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14.女狐と女豹のティーパーティー

どうもご無沙汰しております。

三ヵ月近くも間があいてしまい忘れ去られていたかもしれませんが、記憶の片隅に留めていてくださった千人だか万人に一人くらいの稀有なる読者様には「ただいま戻りました」と申し上げたい今日この頃。そんなこんなで本編です。


そしていつもの前置きです。久々の更新なのでちょっと長くなろうともキリのいいところまでは仕上げよう、と思っていましたがまぁ案の定無理でした。長過ぎた。いくらなんでも長過ぎた。

長過ぎたので一度切りました。女子会がかしましいのはしょうがないよねということでお許しください。


久し振りだからって張り切ってなんかもう詰め込み過ぎました。試みは常に新しく、というお決まりの言い訳を掲げつつ、がちゃがちゃした女子会開幕です。

女狐と女豹のティーパーティー



三段重ねのスタンドに、美味しそうなものが乗っている。

食べ易いサイズに切り揃えられた断面も美しいサンドイッチに、可愛らしく小振りなプチバーガー。二段目にあるのはスコーンで、クリームがたっぷりと詰め込まれた小さな器の周りを囲むようぐるりと配置されている。うっかりスタンドから零れ落ちるのではなかろうか、と思わず心配してしまう程に盛られた貪欲さが素晴らしい。おまけです、と言わんばかりにミニサイズながらもパイ料理っぽいものが添えてあるあたりは感謝しかない。

無類のパイ好き三白眼ことセスがこの場に居たとしたら絶対真っ先に手を付けるだろうな―――――あ、やばい。思い出したらなんか無性に腹立って来たわあの三白眼と馬鹿王子。落ち着け冷静にお菓子を眺めろ。

そんなふうに己を律しつつ、気を取り直して三段目。最上段に陣取っているのは一目見て手間が掛かっていると容易に想像が付くスイーツ類で、整然と並ぶパウンドケーキには一つとして同じ色味がなかった。一口大のタルトの表面には艶出しのシロップが輝いて、ちょこんと上に乗った果物たちを宝石よろしく煌めかせている。その他ケーキが数種類、初めて目にするものもあるので王国料理はお菓子もすごい。

お洒落な陶器の大皿にこんもりと盛られている取り放題状態の焼き菓子は、きっとスタンドに乗り切らなくて開き直った結果だろう。ゼリーやプリンの類なんかもテーブル上に並べてあって、放課後のおやつタイムとしては豪華に過ぎる光景だった。まさに壮観の一言である。

フローレン嬢と二人っきりで二回ほど行った“お茶会”とは場所も趣も違うけれど、提供される軽食やお菓子の種類に関してはきっと今回が一番すごい。人数的なものかもしれないし、面子的な都合もあるかもしれない。そのあたりの事情についてはまったくの無知であるけれど、口に入れて美味しければ正直言って何でもいい。そんな気持ちで、テーブル上を見ている。


「まあ。これは見事な品揃えですこと。私の復学祝いも兼ねている、という気持ちそのものは嬉しいのだけれど………こうも量が多くては、流石にやり過ぎではないかしら? レディ・フローレンともあろう者が、まさか手配を誤りました?」

「あら、人を選ぶジョークですこと。レディ・マルガレーテともあろうお方が、久し振りの学園復帰で勘が鈍っているのではなくて? ご心配には及ばなくてよ。今回の主催は私ですもの―――――貴女のように止むを得ない事情で数ヵ月のブランクがあるわけでなし、ゲストの希望を見誤る程に鈍ったつもりはございません」


はい。最初に何を食べようかなぁ、と考えることで聞こえないフリをするのもそろそろ限界に近付いてきていることを認めたいと思います。

私の気のせいでないとするなら、今この場には火花が散っている。毒々しいまでに艶やかで、華々しいまでに鮮やかな花の間にばちばちと不可視の火の粉が爆ぜている。


「あら、失礼。貴女の手腕を疑ったわけでは勿論ないのよ、ごめんあそばせ。ともあれ、相変わらずのようで安心したわ―――――改めまして。本日は、お招きいただきありがとうございます。私としたことが待ち遠し過ぎて、午後の授業のほとんどが手に付かなかった程ですもの。楽しいお茶会に致しましょう。ねぇ? レディ・フローレン」

「もちろんでしてよ、レディ・マルガレーテ。貴女とこうしてまた放課後のアフタヌーン・ティーが楽しめるなんて、お恥ずかしながらこの私も歓喜の念を禁じ得ません―――――ええ、まったく、本当に」

「あら。それはまた随分と寂しがってくれていたのね? 私の居ない張り合いのない日々に飽き飽きしているものと思って復学を早めた甲斐があったわ」

「まぁ、相変わらずお優しいこと。わざわざご都合を付けていただいたようで、感謝の言葉もなくってよ」


おほほほほほほほほ、と二人分の淑女の笑い声が転がっている。声そのものは楽しそうだし表情だって笑顔だったが、醸される圧に関してはそんな友好的なものではなかった。狩猟民族として培った第六感が警告している。あれは威嚇だ。エレガントな威嚇だ。歯を剥き出しにしていないだけで微笑みの向こうにあるのは牙だ。相手の出方を窺って隙あらば喉笛を噛み砕かんとする殺意の高さもさることながら、お互い避けては通れないと真っ向からぶつかり合う気満々な闘争の気配が肌を刺す。こわ。


すいませんお菓子だけお土産に包んでもらって私もう帰ってもいいですか。


テイクアウトを希望したところで素気無く却下されるオチが容易に予想出来たので、私は無言を貫いた。これを恙無く回避した三白眼と馬鹿王子に割と本気で呪詛的なものを送りたくなるな呪われてしまえ。始まる前からもう帰りたい。

そんな気分で大人しく存在を消している私がぼんやりと座っている場所は、まさかの『お誕生日席』である。意味は十一番さんに教えてもらった。『お誕生日会なる生誕を祝う宴の主役が座る席』が語源とかいう話だが、ざっくりと簡単に言ってしまえば長方形型のテーブルにおける辺が短い側のお一人様席だ。誕生日じゃないのにお誕生日席に座らされるのは何でなんだよ、と思わなくもない。まぁそんなことを言い始めたら私たち“北の民”にとって誕生日なんてものはあってないようなものなのでややこしくなりそうだから触れないけれども。


「さて、いつもならもう少しばかり場を温めるところではありますが―――――リューリさんが飽きていらっしゃるので今回はもう始めてしまいましょうね」

「………えっ? ちょっと待ちなさいよフローレン、私ま」

「はい、お待たせして申し訳ありませんでした。リューリさん、どれでもお好きなものをどうぞ。テーブルの上にあるものはすべて出来立て焼き立て作り立ての美味しい食堂デリバリーなので安心してお召し上がりくださいましね」


何やら慌てふためき始めた縦ロール嬢を華麗に無視して私の方を向いたフローレン嬢は、それはもう晴れやかに朗らかに何の憂いもなく笑っていた。対比がすごいというか温度差が酷い。さっきの舌戦はどこへやら、急に弛緩した空気の中で私はぱちぱちと目を瞬く。


「あ。もう食べていい感じなの?」


ご存分に、とにっこりにこやかに私を促すフローレン嬢は、こちら(お誕生日席ポジション)から見て右手側の席に座っている。その対面には派手な美貌に縦巻き髪を装備したお嬢さんが座っていて、丸テーブルより長テーブルの方がより対立感が出るなと思った。

余談だが、フローレン嬢の隣には十一番さんのみが座っている。これは縦巻き髪―――いやうんホントもう冗談抜きで、「昨今の一部恋愛小説界隈において無くてはならない存在」と宿屋のチビちゃんが力説していた悪役令嬢とやらを彷彿とさせる実に見事な『縦ロール』である―――お嬢さんの連れが一人だけだったということで人数を合わせているらしく、十二番さんと十三番さんは今回給仕役に徹するらしい。なんでだよ。私を除いた六人で適当に三対三で座るとか、丸いテーブルを皆で囲むとかそういう解決策採用しちゃ駄目なの? 王国貴族の“お茶会”は分からん。

まぁいいか。紅茶はそんなに好きじゃないけどお菓子もりもり食べられるし。

そんな気分で、実は着席した瞬間からずっと気になっていた初めて見る一品に迷わず真っ直ぐ手を伸ばした―――――直後。


「ま、待ちなさい! リューリ・ベル!」


慌てふためいていた状態から咄嗟に冷静沈着を装おうとして失敗したらしい上擦り気味の高い声が、きぃんと激しく鼓膜を揺らした。名指しで呼ばれた私はといえば目当ての初見お菓子が乗ったお皿を手にのんびりとした挙動で顔を上げる。音の出所は左側、派手な顔立ちの両サイドで淡い金髪の縦ロールを揺らすお嬢さんの射るような目がひたりとこちらに向けられていた。


「貴女、この私がまだ自己紹介もしていないっていうのにそんな状況をまったく気にせずフラップジャックをフライングゲットとかどういう神経しているのかしら!?」

「あ、これフラップジャックっていう食べ物なんだな。教えてくれてありがとう、縦巻き髪のお嬢さん」

「え? ああ、お礼はストレートに言える子なのね………ってだからお菓子の名称より先に私の名前を尋ねなさいよ! 同じテーブルに着いておきながらどうしてそこが気にならないのよ! あと縦巻き髪のお嬢さんてなに!?」

「いえ、なにも何もマルガレーテ。貴女、それは見たままでしょう」

「口を挟まないでちょうだいフローレン! 縦ロールとは聞き慣れていても縦巻き髪呼びは馴染みがないのよ! 初めて言われたわよそんなこと、しかも嫌味や皮肉じゃなくて純粋に見たまま言っただけ、なんて悪意の無さにも戸惑っちゃうし、あと縦巻き髪のお嬢さんとか心なしかちょっと言い難いし―――――違う! だから! リューリ・ベルさん! フラップジャックだけじゃなくてちゃんとこの私の名前も聞いて覚えて認識しなさい! いいわね!? 貴女に拒否権はないわ!」


がたーん! と思いっきり席を立った勢いと同じくらいの剣幕で一気に捲し立ててくる縦ロール装備のお嬢さんである。フラップジャックなる細長く切られたスティック状の食べ物を更にブロック状に分割した物体を満載したお皿を自分の前まで引き寄せた私は、とある可能性に気が付いてフローレン嬢へと視線を向けた。真顔でぽつりとありのまま、思ったことを口にする。


「なぁ、フローレンさん。もしかしてこのお嬢さん―――――割と王子様に近い?」


潜めた声でこっそりと、何が近いとは明言しないが気になったことを聞いてみたら返されたのは微笑だけだった。底の見えない真意の読めないアルカイックスマイルは、ともすれば貴族令嬢の標準装備なのかもしれないが―――――今この状況に関して言えば何より明確な答えである気もする。


「いいこと? “北”からのお客人。耳を澄ませてよくお聞きなさい!」


幸いにも興奮状態にあるらしく私の問い掛けを聞き逃していたらしい縦巻き髪のお嬢さんが、ぴんと伸ばした背筋を反らして豊かな胸を張ってみせた。


「ええ、けれど、まずは謝罪を。挨拶が遅れて失礼したわ。それに関してはごめんあそばせ。本来なら私のように高貴も高貴な出自の者は自ら名乗ったりしないもの。けれども、ここは“学園”で、貴女は“北”の辺境民。ルールもマナーも知り得ない王国外からの客人にはこちらから歩み寄って差し上げるのが良識人としての余裕というもの。だから私から名乗ってあげるわ―――――本来ならば本当に、辺境の民が知れる程に安い名などではないのだけれど!」

「マルガレーテ。前置きが長いとリューリさんが飽きて話を聞いてくれなくなってよ」

「ちょっと、黙ってなさいよフローレン! 順序と前振りってものがあるのは貴女にだって分かってるでしょう!?」


ちょっぴり声のトーンを落としてフローレン嬢の横槍に応戦している縦ロール嬢だが、既に手遅れな気もしているのでさくさく本題に入っていただきたい。

お嬢様同士が言い合っている間は無言を貫いているだけで頭の中では食欲に忠実極まりないという私の手には、穀物類と思しきものをとんでもない密度で押し固めて作られたらしいフラップジャックがつままれている。手が汚れることをまるで考慮せずがっちりと指の腹で確かめた香ばしそうなそれを口に運ぶまで、あと五秒くらいしか待つ気はない。

そんなこちらの心境を知ってか知らずかようやくか、高慢ちきな令嬢そのものといった姿で自信もあらわに、声高らかに、ふわふわした髪質っぽいのに強固に巻かれているらしくまったく崩れない縦ロールをどういう原理か靡かせて彼女は自らの名前を述べた。


「私はマルガレーテ。この“学園”において最も高位にある貴族令嬢二人のうち一人としてレディ・フローレンと並び立つ者。キルヒシュラーガー公爵家が一子、レディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガーよ! まぁ、本来ならこの私に直接声を掛けるどころか親しく名前を呼ぶことさえも分不相応でしょうけれど? 貴女は王家が招いたという王国史上類を見ない珍しさの“招待学生”だと言うから―――――特別に、ええ、本当に特別に、下僕のような気軽さで『マルガレーテ様』と呼ぶことを特別に許してあげましょう。光栄に思ってくれていいのよ」


恩着せがましいとかいうレベルにすらない清々しいまでの傲慢さでそう言い放ったお嬢さんの顔は満足げなドヤ顔だったのだけれど、それを座ったまま見上げる私は五秒とっくに経っていたのでフラップジャックを食べている。お上品な一口サイズにされているからひょいひょいぱくぱく放り込めるのでついつい際限がなくなっちゃうな。咀嚼の度にぽりぽりぼりぼりと耳に心地良い音を響かせる甘い味付けのお菓子を飲み込んで、私はとりあえず感覚で答えた。


「うん。特別扱いしてもらわなくていいし気軽に呼べる自信もないから普通に『縦巻き髪のお嬢さん』って呼ぶな」

「なんで!?」


ツッコミの反射速度が良い。そしてフラップジャックは美味しい。気付いた時には次の塊にあっさりと手が伸びている。穀物まるごとぎっちり固めの接着剤はおそらくバター、加えて蜂蜜も混ざっているのかお砂糖よりも風味が広がる。

と、ここでたった今食べたブロックはそれまで食べていたものとは微妙に内容物が違うのか、しゃりしゃりとした小気味よい食感と独特の強い香りがもたらす味の変化はだいぶ個性的な部類。しかし美味しい。これはこれで美味しい。

よくよく観察してみればこのお皿の上のフラップジャックブロック、全部が全部同じ種類ってわけじゃなさそう。大別して三種類くらいある。なにそれ楽しい。全てに共通して数種類の穀物が材料に使われていることからたぶん栄養価も高いとみた。これなら小腹も満たせるだろうし、なにより口に運びやすい。このお手軽さであれば貴族のお嬢さん方であってもつまみやすくて助かるだろう。型に押し込めればいろんな形が出来るだろうし、適当に固めて割っただけでも面白い見た目になりそうだ。すごい。やるな、フラップジャック。ちゃんと覚えたぞフラップジャック。

新たなお菓子との美味しい出会いに胸を弾ませている私に向けて、興奮のせいか紅潮した頬で騒ぎ立ててくる人物は言わずと知れた縦巻き髪のご令嬢その人である。


「なんでよりにもよってそうなるのよ貴女! そこはせめて『縦ロールのお嬢様』にしなさいよ言い難いでしょ『縦巻き髪のお嬢さん』とか!!!」

「別に私は言い難くないから『縦巻き髪のお嬢さん』で問題ないと思うんだけど………そもそもたぶん、縦巻き髪のお嬢さんのこと呼ぶ機会って今後そんなになさそうだしぶっちゃけた話なんでもよくない?」

「えっ………あ、暗に『今後お前と仲良くする気はない』って面と向かって明言された………?」


直前までの勢いはどこへやら、いきなり力なく呟いて肩を落としたお嬢さんはちょっぴり泣きそうな顔をしている。見た目はさておき感情も表情も結構豊かなお嬢さんだなぁ、とフラップジャックを爆速消費しながら一人思っていた私の右側から、小さな溜息のようなものが聞こえた。


「ああ、本当に、まったくもう………誤解でしてよ、マルガレーテ。“リューリ・ベル”という彼女の言葉は基本的に『そのまま』の意味合いです。婉曲な意図などありません。今のは本当に、ただ単純に、『そんなに高貴な身分のお嬢さんを今後個人的に呼ぶ機会があるかどうか分からないので正直呼称など何でもいいのではないか』という旨の発言でしょう―――――だって、リューリさんですもの。嫌いなら嫌いって言いますし、仲良くしたくないなら仲良くしたくないってストレートに言い放って全力で拒否されますので貴女のそれは早とちりです。分かり易く狼狽えて落ち込むだなんてお止めなさい。それでも公爵令嬢ですか」

「うううううううるっさいわねフローレン! そんなことは分かっています! 私を誰だと思っているの!? ………本当よね? 本当に、仲良くする気はありませんっていうお断りの文言ではないのよね?」

「だからそう言っているじゃありませんの………」


縦巻きロール嬢の念押しに、心なしか疲れたような声で答えてあげているフローレン嬢はおそらくだがきっと遠い目をしている。

何個目かも分からないフラップジャックをもぐもぐばりばりと消費するのに忙しい私はそちらを見ないことに決めた。なお、たった今噛み砕いたのはまさかの塩キャラメル味だったのであまりの香ばしさに秒で消えた。ぶっ飛んだ甘さと同居する塩に引き立てられた穀物の旨味、群を抜いてカリカリの食感、そして隠し味的に混入されたほのかな酸味の乾燥果物―――――おめでとうございます優勝です。そんな気持ちで周りの状況を割と無視してお菓子をぼりぼり噛み砕く私だ。

結果的に左側の縦巻き髪装備お嬢さんを視界に入れ続けることになるのだが、彼女は彼女で既視感のある立ち直りの早さで復活するなり再び胸を張っている。


「高貴な者を様付けとはいえファーストネームで呼ぶのは気が引ける―――――なるほど。そういう謙虚な姿勢は嫌いじゃないわ、好ましくてよ! そんな思慮深い貴女にはこの私を特別に『マルガレーテさん』と呼ぶ栄誉を与えます! キルヒシュラーガー公爵令嬢をそう呼ぶことを許されたのは唯一貴女だけなのだから、感涙に咽び泣いてもいいのよ?」

「いやだからもう『縦巻き髪お嬢さん』でよくない? めんどくさいし」

「めんどくさいって言った! めんどくさいって言った!? なんでよ! なんでフローレンのことは普通に『フローレンさん』って呼ぶのに私は『縦巻き髪お嬢さん』なのよ! この私がこんなにも譲歩してあげてるんだから素直に『マルガレーテさん』って呼びなさいよ―――――!!!」


縦巻き髪のお嬢さんことマルガレーテ嬢が顔を真っ赤にしながらちょっぴり涙目で叫んでいたが、貴族のお嬢さんとしてそれ大丈夫なんですかねと思いつつ私は宿屋のチビちゃんの言葉を唐突に思い出していた。

気に入り過ぎて全滅一歩手前まで無心で食べ続けていたフラップジャック最後のひとつを片手に、すーっと顔を動かした私は右側のフローレン嬢へ問う。


「なぁ、もしかして、これが噂のツン」

「ただのポンコツ天然仕立てでしてよ」


全部言い切るその前に強めの否定で返された。フローレン嬢がここまで被せ気味に否定してくることなんてあんまりないので新鮮である。ていうかポンコツ天然仕立てって何。

そんな疑問を私がぽろりと口に出してしまうより早く、フン、と鼻で嗤ったような音で発言権を奪っていったのは挑戦的に目を細めたマルガレーテ嬢だった。


「あらぁ、言ってくれるじゃないレディ・フローレン。それを言うなら貴女の方は裏で糸を引く女郎蜘蛛の性悪毒舌エッセンス添えでしょう? ポンコツよりも不味そうで、なんともご愁傷さまですこと」

「まぁ、なんて独創的な発想と感性をお持ちなのかしら? 流石は王国一珍味に明るいと目される西部地方の名門、キルヒシュラーガー公爵家がご息女ですね、レディ・マルガレーテ。まさか蜘蛛を食材にした料理がこの世に存在するだなんて、私ちっとも存じ上げませんで………我が身の無知を恥じ入るばかりでしてよ。新しいもの、珍しいもの、下々の上に立つ者として他とは一線を画さんとするその前衛的に貪欲な姿勢はまさに肉食獣のようで、それこそ“女豹”と綽名されるに相応しい猛々しさですね」

「ほほほほほ。お褒めにあずかり光栄ですけれど、その評価は些か過分でしてよ………次期国王であらせられるレオニール殿下をあの手この手を使って支える才媛と名高き婚約者、一介の女学生の身でありながら“女狐”とおそれられるレディ・フローレンの前では私など血統だけが取り柄の凡人も同然ですもの。常に淑女の見本たらん、皆の模範たらんと己を律しながらも油断なく周囲に気を配り、必要とあらば表立ってでも盤面を動かすその度量………私、是非とも見習いたいわ」


突然に始まる貴族令嬢的舌戦は心臓に悪いので止めていただきたいというかこれ割と直接的に殴り合ってないかこの二人。

王子様の言っていた「女狐と女豹のガチバトル」とやらの意味が分かった気がしたが何のありがたみもありはしない。心の底から分かりたくなかった。最後のフラップジャックが口の中で解体されては喉の奥へと消えていく。甘くて食べ応えがあって美味しかったので無くなるのはとても寂しいけれど、他のお菓子たちがスタンバイしているので悲しむより味わって次だ次。

そんな理屈で割り切って、蜂蜜とバターをふんだんに使った穀物菓子こと満腹感のあるフラップジャックを一人で全部平らげた私は空いたお皿をテーブルの端っこにひょいっと置いた。さて、次は何を食べよう―――――物色しようにも品数が多くて目移りすごい、決められない。

とりあえず目に付いたものを片っ端から口に入れていけばいいのではないか、との結論に至り、あまり得意でない紅茶の渋みを喉の奥に流し込んで口の中が潤ったところで手近なゼリーに手を付ける。と、ここでまたしても待ったが入った。


「―――――ちょっと、貴女。お待ちなさい」


見咎めた、と言わんばかりに不機嫌そうな声であり、多分に険を含んだそれはやはりマルガレーテ嬢のものである。なんでだよ。フローレン嬢との舌戦はどうした。そんな気持ちでのっそりとそちらを見遣った私の顔は、たぶんちょっぴりげんなりしていた。


「フラップジャックに最初に手を付けた時点で既に気にはなっていたのだけれど、貴女………もしかして、お茶会のマナーも知らないの?」

「え? “お茶会”にそんなモンあったの?」

「あるわよ!!!」


爆発した。心の底から意外だったので率直に思ったことを口にしただけだったのにマルガレーテ嬢は秒で爆発した。そんな爆発をしれっと受け流しつつ知らなかった、と正直に白状しながらスプーンで掬って一口食べたゼリーはぷるぷると舌の上でさっぱりとした控えめな甘みを広げていく。固過ぎず柔らか過ぎない絶妙の弾力にまるごと果実のフレッシュさがコーティングされたナイスな一品。ひんやりとした感覚が紅茶で温まった口腔内を駆け抜けていくのが爽快です。


「あのねぇ、格式と礼節を重んじる王国貴族の“お茶会”に、ルールが無いわけないでしょう! アフタヌーン・ティーで提供される食事は例えばケーキスタンドなら下から順番に食べていくものだし、味が分からなくならないように序盤は色や味の薄いものから食べていくのが好ましいっていう風潮なのよ! 食事を取り分ける際はパン類やスコーンを除いてナイフとフォークを使うものだし、食べるときは小さく一口大に切り分けて上品に少しずつ少しずつ食べる! さっきまで貴女が食べていたフラップジャックにしても大口開けて次から次へと放り込み続けるものじゃないし一人で完食したりもしないし後半に食べるべきデザートにこんな早く手を付けたりしな―――――ああもう! この私が親切にも直々にマナーを教えてあげてるっていうのに『全然関係ありません』みたいな顔で堂々とジュレを楽しむのは止めなさい!」

「フローレンさん、これおかわりしていい?」

「お気に召していただけたようで何よりです、リューリさん。ええ、ええ、もちろんどうぞ。ミカンだけでなくこちらの白桃や巨峰のゼリーもすべてご堪能くださいまし」

「甘やかしてんじゃないわよフローレン!!!」


微笑みを崩さないフローレン嬢に威勢良く吠えるマルガレーテ嬢。そんな二人の隣にありながらも微動だにしないお付きのご令嬢二名と給仕という空気に徹するご令嬢二名。

そんな混沌とした談話室の中、わーい、と手放しで喜んでフローレン嬢に指し示されたゼリーの容器を両手に一つずつキープする私に縦ロール嬢の視線が突き刺さる。目力の有り余る鋭い眼光は私の手元に向けられていて、そういえばここに並べてある食べ物の数々は私一人だけのものではないのだという事実に今更気付いてちょっと反省した。

いくらなんでも自分一人で全員に行き渡らない量をひょいひょいぱくぱくと食べてしまうのは問題である。食べ放題でもそれはいけない。食いっぱぐれを出してはならない。そうだよな―――――ご令嬢だってお菓子食べたいだろうし、私が早食い大食いの勢いで食べ続けたらそれは大迷惑だ。

これは申し訳の無いことをした、という気持ちで眉尻をやや下げながら、申し訳なさの滲む声音でお伺いを立ててみる。


「………マルガレーテさん、どっちか食べる?」

「はぁ!? 要るわけな―――――ッ………!」


言葉は最後まで続かずに、途中で失速して唐突に消えた。縦に巻かれた金髪をぶぉんと思いっきり翻し、私に背を向けるかたちで明後日の方角に身体の向きを変えてしまった華奢なお嬢さんの肩がどうしてだか小刻みに震えている。数秒後に彼女が発した声は、どうしてだか両手で顔を覆っていたせいで酷くくぐもって聞き取り辛かった。


「両方貴女が食べていいわよ………もうジュレ全部食べちゃっていいわよ………」

「あ、いいの? ありがとうマルガレーテさん」

「………ヴッ………」


何やら変な音が聞こえたが、食べていいとの許可が下りたのでゼリーを食べるのに忙しい私はほとんど気にしていなかった。ところでなんでゼリーのことジュレって言うの? あ、言い方が違うだけで原材料的には同じだからあんまり気にしなくてもいい? 王国語やっぱりめんどくさいな。


「ふう―――――今ので確信したわ。ねぇ、レディ・フローレン。やっぱり貴女には任せておけない」

「あら。不意打ちで普通に名前を呼んでもらえたことに緩んだ表情筋の再調整はもう終わりましたの? マルガレーテ」

「おほほほほ何のことかしらフローレン? 私の優雅な表情筋はいつだって万全の仕事をしていてよ」

「今のセリフをもう一度、果肉と果汁たっぷりの濃厚巨峰ゼリーに舌鼓を打っているリューリさんを視界におさめながら言ってごらんなさいなレディ・マルガレーテ」

「話を逸らそうとしたってそうはいかないわよレディ・フローレン!」


不自然なくらいに声を張り上げて、舞台女優さながらの所作でオーバーに細い腕を振るうマルガレーテ嬢に何故か王子様の影を見た。うん、気のせいでしかない。

割り切るところは割り切ってガラスの器にこびりついた巨峰ゼリーの欠片を集められるだけ搔き集め、最初に食べたミカンゼリーよりずっと自己主張の強い巨峰の旨味を最後の最後まで堪能する。味は強いのにさっぱりとして、なのにしつこさがまったくない。自然由来の優しい甘さが舌の上と鼻の奥に残ってとても幸せな気分になれるが、しかしこの後でミカンや白桃のゼリーを持ってくるとなると確かに弱く感じるかもしれない。食べる順番、これ大事。まぁ水で一回リセットしちゃえば大抵なんとかなる気もするけどそれはそれだしこれはこれ。


「他の有象無象ならいざ知らず、まさかこの私を煙に巻けるだなんて思わないことね、レディ・フローレン―――――いい加減本題に入りましょう」

「まぁ、煙に巻く、だなんて人聞きの悪いおっしゃりようですこと………ねぇ、レディ・マルガレーテ。私、きちんと申し上げましたでしょう? 『受けて立ちます』の言葉通りに、場所も役者も整えてこうして相対しているのですから―――――御託は結構」


かかってらして? と不敵に笑うフローレン嬢の真正面で、マルガレーテ嬢が無言のままに同じく不敵な笑みを返した。ほほほほほ、と不穏に転がる二重奏に体感温度がごりっと下がる。


「あら、素敵ね。フローレン」


冷静と情熱の狭間を行ったり来たりするようなご令嬢トークの切り替えの激しさについて実況と解説が欲しい気分だが生憎と適任者が居ない。和やか空間だと思ったら突如として吹き荒れる猛吹雪に故郷の過酷さを思い出すけれどこれ防寒具じゃ防げないやつじゃん私の守備力ゼロだよ今。

ひんやりゼリーを食べたくらいでは全然堪えなかった身体に何故だか嫌な悪寒が走った。温度的ではない意味で身震い寸前になっている私の心境いざ知らず、テーブルの両サイドに別れてそれぞれ優雅に火花を散らしているご令嬢たちの強い視線にはお互いの姿しか映っていない。

す、とその場に腰を下ろしたマルガレーテ嬢が、尊大な態度で口火を切った。


「では改めて、もう一度、貴女に申し上げましょう。ねぇ、レディ・フローレン。“学園”からも“王族”からも信任厚いレオニール殿下の御婚約者―――――何かと忙しくしていらっしゃる貴女に、そこの“招待学生”の面倒を見るのはあまりにも負担が大きいのではなくて?」


ん? 私? まさかの議題?

という疑問を込めて顔を上げたくても上げない方がいいと本能が警告していたので、とりあえず目の前のサンドイッチに齧り付くことで適当に気を紛らわせる私だ。しゃきしゃきお野菜にぴりっとしたマスタードソースが刺激的。いつもランチで食べるサンドイッチよりボリュームは心許ないが味については言うまでもない。甘味を堪能した舌にインパクトのあるマスタード。しかし蜂蜜ブレンドなのか辛さの中にも甘さがあって、一緒に食べることによりお野菜の瑞々しさが引き立つ。シンプルだからと手を抜かない確かな仕事がここにあった。


「ああ、やはり王都までの長旅でだいぶお疲れなのではなくて? 疲労で少々お耳が遠くなったまま、未だ回復の兆しがないとはなんとお労しいことでしょう………お気遣いは痛み入りますけれど、返す答えは同じでしてよ、親切なレディ・マルガレーテ―――――リューリ・ベルさんの学園生活にそれとなく気を払うくらい、負担でも何でもありません。文化の違いは多々あれども彼女は優秀な生徒ですもの。どうということもなくってよ」

「へぇ。どうということもない………ねぇ。それにしてはこちらの彼女、“お茶会”におけるマナーひとつ満足に指導されていないようだけれど? 知らないことを知らないままに問題ないと放置して、恥をかくのはこの子でしょう? 教えて然るべきことを教えることなく放任する。あまり言いたくはないのだけれど、これを貴女の怠慢と言わずして、なんと言えばいいのかしら?」

「あら、まぁ。なんてこと。誤解でしてよ、レディ・マルガレーテ。まず第一に、リューリ・ベルさんはあくまでも『錬金術科』の“招待学生”です。よって彼女の学習カリキュラムに“淑女教育”の項目は一切存在しませんし、教える必要もないというのは私などよりもっと上の責任ある方々が決めたこと―――――それに関して物申したいなら、私ではなく“学園”か“王国”の担当者に話を通されては如何?」


ころころとよく転がる鈴の音のような涼やかさで、ひんやりと冷たい響きを纏った声音でフローレン嬢が小さく笑う。細められた目の奥はまったく笑っていなかったが、それは対面席に座すマルガレーテ嬢も同じだった。十二番さんが淹れなおしてくれた温かい紅茶が注がれたティーカップに無心でイチゴジャムをどぼんして、ぐるぐるかちゃかちゃと撹拌する音がやけに談話室の中を騒がせている。スプーンを引き抜いてそうっと口を付けた紅茶は渋いけど甘くてやっぱり渋い。


「ああ、そういうことなら仕方ないわね。だけどねぇ、フローレン。貴女の負担が大きいのでは、という懸念については一切払拭されていないわ」

「あら、どういう意味でしょう?」

「もちろん、そのままの意味でしかなくてよ。王子様の婚約者、次代の王妃、今代の“学園”に二人しか居ない公爵令嬢の一人………ええ、そうね。淑女の模範、皆の手本となるべき筋金入りのお嬢様。そんなレディ・フローレンだからこそ、“王国”が招いたお客様である“招待学生”のお嬢さんの面倒を見よと申し渡されるのは当然よね。貴女は優秀な人材だもの。未だ私たち学生が足を踏み入れることのない社交界にすら名の知れた期待の才媛なんだもの、学園だって王家だってこぞって貴女を頼りにするわ。それこそ学生の身には余るくらい多忙を極めもするわよね。婚約者の相手、花畑の手入れ、箱庭の管理に至るまで貴女はいつだって忙しい。更には“招待学生”という扱いの難しい存在にまで気を配れなんて押し付けられて………だけど、貴女は断らないわ。断りようもないでしょう、他に選択肢がないのであれば。しょうがないわよねぇ、フローレン。だって他に適任者が居なかったんだもの―――――ええ、少なくとも、今日までは」


空気が軋む。目には見えない張り詰めた糸が、みしりと嫌な音を立てた気配。マルガレーテ嬢は笑っている。笑っていると分かる目で、好戦的に挑発していた。誰を、とは敢えて言うまでもない。

そして私は決意した―――――そうだ。クリームたっぷり塗ってスタンドのスコーン全部食べよう。


「まるで『今日からは適任者が居るのだからそちらに一任してしまえ』―――――と言わんばかりの口振りですわね。一体どなたのご親切かしら? そもそもそんな適任者とやらに覚えがまったくないのですけれど」

「あら、急に察しが悪くなるだなんてどうなさったの? レディ・フローレン。勘違いはなさらないでね、昔からのよしみで貴女の負担を少しでも軽くしてあげようと思っただけよ―――――それとも、なぁに? 貴女と同じ公爵令嬢の身であるこのマルガレーテ・キルヒシュラーガーが力不足だとでも言うつもり?」

「滅相もなくてよ、レディ・マルガレーテ。ええ、けれど、敢えて私も貴女に一つ伺いたいのですけれど―――――ねぇ、貴女、マルガレーテ。貴女、私がその程度のことで潰れるような女だと本気で思っていらっしゃるの? この私が、王家が選んだ唯一の婚約者たるこの身が、たかが学園生活に纏わる些事に忙殺されて音を上げるような存在であると本気でお考えなのかしら? だとしたら、杞憂も甚だしくってよ」


率直に言ってごめん助けて。


誰に助けを求めたのかは自分でももう分からない。

セスでも王子様でも誰でもいいから今すぐこの部屋に乱入して来い今ならお菓子分けてあげるから! 手放しで歓迎してやるから! 心の叫びは現実に口に出してはいないせいで何処にも誰にも届かなかった。当然である。届いたら怖いよ。でも両サイドのお嬢様方の言葉の殴り合いの方が今はナチュラルにしんどいですどうして誰も止めないんだよやだもう空間が悲鳴上げてる。

無心で齧るスコーンの味がちょっぴり塩味な気がするのは元からそういう味付けであってけして私の冷や汗ではない。そう信じたい。そう信じている。スコーンの魅力を十全に引き出すクロなんとかクリームというこいつを信じろ。たっぷり塗って思いっきり頬張ったら美味しいけど口の中めちゃくちゃぼそぼそしました。噎せそう。


「あら、気を悪くされたならごめんあそばせ。ただ心配性なだけなのよ」

「まぁ、気を悪くしただなんて………こちらこそ申し訳ありませんでした。誤解があったようですけれど、そんなことはなくてよマルガレーテ。思慮深いことは素晴らしいことですもの―――――何にせよ、過ぎればただの毒でしかないので程々が良いとは聞きますけれど」

「そうねぇ、フローレンの言うこともまた真理の一つではあるのでしょうねぇ―――――己が力量も弁えず頑張り過ぎて倒れてしまっては元も子もないとも聞くけれど」

「ほほほほほほほほほ。ところで『ブーメラン』という玩具が最近巷でとても流行っているそうですけれど、長らく流行の最先端である王都を離れていたレディ・マルガレーテはご存じかしら? 投げた本人のところに戻ってくるという特性のある変わった棒状の玩具なのですけれど、転じて『自分の発した批判や悪口が自分自身に当て嵌まっていたため発言した言葉がそのまま自分に戻ってくる』という意味でも使われるようになったという話でまったく面白いお話ですわねぇ」

「あぁらまぁぁぁそれはそれは面白いお話ね初めて聞いたわぁ流石淑女の中の淑女たるレディ・フローレンは情報通なのね市井の流行どころかそこから派生した庶民言葉すら熟知しているなんて尊敬の念を禁じ得ませんわぁ素晴らしい無駄知識をご開陳いただきありがとうございます勉強になりましてよ」


うん。もうむり。


「すいませんかえっていいですか」

「誠に申し訳ございません。心中お察し致しますが、ここで席を立たれますと飛び火を通り越して焚火の中と相成りますので何卒ご辛抱願います」

「温め直したスコーンと追加のクロテッドクリームと各種ジャムでございます。絞りたて果汁百パーセントのオレンジジュースもご用意しておりますので、どうかこれで何卒。何卒………」


十二番さんと十三番さんに宥めすかされて大人しく追加のスコーンを齧る私の目はいよいよ死んでいる。食べ物を口に運んでいるのに残念な感じで死んでいる。飛び火を通り越した焚火の中に既に放り込まれている心境で、しかしこれ以上の火力となるともう想像がつかなかった。貴族のお嬢様方は常にこんな殺伐としたお茶会に身を投じているのだろうか。え? いつもはもっとお上品に分かりにくい感じでやりあってる? 今日はだいぶ直接的な方? どのみち怖いよ。こんなお茶会に出るくらいなら私は普通に狩りに出たい。矜持をかけて生存をかけて赴くのであれば狩りが良い。だって狩猟には慣れている。

そんな私が言いたいことはたった一つだけだった―――――こんな“お茶会”はもう嫌です。


「まあいいわ。貴女があくまでその態度なら、私も方針を改めましょう―――――貴女の身を慮っての先程までの発言はすべて私の温情でしかなかったと理解なさいな、レディ・フローレン」


唐突に好戦的な語調で口の端を釣り上げたマルガレーテ嬢の左手が、滑らかな所作で持ち上げられて傍らのお嬢さんの前で止まる。まるで何かを待っているように上向きで静止した手のひらに、ただ「心得ております」と態度で示す名前も知らないご令嬢が黙したまま紙の束を置いた。結構な分厚さをものともせずにそれを掲げるマルガレーテ嬢の顔は己が優位を疑わない者特有のそれだったが、私としてはその存在感のある紙の束どこから出したんですかということの方が気にな―――――あ、十二番さんたちに温め直してもらったさっきのスコーン紅茶味だ。縦に膨らんだ丸っこい生地の中に散らばっていた正体不明の黒い粒はどうやら紅茶の葉っぱだったらしい。苦味も渋味も和らいでるから紅茶そのものよりこっちの方が好きだな。


「ねぇフローレン。これが何かお分かり?」

「さぁ? 皆目見当もつかなくてよ―――――と、言いたいところですけれど。貴女がそうやって出してくるからには、どうせ私が『リューリ・ベル嬢を利用して学園を都合良く私物化している』といった内容の調査報告書あたりではなくて?」

「分かるわけないでしょうから教えてあ………えっ」


しれっと答えるフローレン嬢。目を丸くするマルガレーテ嬢。この時点でもう既に勝負がついていると思うのは果たして私だけだろうか。

別に同意が欲しいわけではないのでオレンジジュースを一気飲みして果汁百パーセントの余韻を楽しむ。“お茶会”に紅茶以外の飲み物なんて認めないわよ! なんて怒声が飛んで来そうな気もしたが、それどころではないらしいマルガレーテ嬢はフローレン嬢と対峙したまま微動だにしていなかった。


「ふ、ふぅん、そういうこと。流石じゃないの、フローレン。こちらの手の内なんてお見通し、ということかしら………!」

「さて、それはどうでしょう? ただ私は『受けて立ちます』と再三申し上げていましてよ―――――くだらない前置きは抜きにして、早急に確かめてみては如何?」


すっかり温くなってしまった紅茶入りのティーカップを持ち上げて嘯くフローレン嬢から「いいからさっさとかかってこいや」という副音声が聞こえた気がしたがたぶんじゃなくても気のせいである。よく見たら隣席の十一番さんが何処からともなく取り出したファイルだの資料だのをてきぱきとテーブルの端に並べていた。迎撃準備が万端過ぎる。なんて分かりやすい挑発なんだ。

くう、と一瞬だけ悔しそうな表情を浮かべたマルガレーテ嬢が、ほんの僅かに顎を引いた角度で闘志も露わにフローレン嬢を睨み据えた。余計なお世話だと思うけれども止めておいた方がいいと思う。


「いいでしょう、そこまで自信があるというならはっきりと口にしてあげるわ―――――フローレン! 貴女、“招待学生”に関する事柄を学園から一任されているのをいいことに『リューリ・ベル』のファンクラブを立ち上げて会員たちをいいように使い学園私物化計画を進行しているという話じゃないの!!! この私が居ない間に勢力図を書き換えるどころか盤面そのものを塗り潰すだなんてよくもまぁそんな大それたことをしてくれたものね!? 糾弾を受ける覚悟は出来て!?」


ばぁん! と手にした書類をテーブル上に叩き付けて威勢良く言い切ったマルガレーテ嬢だがフローレン嬢は動じなかった。悠々と椅子に腰かけたまま、お嬢様然とした優雅さを微塵も損なわないままにティーカップを受け皿へと戻している。


「まぁ、そんなに語気を荒げてどうなさったの? マルガレーテ。確かに学内でリューリさんの人気が高まるにつれ、“招待学生”である彼女の学園生活に支障を来すことがないよう管理・統制するために学園の承認を得た上で“ファンクラブ”を立ち上げるというかたちをとったことは事実ですけど………学園を私物化? この私が? そんなことを言われても、まるで覚えがないのだけれど」


いや飄々と受け答えてるけど今なんかすごいこと口走らなったかこの人。という私の素朴な疑問より、マルガレーテ嬢の嘲笑の方が圧倒的に早かった。


「受けて立つ、と言ったその口で平然とシラを切るなんて呆れたものね、フローレン。いいわ。覚えがないというのならすぐにでも自覚させてあげましょう………というか、勘違いしないでちょうだい。私だって貴女が彼女のファンクラブを立ち上げたこと自体には何の文句もありはしないわ。その件について学園からの許可が下りていることは既にこちらも確認済みよ―――――私が問題視しているのはねぇ、そのファンクラブの会員たちから『入会費』という名目で少なくない額の金品を貴女が受領しているっていう聞き捨てならない事実の方よ!!!」


我慢出来ない、と言わんばかりに声を荒げるマルガレーテ嬢の目には、正面でのんびりと構えているフローレン嬢しか映っていない。焦りも何も見当たらないその余裕ぶった顔が気に食わない、と言わんばかりに眦を吊り上げる様は癇癪を起した子供のようで、二人の間に挟まれるかたちで分厚いクッキーを齧る私には彼女たちの温度差がよく見えた。

ところでこのクッキー、なんか分厚いつくりの割にはやたらと脆い気がするんだけどもしかしてクッキーじゃなかったりする? めっちゃぽろぽろ零れるんだけどこれは食べるのが下手なだけか? 聞ける雰囲気ではなかったので諸々含めて口を噤む私である。あとで聞こう。求む、なんかこうこぼれない食べ方。


「一人一律一万マニー、私たちや貴族の子弟にとっては大した金額でないにしても平民にとってはそうじゃないでしょう! ファンクラブの会員数が三桁にも上っているのであれば私腹を肥やしていると取られても言い逃れ出来ない額になるのよ!? レディ・フローレンともあろう女がそれくらい分からない筈ないでしょうに―――――復学直後の私に、平気でそんな情報を握らせるような下手を打つ貴女のわけないのに、一体何をしているのよ!!!」


悲鳴のような声だった。気に入らない、と全身全霊で訴えている姿は酷く苛烈で、なのにその目に灯る光は不安定に揺れている。王国貴族のお嬢さんの心なんて複雑怪奇なものが私に汲み取れる筈もないけれど―――――なんとなく、思ったままを口にした。

空気も読まず、流れも無視して、それこそいつもと変わらずに。


「ん? あれ? マルガレーテさん、もしかしてそれフローレンさんのこと心配して言ってたりする?」

「ち………ちっがうわよどうしてそうなるのよ何処をどう切り取ったら私がこの女にそんな好意的に見えるのよ視力検査をした方がよろしいんじゃなくて“北の民”の妖精さ―――――ショートブレッド食べ零し過ぎでしょうお行儀悪いわね誰も取ったりしないから両手に一本ずつキープするの止めてちゃんと片手にお皿持って受け止めなさいお皿で!!!」


思わず口を挟んでしまったこちらに向けて勢い良く吐き出された縦巻き髪のお嬢様の言葉には露骨な照れ隠しが滲んでいた。私にだってそれくらいは分かるぞ。指摘すると面倒臭そうだったのでこれ以上は触れないけれど、ついでになんか聞けそうなタイミングだったので気になっていたことを聞いてみる。


「ところでこのショートブレッドっていうのとクッキーは別物だったりする?」

「え? ええと、材料としては大体同じ筈よ。ただ………確か、小麦粉の比率に対してショートブレッドの方が水分が少ないんじゃなかったかしら。材料に油分系が多いというか………うちの菓子係がそんなことを言っていたような気がするわ。クッキーよりポロポロ零れ易いのはきっとそのせいなんじゃない? せいぜい気を付けて食べることね」


素直か。上から目線は忘れない姿勢だが聞けば普通に答えてくれるマルガレーテ嬢である。私はこの時点でもう確信していた。この人、たぶん、根っこは単純。


「と、言いますか、クッキーと一括りにまとめていても地域によって少しずつ違う場合もありますものねぇ………聞いた話、ショートブレッドがバタークッキーを指す場合もあるそうですよ。油分が多くて分厚いもの、という意味合いらしいのですけれど」

「ふぅん。何だかややこしいわね。統一国家を謳うならそういうところも統一しておけばもっと単純だったでしょうに―――――って違ぁぁぁぁぁぁぁぁぁう!!!!!」


フローレン嬢の合いの手にコメントしつつ紅茶を嗜んでいたマルガレーテ嬢がここで唐突に絶叫した。それがなければものすごく普通のお茶会っぽかったのに全力で台無しにする絶叫だった。

もう私には“お茶会”とやらの定義がよく分からなくなってきていたがとりあえずフローレン嬢が教えてくれた「ショートブレッドでしたらミルクたっぷりの紅茶に浸して食べると美味しいですよ」という食べ方は試して損はしなかったですとだけ言っておきたいとは思う。ぽろぽろの生地にミルクたっぷりの紅茶が染みてしっとり食感。さくさくからのふやふや。これはこれでありなやつ。


「斜め上からの妖精さんトークとものすごく気が抜ける雑談でうっかり誤魔化されるところだったけれどそうはいかないわよ、フローレン! 私の質問に答えなさい! 納得のいく説明をしてみなさい!!! どうして! 学園公認の招待学生ファンクラブ活動で学生からお金を巻き上げているの!?」

「いえ、なんと申し上げますかもう平たく言って確認不足………と、切って捨ててしまいたいところではあるのですけれど。一応、貴女は復学直後ですし、下調べも終わっていない準備も碌に整わないまま突撃してしまうそのスタイルには悲しきかな慣れていますので―――――お答えしましょう。マルガレーテ。こちらをご覧くださいまし」


そう言って、フローレン嬢が傍らの十一番さん―――余談だが彼女とその対面の名前を知らないお嬢さんは今までの遣り取りを気に留めることなく二人してお上品に果物ゼリーを食べていた―――に合図を送って取り出させたのは小さな正方形の箱である。本当に小さな箱だった。質の良さそうな布張りのそれにはまるでハンバーガーのパンのように一本の切れ目が走っていて、十一番さんの手によってかぱりと上向きに開く。

そっとテーブルの上に置かれたあとで自分たちに見えやすいようにと押し出されたその箱の中身を、ほんの少しだけ身を乗り出したマルガレーテ嬢が訝し気に覗き込んだ後で瞠目した。私の位置からはちょっと見えにくいのだけれど、内張に使われている柔らかそうな黒い布の上に小さな金色の塊が光っている。マルガレーテ嬢が静かに顔を上げた。


「一流の職人が手掛けたと思しき精緻な彫細工が施された純金………いえ、十八金製プレートのペンダントトップに見えるのだけれど。これが何だと言うのかしら?」

「なんだも何もこれが答えでしてよ。こちらが入会費一万マニーの理由、つまりは―――――ファンクラブの会員証です」


さらっと答えるフローレン嬢。箱の中身に視線を落としてからもう一度顔を上げるマルガレーテ嬢。表情の一切が消失した縦巻き髪のご令嬢の顔面は派手系美人なので迫力があるがそれはフローレン嬢も同じである。


「………え? フローレン、それ本気で言ってる?」

「本気も何も事実でしてよ。間違いなく、偽りなく、それがファンクラブの会員証です。軽く補足を入れますと―――――今見えている表面に施されているシンボルマークはファンクラブの全会員から意見を募って選出された『妖精の羽』と『雪花』をモチーフに学内にてデザインを公募して決定しました。未来の芸術家の卵たち、と名高い我が王立学園『芸術科』の生徒たちが鎬を削った力作の頂点は男女ともに気兼ねなく身に着けられるシンボルであると好評です。基本の型はペンダントトップですが希望があればピンブローチやカフスへの変更も可能、裏面には会員番号と共に本人氏名を匠の技が光る飾り文字で刻印。我が公爵家お抱えの老舗工房に完全受注生産で依頼してありますので生産ライン及び品質は常に安定しています。加工のし易さと耐久性を加味して二十四金ではなく十八金ではありますが、きちんと出所の知れた正規品の金を使用していますので―――――会員証の代金としていただいている入会費一万マニー分の資産価値としては十分である、と皆様ご納得されていましてよ」

「十分どころじゃないでしょうコレ! 十八金でこの厚み、このサイズ、しかもこんな凝った彫金細工がたかが一万マニーなわけないじゃない!!! 採算度外視にも限度があるわ!!! 転売目当ての入会や盗難事件が相次ぐわよ!? そこのところはちゃんと対策してるんでしょうね!?」

「勿論でしてよ、マルガレーテ。詳しくはこちらの書類―――まぁ入会者希望者への配布資料なのですけれど―――に詳しく記載してありますので、あとでお目通しくださいまし。簡単に結論だけ申し上げますと『盗難・転売等の行為に手を染めた場合は社会的にも物理的にも死にますがその覚悟がある者だけやれるものならやってごらんなさいファンクラブ運営本部の名の下に遠慮容赦なく潰して差し上げます』と読み取れる内容が懇切丁寧な文面で書いてあります」

「なにそれ恫喝より逆に怖い」


思わず、といった様子でマルガレーテ嬢が呟いた。さっきまでの威勢はどこへやら、想像以上に強気な文面に悪役令嬢っぽい顔立ちを青褪めさせた縦ロールのお嬢さんが薄ら寒い恐怖感に引いている。

そんな彼女たちの傍らで、十一番さんと名前の分からないお嬢さんが丁寧に書類の受け渡しを行っていたがそちらは至って平和だった。私も私でこっそりと新しいお菓子に手を伸ばしていたので今のところは平和である。ショートブレッド? 全滅しました。ミルクたっぷりの紅茶の力は偉大だったとだけコメントしておく。


「まったく、何を言い出すかと思えば………大方、今の学園の情勢を快く思わない方々のくだらない嫌がらせでしょうけれど。復学直後で碌に現状も把握していないのにそんな輩と同じ舟に乗るだなんて―――――マルガレーテ。貴女、些か迂闊に過ぎるのではなくて?」

「う………うるっさいわねフローレン………というか、勝ち誇った顔してんじゃないわよ! 私の話はまだ終わっていないわ!」

「いえ、勝ち誇るまでもなかったので私自分でも驚く程に無我の境地なのですけれど………まぁいいでしょう。まとめて片付けて差し上げますので思い付く限りご自由にどうぞ」


わぁ、あのフローレン嬢が珍しくすごい投げやり気味なこと言ってる。王子様を相手にしているときはもうちょっとキレがあるっていうか鬼気迫るものを感じるんだけど今の彼女の横顔からは「面倒臭い」以外の感情がまったく読み取れないですね。

そんな気持ちでスポンジケーキにジャムを挟んだような見た目のお菓子のふわふわ食感を楽しみながら、オレンジジュースの残ったグラスにそのまま紅茶を注いで混ぜるという雑なミックスを敢行した私を止める人は誰も居なかった。貴族のお嬢さん方にとってはただの蛮行でしかないこの行動に最初に気付いたフローレン嬢はしかし、叱るどころかにこやかに柔らかくあらあらと笑って受け入れる始末。


「たまにはオレンジ・ティーもいいかもしれませんね―――――ああ、そうそう、確かオレンジのスライスのシロップ漬けがあったでしょう? リューリさんに出して差し上げて。サンドイッチケーキはデコレーションのないシンプルなところが魅力ですけれど、お好みで果実のシロップ漬けを添えても違った味わいが楽しめましてよ」

「あ、ありがとうフローレンさん。お言葉に甘えていただきます。ところで私ばっかり食べちゃってるけど大丈夫? そろそろ控えた方がいい?」

「あら、まぁ、そんなこと。お気になさらないでくださいまし。お菓子の類はいくらでも追加すればいいだけの話です―――――むしろ、ここまで気持ち良く消費し続けてもまだ食欲が衰えないとは。私の見通しが甘かったようで………この際です。流石にやり過ぎかと自重した出張食堂クレープサービスを今からでも導入してみましょうか。食堂スタッフが目の前で焼いてくれるクレープ生地に好きなものをトッピングして飽きるまで食べ続けられるという大人数用のパーティープランですけれど、リューリさんなら一人でもまったく問題なさそうですし」

「フローレンさん最高か。ありがとうございます」


クレープとやらはまだ食べたことないからどんなものかは不明だけれど、食べ放題という言葉の響きは心の底から大好きです。真顔でお礼を言うことに何の躊躇いもない私の左側、それまで沈黙を保っていたマルガレーテ嬢が耐えかねたように鋭く叫んだ。


「私の! 知ってる! お茶会と! 違う!!!」


うん、たぶんそうだと思う。

魂の咆哮っぽい切実さで放たれた台詞のひとつひとつが露骨な苛立ちに満ちていた。こちらとしてはマルガレーテ嬢の言う“お茶会”の方をまったく存じ上げないのだけれど、少なくともこんな一人でばくばくお菓子食べ続けて作法ガン無視で自由に飲み物混ぜたりしちゃう生き物は居ないだろうなぁとは察しが付く。

まぁ思いはしても結局食べるんだけどな!

そんな開き直りも露わに頬張るスライスオレンジのシロップ漬けを乗せたサンドイッチケーキが美味しい。イチゴジャムに意外と合う。オレンジとイチゴは仲良しさん。


「今日の貴女は一段と賑やかなようで何よりです、マルガレーテ。久方振りの学園でのお茶会を楽しんでくださっているようで、主催としては喜ばしい限りでしてよ」

「よっくもまぁ抜け抜けと………! どうぞご自由に、と言った矢先にリューリ・ベルさんに意識を向けてまったく私に関心を払わないそのふてぶてしさは相変わらずのようねフローレン―――――いいわ! お望み通り息つく暇もなくこちらの手札を晒してあげる! せいぜい気張って迎撃なさい!!!」

「はいはい、いちいち前置きを挟む癖は今日この場では悪手ですよと一応忠告はしましたからね、マルガレーテ―――――ああ、十二番、今のうちにクレープサービスの手配を」


おお、フローレン嬢がチーム・フローレンのお嬢さんを番号呼びにした瞬間って実のところ初めて見た気がす―――――え? 待って? ちょっと待って。フローレン嬢まで彼女たちのこと普段から番号で呼んでるの? なんで? これは純粋に全力でなんで?

同じ疑問に行き着いたのはマルガレーテ嬢も同じらしく、おそらくは十二番さんの名前を知っているであろう彼女は不可解そうな表情をフローレン嬢へと向けていた。


「………ねぇ、フローレン。その十二番っていうのは何なのよ。あの子、貴女のところのオディ―――――」

「いけませんレディ・マルガレーテ!!! リューリ・ベルさんの前で名を名乗ることはファンクラブの会員規約に反しますのでお止めくださいそうでなくても止めてください推しに存在を知られないままに推していきたい心意気を汲んでくださいお願いします私はただの十二番です!!!」

「聞き捨てならないことが多過ぎてまったく意味が分からないのだけれど!?」


血相を変えて口早に思いの丈をぶつけに行った十二番さんに力いっぱい叫び返すマルガレーテ嬢に全面同意するしかない。なんだそれ。要所要所で謎に思っていた番号呼びの謎が解けました。これは解けなくてもよかったと思う。

ていうかファンクラブの会員規約で番号呼びを義務化ってなんだよ。個性を消しに走り過ぎだろ。王国民のそういうところ割と本気で意味分からん。


「ま、まさか『ファンクラブ活動と言いながら個人の尊厳を踏み躙っていると思しき規約を入会者たちに押し付けている』っていう話はもしかしてその番号呼びのこと………? なんでそんな馬鹿な規約設けちゃったのよフローレン………」

「いえ、一つだけ言わせていただくと、これに関しては私ではなく創立に携わった他のメンバーの強い要望だったのですけれど………最終的に、ファンクラブ内において自他ともに番号で認識されていれば一時とはいえ生まれや育ちに関係なく平等に“同じものを尊ぶ同志”で居られるから、と―――『貴賤の垣根を取り払うことは“学園”という建前をもってしても完全には難しいけれど、限りなくそれを忘れた状態で同じものに夢中になれるというのは得難い経験なのではないか』―――と。珍しくあの殿下がまともな意見を述べましたので。一考の価値ありとみて導入を検討したところ、『名前という固有名詞を捨てて一集団に属することにより、一層の連帯感と責任感をもって気兼ねなく節度を保ってファン活動に打ち込める』という前向きな意見が多かったので規約に組み込むに至りました」

「想像以上に理由がポジティブ」


決め手がまさかの王子様って予想外過ぎてお菓子食べる手が一瞬普通に止まったぞおい。

なんだかんだ言いつつ婚約者に甘いフローレン嬢という見方も出来るが、あのトップオブ馬鹿の言い分も確かにまともっぽくはあるので何とも言えない気分になった。それでもやっぱり番号呼びってどうなんだ、と思わなくもないけれど。


「それとこれはいざファンクラブ活動が軌道に乗ってから気付いたのですけれど………リューリさんに何らかの下心込みで近付こうとする輩は平然と自ら名乗るので、ファンクラブ会員かそうでないかが分かり易くなって非常に便利でした。無論、授業中や緊急時などの名前を言わなければならない場合は普通に名乗っていいことにしていますけれど、そうでない状況で名乗りを上げて彼女に絡むような者を見掛けた場合は至急運営本部ないし関係者各位に連絡が届く体制を整えたら危機管理及び事後処理の類が大変楽になりまして―――――何が功を奏するのかは試してみるまで分からない、という新たな学びを得た気分です」

「い、意味の分からないスタート地点から始まった馬鹿みたいな規約の話の筈がいつの間にか無駄のないシステムが構築された経緯に早変わりしている………!?」


上手い具合に説明をまとめて優雅に紅茶で喉を潤すフローレン嬢と、そんな彼女を凝視しながら分かりやすく戦慄しているマルガレーテ嬢である。こちらとしては主導者が有能だとよく分からない提案が元でもちゃんとした理屈で筋を通して上手いこと扱っていけるんだなぁ、というありきたりな感想しか浮かばない。そして今までやたらめったら番号で名乗られてきた理由が分かった。規約だったのか、今まで番号で自己紹介してきた農業科のプロ農民各位。そしてファンクラブ会員とやらだったのか―――――うん、何を血迷って一万マニーも出してそんなモンに所属してしまったんだそのお金で美味しいランチとか食べた方がいいだろいやもうまじで。

と、これは余談だが十二番さんの姿はいつの間にか談話室から消えていた。たぶんクレープサービスとやらを頼みに行ってくれたんだろう。直前まで言っていた台詞のオシどうこうとかいう内容に関しては極力考えないようにして、未知なるクレープを楽しみに待つ傍らで口にしたパウンドケーキからはほろ苦くて渋い大人の味がした。冗談だ。大人の味とか分かるわけない。何味だお前。プリンのおとものカラメルソースや香草類の類とは一風変わった苦さだぞ。ほろ苦い味は大抵大人の味だって宿屋のチビちゃんが教えてくれたけど、大人の味とやらが具体的に何なのかまでは聞いていなかったのが悔やまれる。


「ええと、入会費と番号呼びの件については終わったとして………あとは何があったかしら。オルテンシア、リストを」

「はい、マルガレーテ様」


マルガレーテ嬢の隣に座っているお嬢さん―――オルテンシアという名前だったらしい―――が、粛々とした様子で何処からともなく取り出したのは、新しい資料らしき紙だった。

その様子を真正面の席から静かに見守っていたフローレン嬢が、洗練された所作でクッキーをつまみ上げたままどこか呆れたように言う。


「リストを用意していたのなら、最初からそちらを使いなさいまし。わざわざ大仰に束ねた書類を威嚇目的で使うだなんて、資源の無駄もいいところでしてよ」

「そこを突かれると痛いわね………だって、私を貴女への対抗手段として見出した生徒たちの頑張りを活用してあげないだなんて、そんなの可哀想じゃないの。どのみち用意してあったものなら使わない方が勿体無いし―――――でも、作ってくれたのはいいけれどなんだか見難い資料だったから、結局オルテンシアに頼んでまとめ直してもらったのよね。だから要らなくなっちゃって………視覚的な小道具としてしか用途が思い付かなかったことは認めるわ」


口振りからして本人的にもちょっぴり資源の無駄だなぁ、とはうっすら思っていたらしい。言い訳のようなものを並べつつ最終的にはフローレン嬢のツッコミを肯定してしまったマルガレーテ嬢は、なんだか難しい顔をしながら手元のリストをざっと眺めて毅然と真っ直ぐに前を向く。今までの割とぐだぐだした流れを経てもフローレン嬢に対する闘志がほとんど衰えていないのはすごい―――――お相手の方はもうだいぶやる気が削がれているようだけれども。


「さぁ、気を取り直して続行よ―――――『リューリ・ベル嬢ファンクラブのここがおかしいセレクション』! 答えられるものならばすべて答えてごらんなさい、行くわよレディ・フローレン!!!」

「声高に宣言してもらったところ悪いんだけどもうスルー出来ないから言っちゃうな、ねぇこれもう趣旨おかしくない? 序盤の流れとかどこ行ったんだよフローレンさんどうこうじゃなくて別の話になっちゃってるじゃん」

「シャラップ真っ白い妖精さん! 貴女が自由に口を開くと話が逸れてしょうがないからこちらのトフィーでも食べていらっしゃい! 基本はバターとお砂糖だけで作る飾り気のないお菓子だけれどもそのまま食べても美味しいし、トフィーでリンゴをコーティングしたアレンジレシピは発祥地でも人気の一品よ!」

「わーい食べたことないやつー!」

「やだもうこの子すごい無邪気!」


たーん! と、貴族のご令嬢にあるまじき勢いのマルガレーテ嬢の手によって目の前に置かれたお皿の上に鎮座している液状化したキャラメルに浸したような棒が刺さったリンゴを前にテンションがぶち上がったのは言うまでもない。能天気だなオイ、というツッコミがセスの声で脳内再現されたが五月蠅ぇお茶会から首尾よく逃げた三白眼の幻聴なんて今は聞きたくないんだよ。美味しいものを食べ続けてないと死にはしないけど萎びるんだよ主に気分的な意味で!!!


「あらあら、まあまぁ。リューリさんとの接し方をほんの少しだけ心得たようで―――――なによりでしてよ。ねぇ? 可愛いものが大好きの、レディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガー」

「お黙り、レディ・フローレン! ええそうよ、可愛いものも美しいものも私はとても大好きだけれど! だからこそ! それを『いいように利用している』と私唯一のライバルである貴女が取るに足らない有象無象に好き勝手な憶測の的にされているのが我慢ならないのよどうにかしなさい!!!」


大声でカミングアウトしちゃいけないことをカミングアウトしている気がするのだけれども今回ばかりは空気を読もう。間違っても「やっぱりマルガレーテさん、フローレンさんのこと大好きだろ」とか口にしちゃ駄目だこういうタイミングで外野がそういうこと言うと絶対拗れてめんどくさいって宿屋のチビちゃんが真顔で言ってた。


「大体ねぇ、何よ『リューリ・ベル・ファンクラブ』って! 入会費の件はまぁ会員証の正規価格ってことで一応納得したとしても“招待学生”である彼女個人への『直接的な差し入れは禁止、及び食料品貴金属その他物品類の贈り物は不可、但し現金に限っては例外的に許可するので寄付の際は必ずファンクラブ運営本部を通すこと』ってルールの方はどう説明をつけるつもり!? これはこれで立派に私腹を肥やしているように見える愚策を何故打ったの!!!」

「お答えしましょう、マルガレーテ。まず一つ、最大の理由は“招待学生”であるリューリさんの身の安全のためです。彼女はあくまでもお客様、遠い遠い辺境の地から我が“王国”が招き入れた歴史上初の“北”からの稀人。詳しい話は割愛しますが、そんな彼女を足掛かりにして何らかの利権を得ようとする者が最初に考える手はなんでしょう? 『リューリ・ベル』の懐柔です。分かり易く言うなら賄賂です。金品を渡し便宜を図ってもらうというのが最も露骨ではありますが―――――万が一、入会審査は厳正に行っているのでそんな不埒な輩は居ないと自負していますが万が一、そんな得体の知れない思惑が絡んだ物品をファンクラブの会員名義で彼女に渡されては一大事。逆に彼女を害さんとする何者かによる差し入れ食品等への異物混入もまた許してはいけない蛮行です。これは“招待学生”を預かる王国のプライドの話であり、また学園内における危機管理の話でもあります。“妖精さん”に贈り物したい、という気持ちを敢えて現金に一本化して学園に認可を受けたファンクラブというクッションを通すことにより、我々はそれらの懸念を極力排することに致しました。これによってリューリさん個人に何らかの“贈り物”をしようとする者は必然的にファンクラブの関係者ではないと容易に知ることが出来ますし、またそれを目撃した正規ファンクラブ会員たちによる迅速な通報・対応へと繋がります」

「誰が聞いても私腹を肥やそうとしているとしか思えなかった現金オンリー寄付制度にそんな深い意図があったの!?」

「ありました。何より、リューリさんは『プロが作った料理以外は食べないようにしてください』と王国側からお願いされていますからね。手作りの品は受け取ってもらえないし、誰だかよく分からない相手からもらったモノは例え市販品でも疑わしいでしょう? だったらファンクラブに寄付した方が余程堅実だし確実だ―――――と、いう流れでそう決まりました。これでご納得いただけて?」


いやたった今初めて知った事実なので納得もなにもあったモンじゃないんだけどホント何してんだこのお嬢様。普通そこまで考える? ちょいちょい気にはなっていた“ファンクラブ”とやらの実態がこんなかたちで明らかになっていくとか正直予想外なんだけど。

そも寄付金って何ですか、みたいな気持ちでキャラメル色にコーティングされたリンゴの周りに配置されたフラップジャックに似たナッツの塊をぼりぼり噛み砕いたら固過ぎず柔過ぎず香ばしかった。甘い。濃厚。でもキャラメルとは僅かに違う食感。たっぷり混ぜ込まれた数種のナッツがカリッと軽やかでいくらでもつまめる。適度な歯応えの残る風味はアクセントのナッツの恩恵か、最初の一口がねばついたり崩れやすかったりということもないけれど―――――カロリーの塊感がすごい。大変結構。極端でいい。栄養というよりエネルギー源っぽい割り切った方向性は好感が持てる。トフィー美味しい。

気が抜けるって怒られそうだから、口に出したりはしないけれど。


「ま………まだよ! 現金のみの受付理由に関してはともかく、肝心なのはその寄付金の用途がどうなっているかでしょう!? そこに関しての説明がまだよ!」

「ああ、それは確かにおっしゃるとおりでしたね。大変失礼致しました。こちらが最新の帳面になります。そしてこちらの一覧が今までの寄付額等を日計別でまとめたもの。金額はともかく寄付者が誰かに関してはプライバシーの観点から伏せておりますのでご了承の程を。これら資料は学園にもまったく同じものを提出していますが、流石に部外秘となりますのでお持ち帰りはご遠慮ください。ファンクラブ内の資金の動きは会員である有志の商業科生各位が責任とプライドをもって管理把握に努めています。記帳漏れはありません。そして、ご覧いただければ分かるとおり―――――集まった寄付金の使い道に関してはファンクラブ主要メンバーに都度ランダムで選出された一般会員を交えた定期会議でディスカッションして決定しています。無論、会議に参加出来なかった会員たちにも会報を配布することで可能な限り情報の共有を徹底。『何故、どのように使われたのか』の透明化を常に心掛けております。我々に不正はありません」

「貴族令嬢の鑑な顔して敏腕経営者みたいなこと言い出した!? お金の使い道を聞いただけでそんな内情まで聞いてな―――――え? なにこの内訳。ファンクラブ運営費用以外はほとんど学園の食堂に流れてるじゃない」

「………うん?」


棒付きリンゴの表面に思いっきり歯を立てたまま、噛み千切る寸前の状態で私はぱちぱちと目を瞬いた。マルガレーテ嬢の呆けたような声が紡いだ言葉の内容に、ちょっとした引っ掛かりを覚えたからだ。

くっきり歯型の残ったリンゴはあとで思いっきり齧るとして、とりあえず食べるのを中断してから右隣りのフローレン嬢を見遣る。


「フローレンさん、今マルガレーテさんが言ってたのはつまりどういうことだ?」

「そうですねぇ、リューリさんにも分かり易いようにざっくりとした感じに言い換えますと………学園の、一部の生徒たちが『リューリさんの喜ぶことがしたい』と思ってお金を出し合って食堂スタッフが頑張った結果、貴女の大好きな学園食堂のランチメニューが豪華で豊富になりました。具体的には屋台フェアとか、パンやライスの祭典あたりが記憶に新しいのではなくて?」


―――――それは。

その事実は急激に、がつんと私の頭を冷やした。誰にも何もされていないのに殴られたような衝撃で、食欲の類が消え失せる。


「………は?」


我ながら随分と間抜けな声がぽろりと唇からこぼれ出て、呆けたように弛緩した口元がなかなか元に戻せない。傍目に見れば唐突に凍り付いたとしか思えないような私の変化に、フローレン嬢もマルガレーテ嬢も他のお嬢さん方も揃って不思議そうな顔をしている。そんな視線の集中砲火に晒されながらも吐き出した声は、自分でも意外に思うくらい唖然としていて間抜けだった。


「え? 待って? じゃぁなにか。私が今まで能天気に食べまくってきたあの美味しい食堂のランチは、日に日に豪華になってくなぁって感動してたあれ全部が全部―――――“王国”や“学園”とは関係ないファンクラブ会員とかいう“個人”の懐から出たお金でやってたことなのか、フローレンさん」

「そうですよ、リューリさん」


さらっと肯定した彼女は緩やかに微笑んでいて、淑女然としたその佇まいは品格と善意に満ちていた。紛れもなく善意なのだろう。それは疑う余地もない。ただの直感でしかないが、なんとなくそんな確信はあった。けれども。


「うん。分かった―――――じゃぁそういうの嫌いだから私も食堂にお金出すな」


と言っても結局は“王国”からもらっているお金だからホントに申し訳ないのだけれど、と続けた私の発言に、フローレン嬢の笑顔が凍った。マルガレーテ嬢や他のご令嬢方も揃って静止しているのでまるで一枚の絵画の中に放り込まれたような心境で、しかしここは現実である。

真っ先に復活を遂げたのは、やはりというか何というかでフローレン嬢その人だった。


「申し訳ありません、先程の発言の意図がよく分からなかったのですけれど………どうしてリューリさんが食堂にお金を出すという発想に? いえ、というか―――――そういうの嫌い、って貴女そうおっしゃいましたか今」

「うん。言ったぞフローレンさん。私そういう不公平なの嫌いだ」


はっきりきっぱり宣言したら、フローレン嬢の完璧と言っても差し障りないお嬢様スマイルがほんのちょっとだけ揺らいだ気がした。奥に見える十一番さんに至っては驚愕の表情で目を見開いているし、マルガレーテ嬢に至っては何故だか今にも泣きそうである。なんでだよ。もしかしてキャラだけでなく情緒も不安定なのかこの人。

そんな懸念をこっそりと抱きつつアップルトフィー(という名称はついさっき飲み物を補充してくれた十三番さんが教えてくれた)に再挑戦しようかと棒付きリンゴを持ち上げる私に、フローレン嬢は探るような声音で控えめな質問だけを口にした。


「不公平、とは?」

「いや不公平とは、って聞かれてもそのまま感じたまま言っただけなんだけど………だって、気分悪くない? 食堂のランチが豪華になるのはそりゃ嬉しいしありがたいよ。それ自体はすごくいいことだ。それだけなら普通に大歓迎だ―――――だけどさぁ、それ、一部の奇特な学生さん各位が出してくれたお金のおかげなんだろ? それは流石におかしくない? だって食堂ってのは“学園”のみんなが等しく食事をする場所だろ。学園の生徒全員がお金を出し合って学食をもっと良くしよう、っていうならそれには何の文句もないし私も喜んで参加するけど、一部の生徒だけが負担して、私を含めて何もしてない他の生徒までその恩恵にあずかるなんてのはただの不公平でしかないじゃんか。お金出してくれた人たちに得るものがなさ過ぎて気分悪い。そんなの嫌だ。そういうの嫌いだ。共同体においての利益はある程度の事情で差が出るとしてもきちんと分配はされるべきだ―――――だから私もお金を払う。ファンクラブ会員とかいう人たちの厚意を否定したり無駄にするわけじゃなくて、私自身が気分良く納得して美味しいランチを食べたいから払う」


それがどこまでも自分勝手な主張でしかないと分かった上で言い切って、迷いのない目を真っ直ぐに突き刺した先のフローレン嬢が困り顔で笑う様を見た。それはこのお茶会の最中で彼女が初めて表に出した、一種の悔恨のようだった。


「一方的に施されるだけでは貴女の矜持に反しましたか?」

「小難しいこと聞くよな、フローレンさんは。時と場合と腹具合によるよ―――――少なくとも、糧をいただくことに関しては故郷に誓って全力だけども」

「それは存じておりましてよ」


気難しい空気が弛緩して、場に張り詰めていた糸が切れる。誰かがほう、と人心地ついたような吐息をこぼしたのを合図に、いつも通りの眼力を宿した目を細めて派手なお嬢様が悪戯っぽく言った。


「なのでこちらも全力で“王国”の貴族令嬢としてのプライドを総動員することに致しましょう―――――見縊らないでくださいまし。リューリさんのおっしゃる通りであるその『不公平』という問題点を、そこで呆けていらっしゃるレディ・マルガレーテならともかくこの私が見落とすとでも?」

「―――――はっ! ちょっと! 貴女今ごくごく自然な流れで私のことを馬鹿にしなかったかしらレディ・フローレン!?」


すかさず噛み付くことを忘れないマルガレーテ嬢の反応速度は正直王子様に匹敵すると思う。しかしフローレン嬢はそのツッコミを華麗に無視して私に狙いを定めていた。なんか怖いので気を紛らわせるために思いっきり齧ったアップルトフィーは甘ったるいようで甘酸っぱい。


「はい、賑やかな来賓は一旦置いておくとして、学園食堂への資金援助の話です。実はこちら、ざっくり結論から申し上げますと『リューリさんに喜んでいただきたい』とお金を出してくれた方々には学園食堂から特別なリターンが受けられることになっています」

「ん? 見返りがきちんとあるってことか? 具体的には?」

「まず寄付額に応じて会員限定のグレードアップランチメニューが選べるようになります」

「なんと」

「次に恒常メニューに関してはお値段据え置きで全品食べ放題になります」

「すごい」

「食べ放題は不得手、という食の細い方や女性陣にはとてもリッチな一品メニューや目で見て楽しい食べて美味しい特製デザートを追加するという選択肢も」

「手厚い」

「イベントランチ開催時は特別割引価格での提供に加えて落ち着いて食事が楽しめるよう会員用の指定席を完備」

「助かる」

「そしてある意味一番好評だったのが―――――数量限定系メニュー及びリューリさんが食べているものと同じ料理を優先的に買えます特典」

「数量限定メニュー、だと………? フローレンさん、もしやそれはあの“王様のランチ”も対象に………?」

「勿論入っていましてよ。学園食堂の仕入資金が潤沢になったことにより可能になった荒業です―――――王様のランチも女王のランチもその他数量限定系メニュー各種、一般生徒のための枠は確保しておく関係で事前予約制とはいえ極端に言えばファンクラブ会員全員分を賄うなんて造作もなくてよ」

「聞けば聞く程魅力的。ねぇそのファンクラブってやつお金払うから入っていい?」

「応援対象本人が入会すると流石に収拾がつかなくなる上に貴女からお金をいただくわけには参りませんので却下です。が………そうですね、ファンクラブ会員限定ランチについては味見という名目でリューリさんにも購買権が得られるよう次回の定例会議にて議題に挙げておきましょう―――――まぁ、議論するまでもなく秒で可決するとは思いますけれど」

「そうは思っててもきちんと話し合ってから決めようっていうフローレンさんの姿勢はすごいと思う」

「あら、嬉しい。ところでリューリさん、アップルトフィーのお味は如何?」

「美味しいけどトフィーっていう外側のやつがぼろぼろ落ちちゃって食べにくいな」

「コーティング菓子の宿命ですね。今度はもっと小さなリンゴに飴を絡めたものをご用意しましょう」

「ねぇこれいっそ最初からリンゴぶち割った上にいろいろかけた方が諸々良くない?」

「初めてトフィーアップルを食べたときのセスと発想の着地点がまったく同じですね」

「単純にみんな考えることが同じってだけであの三白眼に限った話じゃないと思うぞ」

「少なくとも私はナイフとフォークを駆使して外側のトフィーをつけたままなんとか林檎を一口大にしようと苦心していたものですけれど―――――ねぇ、マルガレーテ。貴女はどうかしら?」


直前までの話題なんのその、呑気な遣り取りをしながらもそれぞれの速度でお菓子をつまむ私たちを黙って見守っていた縦巻き髪のお嬢さんは、フローレン嬢に柔らかな声で話を振られて明らかに面食らった顔をした。答えようとしたのかどうなのか、彼女は一度口を開いて何も言わずに閉じてしまう。奇妙に生まれた静寂は、そのあとすぐに紡がれた言葉によって結局一秒にも満たなかったとは思うけれど。


「貴女と同じよ、フローレン。私もナイフとフォークでどうにか林檎を切り分けようとしたわ。そこに刺さっている棒なんか私たちにとってはただの飾りで、例えば庶民たちがするようにそのまま口を開けて齧り付くなんて野蛮な―――――いいえ、そんな大胆な真似は出来なかった」


私を見ながらそう告げたマルガレーテ嬢の声色は、驚く程に凪いでいた。その視線もまた落ち着き払って気品さえ湛えていたけれど、そこにはまったく熱がない。これまでの勢いが嘘のような静けさで、貴族のご令嬢に相応しく背筋を伸ばした優美な姿勢で、高貴な身分のお嬢様は唇だけを小さく動かした。ほんの少しだけ、寂しそうに。


「なによ、レディ・フローレン。私が留守にしている間に随分と丸くなってしまったものだとばかり思っていたのに違うじゃない―――――貴女、ただそこの真っ白い妖精さんと、仲良くなっただけなのね」


そう言って、マルガレーテ嬢は席を立つ。椅子から立ち上がるその動きには一切の無駄というものがなく、頭のてっぺんから指先までが洗練され尽くした美しさでゆっくりと腰を折る様は思わずお菓子を食べる手が止まる程。


「謝罪します、レディ・フローレン。貴女の手腕を疑って、碌に裏取りもしないまま貴女の矜持を傷付けようとしました。この程度のことで傷付くような脆い貴女ではないでしょうけれど、“招待学生”のリューリ・ベル嬢に関わる発言もすべてが差し出た真似でした。此度は私の落ち度です。申し訳ありませんでした」


言い訳なんて一切ない、清々しいくらいに堂々とした謝罪はどこまでも真摯で真っ直ぐで、食べにくいなんて言いながらトフィーをすべて胃におさめた私は何を言えばいいのか分からない。

先程までの対抗心が嘘のようなその姿に、フローレン嬢の纏う空気がほんの少しだけ強張った気がした。それもすぐに緩んでしまって、あとには何も残らなかったけれど。


「あら。貴女に謝罪される謂れはなくてよ、マルガレーテ―――――珍しいこともあるもので、いつになく早い幕引きですこと。まだ打ち止めではないでしょうに」

「ええ。もういいわ、フローレン。確かに打ち止めではないけれど―――――今回の件、白状してしまえば私の手札はどれもこれも弱いのだもの。分かった上でどこまでやれるか示そうと意気込んでみたところで………こんな穴だらけの情報で貴女から勝ちを拾えるだなんて、最初から思ってもいなかったわ」


むしろ、こんなお粗末な下調べで勝てて堪るものですか、と。

苛烈な美貌のお嬢様はあっさりと己が力量その他を他人事目線で切り捨てて、手に持っていたリストとやらをテーブルの上へと放ってみせた。ひらひらと空中を泳いだそれは、私がお菓子を食べ尽くして食器を退けた空きスペースに奇跡的な確率で着地する。


「くだらないお遊戯に付き合ってくださったお礼をしましょう、レディ・フローレン。そちらのリストを差し上げるわ。復学したばかりの私にわざわざ情報を届けてくれた親切な方々のお名前よ―――――もっとも貴女のことだから、既に掴んでいるでしょうけれど」

「あら。滅相もないことでございます、レディ・マルガレーテ。無事に“学園”へと舞い戻られた貴女のせっかくのお気持ちですもの、ありがたく頂戴いたしましょう―――――と言っても、私の知るキルヒシュラーガー公爵家のご息女であれば、自らに敬意を払って接した相手を無下にするとは思えませんが」

「ええ、そうね。その通り。だってそうでしょう? フローレン。親切には親切で返すべきではなくて?」

「ええ、まったく、おっしゃるとおり―――――お互い立場ある身として、返礼は欠かせませんものねぇ」


ほほほほほほほ、とお上品な二重奏が談話室に木霊している。彼女たちが話している内容の裏までは読み取るのも億劫だった上にそもそも汲み取れやしないので、足元から這い上がってくるような薄ら寒い錯覚を無視してひたすらに紅茶を啜っていた。

結局この二人が何をしたかったのかというか今までの遣り取りで何をしていたのか、私には終ぞ分からないけれど肩に圧し掛かる疲労感だけははっきりと自覚出来る程に濃い。


「ええ………貴族のお嬢様ホントめんどくさ………しばらく会ってなかった友達のことが心配だったなら変に回りくどいことしないで普通にフローレンさんに言えばいいだけだろマルガレーテさん………フローレンさんもフローレンさんでどうして普通に『おかえり』が言えないんだ………フツーに仲良くすりゃいいじゃん………王子様とセスのがまだ分かりやすい………こんなお茶会もう嫌だ………クレープまだですか十二番さん………」


ガラにもなく、ちょっとだけ、心細くなっていたらしい。

お菓子を食べ続けていたにしては随分とまぁ落ち込んだ声でぼそぼそと吐いた呟きを、耳聡く拾い上げるなり元気一杯喚き始めたのは淑女らしさをかなぐり捨てて頬を真っ赤に染め上げたちょっぴりムキになっているらしいマルガレーテ嬢ご本人。


「まぁ貴女、この私を指してまためんどくさいって言ったわね!? それに聞き捨てならないわ、誰がこんな性悪女の心配なんかするものですか! ゆ、友人だなんてそんなわけないでしょう純粋無垢な妖精さんにはそう見えてしまったとしてもまぁ仕方がないかもしれないけれど! 良いこと!? よぅくお聞きなさい! このマルガレーテ・キルヒシュラーガーにとってそこのレディ・フローレンは唯一にして無二のライバルよ! お互い相入れることはない、最大にして最強の障害! 乗り越えなければならない最高の壁よ! お分かり!?」

「えーと、つまり王国語で言うところの『大親友』とかいう解釈で合ってる?」

「ちーがーうー!!!!!」


熟れたイチゴより真っ赤になってきぃきぃと否定を叫ぶマルガレーテ嬢から一旦視線を外しておいて、私が矛先を向けたのはもう一人の当事者の方だった。聞くときは正面ストレート。これに限ると思っている。


「違うのか? フローレンさん」

「大間違いでしてよ、リューリさん。私とそこのマルガレーテがよもや『大親友』などと………百歩譲ったとしても『偶然同じ爵位の家に生まれた偶然同じ性別の、何故かやたらと突っ掛かって来るただの顔見知りのご令嬢』程度の浅い関係がいいところかと」

「えっ、嘘でしょうフローレン百歩も譲歩した結果がそれ!?」

「これ以上誤解されたくないので話しかけないでくださいまし」

「お茶会主催者としてあるまじき発言! なによこの根性曲がり、昔からちっとも変わらないわね本当に可愛くないったらないわそんなお高くとまってるからポッと出の庶民にレオニール殿下の初恋奪われたりするのよ風の噂で聞いたとき本当に破談になっちゃうかもってちょっと冷や冷やしちゃったじゃないの愛想良くしろとは言わないけどせめて惚れた相手にくらい普段からもうちょっとなんかこう素直になりなさいよ淑女の鑑やってるんだから華の乙女らしさも武器にしなさいよー!!!!!」

「まぁ。いやだわ、レディ・マルガレーテ―――相変わらず直情的ですのねぇこの失言量産型お馬鹿さん―――今すぐその良く滑る賑やかな口をお閉じになって?」


誰が、惚れた、相手ですって?


と、フローレン嬢の唇の動きがそう吐き捨てていたような気もするが音声はまったく聞こえなかったので勘違いですごめんなさい。

ひぇ、と小さな小さな掠れ声を最後にマルガレーテ嬢が口を噤んだ。勢い任せで口にした台詞がどうもピンポイントでフローレン嬢の中の何かを刺激したらしく、これまでの比ではない不可視の猛吹雪が一瞬にして場に吹き荒れる。こわい。放たれる一言一言が重い。


「あら? 急な気圧変化でしょうか………申し訳ありません。何故か一瞬だけ耳が遠くなってしまったらしく、レディ・マルガレーテのお話を聞き逃してしまったようで―――――皆さまには、聞き取れまして?」

「いいえ、フローレン様」

「お恥ずかしながらまったく聞こえませんでした、フローレン様」

「申し訳ありません、マルガレーテ様。貴女のお言葉を聞き逃すなどこの身にあってはならないことですが、レディ・フローレンと同じ理由か私にも何も聞こえませんでした」


十一番さんと十三番さんのみならず、オルテンシアなるお嬢さんまで流れるようなファインプレー。顔色一つ変えないままに淡々と言葉を連ねていく姿には貫禄さえも窺えるが、その様子から察するにさては全員慣れてるな? この場に居ない十二番さんもナチュラルに同じこと出来たりするな?


「リューリさんには、聞こえまして?」

「え? ごめん、この瓶の中身が何なのか気になり過ぎて聞いてなかった」


嘘ではない。実際とても気になっていた。なので全然嘘ではない。咄嗟に動くとバレると思って事前に手に取って眺めていたが、私には“これ”が本当になんであるのかが分からない。そういうことで押し通す。

ガラス製の瓶だった。両掌ですっぽりと覆うには少々大きいくらいのサイズで、当たり前のように透明だから開けなくても中身がよく見える。そこにたっぷり詰め込まれていたのは不思議な色をした“何か”で、淡く柔らかな色彩はとても目に優しい薄緑だ。ぶつぶつと小さな粒が内包されているようだけれど、一見しただけではどんな味がするのか本当に理解が及ばない。

矯めつ眇めつしたところで答えになど辿り着きようもなく、あまりに私が真剣だったからフローレン嬢も「聞いてなかった」という先程の答えを信じてくれたらしい―――――本当はめちゃくちゃ聞こえてたけど、場における共通認識として「その件にはもう絶対触れてくれるなよ」という不文律が成り立っている気がしたので胸の奥底へと秘めておく。お前のせいだぞ王子様。この場に居やがれ緩和剤。

などと思っていたところで居ないものは居ないので、目下気になっていることを尋ねる口調で思うがままに問い掛けた。


「なぁ、話の腰折って悪いんだけど、これなんだ? スコーンとかビスケットに塗るんだろうなっていうのはまぁなんとなく分かるけど、味の予想がつかないぞ。なんとなくだけど野菜ともちょっと違うっぽい感じの色してない?」

「そ―――――それに目を付けるとは大した慧眼ね、妖精さん!」


一番乗りでテンション高めな食い気味反応を示してくれたのは復活の早いマルガレーテ嬢だったが、どうして彼女がやたらめったら誇らしげなのかは残念ながら理解出来ない。さっきまで青い顔でぷるぷる沈黙を保っていたとは思えない元気の良さで頷いて、縦ロールに飾られた派手な美貌をきらきら眩しく輝かせたお嬢さんは怒涛の如き勢いで活き活きと捲し立ててくる。


「ええ、ええ、お遊戯会も終わったところでやっと“お茶会”らしくなってきたわ! 高級な茶葉、贅を凝らしたお菓子、洗練された白磁の食器! 目で眺め、鼻で感じ、舌で味わい会話を楽しむのが上流階級のティータイム! 社交界に纏わる噂の類はもちろんのこと、招待客である貴人の生家が扱う名産品や特産品の情報交換、優雅に紅茶を嗜む傍らで密やかに行われる駆け引き―――――これこそ高貴な私たちに相応しいお茶会というものよね! 流石はレディ・フローレン―――――世に流通したばかりの我がキルヒシュラーガー領が誇る新名産、ピスタチオナッツクリームをさりげなくテーブルに並べておくなんて、私の生涯のライバルに相応しい如才の無さですこと!」

「いえ、『我が公爵家の誇る職人たちが苦心して作り上げた名産物のピスタチオを使った新商品が絶品なので恵んであげるわ、受け取りなさい。あと近いうちに学園に戻るからそのときは感想を聞いてあげてもよくてよ』という内容の書状と一緒にまとまった数を一方的に送り付けて来たのは貴女でしょうに、マルガレーテ」

「おほほほほそんなことあるわけなくもなかったわねしたわねそんなこともあったわねそういえば―――――ッ!」


おかしいおかしいテンションがおかしい何だどうしたマルガレーテ嬢いっそ人生の迷子なの? 私の中の物差し程度じゃ到底図り切れないような情緒の振り幅してるぞおい。


「なぁ、フローレンさん。マルガレーテさんっていつもこんな感じなの?」

「女の子って基本的によく分からない生き物なんですよ」

「つまり私を含めたこの場に居る全員がよく分からない生き物なんだな?」

「リューリさんに対して遠回しな表現で答えた私が愚かでした。先の回答は忘れてください。改めまして、答えは『はい』です。率直に言ってマルガレーテは昔からこんな感じでした。彼女の生態に関してはある意味―――――そうですねぇ、強いて言うならあのトップオブ馬鹿より測りかねていましてよ」

「か、仮にも公爵令嬢仲間に対してその言い草は何ようフローレン!」


実況解説が居ないので心の中で代打しよう。フローレン嬢がしれっと意地悪するからマルガレーテ嬢が拗ねました。王国語で表現すると盛大に臍を曲げた感じで駄々っ子よろしく腕をばたばたさせている縦ロールのお嬢様という絵面がすごい。付き人ポジションのお嬢さんとその対面の十一番さんがめちゃくちゃ微笑ましい顔してるのに対してフローレン嬢が真顔だから温度差酷いな何これシュール。


「貴女程完璧に繕えているとは流石に言えやしないけれど、何処からどう見ても立派な公爵令嬢たる私に対してよりにもよってレオニール殿下より測りかねるってどういうことよ私は公衆の面前で婚約破棄騒動なんて起こす程お花畑じゃないわよ馬鹿―――――!」

「マルガレーテ」

「ごめんなさい」


今のは私が言い過ぎたわ、と即座に己の非を認めて謝罪を躊躇わないその姿勢、誰かを彷彿とさせるなぁなんて思っていても口には出さないぞ言ったら絶対めんどくさい。

関わらない方が良さそうだし口を挟まない方が楽そうだ、という自己判断に基いて、私はピスタチオナッツクリームなる食べ物が入った瓶の蓋を掛け声もなく捩じって開けた。新品らしく真っ新な表面をのぞかせる薄緑色の大地へと木製バターナイフの先端を埋め、王国で学んだ梃子の原理でごっそりと中身を抉り出す。スコーンに塗るかビスケットに塗るかで一秒くらい悩んだあとで、たまたま近くにあったからという雑な理由でビスケットを選んだ。厚めにもったり塗り付けて、バターナイフの面を駆使してまんべんなく全体に広げていく。最初の方こそバタークリーム類らしくばさばさぼそぼそしていたものの、塗った先から柔らかく伸びて滑らかになっていくのが楽しい。

固焼きビスケットの土台の上に薄緑色の絨毯を敷いたところで、はい実食。


「あ、これ美味しい」


一口目でもう手放しに褒めた。まず甘い。当然のように甘いのだが、甘ったるいというわけではなくごくごく自然な甘さを感じる。ナッツ類を食べるのはこれが初めてではないが、他とは一線を画す不思議な芳しさが鼻の奥いっぱいに広がった。濃厚で香ばしいのにまったく嫌味のない味わい。目にも優しい淡い色合いは品のある華やぎをテーブル上に提供し、癖があるようでくせになりそうな魅惑に溢れたフレーバー。口に入れた瞬間から体温にとろりと溶け出して、滑らかな舌触りの中に混ざったナッツのざっくり粒感も高得点ですこれはやられた―――――大口で一気に食べてしまうのが勿体無くなるレベルで美味しい。

気に入ったのでちょっとでも長く味わって食べるためにちまちまと齧ることにする。かしかしかしかしかしかしかし―――――すごい勢いで連続的にビスケットを齧り出した私にその場の視線が集中したが、誰一人として「ピスタチオナッツクリームを独り占めしちゃいけません」みたいな目は向けてこないのが不思議だった。


「かわ………かわいい………一心不乱にかしかしもぐもぐひたすらビスケット齧ってる………なにこの子………小動物ちゃんなの………? おやつあげても大丈夫かしら………」

「落ち着きなさいマルガレーテ。気持ちは分からなくもありませんが、彼女はどちらかというと不用意に近付いた人間の大動脈を噛み切る猛獣系です。貴女がおやつをあげなくてもちゃんと自分で食べたいだけ食べますので余計な気遣いなど不要でしてよ」

「こんな雪の妖精さんみたいな繊細で儚い容姿なのに鮮血が似合うワイルドタイプ!?」


手持ちのお皿に小さなトングでいそいそとビスケットやらクッキーやらを移動させていたマルガレーテ嬢が大変びっくりした様子でこちらを二度見したものの、ピスタチオナッツクリームを片手にビスケットをもぐもぐしている私からは特に何のコメントもない。あるとすれば別にある。


「なぁ、これの未開封品ってまだあったりする? あるなら買い取りたいんだけど」

「あら、リューリさん。このピスタチオのナッツクリームとやらがそんなにお気に召しまして?」

「うん。故郷じゃ食べられない味っぽいから持って帰ってみんなで食べたい」

「えっ………それって“北”へのお土産にしたいくらい気に入ってくれたってこと………? ほ、ほほほほほほほほ! よくってよ! 人気爆発間違いなしで売り切れ続出品切れ確実になるであろう我が公爵領自慢の新商品、ローストした高級ピスタチオとホワイトチョコを贅沢に使った特製ピスタチオナッツクリーム! 特別に! このマルガレーテ・キルヒシュラーガーからリューリ・ベルさんへのお近付きの印として特別に融通して差し上げましょ―――――あ、待って、フローレン。もしかしてこれもファンクラブを通した方がいい案件だったりするのかしら?」


高飛車令嬢っぽい高笑いから急に真面目にならないで欲しい。王子様で見慣れていても王子様じゃないからびっくりする。この世に二人もこんなテンションの人類が同年代で存在しているという疲労困憊の事実にびっくりする。

しかし水を向けられたフローレン嬢の方はと言えば、流石に慣れてしまっているのか顔色ひとつ変えないままに思考を巡らせているらしかった。


「そうですねぇ………リューリさん個人ではなく“北”へのお土産で持ち帰る、ということになりますと、もっと上の方の許可が必要になるかと思われます。賄賂ではないとの証明でしたらファンクラブの名義で何とかなるでしょうが、こちらの品をあちらに持ち込むには基本“北の大公”様の許可が必要になる筈ですので」

「ああ、“北”との対外折衝はあっちの大公家の受け持ちだものね。と、なると―――――貴女とレオニール殿下を通した上で王家を経由して正式な書状を送るのが一番早くて建設的だと思うわ。現役の公爵家当主ならともかく、一介の令嬢に過ぎない私が大公家に直接お手紙を差し上げるのは流石に畏れ多いもの」


偉い貴族のお嬢様たちが紅茶を優雅に嗜みながら真剣な顔で話し合っているが、その内容はピスタチオナッツクリームというお土産を如何にして私が故郷に持って帰るかという非常に能天気なものである。美味しいものを持って帰って郷里のみんなで分け合いたいと思っただけなのにどうしてそんな大事になるんだ。王国ってやっぱり面倒臭い。でも私の思い付きに因るものなのでそこのところは申し訳ない。なので、ちょっとだけ口を挟んだ。


「なぁ、フローレンさん。よく分かんないけど要するに、北の大公のばあちゃんが『いいよ』って言えば諸々全部解決するのか?」

「ええ、まぁ、そうですね。噛み砕いて言えばそうなります」

「待って待ってフローレンどうして普通に流したの? この子ってば今“北の大公”様のこと普通に『ばあちゃん』とか言わなかった?」

「言ったぞ。初めて会って話したとき『お前の呼びやすいように好きに呼んで構わんぞ』って言ってくれたからな、あのばあちゃん。それで話を戻すけど、北の大公のばあちゃんが良いって言えばいいんだろ? じゃぁ帰るときに私が自分で言うよ。マルガレーテさんたちから頼むとなんかめんどくさいんだろ?」

「ええ………なにそれ………そんな軽ぅい感じで通るものなのフローレン………?」

「通常ならあり得ない話ですけれど、“北の民”のリューリさんですからね………むしろ代筆というかたちで直接“北の大公”様と“北”の代表―――――族長さま、でしたか? とにかく責任者宛てにお手紙を差し上げるのが最短ルートな気がしてきました。マルガレーテと私とついでに殿下の名前を添えて『リューリ・ベル』名義で送ってしまえばそう無下にされることもないでしょうし」

「王家の頭飛び越えてダイレクトに大公家に連絡繋げる“招待学生”ってなんなのよ………ただの“個人”の筈なのに何でもありのフリーダム過ぎて私たち貴族が固執してきた血筋とか格式とか爵位とか全部どうでもよくなってくるわね………」


どうしてだかちょっぴり疲れたような顔で話し合っているフローレン嬢とマルガレーテ嬢は、この日一番のシンクロっぷりで仲良く紅茶を啜っていた。心中お察し申し上げますみたいな顔をした十三番さんがすかさずおかわりを注いで回り、十一番さんとオルテンシア嬢はそれぞれ隣の貴人へと甘いものをサーブしている。

刺々しい空気もなければ火花も爆ぜず軋みもしない穏やか極まる光景を他人事目線で眺め遣り、手元のピスタチオナッツクリームの瓶からごっそりと掬った薄緑色をビスケットにべたべた塗りたくる私はそこでようやく認識した。


「なるほど、これがお嬢様の“お茶会”」

「ええもう貴女はそれでいいわ。そういうことにしておいてあげるわ」

「あら、まぁ、珍しい。レディ・マルガレーテが折れましたか」

「お喋りが過ぎてよ、レディ・フローレン。私はただ、我が公爵領が誇る品の価値を正当に見定めた“北の民”への認識をほんの少しばかり改めただけ―――――あら? 貴女、もしかして、リューリ・ベルさんが我が公爵家自慢のピスタチオナッツクリームをお土産にしたい程気に入ったという事実に驚いて口が滑り易くなっているのかしら?」

「まぁ、私の口以上によく滑る冗談が得意でいらっしゃるのね、レディ・マルガレーテ―――――ああ、そういえば。ご報告が遅れましたけれども、我が生家のある公爵領からもこの度新しい食料品を世に送り出すことになりましてよ。栽培の難しい希少種の薔薇を使った香りの良いローズジャムなのですけれど、素敵な贈り物のお礼に是非とも味わっていただきたいので近日中にお届けしますわね?」

「まぁ、それは楽しみですこと。鮮やかに咲き誇る美しさで私たちの目を楽しませてくれる薔薇の花が舌でも味わえるなんて、なんとも心が躍り出す耽美で贅沢な趣向ですわね―――――もっとも、高貴な私どもはともかく“狩猟の民”のリューリ・ベルさんの口に合うかどうかは試してみないと分からないでしょうけれど」

「ええ、おっしゃるとおりでしてよ―――――薔薇の蜂蜜を使うことでより上品に仕上げた繊細ながらも調和の取れた瑞々しい花の味わいが、リューリさんをはじめとする“北”の方々のお口に合えば良いのですけれど」

「あら、望まれてもいない土産物など荷物になるだけではなくて?」

「まぁ、食料が邪魔になるなんて発想は“北の民”にはなくってよ」


そうして響く二重奏。穏やかなお茶会は即死した。いい加減にしてください。


「いやもうフローレンさんもマルガレーテさんも何なんだよお互い定期的にちくちくしないと落ち着かない病気かなんかなの?」

「ちくちくするってなにそれかわいい」

「心の声をしまいなさいマルガレーテ」

「なによう、フローレンだって絶対和んだくせに自分だけ取り繕っちゃって………可愛いものや綺麗なものが好きなのは何も私に限った話じゃないじゃない、いいわよいいわよ貴女がそのつもりなら私はもうこの場においては包み隠さず構い倒すことにしちゃうんだから―――――ほぅら、リューリ・ベルさん。ピスタチオナッツクリームは少し温めたスコーンに塗ると更に香りが立ってもっと美味しく食べられるわよ?」

「開き直りましたねマルガレーテ………ああ、リューリさん? 温めたスコーンは確かにナッツ系クリームの味を引き立たせてくれるでしょうけれど、そろそろ甘いものに舌が飽きてきてしまったのではなくて? このあたりでひとつ、お口直しに塩のきいたクランペットなど如何でしょう? 分かり易く表現するならパンケーキの一種なのですけれど、今回は敢えて甘味としてではなく塩味の軽食としてご用意してきましたの―――――そのまま食べてよし、ピスタチオナッツクリームを塗ってもよしのもっちりふわふわ食感でしてよ」

「ん? 塩気あるやつ? あるの? まじで? フローレンさん、それください」


流石はフローレン嬢である。至れり尽くせりで感動した。正直ちょっと甘味の嵐に飽きが来ていたところだったのでそのお気遣いはありがたい。

甘いものを食べ続けていると塩気のあるものが欲しくなる。そんな心理の真理でもって目を輝かせた私の前で、勝ち誇った笑みを浮かべるフローレン嬢と悔しそうな顔をするマルガレーテ嬢の対比には何というかでもう慣れた。


「くっ………一朝一夕で勝てる筈もないのは至極当然ではあるのだけれど………本当に腹立たしいくらい軽々とこの私の上を行く女ねレディ・フローレン………ッ!」

「ほほほほほ。なんのことでしょう? とは言え、リューリさんの食の好みやこれまで彼女が“学園”の生徒たちに与えた数々の影響の軌跡が知りたいというのであれば………ええ。貴女にお力添えするのも吝かではなくてよ? レディ・マルガレーテ」

「ふ、ふん! 貴女からの情けだなんて必要ないわ! 見縊らないでちょうだい!」

「実はこんなこともあろうかと用意しておいた“特別枠”ことファンクラブ会員番号の十四番から十九番、未だ空席なのですけれど」


こんなこともあろうかと、ってどんな事態を想定したんだと思わず言いたくなる台詞を平然と吐くフローレン嬢。対するマルガレーテ嬢はただ冷静に目を細め、そして静かに鼻で笑った。


「何を言い出すかと思えばそんなこと―――――いくら欲しいのかしら? フローレン」

「一万マニーですね。入会費ですので」

「いいでしょう、情報料としてなら支払ってあげないこともないわ―――――あ。会員証のペンダントトップに通すチェーンとかもセットでお願い出来るのかしら? 同じ材質で長さとかも指定したいのだけれど」

「ええ、もちろんサービスの範囲内でしてよ。あとで入会希望書と一緒に注文書をお持ちしますので、注意事項を熟読してから同意の上でサインしてくださいまし」


何この遣り取り。何この人たち。

紅茶をお片手にビジネストークみたいなの繰り広げているお嬢さん方に「それでいいのか」と問い掛けたい気持ちでいっぱいだけれど黙っておこう。その方が平和な気がしてきた。胃が爆発するような雰囲気は避けたい。食べ過ぎで爆発するならともかくストレスで爆発するなんてそんなのは断固拒否していきたい。


「うーん。塩分が舌に沁みる」


現実逃避でもっしゃもっしゃと塩気のきいたパンケーキ(クランペット?)を手掴みで齧っている私の胃袋は今のところ呑気なもので、とりあえず爆発の危険はないから心はどこまでも穏やかである。フローレン嬢やマルガレーテ嬢は今やすっかり牙を引っ込めて他愛ない話に花を咲かせ、十一番さんと十三番さんとオルテンシア嬢―――そういえば、私は結局このお嬢さんのことをちゃんと紹介されていないのだが、当の本人すらそのことについて一切言及する気配がないのはいいんだろうか、と思わなくもない―――もまたのんびりとこのゆったりした時間を謳歌していた。


―――――こういう“お茶会”なら悪くないのに。


そんな感想を抱きつつ、食堂まで追加のサービスを頼みに行ってくれている十二番さんのことを待つ。しかしちょっと遅いのでは? とぼんやり頭の隅っこあたりで思ったのが悪かったのだろうか。

ばたばたと忙しない足音が遠くの方から聞こえてくる。明らかに十二番さんの足音ではないそれは私たちの居るこの場所を一直線に目指している気がして、なんとなく嫌な予感がしたので顔を上げて扉の方を見た。まさに、そのタイミングで。


ばん! と叩き付けるような音が鳴る。


紅茶とお菓子を楽しんでいた女性たちの華やぐ声を一瞬で根こそぎ掻き消すそれは、閉ざされていた木製の扉が強引に開け放たれた音。情緒も遠慮もありはしない不躾極まるその蛮行に、フローレン嬢の纏う空気が揺れた。強引にこの場へと押し入って来た招かれざる客を一瞥した目にはこれ以上ない嫌悪が灯る。


「こちらに―――――こちらにいらっしゃいましたか! お探ししました、レディ・マルガレーテ・キルヒシュラーガー!!!」


息せき切って走ってきたらしい男の声は焦燥感に満ちていて、しかし呼ばれたマルガレーテ嬢はといえば本日一番の真顔だった。何の感情も窺えない目を突然の闖入者へと向けている彼女の横顔にあったのは、思わず背筋が伸びてしまうレベルで見た者を恐慌に叩き落すフローレン嬢と同種の気迫である。


「まぁ。騒がしいこと―――――お黙り、愚図」


射竦められた相手が呑まれて言葉を詰まらせた機を逃さず、まさに『悪役令嬢』のように他者を圧倒する存在感で派手な縦ロールのお嬢様は可憐な唇を動かした。


「いくら縁戚の者とは言えど、この私の名を勝手に呼ぶとは身の程知らずにも限度があってよ。誰もお前など招いていないわ。何をしに来たか聞く気などないし、言う必要もありません。この場に居るべきでない者は直ちに私の視界から失せなさい………あら、嫌だ。何を間抜けに呆けているの? 噂の色男っぷりも台無しの、顔に巻かれた包帯が随分と目立つ出で立ちですけれど、まさか顔や頭だけでなく耳にまで致命的なお怪我をされているのかしら? 出てお行き、と言ったのだけれど? 私、二度は言わなくてよ―――――アインハード・エッケルト」


悪意の滴る物言いで、夥しく潜む棘のすべてには毒が塗りたくられている。なのに嫣然と微笑む姿は圧倒的に美しく、何より鮮やかで人目を引いた。突然現れた招かれざる客の名前には確かに聞き覚えがあって、それは私が今日のランチタイムで思いっきり顔面を床に叩き付けた馬鹿とまったく同じ固有名詞だ。

クランペットに齧り付いたまま、ぱちぱちと目を瞬かせる。心に浮かんだ一言を、この場にいつものギャラリー各位が居たとしたらおそらくはその大半が抱いたであろう素直な気持ちを、代弁というわけではないが思わずぽろりと口にした。


「え? お前、まだ出て来んの?」


もう終わったと思ってた。



久々に更新しておきながら「え、まだコイツ引っ張るの!?」とお思いのそこのあなた様、作者が一番それ思ってますので声を大にして言っていただいて全然問題ございません。

散々お待たせしておきながらここで区切って申し訳ありませんが、よろしければもう一段階蹴っ飛ばすところまでお付き合いいただけると幸いです。


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― 新着の感想 ―
[一言] 十四番とは言いませぬ! ワタクシも十九番でお願いします!!
[良い点] 待ってました!更新ありがとうございます。 どれだけマウスの中央ボタンを回しても遅々として進まないスクロールバーに終始テンションが上がりっぱなしでした。 活字中毒者にはご褒美です! [一言]…
[一言] 待ってた!待ってたよ〜! 更新楽しみにしています♪
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