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20.勉強、説教、なにそれなにこれ

毎度ご無沙汰しております。

本文が長いのでせめて前置きは短めにまとめたいと思います。

タイトルのとおりに説明回、読みにくさたぶん過去最高。

率直に言ってすみません。お付き合いいただけると幸いです。

入ったことのない部屋の中にはテーブルセットが置かれていたが、その上にはまだなにもなかった。

食べるものも飲むものも、ましてや食器の類すら、今見える範囲には見当たらない―――――始まる前から場を整えて招いた客を待っているお嬢様たちとの“お茶会”とは決定的に違うんだな、と視覚的に思い知りつつ、私は椅子に座っている。


「と、いうわけでハイ男子会だぞーう!」


片目をばちーん! と瞑っただけで、見えもしない星が弾けた気がした。

イラッとしたものが脳裏を過って思わず舌打ちしたくなる―――――実際、隣の三白眼は盛大な音を響かせていた。不快不機嫌不本意の念が濃縮されて研ぎ澄まされた、凶悪の極み的な態度である。

しかしそれを向けられた側は、慣れているのか気にしない。どころか踊り出しそうな程の上機嫌さを崩すことなく腹立たしいまでの晴れやかさで笑っていた。


「ではお馴染みのメンバーを紹介しよう! 私、セス、リューリ・ベル、以上ッ! フローレンその他ファンクラブの面々及びギャラリー各位も今回は居ません! 何故って? こういう集まりは少人数のプライベート枠でやった方が盛り上がると決まっているからだ! 嘘です! 私がそうしたかったのでちょっと頑張って企画したぞう! 人生言ったもの勝ちなとこあるよね!!!」


細かいことはいいんだよ! みたいな強引過ぎる力業でも押し通してしまえば案外通る、と王子様は元気よくぶっちゃけた。ぶっちゃけたというよりは現在進行形ではっちゃけているし誰の目にも明らかなことに全力で現状を楽しんでいる。罷り通っていいのかよ、とは思わないでもないけれど、口に出すだけ無駄だろうから私は口を噤んでいた。

お馴染みのメンバー、などというものに数えられたくなかった口からは重たい溜息がこぼれ落ちるが隣に座るセスの心痛はおそらくこんなものではない。フローレン嬢も同席していないのに両目が死んだお魚さんじみているのがその証拠でなくてなんだというのか。がんばれ。生きろ三白眼。


「ふっふっふ、実は王子様楽しみにしてたんだよなあ気の置けない面子でやる男子会! 始まる前から楽しくなっちゃうこのワクワク感プライスレス!」


お茶もお菓子も見当たらないテーブルを囲んで座っているだけの状況で、やたらと身長の高い美形が陽気にそんなことを言っている。一人だけやたらと楽しげに、どう見ても浮かれに浮かれ倒したエンジョイ精神を隠そうともしないその姿はもう潔かったが相対しているこちら側としては多分に精神を削られた。

いよいよ耐え切れなくなって、思わず声に出してしまう。


「なんか一人できゃっきゃしてる」

「正直言ってテンションがうぜぇ」

「ツラい」

「キツい」

「お黙りキッズ!」


二対一の構図をものともせずに私とセスを一蹴してみせた王子様の威勢の良さたるや、今なら何でも出来ちゃいそうだと言わんばかりのノリである。控えめに申し上げてテンションが高い。元々陽気な生き様ではあったが今は更にその上を行く―――――計測器なんてぶっ壊れるのであっても無駄だと思わせるレベル。


「せっかくの男子会だぞう? もっと楽しむ気概を持とうな。前向きになれとは言わないけれども後ろ向きのままいじけたところで健康に悪いだけなんだから、勉強目的説教少々の前振りでテンション上がらなくてもせめて元気は思い出してこ!」

「元気思い出せる要素がないな」

「つぅかリューリは女子だろが」

「言われてみればそうだった。普通に強制参加だったから気付くの遅れたけど女子じゃん私。そういうわけで落ち着け王子様。男子がどれだけ集っていようが女が一人でも混ざってたらそれはもう男子会じゃない別の何かだ、って宿屋のチビちゃんが言ってたぞ。恋愛小説のよくあるパターンでは高確率でギャクハーとかいうやつだ―――――え、やだ。私帰る。『ギャクハー』に関わるくらいなら武力行使してでも逃げろってチビちゃん真顔で言い切ってたけど今からでも間に合うやつかこれ」

「うん逆ハーレムでは絶対ないので大丈夫だからお前が落ち着け。王子様もちょっと落ち着いた。宿屋のチビちゃんの素敵な教えが間違ってないのは確かだけれども例えば私を殴って逃げても面倒臭いことになるだけだから拳を構えるのは止めなさい」


スンッ、と唐突に冷静さを取り戻したらしい王子様に突然の真顔で諭されたので、従うのはまあ癪だったけれど私は大人しく拳を解いた。ぐだぐだと中身のない会話で始まりを先延ばしにしたところで状況は何も好転しない。この場合は始まらないと終わらない類のやつだというのは流石に理解しているので。

どのみち、ここでこの馬鹿を殴り倒して自分だけ逃走を図ろうとしたところでセスに阻まれるに決まっている―――――なんだかんだ言いながら真面目で律儀な三白眼は、自己を押し殺した無心の境地で冷たく主催者に言った。


「勉強でも説教でも意味の分からん男子会でもなんでもいいからさっさと済ませろ、レオニール」

「はっはっは、まぁそう凄むなセス。というか、さして面白くもないことを無駄に引っ張る趣味はないので王子様サラッと言っちゃうけれども―――――ぶっちゃけ私、お前たちにそれっぽい説教とかする気は欠片もないんだなあ、コレが」

「は?」

「あ?」


どういうことだ、と言わんばかりに視線を険しくする私とセスに、能天気面の王子様は爽やかなくらいに邪気なく答える。さながら笑い飛ばすが如く、この世の真理でも語るかのように。


「そもそもフローレンでなく“私”がこの場に居る時点で『説教』なんてありえなくない?」


もっともらしい口振りで、彼は堂々と嘯いた。嘘偽りなく誇張なく本心からそう告げていると分かる態度は軽薄であっても軽率には見えず、セスは凶悪な三白眼に分かりやすいくらいの疑念を込めて静かに馬鹿を睨んでいる。

険悪、とも妙に異なる居心地の悪さを醸す二人を他人事のように眺めること数秒、先に肩の力を抜いたのは意外なことにセスの方だった。


「ああ。なんだテメェ、そういうことかよ。レオニール」

「理解が早くて大変結構。そうとも、セス。そういうことだ―――――この王国の“王子様”としてはリューリ・ベルが使う言葉を改めさせるべきなんだろうが、正直“私”個人としてはその必要はないと思っている」


三白眼と王子様が淡々と言葉を投げ合っている。多くを語らず通じ合っている様子は付き合いの長さを感じさせたが部外者でしかない私にとってはまったく分からなかったので、このまま二人で完結する話なら後は任せて帰っていいかなとか頭の片隅でぼんやり思った。

王子様はそんな私の心境など知らなくて当たり前だったので、幼馴染の男子二人の会話は普通に続いていたけれども。


「必要ねぇってかそもそもコイツ最初からこんな感じだろうが。まず“他人”ってモンにさして興味がねぇから面倒臭ェ輩に絡まれない限りは概ね一貫して普通の態度でそれなりに考えて応えるし、割と俺の言い回しが影響してんのはまあ認めるにしても基本的に食事の邪魔したり目の前で食い物粗末にしねぇ限りは一定の距離感保って会話に応じる分別あるだけ下手な“王国民”よりはよっぽど常識的な部類だろうよ。イレギュラーは抜きにして一般的な学生交流の範囲内に限って言うなら、リューリ・ベル個人の対人スキルは“王国”側のお偉方が想定したモンよりずっと高くてまともな筈だ。それはテメェもフローレンも分かってることだろうが、レオニール」

「やだこのお兄ちゃんめっちゃ庇うじゃん王子様ついついほっこりしちゃう。そうだなー、ついでに言えばセスの真似してクソとか言い始めるようにはなっちゃったけれども主にそれを使う相手は王子様九割お花畑一割で誰彼構わず扱き下ろしてるわけじゃないから実際大して問題じゃあない、と言いたいところではあるんだが―――――これはあくまで“私”としての楽観的見解でしかない、というのもお前にだったら分かるだろう? セス」


王子様はにこやかに、あくまで笑っているだけだった。眉尻を下げて目を細め、僅かに口の端を持ち上げてつくるその表情に敵意はない。悪意はなく、他意もなく、ただただ無害な生き物ですよとごくごく自然に主張しているその姿には嘘がない。


「繰り返しにはなってしまうが“私”には説教をする気がない。お前たちを相手に上から目線で偉そうに教え諭せることなどこれっぽっちもありはしないと他でもない自分が知っている―――――が、『知っておいた方がいいこと』を教えないままにしておくというのもどうかなあ、とは思うわけで」


まあ要するにそういうことだ、とまったく私が理解出来ない結論を放り投げるなり、王子様はセスではなくこちらに視線を向けてきた。三白眼は沈黙している。言い淀んでいる様子はないからおそらく喋る気がないのだろう。

悪態ひとつ吐くことなく置物と化した幼馴染には特に意識を割くことなく、無駄に煌びやかな見た目の王子様は私を見ながらこう言った。


「つまりなあ、リューリ・ベル―――――別に畏まって改める必要はないけどお前もうちょっと上手くやろうな?」

「いや上手くやろうなって何をだよ」


心の底から“なに”をだよ。具体性に欠け過ぎてコメントさえも返し辛いよく分からない系のアドバイスもどきに脊髄反射で噛み付く私に王子様はうんうんと首肯する。流石に今の言葉だけでは何のことだか伝わらない、とは言った本人も気付いていたのか、まあ聞きなさいよとこちらを宥めて平然と続きを紡いでいった。


「ようし、良い感じに聞いてもらえる流れ。なるべくあっさり噛み砕いてさらっと言うから我慢して聞こうな? と、いうわけでもう結論からざっくりばっさり言っちゃうけれどもリューリ・ベル、ちょっと猫被ろう」

「ネコカブロー? なんだそれ。こないだセスに教わったボディブローの派生技?」

「はっはっは、ごっめん流石に噛み砕き過ぎて言葉のチョイスが悪かったっていうかセスお前何がどうしてこの生粋の狩猟民族に腹パンなんてもの教えたの? その怪力で顔殴るくらいなら腹にしといてやれやっていう五百歩くらい譲歩したお気遣いと優しさだったりする?」

「脱線してんぞレオニール。腹パンのことはいいんだよ。ちなみにだが『猫を被る』ってのはまあ自分本来の姿や本性を隠して大人しい系の人間として振舞う的な意味の表現だ。ボディブローの亜種じゃねぇ」

「はい軌道修正ありがとう。リューリ・ベルのために補足を入れるが、『猫を被る』という表現は特に女性が人前で清楚っぽい演技をしているだとかお淑やかなフリをしている場合に使われることが多いぞう。猫被りイコールぶりっ子の扱いでもイメージとしては大体合ってるがそこについては割愛して―――――分かりやすい例を挙げるなら地位の高い大人たちと喋ってるときのフローレンがそれ」


テメェの婚約者を平然と例題に挙げる神経はクソ、とセスの声なき声が聞こえたがたぶんじゃなくても幻聴である。聞こえなくても雰囲気的にはあながち間違いではない気がしていた。目は口程に物を言うなら三白眼はきっとそう言っている。

あんまりいい意味合いで使われる表現じゃないんだろうなとは思いつつ、そこを拾うと話が逸れそうで私はスルーを選択した。代わりに、王子様の補足を受けて思ったことを口にする。


「その状態のフローレンさんあんまり見たことないから分かんないし要約するとそれってつまり“私”に“フローレンさん”みたいなイメージで喋れってことか? 無理だろ」

「知ってる! そんなことは無茶無理無謀の三拍子でしかないって私ですら知ってる! だけども違う! そうじゃない! 王子様は『時と場所と場合を考えてちょっと柔軟に対応してみよ』って言っているわけだよリューリ・ベル!!!」

「そんなことコイツ言ってたか?」

「ンなことまったく言ってねぇな」

「シャラップ! 話が進まない! そろそろ真面目なモードに切り替えて耳を傾けようなお前たち! 五分くらいで済む話題を引き延ばしたところで楽しくないぞう!!!」


がたん、と椅子を蹴立てる勢いで王子様が立ち上がる。声の質はいつもと変わらず馬鹿げたノリのままなのに、こちらに向ける視線の強さは珍しく真剣そのものだったので私は思わず口を閉ざした。

王子様、という肩書きを持つエンターテイナー気質の男はそういうタイミングを逃さない。豊富な話題を散らかして好き勝手に騒ごうが喚こうが、声を通して言葉を重ねて相手の意識を掻っ攫う一級品のスキルを駆使して己の主張を叩き込むための好機だけは外さない。

引き延ばしたところで楽しくない、という雄叫びは本心なのだろう。それを察した私とセスが馬鹿正直さに閉口したほんの一瞬に生まれた沈黙を有効活用するように、朗々とした語り口で王子様が畳みかけてきた。さながら川の流れのように、自分がそのまま喋り続けるのが当たり前のような顔をして。


「人付き合い、というものには臨機応変さが求められる。社会生活を営む人類が属する多種多様なコミュニティにおいて、時と場所と場合に応じた言葉遣いや態度や服装の使い分けは極めて重要、必要不可欠。それはある種の自己保身であり世の中から爪弾きにされないために『そうあれ』と望まれた相応しい態度でなんとかその場を取り繕い恙無く今日を乗り切って無難に日々を生き抜くための必須技能というヤツだ―――――リューリ・ベルにも分かりやすいように言えば自分の親や友人や婚約者やその他大勢に対する態度が全部同じなワケがない! 判断基準は個々人によっていろいろ変わるだろうけれども流石に身内と他人への態度は大多数が使い分けてるでしょうよ! セスだって初対面の人間に対してはいきなりクソとか言ったりしない! 私でさえお前たちやフローレンが居ない場ではもう少し“王子様”っぽく振舞う! 時と場合と状況によって人は他でもない自分自身を切り替えながら生きている! と、ここまでは分かるな、リューリ・ベル」


大仰な身振り手振りも交えて熱っぽく弁を振るう様は舞台俳優もかくやの見栄えと異様な説得力ではあったが、こちらに確認を取ってくる姿は熱量に反して冷静だった。混乱を来した脳味噌が反射で頷いて答える程に、今の王子様は粛々としている。

よろしい、と言わんばかりに鷹揚な頷きをひとつ返して、私とセスに口を挟む機会など与えない流れで話は続いた。


「今のが分かれば話は早い。というか、八割方終わってすらいる。そうとも、時と場合と状況による相手への態度の使い分け………つまりは対応の差別化だな。そこのところをもうちょっとだけ、特に状況と相手を選んで上手いことやっていこうなー、と“王子様”は言いたいわけだ。具体的にはフローレンが居る場面やアイツの耳に入っちゃいそうな状況下では極力『クソ』って使わないように心掛けるだけでいい。ぶっちゃけリューリ・ベルの物言いは元々そんなにお育ちがよろしい系統のものではなかったからな。意思疎通の円滑化を最優先させた言語習得プログラムに言葉遣いの美しさまで組み込む余裕がなかったとしてもそこは誰にも責められないし、極端なことを言ってしまえばいつかは故郷に帰っていく“狩猟の民”に王侯貴族にも通用するような“王国”言語の使い方を教えたところで意味も旨味もさしてない―――――ぶっちゃけついでに言ってしまえば、セスに感化されてリューリ・ベルの言葉遣いが凶暴な感じになりつつあるのも“私”としてはそこまで気にしてないんだ。人間、自分に近しい誰かに影響されるのはよくあることだし、無意識的に喋り方が良くも悪くも似てしまうくらいに“王国民”と“北の民”が親交を深めた証としてならこれ以上のものはないだろう。こじつけに近い詭弁だろうが、結果としては悪くないと思う―――――だからなあ、リューリ・ベル。ほんの少しだけでいいんだ。赴くままの発言を我慢して呑み込め、とは言わない。分を弁えて控えて話せ、なんて言う気は毛頭ないし、私には口が裂けても言えない。だけど、ほんの少しだけ、思い止まってくれると助かる。せめてフローレンが気にしなくてもいい程度の頻度に抑えてくれると“王子様”としては嬉しい」


その言い方はとても真摯で、なにより彼には珍しい意味で随分とまあ分かりやすい。

すとん、と何かが腑に落ちた私は真顔になって頷いた。しょうがないな、との気持ちを込めて、だけど悪い気分ではなく割と和やかな心境で唇の端っこを持ち上げる。


「なんだ、王子様お前―――――なんだかんだ言って結局はフローレンさんにこれ以上余計な気苦労増やすなって言いたかっただけじゃんかよ笑う」

「セスに茶化されると思ってたところをまさかのリューリ・ベルに言われたァ! しかし言われると思っていたからこそ返す台詞は決まっているぞう答えはノーです残念だったなフローレンを思ってのことであるのは否定しないが理由としては保身が十割だ! ただでさえ王子様のせいで大変多忙な学園生活にこれ以上の負荷とか止めてあげて! ファンクラブ運営その他諸々に加えて最近じゃキルヒシュラーガー公子までフローレンを頼ってくる有様だから王子様ってばここ数日は婚約者なのに放置され気味で迂闊にお馬鹿も出来やしない!!!」

「言い訳にしてもクソ過ぎんだろ聞くに堪えねぇわクソッタレ。昔から常々思っちゃいたがフローレンはいい加減マジでこの馬鹿見限っていい」

「幼馴染が言うと重みが違うな。婚約者が絶対何とかしてくれるって前提で大馬鹿野郎のまま自由に生きてるクソ王子様ちょっとは反省しろよ」

「ねぇお前たち真面目モードの王子様の話ちゃんと聞いてた? 相も変わらず呼吸のようにクソって言うじゃん使い熟すじゃん王子様の演説意味ないじゃん?」

「あ? テメェが告げ口しなけりゃフローレンの耳に入らない今の状況下ならどんな暴言吐き散らかそうが別になんも問題ねぇって話だろちゃんと聞いてた聞いてた」


結構じっとりした目を向けてリズミカルに放り投げられた王子様の発言を、しかしセスはまったく気にせず余裕で切って捨てている。ふてぶてしさしか見当たらない態度には王族に対する敬意も誠意も寸毫たりとも見当たらないが、幼馴染という下地のせいか喧嘩に発展する様子はない。

そんな二人の男子の姿を他人事目線で眺めつつ、半分以上傍観者の気分に浸っている私は思ったことをそのまま声に出した。


「王子様の言い分はまあなんとなく分かったし、フローレンさんにはお世話になってるから言葉遣いちょっと気を付けようかなとは思わないでもないんだけどさ―――――なんかセスが『クソ』とか言ったら私もぽろっと言っちゃいそう」

「ああ、それについては問題ない。心配するな、リューリ・ベル」


本能任せで適当に喋っている場合が多いので普通に釣られて飛び出すだろうな、という確信を込めて告げた台詞を王子様は秒で片付けた。問題なし、と断じたばかりか心配無用とまで付け足してくるからにはあちらもあちらでよっぽどの確信があるに違いない。なんでだよ。根拠はあるのかよ。一応真面目っぽい王子様の申し出を真剣に受け止めて懸念事項を提示した私の配慮をばっさり排した理由は何なんだトップオブ馬鹿。

そんな喧嘩腰に近い内なる疑問が表情に出ていたのだろう、無駄に整った顔立ちの王子様は分かっているさと言わんばかりに力強く頷いて―――――ぐりん、と勢い良くセスを見た。


「私が口で説明するより実際に見て聞いた方が早い」


それは私に向けてだったか、それともセスに向けてだったか。もしかしたらただの独り言かもしれない言葉には誰も返事をしなかったけれど、不機嫌面の三白眼だけが忌々しそうに気配を尖らせて小さくとも鋭く舌を打つ。


「………テメェ。テーブルの上に食い物どころか飲み物すらも用意してなかったのはそういう魂胆かよ、レオニール」

「人聞きの悪いことを言うなセス。というか、どうせ私がこの流れに持って行く可能性には薄々気が付いていただろうに往生際が悪いなお前は―――――出来るだろう? ベッカロッシ侯子」


はあ、と露骨に息を吐き出して項垂れたのはセスだった。面倒臭そうな顔をして、不機嫌そうな目を伏せて、次に姿勢を正したときにはそれらすべてを取っ払っていっそ平坦で中立的な雰囲気を纏わせた見慣れない三白眼が言う。


「それが殿下のご要望とあれば、応えるにやぶさかではありません」


まったく感情のこもっていない声の音域そのものは耳に覚えがあったのに、他人の印象という曖昧なものは言い方ひとつでこうも変わると突き付けられた気分になった。

ざら、と皮膚の表層を何かが撫でていく感覚に私の眉根が少し寄る。誰だお前。いやセスだけど。どこからどう見ても見慣れた類の三白眼ではあるのだけれども如何せん凶悪さに欠けている。射竦めるような眼光が、今はどこかに消えていた。

まるで中身だけごっそりと別人に入れ替わってしまったような不可解さに混乱する脳味噌に振り回されるこちらと違って、まったく動揺していないらしい王子様は何一ついつもと変わらない。変わらないまま平然と、いつものままに会話していた。


「言葉の割にはちっとも態度が伴ってないあたりがセスだよなあ。お前らしいと言ってしまえばそれまでの話ではあるけれどもホント往生際悪過ぎない? 諦めなさいよ、ここまできたら」

「ご期待に沿えず申し訳ございません。何分、剣技だけが取り柄の身。以後殿下のお心を煩わせることなど無きよう鋭意努めてまいりますので、ご寛恕いただけますと幸いです」


淡々と、淡々と、野性的だった粗雑な口調を理性と知性でぐるぐる巻いてお行儀のいいお貴族様みたいにセスが頭を下げている。座ったままで簡略式の軽い礼でこそあったけれど、そんな絵面を目撃したのは間違いなく初めてだったから私は一度天井を仰いでからもう一度視線を元に戻した。

やっぱり、どう見ても三白眼が王子様に頭を下げている。言っていることは難しかったので内容の理解は放棄していたが、今は視覚情報すべてが嘘臭過ぎて笑えもしない。

ふぅ、と息を吐いたのは、どうも王子様らしかった。何もないテーブルの上に頬杖をついて半眼になってもなお煌びやかな面立ちの高貴なる血筋筆頭格は、どこか投げやり気味な口調で首を垂れたままのセスに言う。


「なあ、セス・ベッカロッシ。これは私の独り言なんだが―――――出来ることを、やるべき場面で、すべてを理解した上で十全に力を発揮しないのは敵前逃亡に等しいのでは?」

「返す言葉もございません」


罵倒も抗弁も舌打ちもない聞き慣れた声には色がない。テーブルの下で相手の足を蹴り付けるような無礼もしない。そこに居たのは姿形こそセスという人間のままだったけれど、纏う雰囲気も吐き出す言葉も私の知らないどこかの誰かだ。

盛り付けだけが美しい無味で無臭の塊みたいな食べ物を口に入れた気分になって、現実と想像の差異の激しさに拒否反応を起こした脳味噌がこれは違うと文句を言う。

そうして、王子様に頭を上げていい許可をもらってからようやく礼を解いた三白眼のひとは柔らかく目を細めて見せた。唇の端を持ち上げて、穏やかに美しく取り繕って、まるで貴族のお嬢様方が標準装備しているような笑顔と呼ばれる上品な武器をごくごく自然に浮かべた彼は、こちらではなく王子様に視線を固定して口を開く。


「未だ学生の身であるとは言えど、私のように未熟な者が貴い御方のお言葉を直々に頂戴出来ましたこと、感謝の念に絶えません。賜りましたご温情、厚く御礼申し上げま―――――」

「話してる途中で悪いんだけども私にも分かる言語で頼む」

「クソ偉そうなお言葉をどうもありがとうよクソ王子、って意味なら分かるかよ白いの」

「セスだ―――――!!!!!」

「るせぇぇえぇぇぇ!!!!!」


やたらと難しい系の言い回しでぺらぺらと喋っていたやつの台詞を遮って頼んだら分かりやすいことこの上ない答えがぶん投げられたのでテンション上がって叫んだら同じ声量で五月蠅いって投げ返されて落ち着いた。落ち着く。なにこれすごい落ち着く。これこれ、みたいな安心感ある。


「いやごめん。見た目的にはセスのままなのに何言ってるのか分からなかったからいきなりするっと理解が出来てなんかこう一気に楽しくなった」

「ならしょうがねぇ。つぅか正直自分でも何言ってんだとか思いながらアドリブで適当に喋ってたからネタが尽きる直前で逆に助かったわ白いの」

「うん、やっぱり三白眼が三白眼だと喋りやすいから落ち着くな」

「言いたいことは何となく分かるが流石に雑過ぎるだろリューリ」

「通じるだろ」

「大体ならな」

「じゃあいいじゃん」

「まあそれもそうか」

「お前ら普段通りに戻った瞬間めちゃくちゃ爆速で喋るよねホントに」


呆れたような声が掛けられたのでセスと揃ってそちらを見遣れば王子様が頭を振っていた。やれやれ、とでも言いたげに、それにしては若干面白そうに口元を綻ばせながら。


「まったく、もっとビックリしてテーブル引っ繰り返したり不意打ちされた野生生物よろしく一気に部屋の隅まで逃げたり誰だお前って殴り掛かったりするかなあ、ってすっごく心配してたのにリューリ・ベルったら案外冷静で王子様ってばとっても意外」

「テーブルの上に何も置いてねぇのやっぱそう思ってたからかよテメェ」


眉間に皺を寄せたセスがそんな言葉を溢すので、なるほど、と私は思った。そうなるだろうとの予想を立てた上での対策だったなら、男子会だのなんだのとはしゃいで楽しみにしておきながらテーブル上が寂しいままだった件についても理解が及ぶ。

それはそれで心外だったので、私はちょっぴり苛立ちながら口を尖らせるに至ったが。


「あのなあ、見縊るなよ王子様。いくら驚かされようと私は糧を粗末にしないぞ。生き物が生きていくために必要不可欠なあらゆる恵みを台無しになんて絶対しない。テーブルの上に食べ物が乗ってたら何が何でも死守するわ―――――ていうか、確かにびっくりしたけどそれで逃げたり殴り掛かったりするはずないだろ。普通にしない」

「えー。そりゃまぁ食べ物は絶対に粗末にしないだろうけれども『誰だお前』とは思っただろう? 驚いて先に手が出る可能性はないとも言い切れないことない?」

「それはそうだけど、だってセスじゃん」


当たり前のことを言っただけなのに、王子様の目が丸くなる。三白眼も三白眼で片眉を跳ね上げていたけれど、間を空けたところで双方無言なので私が喋るのを待っているらしい。なので、続きをつらつら述べた。どこまでも自分本位でしかない主観のみの感性で。


「誰だお前、とは思ったけど結局どう見てもセスはセスだろ。別人みたいな喋り方といつもと違い過ぎる態度でなんか難しいこと言い出したからって逃げたり殴ったりするわけなくない? 私の知ってるセスらしくないのは間違いないし事実だけどさ―――――ぶっちゃけ私は私の知ってる三白眼のことしか知らないんだから、初めて知らないとこ目の当たりにしたからって驚きはしてもそれ以外は別に」

「あらやだこの子、マジで冷静。もしや巷の恋愛小説にありがちな『こんなの本当の貴方じゃない!』的なパターンについての素敵な知識を既にチビちゃんから仕入れていたか?」

「いやチビちゃんはそういうのについては『ありがち過ぎて最近廃れ気味』以外には特に何も言ってなかったけど」

「違うの!? なんか逆に意外! だけども的確に昨今の恋愛小説界隈の流行り廃りを把握した上でバッサリ切り捨てるコメントを寄越すあたり死角がないな宿屋のチビちゃん!」


驚愕しながらきゃっきゃしている王子様だがこいつは本気で宿屋のチビちゃんを何だと思っているんだろう。聞いてみたい気もしたけれど、話がまた逸れそうだったのでその衝動は飲み込んだ。


「あー………その『本当のあなたじゃない』とかいうやつがそもそも分かんないんだよな………世の中“自分”が知らないことの方がずっとずっと多いのに、そんな自信たっぷりの言葉が一体どこから湧いて出るんだ。それこそ時と場合と状況と相手による使い分けの云々の話じゃないか? そもそも人間って立体物だろ? 平面の絵じゃあるまいし、見えてる部分が全部じゃないじゃん。見えないところは見えないし、知らないものは知ったかぶってもやっぱり知らないままだと思うぞ」

「え、どうしようなんかリューリ・ベルがめちゃくちゃ哲学的なこと言ってる気がする」

「お前が話振ったんだろうがよ責任もって回収しろや」


思ったままを語って聞かせたら予想外の真面目な回答にびっくりしたらしい王子様が縋るような目をセスに向けたが三白眼は冷徹だった。それは本当にそうだと思う。話を振った張本人がなんだってそんなに弱気なんだよ。


「まあ要するに、あれだあれ―――――セスはどう足掻いてもセス」

「助け舟出したつもりなのは分かるがシンプルに結論が雑だなオイ」

「どこまでいってもお前はお前」

「言い直して更に雑さが増した」

「そうこの三白眼がセス」

「もう適当だなリューリ」

「お腹空いてきた」

「自由過ぎんだろ」

「それお前が言う?」

「テメェが言うなや」

「はいはいはいはい分かりましたよつまり二人して飽きちゃったんだなこの仲良しさんブラザーズッ!!!」


王子様が無駄に鋭い洞察力で単独正解を掻っ攫っていったけれども事実私たちは飽きていた。断じて血縁枠ではないが確かに二人して飽きていた。仲が良いという認識はなくても割と気は合う方なので、特にそうだと口にしなくてもお互いなんとなくの感覚で分かる。

空気を読まないトップオブ馬鹿ことエンターテイナー気取りの男は何故かそれをも見抜けるらしく、不敵に笑って立ち上がるなり今こそ好機と声を張った。


「さて、ワイルドかつフリーダムにすくすく育ったクソガキッズへの説教がさくっと終わったところでメインイベントへと移行しよう―――――喜べ、セスにリューリ・ベル! お待ちかねの勉強会もとい楽しい男子会のお時間です!!!」

「なぁセス今こいつ私たちのことクソガキッズとか言わなかったか?」

「言った。テメェ俺らに高説垂れといてクソとか使ってんじゃねぇよ」

「何を言ってるんだお子様たち! いくらクソみたいな人間性の持ち主だからって仮にも“王子様”である私が軽率にクソだなんてアレな発言する筈ないでしょ幻聴じゃない? ところでこういう悪ふざけも交えた煽りも込みのぶっちゃけトークってなんか気心の知れた男子の集いっぽくて楽しくなっちゃうな正直いつもとそんなに変わらない気がしないでもなくもないんだけれども!」

「駄目だこの馬鹿クソ王子、フローレンが居ねぇモンだからブレーキも何もありゃしねぇ」

「お前もお前でフローレンの目が届かないところだからって言動改める気配ゼロなあたり私のこととやかく言えなくない? まぁいいや! 伝えておくべきことを伝えて刺すべき釘は一応刺したので王子様のノルマは達成だ――――はいそういうわけでお待たせしました、食堂のおばちゃんたちお願いしまーす!!!」


王子様が扉の向こうへと元気一杯に呼び掛けて、私の意識と視線と興味はあっという間にそちらへ移る。この場における最高位人物が先に許可を出したからノックの類は省略したのか、軋む音すらさせることなくすんなりと開いた木製の扉から次から次へと入室して来たのは食堂のおばちゃんたちだった。

失礼します、と口にしながら行動に一切の迷いも憂いもなく参上した三人のおばちゃんたちは、ランチタイムの食堂と同じかそれ以上の手際の良さで各々何らかの作業を始める。


「いやあ、想定より少々時間が掛かってしまって申し訳なかった。不足や不備は? 大丈夫そう? であれば早速準備を頼む、特に変更点はないので事前に伝えていた通りのプランで………なんと。待ち時間を潰すついでに粗方終えているとは流石だ―――――ああ、飲み物の用意であれば私が。その分調理台の展開を優先してもらえると助かる」


食堂備品の見慣れたワゴンとちょっと見慣れないでっかい道具をがらがらごろごろ手押しでやって来たおばちゃんたちの姿に私が唖然とする横で、能天気に生きるトップオブ馬鹿はにこやかに指示を出していた。どころか、食器やその他飲み物を運んできたおばちゃんに声を掛けて役目を変わるなり自分自身でテーブルの上を調えていくのだから見た目を全力で裏切りまくるにも限度がある王子様である。なにこれ。


「さて、貴人が催す“お茶会”と言えば紅茶を出すのが定番なんだが今日のところは勉強会にして愉快な面子の男子会だからそんな縛りは特にないぞう! 各自好きな飲み物をおっしゃいどんな改造ドリンクだろうが王子様が良い感じに仕上げてみせるとも!!!」

「テメェの改造した飲みモンな時点で飲む気になれねぇよレオニール。つぅわけで俺は水がいい」

「ヤダせっかくいろいろ用意しといたのに水一択とかつまんないじゃん!? せめてフレーバーウォーターにしない? 柑橘系だから喉越し爽やかだしサッパリしてていい感じだぞう。最近の私のお気に入りだからフローレンにも勧めてみたけどこれが意外と好評だった。お前にだったらレモンがオススメ」

「じゃそれでいい。リューリは?」

「えー………甘ければ何でもいい。ひんやりしてた方が飲みやすい」

「喉の渇きを癒しつつ積極的にカロリーを摂取しようという腹ペコさんの熱意を感じた。そこまで言うならお砂糖をたっぷり入れた紅茶についでとばかりにハチミツ溶かして冷たいミルクを贅沢に注いだ現状最短で作成可能な甘味の暴力ミルクティーにしよう。常人なら一口含んだだけで脂汗とか浮きそうなくらいの破滅的な分量にレッツトライ」

「止めろ聞いただけで甘ったるい」


真顔で砂糖が入った容器を抱えて馬鹿なことを言う馬鹿をげんなりとした顔のセスが制したが実はちょっと飲んでみたいなとか思ったなんて適当にでも言えない雰囲気。しかし乗り気の王子様は幼馴染のツッコミを聞かなかったことにしたらしく、なんと自ら紅茶を淹れてどばどば砂糖を放り込み始めたのでもはや後戻りはできない。


「ふっ………まさか紅茶に砂糖が溶かせる限界に挑戦する日が来るとは思っていなかったなあ。ちょっとだけ齧った錬金術科の授業みたいでたまにはこういうのもたーのしー!」

「オイこらテッメェまじふざけんなやそんなモンもう世間一般的には飲み物でもなんでもねぇだろうがよ!!!」

「そうともこれはお砂糖の飽和水溶液紅茶味という超実験的な教材だ! だがリューリ・ベルならたぶん平気なのでさらにそこにハチミツをどーん! 溶け切ったと信じて学園在籍畜産専攻生各位の努力の結晶こと牛さんの恵みであるミルクを投入! 比率は個人的に三対七で最後によくかき混ぜて完成!!! ハイ王子様やりました、やりきりました王子様! 意外と見た目が美味しそうに仕上がってるのが我ながらなんかちょっと怖い!」

「開き直って本当に暴力的な甘さの塊拵えてんじゃねぇよ馬鹿か!?」

「お。確かに馬鹿みたいな甘さだけどこれはこれで案外いけるぞセス」

「テメェも素直に飲んだ挙句に冷静なコメント投げてんじゃねぇよ見るからにやべぇシロモンだろうが食い物と判定した物体をとりあえず食って確かめてみるその北の民スタイル大概にしろ! 激辛ホットドックのときの反省どこに置いてきやがったリューリ!」

「辛過ぎるものは駄目だったけど甘過ぎるだけならいけるかなと思って。現にほら、割とあっさり飲みきれたし―――――ていうか、実際作っちゃったからにはもう責任取って飲むしかないだろ」

「そこは激甘改造ミルクティーなんてモンを錬成したレオニールが飲むべきじゃねぇの?」

「セスの知ってる王子様ってのは気が遠くなるほど甘い飲み物飲み切れる王子様なのか?」

「無理だな。俺より甘味は得意なタイプだが基本的にはお育ちがよろしい舌の肥えた王子様だからンな甘ったるい液体はたぶん一口で吐くわ」

「そんなことだろうと思って飲んだ。紅茶と砂糖とハチミツの生産者さんと学園の畜産系学生さんと牛さんの頑張りのためにも目の前でむざむざ無駄にされてたまるかそんな現場目撃したら王子様のことそこの窓から地面目掛けてぶん投げるぞ私は」

「まあテメェならそうするだろうな。で、なんか申し開きがあるなら言えよクソ王子」

「ない。心の底から申し訳ありませんでしたと詫びる他ない。すまない調子に乗った」


謎にテンションの高かった王子様がここに至って沈静化して、殊勝な態度で頭を下げた。王族とやらはおいそれと人に詫びたりしないものだと(チビちゃん経由で)聞いていたのだがこの王子様に適用するのも馬鹿馬鹿しいので無視しておく。とりあえず異様なノリの暴走は終着点を迎えたらしい。その件についてはそこで終わった。

謝罪を口にしたことで早々に気持ちを切り替えたらしく、王子様然とした雰囲気を取り戻した彼は手早く新しい飲み物を用意して無言で私の前に置く。自分用らしい紅茶を淹れる際にティーポットで茶葉を蒸らす姿がなんとなく様になっていて、本物の“王子様”というのはやれば自分で紅茶を淹れて飲む生き物なんだなぁと思った。

渡されたばかりの背の高いコップに注がれた透明度の高い澄んだ水はどうやらセスと同じものらしく、ほのかな柑橘類の香りが口の中にしつこく残っていた甘ったるさを押し流していく。確かに喉越し爽やかで、さっぱりと飲みやすくていいかもしれない。

特に会話らしい会話もない沈黙が続く空間で、私たちは王子様が座席に腰を落ち着ける様を他人事のように眺めていた。


「さて、ひとまず飲み物が行き渡ったところで気を取り直して勉強会もとい男子会を始めたいと思う。ちなみに今回の場合は“王国”における言語や文化や歴史なんかを今一度きちんと正しく学んでもらって我々王国民と北の民における認識の齟齬を減らしていく、というのがまぁ主題ではあるんだが―――――そんな真面目一辺倒なガチガチ過ぎるお勉強会なんてリューリ・ベルには向いてないだろうしあんまり楽しくなさそうだなあ、と他でもない私が直感したので愉快な男子の集いのノリでなるべくあっさりめに流していくからそんな嫌そうな顔しないの」


めんどくさい、と言外に主張する表情筋を隠さない私に宥めすかすような言葉をかける王子様の気遣いにはきっと感謝するべきなんだろう。この“学園”に来る前に教えてもらった“王国”情報は一応の義理で余さず覚えているけれど、故郷で狩りをして暮らす分にはほとんど不要な知識でしかないのでおさらいしてまで正しくしっかり己の記憶に留めろと言われても正直素直に頷けない。頭で理解はしていても、心の方が納得しかねている―――――それでも、衣食住を保障された上でこの場に籍を置いている身なので、「学べ」と言われた事柄については全力で取り組むのが筋なのだ。

私は潔く諦めて、ちびちびと啜るだけだった水入りのコップをテーブルに置いた。


「勉強会、って具体的に何するんだよ、王子様」

「よくぞ聞いてくれたリューリ・ベル。それについては知恵を絞ってどうすれば楽しくお勉強出来るかを結構真面目に考えたんだけれども結局これ以上の答えはなかったのでその方向で全力を尽くしてみました………食堂スタッフ、例のものを!」


自信に満ちた眼光がきらりと光った錯覚とともに、やたらと芝居がかった口調で王子様がぱちんと指を鳴らす。控えていたわけでもないだろうに、絶妙のタイミングですっと自然にテーブル脇に立った料理のプロこと食堂のおばちゃんは特に何も語らなかった。給仕係にそうするように己のことを呼び付けた馬鹿王子様のノリにも触れず、たった今持って来たと思しきものを飲み物と食器が乗っただけのテーブルの真ん中にそっと置いて去っていく。

状況がいまいち分かっていない私とセスが同時に見たのは、やたらと自信ありげな様子の王子様のドヤった顔などではなく先程のおばちゃんが残していった銀色の物体の方だった。

率直な感想は、まず大きい。けれど光沢のある金属製のそれはどうもただの蓋だったらしく、テーブルを囲む面子の中では唯一詳細を知っている筈のエンターテイナー属性の馬鹿がこちらにはさしたる説明も勿体付けもなくひょいっと銀色を持ち上げる―――――直後。


「ん? えなにこれすごわ―――――ッ!!!!!」


凝りに凝った造形の、今まで見たこともないサイズ感のホールケーキとご対面した私の喉から奇声が上がった。

あまりに瞬間的過ぎて完全に不意打ちを食らったセスが盛大にびっくりしていたのが視界の端に映ったけれどもごめん今のは不可抗力ですだってこんなん見たら叫ぶ。そんな言い訳をつらつらと浮かべていた空腹な私の耳を、王子様の軽やかな声が叩いた。


「流石は“北”の食いしん坊、私の期待を裏切らないな。そう、答えはいつでもシンプル―――――勉強が得意でないお子さんの苦手意識を無理なく躱し、なるべく飽きさせることがないようにとの配慮を各所に散りばめつつ、何より本人が楽しく自主的に学んでいこうとの意欲を持つための工夫をするならリューリ・ベルにとっての最適解は言うまでもなく食べ物一択! そういうわけでこちら事情を説明した食堂スタッフ製菓部門のエキスパートたちに作ってもらった食堂謹製特大ホールケーキこと『ワクワクいっぱい王国ケーキ』! 本日はこれを教材にして楽しく美味しく“王国”についての歴史やら何やら学んでもらうのでまずは作ってくれた食堂のおばちゃんたちに盛大なる拍手をお願いします!!!」

「食堂のおばちゃんたち最高過ぎていつもいつでも最高か―――――!!!!!」


ギャラリー不在の室内だろうが百人分の称賛に匹敵させるしかない拍手を一人で思いっ切り響かせて思いの丈を叫んだら三人のおばちゃんは照れたりはにかんだりポーズを決めたりしながらも応じてくれるのでノリが良い。好き。なんかもう頑張る私。

ちなみにセスが遠い目をしながら耳を塞いでいた件については完璧に私の浮かれっぷりが五月蠅かったからに違いないけどあと五秒だけ耐えてほしい。おばちゃんたちに伝われこの気持ち。


「はい、感謝の気持ちをしっかりと表明したところでこっちに注目なー。掴みはバッチリいけたっぽいので用意してもらった教材を堪能するためのお勉強会始めるぞー、はいこっち向いてー、はしゃぐの止めてー、飲み物のおかわりはまだ平気ー?」


ぱんぱんぱん、と手を打ち鳴らしてこちらの注意を引く王子様はまぁ無視してもいい気がしたが、おばちゃんたちに特大のホールケーキを発注したその功績は純粋に評価するべきだろう。こんな大掛かりかつ手の込んだ美味しそうなものを用意した上で行うつもりらしい“勉強会”とやらにもいくらかの興味が湧いたので、私はおばちゃんたちへの賛辞を止めて椅子の上で姿勢を正した上で大人しく王子様の方を向く。


「よーし。偉いぞう、リューリ・ベル」


こちらの態度に満足したらしい彼は大袈裟に寛容に頷いて、それから余計なことを言わずにすっと両手をケーキに伸ばした。自然体の手のひらを上に向けた状態で、ホールケーキ全体を包み込むような腕の広げ方でぴたりと綺麗に静止した姿は「まるでどうぞご覧ください」とおどける舞台劇の道化に似ている。

促されるように指し示された大きなケーキに視線を落としたちょうどそんなタイミングで、聞き取りやすい王子様の声がはっきりとした言葉を紡いだ。


「とても基本的な話をしよう―――――“世界”はひとつの大陸だ」


それが事実だとしても、改めて大真面目に言われるとなんだか滑稽に聞こえる。心の中ではそう思ったし、何ならそんなことは知っている、と反射で口を挟みかけたが、そこのところは弁えていたから流石に静かに聞いていた。


「基礎はお前も習っただろうが、これは“王国”で暮らす者なら誰もが教わる常識だ。それと同時に“世界”には我々の暮らすこの大陸しか今のところ確認されていない―――――あったとしても小島程度で、到底“大陸”とは呼べない。唯一にして最大の陸地。それこそ“大陸”であり“世界”だ」


王子様、というご立派な肩書を持っているくせに今は教師の役を演じる顔の整った青年が、お伽噺でも編むかのように世界についてを語っている。正面、彼のすぐ前方。私が見詰めるその先には、大きなケーキが鎮座していた。

よくあるホールケーキのように正円ではなく楕円寄りなのはきっとサイズが大き過ぎたせいでちょうどいい型がなかったのだろう。故郷でも採れた芋を潰したようなほんの少しだけ歪な形が、なんだか場違いに懐かしく感じた。

他に比較すべき大陸がないから特に名付けられないまま今日に至ったというそれは、すなわちそのまま“世界”である―――――食堂謹製特大ケーキなる王子様の言うところの『教材』とは、要するに簡略縮小化した“世界”そのものの地図らしい。

中央部にやや小振りな円、それを囲むドーナツ状の部分を大胆かつ大味に四分割して切り分けられる仕様なのだとは上に乗せられた飾りの状態から何となく読み取ることが出来る。等分、とまではいかないが、大まかに五つに区分けされたケーキの大地を指した王子様の朗々とした語りは続いた。


「細かい大陸の変遷や年数は覚えなくていいから要点だけを搔い摘もう………“大陸”が“王国”になった話だ。かつてはいくつもの国が増えたり減ったりして犇めき合っていたという落ち着きのない“大陸”だったが、それも数百年程前の平和調停を機にすべてが“王国”へと統合された。当時、最後に残っていた四つの大国の長たちはそのままそれぞれ各地をおさめる東西南北の“大公”となり、中央部に据えた王都の“王族”に次ぐ権限を与えられて国営に携わるに至った―――――というのが、この“王国”の建国史だな。最悪これさえ覚えておけば歴史零点の烙印は免れる」


昔々の、大地の話。“北の民”には関係のない異境の歴史を紐解いて、王子様は緩慢な動作でとホールケーキの一部を指す。そしてやたらと明るい声でいきなりテンションをぶち上げた。


「はいそれじゃぁここでお待ちかねの食堂謹製特大ホールケーキ『ワクワクいっぱい王国ケーキ』の紹介に移らせていただこう、不気味なくらいに大人しかったリューリ・ベルちゃんと起きてるか―――――!」

「起きてる聞いてる待ってましたもったいぶらずに早く言え!」


あんまり興味がない話を潔く切り上げたと思ったらこちらに興味しかない話題を勢い任せでぶっ込んでくるそのスタイルは嫌いじゃない。相手にまんまと釣られるかたちでテンションも声のトーンも上がった私に楽しげな首肯を力強く返した本日の勉強会の主催は、そこからまさしく怒涛の勢いで驚異の一人長文説明をすらすらと噛まずに開始した。


「よしきた! それではまずこちら、私から見てケーキ右手側のお山や森を模した飾り細工が狂気を感じるエリアから! 以前は大陸内においても他の追随を許さないレベルの多民族国家集合体だったんだが、そういった歴史的背景が功を奏したのか“王国”になってからは手先が器用で感性独特な職人気質やら生産業種のエキスパートやらを多く輩出している東部地区! 偏屈頑固も裏を返せばこだわり強めの凝り性さん! そんな地方柄を考慮したのかこちらのケーキの地層はなんと数種の異なる味わいの生地を重ねて作った多層構造! 東部でしか採れない特産品の果実類を独自の製法で調理した上で挟み込み一口一口がそれぞれに違う味わいになるよう仕上げる心意気の時点で既にお察しだが森を構成する木々の葉に至るまで可能な限り作り込むという芸の細かさというか執念が怖い!」

「知ってはいたけど食堂のおばちゃんいくらなんでも器用過ぎない? 見たことないけど東らへんはこんな感じの土地なんだろうなあって視覚情報が強くてすごい」

「そういう感じでお願いしますとはお願いしたけど期待以上! そんなこんなで続きまして下側エリアの説明に入ろう! 東部の緑とは打って変わっていきなり砂漠地帯みたいになってるけれども実際“王国”は南に行く程こんな感じになっていく! 照り付ける太陽にあてられたのか明るく陽気で活気に溢れた南部地区では昔から物流交易が盛んでな、各地から集まるいろんな品を取り扱っている商家も多い! 人が集まると催し物も盛り上がるので歌や踊りのバリエーションも豊富だがこの土地の気候でしか育たないフルーツや香辛料なんかも多いので料理は割とクセが強めだし分かりやすく言えば激辛の元締め! でも今回はあくまでケーキだからそこまで辛さを追求せずに程良いアクセントで纏めておいたので安心してお召し上がりくださいとのこと! 甘いだけでは終わらない砂漠のオアシス周辺については口に入れてからのお楽しみらしいが付け合わせのジャムっぽいのについてはセス以外食べない方が良いとのことなのでファースト犠牲者はお前に任せた王子様との約束だ!」

「陽気な馬鹿がなんか言ってる」

「いつものことだろ無視しとけ」


原稿を事前に考えていたのかアドリブで喋っているのかは謎だが恐ろしく情報量が詰まった内容を聞き手に伝わりやすい音量と速度でぺらぺら噛まずに捲し立てるので馬鹿は馬鹿でも弁舌には長けた超絶陽気な馬鹿だと思う。

傍聴席の私とセスがいつもの調子で雑に意思の疎通を図っても話の腰を折ることなく、しかしちゃんと反応はしながら王子様の語りはなおも続いた。


「やだ冷たい。そんな塩対応がデフォルトなキッズはそのまま視線を王国ケーキの左側にスライドさせてハイ固定! 焼き菓子で出来た建物が並ぶこの区画は西部地域でも一等有名なかつての西の国の首都を模している! 緻密に設計された歴史的建造物をお菓子で再現するのは流石に時間が足りなかったようだが洗練された街の外観を繊細な飴細工で補完するあたりは多くの文化人・才人を有したという芸術の発信地の名に恥じない驚きの高クオリティ! もちろん食堂スタッフが手掛けているので見た目重視で味が伴わないなんてことはするだけ無駄な心配だけれども生地に練り込まれたアルコール漬けのドライフルーツに関しては体質的憂慮が拭えないので気持ち注意して食べような! あ、余談だがキルヒシュラーガー公子は“西の大公”の孫娘に当たるので世が世なら本物のお姫様だぞう。今は公爵令嬢だけども」

「ふーん。で、その上側は? たぶん王国の北部っていうかコレ北境の町っぽいけど」

「はい大正解! リューリ・ベルにはおそらく感覚的に一番近くて馴染みがあるのが王国の北部地区だろう。極寒の“北”に最も近い位置関係なだけあって、こちらは一年のほとんどが雪と氷に覆われている―――――必然、他の三ヵ国に比べればどうしても農耕には向かなかった。だから狩猟や傭兵業で生計を立てていたという生粋のアクティブ物理気質だ。お前も知っている“北の大公”の直轄地にしてお膝元、“北”との境の大石壁に沿って広がる王国領土の最北端―――――城塞の地、軍靴の都、“王国”において最も優れた軍隊を統べる大公が住まう境目の町、ノルズグラート。来国直後にリューリ・ベルが滞在していた『北境の町』の正式名称はそんな名前だったりする。ところでチョコレート製のミニチュア町並みが常軌を逸した細やかさだったり北境の町の特徴でもある氷湖を薄荷蜜で再現したり開通して間もない北部鉄道まできっちり取り入れて路線と列車をセットで配置するこのガッツ、他の地区も手が込んでいることは間違いないがそれはそれとして一線を画す熱いパッションを感じ取れずにはいられない。雪山と雪原地帯を表現している生クリームのマスケ技術とか滑らか過ぎてどうなってるんだ食堂の精鋭たちヤバくない?」

「私が言うのもアレなんだけどこれって食べて良いやつなのか? 完成度が高過ぎるからもっと大勢の王国民に見てもらった方がいいんじゃない?」

「お前に食べてもらいたい、と思った食堂スタッフが本気を出して作ったやつだからお前が食べていいと思うぞう―――――それはさておき王国ケーキもいよいよ残すところあと一ヵ所、東西南北の地区に囲まれた中央エリアの紹介をしよう! 再現率がヤバ過ぎるお城のオブジェが聳えているので説明するまでもないだろうけどまあ此処が今私たちが学生生活をエンジョイしている王国中央部の王都だな。四方を囲む東西南北各地に比べたら歴史が浅い、というかぶっちゃけ“王国”統一の際に新しく興した王族を置いておく場所は真ん中でいいよね、って理由で建国してから出来たエリアだから正直オマケくらいの感覚で記憶に残しといてくれればいいや」

「よくはないだろ」

「よくはねぇだろ」


長らく続いていた王子様のケーキ説明が最後の最後で突然雑になった件にツッコむ私とセスだが、仮にも王族の肩書を背負っている筈の男はどこまでも底抜けに軽かった。オマケでいい、と不遜な台詞を明るく吐いておきながら、まるで己を軽んじるような適当さで朗らかに彼は言う。


「いやぁ、だって事実だし? 平和調停で大陸全土が“王国”として統一されることになったっていうその時点で象徴というか誰の目にも分かりやすい“王様”が必要になって、東西南北の大国の誰が王様になるのかで案の定決別寸前まで揉めて、最終的に『それならもう東西南北全部の血を平等に取り入れた“王族”を新たに立てればいいのでは?』って意見に落ち着いて爆誕したのが私のご先祖様なのだもの。でもそういう経緯で生まれたばっかりの“王様”にいろんな人々が犇めき合った多国籍混成闇スープみたいな四方各国を統括するのは控えめに申し上げて荷が重いのでは? って流れでそのまま東西南北の国主を“大公”家にして各地の統治をまかせて彼らの上に“王様”を配置した方がシステム的には上手く回りそうだと判断された結果が今のスタイル―――――と、リューリ・ベルにも分かりやすいようざっくばらんに説明するとこんな感じになるんだが、この“王国”については大体分かってもらえただろうか?」

「タコクセキコンセイヤミスープ、って王国料理か? 美味しいやつ?」

「そっちが気になっちゃったかー………早めに訂正しておくが料理じゃないぞう、リューリ・ベル。例によっていつものオチだ。王子様独特の表現の一種というやつであって多国籍混成闇スープそのものは現実には存在していない」


なんだよ紛らわしいなお前。そんな不服を視線にのせて、私は鋭く息を吐く。

と言っても勝手に勘違いして王子様の問い掛けに対する答えを述べないままなのは個人的に気持ちが悪いので、さっきの自分の発言については終わったことだと割り切った上で改めて答えを口にした。


「ケーキのおかげで途中まではすごく分かりやすかったのに最後の中央エリアだけ別の意味でインパクトがでかい」

「ごめんて。余談だけれどもこの中央王都エリアの作製については百戦錬磨の食堂スタッフも大変難儀したらしい。とりあえず分かりやすいアイコンとして王城を提案してみたのは私なんだがそれについても実は公にされていない悲しいエピソードがあったりする―――――ぶっちゃけ王城って呼ばれてるあそこ王子様の実家なんだけど、厳密に言えばお城っていうのはあくまで『戦闘拠点』とか『防衛的な施設』であって『王族が住んでる豪華な住居』とかそういうモノじゃないんだよなあ。昨今の創作物を読み漁った限りではどうも『王族は城に住んでる』みたいなイメージが強いらしいけど歴史を紐解くならどっちかって言うとお城は仕事場で住むなら宮殿のパターンが多かった模様」


余談のついでに明かされるエピソードとやらの悲しさが、“王国民”でもない“北の民”の私ではよく分からない。なので、毎度お馴染みにはなってしまうが思ったままのことを口にした。


「よく分かんないけどじゃあなんでお前はお城に住んでるんだよ。実際王子様がお城に住んでるからそういう認識になってるんじゃないのか?」

「それなんだがなあ、聞いて驚け―――――大陸中央に新しく“王都”を建設する際に王族の住まいを決める段になって『国が統一されたからには防衛設備とか必要ないけどイメージ的には宮殿よりもお城の方が王家の象徴っぽくて分かり易いから無理に土地を工面して大型建築ふたつ建てるより豪華なお城だけあればいいんじゃない?』って意見が通っちゃったらしい」

「やめろレオニール“王国民”の祖先連中が要所要所で雑過ぎる事実をわざわざリューリに教えるんじゃねぇ」

「しかめっ面してても大人しくしてると思ったセスが流石に口を挟むレベルでやっぱり雑なんだなお前らの先祖。なんかそうじゃないって方向に思い切りがいいイメージ固着した」

「ホントそれではあるんだけれども歴史的には居住性を持たせた城もなくはないんだぞう、リューリ・ベル。逆に防衛機能ガン無視で人が住むためだけの城とかも一応あるにはあったらしい―――――だからって“王国”統一記念で爆誕した新興王族の大事な拠点をイメージ重視で立てちゃうあたりがマジで“王子様”のご先祖様だなってちょっと黄昏たこともあるけれどもそれはさておきお城のデザインは一級品だと思うんだよ私。ていうか建築業界の模型技師でもここまで精巧に作り込むかな、ってくらい完成度ヤバめの食用王城どんな味がするのかすごい気になる」

「分かる。というわけで王子様、ワクワクいっぱい王国の説明が全部終わったんならもうこのケーキ食べてもいいか?」

「言うと思った食いしん坊さんめ―――――ところでここで問題です、物流交易が盛んな場所は?」

「激辛の元締め南部地区。ジャムっぽいのはセス以外食べない方が無難なエリア」

「正解! リューリ・ベルはどこ食べたいー?」

「最終的には全部食べるけどやっぱり最初は北部かなぁ。本能が美味しそうって言ってる」

「はいそこですかさず第二問、北境の町の正式名はなんて名前だったでしょう」

「ノルズグラート。北の大公のばあちゃんが気の良いおっちゃんたちと住んでる王国領土の最北端」

「よし、ちゃんと聞いてたな!」


偉い偉い、と手放しで大袈裟なくらいに褒めながら、巨大なケーキを専用のナイフで切り分けていく王子様の手際は素晴らしかった。上に飾りが満載されているのに上手いこと除けて崩さないように無理のない範囲で切り込んで、持ち手のついた平たい道具で分割した土地をごっそりとすくい上げお皿にそっとのせていく。

最初に切り取られた砂漠地帯は当たり前のような自然さでセスの前へと置かれていたが、事前情報的に予想出来たので別に誰も何も言わない。

当の三白眼本人ですら文句のひとつも溢すことなくフォークを片手に砂漠の大地を掘削し始めたのは流石に意外だったけれど―――――どう見ても超小型のパイ生地らしきものが掘り起こされた瞬間を目撃して謎の納得を覚えた私である。


「巨大ケーキにミートパイ仕込んどく遊び心は嫌いじゃねぇな―――――つぅかここまで小型化したのに味付けも食感も手抜かりゼロなのいくらなんでも本気過ぎんだろ」

「なんでか昔から砂漠地帯にはすっごいお宝が眠ってる、的な冒険心をくすぐるロマンに事欠かないのでそのあたりにも忠実な感じでわざわざ埋めておいてくれたらしいぞう。食堂のおばちゃんたちってホント仕事が出来る上にお茶目さん」

「ワクワクいっぱい王国ケーキが想像以上のガチっぷりでワクワクいっぱい過ぎて笑う」

「真剣な顔でワクワクいっぱい王国ケーキとかちゃんと略さず言うセスの真面目さ笑う」

「美味ェわこれ。南部食い尽くすか」

「やめろセス独り占め宣言するな!」

「冗談に決まってんだろが美味かろうがミートパイ込みだろうが基本的には『ケーキ』なんだぞテメェじゃあるまいし全部食ったら胸焼けするわこんなもん」

「お前に悪気がないのは分かるけど食堂のおばちゃんたちの素敵な力作を『こんなもん』呼ばわりするなセス」

「確かに。今のは俺が良くねぇな―――――配慮が足らず軽率に食堂スタッフ各位の努力を無下にする発言をしてしまいましたこと、まことに申し訳ありません。ご容赦いただけますと幸いです。いつも絶品のパイ料理をご提供いただき感謝の念に堪えません」


見た目は凶悪な三白眼だが基本的には真面目なセスは即座に己が非を認めて相手への謝罪を厭わない。人生の大先輩であり食を預かるプロフェッショナルでもある食堂のおばちゃんたちには敬意を持っているらしく、お貴族様っぽい言い回しできちんと丁寧に頭を下げるのがセスらしくはないがセスらしかった。なんか王国語が大混乱しているがそこはお察しいただきたい。言葉遣いがお綺麗系な三白眼にはまだちょっといろんな意味で慣れてないもので。

なお、私たちのテーブルとはそれなりの距離を隔てた位置で作業をしていたおばちゃんたちはそんなセスの謝罪を受けて「あらまあいいのよ気にしないで」と大らかに笑っていたりする。スルースキルと包容力が学生如きの比ではない。人生経験の差というものを踏まえれば当たり前ではあるのだが、またひとつ尊敬ポイントが増えた。


「常々感じてはいたけれども食堂で働く皆さんに対してのリスペクトがすごいよねお前たち………ほーらリューリ・ベル、お待ちかねの北部の魅力がいっぱい詰まった生クリームとチョコレートのケーキだぞう。実は良質な鉱物系資源が豊富に採れたりする土地柄でもあるのでスポンジの地層に宝石を模したパチパチ弾けるカラフルキャンディが混ざってるからそのつもりで口に運びなさいねー」

「なんだこれ口ン中ばちばちしたおかわり!」

「過去形な上に即おかわり希望!? 嘘でしょ大皿の上に盛ったケーキがほぼほぼ一瞬で消えてるんだが!?」


正直前置きが長過ぎてお腹が空いていたせいか自分でもびっくりする速度でお皿の上に綺麗にしてしまった自覚はあるのだが美味しかったのでしょうがないじゃん、とかしか言えないんだからしょうがない。

新雪を思わせるようなふんわり感を保ちながらも美しく均された生クリームの舌触りとぱりぱりチョコレートのほろ苦食感にこれまでの常識を覆す口の中でばちんと弾ける甘くて楽しいキャンディの欠片―――――噛まなくても唾液で爆発するのに奥歯で潰したタイミングによっては骨に響く乾いた音がするって気が付いた王国ケーキの北部地区エリアおかわり早めにお願いします。


「ま、気に入ったようだしリューリ・ベルだし予想はしてたし何でもいいか。それじゃあ今度は町側だけじゃなく氷湖も一緒に盛ってやろうな―――――からの不意打ち、第三問! 東部と西部、商人と職人、人材の輩出傾向として多いとされる組み合わせを答えなさい」

「あれ? こだわり強めの凝り性職人さんが多いのは東部だって言ってたけど商人さんが多いのは南部だろ? 西部は………あー………なんかブンカジンサイジンとかいう人たちの話が出てた気がする。芸術がどうこうとも言ってた」

「お見事、正解―――――なんだけれども、文化人や才人についての理解度が低い気がするな。私の説明が悪いというかある意味予想通りというか………そこについての補足をする前にケーキのおかわりをはいどうぞ」

「湖のとこ飴でうっすら膜張ってある芸が細かいあとこれ美味しいこの味好きです恒常メニューに追加希望!」

「うーん、食いしん坊なお子さんの心を想像以上にガッツリ掴むなぁワクワクいっぱい王国ケーキ。おっとこの生地ふんわりシフォンに香り付けで薄荷が練り込んである。好みは分かれるだろうけれども私としては面白いに一票」

「とか言いながらさりげなく何の味がするか分からねぇクッキーを俺の皿に移すなレオニール。テメェで齧った分くらい責任持ってテメェで消費しろ」

「風味強めのジンジャークッキーが想像以上のダイレクトさで喉に訴えてくるやつだったのでこれ以上食べると王子様噎せちゃうから悪いけどセス頑張って」

「女子か? 知るかよ勝手に噎せとけ」


とうとう王子様に至るまで“王国”を模したケーキをお供に雑談を楽しみ始めたので、がっちゃがっちゃと賑やかに男子会だか勉強会だかよく分からない緩い時間を堪能するに至ってしまった。

ぐだぐだが酷い。計画性がない。手の込んだ教材を用意した割に王子様のスタンスがふんわり過ぎる―――――ふわふわしているのにすっきりした味の生地が口の中で溶けたのだけれど、舌に残る甘さが爽やかでもっと食べていたくなる不思議。

と、散らかる私の思考回路の隙間にするっと滑り込むように、西部地区のぎっしりした町並みをひょいひょい別皿に避けていた王子様が唐突に講師役を再開した。


「さて、少し腹が膨れたところで勉強会の続きをしよう。と言っても、補足みたいなものだ。大きな国の中に小さな国が四つある、という解釈も可能ではあるが、すべては“王国”の一部であり欠けてはならない“王国”そのもの。大陸を占める王国は、すなわち世界のすべてである―――――という基本理念を詰め込んでもらったのがこちらの巨大なケーキだな。仮に別の名を与えるとするなら大陸世界地図ケーキだろう」


大陸は世界であり王国で、それらすべては等式なのだとの極論が堂々と振り翳される。彼らが定義しているところの“大陸”の北端にはこの“王国”と地続きである私の故郷があるのだけれど、あの北境の町よりさらに北上した辺境の“北”というのはきっと“王国民”にとっての“世界”とは異なる別の何かだ。

その感覚は、理解は出来た。共感までは出来なくたって―――――分かったような気にはなれたのだ。だって、ワクワクがいっぱい詰まったこの王国を模したケーキに、私の故郷はどこにもない。北境の町の向こう側、再現率の高い壁の裏にはケーキの端の崖しかなかった。


「無数にあった国々が大きな四つになるまで減って、そこから一つにまとまって、今の“王国”のかたちが出来たのが概算で四百二十年前。世界に垣根はなくなって、大陸に境はなくなった………教本に載せる文言だけなら随分と簡単に聞こえるが、それはけして口で言う程容易なものでもなかった筈だ。少なくとも私はそう思う。なにせ、それまでは各地毎に異なっていた言語体系も王国統合を機に新たな共用語を定めて意思疎通の壁を取り払おうとしたわけだからな、それなりの苦労があっただろうさ―――――だからこそ、四百年の時経た今でもあちらこちらで齟齬が出る」


結局今でも分かり合えない、と言わんばかりに彼は笑う。

それは陽気なトップオブ馬鹿には珍しい類の笑みだった。私が空にした取り皿を避けて新しく用意したものに西部の町を移しながら、謳うような口振りで彼は穏やかに言葉を綴る。


「いまいちフワッとしている上にあまり興味のそそられない話をひたすら黙って聞き続けたところで理解には遠いと思うので、補足こそ分かり易く噛み砕くけれども―――――ダイレクトに聞こうか、リューリ・ベル。お前、こっちの“王国”に来てから今まで耳にしてきた言葉の中で『ただ言い方が違うだけで実のところは同じモノ』みたいなやつあったりしなかった?」

「え? 言い方が違うやつ? あー………あった気はするけど思い出せない」


言われてすぐさま答えを返せる類の質問ではなかったけれど、そう聞かれてみればなにかの食べ物でそんな感じのやつがあった。それこそ単に言い方が違うだけで大体同じものだからそんなに気にしなくていい、みたいな―――――王国語ってめんどくさいな、との結論に着地したあれは、あの食べ物はなんだったっけ。そもそもそう思ったのはいつだ。割と最近だった気もする。

記憶の糸を引っ張って、食べたものを思い出していく。呆れるくらいにいろんなものを詰め込んできた胃袋の記憶はそのまま脳にも残っていたから、それにたまたま紐付けられていたおまけのような情報を拾い上げては違うと放った。

その作業に費やされてどんどんと減っていく熱量を補うために伸ばした指が、先程王子様が取り分けてくれたケーキの上に飾られていた西部の町を模した焼き菓子を次々掴んで口内に放る。胃と脳に素早く直接届く甘味のエネルギーがありがたい。

私が真面目に考えているのを待っているらしい男子二人はちょっと一息休憩タイムだと言わんばかりに飲み物を傾けて優雅に喉を潤しているので、そこだけ切り取ると男子会や勉強会というよりお茶会みたいだ―――――お茶会、と浮かんだ単語が唐突な閃きをもたらして、一足飛びに答えを思い出す。その瞬間はやたらとすっきりしたのでちょっと楽しくなってしまった。


「思い出した。お茶会だ。フローレンさんとマルガレーテさんが怖かったときのお茶会だ―――――あのときマルガレーテさん、ゼリーのことジュレって言ってたんだよ。なんで違う言い方なんだ? と思ったからその場で聞いてみたんだけど、原材料的には同じものだから気にしなくていいってことらしくて気にせず美味しく果物ゼリー食べた」

「それそれ、まさにそういうやつ! キルヒシュラーガー公子ナイス!」


この場に居ないマルガレーテ嬢への称賛を口にして「しかも丁度良かった」などとご機嫌な王子様が言う。


「そう、ゼリーもジュレも原材料的な違いは無いに等しく単純に言い方が異なるだけで同じものを指している。が、厳密に言えば違いはあるんだ―――――言語が違う、と言ったところで“王国民”ではないリューリ・ベルにはピンとこないと思うので、極端な表現を使うとするならゼリーとジュレは『発祥地』もとい『その言葉を使っていた場所』が違う」


食べ物として発生した場所が違うと言われたのなら納得のしようもあったのに、どうも微妙に違う気がして私の眉間に皺が寄った。難しい話をされた気がして補充した糖分が一気にごりごり思考に持って行かれた気がする。

極端な表現を駆使したところで理解しきれていないのだと察したらしいお気遣いの三白眼が、王子様の発言に続くかたちでさらっと言った。


「要するに“王国”っつぅでかい箱の中で使う言葉を新しく“王国語”って決めたはいいが、昔あったいろんな言語圏由来の言葉も折り混ぜて意思疎通図ったモンだから『言い方の違い』があちこちにそのまま残っちまってんだよ。王国語じゃ『ゼリー』呼びの方が一般的でも四大国時代の名残で『ジュレ』って言うヤツは普通に居るし、なんなら響きが洒落てるからって理由でゼリーにジュレって名前付けて売り出す店もあったらしい。ぶっちゃけ言葉にある違いが微妙過ぎて明確に使い分けられてるわけじゃねぇヤツ結構あるけどこれが何となくで案外通じるんだわ」

「適当か? それって混乱しない?」

「慣れとフィーリングで成立してる」

「王国語シンプルにめんどくさい!」


さらっと言ってのけたセスの台詞に被せる勢いで大いに吠えた。シンプルなのにめんどくさいってどういうことだよとは思うけれども本心なので許されたい。慣れとフィーリングで成立するような言語を公用語にするな。たくさんあった国々をひとつにまとめたんだったらもう気合いを入れて言語の方も統一しておけよと思う。


「いろんな国が混ざって混ざって最終的にひとつになって、みんなが使う言葉に困って新しい言語をつくってみたのはいいけれど、結局みんな昔から使い慣れた言葉も混ぜて意思の疎通を図った方がコミュニケーションの円滑化に繋がる気がするからまあいいかー………みたいな解釈で突き進んだ結果が今の状態というわけだな。厳密には分からないものであってもなんとなく分かっているような顔をしてにこやかに会話を続け情報を引き出しあわよくば主導権を握っていく、という有力貴族家の常套スキルって元を辿ればそういう意思疎通の齟齬を誤魔化す処世術だったんじゃないかと思わなくもない王子様だ―――――せっかくだからついでに言っちゃうけどフローレンやキルヒシュラーガー公子や我が王国の貴族女性たちが当たり前のように使用しているあの独特の言葉遣い、いわゆる『お嬢様言葉』ってやつもアレぶっちゃけただのキャラ付けじゃない?」

「やめろレオニール馬鹿テメェ、フローレンが聞いたらぶちキレそうな話題をしれっと投下するんじゃねぇ!」

「残念だったな諦めろセス、男子会とはこういう女性陣には聞かせられないような話をする場でもあるのさたぶんだけれども! あと心配しなくてもリューリ・ベルはほぼ確実にフローレンたちにこの話題は振らない―――――ほら見なさい、絶対めんどくさいことになるって分かってるから『私は知らないし聞いてない』って態度でごっそり抉り取っていった東部エリアをもぐもぐしている」

「ちくしょう俺もあっち側がいい」

「言い方がちょっと可愛くて笑う」

「テメェやっぱり知らねぇフリしてがっつり聞いてやがるだろリューリ!」

「きっと気のせいだぞ三白眼。そもそもお前と王子様がフローレンさんたち貴族のお嬢様の言葉遣いをただのキャラ付けなんじゃないかって話してるだなんて仮に私が聞いてたとしても別にどうってことないじゃんか―――――ところで確かにああいう感じで喋るとなんか適当なこと言ってるだけでもまあそれっぽく聞こえますわよね」

「あら。リューリ・ベル、思いの外ご機嫌でして? おっしゃるとおり、この言葉遣いはお上品さを醸す目的も確かにあると思うのですけれど、一番の利点はこのような喋り方をすることでその使い手が『お嬢様』だということが全方向に分かり易くなるという一点に尽きると考えておりますの―――――要するに固定観念というか、先入観やら思い込みだな。いつの時代かは調べていないし歴史を紐解く気もないが、それなりに多くの人々に広く浸透している『育ちの良いご令嬢はこういう言葉遣いで会話している』という認識が積み重なったりした結果が王国貴族の淑女各位の標準枠になった気がしないでもない………なお、これは王子様の勝手な自論だし今後考えが変わる可能性も当たり前のように存在しているので話半分どころか二割で聞き流してくれて構わないぞう。こういう感じで喋っておけばまあ貴族のご令嬢っぽいでしょう、みたいな雑さで設定されていたところで驚く程のことではございません、たとえどのような経緯であっても“その在り方”が今の主流であり常識であると言うのなら、それは紛れもなくこの王国において『間違ってはいない』ことに他ならないのではなくて? とフローレンあたりは笑顔で言ってのけそうだが」

「お嬢様と王子様を混ぜて喋るまではともかく中途半端なところからフローレンさんの真似まで挟むな話がまったく入って来ない」

「とか言いながらケーキを食べるスピードはまったく落とさないあたりが安定のリューリ・ベルだよなー。ちなみにセスお嬢様からは何かコメントございまして?」

「うるせぇ誰がお嬢様だこの馬鹿王子マジでクソかよ」

「やだセス坊ちゃんノリが悪い!」

「どこまで悪ノリしやがるテメェ」


鬱陶しそうに吐き捨てて、セスは自分の取り皿の上の最後のひとかけらに勢い良くフォークを突き立てた。柔らかなスポンジを貫通してしまったらしい銀色の先端が陶器の表面とぶつかって、かん、と乾いた音が鳴る。


「悪ノリだって出来る相手と状況ってものがあるんだぞう? それこそ時と場合の話だと私は思っているわけだ―――――だって、今を逃したらもうこの三人だけで面白おかしく勝手気儘に話す機会はなさそうだからな。真面目な話」


王子様、という生き物は、どこまでもふざけた存在のままでいきなり真剣になれるらしい。

雰囲気ひとつでその場の空気を書き換える能力的なものが王族たる者の標準装備か個人保有なのかは知らないが、少なくとも今この部屋の中でケーキを上品に味わう彼には備わっているに違いないある種の資質にセスの纏う気配が変わった。王子様もまたそれを見て、付き合いの長さに由来している理解度の高さに笑っている。


「そうとも、割と真面目な話、馬鹿畑筆頭であったとしても“王子様”には違いないからなあ。フローレンの助力の甲斐もあって情報は割と早いんだ。もっともあいつならもう少し勿体付ける場面だろうが、私には私の段取りがあるし何度も言うが引っ張ったところで何一つ楽しいことはない。だからストレートに踏み込むけれど―――――リューリ・ベル。お前、そろそろ帰るんだろう?」


本当に引っ張る主義ではないらしい王子様の問い掛けに、私は普通に頷いた。分かりきった答えを待っている相手に勿体ぶったりはぐらかしたりする必要性を見出せないからそのまま事実を口にする。なにせ、隠す程のことでもない。


「そろそろ帰る、っていうか私もそこまで詳しい話は知らないぞ? ただ一定周期で大発生する大型の獲物を狩れるだけ狩って備蓄とか作る大事な時期がいつもより早くなりそうな気がするから忙しくなる前に戻ってきなー、って族長から言われたらしい“北の大公”のばあちゃんが『そんなわけで予定より早いが“招待学生”終わりになりそうだから今のうちに思う存分王国料理を楽しんでおきなさい、そしてそのための金銭もこちらで用意しておいたので好きなだけ食べに食べるがいい!』って親切な伝言くれたんで、じゃあまぁ近いうち帰るんだろうな、って感覚でひたすら食べまくってる」

「うーん、何度聞いても狩猟民族としてはどこまでも真っ当な帰還理由」

「つぅか“北の大公”が白いのに対して豪快な親戚みてえなノリで笑う」

「うんそれ私も思ってた。ノルズグラートの北方大公と言えば我が実父こと国王陛下も恐れる最古参重鎮の女傑なんだが、リューリ・ベルもとい“北の民”の皆さんには好意的だし親身なんだよなー………というか、セス。お前リューリ・ベルがもうすぐ帰るって話聞いても全然驚かないとかベストフレンドなのに薄情か? 超平然としてるじゃん?」

「はァ? 誰がベストフレンドだ友達じゃねぇっつってんだろ―――――驚くもクソもこの白いの、面倒臭そうって避けてたパスタ食おうとしてた時点でもう『全部残さず出来る限り食べて帰ることにした』とか言ってたんだからンなモン誰でも察しが付くだろ。言い換えりゃ『そろそろ帰ることになったから面倒臭がらずに頑張って可能な限り食べ尽くす』って話だろうがよあの流れ」

「いやあ、それはセスくらいにしか察するのは無理なやつだと思うぞう? だってフローレンでさえつい先日北の大公閣下から正式に『リューリ・ベルの早期帰郷申請』の書状が届くまでまったく何も知らなかったし気付いていなかったくらいだからな」

「あ? マジかよ」

「なんとマジだよ」


幼馴染の男子たちが二人で会話を成立させているうちに、ケーキの南部エリアをこっそり抉って不思議なスパイスの効いた甘味と癖のある後味を堪能する。予想ではあるがこの大型ケーキ、たぶん私が食べない限り完食は無理だろうと思ったので。


「フローレン………いや、この場合はもう“王国”の上層部ほぼ全員だろうな。いきなり北の大公閣下から『いいから可及的速やかに“北の民”を故郷に返さんかい』みたいな圧もそこそこに通達されて冗談抜きで大騒ぎだった。最低でも一年を予定して計画を組んでいたものが『思ったより早く人手が必要になりそうなのでなるべく急いで帰らせて』の一言でぐっちゃぐちゃになったもんだから、もう学園側もフローレンも学習予定の見直しやら開催予定だったイベントの繰り上げやらでシンプルに大忙しだぞう。そういう調整を行っているから実際に帰る日取りについては全然決まっていないらしいが、確実にそう遠くないうちに“リューリ・ベル”は故郷へ舞い戻る―――――私が言うのもアレだけど、あれだな。“北の民”の族長殿は流石一族の代表なだけあるな。フリーダムさの桁が違う」

「そうか? 族長が言うには『どれくらい向こうで暮らすのかは正直よく分かんないんだけど、次の恵みが来る頃になったら呼び戻すってことで合意取れてるからよろしく』みたいな感じだったぞ。実際そのとおりのタイミングで『帰ってこい』って言ってるんなら何の問題もないじゃんか」


王国を模したケーキの地層を東西南北胃に納め、それでもまだ残るスポンジの大地の次はどこを抉り取ろうかと思案しながら紡ぎ出したのは故郷を発つ前に族長から聞いた雑談のような他愛ない台詞である。

あの人がそう言ったなら、何があろうが誰が困ろうが早急にこの“王国”を出て故郷に帰らなければならない。それが“私たち”にとっての最善なのはあの族長がそう判断した以上は疑いようもないからで、逆らう理由が無いからだ。


「今すぐ戻れ、ってわけでもないらしいからこうやってのんびりしてるけど、お呼びがかかれば私はすぐに故郷の“北”に戻るぞ。あとのことはお前らの国の偉い人たちと族長とで話し合ってくれ―――――と言っても、たぶん食糧の備蓄と分配が終わるまでは全員大忙しだから正直お前らと話し合う時間とかまったく取れないと思うけど」


“北の民”の判断基準は生存こそが最優先であるとの当たり前でしかない認識で自分の意思を表明し、ついでに辺境の狩猟民族としての価値観を全力で振り翳し、やっぱり味覚的に一番好みな北部エリアの大地を抉る。

ある意味適当の極みのようなふわっとしたその言い分に、王子様だけでなくセスまでもが呆れたような顔をした。


「うーん。前々から感じてはいたが、やっぱり“族長”に対する信頼感というかいっそ動物のそれに近い絶対服従の姿勢が強いんだよなぁ、リューリ・ベルって………だから『もっと美味しいものいっぱい食べたいってごねて長居してくれるかも』なんて上層部の見通しが甘過ぎるって私は散々言ったのに誰も聞いてくれないんだもんなー………」

「テメェの場合はこれまでの行いが悪過ぎて信用ねぇだけだろボケ王子。まあリューリのコレは聞いた感じコイツだけに限った話じゃなく民族的なモンなんだろうよ。こっちの感覚で言い換えりゃ統率力のある頭に聞き分けの良い部下を揃えた少数精鋭の戦闘部隊だ。過酷な環境での生存率と作戦成功率の高さが有象無象の寄せ集めとは段違いなのは当たり前だわな。王国に生きる人間よりも生存重視の動物寄りで、合理的で単純で、無駄を省いた割り切りだ。つっても、俺らの年代でそこまで徹底して上官の指令に応えるってのはいくら過酷な“辺境”の出だからって並大抵の精神性じゃねぇ―――――そういや白いの、テメェいくつだ? 同年代ってことしか知らねぇ。今までリューリの年齢なんざ気にしたこともなかったが、どれくらいでそんなブレねぇ思考に落ち着くのかは割と興味がある」


セスにそんなことを聞かれたのは正直に予想外だったので、思考と一緒に表情までもが固まって変な顔になる。女性に年齢を聞くようなデリカシーのない男は殴り倒して構わない、と宿屋のチビちゃんは教えてくれたがこの三白眼は見た目の凶悪さはともかく中身はお気遣いの塊でありお察し能力もかなり高い。

少なくとも同じ場に居合わせているトップオブ馬鹿王子様よりはデリカシーというものを常備しているに違いない相手を殴り倒していいものかどうか思案して―――――悩むまでもなく殴り倒す程のことでもないな、との結論が出たところで即答した。一瞬でも殴るかどうか考えちゃってごめんな、という罪悪感からの即答だった。


「いくつ―――――年齢は私も知らない。なあ王子様、そういや私って何歳なんだ?」


答えは返ってこなかったし一瞬で場が静まり帰る。

セスと王子様が驚異の同調率で黙り込んだものあるけれど、離れたところで何かの作業を進めていた食堂のおばちゃんたちまでもが動きを止めた関係で部屋の中から音が消えた。二人同時に口を閉ざして変な顔をした彼らは、困ったように視線を見合わせてから窺うような目を私に向ける。言い難そうに、彼は言った。


「………いやお前………自分で自分の年齢が分かんないってそんなことある………? 十七歳の若さで………? 忘れんぼさんなの………?」


とても言葉を選ばれた上で気遣わしそうにそんなことを伝えてくる王子様が十七歳だと教えてくれたので、そういうことになったんだなと一人勝手に納得してから改めてセスの顔を見る。そして自分の口から告げた。


「十七歳ってことになったらしい」

「ちょっと待て絶対ェなんかある」


なんかある、とは何のことだと逆に黙り込んだこちらに対し、三白眼は深く寄った眉間の皺を指で揉んで解している。凶悪な印象を与える三白眼が伏せられた今は頭痛を堪えるような表情に似ているような気もしたが、やがて彼は顔を上げるなり私でなく王子様を見た。


「レオニール。この白いのが『十七歳』ってのはどこから引っ張ってきやがった」

「リューリ・ベルがこちらに来て最初に滞在した北境の町で行われた身体検査及び本人調査資料に記載されていた情報だ。王城で厳重に管理されているものだし“北の大公”の押印もある公式書類だから間違いない―――――はず、なんだけれども何かあるよなこのパターンは絶対に」

「だろうな。この白いのがテメェで自分の年齢をきちんと把握してねぇってことはそもそも生年月日そのものの正確性が怪しいってことじゃねぇのかよ」


なにやら真剣な表情で、男子二人が話し合っている。完全に自分に関係ないみたいな顔をしているのも無理そうな話題だということは分かっているので私は観念して口を開いた。

頭にぱっと浮かんだものを考えなしにぽん、と放る、いつもと変わらない流れで。


「正確性、っていうか単純に“北の民”はお前ら“王国民”みたいにいちいち『誰がいつ生まれたか』を記録してないってだけだぞぶっちゃけた話」

「男子会としては正しいけれどもそのぶっちゃけはあんまり聞きたくなかったなあ!」


発声にかけては並ぶものが居ないであろうトップオブ馬鹿が良く通る声を更に張る。逆に口を閉ざしたセスの目が一瞬だけ遠くなった気がした。


「待って待ってよその発言からするとお前のプロフィールに書いてあった誕生日の正確性皆無じゃん………まさかの個人情報偽造疑惑浮上で王子様ちょっと冷や汗掻いてる」


まずいことになりそうな予感、みたいな顔で声のトーンを落とす王子様とは反対に、セスは何事かを閃いたらしく鋭い口調で言葉を投げる。それは疑問系ではあったが、実質ただの解答だった。


「つぅかよ、“王国”で採用してる暦を“北の民”も使ってるって前提がそもそも間違ってんじゃねぇの? もっと突っ込んで聞きゃあリューリ、テメェ『今日』が『何月何日』だって“北”に居た頃から把握してたかよ」

「いや? 気にしたこともない。『一年』とか『何月何日』だとか、そういう時間の流れの数え方はこっちに来てから初めて知った。そういや最初は慣れなかったし覚えるのちょっと大変だったな………“北”じゃこっちより明るい時間が極端に短いっていうか大抵は雪が降るか曇ってばっかで晴れ間もあんまり多くないし、天気に関係なくうっすら明るい時間が続くかと思えば逆に延々暗かったりしてほとんど身体の感覚だけで朝とか夜とか判断して大体で『一日』過ごしてる―――――『今日が何日』って認識がないから『生まれた日』とか覚えてないし、あんまり数える意味も無いから“北の民”は誰もやらないんだよ」


いつ生まれたかに、意味はない。いつか死ぬ日が来るとして、実際に命が終わった日すら私たちは何年の何月何日であるかなどを気に留めたりはしないのだ。記録をつけることもない―――――ただ、確かに生まれて、食べて、生きて、生き抜いて死んだ誰かのことを、記憶には残しておくけれど。


「ついでに言っておくとたぶんお前らで言うところの『一年』に近い概念も一応、あるにはあるんだよ。決まった周期で海から内地に渡って来る鳥の群れを狩る時期がそれだ。そいつらを捕まえて『またこの糧を得られる日まで無事に一定期間生き延びた』ことを祝う宴を開くんだけど、たぶん王子様がさっき言ってた私が十七歳っていう数字の根拠はこれだろうな―――――私は『十七回』なんだ」


正確な年数は分からない。けれど、あの海鳥の群れの十七度目の渡りまでは確かにあの地で生き延びた。

生まれた日や今日が何日なのかはみんな把握してやしないけど、自分が宴に参加した回数だけは覚えている。子供が生まれた日を定期的に祝うだなんて、そんな習慣は故郷になかった。一定周期を生き延びたことを尊び全員で糧への感謝を分かち合う宴の記憶に幼少期の分はないけれど、親や周りの仲間たちがちゃんと数えていてくれるので子供は自分がどれくらいの日々を生き延びて今に至るのかを知るのである。

自分でこの数字を口にしたのは今日が初めてだったので、おそらく王国側に伝わっている私のプロフィールとやらは族長経由で拾った情報を下敷きにしたものに違いない。暦なんて時間の単位を重要視せず生きてきた辺境の少数民族にしてみれば年齢を聞かれても答えようがなく、また誕生日の概念もないため個人情報を記録する係の人はさぞや困ったのではないだろうか。今更だが同情を禁じ得ないしどうにかして必要項目を埋めた根性は純粋にすごい気合いだと思う―――――良いか悪いかは別にして。


「ええ………海鳥の渡りの時期でおおまかに一年計算とか………確かに決まったシーズンに同じ現象が起きるのは王国でも確認されてるわけだけれども気候変動とかその他諸々の要因が重なってズレ込むことも普通にあるわけで………よしこれ聞かなかったことにしよう! セスもリューリ・ベルも今の年齢の話は内緒にしておく方向でよろしく王子様との約束だ!!!」

「おいレオニール俺の所感でしかねぇけどたぶんこの白いの十七より下だぞ」

「性別リューリ・ベルとは言え書類上は間違いなく女性分類であるひとの年齢について詮索するのは止めなさいセス! 私はお前をそんなデリカシーのない男に育てた覚えはありませんよッ!!!」

「育てられた覚えなんざねぇ上にデリカシーについては心の底からテメェにだけは言われたくねぇし性別リューリ・ベルってなんだいい加減にしろクソッタレ!!!!!」


聞かなかったことにして勢いだけで押し切ろうとする王子様に向かって大いに吠えるセスだが最終的には前者が勝った。“北”の地に生きる渡り鳥の生態を一から調査して私の年齢を割り出そうとしたところで生まれた日がまったく不明な時点で致命的なまでにどうしようもない。

分かったところでだからどうした、という結論に着地したらしく、この際『リューリ・ベルは“王国歴”換算で十七歳』という解釈で突き進んだ方が混乱もなく丸くおさまるとのことでこの話は私たち三人の胸にしまっておこうという話になった。


「ちなみに食堂のおばちゃんたちはプロフェッショナルとしての矜持からたとえ王に命令されようがお仕事中に偶然聞いてしまった話を外に漏らしたりはしないので私とセスとリューリ・ベルが内緒にしておけばバレないバレない」

「仮にもこの国の王子殿下が笑って吐く台詞じゃねぇだろうがよ」

「食堂のおばちゃんたちのプロ精神には尊敬の念を禁じ得ないな」

「そうとも、王立学園で働く食堂のプロフェッショナルたちの確かな仕事にはこの私とていつだって頭の下がる思いだぞう―――――と、いうわけで」


不自然な流れで言葉を区切った王子様へと視線を向ければ、いつの間にやら取り出していた手袋らしきものを装備しながら彼は口の端を持ち上げている。楽しくって堪らないのだと誰の目にも明らかな気色を浮かべて新品らしい真っ白な手袋を嵌めた手を軽く握って開く挙動の意味は分からなかったが、その解答は聞くまでもなく一秒後にはあっさり明かされた。


「食堂スタッフが丹精込めて作ってくれた王国ケーキのど真ん中に陣取るお菓子の王城をそろそろ美味しくいただくとしよう! 具体的には食べ易いサイズに手でぶち割って分配します!!! 王子様の実家だから私が盛大に壊しちゃうけどいいよね!!!!!」

「仮にもこの国の“王子様”ってやつが今日一番のいい笑顔で楽しそうに宣う台詞じゃなくない?」

「良く出来た模型を合法的かつ盛大にぶっ壊していいって言われたら正直俺もテンション上がる」

「いや三白眼それ何の暴露?」

「あ? ただのストレス発露」

「王子様そのお城ぶっ壊すの半分セスにやらせてやれ。なんかストレス溜まってるらしい」

「よしきた、それじゃあここの一番頑丈な塔の部分を豪快に真っ二つにしちゃうのとかどう? 私は壁の接着面を狙わないと分解無理だけどセスならパワーだけで折れる気がする」

「手袋に予備あんのかよ」

「食堂スタッフに抜かりはないのでなんと三人分用意してあります―――――食べ物で遊んでいるわけではなく食べ易くするための工程だから思う存分バラバラにしちゃおう」

「言われんでも全力で折るしバラすわ―――――おうリューリ、この壁の固焼きクッキーで北部エリアのクリーム適当にごそっと掬って食ってみ。たぶん美味いぞ」

「天才かよセス壁おかわり!」

「はっはっは、どんどん割ってどんどん食べなさいお勉強頑張ったお子様たち!」


和やかに笑いながら自分の住処である王城を精巧に模したお菓子のお城をばっきばきにしている王子様だが絵面的にこれ大丈夫なのかなとかガラにもなく危ぶんだ私である。壁と壁の接合部を引っ剥がす手に迷いがないし作業のようにパーツ分けしたお城の残骸を積んでいく様はもう楽しさの類を超越した仕事人のような風格しかない。

セスはセスで頑丈な塔をぶち折ったことに満足したのか今度は屋根にあたる部分を丁寧に取り外して効率的に分解していた。男子の心は分からない―――――ぶっ壊された先からこちらに寄越される一口サイズのお城の残骸が美味しいことは分かるのに。


「説教も勉強も終わったところであとは本当に食べて喋るだけの呑気な男子会だからなぁ。リューリ・ベルのための送迎会やら企画段階だったイベント類の繰り上げ開催については関係各所が大慌てで調整している関係で現状何も決まっていないから伝えることも特にないし、どうせやるなら『勉強』に託けてこんな馬鹿げたサイズのケーキや王城の焼き菓子オブジェを壊して食べるだなんて女性陣の前では到底許されないようなことを堂々とやってしまうのもアリなんじゃないかなぁと思ったわけだ―――――ぶっちゃけ私がやってみたかっただけだけれども楽しいのでまったく後悔はしてない!」

「そこまで堂々とカミングアウトされるともう一周回って清々しいわ………想定してたよりはマシな時間だった、ってのが何よりムカつく気分だけどな」

「セスが王子様のこと褒めてるってなんか珍しい気分になるな―――――ところで王子様、イベントの繰り上げ開催って何?」

「うん? ああ、学園行事は年間を通して開催スケジュールが固定されているものなんだがな、リューリ・ベルの王国滞在時間が残り僅かということであれば『やれそうなイベントは前倒しにして学生同士の交流の機会を増やした方がいいのでは?』って提案が議会であっさり通っちゃったからとりあえず次にやる予定だった学生たちの一大イベント学術総合発表会―――――俗に言うところの『文化祭』を前倒しで開催する運びになったわけだがこの調整がまぁめんどくさい」


そう遠くないうちにこの場所から居なくなる身であることなど何処吹く風、といった様子で平然と他人事感覚でしかない言葉を投げる私に対して、王子様は特に何を言うでもなくただ聞かれたことにのみ答えを返す。めんどくさい、との言葉に嘘は微塵も含まれていないらしく、その端正な顔立ちにはありありと苦渋が浮かんでいた。


「学園全体で一丸となって取り組む規模の大掛かりなイベントを催すともなると、決めなければならないことは当然多いし人手も予算も必要になる。前倒しでやってしまえばよかろう、みたいな気軽さで本当にやることになったとしても実現させるのはあくまで現場だし『文化祭』の主役は学生だからなあ………中途半端なエンタメは“王子様”としても望ましくないのでやるからには死力を尽くすけれども、フローレンと話し合って洗い出した現時点で予見される懸念事項のいくつかが割と悩みの種だったりする。正直どう捌けば上手く現場が回るかまったく見通しが立たないせいで私の婚約者多忙の極み」

「私が言うことじゃないかもしんないけどお前それが分かってるならなんでフローレンさん手伝わないんだよ」

「婚約者にだけ仕事させてテメェは騒いで茶ァしばいてケーキ食って城ぶっ壊して遊んでるだけかよクソ王子」

「それを言われるとぐうの音も出ないけどこの勉強会が私主導なのは完全にフローレンの差配だからな? そしてここで白状すると、実はコレが婚約者から王子様に託された起死回生の秘策だったりする」

「おいセスこいつまたなんか言い出したぞ」

「今回だけで何回ぶっちゃけんだテメェは」

「必要とあれば回数気にせずぶっちゃけていくのが王子様だぞう! と、言うわけで繰り返しもだるいしいきなりサクッと核心のターン―――――リューリ・ベル、ちょっとお花に群がる虫さんを追っ払う短期労働しない? 報酬については応相談」


ずい、とこちらにお城の残骸を綺麗に纏めたお皿を差し出した王子様がぱっと両手を広げて見せる。おどけた様子は道化のようだが微笑みは底が知れなくて、何も考えていないノリだから企みがまったく見透かせない。

考えたところで分からないなら考えるだけ無駄なので、お皿の上のお城の残骸を適当に指でつまみ上げながら私はやや疑わし気に低めた声でぼそりと王子様に探りを入れた。


「短期労働、の意味は分かるけどまず『お花に群がる虫さん』って何」

「噛み砕いて言うと今後キルヒシュラーガー公子に集るであろうお花畑の貴族子弟諸氏をいつも以上にド派手な感じで物理的に蹴散らしてくれると超助かる」

「あー。大体把握した」

「流石話が早いなセス」


打診されている私よりも先に何事かを理解したらしいセスが面倒臭そうな顔をして、王子様はその反応に満足そうな首肯を返していたがこちらとしてはまったく納得いかない。というか何のことだか分からんので分かるように喋れよおい、との気持ちを込めて分厚くキャラメルコーティングされた部分の壁を噛み砕いたら結構ものすごい音がした。

建物として組み立てる際の強度を考慮して小麦粉の比率が高めなのかもしれない。若干色の違う煉瓦クッキーを交互に組み合わせて作られた壁の部分に関しては小麦粉と全粒粉を使い分けて風化の自然さを出している。すごい。食堂のおばちゃんたちは料理だけでなく芸術面においても一級品の技術を持っているに違いないと思わせる確かなお仕事がここにある。


「レオニール、さっさと説明してやらねぇとこの白いの城を食い尽くすのに夢中になって話どころじゃなくなるぞ」

「言われなくても分かっているから速攻で叩き込んでくスタイル! リューリ・ベル、私の実家の壁の味が気に入ったのはよく分かったからボリボリしながら聞きなさい―――――キルヒシュラーガー公子こと西方貴族筆頭公爵家御息女のレディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガーは実のところ、この学園に在籍する貴族の次男坊三男坊その他男子生徒にとって最後の希望の星もとい『婚約者の座を射止められれば人生勝ち組決定』の垂涎の的お嬢様だ!!!」

「あ? あー。そういやなんかそういう話、剣術科の次席がやらかしたときにいろいろ聞いた気がするな。マルガレーテさんと結婚すれば公爵家を継げるとかなんとか………セスがそのポジションに決まったって妙な勘違いしたせいであんな騒ぎになったのかと思うとつくづく“王国民”よく分からん」

「それに関しちゃ俺も本気でエッケルトのアホ意味分かんねぇと思ってるから安心しろ白いの―――――まぁ、それもこれもキルヒシュラーガー公子の婚約者の座が空席のままなのが問題っちゃ問題なんだがな。“西の大公”直系の孫、なんて御大層な出自のせいでただでさえややこしいってのに………公爵家の跡取りについても未だ決まってねぇんだろ、あそこ」


甘いものを食べるのに飽きたのか、コップの中の水を傾けながら含みのある言葉を投げ付けたのは苦々しい顔をしたセスだ。面倒臭い、というよりは疲労感を滲ませる眼光はそれでも鋭かったけれど、労わるような気配を帯びていたのが気になった私の手が止まる。

そのタイミングに合わせたように、小さく頷いて肯定を示す王子様が静かに語り始めた。


「ああ、セスの言う通り、未だに何も決まっていない。リューリ・ベルは他人の事情を不必要に口外するタイプではないと信用しているので話しておくが、レディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガーには双子の兄君がいらっしゃる。順当に行けばその兄君が次期大公家の跡取りとして、彼女は公爵家の次期当主として、それぞれの道を邁進する筈だった―――――彼女の兄、マンフレート・キルヒシュラーガーが、先天的に身体の弱い体質でさえなかったら」


淡々とした声で続ける王子様の声には熱がない。事実を述べているだけなのだから感情なんてものは不要だろう。情感を込めて口にしたところで現実には何も変わりがないなら言い方なんてきっとなんでもいいし、私にとってもどうでもいい。

マルガレーテさん本人にとっても、きっとそれは変わらないだろう。


「長子であり男児のマンフレート殿は血統主義の西方貴族の誰もが認める大公家の次代だが、幼少期から公爵家領地で療養の日々を余儀なくされる程にとにかく身体が丈夫ではない。そんな体質的な問題を抱えている者に“西の大公”の跡目を継ぐなど重圧でしかないだろう、との意見が出るのは当然で、しかし双子の妹であるレディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガーを代わりに次期大公に推すか? と問われれば『女児であるから』との馬鹿げた理由で一部から猛反発を食らう始末だ。女公爵は許容出来ても女大公には難色を示すなんて馬鹿馬鹿しいと思うだろう?」

「うん。“北の大公”のばあちゃんが聞いたらボロクソに扱き下ろして張り倒しそう」

「はっはっは、目に浮かぶなぁ! 北方大公閣下なら間違いなくそうなさるだろうさ! 『女だから大公には相応しくないだと? ふざけるな、この私を前にしてよくもまあそんな口が叩けたものだな貴様ら結局は難癖をつけて己がその場に腰掛けたいだけの畜生にも劣るド屑だろうが! 彼女を大公にと持ち上げる連中も小娘一人どうとでもなると甘い汁目当てに配偶者の座を狙う愚物が列を成すばかりとは嘆かわしいにも程がある! 貴い血の上に胡坐を掻いた凡夫が一丁前に囀るな、群れねば喚けん小心者どもは邪魔でしかないから端に寄れ! そして文句がある者は今すぐこの場で名乗り出よ! いやしくもこの身は北方大公、老骨であれ大義無き者を叩っ斬る気概も技量も度胸も一向に衰えてはおらん! 一刀のもとに斬り伏せてやるから御母堂に頼んで生み直してもらえ!!!』くらいの啖呵切ってくれそう」

「おっ前フローレンさんだけじゃなく“北の大公”のばあちゃんの再現率までやけに高いってなんなの王子様」

「フローレンは婚約者だからだけど北境の町の大公閣下はとにかくインパクトがやたらと強くてたった数回しか会ってなくても忘れない類っていうか正直忘れられない恐怖」

「さては雷落とされたなコイツ」

「叩っ斬られなくてよかったな」

「うんもうマジでホントそれなー………って違うめちゃくちゃ話が逸れた! 要するに一般的には伏せられているがキルヒシュラーガー公子の婚約者が未だ定まっていないのはそういう経緯があるからだ、『公爵家』を継ぐのか『大公家』を継ぐのかで伴侶に求められる血筋というものはまったく話が違ってくる。そこは“王国”の貴族血統的な事情なので詳しい説明は省くけれども、ここまではいいか? ちゃんと聞いてた?」

「聞いてたけどその話が『お花畑に群がる虫追っ払う』労働にどう繋がるのかがよく分からん」

「とりあえずキルヒシュラーガー公子に選んでもらえりゃ少なくとも『公爵家の仲間入り』は出来るから人生勝ち組狙ってるなりふり構わねぇ連中がこぞってあのお嬢様の『婚約者』になりたがってるってのはテメェにもなんとなく分かるだろ、リューリ」

「分かるけどそれ今更って言えば今更の話じゃないのかよ、セス。マルガレーテさんの婚約者ってやつがなんかの理由で決まってないってのは私でもまあ知ってたけどさ、あのフローレンさんレベルに圧の強い生粋の貴族のお嬢さんに所構わず言い寄ってる男子なんて今まで見たこともないんだけど。それともこれから増えるのか?」

「そうとも、これから増えるのさ!」


絶対に、と確信的な口調で断言する王子様が芝居のように声を張る。これは放っておけばべらべら必要あることもないことも喋り倒していくパターンである、と知っている身としては今が好機だ。お城もケーキも詰め込めるだけ口の中に詰めていこう。


「リューリ・ベルが指摘した通り、彼女に今まで表立って言い寄る輩などは居なかった。何故って? それはキルヒシュラーガー公子の如何にも性格がキツそうな見た目と貴族令嬢としての高過ぎる矜持とフローレンに対するライバル意識からくる創作物の悪役令嬢じみた言動が防波堤になっていたからだ! いくら公爵家を継ぐ立場にある見目麗しい迫力美女でもあんなキッツイ性格の女とはあんまり一緒に居たくない、むしろ目を付けられたくない、不用意に近付いて口説こうものなら人生めちゃくちゃにされそうだから関わらないで避けた方が無難―――――主に伯爵家以下の出自を持つ男子生徒たちの総意はこんな感じで、平民たちに至っては男女の別を問わず逃げていた。加えて数多の女生徒たちとの交流を楽しんでおきながら、キルヒシュラーガー公子こそを本命に据えていたらしいアインハード・エッケルトのみみっちい裏工作で彼女は同門のご令嬢たちにすら『性格に難のある我儘令嬢だからご機嫌を損ねたら大変なことに』との共通認識を抱かれていた。もっとも、ちょっとした嘘を吹き込んで彼女に言い寄る男を減らす思惑が同性に遠巻きにされるという結果になっている時点でエッケルト侯子は情報操作というものがド下手クソだったと言わざるを得ない。フローレンやキルヒシュラーガー公子ならもっと狡猾かつ効果的に上手いことやってのけただろう」


女性に対してどこまでも失礼な発言でしかないものをぶちかましていくトップオブ馬鹿だがその上を行く大馬鹿野郎の剣術科次席にはもう罵倒すら湧いてこない。その名前がまだ出て来るのかよいい加減しつこいだろメンドクセェ、くらいのことは思ったけれども敢えて口に出す程ではない。

どのみち、説明とやらの序盤で口を挟めば話の腰が折れると知っている。だから黙って聞いていた。

聞く価値あんまりなさそうだなぁ、みたいな半眼になりつつも、同じような顔をしているセスとぼりぼりお城の残骸を齧って王子様の一人芝居を他人事気分で拝聴する。実際、他人事だったので。


「高位貴族の令嬢たるもの導となる淑女の模範であるべき―――――そんなプライドの塊じみたキルヒシュラーガー公子だが、実際のところその本質は我儘なお嬢様などではない。確かに少々口煩いし礼儀作法にも厳しいが、それは他人に向ける以上に彼女自身に向けられている。あれは自他共に厳しいのではなく誰よりも率先して自分に厳しい。己が理想を追い求めてそう在るべしと律するがゆえ、他人にも同じくらいの努力や研鑽を一切の遠慮なく要求する………彼女が学園を休学する前、療養中の兄君や祖父である西方大公閣下の不調を理由に公爵領へ帰郷する前は誰もそれを知らなかった。古馴染みであるフローレンや私や一握りの者を除いては、学園で彼女を見た大多数の者にとってレディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガーは毒々しい高嶺の花だった」


けれど、彼女が帰って来た時、状況は変わっていたのだという。マルガレーテ嬢本人は何も変わっていなかったけれど、彼女の休学前と後では環境に決定的な違いがあった。

それがお前だ、との言葉が続く。王子様はただ私を見据えて、ひとつの事実をつらつら述べた。


「違っていたのは、リューリ・ベル。お前が“学園”に居たことだ。元々キルヒシュラーガー公子は少々苛烈なところはあったが面倒見の良い性質だった。貴い身分に伴う矜持を重んじては空回ることも多々あったが、貴族としては善良過ぎる程に真面目で、潔癖で、懐が深い。少なくとも王国外から来た礼儀知らずの“辺境民”を我儘でどうこうするような横暴な人間性ではない。むしろ、彼女は可愛いものや愛らしいものを手放しで好む傾向にある。フローレンが言ってたんだよ―――――『経験則での推察ですが、リューリさんは十中八九、マルガレーテが気に入るタイプでしょうね』って」

「前から疑問に思ってたんだけど『ひたすら食べてその場その場で適当に好き勝手なこと言ってるだけのなんか髪の色とか珍しいやつ』でしかない私に対して王国民やたらと好意的過ぎない? 正直ファンクラブとかいう集まりもなんでそうなったか分かんないし事ある毎にギャラリーが湧くのも物珍しさとは違うノリで何がそんなに面白いのかいまいち理解出来ないんだよ。他の人たちにしろマルガレーテさんにしろ楽しんでるなら別にそれはいいけど、基本なんにも考えてないこっちからしてみたら特に変わり映えとかしない似たり寄ったりのパターンの連続でしかない気がするぞ? 正直飽きたりとかしないのか?」

「真顔でそういうこと聞いてきちゃうリューリ・ベル、お前そういうとこだぞう」

「正直テメェの直球極まるシンプルなブッ込み嫌いじゃねぇわ。そのへん面白ェ」

「お前もかよセス」

「一緒にすんなや」

「だよな。ごめん」

「何を面白がるかどうかは個々人の感覚十割なんだから不思議がったところで分かりゃしねぇしリューリが気にすることでもねぇよ。ンなモン俺にもよく分からん。説明しろって言われたところで『なんとなく』としか答えようがねぇ。とりあえずテメェは好きに生きろや」

「言われるまでもなく好きに生きてるぞケーキ全部食べていいですか」

「ここまで食い続けて胸焼けも起こさず完食する気なのはマジで笑う」

「美味しいものは無尽蔵に胃に消えていくから不思議だなぁ」

「不思議っつぅか異常の域だがテメェが言うと普通に思える」

「分かるー、全部『リューリ・ベルだから』って理由で納得出来ちゃうこの感じ、めちゃくた気楽だからホントに助かる。“王子様”としてはこのまったりした雰囲気嫌いじゃないぞう、なんか落ち着く。男子会って感じがしていいよねついつい流れでぐだぐだしちゃう」

「いやお前までぐだぐだし始めたら駄目だろ王子様収拾つけろよ」

「テメェが勝手に仕切ると思ってこっちは適当喋ってんだからよ」

「なんでよ私も仲間に入れてよフリーダムの申し子たち酷過ぎない!?」


冷たい! などと叫び声を上げたところでノリが陽気なので不一致が酷い。しかしそこはエンターテイナー気取りの打たれ強い馬鹿王子様、喚き散らしていた次の瞬間には切り替えて話を戻していたので温度差でセスの目が遠くなった。


「期待に応えて話を戻そう、王子様はやれば出来るので―――――えーと、どこまで話してたっけ………そうそう。雑な言葉でまとめればキルヒシュラーガー公子は小動物好きの子供好きだからお食事中で人畜無害な状態のリューリ・ベルを一度でも見ておけばそうそう強く当たることはないだろう、とのフローレンの推察はものの見事に的中した。そうしてお前も知ってのとおり、彼女はフローレンたちとの“お茶会”を経て恙無くこの学園に復帰を果たしたというわけなんだが………ここでひとつ、誰にとっても想定外の出会いというか、環境的な変化の一つはもうひとつあったということを痛感する出来事が起きてしまった」

「メチェナーテだろ」

「うん大正解」


三白眼が即答し、王子様は真顔で頷く。何がそんなに想定外だったのか一人だけ分かっていない身として選べるのはただ沈黙のみだ。


「ティト・メチェナーテは“編入生”―――――平民が侯爵家の養子として引き取られたという背景上、学園に編入するにあたって必要最低限の教育を施すべく準備期間が設けられていた。彼の在籍が決まったのは“北の民”を学園に受け入れるという話が持ち上がる前ではあるが、本人が事前教育を終えて正式にこの学園へと足を踏み入れたのはリューリ・ベルよりも後になる。当然、キルヒシュラーガー公子とは何の面識もありはしない………んだけれども、アインハードや西方貴族のご令嬢方のやらかした結果が積み重なっていった結果、出会う確率の低かった二人に接点どころか親交が生まれてしまったのがまさかこんな結果に繋がるとは誰も予想してなかったんだよなあ」

「マルガレーテさんとティトって割と相性良いイメージあるんだけど、なにがそんなにまずいんだよ。貴族の派閥とかよく分かんないけど相性悪いよりはいいんじゃないの?」

「逆だ、リューリ。あいつらの場合は相性が無駄に良過ぎたんだよ」


何気ない口調で断言したのは、ティトと同じ剣術科でそれなりに交流のあるらしいセスである。暇を持て余したのか私の抱える甘ったるいケーキの端っこをフォークで掬って口に入れた彼は、脳に直接届く糖分に眉根を寄せながら続きを吐いた。


「メチェナーテは侯爵家の養子だが、元はただの平民だ。付け焼き刃の教育でどうにかこうにか体裁を保つ努力はしてるが完璧な作法を叩き込まれたキルヒシュラーガー公子に言わせりゃ『なってないにも程がある』ってレベルのシロモンでしかねぇ。実際、粗が目立つんだよ。アイツが努力してねぇとか手ェ抜いてるって話じゃなく、単純に生粋の貴族生まれと比べて積み重ねたモンが足りてねぇんだ」


当たり前過ぎる話ではある。むしろ当たり前でしかなくて、けれど、それでは駄目なのだ。そう思わせるのに十分過ぎるセスの声音はやや硬い。


「当たり前っちゃ当たり前だが、基礎そのものが怪しいヤツに応用なんざ高望みだろ。予想外のことに直面すりゃあすぐに慌ててボロが出る。言葉遣いはその最たるモンだな。貴族社会の暗黙の了解なんざ詳しくねぇから軋轢も多いし、取り繕うにも知識や経験が不足してやがるから上手くいかねぇ………メチェナーテが悪いってわけじゃなくとも、特に上位貴族に連なる連中はアイツのちょっとしたことが気になっちまってしょうがねぇんだ。ついでに言っちまえば顔や性格もそこそこ女子受けがいいからよ、クソくだらねぇ嫉妬の類込みで要らん陰口叩く野郎が馬鹿馬鹿しいことに少なくねぇ―――――そんな鬱陶しい状況の中で、あのキルヒシュラーガー公子だけは面と向かって裏表なくアイツに構ってやってるってわけだ」

「ちなみにだが私がフローレン経由で仕入れた最新情報は『養子とはいえ侯子になったなら堂々と一人の貴族として胸を張れるようになりなさい!』、『貴方をきちんと息子として尊重してくださっている侯爵様たちに恥をかかせたくないんでしょう!?』、『頑張ってるのは分かっているけどあとちょっとだけ頑張りなさいよご褒美のつもりでコースメニューのデザートだけこっそり豪華にしておいたんだから!』ってテーブルマナーに難儀して泣き言漏らしたメチェナーテ侯子に容赦なく喝を入れたという心温まるエピソードだぞう」

「フローレンさんもなんだかんだマルガレーテさんのこと気にしてるよな」

「だよねー。王子様妬けちゃう………とまぁ冗談は置いておくとして、とにもかくにもキルヒシュラーガー公子はメチェナーテ侯子の面倒をよく見ているしおそらく非常に単純で素直な―――大型犬の見た目で警戒心の低さが生まれたばかりの子犬のような―――彼のことをそれなりに、おそらくだが気に入っている。人目なんか気にすることなく、他人からの評価もお構いなしに、自分が相手にどう思われるかも一顧だにしない潔さで―――――“王国貴族”という面倒な生き物が犇めく悪夢の巣窟で『これからどうやって生きていけばいいか』を懇切丁寧に教えている。本質的な意味合いで、彼女は間違いなく育ちが良い。洗練されていない言葉遣いの何処が悪いかを指摘して、手紙の書き方がダメダメであれば文通相手に名乗りを上げて自ら指導と添削を担当。テーブルマナーだけに留まらず、日常の所作やちょっとした細かいところに普段から気を配るようにと口喧しく―――――それこそ、実の母親だろうかと錯覚するくらいの親身さで彼のことを構い倒している」

「同年代の女子をナチュラルに母親枠に当て嵌めるその悪癖はフローレンだけにしとけやレオニール。メチェナーテの野郎はテメェと違って流石にそういうノリじゃねぇだろ………まあ、基本的に単純馬鹿だから相手に裏なんか何もねぇ、って直感で分かってる気はするけどな。あのキルヒシュラーガー公子の悪評しか知らねぇ親切な周りの忠告なんざ知るかよむしろざけんじゃねぇ、くらいの勢いで『公女様はいい人だ!』っつって全面的に懐いてやがる。一回フローレンに頼まれてそのへん煽ったら練習試合で結構重めの一撃食らって見直したわ。図体だけ立派なお人好しかと思ってたんだがあれで案外番犬向きだぞ」

「おっと、セスが珍しく手放しで他人褒めるじゃんとか感心してたら何お前そんなことやってたの? どうせえげつない煽り方したんだろう、っていうかえ、待ってマジでメチェナーテ侯子お前相手に一撃入れたの? ポテンシャルは高いと思ってたけど実はかなりすごくない? セスの負け試合見たかったなー!」

「あ? 何言ってんだテメェ俺は負けてねぇぞ。あの馬鹿、全力で大斧振り抜きやがって軍刀じゃ勢いまで殺せなかったんだよ。吹っ飛びはしたがそんだけだ。片腕痺れて使えなかろうがそのあとは普通に俺が勝った」

「いやなんで大斧と軍刀で練習試合なんかしたのお前ら?」

「たまにあるんだよ『剣以外の得物を相手にする訓練もするか』ってなんかイレギュラーな日が」

「ええ………そりゃまぁ現実的に考えて想定されるすべての『敵』が剣振り回してるわけじゃないだろうってのは当たり前ではあるんだけれどもまず“学園”に大きな斧が普通に置いてあることが何よりもイレギュラーじゃない………? しかも軍刀って結局のところそんなに剣と変わらないじゃん、それじゃ訓練にならなくない?」

「馬力だけは俺よりも上なメチェナーテが大斧なんてモン持ち出してきたから装備を軍刀に変えただけでその前までは普通に素手で対戦相手ぶちのめしてた。腹に一撃捻じ込んで全戦全勝でストレートに一位」

「幼馴染がある意味一番現実的でおっかない武器振り回してた!?」

「自前の肉体と体術は帯刀不可とか関係ねぇからどこに行っても通用する、ってのはこの白いの見てりゃよく分かるだろ―――――『バトルアックス持ちを相手にするなら流石にお前も武器を持て』ってカークランド教諭に止められたから仕方なく軍刀使ったが、リューリなら絶対ェ素手のままメチェナーテの得物ごと殴り飛ばして勝っただろ、とか思ったらなんか負けた気ィした」

「え。なんで私の知らないところで勝手に私に負けてるんだセス」

「うるせぇンなモン俺が一番よく分かんねぇんだよだから聞くな」

「ところですごい自然な感じに脱線してるから帰ってきてキッズ」


適当なところで適当に雑談しがちな私とセスに平然とそんなお願いをしてくる王子様は慣れ切った様子でとても優雅に紅茶を楽しんでいたりする。結構喋り続けていたから流石に喉が渇いていたのか、逸れていた話題を本筋に戻す流れに切り替えるつもりで休憩がてらに飲み物を挟んだのかは分からない。

だいぶ小さくなってしまったケーキの大地を遠慮なくフォークで削りつつ、私は憮然と呟いた。


「そもそも何の話をしてたかよく分からなくなったんだけど要らん情報と前置きがやたら長いせいだと思うから短縮してくれ王子様」

「うん。まあその、なんだ、いろいろ前置きはしたけれども、突き詰めれば結論は単純なんだ―――――『超一級の激ヤバ悪役令嬢』だと思われていた人物が『実はただ言動の癖が強くて誤解されがちなだけで本人は美人な上に推定でも公爵家の次期跡取りで元平民出のなんちゃって貴族子弟未満がお馬鹿な感じに接しても罰さず害さず見捨てることなく寛大な心で許してはなんだかんだ理由をつけて甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる面倒見の良い性格で、ちょっと気難しいところはあるけど“編入生”や“招待学生”との遣り取りから察するに思いの外押しに弱そうなチョロいところのあるご令嬢』だと周知されたらどうなると思う?」


なんかそういうの聞いたことあるな、と思って静かに頭の中でチビちゃんの台詞を思い出す。

冷静に考えたらあり得ないって分かるのに、なんでか自分にも望みはあるかもって思い込んで振舞うお花畑の話はそれこそ雪崩を起こす程ある、とかつて彼女は言っていた―――――ワンチャンあるかも、ってそんな無駄に前向きな夢見がち思考で身の程知らずかつ無鉄砲なギャンブルじみた行動に出るヤツはその時点でもう頭の緩さと底の浅さと将来性のなさを物語っているから全部無視して大丈夫。しつこいようなら武力行使か社会的抹殺で通報あるのみ、関わる時間がもったいない、と厳しい眼差しで吐き捨てていたチビちゃんの言葉は重々しかったが『ワンチャンあるかも』って語感はなんだか与えるイメージが軽いと思う。

それをそのまま伝えたところ、どうやら正解だったらしくて王子様が笑顔で頷いた。


「そうとも、まさしく一発逆転ワンチャンス狙いの高望み! 普通に考えれば普通に無謀だ! けれども休学する前と復学後である現在において、“学園”に在籍する生徒たちのキルヒシュラーガー公子に対する認識はまったくの別物と言っていい。リューリ・ベルとティト・メチェナーテ、今までキルヒシュラーガー公子の近くには全然まったく居なかったタイプが彼女に与えた影響は絶大だったしその交流を間近で見ていた周囲に与えたインパクトもまた予想以上に甚大だった――――――直截に言おう! ギャップがえぐい! 絵に描いたような悪役令嬢がただのポンコツ天然仕立てツンデレ属性お嬢様だと周囲にバレたら大体こうなる! 鼻持ちならない高慢ちきで傍若無人な我儘娘どころか気配り屋さんで上に立つ者としての矜持から礼儀や規律には厳格であれ意味もなく目下を虐げはしない、どころかむしろきちんと真っ当に気に掛けていることも判明したので男子たちの心のハードルは地面すれすれまで下がった! そして性格がめちゃくちゃキツそうな迫力に満ちた外見ではあるがそれはそれとして彼女は美人だ。その点で言えば我が婚約者、フローレンと彼女はよく似ている―――――ただし、出会って間もない“北の民”のお前にすら『権力振り回して数の暴力で好き勝手してくる面倒な女子の集団』よりも『なんとかなりそう』だと思わせてしまうあの危うさはまったく似ていない。何より一番問題なのは、レディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガー自身が『見た目に反してゴリ押せば意外と落とせそうなタイプ』だと思われている自覚がないことだ」


フルコース料理体験の折に遭遇した騒ぎの延長で自分が口にした台詞が思わぬところで引用されて、あの時フローレン嬢がマルガレーテ嬢に対して溢したもう少し真面目に捉えておくべきとの忠告の真の意味を知る。


「だがフローレンにしろ私にしろ、あの段階では当分何も起こらないだろうと踏んでいた。“リューリ・ベル”というお花畑思考に対する最高かつ最強の外敵が学園内に居る限り、敢えて危険を冒すような輩は流石にもうこれ以上出ないだろうとの希望的観測で楽観的にのほほんと思っていた、のだ、けれどもそのリューリ・ベルが予定より早く“北”に帰るって話になったらそりゃあ勃発しちゃうだろって話だよたったひとつの椅子を巡ったお花畑の大乱闘が!!!!!」

「おはなばたけのだいらんとう」


言葉にすると馬鹿馬鹿しいというか音声化しなくても馬鹿馬鹿しい。

なにそれ、という気持ちを込めて棒読みで口に出してはみたがやっぱり胸に去来する虚しさは消えたりしなかった。


「お前が帰った後に騒ぎが起こるならまだそれなりに時間があるので対策を講じればどうとでもなる! だが私とフローレンは絶対に“それ”が近日中に発生してしまうと分かっているんだ具体的には『リューリ・ベルが故郷に帰る都合で文化祭の開催を前倒しにします』との報せが入ったその瞬間からお花畑の住人たちは一気に、爆発的に増える! 何故って? “招待学生”の在籍中は妙な下心を持った良くない輩が“学園”内に入り込み国賓に接触しないように、との配慮から止められていた編入生制度が解禁されてしまうからだ! ついでに言えば自主退学やらその他諸々で少なくない数の欠員が出ている現状、リューリ・ベルが帰る前から既に応募は殺到している! 中にはキルヒシュラーガー公子との縁を求めて編入したがっている者もいるだろう、つまりは単純にライバルが増える―――――勝てないかもしれない未知の相手に堂々と乗り込まれる前に、“リューリ・ベル”がまだ居ようがレディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガーの心を射止めてしまえとの思考の飛躍及び暴走は残念ながら想像に難くないんだなあコレが!!!!!」

「ホントに残念な話だな」

「残念ながらホントそれ」


熱弁し終えた王子様へのコメントはどこまでも冷めている。しかしそれに同意を返す相手も相手で冷めていた。

私が出会った一番最初のお花畑の住人もといトップオブ馬鹿花畑は紛れもなく目の前のこの男子なのだが、あの一件以降フローレン嬢に完全に手綱を握られたことで多少はマシになったのかもしれない。なっていないのかもしれない。分からん。分かりたくもない。


「お前が思っている以上に、お前の与り知らないところで、“リューリ・ベル”が“学園”に在籍しているこの状況は『都合が良い』んだ。大多数にとって好都合であり奇跡的な確率の幸運だった―――――だから、その都合の良い状況が想定以上の速さで崩れる、と現実に突き付けられるなり慌てふためく破目になる」


他人事みたいに、馬鹿正直に、王子様が綴る冷めた台詞に嘘の類は見付からなかった。


「リューリ・ベルも知っているだろうが、レディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガーはフローレンへのライバル意識と私への謎の対抗心から基本的にこちらの言うことを素直に聞き入れるタイプじゃない。もちろんきっちり公私は分けるし理があれば従う柔軟さを備えた女性ではあるのだが―――――『実は貴女が見た目よりもずっとチョロい系のお嬢様であることがとうとう周囲にバレたので、言い寄ってくる男が激増するだろうけど出来そうだったらイベント開催に影響が出ない程度に上手いこと立ち回ってフローレンの仕事が増える前に駆除をよろしくお願いします』と“王子様”が真面目に言ったところで脊髄反射レベルの反発を表明されるのは火を見るよりも明らかだ」

「そりゃまぁそんな言い方されたらマルガレーテさんじゃなくてもキレると思うぞ」

「そもそもフローレンよりもテメェの方があの公子様に毛嫌いされてるだろうがよ」

「実は私も彼女のことあんまり得意じゃなかったりするからそこはお互い様だぞう」

「これは宿屋のチビちゃんが言ってた同族嫌悪ってパターンか? セス」

「雑に言っちまえば概ね合ってる。つぅか単純にフローレンの取り合い」

「腑に落ちた」

「良かったな」

「セスもリューリ・ベルもさりげなく王子様のデリケートな部分踏み荒らすの止めない?」

「テメェが言うか」

「お前が言うなよ」

「もう言わないから話を戻すぞ!!!!!」


お前たちこれ飲んで静かにしてなさい、くらいの勢いで私たちの目の前に同時に勢い良く叩き置かれたのは頑丈なガラスのコップである。食堂の備品を粗末に扱うなと前にも言った気がするのだけれど、逆にあんな乱雑さでコップを置いておきながら中身をまったく溢さなかったその謎技術だけは一目置いた。

余談だが飲み物は喉越しすっきり清涼感のあるひんやり温度のハーブティー。心なしか心が落ち着くお味。


「つーまーりー! 私やフローレンが表立って何かするよりただ“リューリ・ベル”がキルヒシュラーガー公子の側を絶えずうろうろしているだけで抑止力としては十分過ぎるし仮に突貫されたとしてもいつものノリでなんとかしてくれる気がするっていう理由からの『お花に群がる虫さんを追っ払う短期労働』打診です!!! お分かり!?」

「分かったけど王子様お前それ言うためだけにめちゃくちゃ無駄な時間かけたなおい」


仔細はさておきやるべきことはマルガレーテ嬢に迷惑をかける男子が居たら追っ払う、というだけの割とシンプルな労働である。頭の中の王国語引き出しをがさがさごそごそ漁った結果、用心棒と呼ばれる役割を求められていると解釈した。

長い話がだらだらと続く間もこっそりこそこそ食べ続けていた巨大なケーキの最後の塊を口内に押し込み、心躍る細工と歴史が詰まった美味しい王国大陸地図を食べ尽くした私は前を向く。咀嚼と嚥下を終えたあとで慎重かつ真剣に切り出したのは、雇われる側のこちらにとって避けては通れない件だった。


「ところで一番大事な部分をまだ聞いてないぞ王子様―――――労働に対する報酬は?」

「面倒臭いから嫌だ、と断ることなく話し合いのテーブルについてもらえて大変結構。それではさっきは応相談と濁した報酬について話そう―――――その前に、お待たせしました食堂のおばちゃん! 持って来てもらっていいですか!!!!!」


王子様が鋭く叫ぶ。己の勝利を確信している眼光の強さもさることながら、トップオブ馬鹿という本質よりも王子様という肩書きの方が相応しい顔付きで笑っているのが強くこちらの印象に残った。

一体何を、とワクワクいっぱい王国ケーキの前例から身構えると同時に期待を抱いてしまう私の視界の端っこに、すぅっと自然に流れてきたように食堂のおばちゃんが現れる。ことりと小さな音を立ててテーブルの上に置かれたそれに、自分の喉と胸のあたりがはっきりと引き攣るのを感じた。


「ふっふっふ………いくら“北”の地の食いしん坊でも甘いケーキをあれだけ食べたらそろそろ塩気の多いものが恋しくなってくる頃合いだろう―――――と、いうわけであらかじめご用意しておきました! こちら! まさかのお惣菜クレープ! 具材はじっくりローストした牛肉とみんな大好き揚げ芋のマッシュ!!! 一度油で揚げた後で丁寧に潰してホクホク部分とパリパリ部分を混ぜ広げた上に特製ソースを絡めた薄切り牛肉を散りばめてお砂糖不使用のクレープ生地で食べ易いように包んだ一品! お手軽に食べられて腹持ちしっかりガツンと魂に響く味―――――短期労働引き受けてくれるなら食べていいぞうリューリ・ベル」

「テメェこのクソ王子卑怯者―――――ッ!!!!!」


腹の底から吠えたところで私の敗北は覆らない。だってもう既に食べている。食べていいと聞かされた時点で気付けば口の中に入れていた。

声を絞り出したお腹の中には魂に響く美味しい塩分が秒で投入されてしまっていたのだ手遅れにも程があるし逆らえるわけねえだろこんなもん。


「卑怯ではなく策士って言って? どのみち引き受けてもらう流れなんだから遅いか早いかの違いでしかないし、食えない言葉遊びの類はお前にはつまらないだろう。だったら美味しく食べられる報酬の前払いの方がずっと親切で素敵じゃないの―――――ちなみに、食堂スタッフがずっと部屋の隅で用意してくれていたのは以前お茶会の席でフローレンが追加注文しようとして食材の備蓄的に叶わなかったという食堂のクレープデリバリーサービスなので注文すれば好きな具材を好きなだけ挟んでもらえるヤツです」

「テッメェそれ引き受けてやる選択肢しかねぇやつだろうがよクソ王子様………え、食堂のおばちゃん何そのお肉、そんな立派なお肉の塊をどうすあああああああああ逆クレープ包みってなんですかそれ黒胡椒多めで焼いてください!!!!!」


開き直ったというよりは、視覚情報からもたらされる美味しそうな料理に本能で飛び付く選択をした私の身体が駆けていく。王子様とセスと一緒に陣取っていたテーブルから何の躊躇もなく離れ、がちゃがちゃ騒ぐ学生どもに気取られることなく自分たちの仕事をしていたらしい食堂のおばちゃんたちの実地調理に歓声を上げる側へと回った。


「うーん、効果は抜群だなあ」

「食いモンで釣るなクソ王子」


まんまるに焼いたクレープ生地に薄く切ったフルーツとクリームを配置しひたすらその作業を繰り返していくミルクレープなるケーキの一種はお惣菜クレープに飽きたときに食べられるように、との厚意からわざわざ作ってくれたらしい。

甘味と塩味の無限周回は実質永久機関である。発想が神の領域だった。舌と脳を飽きさせないぞという強めの配慮がもう大好き。


「フローレンが噛んでるなら無報酬じゃねぇとは思うが………リューリの興味を前払いのクレープに移して話を有耶無耶にするあたり、さては詳細まだ決めてねぇな? テメェはともかくアイツにしちゃあ随分と先走った差配じゃねぇか」

「普段は雑に我を通すクセして肝心なところでは慎重に状況を見定めようとするお前のそういう冷静なところ、私としては純粋に頼もしくてありがたいと思っている」


円盤状の焼き台の上に、とろりと粘り気のある液体がおばちゃんの手によって垂らされる。それ専用の道具と分かる棒を駆使してあっという間にクレープ生地を伸ばして均して綺麗な円形に整えた安心安定のプロフェッショナルは、刃の薄いナイフで焼き台と薄い生地の間をしゅぱっと手早く一閃した。そうして焼き立てのぱりぱり生地を、そのまま私にくれたのである。


「世辞が寒ィんだよ、レオニール。キルヒシュラーガー公子の方は確かにあの白いのを近くに置けば勝手にどうとでも転がるだろうが………テメェ、何考えてやがる」

「うーん。何、って言われてもなあ。特に難しいことは何も?」


同じように今度は違う容器から粘度の違う液体を取るおばちゃん曰く、クレープの皮にもいくつかの種類が存在するとのこと。

焼き上がるなり提供してもらった二枚目の生地はさっきのものより柔らかくってふわふわしていて、ぱりぱり系とふわふわ系なら前者の方が好きだと思った。食べ比べてみると違いが分かってなんだか楽しくなっちゃうな。


「ぶっちゃけリューリ・ベルだけじゃなくセスも巻き込むことは既にフローレンの中で確定事項になってるから心の準備の方よろしくね! って今言うかどうか悩んでた」

「ンなこったろうと思ったわクソが!!!!!」

「閉鎖空間だからってここぞとばかりに口にしてるけどしばらくはそれ本当に控えてくれないとまずいことになるぞう。絶対忘れてるだろうからリューリ・ベルにもあとで念押ししとこ」

「ご命令、承りました―――――僭越ながら申し上げます。殿下のご忠言をリューリ嬢が忘却している可能性については私も否定しかねますが、それは彼女の記憶力の問題ではなく熱意に溢れた殿下のご演説が素晴らし過ぎたためではないかと」

「やだセス突然のガチトーン止めて三人でわいきゃい騒いでたさっきより格段に心の距離を感じる!!!」

「テメェの話が長過ぎて俺も全部は覚えてねぇよボケっつったら満足か?」

「私が言うのもアレだけど温度差が酷過ぎて風邪引きそう!」

「おーい、セスー。おばちゃんがぱりぱりクレープ生地でパイ風仕立てお惣菜クレープの新境地に挑戦してくれるらしいんだけどお前も味見係するー?」

「中身による」

「お肉とお肉」

「それは別腹」

「おばちゃんセスもお肉食べるって」

「あれだけあった巨大ケーキをトッピングも残さず完食しておいてまだペースを落とさず食べ続けられるっていうリューリ・ベルの規格外胃袋はともかくとしてセスまでクレープに突撃するの王子様ちょっとドン引き案件」

「分かったテメェは一人寂しくそこに座ってろレオニール」

「私たちだけでクレープ食べるから大人しくしてろ王子様」

「いーやーだーがー!? 友人と食べる立ち食いクレープとかそんな楽しそうなシチュエーションを王子様が逃すわけなくない!? ハイそういうわけで行きます来ました、あとで一人ずつ違う種類頼んで味の感想交換な!!!」

「ホント何こいつ」

「発想が女子か?」


私の言葉にセスが続く。

パイ風クレープ新境地をぱりぱりもしゃもしゃ休む暇なく齧りつつ、似たような眼差しを騒がしい馬鹿に二人揃って突き刺して、結局説教されたのか勉強したのか何なのかよく分からないことになったな、との感覚だけが妙に鮮明だった。



ここまで……ここまで辿り着いてくださったあなた様に心からの感謝を申し上げます……!

普段なら分割する量を無理矢理圧縮して一括でどーん! という暴挙にお付き合いいただきましてまことにありがとうございます……!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 23話出てるの見逃してたーでもすごく面白かった男子(?)会 [一言] えっ…なんか終わりに近づいていってる…すごく寂しく感じてきます…
[一言] 更新ありがとうございます! この作品が大好き過ぎて定期的に読み返してます。 フローレンさん、王子様、セス、リューリ達の掛け合いが何回読み返しても面白すぎます!
[良い点] 最高(˘ω˘) [一言] いつも楽しみにしてます(*`・ω・´) セスと同じタイミングで帰りそうとか確かにちょっと思ったけどもう帰ってしまうのか( ´・ω・`) でもその前にもう一波乱あり…
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