の私がそんな馬鹿げたイベントに自ら望んで筆頭審査員で参加するだなんて思われるのは心外でしてよ!!!」

「いや? 私の知っているレディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガーなら嬉々として参加を決めるだろうし、自らの意思で率先して筆頭審査員を務め上げると思う―――――だって、貴女もフローレンも、『やられっぱなし』は趣味じゃない」


それはやけに実感の籠った妙に重々しい発言だった。そうだと信じて疑っていない者特有の口振りで、落ち着き払った王子様の目は湖面のように凪いでいる。物理的な制止に訴えてまでイベント開催を否定していたマルガレーテ嬢をたったそれだけであっという間に黙らせてしまうくらいには、迷いなく力強い言葉。


「これは私の所感だが、高位の貴族令嬢というものは己の立場を知っている。身の処し方を知っている。戦い方を知っている。そうあるべし、と叩き込まれて弛まず積んで重ね続けて、こうあるべきだと自身に定めた並々ならぬ矜持を背負っている。絵物語にある姫君が如く、嫋やかに可憐な微笑みを浮かべて愛でられるだけの存在では足りないのだと知っている。そんな“お姫様”は願い下げだとフローレンなら嗤うだろう。我が婚約者の好敵手である誇り高い貴女もまた同じ―――――故に。貴女は立ち向かうだろう。西の大公孫にして西方貴族筆頭公爵家の娘として、目下の者どもにこうも侮られて様子見を続けるなど言語道断。カウンターなど生温い。一方的に受け身に回るより攻勢に出る方が好みの筈だ。違うか? キルヒシュラーガー公子」

「――――――違わなくてよ。レオニール殿下」


ふ、と小さく息を吐き、マルガレーテ嬢が居住まいを正す。取り乱した件を詫びる姿は堂に入ったもので乱れひとつなく、そこには既に決意を固めた意思の強さが見て取れた。


「レディ・フローレンの婚約者にここまで焚き付けられたとあれば、私も引き下がれなくてよ。せっかくの殿下のお膳立て、存分に活用させていただきたく………但し、このマルガレーテ・キルヒシュラーガーが審査員の筆頭として参加するからには徹底的に公女の威光を遍く学内に知らしめますのでそのおつもりで」

「問題ないとも。存分にやってくれ。平和的かつ文明的に覇を競うことこそコンテスト、優劣を決める比較の舞台で力の限りに輝くといい―――――審査基準や評価項目、大まかな流れと内容については一任しようと思っているんだが、やってもらえるだろうか? キルヒシュラーガー公子」

「承りました、レオニール殿下。ところで、私の他の審査員役については既に目星を付けておいでで?」

「どうだろう、と出演を打診したいご令嬢はいるんだが、これにばっかりは本人達の都合を聞いてみないと何とも。なるべく多種多様な観点から『理想の殿方』を見極めたいのでキルヒシュラーガー公子の他に最低でも二名は審査員が欲しい。可能であれば参加者各位が食い付きそうなレディたちを募りたいのが本音だが………そちらに関しては王子様よりもご令嬢方に顔が利くフローレンを頼る方向で」

「婚約者本人のあずかり知らぬところで軽率にフローレンの仕事を増やすのもどうかと思いますけれど………それこそこの件を今論ずるのは時間の無駄でしかありませんわね。審査員やコンテストの選考内容については早急に案をまとめてまいります。時間も足りないことですし、よくある書類審査の類については省いてしまってもよろしくて?」

「ああ、当日の参加人数把握が出来ているなら構わないぞう。低く見積もっても五人くらいは名乗りを上げると思うけれども、笑えるくらい参加希望者が集った場合に備えて雑な篩いにかけるプランも一応準備しておくか―――――ああ、コンテスト名目で観客を入れるなら宣伝は早い方がいい。話題性も注目度も高いから観覧希望が殺到しそう、こっちは流石に制限設けるかお約束の抽選制かなあ………なんなら当日の飛び入り参加もアリって博打なことしちゃう? “王子様”の直感が絶対盛り上がるって言ってる」

「有能なのか馬鹿なのか度し難いバランスの享楽主義なのか分かり難いったらないわねこの方………規律を重んじ統制を取るならイレギュラーな要素など排するべきです。それこそレディ・フローレンに苦言を呈されること請け合いでしてよ………というか、彼女の了解もなしに『理想の殿方コンテスト』開催とか勝手に決めちゃって大丈夫かしら……」

「ああ、フローレンは心配要らない。渋い顔くらいはするかもしれないがおそらく反対はしないだろう。たぶん、協力も惜しまない」

「何処から来ますのその自信。ご自分の婚約者の懐深さに胡坐を掻き過ぎなのではなくて?」


フローレン嬢のことを訳知り顔で語る王子様にじっとりした目を向けるマルガレーテ嬢は誰がどう見ても友達を心配して馬鹿に釘を刺すお嬢さんだったが言うのは野暮なので黙っていよう。なので二人の会話を遮るものは何もなく、王子様は平然と縦ロール嬢へと言葉を返した。


「私発信のコンテストだったら『何を馬鹿なことを』って一蹴されるだけだけど、今回はまさかのリューリ・ベルが発案者だからな。張り切るだろうさ―――――だって、食べ物にしか興味のないこの自由人がキルヒシュラーガー公子のために『こうすればいいんじゃないか』って珍しくアイデアを出したんだぞう? 思ったことただ口にしただけのいつもと同じパターンだとしても、なんか叶えたくなっちゃうじゃん」

「心なしかお子さんの成長を噛み締めて見守る親御さんのような目をしている気がするのだわ!?」

「気のせいだと思うぞマルガレーテさん」

「そうだぞこのクソ王子のツラはどう見ても面白ェモン見付けて遊び倒す気満々のガキ」

「どうにかいい感じにフローレンさんを説得してイベント楽しむぞって魂胆が透けてる」

「お黙りダブルフリーダム! 大人しくお話聞いてると思ったら息もピッタリに真理の扉を蹴破るんじゃありませんビックリしちゃうでしょ!!! あとセスお前は本当に一回その良くない口癖封印しようか」

「殿下があまりにもいつも通りでつい気の緩みが出たようです。ご寛恕いただけますと幸いです」


「それは無理な相談でしてよ―――――聞こえてしまいましたので」


みしっ、と聞こえないはずの音を立ててセスの動きが固まった。すまし顔に亀裂が入ったらこんな感じになるんだな、と憐れな気持ちでそっと視線を動かした先にはフローレン嬢が立っている。想像以上に帰りが早いと戦慄している三白眼はしかし下手な言い訳を重ねるような愚策を犯したりしなかった。


「ああ、早かったなフローレン。というか、流石に早過ぎない? 途中で引き返してきた的なタイミングで戻って来たってことは何かあった?」

「ご慧眼恐れ入ります殿下。ええ、少々聞き捨てならない話を小耳に挟んでしまったもので、私が片付けるべき重要な案件だけを先に捌いて急ぎ戻って参りました」


簡単に言っているけれど、やっていることはたぶんすごい。お上品に優雅な雰囲気を漂わせながらゆったりと歩を進めてくるフローレン嬢の風格は圧倒的の一言に尽きる。


「ああ、セスとリューリさんがまだこの場に居てくれて助かりました―――――レディ・マルガレーテの件は私も多少聞き及んでおりますが、首尾は如何でして? 殿下」

「よろしくない。が、打開策が出た。リューリ・ベルが発案した『理想の殿方コンテスト』を私とフローレンが主催して、審査員にキルヒシュラーガー公子と未だ婚約者の決まっていない貴族のご令嬢方を据えてはどうかと考えている」

「なるほど。そのコンテストにおいてのみリューリさんは関わらない、とでも明言すれば食い付く方は多いでしょうね。採用しましょう。舞台に上がった方々を一度に相手取れますし、不意打ちではなく真っ向勝負ならマルガレーテに分があります」

「そ、そうよね―――――そうよ! 流石はレディ・フローレン! この私の強みというものを的確に理解しているわ! ええ、分かっていますとも。貴女の評価に恥じることのない働きをご覧に入れますわ。逃げず、退かず、隠れることなく、真正面から有象無象を叩き潰して差し上げましょう! そういうことで私は一足先に失礼します、キルヒシュラーガー公家の娘に釣り合うなどと思い上がった殿方たちの認識を正すコンテストの審査内容を筆頭審査員として吟味しなくては―――――レディ・フローレン。レオニール殿下。明日の朝、講義が始まる前に少々お時間いただけて? 本日中に仕上げる予定の企画書に目を通していただきたいのだけど」

「構いませんわ、レディ・マルガレーテ。八時にこちらでお待ちしております」

「ええ、それでは明日の八時に―――――リューリ・ベルさんにベッカロッシ侯子。本日お世話になったお礼は後日させていただきますわ。それでは、失礼いたします。ごきげんよう」


決めるべきことをさっさと決めて、段取りをつけるなりマルガレーテ嬢は意気揚々と部屋を出て行った。去り際に私とセスへの謝礼と挨拶を忘れないあたりは流石にお育ちがよろしいが、文字通り足が浮きそうなくらいに軽やかな歩調は珍しい。楽しそうだなあ、みたいな気分で縦ロールのお嬢様を見送って、存在感を自らぶっ殺している置物状態のセスには頑張れよと雑な念を送る。


「じゃあ諸々決まったっぽいところで私は帰るな」

「お待ちになって」


止められた。爽やかに笑って乗り切ろうとしたら笑顔のフローレン嬢に止められた。

そんな彼女の表情を見て何かを察したらしい馬鹿は引き出しから新たな焼き菓子と飲み物を淀みのない動作で取り出している。自分用ではないらしく、婚約者のためにいそいそと休憩席をととのえていた。


「リューリさんが壁をドンッとなさった箇所に新しい亀裂が入っていたとの報告が先程上がりましたが、申し開きはありまして?」

「ないです馬鹿力でごめんなさい」

「素手でドンッてしただけで壁に罅入れる腕力に戦慄しちゃうのは分かるけれどもフローレン、今回は大目に見よう。キルヒシュラーガー公子の護衛を依頼したのはこちら側だし亀裂が入った壁については建築科の有志各位が補修してくれるとの申し出があった。というか、『直しておきました』ってさっき書類で事後報告もらった―――――忙しかったからまあいっかー、で流しちゃったけどコンクリートに勝つってすごいなお前」

「文化祭の雑務処理に追われて情報系統に乱れが出ていますね、早めに見直していきませんと………ああ、すみません、私としたことが言うべき本題ではないことを口にして時間を無駄にしました。壁の件は忘れてください。私が急ぎこちらに戻ったのは別件です―――――リューリさん。セス。あまり褒められたものではない言葉遣いの強調系について、弁明があるなら伺いますがその場合は心してくださいまし」


オア―――――ッ!!!!! と叫び出さなかった私はこの場に居る全員の鼓膜を守ったのでその点を加味して許して欲しい。無理だと悟った。無謀でしかない。

セスの目は既に死んでいる。お説教を覚悟して腹を括ったはずの三白眼だがこのタイミングでぶっ込まれるのは予想の埒外だったらしい。こちらも人のことは言えないが、だからこそ気持ちはよく分かった。


「ほらもー、だから気を付けなさいって王子様散々言ったのにー………どうしてクソの強調系まで言っちゃったのうっかりさんブラザーズ」

「ムカつくことに否定出来ねぇけどテメェにだけは言われたくなかった」

「誰よりも迂闊に口滑らせる王子様にそれ言われちゃうと悲しくなるな」

「お黙りなさい子供たち。今回はお前たちが悪い。大人しくお説教されなさい。そしてクソって言うのは今後控えていきなさいよクソガキッズ」

「お黙りになって馬鹿王子。貴方が感化されてどうしますの」

「オア―――――ッ!!! しまった油断したァ!!!!!」


迂闊代表、説教確定。うっかり口を滑らせることにかけてはトップクラスのトップオブ馬鹿はこちらの期待を裏切らなかった。日頃の行いも含めに含めて一番怒られて欲しいと思う。そんな願望を浮かべては消すことで精神の均衡を図ろうとしても結局説教されると分かっているので心はまったく晴れないけれど、一人増えたことで僅かながらにお小言の分散を期待した。

多忙を極めるフローレン嬢がまさか言葉遣いへの注意を優先させるとは想定外だが、しかし逃避を繰り返しても目の前の現実は改善されない。こう考えるとマルガレーテ嬢と一緒にお部屋を辞しておけばよかったなあと今更な後悔を抱きつつ、私とセスと王子様への至極真っ当なお説教は隣室で休憩をとっていた面々が「そろそろ業務を再開させませんとお時間が………」と控えめに伝えに来てくれるまで途切れることなく延々続いた。

流石に、ちょっと反省した―――――ほんのちょっとだけだけど。



お疲れ様です、導入部分の会話盛りという目の滑る仕様を走破してくださったあなた様に心からの感謝をお伝えしたい。


ボリュームも見所もコンパクト(当社比)を通り越して何だコレ、みたいなご意見については作者が真っ先に抱いたやつなのでお許しいただきたく候……心の声がタイトルに反映されてる深夜二時、正直この後どうしようとか八割ノープランとか言えない(言ってる)

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― 新着の感想 ―
[一言] 繁忙期のため、アップされた最新話に期待しましたが、スクロールバーの小ささに身の危険を感じ2ヶ月以上そのまま放置していました。 と前置きをしないと読む覚悟が出来ないのは歳かな?と思う今日この頃…
[良い点] 良かった…なんか最近王子様が真面目すぎてよく分からない発作ととりあえず1話から読み直してお馬鹿成分は自習しなきゃと考えたけど、フローレンお母さん出てきて良かった。 すごくお母さんのツッコミ…
[良い点] エンターテイナー殿下はやっぱりイベント業に関しては優秀だったんですね!でも将来的に国王がやる仕事じゃないしなぁ……勿体なや勿体なや。 物理攻撃特化の妖精さんにお気遣い本領発揮の三白眼、な…
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