表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/36

16.あくまで平和にランチがしたい

お久し振りでございます。

気付けば秋の気配がしますね。梅雨や猛暑に振り回されながらちまちまと書いては消しておりましたが途中で例の如く気が付きました。長い。導入でもう長い。長過ぎたのでやはり分けました。

それに伴い内容をちまちま変更しながらこれだけ要らんとこ削ったんだから大丈夫だろうとページ数をみて視力よりも脳味噌よりもまずパソコンのバグを疑いました。おかしいのは文字数だけだったのでバグではありませんでした。ウッソだろなんでこんなに嵩張った?

そんなこんなで前置き終了、ダイナミックに削除して修正を繰り返していくうちにコレジャナイ感がしないでもないがちゃがちゃした本編でございます。

沖縄九州方面にて強力な台風が迫っているとのこと、読者の方々におかれましては日本列島の在住地区を問わず身の安全と睡眠時間と携帯端末のバッテリーを十分に確保した上で、お楽しみいただければ幸いです。

いよいよこの日がやって来た。

そんな気持ちで神妙に、食前の祈りを手早く済ませて銀色のフォークを握り締める。真剣な目に引き締めた口元で目の前の大皿を睨み付け、迷うことなく突き出した金属製の四つ又の先が陶器に当たってかつんと鳴った。慎重に、丁寧に、細心の注意を払いながら手首を返してフォークを捻る。人間の関節の限界にぶち当たってそれ以上は動かせなくなった自分の右手を見下ろして、とりあえず傾斜を急にしながら肘から先ごと持ち上げた。


つるん。するーん。ぼとっ。べちゃっ。


敢えて音声化するとしたらおそらくそのあたりが妥当だろう。流れるどころか重なる勢いで止める間もない連続コンボに完全なる敗北を喫した私だ。純粋に悔しい。率直に不甲斐ない。握り締めたフォークにも思わず力が入ったが、歪む直前で慌てて緩めたのでたぶん問題はないと思う―――――道具を適切に使いこなせない時点でそれはこちらの落ち度だというのに、力加減を間違えて食堂の備品を壊してしまうなどあってはならないことである。


「なんて手強いランチなんだ」

「パスタ相手に何言ってんだ」


真顔で真剣に悔しがっていたら心の底から呆れているような不愛想極まる声がして、顔を上げたら割と近くに見慣れた三白眼が立っていた。相変わらずの不機嫌面だがそれはいつものことだったので別段気にも留めることでもない。セスという男はこれが普通だ。こういう造形の顔なのだ。なので、適当に気安い挨拶を交わして私は視線を難敵へと戻した。

お皿の上にぶちまけられた、紐の山を見て思う―――――ああ、ついさっきまでは本当に綺麗に盛り付けられていたのにごめん。


「くそう………私がフォークを上手いこと扱えなかったばっかりに、せっかくのトマトと生ハムのパスタが見るも無残にぐっちゃぐちゃ………」


嘆いたところで自分が悪い。その現実も認識も何一つとして変わらない。中心部だけが一際深く窪んだつくりの大皿の底、そこには白くて細長い紐がばらばらの状態で散らかっていた。紐は紐でも食べられる紐だ。原材料は小麦粉らしい。パスタ、と呼ばれる料理だというのは実のところ知っていた。

めげずにフォークを操って、もう一度同じことを繰り返す。当然と言えば当然でしかないが結果もまったく同じだった。つるん、するん、ぼとんである。フォークの先端に引っ掛かっていた大胆カットのトマトの欠片が最後にべしょっと落っこちた。

悲しい墜落死体を前に私はふぅ、と溜め息をひとつ。穏やかな気分でフォークを置いて、両手で大皿をがっしり掴んだ。


「気を取り直していただきます」

「開き直ってんじゃねぇぞコラ」


まるで予期していたが如く、大皿を持ち上げようとした私の腕がセスによって阻まれる。具体的にはがっしりと物理的に掴んで止められた。食事の邪魔をしないでほしい、と迷惑そうな顔を向けたところで三白眼はまったく怯まない。


「オイルパスタの直食いは無謀だから絶対止めとけ。喉に詰まって噎せるぞテメェ」

「気合いでなんとか」

「なるわけねぇだろ」

「なったらいいなぁ!」

「ヤケクソじゃねぇか」


見抜かれていたか、鋭いな。そんな気分で持ち上げたお皿をテーブルの上に置き直し、思い留まったぞとの意思を示すべく私は小さく両手を上げる。降参、という意味合いが相手に通じたのかどうなのか、少なくとも皿を傾けてパスタを直接口に運ぶなんて暴挙に及ぶのは諦めたらしいと感じ取ったセスはあっさりと私の腕を離した。


「筋金入りに食い意地の張ったヤツが『ランチを雑に食おう』なんざテメェらしくないにも程があんだろ。本気で何やってんだ、リューリ」

「お腹がちょっと空き過ぎたのとパスタが強敵過ぎたことで自分を見失った自覚はあるんで止めてくれて助かったぞ、お気遣いの三白眼」

「割といつも通りじゃねぇか白いの」

「基本的に私はいつでも私だぞセス」

「ぶっちゃけテーブルの上にパスタ一皿しか見当たらねぇ時点で既にいつものテメェじゃねぇ」


テーブルを埋め尽くさんばかりの量を頼んでは完食するという普段の私を良く知っているお気遣いの三白眼は、安定の雑さで断定するなり露骨かつ気怠げに息を吐く。


「いつも手掴みで齧り付けるモンか簡単にスプーンで掬えるモンかフォークぶっ刺せるモンくらいしか食ってなかっただろうが、リューリ。そんなテメェが急にパスタとはどういう風の吹き回しだ―――――しかもまだそれだけしか注文してねぇとか、あまりの状況の異様さに周りでざわついてる連中どころか食堂の常駐スタッフにまで『ちょっと様子見に行ってあげて』とか頼まれたじゃねぇかよ面倒臭ェ」

「それでホントに様子見に来るあたりお前って面倒見がいいよなぁ」

「見返りが創作パスタのパイ包みだった」

「包み隠さず好物に正直な三白眼で笑う」


面倒臭い、って思いながらもパイ料理に釣られて引き受けちゃうその分かりやすさは嫌いじゃない。というか私が同じ立場でも二つ返事で引き受けると思う。だって聞くからに美味しそうじゃん創作パスタのパイ包み。


「質問にはちゃんと答えるからパイ包み私にも一口ください」

「どうせそう言うだろうと思って最初から二人分頼んである」

「最高で最高の最高かよ最高」

「今シンプルに頭痛がしたわ」

「ごめん多用すりゃいいってモンでもないな。反省した上で訂正する。この三白眼最高か」

「訂正したところで着地点は結局いつも通りで笑う。ぶっちゃけ大して気にしてねぇけど」

「そうかよ。ところでセス、お前も今からランチだろ? ここのテーブル一緒に使う?」

「おう。今更席探すのも面倒臭ェし使う。注文品取りに行くけど水の追加とか要るか?」

「要る。どうもありがとう。お気遣いの三白眼が留まるところを知らないな」

「言いたいことは大体分かるが三白眼はこれ以上進行したりしねぇよ白いの」


呆れを多分に含んだ声音で淡々と会話を切り上げて、セスはあっさり踵を返して注文品の受け取りカウンターへとすたすた歩いて行ってしまった。ランチが完成するまでの空き時間を利用してこちらの様子を見に来たというのはどうやら本当のことらしい。顔立ちの割には本当に面倒見のいい三白眼である。


「ベッカロッシが………あのベッカロッシが本当に優しいお兄ちゃんになって………」

「ちょっと砥ぎ過ぎたサバイバルナイフみたいな切れ味だったのになぁ、あいつ………きょうだいって………眩しいな………」

「美形の仲良しごきょうだい眼福過ぎて目ぇぶっ潰れそうだけどそれに関しては今更だった。ところで私見でしかないけれど個人的には食堂のおばちゃんたちのファインプレーを称賛したい。巻き込みテクニックが巧み過ぎる」

「わかりみ」

「ほんそれ」

「ああああああ孤高のセス様の新たな一面を拝見する機会を賜りまして本当にありがとうございます―――――やっぱり私も入会するわ掛け持ち上等の精神で行くわ」

「底無し沼ならぬ湖へようこそところで仲良しきょうだい尊過ぎて無理もう無理死んだ」

「安心しろ、末っ子ちゃんのことを把握し過ぎの世話焼きお兄ちゃんセス様とかレジェンド推し確定案件だからセス様ファンの大多数は死ぬ」

「死因、最高に最高で最高の最高」

「満場一致で積極的にゲシュタルトぶち壊したい今日この頃」

「ふと思ったんだけど末っ子ちゃんに林檎でウサギさん作ってあげるベッカロッシとか絶対面白いから超見てぇ」

「気持ちは分かるが願望はしまえ。それは胸に秘めておけ―――――身内には優しいお兄ちゃんでもその他の有象無象には全然優しくないパターン創作界隈で百通りは見たけど現実はもっと眩しかったので全然問題ありませんでした生まれてきてくれてありがとう涙で前が見えません………!」

「よそ見しながらタバスコなんか使ったせいな気もするけれど言いたいことはよく分かる」

「尊いものを拝みながら食べるランチは美味しいなぁ」


余談だが、私たちの遣り取りが聞こえる距離に居たらしいランチを楽しむ学生各位が食事と一緒に何か別のものを噛み締めているようだったけれどもそれに関してはスルーした。一番近いテーブル席の男女混成グループがしていた会話は聞こえたけれども気にしない。食堂のおばちゃんの作るランチが美味しい件には同意する―――――と言っても今日の私はパスタに苦戦して未だランチにありつけないのだけれど。

フォークの隙間をつるつるするする、すり抜けていく小麦粉の紐。手強いパスタに負け続けている苦い気持ちを押し流すには温い水だけでは到底足りない。自然と眉間による皺が、どんどん深くなっていく。


「なんで上手くいかないんだろ」

「いくらなんでもアホかテメェ」


思った以上に早いお帰りで頭上から降り注いだ声は、呆れ果てていると分かる響きで私の鼓膜を雑に揺らした。アホ呼ばわりされたことに関しては敢えて触れずに顔を上げれば、何故だかパスタ皿を満載した食堂備品の大積載ワゴンを押してきたらしいセスと目線がかち合う。


「創作パスタのパイ包み、のパイ要素がまったく見当たらないパスタばっかり持って来てどうしたんだセス頭痛いの?」

「基本食い物にしか関心がないテメェのそういう極端なところは案外嫌いじゃねぇんだが、他に気にするとこあんだろ」

「え? だってお前にアホとか言われても別に本気じゃなそうだから。突っ掛かるだけ時間の無駄じゃん」

「誰がンなこと気にしろっつったよ。分かり切ってて今更過ぎること俺がわざわざ指摘するわけねぇだろ」

「だよな。じゃぁ他に気にするとこってどこだよ」

「マジか。さては純粋に気付いてねぇなリューリ」


ワゴンの上に所狭しと並べられたパスタ皿をてきぱきとテーブル上へと移動させ、宣言通りピッチャーごと追加の水を持って来てくれたセスは私の対面席に腰を下ろしながらなんでもないことのように答えを投げた。


「テメェ、そんなフォークの持ち方しててパスタが上手く食えるわけねぇだろ」


オニーチャンナイスゥゥゥゥゥ! という雄叫びが斜め後方から聞こえてきたが、そんなことよりフォークの持ち方を確認しなければという気持ちで私は自らの右手を見た。そこにはフォークが握られている―――――がっつりと、しっかりと、今から獲物にこれを突き立てて肉を強引に抉り取るのだと主張せんばかりの殺意の高さでぎっちりと握り込まれている。

掌と五指でしっかりと固定されたそれを一瞥し、目付きは悪いが整った顔に気怠げなものを浮かべたセスが小さく短く息を吐いた。しょうがねぇな、と言わんばかりに彼は自分のフォークを掴む。


「まず第一にそこまで力まなくていい。握り込むな。固定するな。フォークの先端突き刺す特化の持ち方は一旦脇に置け。つぅか『パスタはフォークに巻き付けて食うモンだ』って理解してんのになんで普通に握り込んだままいけると思ってんだテメェ―――――その状態じゃ手首の可動域限られ過ぎてて全然フォーク回せねぇだろ。絡めるも巻き付けるもへったくれもねぇよ」

「なるほど。盲点」

「気付けやマジで」


雑にばっさりと切り捨てながら、私が見ている目の前でセスは手近なパスタ皿に銀色の食器を突っ込んだ。添える程度の指先がフォークの柄を回す度、四つ又の先端に絡まった小麦粉製の紐たちがみるみるうちに巻き取られていく。ひょい、と持ち上げられたそれはまったく崩れず解けもせず、当然重力に従って無様に落ちることもない。

器用に巻き取った一口分を文字通り一口で消費して、セスは「ほれ見ろ」と言いたげな様子で無言のままにフォークを振った。

分かりやすいお手本と見比べながら、私はフォークの持ち方をほんの少しだけ変えてみる。力一杯握り締めていた掌をゆっくり開いて緩め、使うのは親指から中指まで。薬指と小指は邪魔にならないよう折り畳み、指先はあくまで添える程度の感覚で力むことのない保持を心掛けたら形だけはどうにか近付けた。気がする。そういうことにしたい。

セスの真似をしてゆっくりと、指先でフォークを回してみる。慣れていないせいでぎこちないながらもなんとか落とさずに三回転、気合いと根性で回し切ったところで「やれば出来るじゃねぇか」的な感じに三白眼が鼻を鳴らした。


「それが出来りゃまぁ何とかなるだろ。あとは勝手に食って慣れろ―――――で? なんでわざわざ使い慣れない食器使ってまでパスタ食おうなんて気になったんだ、リューリ」

「その前にパイ包み要素がまるで見当たらないこの大量のパスタ各位について詳しく」

「パイ包みまだ出来上がってなくて繋ぎにどうぞって食堂のパスタ全種類持たされた」

「繋ぎ感覚でパスタ全種類提供してくれるあたりお前さては食堂のおばちゃんたちに結構好かれてるだろセス」

「この場合好かれてんのはテメェだ食欲無尽蔵。リューリと一緒にランチするならって全種二人分盛られたぞ」

「いつも本当にありがとうございます食堂のおばちゃんたち最高―――――!」


感極まって椅子に座ったまま食堂のおばちゃんたちが陣取っている厨房スペースへと全力で手を振る私である。てきぱきと料理を盛り付けていたカウンター担当のおばちゃんが、眩しい笑顔で親指をぐっと突き出してくれた。頼もしさしか感じない。

と、厨房スペースから颯爽と飛び出してきたおばちゃんが、腹減り学生たちが列をなす待機レーンからよく見える位置に何かお知らせ看板のようなものを置いた。次いで脇に挟んでいたぐるぐる巻きの布をぶわぁさっ! と広げて慣れた動作で非常に手早く厨房カウンター真上の壁にその垂れ幕を下げていく。


「あ? 『イベントランチ臨時開催、王国全域パスタ・フェスタ』―――――すげぇ、食を預かる現場の気合でリューリの気紛れなパスタチョイスが一気に謎の祭りと化した」

「え? セス今なんて言った? というか、まぁ確かに気紛れは気紛れなんだけど、私が今日パスタ食べてることとイベントランチの臨時開催はまったく関係ないと思うぞ?」

「テメェが三日前に『冷めても美味しく食べられるパスタはあるか』って食堂スタッフに相談してなきゃたぶんアレ開催されてねぇよ―――――ついでに言っちまうとリューリが今食おうとしてるそれ、王国史上初の冷製パスタとかいう新境地だからな」

「待ってセスこの最初っから冷たいパスタって元から王国にあった料理じゃないの?」

「時間が経って冷めちまった、ってならまだしも最初からパスタ冷やす習慣はねぇよ」

「しょ、食堂のおばちゃんたち………私が『冷めちゃっても美味しく食べられるパスタがあると個人的にとても助かるんだけどそんな都合の良いパスタあります?』って軽率に聞いたばっかりに………道理で『ちょっと準備に時間ちょうだい』って言われたわけだ………わざわざ新しく作ってくれたんだな、冷めても美味しく食べられる―――――いっそ最初っから冷たいパスタ」


なんたる熱意と向上心と類稀なるプロ根性だろう、素晴らしい料理のプロフェッショナル達の確かな仕事に感動しながら私は思いっきりフォークを回した。食べるのに手間取っているうちにせっかくの料理が冷めてしまっては台無しなので御免被る、とパスタを倦厭していた私にも優しい小麦粉の束で出来た冷たい川がくるりと大きな渦を描く。食堂のおばちゃんたちのご厚意で用意された一皿は、熱など持っていないはずなのにどうしてだかとても温かい気がした。


「そこまでしてパスタ食いたかったのかよ」


そうして立ち戻ったセスの疑問に、私は「うん」と首肯する。ぎこちない手できりきりとフォークを回す度にきぃきぃと鼓膜を引っ掻く嫌な音が鳴ったが、話の腰を折らない配慮かそれとも見逃してくれているのか口を挟まない三白眼に私は真摯な言葉を紡いだ。


「というか、ホントはずっと食べたかったんだ―――――『食べたいけど食べるのめんどくさそう』って選ばないようにしてたやつ、思い返してみるといっぱいあってな。これからはもうそういう理由で『食べない』のは止めることにした」


セスは特に何も言わない。ただ、鋭い双眸だけが探るようにこちらを見ている。理由を催促することはせずただただ耳を傾ける姿勢が、面倒見のいいセスらしかった。

だから、私は勝手に自分から、きちんとその考えに至った諸々を自主的に話そうと思うのだ―――――パイ包みもらうって約束もしたしな。


「この間初めて知ったんだけど、ここ最近の食堂のランチがすごく豪華になったのは一部の親切な学生さんたちがお金を出してくれたからなんだってさ。王国外の辺境から来た“招待学生”に喜んで欲しい、なんて奇特な人たちも居たモンだよな。そのお金で自分の好きなランチをお腹いっぱい食べればいいのに―――――美味しいし嬉しいしありがたいけどご厚意に甘えっぱなしもヤだから私も食堂にお金出したけど、要はそういう人たちのおかげで“いろんな料理”が食べられるんだ。美味しいものや珍しいものが“王国民”じゃない私でも毎日毎日食べられるんだ。恵まれてるにも程がある―――――そんな恵まれた環境に居るのに、『食器の使い方とかマナーとかよく分からんしなんかめんどくさそう』なんて馬鹿みたいな理由で食べてこなかった料理が結構たくさんあったんだ。せっかく品数増やしてくれたのにそんなのもったいないじゃんか。だからこれからは苦手だろうが不器用だろうが頑張って挑むことにした。極端に言えば全部残さず出来る限り食べて帰ることにした」

「最後テメェらしくて笑った」

「どういう意味だこの三白眼」

「把握した」

「よし解決」


ぽんぽん、と遣り取りを締め括るなり私は丁寧にフォークで巻き巻きしていたパスタを眩しい笑顔で持ち上げた。セスの質問に答えたところでお待たせしました実食です。

初めてにしては上出来な部類で我ながらとても上手に巻けた。自画自賛も甚だしいけれど、これはちょっぴり誇っても許されるのではないだろうか。それくらい文句のない巻き取り具合で底の深いお皿の窪みからごっそりとパスタが消え失せる。

気合いと根性と偶然かもしれない奇跡でひとつの塊と化した状態で一本のフォークに支えられていたそれを口に運ぼうとしたその瞬間―――――塊は無情にもするりと解けてお皿の上にべしょっと落ちて、私の心は無になった。


「そんなに私に食べられたくないのか冷製パスタこの野郎」

「一度に欲張って量取り過ぎただけだろ冷静になれ冷静に」

「分かった冷静に直食いする」

「空腹に理性が負けてやがる」


こりゃダメだな、と呟いて、短く息を吐き出した後でセスは素早くどこからともなく一本のバゲットを取り出した。なんで? まじでどっから出したのそれ? 意外過ぎて思わずお皿からのパスタ直食いを中断してしまう私だった。

そんなこちらの心中など知るわけなければ意にも介さず、同じくどこから出したのか分からないパン用のナイフを走らせて、セスはバゲットに真っ直ぐ一本縦向きの切り込みを深々と入れる。片手でフォークを操って私よりもずっと早く自分の前にあったパスタ皿の中身を巻き取り終えた彼は、鮮やかな手際でそれをバゲットの切れ込みに捻じ込んで形を簡単に整えて当たり前じみた自然さでずいっと私に差し出した。


「おらよ、とりあえずこれ食って落ち着け。ただでさえ慣れねぇことしてんのに腹減ってるせいで気が立って余計に上手くいかねぇんだよ。苦手だって今までやらなかっただけでテメェはやれば出来るだろうが。妙に焦って食おうとしなくたってパスタは逃げねぇし冷めねぇよ。そのための冷製パスタだろうが―――――テーブルマナーなんざどうだっていいがせっかくの美味いメシはちゃんと美味ェと思える心の余裕を持って食え。それがいつものテメェだろ、やるって決めたならやり遂げろや白いの」

「セスかっけぇ」

「いいから食え」


いつになく素直な気持ちで褒めたら何やらものすごいしかめっ面でパスタを挟んだバゲットを押し付けられたのだけれど、たぶんこれは照れている。

どうでもいいことだがちょっと離れたテーブル席から解読不明の奇声が聞こえた。およそ人類の身体から出せるとはとても思えないような奇怪な音があちらこちらから迸る。誰かが倒れた、との報告も飛んだ。たぶん倒れたのは女生徒である。確証はないが第六感がもたらす確信的なものはあった。

食事中の私たちとは関係のないところで慌ただしくなっている周囲の騒動には目もくれず眺め続けたセスの顔は、怒っているとも鬱陶しがっているともつかない微妙さのままで固定されている。普段とはまた別ベクトルで不機嫌そうな眉間の皺が不思議とちょっとだけ面白い―――――指摘したら絶対めんどくさいので口に出したりはしないけれど。

なので、お気遣いの三白眼にはお礼だけをさっくり述べて、ありがたくバゲットを受け取った。

先程のセスの発言通り、とても空腹で気が立っていたので遠慮なく端っこから齧る―――――ぱりっと焼けた固めの外皮に対して中身は程良く柔らかい食感の食堂謹製バゲット、そこからじゅわっと染み出したのはガーリックの主張が激しい油。食欲をそそること請け合いの香り高さもさることながら、一拍遅れてやって来た舌を刺激するぴりっとした辛さも良いアクセントだと褒めざるを得ない。この時点でもうだいぶ好きです嫌いな要素が見当たらない。味がしないレベルで辛過ぎるのは流石に苦手なのだけれどもこれくらいの辛味成分はあった方が好ましいので期待値が一気に高まった。

一口目ではパスタ本体まで辿り着けなかったようなので逸る気持ちでもう一度、今度はもっと大きめに力の限り齧り付く―――――あ、これ途中じゃ止まれないやつです。


「オリーブオイルとガーリックとトウガラシがあればとりあえずなんとか作れちまう家庭料理枠の簡単オイルパスタだが案の定テメェ好みだったか」


一心不乱にがふがふとパスタとバゲットを消費しているこちらを観察しながらそんな台詞を呟いたセスだがお前もしかしなくても心の底から親切さんだろ。わざわざ私の好みっぽい味のパスタを食べやすい感じにして渡してくれたの? え。普通に尊敬する。どうもありがとうございます。

そんな気持ちを多分にこめて、しかし食事が最優先なので私は力強く頷くだけに留めた。お察しの通り好みの味です、と肯定しながら食べるのは止めないだって美味しい。

特筆すべきはまず油。ガーリックと香辛料の風味と辛味が定着するまで丁寧に丁寧に火を通してくれたのであろう上質な植物由来の油には臭みもえぐみもしつこさもない。そんな素晴らしい素敵な油がたっぷりとバゲットに染み込んでいる。パスタに絡んでいた量だけでこんなにもバゲットが美味しくなるならその空いたお皿に残ってる油あとでください食べ放題コーナーからパン持って来てひたすら浸しまくって食べるわ。

それはそれとして主役のパスタ、私が頼んだ冷製パスタよりいくらか細目らしい小麦粉の紐は上質な油がしっかり絡んでバゲットのぼそぼそさを中和している。たまに紛れ込んでいる香り付け用とは別に炒ったらしいスライスされたガーリックの旨味に添えられたハーブの独特な苦味、シンプルながらもしっかりと確立された強い味を柔らかく包み込むバゲットの友情出演的ナイスアシスト。つまりはいくらでも食べられるのにあっという間になくなってしまって一気に悲しくなってしまった私だ。


「美味しいものってどうしていつもすぐに無くなっちゃうんだろうな」

「テンション一気に地の底かよ。テメェが爆速で食い尽くすからだろ―――――第二陣、贅沢煮込みソースのパスタ」

「お前が神か」

「断じて違ェ」


アホ抜かせ、と切り捨てながらも贅沢煮込みソースのパスタを白パン(だから何処から出した)にみっちり挟んだ状態でスマートに差し出してくれるお気遣いの化身を褒め称えたい。そんな気持ちを言語化したら本人には真顔で止めろと言われたが何はともあれ厚意は厚意、ありがたく感謝の気持ちを込めつつパスタみっちりもちもち白パンを恭しく受け取ってそのまま食べた。

濃厚なお肉の味がする。ぼろぼろに解された挽肉の食感をまろやかに包む複雑なコクと絡み合うパスタの表面は気のせいかちょっとざらざらしていた。ていうか太い。さっき食べたオイルパスタのそれより明らかに太い、噛み応えが違う。もちもち白パンともっちり太パスタのコラボレーションは満足感が尋常ではない。質量の暴力なにこれ幸せ。血液を煮詰めたような色のソースは一見どろりとしているが、濃縮された数多の旨味がぎゅぎゅっと惜し気もなく詰め込まれ、濃い味ながらもしつこくないというなんとも不思議な調和性。


「美味しかった」

「食うのが早ェ」


笑顔で感想を述べた私にセスのごもっともな一言が飛ぶ。彼自身はまだパスタの一皿も完食出来ていないのに、私はあっさりがふがふと二皿分のパスタを消費していた。生きている速度は同じ筈なのに食事のスピードが違い過ぎてもう足並みもへったくれもないがそれはいつものことである。


「よし、ちょっと心に余裕が出来たところで冷静に冷たいパスタに再挑戦といこう―――――ところでセス、今お前が食べてるやつ美味しそうだな。まだパン持ってる?」

「あ? 冷製パスタとクリームパスタ同時食いする気満々じゃねぇかよこの白いの。パンならまだある」

「信じてた。ありがとう。なんだかんだ言いながらパンにパスタを挟んでくれるお気遣いの三白眼最高か」

「テメェそのフレーズ気に入ってるだろ」

「そう言うお前も案外嫌いじゃないだろ」

「好きか嫌いかってより単純に楽」

「適当に喋っててもなんか通じる」

「それな」

「だよな」


雑談終了。お互い軽く頷き合ってどちらともなく会話を切り上げ、セスから受け取った即席パスタサンドをもぐもぐもぐもぐ食べ進めながら私はフォークをゆっくりと回した。冷たいパスタがそれに巻き込まれていく様をじぃっと眺めつつ、現在進行形で噛み締めているパスタについて思いを馳せる。

まず大前提、当然美味しい。脂身が多い肉の表面が舌に触れた瞬間に感じ取ったのは強めの塩気とがっつり胡椒、燻製物とは一味違う熟れた旨味が私を襲う。しかし下味のしっかりしたお肉の長所を損なうことなく優しく包んで味の対比を浮き彫りにするまろやかクリームソースの優しさに追従するチーズお前は駄目だ。明らかに駄目。美味しくないはずがないのでずるい。細かく刻まれている方もすりおろされている方もどちらも塩気が強くて素敵。

もどかしさしか感じていなかった冷製パスタをのっそり巻き取るこの時間さえもが幸せに感じる。すごい。奥が深いぞパスタ。

と、呑気に料理を堪能する私を珍獣でも観察するような目でぼんやり眺めている三白眼の真隣に、ごくごく自然な滑り込みですっと入って来た誰かが立った。位置関係的に相手の顔など見えない角度のはずなのに、セスの眉間に皺が寄る。

面倒臭ェのが来やがった、と如実に物語るその表情が示しているのは慣れの類でこそあったが、慣れていようが面倒臭いものは面倒臭いに違いない―――――実際、私もめんどくさい。

傍らに立つ人の気配を鮮やかにシカトした状態で黙々とパスタを消費するセスの隣、パンとパスタを噛み締めたままで半眼になった私の前で、なんか知らんけど真っ白い布切れで目頭を押さえた王子様が感極まったように言葉を吐いた。


「新しい知見を得たことにより敢えて自ら慣れないことに挑戦していくハングリー精神、一見甘やかしているようでしかしすべてを肩代わりするでもなく成長を見守っていく姿勢―――――リューリ・ベルもセスも大きくなって涙で前が見えないぞう! 人間的に好ましい方向へよくぞ踏み出したなお前たち! 王子様手放しで褒め称えちゃう!」

「え? 私もセスも大きくなったの? まじで? 自分では気付かなかったけど王子様が謎泣きするくらい劇的な感じで身長伸びた? もう止まったと思ったんだけどなぁ」

「おっと、違うぞうリューリ・ベル。期待を持たせて申し訳ない、今のは私の言い方がちょっぴり“北の民”に優しくなかった! フィジカルではなくメンタル面が成長したなという意味であって残念ながらお前たち二人とも依然として私より背は低いたたたた痛い痛いってばちょっとセスお前無言で王子様の脛蹴りまくるの止めてくんない!?」


えっぐい痣になっちゃうでしょうが! と存在だけで喧しい王子様が悲鳴交じりに訴えているが、脛を蹴りまくられたところでその場を退こうとはしないあたりが友情と言えなくもないのかもしれない。お前に避けるという概念はないのか。

というか、それだけ足蹴にされているのに撤退するという選択肢はないのか。いやまぁ知らんし知りたくないけど。

面倒な気配がしたところでランチは逃げだしたりはしないがランチタイムはごりっと減る、という現実をよく知っている私はひとまず大きく口を開けてパスタとパンが一緒になったお気遣いの三白眼の優しさの残り全部を押し込んだ。空いた方の手で冷製パスタのお皿をしっかりとキープしつつ、もぐもぐ口を動かしながらパスタを巻き取るフォークを操る。

面倒な幼馴染をシカトする作戦をどうやら率先して投げ捨てたらしいセスは、物騒としか例えようのない険悪極まる眼差しを真横の馬鹿へと突き刺して座ったままでげしげしと王子様の脛を蹴り続けていた。


「あれ? もしかしなくてもこれ本気の蹴りだな? 子供の頃はさておき成長期に思った程身長伸びなくてここ数年高さで私に負けっぱなしだからってこの話題になる度に物理に訴えるのいい加減にしない? しょうがないでしょこればっかりは個人差的な何かが大きいんだから!」

「うるっせぇなこのクソ王子、毎度毎度分かっていながらぽろっと口に出しやがるその馬鹿さ加減には慣れちゃあいるが、婚約者と幼馴染と周囲一帯その他諸々散々振り回しながら能天気にのびのび育ちやがってリアクションもパフォーマンスも声も態度も身長もいちいちでけぇンだよ縮め! 見下ろすな! クッソ腹立つ!!!!!」

「いやそっち座っててこっち立ってるから見下ろす構図になっちゃうのは当たり前なのに何そのガチギレ!? 身長ネタになるといつにも増して沸点低いな相変わらず! まぁでもお前とフローレンが昔っから頑張ってくれてたおかげでのびのび育った自覚はあるのでそこは素直にありがとう! おかげさまで“王子様”らしく学園でも屈指の高身長です!」


えへん、と朗らかに胸を張る王子様は実のところ確かに背が高い。王族としての風格だとか持って生まれた気質だとかで実際よりも大きく見える、とかいう錯覚の話ではなく単純に背が高いのだ。ついでに言えば頭も高いが事実としてこんな馬鹿げたノリでも“王子様”には違いないのでそれはしょうがないのかもしれない。イラッとしたらしいセスの額に一瞬で青筋が浮いたのが見えた。

ふーっ、と深呼吸よろしく肺の中の空気を吐き出して、手にしたフォークをひん曲げそうな勢いで握り締めつつ必死に自制を試みている三白眼は普通に偉いと思う。あ、冷製パスタ綺麗に巻き取れた。やったね。


「セス、セス。なんか出来た。これなら一口でいけそうじゃない?」

「見せんでいいからさっさと食え。また落っことしても知らねぇぞ」


ごもっとも、と納得したので一口大に巻き取った冷製パスタを口へと運ぶ。ほんの少しだけ温くなった小麦粉の紐の表面をさらさらとしたオイルが滑り、冷えたトマトの酸っぱさと絶妙な塩加減の生ハムが後に続いて胃に消えた。冷えていることこそが完成形であるのだと緻密に計算され尽くした味は、パスタを食べるのに慣れていない辺境民の私にもありとあらゆる意味で優しい。


「ひんやりパスタおいしい」


食べるのはだいぶ面倒だけど、と心の中で呟きながらも次の一口分をフォークで巻く程度には感動している自分が居る。真正面でそれを見ていたセスは「そうかよ」と雑な相槌を打つだけでいつも通りの様子だったが、王子様と周りのギャラリー各位は何故だか穏やかな笑みを浮かべていた。もっこもこの毛皮を持つ小さな犬たちが雪の上でぴょんぴょん跳ねながら走り回ってじゃれているところを目撃した宿屋のチビちゃんの表情にちょっと似ている気がしないでもないが、衛生管理の行き届いた食堂の中に犬など居ないので気のせいだろう。そういうことにしておきたい。

冷製パスタをのんびりと食む私の呆れなど分かるはずもない王子様が、やけに晴れやかな笑顔で自らの幼馴染を見下ろした。


「いやぁ、心がほっこりした。フローレンがこの場に居たなら流石のあいつもにっこり笑ってお前たちにデザートのひとつでも奢ってやったに違いないぞう―――――まぁご覧の通り居ないんだけどな今日も今日とて忙しいっぽくて王子様なのに放置されてる私可哀想じゃない? 婚約者なのに扱いが雑でそろそろ飴のひとつも欲しいがそんなこと言える立場じゃないので今日も元気にイエスマン。と、いうわけでハイ本題です! 私たちもランチに混ーぜーて!!!」

「ガキみてぇなノリで言ってんじゃねぇよこのアルティメットクソポジティブ」

「どうしたセス、究極レベルに前向きだなんてそんなに褒められたら照れちゃうぞう?」

「テメェのメンタル強度に関しては割とマジで究極レベルに異常だと思うぞレオニール」

「下手に辛辣な罵倒より心にグサッと突き刺さる突然の真顔とガチトーンは止めて!? というか、ぶっちゃけ打たれ弱いよりめげないしょげないへこたれないポジティブシンキングゴーイングマイウェイの方が生きていく分には楽じゃない? 絶対その方が楽しいし」

「王族の吐く台詞じゃねぇしテメェ今のそれもう一回フローレンの前で言ってみろ」

「すごい遠回しに死ねって言われた!?」

「よく分かってんじゃねぇかレオニール」

「いやなんで今ので通じたんだよっていうか王子様お前シンプルにフローレンさんに失礼だな?」

「はいはいはいはいお前ら二人して『絶対フローレンにチクってやろう』みたいな顔で頷き合うのは止めましょうねそういうところで息ピッタリに意思疎通するのはお控えください私の心臓に悪いんで! もとい! 話進めていい!?」

「嫌だよ」

「失せろ」


パスタを飲み込んだタイミングで流れるように拒否を示した私とセスの返答を受けて、精神面での強靭さが尋常ではない王子様は慌てず騒がずきらきら眩しい慈愛に満ちた微笑みをひとつ。

楽しそうに声を弾ませて、謳うように宣った。


「王族権限フル活用とフローレンの口添えによって実現した食堂謹製奇跡の一皿、山の幸をふんだんに詰め込んだまろやかクリームパイシチュー。食べたい人ー?」

「は? 食うに決まってんだろさっさと座れクソ王子」

「そういうことは最初に言えよ段取りが悪いぞ王子様」

「はっはっは。なんだろう、狙い通りに事無きを得たのなんか腑に落ちない気分!」


そんな台詞をこぼしつつ、最終的には「まぁいっか!」でぶん投げて着席しちゃうあたりがこの王子様がどうしようもないトップオブ馬鹿たる所以である。

ところで今回の王子様はハンズフリーというか完璧な手ぶらだった。以前チャレンジメニューことスターゲイジー・パイを攻略中の私とセスに同じ理由で突撃してきた際は、確か自分の分を買い求めた上で勝手に混ざって来たような―――――ん? なんか急にセスの顔が険しくなったけど何だよどうした。

物凄まじく嫌そうに整った顔を顰めつつ、三白眼が低く呻く。


「おい、待て。レオニール。テメェさっき『私たち』もランチに混ぜろとか言ってたな―――――私たち、ってのは、テメェと、誰だ」

「おっと、あの場はノリで誤魔化せたようだが流石に気付くのが早いな、セス。まぁもう席に着いてしまったから後悔しようが逃げられないし、これに関してはフローレンからも頼まれているので諦めてくれ―――――ああもう、ほらほら。真面目に待機を続けるのはいいが話の流れには乗れるようになろうな。タイミング的に出るなら今だぞう?」

「………え、今もう出ちゃっていいんですか? 本当? なんかセスいつにも増してすげぇ険しい顔してっけど………じゃない、してますけど………殿下がそうおっしゃるなら」


失礼します、よっこいしょ。

みたなノリで、人間が増えた。にゅっ、と出て来たと言い換えてもいい。

王子様の斜め後ろから不意に出て来たその男子は、王子様よりも背が高かった。なのにどうして今の今まで視界に入らなかったのかといえば、単純にこちらの視界に入らないところで大人しくしていただけらしい。

待機、との言葉通りに登場のタイミングを待っていたらしい彼の顔には覚えがあったので軽めに記憶を遡る。考えながら喋っているようにゆっくりとした速度で言葉を紡ぎ始めた声にはなんとなく聞き覚えがあった。


「ご歓談中のところお邪魔しま………あれ? んん? 失礼します? その節はご迷惑をおかけして本当にごめんなさいでした。俺の勘違いで騒いで絡んでセスたちには悪いことしちゃったから、今度はちゃんと話し掛けられそうな雰囲気になるまで待ってようと思ったんだけど………ってうわセス顔怖フツーに怖ッ! ここまで殺意に溢れてるお前模擬試合でも見たことないよ!? 殿下これ今本当に俺が出て来て大丈夫でした!?」

「ああクソ五月蠅ェ黙れテメェ、大丈夫なワケねぇだろうが―――――我関せずで笑ってる場合かふざけんじゃねぇぞこのクソ王子、テメェとメチェナーテの組み合わせなんざ馬鹿の二乗過ぎて俺の手に負えるか!!」

「はっはっは。セスは大袈裟だなぁ。そんなに慌てて血相変えなくてもランチを一緒するだけだぞう? リューリ・ベルの面倒を恙無く見ているお前なんだからそんなに心配しなくたって上手いこと捌けるだろうから大丈夫、全力でお気遣いの三白眼しちゃって!」

「そうそう、言葉は荒いし言い方キツイし態度悪いし顔怖いけどセスが良いヤツだってのは俺もちゃんと知ってるから! そんなに謙遜しなくてもお前はすごいぞ、セスなら出来る、自信持ってこ! と、いうわけでどうか一緒にランチしてくださいお願いします!!!」

「この時点でもう捌き切れる気がまったくしねぇっつってんだろうが察せやクソボケ馬鹿コンボ!」

「うーん、どうせクソって罵倒されるならさっきのアルティメットクソポジティブの方が個人的には好みだったなぁ」

「あ、それ俺もちょっと分かります殿下。なんか語呂良くて言い易いですよね、アルティメットクソポジティブ」

「お。気が合うなメチェナーテ候子。語感に対するセンスというのは磨いておいて損はない。ただの直感でも構わないからそういうのは大切にしていこうな」

「はい、殿下! ためになります!!!」

「はい、じゃねぇよなんだテメェら馬鹿の国から送り出された人型ストレス製造機か? 喋っててもイラッとしねぇだけリューリの方がまだマシだ、こんなダブル馬鹿の面倒なんざいくらなんでも見切れるか、クリームパイシチューは絶対ェ食うけど上背のある野郎共が仲良しゴッコで一緒にランチとか絵面的に鬱陶しいからせめて頭痛がするその口閉じて黙々とひたすらにメシだけ食ってろ―――――それとテメェはいい加減席に座れやメチェナーテ。レオニール以上の高さから見下ろされながら馬鹿発言されると窓から投げ捨てたくなるレベルでムカつく」

「わぁい、なんだかんだボロクソ言いながらクリームパイシチューを提供する分にはランチ同席許してくれるセスってやっぱり良いヤツですね殿下!!!」

「うん、罵詈雑言がデフォルトの尖ったナイフみたいな切れ味のくせにそういうところは律儀だからな! というかセスは昔っからパイ料理が絡んだ途端に諸々の判定が甘くなるので気難し屋さんなイメージを裏切って存外素直な単細胞だぞう! 人は見掛けによらないと覚えておくがいいさメチェナーテ候子!」

「黙ってメシだけ食ってろっつったろがちゃがちゃがちゃがちゃ五月ッ蠅ェなァ余計なことばっか言ってんじゃねぇランチする気がねぇなら失せろ、それともテメェら二人仲良く窓から投げ捨てられてぇか!!!」


いつも以上のキレっぷりで力の限りに吠えるセスには概ね同意しか出来ない。だって言われた側の馬鹿二人、どっちも全然堪えてない顔で「えー」とか「ひどーい」とか言ってるもんな。これは当事者の三白眼じゃなくてもクッソうぜぇとしか言えないレベル。王子様にしろ連れの男子にしろメンタル強度どうなってるんだ?

ちなみにセスが良いやつだ、という件に関して異論はないけど今のところ野郎三人だけでぎゃいぎゃい完結しているっぽいので私からはノーコメントですそんなことよりパスタを食べる。だって冷製パスタ以外は普通のあったかいパスタだからな。刻一刻と冷めてくんだよ。時間との勝負なんだよわかれよ王子様お前がセスを怒らせてるとパスタ取り分けてもらえないじゃん効率めちゃくちゃ落ちるじゃん。フォークとパスタと和解したとはいえまだまだスムーズとは言えない食事スピードなのでセスのアシストがあるのと無いのとじゃパスタ消化率が段違いなのだ。

あれ? そう考えたら我関せずを貫いてる場合じゃない感じ?

と、思い始めた私の心を読んだか或いは偶然か、おそらくは後者だろうけれども王子様がぱんぱんぱん、と手を打ち鳴らした。


「と、まぁじゃれるのはこのくらいにして真面目な話をするとしよう―――――メチェナーテ候子、まず座れ。そろそろきちんとランチにしよう」


まるで何かの合図のように、無理やり流れを変えるように、能天気な馬鹿は快活に笑う。有無を言わせない切り替えっぷりに面食らったらしい連れの男子は、それでも促されるままにぱたぱたと慌ただしく空いている席に座った。四人掛けの丸テーブルがこれにて無事に全席埋まる。

正面にセス。右手に王子様。左手側には見覚えのある誰かさんという位置取りで、さっきまでの賑やかなノリが嘘のような落ち着きようで、アルティメットクソポジティブが切り出した。


「さて、今回私とメチェナーテ候子がお前たちと一緒にランチタイムを過ごしたい、というのは何もさみしんぼさん的な理由ではないんだ。案外深刻で割と切実な理由というものがあったりする―――――んだけれどもその前に、するべき確認をしておこう。はい、パスタ食べてるリューリ・ベル、別にそのまま食べてていいから視線を左側に向けてみような。そう、お前の左隣です。そこに座ってる男子生徒の顔と名前に覚えがあったりとかしない?」

「うーん。たぶん見たことあるなぁ、程度? 名前は聞いたことある気もするけど思い出せない。誰だっけ?」

「知らん、の一言で片付けられなかっただけ大変結構これは助かる! よーしそれじゃあ人間の顔だの名前だのは一旦その辺にポイしちゃっていいから前に食べてたスターゲイジー・パイと剣術大会参加者専用食のランチボックス思い出そうか!」

「は? なんでいきなりスターゲイジー・パ………あ? あー。居たなお前。そういやなんか勘違いで突撃して来たフローレンさんが付いてない王子様こと馬鹿二号。剣術大会でも見たことあったわ。思い出した。ティトとかいうやつ」

「おおっとこれは嬉しい誤算もとい素晴らしい進歩、基本人の顔を覚えないリューリ・ベルが存在どころか相手の名前まできちんと忘れずに憶えてた―――――ッ!!!!!」


えらぁぁぁぁい! と陽気な王子様の大音声を皮切りに何故か爆発する拍手。

ホントだ偉い、とってもすごい、なんたる快挙かとお祭り騒ぎで楽しそうにきゃっきゃしているギャラリー各位から取り残されていくかたちで私の心が無になった。対面席のセスを見る限り同じように無の境地っぽい。

視界の端っこできょとんとしているティト―――うろ覚えでしかなかったが名前はこれで合っているらしい―――はどこまでも不思議そうにきょとんとしていて、絵面に関しては本当に混沌の様相を呈している。割といつも通りな気がした。


「ああ、なんだか白い人の反応が鈍いなぁとは思ってたけど、今の今まで単純に忘れられてただけだったんだな。そういうことなら改めまして―――――その節は勘違いでご迷惑をおかけしてごめんなさいでした、白い人」

「いいよ別に。あの場できちんと謝ってもらったからもう終わったと思って普通に忘れてたくらいだし………そういやお前、初めて会ったときからずっと私のこと『白い人』って呼ぶよな。なんで? 一応名乗るけどリューリ・ベルだぞ」

「知ってる。白い人めっちゃ有名だもん。逆に名前知らない方がおかしいってレベルなんだけど、それに関しては諸々の事情で『白い人』呼びで通した方が貴方にとっては良いでしょう、ってアドバイスもらったから出来ればこのままでお願いしたい。です!」

「いやなんだそれどういう事情?」


普通に意味が分からんのだが? という気持ちを全面に押し出した顔でパスタを頬張る私の耳朶を、呑気な王子様の声が打つ。


「ちなみにそのアドバイスを授けた張本人というのはフローレンなんだが、リューリ・ベルこれ以上の説明要る?」

「フローレンさんが関わってるなら何か理由があるんだな。じゃぁいいや。説明要らない」

「はっはっは、超分かる! うちの婚約者優秀過ぎて説明不要の信頼感あるよね!!!」

「お前自分があの人相手に婚約破棄騒動起こしたって事実忘れてやしないか王子様」

「忘れてはいないが受け止めた上で開き直って生きてるぞう」

「最低じゃねぇかクソ王子」

「ホントにクソだな王子様」

「ちょっとお兄ちゃんいい加減口癖感覚でクソって言うのは控えなさいってあれほど口酸っぱくして言ったでしょ!? ほらもうナチュラルにリューリ・ベルが真似しちゃってるじゃんどうするんだセス、フローレンに怒られても私は知らんぷりするからな!!!」

「脱線してんぞ。レオニール」

「おっといけない、つい癖で」


切り替え切り替え、と一呼吸挟んだ王子様の目の前に、水がなみなみと注がれたコップがすぅっと押し出された。会話に混ざって来なかったティトがいつの間にか用意したものらしく、誰に頼まれたわけでもないのに空いた皿をひとまとめにして他の料理を取りやすい位置に並べ替えているあたり案外気の利く性質なのかもしれない。


「説明は殿下がした方がスムーズに進むと思うんで、すいませんがよろしくお願いします―――――待ってるだけなのもアレなんで、俺は皿とか片付けるついでにクリームパイシチューの仕上がりがいつになるか聞いてきますね」

「助かる。頼んだぞう、メチェナーテ候子」

「気が利くじゃねぇか。カウンター行くならついでに創作パスタのパイ包みがどうなってるかの確認も頼む。出来てたらそのまま持って来い。あと手が空いてたら適当にパスタ挟めそうなパン追加」

「普通に頼んでるだけなんだろうけどセスが言うとなんかあれに聞こえるな。パセリ?」

「絶対ェ言うと思ったわ予想を裏切らねぇな白いの。使いっ走りの略でパシリが正しい」

「ちなみにパセリは食用の草なのでちゃんと分けて覚えておこうなー」

「わぁ、セスも殿下も慣れてる感がすご―――――はよ行け、って目でセスが睨んでくるのでお喋りは止めて行ってきまーす」


王子様にも似たマイペースさに爽やかな笑顔を貼り付けて、ティトなる男子はからっぽの皿を数枚重ねて持って行く。

いつもの、というのも微妙な気分ではあるけれど、王子様とセスと私だけになったテーブル席で最初に口火を切ったのはやっぱり王子様だった。


「はい、というわけで本題です。予想以上にぐだぐだしたのでもう結論からまず言おう。ぶっちゃけ私とお前たちがメチェナーテ候子と一緒に食事を摂る理由というのは唯一つ―――――お花畑対策です」

「レオニール。テメェどの口でそれ言った?」

「見ての通りこの口だが? ていうかセス、お前の言いたいことはまぁ私にも分かるんだけれどもとりあえず話が進まないから説明だけぱぱっとさせてくんない?」

「チッ。しょうがねぇ、パイが来る前に説明しきれよ」

「よし、意見は一致したな。リューリ・ベルに至ってはパスタを黙々ともぐもぐしているが話は聞いているだろうから問題ないということではい続き―――――なにがどう『お花畑対策』かというと、話はお前らもよく知っているエッケルト候子アインハードの自主退学にまで遡る」


誰だっけ、と言い掛けて、二度に亘って食べ物を台無しにした馬鹿だと気付いた瞬間私の眉間に皺が寄った。すかさずセスが差し出してきた新しいパスタ皿を抱え込み、食べ切ってしまった冷製パスタのお皿は脇へと退けておく。食べるのに手間取ること請け合いなので口を挟むのは諦めた。


「セスには言うまでもないだろうが、リューリ・ベルのために補足するならあのエッケルト候子は所謂“優良物件”だった。軟派な性格はともかくとして見目麗しい容姿を持ち、加えて由緒ある侯爵家の血筋。剣術科では二位止まりだったが成績と実力は申し分なく、そして何よりフリーだった。実際、早いうちから結婚相手を決めることが多いこの“王国”の貴族社会で未だ婚約者の居ない根っからの高位貴族子弟などあいつくらいのものだったろうさ。玉の輿を夢見る相手の居ない女性陣にとってはまさに狙い目、幸運の星。今よりもっと良い暮らしを手に入れられるかもしれない千載一遇の好機―――――そんな男が、突然に、“学園”から消えたらどうなると思う?」


面白がるような口振りで、事実面白がっているらしい王子様が手近なパスタ皿へと突っ込んだフォークの先端が大きな肉の塊を拾う。私とセスが文句を言う前にそれをぺろりと平らげて、厚切りベーコン美味しいなぁ、と軽いノリで嘯いた彼はにんまりと笑って答えを述べた。


「まぁ、答えは簡単だ―――――単純に、次を探す。居ない者など当てにしたところで意味など無いし時間の無駄だと彼女たちは知っているからな。ここまで言えばもう分かるだろう? 俗っぽく言ってしまえば『婚約者にしたい殿方ランキング』の暫定一位に躍り出たのが、かのメチェナーテ候子というわけだ」


憐れなことに、との同情を軽薄な声音で口にして、王子様はもぐもぐと勝手に私たちのパスタを食べている。

いや、おい、ふざけるな。なにしてやがんだこの馬鹿王子。

張り倒そうかと思ったが、テーブル上に並ぶパスタの所有権を持っているセスが何も文句を言わないのでとりあえず黙っていることにする。命拾いしたな王子様。


「なるほどなァ。元平民のなりたてだろうが、確かにあいつは正式な手続きを受けてメチェナーテ侯家の養子になったこの“学園”の“編入生”だ。最近ぽっと出で突然貴族になったからルールもマナーもなっちゃいねぇが当然婚約者なんてモンも居ねぇ………が、自主退学扱いで実家に戻されたエッケルトのアホと違ってメチェナーテは跡取りでもなんでもねぇだろ。従属爵位が望めるにしろ何処までいってもただの養子だ。あいつ自身それは承知の上だし大それた野心なんてモンもねぇ。笑っちまうくらい素直に馬鹿だ。裏表のねぇ、ただの馬鹿だ―――――どうしようもない類の馬鹿でも夢見る花畑の馬鹿じゃねぇ。それが、なんで、肉食女子の獲物暫定一位なんてめんどくせぇモンに祭り上げられてんだよ」


パスタを食べる傍らで、セスの眼光が鈍く光る。王子様は平然と、それを受け止めてさらっと言った。


「うん。ぶっちゃけだいたい私とセスとリューリ・ベルのせいだろうな」

「聞き捨てならねぇ」

「どういう意味だよ」

「フォーク握り締めた剣術科主席とガチ狩猟民から左右同時に凄まれるの控えめに申し上げて恐怖でしかない、私じゃなかったら絶対泣いてる! それはさておきさっきの発言に嘘偽りや誇張はないぞう。割と真面目に私たちのせいだ―――本来なら有望株ぶっちぎりナンバーワンの筈のセスは取り付く島が無さ過ぎて論外、ありとあらゆる恋愛小説的ご都合主義を期待しようにも何故か高確率で騒動に巻き込まれるリューリ・ベルが理由はどうあれ片っ端から斬り捨て蹴散らし叩きのめすから成功率などゼロに等しく、何より王族である私がやらかした婚約破棄未遂騒動なんてものを万が一にも再現してしまったらラスボスことフローレンの不興を買うのは火を見るよりも明らかなのでそれ系統は避ける方向で―――という消去法の結果、大多数の女子生徒がメチェナーテ候子に狙いを定めた。婚約者の居ないフリーの身ながら容姿も人柄も悪くない上に養子とはいえ侯爵家だからな。今まではアインハード・エッケルトの陰に隠れていたんだが、むしろ『元平民でも愛嬌があって誠実で素直でなんか可愛らしい感じがするから女癖の悪かったアインハード様よりも結婚相手としては上じゃない?』と人気が一気に爆発した。つまりは私たちのせいです」


どのへんが「つまり」なのか全然分からん。ていうかツッコミどころが多い。そもそも情報量が多い。傾聴していたらしいギャラリー各位は納得顔で頷いていたが私は何一つ納得出来ない。

それを口に出して言うよりも、セスが喋る方が早かった。


「俺がその手合い相手にしねぇのは今に始まった話じゃねぇしリューリに関しちゃ単純に食事の邪魔されて迎撃しただけの不可抗力だろふざけんな」

「うん、事実としてはその通り。だけどなぁ、セス。理由はどうあれ経緯はどうあれ結果としてそうなったんだ。そこは覆しようがない。元平民出のメチェナーテ候子、ティトはたったの数日そこらで結婚相手を探し求める押しが強めのレディたちに囲まれ誘われ構われまくって相当困り果てていた。事ある毎に付き纏われて追い掛け回され食事もとれずまったく気の休まる暇がない、傍目に見ても可哀想なくらい羨ましくない被捕食者の日常―――――それこそ見兼ねた友人各位や同じ剣術科のザックあたりがお花畑案件として私やフローレンを頼るレベルとかもうシンプルにヤバくない?」

「え。あいつ食事もとれないくらい追い回されてんの? それはやばい」

「メシが食えるか食えないかでヤバさを判断してんじゃねぇぞリューリ」

「何言ってるんだセス。人生でそれ以上に重要視することなんかないぞ」

「そういやテメェはそういうヤツだったわこれに関しては俺が悪かった」

「気にするなセス。プリンでいいぞ」

「ちゃっかりデザート要求すんなや」


渋い顔でばっさり切り捨ててくるセスだがたぶん後で奢ってくれる。顔は怖いが良いやつだ、と経験則で知っている私は、だから敢えて何も言わずに小さく肩を竦めておいた。

王子様がぱんぱん、と短く手と手を打ち鳴らす。


「はいはいじゃれるな子供たち、話を先に進めるぞう―――――なにはともあれ、取って食う気満々で迫ってくる女性陣のあしらい方なんて分かる筈もなく困惑のままに押しまくられているメチェナーテ候子には流石のフローレンも同情気味でなぁ………可及的速やかに取れる効果的かつ合理的な最良の対抗手段として、私とセスとリューリ・ベルの側に居ればまぁ大体は夢から覚めるだろうという結論に至ったが故の『一緒にランチしよう』なわけだ。我々が同席することにより単純に近付き難くする作戦―――特に“リューリ・ベル”が同席する空間でそんな愚行に走る者などそろそろ居ないと信じたい―――以上で説明は終了です。はい、ここまでで何か質問は?」

「文句なら掃いて捨てる程ある」

「だろうな! でも質問しか受け付けない! 文句は後でフローレンに言って!」

「この馬鹿発言がシンプルにクソ」


文句はあとでフローレン嬢に、って力の限りに言い切ってしまう王子様に対するセスのコメントが的確過ぎて思わず同意の意で頷く。

いつの間にか慣れてきたパスタの巻き取りをこなしつつ、そこでとある可能性に気付いて私は一人で首を傾げた。あれ? ちょっと待て王子様。


「なぁ王子様。質問いいか?」

「うん? なんだ? リューリ・ベル、質問なら大歓迎だぞう」


文句の類はともかくとして質問であれば大歓迎、というのはどうやら嘘ではないらしい。ひょいひょいとパスタを優雅に消費しつつ笑顔で促す王子様に、浮かんだ疑問を投げ付ける。


「あのティトってやつ、お花畑対策とやらで私たちと一緒に居ないと食事も碌にとれないくらい追い回されてるって話ならさ―――――短時間とはいえ今みたく一人で行動させちゃ駄目なんじゃないのか?」

「はっはっはっはっはっはっは。いやぁ、いくらなんでもこの短時間でそんなお約束あるわけな」


かちゃーん! と澄んだ音がして、それは食堂の喧騒にあっという間に紛れて消えた。けれども次に聞こえた声は耳鳴りのように響いて残る。


「ちょっと、あたしたちが先に誘ってたんですよ!? お上品な貴族のお嬢様方に囲まれたんじゃティト様だって気疲れしちゃう! ランチどころじゃないですよ!!!」

「まあ、なんてはしたない! 場を弁えず公衆の面前で恥もなくきゃあきゃあ喚くなど………ここでは落ち着けませんわねぇ。さぁさ、メチェナーテ様。平民らしく元気のよろしいお嬢さん方など放っておいて、どうぞこちらにおいでください。お席のご用意がありますの」

「あーやだやだ、パッとしない貧乏伯爵家のお嬢様がお高くとまっちゃって感じ悪ぅい」

「まぁ! たかが地方領主の芋娘風情が、品のない成金一族の者らしく調子にのって可愛らしいこと。爵位を戴く貴族として振舞わねばならない私たちとはまったく異なるその軽やかさには本当に憧れてしまいますわぁ」

「うふふ、憧れるだなんて! そんなこと言わないでくださいよぅ、パラッシュ伯爵家のローズマリー様だってそのうち成金のあたし以上に軽やかな身になれるじゃないですか―――――地位もお金もプライドも無くなっちゃえばきっととぉぉっても身軽ですよぉ」

「おほほほほほほほ。あぁら、失礼。ほんの冗談でしたのに、所詮はお金があるだけで教養の持ち合わせがない平民の貴女には分からないジョークでしたわね、ソニア・ドラード」

「まぁ、そんなぁ、うふふふう」

「あらあら、まぁ、おほほほほ」


神経の表層を引っ掻くような二重奏が食堂の中を駆けていく。女狐と女豹のガチバトルを特等席で強制観覧したことのある私にとっては大した衝撃でもなかったが、渦中のティトにはそうでもないらしく見ていて憐れな程狼狽えていた。そこそこの距離を隔てていても背が高いので視認しやすい彼は、私たちの待つテーブルへと戻る途中で捕まったらしく数人の女子に囲まれて所在無さげに立っている。


「まさかこんなにも早くお約束フラグを回収してみせるとは、メチェナーテ候子のポテンシャルを侮っていたと言わざるを得ないな―――――ティトめ、磨けばだいぶ光るぞ」

「アホなことほざいてないでさっさと助けにでも行けやこのエンターテイナー気取り王子」

「安心しろセス、こんなこともあろうかとティトには秘策を授けておいた。一度くらいならそれで切り抜けてここまで辿り着けるだろう」


私たちの出番はその後だ、と王子様は嘯いて、腹ごしらえだと言わんばかりにパスタを一皿平らげる。二人分はあった筈なのにぺろっと完食するあたりが見た目によらなくて驚いたが、私が味見をする前に食べ切った件は許さないので後で追及しようと思った。

しかし、秘策とは何なのか。王子様がやけに自信たっぷりなのが気になったらしいのはセスも同じか、とりあえず三人でまったりとパスタをもぐもぐ食べながら遠くの騒動を見守るにとどめる。

ちなみにこれは余談だが、周りランチをしていたギャラリー各位が連携してテーブルを動かし始めたことにより私たちの周囲一帯にはちょっとした空間が出来ていた。なんならティトが囲まれている地点からこちらへと一直線に続く通路にも広々と余裕を持たせてくれたのでもはや何かの舞台である。

そうしていろいろ整った場で、意を決したらしい素直な馬鹿は唐突にがばっと顔を上げた。おろおろとしていた表情から一変、愛嬌を残しながらも精悍な顔付きに群がっていた女生徒各位がほうっと見惚れて息を吐く。その瞬間を逃さずに―――――彼は食堂の出入り口に向けて思いっきり勢い良く頭を下げた。体育会系を彷彿とさせる、元気一杯な口上とともに。


「あっ! フローレン様だ! お疲れ様で―――――す!!!!」

「………えっ!?」

「レ、レディ・フローレンッ!?」


どよめく女生徒たちの反応はさておき、私の位置からは見えている―――――実際食堂の出入り口に、フローレン嬢の姿などない。

けれどティトがあまりにも堂々と挨拶などしたものだから、釣られた女生徒たちは彼から離れて慌てて同じ方向へと淑女の礼を取っていた。揃って顔を俯けているのは目を合わせたらまずいとの自覚があるからこそだろう、そのせいで誰もフローレン嬢の来訪が真っ赤な嘘だとは気付かない―――――ティトはその隙を逃すことなく、緩んだ包囲網を器用に潜ってこちらのテーブルへと駆けて来た。物凄まじいスピードで、切羽詰まった全力ダッシュで、しかし息は乱すことなく表情は晴れやかそのもので。


「なんか上手く行きました殿下ー!」

「あっはっはっはっはっはっは!!!」

「クッッッッッッソ」


素直に全身全霊で喜びを表明する馬鹿二号、憚ることなく爆笑している愉快そうな王子様に、ツボったらしくテーブルに突っ伏してぷるぷる笑いを堪えている三白眼という地獄みたいな絵面の中で一人パスタを頬張る私。

なにこれ、という気分に浸って飲み込んだのは魚介のトマトクリーム。海と大地の素晴らしい恵みが手を取り合って仲良くしている一品をいただきながら王子様とセスとティトが楽しそうにしている姿を眺める、という現実にちょっとだけ気が遠くなったがしかし聴覚は正常だった。


「申し訳ございませんレディ・フローレン、すぐに道をお譲りし………? え、待って、あの方どちらにいらっしゃるの? メチェナーテ様?」

「フローレン様なんて何処にも居ないじゃないですかティトさ………あーっ! 気付いたらティト様も居ない!? なんでよ―――――!?」


キィィィィィィィ!!!!! みたいな甲高い奇声が右から左に抜けていく。馬鹿二号のぶちかましたハッタリに引っ掛かって出し抜かれたと気付かれたらしい女生徒たちが次に取った行動は、当然ながら探索だった。ぎらぎら輝く肉食獣の目を素早く周囲に走らせて、そう間も置かずに再度捕捉した獲物へ我先に、と駆けて行く。

あまりの圧にびびったらしいティトがひぇっと情けない声をこぼしたが、ドン引かれているという事実など知ったことかみたいな押しの強さであっという間に囲まれていた。

セスのリクエストを叶えるかたちでちゃんと持って来てくれたらしい創作パスタのパイ包みと思しき料理(二人分入っているのか容器がでかい)をテーブルに置く暇もない―――――っておいこらお前料理を持ったまま全力ダッシュなんてするんじゃねぇよ転んでそれをぶち撒けた瞬間窓の外に投げ捨ててお前の中身をぶち撒けるぞ。セスが。

待望の好物が目の前にあるのに女生徒たちの壁が邪魔をしている現実に苛立ったらしい三白眼があからさまな態度で舌を打ったが、先程は不覚をとったものの今度こそ逃してなるものか、と視線を彼に固定している肉食女子のお嬢さん方はこのテーブルに集っている面子が誰であるかにすら気付いていない。致命的にも程がある。

そうして始まるアプローチ合戦に、王子様はやれやれと緩やかに頭を振っていた。


「まぁ、メチェナーテ様。お一人で先に行ってしまうだなんて………つれないお方ですこと」

「そうですよぉ。ていうか、ティト様はどっちを選ぶんですか!? こんな嫌味なお嬢様たちじゃなくてあたしたちとランチしてくれますよね? 親しみやすくて話しやすい、って前に言ってくれましたもんね? 侯爵様の養子になったって人の価値観はすぐ変えられないんだから平民のあたしたちと一緒に過ごした方がティト様だって楽ですよねぇ!?」

「貴族に成り立てで不慣れなことばかりだけど、親切にしてくれてありがとう。いろいろ気に掛けてくれてとても助かる―――――とお褒めに与った私たちがそんな社交辞令に負けるとでも? 物語の主人公のような体験を経て“学園”に編入してきたメチェナーテ様に貴女方が憧れるのは分かりますけれど、それを理由にいつまでも付き纏ってはご迷惑というものですわ。そろそろ弁えては如何? ねぇ、そう思いますでしょう? メチェナーテ様」


想像以上の押しの強さでライバルを排除しようとしつつ獲物にぐいぐい迫るその姿勢はまさに肉食獣が如し。貴族令嬢グループとそうではない女子グループの代表格らしい二人は特に熱が入っている様子で、まずは己のグループにティトを誘い込むことが肝要であると激しい火花が散っていた。

前回といい今回といい、女の子たちの戦いというものは碌なモンじゃないなぁと思う。主に周囲一帯と巻き込まれる側の人間の精神衛生的な意味で。


「いや、あの。俺は別に約束があるから………ええと、昼食を一緒にする相手が既に決まっている、ますので、こちらのことはどうかお構いなく。です」


なにやらたどたどしい口振りで、必死に気を遣っているらしい言い回しでお断りの文言を紡いだティトに、彼の周囲を取り囲んでいたお嬢さん方の目がぎらっと光る。狩人を彷彿とさせる目付きだが生粋の“狩猟の民”である私から言わせてもらえばまったくなっていなかった―――――狩場の状況も獲物の習性も周囲一帯の勢力図もまったく把握しないまま、隣り合わせかもしれない危機や不測の事態への心構えや予兆なく乱入略奪してくる他生物への警戒やらをまったく持ち合わせないままに素人が狩りに出るんじゃない。軽率に死ぬぞ。糧にされるぞ。具体的に言うとこちらのお嬢さん方は全員視野狭窄が酷い。早急に気付いて改めないと族長に物理で諭されるレベル。

けれども、ここは“北”の地ではなく族長もこの場には居ない。

ちょっと視野を広げればティトの言う「昼食をご一緒する相手」とやらがこのテーブルに集っている私たちだということは分かりそうなものだけれど、目の前にぶら下げられた獲物に夢中で視野の狭まった肉食女子各位はやっぱり気付かないままだった。


「まぁ、それは残念ですわ。先にお約束してしまった方がいらっしゃるのであれば仕方がありませんものねぇ………ところで、その方々というのはよく一緒に過ごしておいでの剣術科のご友人たちですか? 主に男爵家や子爵家の。でしたら私、その方々に同席しても良いかとお伺いしてみようかしら? 心の広い方々ですもの、きっと許可してくださいますわ。ねぇ、メチェナーテ様。構いませんでしょう?」

「あっ、ずるい! だったらあたしたちもご一緒しますよ! 人数多い方が盛り上がりますし、向こうもずっとティト様をお誘いしてたあたしたちのこと知らないわけじゃないだろうから顔見知りみたいなものですし!」

「俺が構う構わない以前に間違いなく断られると思うしたぶん顔見知りじゃないと思う」


ぐいぐい迫ってくる女子の言葉をそこだけざっくりと否定したティトの台詞は確信と断定に満ちていて、そんな反応を返されたのは今までまったくなかったらしい肉食系女子筆頭二名は揃って意外そうに目を丸くした。くるりと身を丸めたエビさんをもぐもぐしながら数えてみたところ、憐れな被捕食者を囲む女子は総勢七人の大所帯だったが流されまいとする意思の表明はしておくに越したことはない。

もっとも、彼女たちにはそんなこと、関係ないようだったけれど―――――もっと関係ないやつが、この場にはもう一人居るのである。どこって、私の真正面に。


「どうでもいいがメチェナーテ、その手に持ってるパイ包みを今すぐテーブルの上に置け。テメェのごたごたなんざ知っちゃこっちゃねぇがそいつは俺らの昼飯だ、何かあったらその瞬間に物理的な意味で沈むと思え」


物騒極まる台詞を吐き出す声は淡々としていたが、下手に怒鳴り散らすより重々しい威圧として場に響く。はっきり不機嫌であると示す苛立ち混じりの低音に、再び囀ろうとしていた肉食系お嬢さん二名は大袈裟に肩を跳ねさせた。

ティトがはっとした様子で自分が両手でキープしていたお皿の存在を思い出し、言われたとおりの迅速さでそれをテーブルの上に置く。


「そうだった、早く出来立て食べたいもんな! うっかりしててごめん、セス!」

「おう。まぁここまで運んで来た労働分で味見くらいならさせてやるからテメェも座れや」

「いいの? ありが………セスが優しい!?」

「はっはっは、だからセスは昔から面倒見のいい男なんだぞうメチェナーテ候子!」

「テメェにやるとは一言も言ってねぇぞレオニール」

「そして何故か昔から私に対する風当たりは強め!」

「何故か、ってテメェそれマジで言ってんのか馬鹿王子」

「いや? より正確に言えば思い当たる節があり過ぎて逆にどれか分からない状態」

「皿足りねぇな。そっちのやつ寄越せメチェナーテ」

「あいよー!」

「やだもう今日のセス気持ち見限るのが早め! 諦めないで会話のキャッチボール!」


いやあんな馬鹿の極みみたいなことさらっと言ってのけられたら誰だって会話する気失くすと思うぞ王子様ホントいい加減にしろ? 馬鹿二号なるティトが居ようがやはり不動のトップはお前だと確信をもって言わざるを得ない。

と、そんなことを思いながら他人事感覚で大人しく創作パスタのパイ包みが分配されるのを待つ姿勢の私の耳が、いくつかの忙しない囁きを拾った。


「な、なんでセス様? しかも殿下までいるし………え、約束って、まさかこの二人ぃ?」

「ねぇねぇ、これってもしかしたらティト様と一緒に仲良くなれるチャンスじゃないかなソニアちゃん」

「そうよね、殿下ってノリが良いからゴリ押したら案外あたしたちも一緒にいけるんじゃ………ごめん無しやっぱ止めようこの学園で生きていくならフローレン様だけは敵に回しちゃいけない」

「ローズマリーさん、どういたしましょう? 今日のところは諦めますか?」

「どうするもこうするも、流石にこれはどう取り繕ったところで同席なんて出来るわけ―――――はっ!? ベ、ベッカロッシ候子と殿下がいらっしゃるということは!?」


急に大声を出されるとびっくりするので止めて欲しい、とはパスタで口の中がいっぱいだったので残念ながら伝えられない。

固まり合ってひそひそと囁き合っていた声が、突如として引っ繰り返るなりがばりと顔を跳ね上げた。ぎぎぎぎぎ、とそんな擬音でも聞こえて来そうな非常にぎこちない動きで、肉食系女子グループ貴族令嬢側のトップらしき人が私の姿を視界におさめる。

結構近いところに居るのにたった今初めて気が付いたというかようやく意識が向いたというか、とにかく彼女は私の存在を迅速かつ即座に認識したらしい。こちらとしては黙々と鶏肉と野菜が美味しいパスタを胃におさめていただけだったのだが、相手は怪物でも見たような引き攣った顔で悲鳴を上げた。


「あああああああああああやっぱり居ますわねリューリ・ベル嬢―――――ッ!!!」

「嘘でしょなんで『妖精さん』まで揃っちゃってるんですかティト様ぁぁぁぁ!!!」


絶叫、歓声、揺れる食堂。聴覚が優れていたばっかりに内部がキーンと痛む耳。これだけ近距離で名指しされては無視するわけにもいかないだろう。ちょうど一皿食べ切ったところで私は食事の手を止めた。顔を上げて、座ったままで、信じられないものを見ているような顔をしているお嬢さんたちに声を掛ける。


「呼んだ?」

「いいえ! 貴女のことはこれっぽっちも断じて呼んでおりません! きっと気のせいでございます! どうかそのまま、どうかそのままゆっくりとお食事をご堪能ください!」

「なんでもないんです! 本当になんでもないんです! 少なくともあなたには本当に本気で何の用もないんですぅ! はい!!!」


必死か。

すごい勢いでぶんぶんと首を横に振ってくる肉食系女子二人から「そうか」と視線を外した私は、自分の周りに渦巻いている妙に浮ついて楽しそうな空気がどうにも気に入らなくて嘆息した。

うん。はい。止めろお前ら。盛り上がってまいりました、みたいなノリで前のめりになるなギャラリー各位。にこやかな笑顔で待ってましたとキラキラを振り撒くな王子様。近距離から放たれた突然の奇声にびっくりしている馬鹿二号はまぁしょうがないので気にしない方向。


「ああもうまったくなんてことなの、ソニアさんたちが邪魔ばかりするからとうとう一番関わらせちゃいけないお方がメチェナーテ様と同じテーブルでランチしちゃってるじゃありませんの!!!」

「それはこっちの台詞なんですけどぉ!? ってそんなこと言ってる場合じゃないですよぅ完全アウェイのこんな状況でどうするんですかローズマリー様!」

「どうするもこうするもひとまず撤退する以外に取れる手段がありまして!?」

「それが簡単に出来るなら『妖精さん』は一部界隈で伝説になったりしないんですよぉ! いっそ全員で開き直ります!? 昔っから敵の敵は味方って言いますよね少年漫画の王道展開!!!」

「ノープランの捨て身戦法に私たちまで巻き込まないでくださる!? 無い知恵絞って考えるぐらいしたらどうですのソニアさん!!!」

「あんたらを生け贄にあたしだけでも生き延びるつもりですけどそれが何かぁ!?」

「それが本音ですわねこの芋娘―――――!!!!!」


肉食系の女子筆頭格二名、私たちのテーブルに背中を向けた状態でひそひそひそっと会話してるけど全部丸聞こえなんだよなぁ。そんなパッション溢れる勢いで密やかな遣り取りとか無理じゃない? 撤収するなら止めないし興味ないから追わないぞ。

実際それを口に出してみたが二人には届かなかったようで、ティトや王子様が同じように声を掛けてみたところで結果はまったく同じだった。人の話を聞く気がないというか謎の恐慌に駆られているらしく自己防衛に必死っぽい。なんで? あと周りのお嬢さん方はおろおろしてるだけなのもそれはそれでなんでなんだよ。見るからにやばいって思ってるならなりふり構わず逃げればよくない?

そんな状況下において、セスは顔色一つ変えずにでっかい容器の中に入った合計五つのパイ生地の塊をひとつずつお皿に分けてからナイフで綺麗に切り分けていた。口調や態度の粗雑さとは真逆の丁寧かつ繊細な仕事っぷりにはある種の執念が窺える。好物に真剣なその姿勢、きっちり二等分にしてやるという気概と周りに流されない集中力。そのブレないところは嫌いじゃない―――――ところで。


「なぁ、セス。創作パスタのパイ包みって聞いてたんだけど、ぶっちゃけそれ中にパスタ入ってなくない?」

「あ? あー、そっからか。“パスタ”ってのは細長ェ紐みたいなモンが全部じゃねぇ。テメェが今まで食ってたのは麺状の“ロング・パスタ”とかいう種類で、このパイ包みに使われてんのは小型系の“ショート・パスタ”だ」

「へぇ。そうなのか。雑に“パスタ”って一括りにしててもいろんなかたちがあるんだな―――――待って? こんなに短いパスタがあるならフォークまったく使い熟せなくても別に問題なかったことない? この穴開いてる短い棒とか貝殻みたいなちっちゃいやつとか丸めて潰したみたいな形のそれとかもしかしなくても全部パスタか?」

「ショート・パスタの見本市かってくらい全力で全部パスタだな」

「それもっと早く知りたかった!!!!!」


吠えた。思わず全力で吠えながらフォークをスプーンに持ち替えた。視界の端っこで二人同時に肩をびくっとさせた肉食系お嬢さん二名が見えた気がしたが驚かせてしまったなら申し訳ない。ついつい声が大きくなった件についてはホント五月蠅くしてごめんなさい。

それはさておきお別れだフォーク。そしてお前の出番だぞスプーン。巻き取りよりも掬い上げの方が楽だし早いしたくさん食べられて言うことないですなんてこった本当にもっと早く知りたかった。

憐れむような視線が四方八方から注がれている気がしたが傷心の私には響かない。むしろどうして今まで誰一人として教えてくれなかったんだ、という八つ当たりじみた怨念までもが胸の奥から湧き上がる始末で勝手に唸り声が出る。


「わぁ、リューリ・ベルからおよそ人間の声帯で出せるとは思えないような低音が………あ、これ今ネタにすると本気で食い千切られるな止めておこう。セス、半分こしたそのパイ包み早く渡してあげなさい。見てて可哀想だから」

「トッピングの粉チーズまだ削り切ってねぇから黙れレオニール」

「パイ料理に対してベストを尽くすセスのそういうとこ割と好き」

「パイ過激派の揺ぎ無い信念に食糧ガチ勢の機嫌がなおった!?」


うるっせぇな王子様。好物を最善の状態に仕上げて食べようとするどんなときにも手を抜かないそのスタイルは尊敬するだろ。セスがパイ料理にベスト尽くしてるならただ大人しく待つ以外に私が出来ることなどない。ところで視界の端っこあたりでギャラリーの何人かが死んでいた。もう定期的に死んでいるイメージしかないがどうせすぐに蘇るのでいちいち気にしてなどいられない―――――いや今どのへんに死ぬ要素あった?


「よし。リューリ、テメェの分だ。味見程度だがメチェナーテも食え。馬鹿の分は無い」

「え、嘘でしょ本気で私の分だけ無い感じ?」

「テメェ、パイ包み食った後でクリームシチューパイ食えんのかよ。レオニール」

「さっきパスタ一皿完食してるからよくよく考えなくても容量的に無理だぞう!」


王子様が爽やかにカミングアウトしていたが創作パスタのパイ包みを食べる準備万端の私にとっては心の底からどうでもいい。だって具材のショート・パスタ各種をパイで包んでこんがり焼いたお料理の断面がもう美味しそう。あと良い匂い。ひとつひとつの塊ごとにパスタの種類と味が違うのが一目で分かるのもテンション上がる。この多種多様さこそが“王国”料理だと私は全力で感心していた。心の中で改めて、いただきますとの祈りを捧げる。


「あ。そっか、いいこと思い付いた―――――今日じゃなければ問題ないよね!」

「え? お待ちなさいな、ソニアさん。貴女一体何を言っ………まさか!?」


なんか良いこと思い付いた的な感じの呟きが聞こえたような気がするが、そんな碌でもなさそうな閃きなどパイに包まれたショート・パスタの中身をスプーンでごっそり掬い取って口に入れた直後だった私にとっては些事である。食事は美味しいうちに摂れ。


「すみませぇん、ティト様にランチの先約があるのは分かったので、皆さんのお邪魔するのもアレですし今日のところはあたしたちこれで失礼させていただきますね―――――今日は駄目でも明日ご一緒させていただければあたしたちは全然構わないんで! 明日だったらいいですよね? やったあ! 約束ですよぅティト様!!!!!」

「え。え? なにその話!? 俺まだ何も言ってないしそんな約束もしてないよな!?」

「はぁ!? なんて図々しい発言を恥ずかしげもなく垂れ流してますの貴女!? メチェナーテ様はそんな約束されていませんわよ馬鹿馬鹿しい、明日こそランチをご一緒するのは貴女方ではなく私たちです! そういう感じのお約束を今からする予定でしたものね、メチェナーテ様!!!」

「何それ知らねー! じゃなくて、知りません! どっちともそんな約束は全然した覚えありませんしする予定もありません! ご理解ご協力くださいっていうかぶっちゃけいい加減にして俺もうこういうの嫌なんだけど!!!」


ティトを中心に再びぎゃいぎゃいと熾烈を極め始めたバトルにしかし私たちは動じない。セスは早々とフォークを駆使してパイ包みを無駄なく消費している。それは私も同じだったが、王子様だけはどことなく困った感じの顔をしていた。

真隣が何やら騒がしかろうがこちらに火の粉が降らない限りは美味しいランチが優先である。よって、私は喋る代わりにひたすら食材の咀嚼を続けた。


「ふうむ。ただの敵前逃亡ではなく“次”の機会を狙って来たか―――――なるほど、これは相当だな」

「なんかカッコいいこと言ってないでとりあえず助けてください殿下ー!!!」

「え、ティトってば今私のこと普通にカッコいいって言った? 裏表のない称賛オンリーって普段言われ慣れてないから想像以上に照れるなぁ」

「え? なんで? そうなんですか? 元平民の俺からしたら殿下ってもろに“王子様”だから、どっちかってーとセスたちの方が謎な感じに思えちゃうんですけど………ってそんなこと言ってる場合じゃないですってばなんかこの人たちぐいぐい来る!!!!!」


騒音公害も甚だしいが、黙らせるよりも食事が先だ。わちゃわちゃしてる? ぐだぐだが酷い? 私が知るかよランチが美味しい。

そんな強い決意を胸に最初に選んだ一品は、濃厚チーズとたっぷりバターでこんがり香ばしいクリームソースをもったりと纏った棒状パスタ。棒というより円筒形で中に入り込んだソースが暴力的なまでに熱いが気合いと根性で味わってしっかりと飲み込ませていただいた。かりかりっとした食感を思うに一度焼きを入れてから改めてパイに包んだなこれは。その一手間が美味しさの秘訣。シンプルなコーンとちょっとした野菜と塩で味付けした鶏肉がまた良いアクセントになっている。よくよくみれば円筒の表面にいくつもの筋が走っているのでこの溝部分により一層ソースが絡むような仕様。考えた人は天才か? ちょっとした工夫が空腹を救う。スプーンで思いっ切り掬って食べたらあっという間になくなったけれどさくさくパイとクリームソースの相性については説明不要。相性抜群。セスもご機嫌な一品である。


「ほら、ティト様が嫌がってるじゃないですかぁ! 身分以前にしつこい方って嫌われちゃいますよローズマリー様! あんまりここでごねたところでお互いのためにならないって分からないんですかねぇ世間知らずのお嬢様方は!」

「その台詞、そっくりそのままお返ししますわ図太い平民のお嬢さん! 私どもは親切ですので教えて差し上げますけれども、貴女方がこちらの顔を立てて先を譲ればそれですべてが平和的に丸く収まるとは思いませんこと?」


次。同じく円筒形ではあるが何やら幅が広めのパスタ。短めではあるが見た目が太い。さっき食べたものよりも存在感があるのはきっと、穴の部分にぎっしりと詰め込まれた具材各種の自己主張だろう。粗挽き肉やお野菜がみっちみちに詰め込まれた上でお肉を絡めたトマトソースが醸す重厚なハーモニーと後を引く辛味。重めの味わいをものともしないパイ生地の軽やかなぱりぱり加減が楽しいのでいくらでもいける。無類のパイ好き三白眼が私以上の速度でもって爆速完食したあたり相当お気に召した模様。


「いつでも優雅に淑やかに慎みというものを忘れず振舞う―――――っていうのが貴族の子女のあるべき姿、って授業で習った気がするんですけどぉ、そうあるべきならローズマリー様たちは慎み深く慈悲深くあたしたち下々の者に先を譲って微笑むくらいの度量が必要なんじゃないですかぁ? ぶっちゃけ下に見てる相手に本気出すってあんまりスマートとは思えない気がしちゃぁう」

「まぁ、頭の固いこと―――――いいえ、少々弱いのかしら? 身分の高い貴人を前にそのような態度を取る貴女には常識が欠けているようですわねぇ」


三番目。今度のパイに包まれているパスタは何やら不思議なかたちをしている。薄い四角形の布の正中を上下からぎゅっと中心に寄せたらこんな形になるだろう。リボン、と呼ばれる装飾品か、或いはチョウチョなる虫に似ていた。なお、後者に関しては宿屋のチビちゃんに見せてもらった昆虫図鑑でしか目にしたことがないので自信の方はあんまりない。わざわざパスタ生地に色を付けてカラフルに仕上げているあたり、これを作った食堂のおばちゃんの遊び心が窺える。構造上そうなってしまうのか、外側部分は柔らかいのに中心部分は噛み応えがあっていくらでも噛んでいられる気がした。巻貝のような形状のパスタには色付けがされていないものの、こちらには細かく細かく刻まれた具材が詰め込まれていたので物足りなさなどは感じない。形がとにかく変わっているので見ていて面白いパスタである。


「それとその甘ったるい喋り方、もう少しどうにかなりませんこと? 演技が露骨に分かり易過ぎて先程から笑いが込み上げて仕方ありませんの。ねぇ? メチェナーテ様も、そうお思いでしょう?」

「やだぁ、ローズマリー様ったら、なんでそんな意地悪おっしゃるんですかぁ? ひどい、ティト様聞きましたぁ!? あたし演技なんてしてないのにぃ!」

「あら、失礼。素で痛々しいだけでしたのね―――――それではメチェナーテ様、ご機嫌よう。明日のランチは景色の良いテラス席を押さえておきますわね」

「は? ティト様と明日ランチ食べるのはあたしたちだって言ってるじゃないですか! いい加減にしてくださいよ!」


「奇遇だな、お嬢さん。私もいい加減にしてほしい」


放り投げた声はぞんざいで、だけど紛れもない本音だった。驚いた様子で二人してこちらを見遣る肉食女子は、どうして私が割り込んできたのか本当に分からないという顔をしている―――――私だって、放っておけばそのうちどこかに行くかと思って口を挟む気はなかったのだけれど。


「え? えっとぉ………リューリさん? いい加減にしてほしい、ってあたしたちのことです、よね………ごめんなさい、あのぅ、なんかダメでしたぁ………?」

「ど、どうされましたの、リューリ・ベル嬢。確かに私ども貴女のお側でちょっと白熱し過ぎたかしらと恥じ入る次第ですけれども………その、貴女に直接絡んでいるわけではなかったので、高確率でスルーしていただけるのではないかと思って………いまして………」


何をしくじったか分からない、どうしてこいつが出て来たんだと言わんばかりの雰囲気を取り繕った笑顔で誤魔化す二人。ぴたりと不自然に止まった言い争いの主たちを冷めた気分で見上げた私は、ちょっぴり不機嫌に尖った声で集団を形成している彼女たちの後ろを指した。


「いやまぁ普通に五月蠅かったけどわざわざ関わるのもめんどくさいし私に直接関係ないしでそのうちどっか行くかなぁってほっといたのは確かだけどさ―――――お嬢さんたちがいつまでもここに屯ってる関係で食堂のおばちゃんが迷惑するのは見過ごせない。騒がしいだけならまだしも普通に邪魔だぞ、他所でやれ。とにかく速やかに退いてくれ。おばちゃんが通れないじゃんか」

「はぁ? 食堂のおばちゃんって何のこ………ぎゃああああああいつからそこに居たのよ追加料理持って来たっぽい食堂のおばちゃんんんん!!!」

「何をしているの! 全員! 直ちに! スタッフに道をお譲りになって!!! 食堂でリューリ・ベル嬢を前に食堂スタッフへの迷惑行為など地雷の上でタップダンスするような愚行だと散々聞き及んでいましたのにぃぃぃぃぃ!!!!!」


一斉に散るお嬢さんの群れ。これ幸いとその勢いのまま逃亡を図る女子五名。

ぶっちゃけそちらは途中からすっかり大人しかったので、騒がしさという物差しで測るなら居ても居なくても変わらないのだが―――――彼女たちの撤退によって視覚的にも物理的にもあっという間にひらけた空間で、ぎゃいぎゃいと言い争っていた女生徒の壁に阻まれてこちらまでお料理をのせたワゴンを運んでこれなかった食堂のおばちゃんがにこやかに手を振ってくれた。忙しいのに配膳業務で時間取らせちゃってごめんなおばちゃん。

そしてこのタイミングを逃しはしない馬鹿みたいに馬鹿な王子様が、これまでの沈黙が嘘のような煌びやかさでここぞとばかりに声を張る。


「めんどくさいことは基本スルーでランチに全力を注ぎはするが、それを提供してくれるプロの仕事を妨げるのは許されない! そんなリューリ・ベルのブレない姿勢がとうとう事態を動かした! 今日はこのまま何事もなくグダグダしたままで終わるパターンかと残念に思っていたギャラリー各位は食堂のおばちゃんに最敬礼!!! クリームパイシチューと追加のパンを山盛り運んできてくれたプロフェッショナルには流石のセスもさりげなく目礼しているのでお察し! でもまぁ皆がばらっばらで声に出してたら意味分かんないのでこの場を借りて私が言おう! 代弁します、食堂常駐スタッフ各位! いつもいつも本当に! ありがとうございま―――――す!!!!!」


アザァァァァアアァァァァァス!!!!!!

と食堂の窓を震わせる利用者一同の大合唱。厨房からぐっと力瘤をつくるポージングで応えるユニークなおばちゃん各位。私たちのテーブルにクリームパイシチューを運んで来てくれたおばちゃんはてきぱき己の仕事をこなしつつちょっと照れていらっしゃるご様子。

ありがとうございます、と私もお礼をきちんと述べつつ王子様の謎のノリに引っ張られて賑わう食堂に微笑むおばちゃんたちにほっこりとした気分になった。


「い、一瞬でなんだかよく分からないことに………これが噂の妖精さ―――――っていつの間にか皆さん居なくなってますわ!?」

「え~、いい気味~ってこっちも私以外みんな居ないし!? もぉぉぉなんでこうなんのよ、やってらんない! ティト様とランチしたいだけなのになんでこんな上手くいかないのぉ!?」


用済みになったワゴンを回収して去っていくおばちゃんの背中を見送っていた私の耳が、儘ならない現実に対する憤りの声を拾い上げる。王子様がちょっと首を傾げて、面白がる口振りで問いを投げた。


「だ、そうなんだが―――――リューリ・ベルは何で彼女たちが上手くいかないんだと思う? パイ包み食べる片手間でいいから思い付いたこと言っちゃって?」


笑顔で宣う王子様と、その反対側で「マジで助けて」と眼球だけで力強く訴えてくる肉食女子に狙われた男子。助ける云々はともかくとして、もにもにもちもちした食感なのに歯切れが良くて適度に食べ応えのあるショート・パスタを楽しむ片手間でいいのなら、と私は普通に思ったことを言った。


「なんで、ってそんなの私に聞かれても知るわけないだろ王子様………ああ、でもあれか? チビちゃんから聞いた気もするなぁ―――――なんか一人を複数人が取り合うパターンって恋愛小説にはよくあるらしいけど『その気がなくて嫌がってる相手に押せ押せで迫って誘ったところで普通に迷惑行為だし、そもそも大して親しくもなってない段階で興味も関心もない他人からぐいぐい距離詰められたり勝手に自分の行動制限されそうになったり目の前でこれ見よがしにモノ扱いで取り合われたりするパターンはハーレム歓迎タイプ以外には受け入れられない所業だと思うっていうか単純に考えて好意も情も無い相手にそんなことされたらウザさしかないから今後視界に入れるとしても法廷でしか会いたくない』ってすごい真顔で言ってたやつ」

「はいありがとう宿屋のチビちゃん今回の事例ピンポイントです! 最後に会うのは法廷だ、と司法も交えた強火の拒絶にチビッ子だろうが無理なものは無理という確かな殺意の高さを感じた! そろそろお気に入りベストスリーとか教えて欲しい今日この頃!!!」

「ツッコミどころの多いやつとそれを補って余りある勢いに溢れたやつ好きって言ってた」

「薄々予想はしていたけれども楽しみ方がちょっと微妙に斜め上に突き抜けてるタイプ!」


一人盛り上がっている王子様だがお前恋愛小説読むのかよ、と思ったことは言わないでおこう―――――ていうかこいつ、そういえば子供の頃に読んだ絵本の中のお姫様とやらに憧れて馬鹿やらかした馬鹿だった。今でも案外読むのかな、とかは別に気になりしないけど。

誰が何を好もうがそれは個人の自由である、とは宿屋のチビちゃんから聞いている。自分に馴染みのない文化だからと頭ごなしに否定するのは簡単なだけで正しくはないのだと私は既に知っていたし、それはそのとおりなのだろうとは“北の民”でも理解が及んだ。

だから、特に何も言わずに、変わらずランチを食べながら、硬直しているお嬢さん二名とぱちぱちぱちぱち拍手している呑気なティトを視界におさめた。


「宿屋のチビちゃんチビちゃんなのにすごい、なんかもう俺『それな!』しか言えない! 法廷はちょっとぶっ飛んでるけど言いたいことはなんかわかる! 普通に怖いし困る! なんかぐいぐい来る女の人怖い!!!」

「怖いってティト様、そんなひどぉ―――――えっ? 待って、ちょっと待って。まさか私たちにちやほやされて本当に困ってたんですかぁ!? そういう感じのフリじゃなくて!? アインハード様は困った顔しながらめちゃくちゃノリノリだったのにぃ!?」

「メチェナーテ様は貴族に上がったばかりで、エッケルト様のように場慣れしたスマートさがないのは当然のものと、私たちの方がリードせねばとばかり思っておりましたけれど………え? ということは、あの、もしや………自分を取り合った女たちが目の前で言い争う姿に喜んだり気分が良くなったりとかは………? あの拒否一辺倒の反応はエッケルト様がよくやっていたように私たちの闘争心を煽って焚き付けていたわけではなく………?」

「なにそれ普通にするわけないじゃん!? ていうかアインハードってそんな『女子にモテる俺超カッコいい』みたいな感じのクズ代表っぽい悪趣味なことしてたの!? あんな涼やかクール系イケメンみたいなツラで!?」


絶叫するティトに呼応するように金切り声を返す女生徒二名。急速に沈静化したと思えば何とも言えない顔をしているギャラリー各位と王子様。

面構えは人間の内面には関係ないこともあるんじゃないかな、と思うのは、ひとえに凶悪な目付きが標準装備の親切なお気遣いの三白眼を知っているからなのだけれどあの剣術科の次席についてはシンプルにクズだったと記憶している。フローレン嬢とマルガレーテ嬢が言ってた。

気付けば最後になってしまっていたラストを飾るパイ包み―――なんと、見た目はライスでしかないのに口に入れたらつるつるの舌触りと粘り気のない弾力で違うと分かる謎パスタと硬めのお肉と刻んだ野菜を混ぜ合わせてぎっちぎちに包まれている―――をもぐもぐしている私の対面、すっかりパイ包みを堪能し尽くして早くもクリームパイシチューを分配し始めている安定のセスが呟いた。ひどく、どうでもよさそうに。


「想像以上にエッケルトのアホがアホだったってことはよく分かった」


要するに、それがすべてなのだろう。もう“学園”には居ない輩がもたらした被害がアホ過ぎて、もはや誰も何も言えない空間に呆れた私の声だけが転がる。


「いや、ていうか、単純に―――――前の男に使ってたのとまったく同じ手段と理論が別のやつにも通用すると思ってたのか、お嬢さん方」


宿屋のチビちゃんが聞こうものならやる気あるのかと一喝されること請け合いの手抜きと怠慢だぞそれは。指摘された肉食系女子たちが明後日の方向に目線を逸らした。なにこのオチ、と思わなくもない。


「あの………俺まだ言葉遣いとか勉強してる途中で、上手く言おうとすると上手く言えないから慣れてる言い方で言っちゃうけど………俺は侯爵様に拾ってもらっただけの養子だから、俺と仲良くしたところであなたたちの期待にはたぶん応えられないと思う」


何とも言えない雰囲気を醸してしまった食堂内の空気の中で、自分たちの言動を振り返って沈黙している女子二人におずおずと声を掛けたのは、最近ずっと彼女たちに追い掛け回されて難儀していたというティトだった。

席を立って、背筋を伸ばして、その長身から肉食系のお嬢さん二人に真っ直ぐ真面目な表情を向けてきちんと相対した彼は言う。


「侯爵家に置いてもらってるけど、俺は跡取りなんかじゃないし、俺個人がお金持ってるわけじゃないし、腕力はあっても権力とかはないし、そもそもそういうのさっぱりだし頭悪いし察しも悪いし空気も全然読めないし。みんなと仲良くなれたらいいな、とは思わないでもないんだけど、友達たくさん出来たらいいなぁくらいのふわっとした感覚でしかなくて―――――だから、あんなふうに女の子たちにたくさんちやほやしてもらってもあんまり嬉しいと思わないんだ。親しくしようと頑張ってくれたのに、上手く言葉に出来ないからって避けて逃げまくってごめんなさい。目の前で喧嘩されても困るし、追い掛けられてぐいぐい迫られても怖いし、何かあって侯爵様たちに迷惑掛けるのは普通に嫌だし、学園生活は平和がいいし、誰と一緒にどう過ごすかは極力自分で決めたいよ。綺麗で可愛い女の子たちに囲まれてきゃぁきゃぁ言われて過ごすより、セスや殿下や白い人みたいに楽しく仲良くランチがしたい―――――だって俺、アインハードじゃないから」


そんな当たり前のことを当たり前に言い終えたティトに最初に声を掛けたのは、クリームパイシチューがたっぷり入った器をティトの席の前にサーブしたまさかのセスだったりしたのだが。


「腹括るのが遅ェんだよボケ。嫌なら嫌で最初っからテメェではっきりそう言えや」

「いやいくら言っても全然まったく聞いてもらえなかったんだけど!? ってセスに言ったところでどうにもならないなごめん今のは八つ当たりだ! クリームパイシチューよそってくれてありがとう! 腹減ってるんでいただきます!!! ローズマリーさんもソニアさんもそういうわけでごめんなさい! 政略結婚とか爵位がどうとかそういう難しい話がメインで俺とランチがしたいっていうなら全力でお断りし続けますぶっちゃけ男を取り合う女子の口喧嘩って聞いててめっちゃお腹痛くなるからお近付きになりたくありません! ごはんが美味しくなくなっちゃうんで!!!」

「なんか開き直った途端にめちゃくちゃぶっちゃけるなこのメチェナーテ候子!?」

「余計なこと考えなきゃ素直にストレートに馬鹿だからなコイツ。まぁでもこっちのがまだマシだろ」


元気一杯に言い切って頭を下げるティトの挙動に唖然とするお嬢さん二名の心を代弁したわけでもないだろうに、王子様のツッコミとセスのかったるそうな補足が面倒な茶番劇の幕を引く。途方に暮れたような顔をした二人のお嬢さんに、心得ていますと言わんばかりの王子様が笑顔を向けた。


「さて、賢明なレディたち。メチェナーテ候子はこの通り、まだまだ魅力的な異性との交流には些か不慣れで不器用なようだ。押してばかりが恋の駆け引きとは流石に思っていないだろう? そうと分かれば今日のところは女性同士で和気藹々とランチを楽しんでは如何かな? ちなみに今日の購買部のオススメ一押し日替わりメニューはガーリックシュリンプとアボガドサラダのレモン風蜂蜜ブレッドらしい。そこそこに遅い時間ではあるが、購買部の品揃えは豊富だからな。急げばまだあるかもしれないぞう?」


暗に退場を促す王子様の助け舟にのっかることにしたらしい二人は、こくこくと首を縦に振ってこれ以上余計な失言をすることなく足早に食堂から脱出していった。ギャラリーたちは生温い目でそんな彼女たちを見送っているが、私としてはそれ以上に気になることがあったりする。


「え、まじで? 購買のメニューって遅くても案外残ってたりするの? じゃこのテーブルの料理全部食べ尽くしたらまだ残ってると信じて私も急いで買いに行くわ」

「現在進行形で炭水化物詰め込んでるリューリ・ベルが言うと軽くホラー! セス! なんとか言ってやって!? どうせ私の言うことなんか聞かないんだからこの食いしん坊!」

「レオニールの分のクリームパイシチュー俺らで分けて食っていいってよリューリ」

「やったー! 王子様お腹が太い!」

「はっはっはっはたぶん太っ腹って言いたいんだろうけどなんか別の意味に聞こえる不思議ー! “王子様”別に太ってませんッ!!!!!」

「声がデケェっつってんだろボケェッ!」


ただでさえ喧しい王子様の本気で声を張った否定は結構な大音量だったので、叩き付けられた音の大きさにブチ切れたセスはどうやらテーブルの下にある幼馴染の足を蹴ったらしい。泣き言交じりの非難を吐きつつ受け取ったクリームパイシチューをしっかり食べている王子様と、なんだかんだ言いながら結局きちんと王子様の食べる分を確保してやるセスを見ながら、根っこが馬鹿で素直なティトは呑気に声を上げて笑っていた。


「うん、やっぱりこういう方が俺には合ってるし向いてるなぁ。友達と騒いでる方がセスも殿下も白い人も楽しそうに見えて楽しいし、見てる俺もごはんが美味しい」


生徒たちがそれぞれに連れ合って集う食堂の中で、不快ではない無数の音が悪くない賑やかさを演出している。クリームパイシチューを分けた器を私に差し出したそのタイミングで、伸ばした腕はそのままにセスが静かにティトを見た。差し出された器を受け取った私も同じようにそちらを向いて。


「あ? 誰が友達だ?」

「え? 誰か友達か?」

「セスもリューリ・ベルもいい加減『友達』って単語を辞書で引こうな」


王子様がいつになく、遠い目をしてそう締めた。

その後ろに座っていた別グループの何人かが同時にテーブルに沈んだが、山の幸のボリューム満点クリームパイシチューを食べ始めたら秒でどうでもよくなったのでそのあたりについては割愛しよう。


お疲れ様でございます。今回もありがとうございました。

ぐだぐだっとした文章の終着点、ここまでお付き合いくださったあなた様に心からの感謝を申し上げます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ガーリックシュリンプとアボガドサラダのレモン風蜂蜜ブレッドって何ですか私も食べたいです。(パスタじゃないのか) こんにちは! 更新どうもありがとうございました! とうとう拝読できました(笑…
[一言] 最高で最高の最高かよ最高っていう言い回し最高 使う機会を虎視眈々と狙います٩( 'ω' )و
[良い点] 飯テロです。 [気になる点] え?王子様友達だったんですか? [一言] ラザニア食べたいです。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ