13.散らかっててもランチはします
新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
年始の挨拶もそこそこに、いつもの通りの前置きです。読み難さ量の多さ散らかりっぷり何だコレ感が過去最高値でございます。くれぐれも広いお心でしれっと読み過ごしていただければ幸い。
食材こそは同じものでも調理次第で別料理。味付けひとつで別世界。そんな多様性を大いに楽しむのにうってつけの環境です、と断言出来る王都の学園食堂では、今日も今日とて食堂のおばちゃんたちが腕を揮ってくれている。腹減り学生各位が押し寄せるランチタイムという修羅場を顔色ひとつ変えず乗り切るべく大いに励んでくれている。毎日毎日本当に、ありがとうございます。
「日に日に豪華になっていく学食ランチ最高か」
真顔で思わず呟いて、感謝の念とともに目を閉じた。食前の祈りは速やかに、今日も今日とて食堂のテーブルにてランチを楽しもうとしている私の心は弾んでいる。あまりに弾み過ぎた結果テンションの波がおかしくなって平坦な声になってはいるが、そんなことはどうでも良かった。控えめな感じで寄越される周りのほっこりした視線にもなんだかんだでもう慣れた。敵意も害意も悪意もないなら特に気にする必要はない。割り切ってしまえば楽なもので、スプーンを握り締めると同時に至福と至高の時間が始まる。
「いっただっきまーす!」
声高に宣言するが早いか、磨き抜かれた銀のスプーンの緩やかに弧を描く先端を目の前の小山へと突き立てた。小山である。複雑な紋様に縁取られた陶器のお皿という大地の上にこんもりと形成されたそれは、まさしく小さな山のような存在感を放つ細かな粒の集合体だ。小指の爪よりもずっとずっと小さい粒が寄り集まって山のようになっているのは割と面白い光景で、加熱によって赤く色付いた小さなエビやふわふわした玉子や野菜と思しき緑の欠片その他が無秩序にちりばめられた全体像は目にも鮮やかで気分が上がる。スプーンを突き立てたところから小さな粒がぱらぱらと崩れることには頓着せずに、まず一口―――――万人に受け入れられること請け合いの、シンプルで真っ直ぐな味がした。良質な油を惜しみなく使って炒められたであろう粒が忙しなく舌の上で踊る。穀物の一種であるらしいライスなるそれそのものが持っている味はけして強くはないようだけれど、ふわふわの玉子やぷりぷりのエビと喧嘩することなく存在するその調和性は素晴らしい。玉ねぎに似たぴりっとした刺激をもたらす野菜と思しき緑の欠片も非常にいい仕事をしている。きっとこれのおかげで全体が引き締まるんだろうな、と感心している間に小山がすっかり消えていた。いくらでも食べられると思っていたのに終わるの早いよ。おばちゃん次は小山と言わずいっそ山脈クラスでください。
「失礼、リューリ………リューリ・ベル嬢。相席しても構わないだろうか」
「ああうんどうぞ」
水で口の中を洗い流したあとで空いたお皿を脇に退け、自分に向けられたであろう言葉に関しては顔さえ上げずに即答する私だ。ランチは常に全力投球、今目の前にある糧から片時も目を逸らすことなかれ―――油断したら横から掻っ攫われるぞ腹に入れるまで気を抜くな―――という故郷での教えに忠実に、続いてスプーンの切っ先を向けたのは物々しささえ感じる平たい鉄皿入りの料理である。提供されている器の関係で底が浅く広がって見えるが、先程とはまったく違う色合いのライスの上に蓋をするような勢いで盛られた具材の豊富さ多様さを思えば物足りないなんてことはない。
「快い返答に感謝する―――――しかし、四人掛けのテーブルに貴女一人ということは、もしや本日は誰かと一緒にランチをとる予定だったのでは?」
「そんな予定は別にないな。私は誰とも約束してない」
なにやら話し掛けられたけれど、事実そんな予定はないので適当な感じで返しておいた。お昼時の食堂は当然ながら混み合うもので、相席の申し出があった場合(誰かと食事を共にしているタイミングを除いて)私はそれを拒んだりしない。特に親しく会話しなければならないルールはないのだし、別に同じテーブル使うくらいは構わないぞ的な感覚である。
なにより、食堂のおばちゃんたちを困らせてはいけない。ランチを楽しむ者として、食堂を利用する上でのマナーだけは侵害出来ない。そんな理屈で割り切っているから顔を上げるまでもなく、相手の様子を確認する気もないから食事の手を休めることはなかった。
「食堂は共有スペースだ。座る分には好きにしてくれ」
但し必要以上に構うな、という心の声を吐き出すよりも今は眼前のランチである。山の幸をふんだんに詰め込んだライスには食材の旨味が染み渡り、固過ぎず柔らか過ぎない絶妙さをキープする食感には咀嚼筋と唾液が止まらない。塩とハーブのきいたそれは先程食べた炒め物ライスとはまた違った系統の素朴な味だが、方向性がまったく違うのでたぶん発祥地が違うのだろう。鉄皿の底にくっ付いてこんがり焦げた部分をがりがりとスプーンで削り取り、山の幸のありがたみが染み込んだライスのぱりっぱりに香ばしくなったやつを丁寧に掻き集めて口に運ぶ―――――はい美味しい。この歯応えがたまらない。これはたぶん魚介で作っても美味しいと思うというか実際魚介バージョンもあるらしいので次はそっちも食べてみます。次。
「そうなのか………いや、このテーブルにだけ誰も座る気配がなかったのでね。料理の品目もやたらと多いし、てっきり誰か親しい者と食事の約束でもしているのかと」
「してない。気にしないでいい」
そしてそんな気を遣って喋りかけてこなくていい。そっちはそっちでランチしてくれ。こっちはライスのパラダイスを堪能するのに忙しい。ちなみに私が四人掛けのテーブルに座っているのはちょうど食事をし終えたらしい親切なグループが席を譲ってくれたからであって本当になんの意図もない。人様の親切に甘えただけで四人掛けのテーブルを単独占領する気もないので相席の申し出は断らない。ただそれだけの理由である。
なので必要以上に絡もうとしなくて大丈夫だむしろ放っておいてくれ、と頑なに料理から視線を逸らさない私の目が現在捉えているのは薄く大きく広げた焼肉の上にででーん、と目玉焼きが乗った一品。ライスはどこだ、とお肉の端っこをスプーンで軽く持ち上げたら普通に下に敷いてあった。なんて欲張りさんなボリュームだろう。この豪快さに満点を出したい。これはスプーンよりフォークかな、と食器を即座に持ち変えて、そのままがつんと突き立てた。
「ああ、ところでリューリ嬢………本当に、殿下方は一緒ではないのかね?」
「ない。しつこい。めんどくさい。見ての通り食事中だぞほっとけ静かにランチさせろ」
さっきから何なんだこいつ黙ってランチに向き合えよ、という本音がとうとう滑り出てしまったが、どうしてそこで“王子様”が出て来るのかが理解不能だ。何かがおかしい。あのトップオブ馬鹿王子様はいつもいつも勝手にやって来て勝手に絡んで勝手に騒いで勝手に去って行くだけである。フローレン嬢に頼まれた場合を除き王子様個人と食事の約束したことなど過去一度としてありはしない―――――めんどくさい、との本音のままに、私は私の対面席へと腰を落ち着けたらしい相席者の存在を無視してがばりと大きく口を開けた。
目玉焼きごと豪快に食い千切ったお肉の繊維は今まで食べた王国料理の中では珍しいことにやや固め。しかし少しでも食べやすいように、との配慮からか肉を叩いて薄く伸ばすという手間と工夫が窺える。筋張ったお肉を少しでも柔らかくするために行われる“北”でも馴染み深い工程だが、力と根気が要る作業だと知っているからこそおばちゃんたちの心遣いに震えた。塩胡椒だけで整えられたお肉の表面に食い込んだ何かの粉は揚げ衣にも似たサクサク感でほぐれた筋繊維に更なる軽やかさを与えている。程良い辛さを演出しているソースに付け合わせの茹で芋のほくほく感と、黄身の形が崩れないよう半熟より少しだけ強めに火が入った目玉焼きのとろりともったりの狭間に加えて忘れちゃいけない土台のライスは風味豊かなガーリック。すごい。単純かと思わせておいてすごい複雑な味わいがすごい。幅が広過ぎてびっくりするなぁ食堂のライスパラダイス。
「いや、これは失礼。食事中の女性に不躾だった。気を悪くしたなら謝罪しよう―――――ところで、だ。貴女に聞きたいことがあるのだが、セス・ベッカロッシはどうしている?」
「………うん?」
セス、と聞き慣れた三白眼の名前を聴覚が拾い上げたので、そこに至ってようやく私は目の前の食事から視線を外した。ちょうど食べ終わったタイミングだったのもあって空いたお皿を脇に退け、紡錘形に整えられた黄色の塊にどろりと赤いトマトソースがぶっかけられた次の料理を引き寄せる。そのついで、みたいなノリでスプーンを口に突っ込んだまま正面に陣取った相席者を見遣れば、何処かで見たことがあるようなないような涼やかな顔をした男子がじぃっとこちらを眺めていた。値踏みするような眼差しを向けられる覚えはなかったが、とりあえず言うべきことは言う。
「セスがどうしてるかなんて、私が知ってるわけないだろ。学科違うし用がなければわざわざ会うような仲でもないぞ。探せばその辺で黙々とパイ料理食べてるんじゃないか?」
「………、なに?」
なんで食事中にそんなことを聞かれなければならんのか、という呆れを多分に込めて吐いた台詞に、相手は困惑したようだった。私の態度というよりは発言の意味する内容が悉く予想外だったと言わんばかりの反応は、こちらとしては逆になんでだよと思わざるを得なくて意味が分からん。
「貴女とあれは懇意ではないのか?」
「コンイってなんだ?」
「え? ああ、ええと、まぁなんというか………とても親しい間柄、なのでは?」
「それについては『とても親しい』の定義によると思うんだが、少なくともあの三白眼がどこで何をしてるのかを逐一把握してるような間柄じゃないのは確かだ。そういうのは王子様とかフローレンさんの方が詳しいだろ―――――ていうか、学園行事を除けばランチタイム以外で会うことないからセスの普段とかまったく知らん」
ぶっちゃけ見ない日の方が多いんじゃないか、あの三白眼。
言い切って、相手の絶句など構うことなく黄色い塊の端っこにスプーンを垂直に突き立てる。すべてが黄色で構成された料理なのかと思いきや、案外薄い膜でしかなかった薄焼き玉子の中から現れたのは赤色だった。二番目に食べた鉄皿料理に比べればいくらか柔らかい色合いで、しかし細かく細かく刻まれた野菜がちりばめられたライスの存在感は断じて見劣りなどしていない。トッピングのトマトソースは酸っぱさを程良く残しつつも少し甘めな後味で仕上がってますね食堂のおばちゃん。美味しい。でも塩追加したい。絶対もっと美味しくなる。
「………なるほど。そういうことか、あの男。どうも私が想定していた以上に相手にされていないとみえる。知らん、と断言されるとは。なんとも嗤える話じゃないか。そう思わないか? リューリ・ベル嬢」
「ああもう五月蠅ぇ」
名指しでそう聞かれた私の口からノータイムで勢いよく飛び出したのは、酷く冷え切った声だった。
「さっきから何なんだよお前。よく分からん同意なんか求めてくるな。思わない、も何もお互いそういうことどうでもいいから気にならないし気にしてないだけで笑えるような要素無いんだけどっていうかそれ以上に―――――誰だお前」
塩の入った小瓶を片手に、息継ぎ無しでざっくりと雑に真顔で言い放ったら澄ましまくっていた相手の顔が即座に面白いことになった。周囲一帯のテーブルでランチを楽しんでいた面々が一斉にげほげほ噎せ出して水を求める声により騒がしくなった空間で、僅かに引き攣る口元をどうにか隠そうと苦心しながら相席者の男子が笑みを繕う。
「聞き間違いだろうか、リューリ・ベル嬢………まさか、私をご存知ないと?」
「逆になんで知ってる前提なんだよ。初対面だろ。知るわけないじゃん」
お前なんか知るか、と存分に態度で主張しながら塩味を足した料理を堪能する私とこの男子は事実として初対面である。記憶を遡ってみたところでこの男子と会話した記憶はない。どこかで見たような気がしないでもないが、“学園”に所属している生徒であるならいつか何処かで偶然にすれ違ったことくらいあるだろう。人間の顔というものにあんまり興味も関心もないのでよっぽどの何かがない場合はいちいち記憶に留めていない、と無感情に告げてやれば、真正面に座す男子生徒の顔面痙攣が一層酷いことになった。
「………三日前にあった『剣術大会』で、開会式の選手宣誓を担ったアインハード・エッケルトと言えばさすがに覚えがあるのでは?」
学園に在籍する全生徒が集っていたあの場で一番目立つことをしていたのだからいくら“招待学生”とはいえ知らない筈がないだろう、みたいな眼差しで射抜かれる。はて、と僅かに首を捻った私の口の中にはみっしりと料理が詰まっていたので流石に答えは返せなかったが、そういえばそんなやつ居たなぁ、くらいの気持ちでようやく既視感に合点がいった。
「ああ、セスにめんどくさいこと押し付けられた『剣術科』の次席とかいうやつ?」
「その覚え方には悪意しか感じないのだが、貴女とてあの場に居たのなら私の顔も名もご存知だろうにどうして『知らない』などと嘯かれたのかを是非ともお教え願いたい」
「聞きたいことはそれで終わりだな? それに答えたらもう私の食事の邪魔をしないって解釈でいいんだな? よし、じゃぁ教えるからよく聞けよ―――――知らない、と思ったから『知らない』って言っただけだ。知らん顔したわけじゃない。遠目に見て名前を聞いたことはあっても特に記憶に残ってなかった。実際に会って話した相手じゃないから印象そのものが薄かった。単純に、ただそれだけだ。悪気はないし悪意もない」
そして同時に興味が無い、とは流石に言わないでおいたけれども。
こちらとしては以上で話は終わり、ときっぱり明言すると同時にトマトソースをめいっぱい絡めた最後の一口を頬張る私に、アインハードなる剣術科次席は何か言いたげな顔を向けたまま、やがて重苦しい溜め息を溢して緩やかに頭を振ってみせる。やれやれ、みたいなその動きに、なんとなく嫌な予感がした。
「なるほど、貴女に悪気が無かったことは理解した。突っ掛るような物言いをしたことについては謝罪を―――――ところで、セス・ベッカロッシについてだが、本当に何もご存知ないと?」
人の話聞いてねぇなこいつ。
話し掛けるな絡むな構うなお前はお前でランチしろ、というこちらの要望を伝えるには些かマイルド過ぎたようだ。食べ終わった料理の皿を片手でがちゃがちゃと重ねてまとめてそんなことを考える。陶器のボウルいっぱいにひたひた湛えられたスープがこぼれないよう持ち上げて、薄く色付いた透明な液体の底に沈んだ雑穀ライスをスプーンでくるりと掻き混ぜた。くゆる湯気と一緒になって漂う香りはほぼ水に近い無臭だったが、ほんのりと出汁がきいているのか鼻にも舌にも優しくて、ほう、と肩の力が抜ける。
「いや、わざわざ答えていただかなくて結構。知らない、と断言する以上、貴女は本当に知らないのだろうな。あの男が『剣術大会』の日を最後に姿を消したという事実も―――――体調不良、というのは表向きの建前で、実際は『剣術大会』が突如中止になった件に深く関わっていたが故に謹慎処分を受けているのだと学園内でまことしやかに囁かれている噂の類ですら、何も」
知らないのであれば仕方がない、と言わんばかりの寛容さで、男子生徒はゆっくりと納得したように頭を振った。表面上は取り繕っていようが纏う雰囲気そのものは他人の無知を嘲笑う優越感に満ちている。普通にイラッとくるものがあった。柔らかく煮込まれた雑穀の粒を難無くすり潰した上下の歯から、ごりっ、と鈍い音が響く。こちらが無言なのをいいことに、すらすらと滑る相手の言葉はまだ鬱陶しく続いていた。知らないのであれば教えて差し上げよう、と言わんばかりの口振りで、さも親切そうな顔をして。
「これは私も後になって知った話だが、セス・ベッカロッシは大会本部に棄権の申し入れをしていたそうだ。無論、ただの噂にしてもおよそ信じられない話だと思ったとも。たとえ殿下の幼馴染として腹心の部下たる将来が確約されていると昔から皆に囁かれているとはいえ、負けず嫌いでプライドの高いあの男が万が一にも棄権など何の冗談かと笑ったものだが………どうやら本当らしくてね。理由は“体調不良”だとか。ああ、棄権理由そのものの真偽についてはどうでもいい。本当に体調不良だというなら奴の自己管理がなっていないという間抜けな笑い話でしかない。ところで『剣術大会』が中止になったのはベッカロッシが棄権を申し出た後だったと聞く。噂によればその傍らにはレディ・フローレンの姿があったとかなかったとか―――そして、あくまでこれも噂だが―――『幼馴染が栄えある舞台に立てなくなったものだから、殿下とフローレン嬢が王家と公爵家の権力を行使して大会を中止にしたのではないか?』と学園中の生徒たちが口々にう」
「うるせぇランチに集中させろ」
気が散るだろうが。そろそろ黙れ。
話の途中で切って捨てた。もう一息に切って捨てた。包み隠さずストレートに、それこそ剥き身の刃物のように、鋭さしかない尖った声を相手に突き刺して音を遮る。主導権を奪うというより単純に黙らせたかっただけだ。怒ってはいない。ただ、不快さはある。優しい味の雑穀煮で宥めすかしてみたところで胃の底の荒ぶりはおさまらず、スプーンを握り締めたまま私は静かに前方を見据えた。考えをまとめる時間を省略した口は既に勝手に動いている。
「さっきから五月蠅い。べらべらべらべらこっちが聞いてもいないことを親切ぶって話してくる割には噂がどうだの聞いた話がどうだのと五月蠅い。しかも中身がよく分からん。要するに何が言いたいんだお前。私に何が聞きたいんだお前………ああ、違うか。そうじゃないな? 私に何を聞かせたいんだお前。なんて言って欲しいんだ? 私に同意して欲しいのか? そうだな、って言って欲しいの? セスが休みなのは体調不良じゃなくて謹慎処分で出て来れないからで、フローレンさんや王子様が棄権決めたセスのために『剣術大会』中止にしたって、皆がしてる噂とやらが本当なんだって答えが“私”の口から飛び出せばお前はそれで満足するのか。じゃぁ無理だ。他をあたれ。私にこれ以上絡んだところでお前のご期待には沿えねぇよ―――――だって考えるまでもなく筋通ってないじゃんその話」
「………え?」
ぽかん、と。何がしたいのか何をしたいのかよく分からない剣術科次席とやらの口から、随分と間の抜けた音がした。いつの間にか静かになっていた空間の中でやたらとよく通る私の声が、快も不快もない透明さで淡々と思い浮かんだ言葉を吐いていく。
「王子様とフローレンさんがセスのために『剣術大会』を中止にした。で、大会の中止に関わっていたセスが謹慎処分になった―――――無理があるだろ。無理しかないだろ。なんであの二人が棄権を申告したセスのために大会を中止にするんだよ。あれってセス一人のためじゃなく『剣術科』の生徒全員のために開催する割と重要な大会なんだろ? あの三白眼が出ないからって中止にする意味まったくないじゃん。そんなことするメリットないじゃん。むしろ中止にしちゃった方がデメリットとか多くてめんどくさそうだなってぼんやり思うの私だけ? 大会が中止になったことで誰がどんな得するんだよ。少なくとも王子様たちやセスにとっては大したメリットなんか無かったと思うぞ。だってセス本人は『剣術大会』に出られなくなっても困るような素振りは一切なかったしあれは本気で困ってなかった。『しょうがねぇだろ』感覚でいっそ清々しいくらいだった」
あの堂々とした開き直りっぷりは個人的に尊敬するレベルだった、と正直に感心する反面で、忘れもしない罪悪感のような濁りに喉の奥が気持ち悪い。洗い流そうと口に運んだスープは刺激のまるでない優しさで、だけど己を誤魔化す分にはやっぱり少し弱かった。男子生徒の澄ました目元が我が意を得たりとばかり細められる。愉悦に歪む唇は、未だに食事を摂る気配が無い。
「なるほど、困っていなかったと。それこそ『剣術大会』の参加や成績如何に関わらず、セス・ベッカロッシの将来が殿下方との馴れ合いによってほとんど決定している証左と取れる気がしてならないが」
「なるほど。さては馬鹿だなお前」
「それを聞いて尚のこ………なんだと!? 待て“辺境民”、聞き捨てならない、どうしてこのアインハード・エッケルトが馬鹿呼ばわれされねばならないのか納得のいく説明をしてもらおうか!!!」
いや、説明も何も馬鹿だなぁと思ったから「馬鹿だな」って言っただけなんだけど。自分に自信たっぷりのプライド高い男子ってめんどくさいな。なんでこう「自分の導き出した答えこそが正しい」みたいな顔で突き進めるんだろうこの手の連中。いつものパターンになってきたぞ、との気がしないでもない心境で、私は驚きの律儀さできっぱりと馬鹿呼ばわりの根拠を述べる。
「だってその理屈でいったら『セスのために剣術大会を中止にした』云々って話の筋が全然通らないっていうか本気で中止にする意味ないじゃん。出ても出なくても将来決まってるならいよいよセスは関係ないだろ。根も葉もない噂にしたって流石に無理しかなくて無理。ドヤ顔で自説をゴリ押すならせめてどっちかに絞るくらいしろよ欲張ってる時点で散らかり過ぎてて結局共倒れとか馬鹿なの?」
「ぐっ………確かに、それはそうかもしれないが………しかし、噂はあくまで“噂”だ。真偽の程はさておくとして、噂として広まり話題に上り続けている以上はそれなりの理由がある筈だとは思わないか? 事実としてセス・ベッカロッシは大会が中止になる前に自ら棄権を申し出ている。腹を下した、などという情けない理由で栄えある場に出られなくなったあの男を慮った殿下やレディ・フローレンの気遣いが無かった可能性は捨てきれない。何と言っても彼らは“幼馴染”だからな。普段から王族である殿下にすら粗野粗雑粗暴な貴族らしからぬ振る舞いが許される破格とも言える扱いだ、どうせ贔屓に決まっている―――――と、皆が口々に噂してしまうのも、まぁ無理からぬ話ではある」
「へー」
気のない声で、呟いて。
「で? それがどうした」
一刀両断、吐き捨てる。
スプーンを右手に持ったまま、左手を器に添えたまま、手元へと注いでいた視線をほんの少しだけ持ち上げた。正面には涼しそうな目元を細めてこちらを見遣る男子が居る。たぶん整っている部類の顔立ちに冷静沈着な思慮深さを装って貼り付けてはいたものの、それが剥がせる仮面であるとは本能で察しが付いていた。
「最初にきっぱり言っておく。私は、お前が、鬱陶しい」
率直に言って、嫌悪が募る。歪みそうになる口元をどうにか抑えて紡いだ言葉は想像以上に平坦で、抑揚というものに欠けていた。それでも口調の端々に苛立ちが滲む程度には、尖っている自覚はあったけれど。
「私にとって興味のない話を延々と垂れ流してくるお前のことが鬱陶しい。食事に集中したいのに邪魔され続けて苛々する。さっきからセスがどうしただの噂がどうだのめんどくさい。いいか、よく聞けお喋り野郎―――――私はな、“皆”がどうとかどうでもいい。“皆”の話なんか聞いていない。お前がさっきから言い続けてる“皆”とかいう括りの中に“私”は一切入ってない。そこに“私”を含めようとするな。“私”を“皆”とごちゃ混ぜにするな。そんな便利な集合体の単位に“私”を組み込もうとするな。お前に都合の良い“皆”がどんな噂をしてようが、“私”には何の関係もないし関わりたいとも思わない」
迷惑だ、と取り付く島もない力強さで言い切って、具材をほとんど食べ尽くしたスープの器を両手で包む。完全に中身を飲み干そうと思ってほんの少しだけ傾けた陶器のボウルの底で、掬いきれなかった食材の欠片がゆらゆらと不安定に踊っていた。軽く一口だけ含んだスープはあっさりとした味がする。口の端を舌の先で舐めたついでに唇の表面を湿らせて、滑りが良くなったついでとばかりに言いたかったこともぶち撒けた。
「というか、お前この学園中の生徒みんながそう思ってるみたいな勢いで“皆”って言葉を振り翳してんじゃねぇよ。さっきからずっと気になってたんだ―――――だってチビちゃんが言ってたからな! 主語を“皆”にすることで“自分”の意見をさも大多数の総意です、みたいな感じで大袈裟に吹き込んでくるパターン! 自分一人じゃ表立って相手の悪口も言えないからって周りの皆と足並み揃えて攻撃しようとしてくる陰湿な卑怯者タイプってお前みたいなヤツのことだろ、そういうのは大抵自分より優秀な誰かが気に入らなくて追い落とさないと気が済まない常時発火型のトラブルメーカーだから粘着質で性格悪くて見た目はどうあれ一皮剥けば精神年齢一桁台で尋常でなくうざったいから気を付けてね、ってチビちゃんの分析そのまんま過ぎてびっくりだ! 『恋愛小説で割と出て来る主人公に親切ぶってしたり顔で要らん事吹き込みまくる余計なことしかしやがらないお邪魔枠は創作界隈では良いスパイス扱いでも現実だとひたすら鬱陶しい』って辛辣なコメントも納得のウザさ! 仮にも『剣術科』次席のくせに言うことやること小物臭い、自分がセスのこと嫌いだからってこっちにまでそれを押し付けてくるなお前の好き嫌いなんて知るか!!! 私のランチの邪魔するなって何度言わせれば気が済むんだよお前はお前でランチを食べろよせっかくのあったかガーリックライスがすっかり冷めて表面乾き始めちゃってるだろうがこの大馬鹿野郎すぐいただきますしろ!!!」
「おおっと、珍しく長めに続いていたシリアスモードを空気も読まずにぶった切る怒涛の勢いのチビちゃん語録と割と正鵠な言葉の暴力にアインハード・エッケルトの開いた口が塞がらない! 不意打ちよろしく投げ付けられた情報量の多さもさることながら、それを噛まずに言い切った滑舌の良さと肺活量と静から動への爆発力に即時対応出来る人材は果たしてこの“王国”内に一体何人存在するのか!? そして相手に与えた精神的なダメージよりも時間経過によって損なわれゆくランチの美味しさについて語る方が全力投球で本気なあたり安心安定のリューリ・ベルは今日も今日とて平常運転だこの場に居合わせたギャラリー各位、騒ぐ準備は出来てるか―――――ッ!?」
イエェェェェェェエエエェェェ!!!!!!
歓声が耳を劈いて、私の心が無になった。瞬間的に無になった。チビちゃんが巷で流行りの表現だと口にしていた「スンッ」とかいう擬音が使われるとしたらたぶん今だったと思う。
心を落ち着けるために雑穀煮のスープを一気飲みしたところで歓声はおさまる気配がなかった。諦めて視線をスライドさせる。予想通り、案の定、そこには馬鹿が立っていた。
「おいなにしてんだこの馬鹿王子」
「やだ第一声から口が悪い! 一瞬セスかと思ったでしょうが! お兄ちゃんの真似するのは止めなさい、性格というか人間性が拗れてめんどくさい人になっちゃうぞう?」
「お前にだけは言われたくないと思う、っていうかお前が言うなよ王子様。あとセスならたぶん『なにしてやがんだクソ王子』って言うんじゃないか? 知らんけど」
「あー。それそれわかるわかる。すっごい言いそう。めっちゃセスっぽい」
すたすたと淀みない足取りで私と剣術科次席男子が座るテーブルへとやって来た王子様は、いつも通りに呑気な口振りといつも通りの能天気さであっけらかんと雑談を始める。毒気と一緒に肩の力を根こそぎ持って行かれた気分で半眼になった私の耳に、先程まで歓声を上げていた面々から今度は控えめな早口言葉のような呪文が届いた。
「お兄ちゃんが口にしそうな言葉を即座にしれっと引き出せる末っ子ちゃんに仲良しきょうだいの絆を感じた尊い死のう今直ぐ死のう」
「セス様と幼馴染で付き合いの長い殿下が太鼓判を押した時点で運命はここに定まったギャラリーの大多数は死ぬ私も今からそちらに逝きます」
「そして不死鳥の如く甦る俺たちこそがリビングデッド」
「フローレン様が一緒に居ないと頼りないお父さんというより賑やかしい長男みが増す殿下は一人で二回美味しいポジションかと思いきや末っ子ちゃんにとってはどっちにしてもお母さんとセスお兄ちゃんに勝てない家族カースト最下層扱いなのがひしひしと感じ取れるのが楽しい超絶応援したいそのままの殿下でいてください」
「めちゃくちゃわかりみカーニバル」
「いかんお兄ちゃんの真似をしたがる末っ子ちゃんはいかん可愛いが過ぎる悶絶必至もうきょうだいで推すしかねぇ」
「とっくにご家族推しの私に死角などないがそれはそれとして仲良しきょうだい最ザ高」
「ねぇ待って待って待って今までずっと言うの我慢してたけどもう無理限界お願い言わせて聞き流していいからゲロらせて―――――なんやかんや言いながらお兄ちゃん悪く言う知らん人に敵意高めな末っ子ちゃん控えめに申し上げてプレシャスアンドジャスティス」
「圧倒的それなフィルターオン」
「みなまで言うな我が同士」
「尊いはすべからく正義、ところで妖精のように愛らしいお子さんにしつこく絡んでいる怪しい人が居るので周囲が暴徒と化す前に一番頼りにされてない枠とはいえ保護者の方が来てくれて僕は私は一安心」
「言語機能を取り戻してから出直してくださいそれはそれとして言いたいことは分かる」
うん何一つ分からなくていいや、ということだけ理解出来たのでそのあたりの音声については一度シャットアウトを敢行。家族設定の浸透率が尋常じゃない件については私じゃどうにも出来ないので諦めの境地でスルーした。触るな危険には触れない方向で生きていくのが無難である、とは故郷のじいちゃんの言葉である。余談だが私たち“北の民”における『触るな危険』の共通代名詞はまさかの族長関連なのだがこれについては触れないでおこう。だって触るな危険だし。
「で。有耶無耶になる前に聞いてやるけど―――――いつから居たんだ、王子様」
「うーん、相変わらずストレート。察しがいいのも考えものだなぁ。隠すようなことでもないので手っ取り早く白状すると、お前が雑穀粥食べてる途中くらいにはもう居たぞう。で、バチバチに取り込み中っぽかったから空気読んで出て行くタイミングを見計らってたらあんな感じになったわけだが、何か質問あったりする?」
「質問はないけどお前さえもっと早く出て来てたなら私はこんなめんどくさいやつに絡まれずに済んだんじゃないか、って文句ならいくらでもある」
だよなぁ、と能天気な王子様は笑っている。予見されていた通りのものを明るく肯定するように、軽妙に受け応える様は何処まで行っても朗らかだった。
「うん、それはリューリ・ベルの言う通りだ。私がしゃしゃり出ていれば話はもっと早かったろう―――――なぁ、アインハード・エッケルト。席を立つには早いだろう?」
がた、と小さくない音がして、不意に名前を呼ばれたことに過剰な反応してしまったらしい男子が「しまった」という顔をする。実際に席を立つ素振りを見せたのかどうかなんて王子様に意識を向けていた私には分かりようもなかったが、この状況だけを切り取ればそうと見えてしまうあたりが不運といえば不運だった。
「これは殿下、次期国王陛下ともあろうお方が、また随分と人が悪い言い回しを好まれるようで―――――舌鋒鋭いと評判の、婚約者殿の影響でしょうか」
「さて、意識したこともないなぁ。人が悪いにせよ何にせよ、学友にあらぬ嫌疑を吹っ掛けていると思われても仕方がないような噂を吹聴して回るお前ほどではないだろうさ」
「おっと、これは手厳しい。なにぶん噂はあくまで噂、ご不快に思われましたなら真摯に謝罪致す所存………ところで、本日はレディ・フローレンとご一緒ではないようですね? 是非とも伺いたいことがあったのですが、いやはやまったく残念だ」
なんかギスギスしてんなこいつら。私もうこれほっといてテーブル移動してもいい? どのみちライスパラダイス第一陣もう食べ終わっちゃったから食器返しに行かなきゃなんだよ。そんなことを考えてからっぽの食器を手にその場を離脱しようとした私を、横からそっと押し止めたのはまさかのイアンとヘンリーとザック―――――っていやいやいやいや、なんでだよ。まさか過ぎてなんでだよ。パターン的にはここで出て来るのチーム・フローレンのお嬢さん方じゃない? ついでにフローレンさんの出番じゃない?
私の混乱なんのその、久し振りに見た気がする旧三馬鹿はてきぱきと信じられないスムーズさでテーブル上の光景をささささーっと一変させていく。
「後片付けはお任せください」
「食堂のおばちゃん方よりリューリ嬢がオーダーした料理を預かっております」
「並べますので前を失礼」
まじでどちら様ですか。
私とセスがでっかい樹に吊るしたあの三馬鹿は何処へ行った。あまりの変わりように言葉も出ない。王子様は何故か悟りを開いたような顔で三人のことを見守っている。剣術科次席の男子生徒はあまりの展開に唖然としていた。
「ザ、ザック………? お前、本当にあのザック・ゴールディングなのか………?」
「貴殿がどのザック・ゴールディングを指しているのかは分かりかねるが、敢えて貴殿に伝えるとすればおそらくその男はもう死んだ。今の俺は千三番だ」
「真顔で何を言っている!?!?」
剣術科次席が絶叫していたが今回に限りその気持ちは分からないでもない。ホントだよ。ホントに何を言ってんだっていうかナンバリングが四桁ってどういうことなのチーム・フローレン並びに首魁のフローレン嬢。学園に所属する生徒総数なんて私が詳しく知るわけないけど流石に数がおかしくないか。
「ちなみに私は千一番です」
「僕は千二番を賜りました」
空いたお皿を抱えつつ平然と告げるイアンとヘンリーにお前らもかよとツッコミたい。ていうか本気で何があったよ。個性粉砕するレベルで人格再構築されてない?
何とも言えない微妙な顔をとりあえず王子様に向けたところで、返されたのは微笑だけ。詳しくは聞かない方が良い、と視線だけで語る王子様スマイルに私は即座に沈黙を選ぶ。ふり掛かる火の粉は払うとしても、関わらなくていいことに首を突っ込む必要はない。
「ところでなんだがリューリ・ベル、炒飯にパエリアにシルパンチョにオムライスと雑穀粥をぺろっと平らげておきながら、この上更にピラフとドリアとチーズリゾットにおにぎりセットってどういうことなの食べ過ぎじゃない? 胃袋に限界って概念がないの? 底が綺麗に抜け落ちてるの?」
「馬鹿なこと言うなよ王子様、胃袋の底が抜けてたらせっかくありがたくいただいた糧が私の血肉にならないだろうが。食べられるときに食べておく、食べ放題は食べられるだけ美味しく食べるってスタイルなだけだ」
「そっかー、じゃぁしょうがないなー、量がおかしいって言ってるだけなんだけど何でかな伝わんないなおっかしいなー!」
まぁいいか! と晴れやかに言って終わらせられるあたりが前向きな王子様だった。そんな実のない遣り取りをしていた間にイアンとヘンリーとザックの三人は既に空いた食器を抱えてすたすたと歩き去っている。何だったんだ今の。なんでもいいか。そんなことよりあの三人が運んで来てくれた第二陣、出来立てほやほやライスパラダイスを味わう方が重要です。細かいことは置いておくとして、ありがとうイアンとヘンリーとザック。
「よし、気を取り直していただきま―――――」
「待ちたまえ」
「あァ?」
思わず低い声が出た。自分で言うのもあれではあるが、まるでセスを彷彿とさせるようなガラの悪い声である。ギャラリーの何人かが目頭を押さえて蹲った件については極力無視することにして、もはや私の食事を妨害する敵と言っても過言でない剣術科次席男子の顔面を射殺さんばかりに睨み据えた。あまりの剣幕に気圧されたらしい相手の引け腰なんて気にも留めずに何だよコラ、と凄んだところで対面の男子は何も言えない。
「なんやかんや有耶無耶になりそうな流れをどうして自分から台無しにしてしまうのか―――――自ら死地に突っ込んで行く、というのは褒められた行為ではないけれど、私が言えたことではないのでその件に関しては口を噤もう」
王子様の呟きは、淡々と冷めた響きで食堂の中に溶けていく。私としては冷める前のランチを全力で楽しみたいのでお前ら二人他所に行って好きなだけ火花散らしてろ、と思わずにはいられないのだが、あまりに状況がぐちゃぐちゃしていて実のところもうわけが分からない。
「とは言え………いまいち話の進みが遅いし、リューリ・ベルの機嫌も悪い。ランチタイムには限りがあるのでこのあたりで梃子を入れるとしよう」
そんな私の心情を奇跡的な確率で汲み取ったのか、エンターテイナー気取りの王子様はにこやかに爽やかに顔を上げた。その場の視線を立ち方ひとつ、声のひとつで集める様は冗談のように“王子様”らしくて一概に馬鹿に出来やしない。いや、中身は馬鹿だけど。フローレン嬢に言わせるとたぶん「スキルはどうあれ馬鹿は馬鹿です」の一言で終了だと思うけど。
「エッケルト候子、アインハード。お前の疑念を晴らしてやろう。その前にまず先程のお前の問いについてだが―――――フローレンは珍しく、所用でなく私用で忙しい。なので、既に何もかも終わっている件についてわざわざ口を出すことはない」
「………ほう。それはどういうことでしょうか、殿下」
「そうだなぁ、舌鋒鋭いと評判の、かの婚約者の言葉を敢えて真似るとするのなら―――『あら、嫌だ。暗愚が何をどう足掻こうが既に結末など知れたこと。三流以下の策士家気取りに引導を渡すくらいなら馬鹿王子にも出来るでしょう? そんなつまらないことにかかずらっている暇なんて、今の私にはなくってよ』―――と、まぁ概ねこんなところだろうか」
王子様が呑気に嘯いて、言われた方は言葉を失くした。この付近一帯からほんの一瞬、音らしい音が一斉に消える。
相手を睥睨する様も、神経を引っ掻く物言いも、お上品さの華の裏に潜めた夥しい悪意の棘でさえ、まるで本人がその場に居るかのような完成度の高さで背筋が凍った。怖い。怖いよ王子様。何が怖いってフローレン嬢を完全再現しておきながら秒で“王子様”に戻ったときの温度差が酷くて病気になりそう。落差が酷い。あと口調にまったく違和感がない。特等席ですべてを見ていたギャラリー最前列は息絶えた。上には上が居た、付き合いの長さに裏打ちされた理解度カンスト完全再現まじ半端ねぇご馳走様です、新しい扉を開きましたありがとうございます踏んでください、すいません逆バージョンお願いします―――――等々の世迷言というか遺言とともにばったばったと倒れていく周囲の暇人死屍累々。よしきた私はランチにしよう。
心を強く保ったところで口に入れたピラフなる料理は美味しかった。最初に食べたライスの小山ことチャーハンとかいう料理より気持ちぱらぱら解れやすい。一粒一粒がやや固め。ライスの透明度はやや高め。油は少なめだが魚介のエキスと一口大に切られた野菜やキノコが風味豊かで大変美味ですこれも山脈クラスでください。
「………仰っている意味が分かりかねますが?」
「察しの悪いフリをするのはまったく構わないんだが、延命措置にすらなっていないということだけは早めに理解した方が良い。要するにな、アインハード―――――面倒臭いからもう言っちゃうけどお前の目論見は瓦解している。いや、もっと残酷に言ってしまえば成立さえもしなかった。正直お前の思ってるような展開には何一つなってないから恥かく前にランチだけ食べて職員室に出頭することを勧めるいやホントこれはマジで」
「はぁ?」
何言ってんだコイツ、みたいな表情で、それまでの真面目な空気を自分から盛大にぶち壊した王子様に怪訝な視線を突き刺す男子にしたり顔の馬鹿は憐れみを向けた。やれやれ、と小さく首を振った王子様は私の方を向いて言う。
「わぁ、この短時間でもうピラフ食べ尽くしてリゾットにスプーン突き立ててるぞうこの底無しの食いしん坊。と、それはさておき―――――リューリ・ベル。お食事中のところ悪いんだけど、ちょっとだけ協力してくんない? これ以上ランチの邪魔されないためにも手伝ってくれるととても助かる」
「そういうことなら別にいいぞ。それで? なんだよ王子様、私に何をどうしろってんだ」
お前はいつも通りでいいさ、と王子様は気楽に言って、そのままのノリで言葉を続けた。
「セスがどうして『剣術大会』を棄権することになったのか、勘違いしているこのお馬鹿さんにさっくり教えてあげなさい」
前提からぶっ壊して行こう、と言い放つ王子様は随分と楽しそうで楽しそうで、何がそんなに楽しいのやらと思いながらもチーズリゾットを飲み込んだ私はかぱりと大きく口を開いた。程良く伸びるチーズを衣のように纏うライスを大胆にスプーン一杯に盛り、複数種のチーズが醸す芳醇で濃厚な味わいを堪能してからざっくりと知っている事実を言う。
「セスならホットドッグうっかり食べちゃったせいで大会に出られなくなっただけだぞ」
「………………………………、なんだと?」
たっぷりと沈黙を挟んだ後で、剣術科次席の目が点になる。気にせずリゾットを抉り取り、食べる片手間の感覚で私はただただ言葉を紡いだ。
「だから、セスが棄権するって決めたのはホットドッグうっかり食べちゃったからだよ。お前の言う“噂”にあるような体調不良なんかじゃなくて、本気でただのうっかりだ」
―――――とは言え、あの時の王子様たちの反応を見るに、ただの「うっかり」で済ませてしまうには些か問題があったようなのだけれど。
「あいつな、私が食べられなかったホットドッグをしれっと食べてくれたんだよ。セスのおかげで食べ物を無駄にせずに済んだから、心の底から助かった。だけどあの親切な三白眼、そのせいで『剣術大会』に出場出来なくなったんだ―――――だって、『参加者は指定されたものしか食べちゃ駄目』ってルールがあるんだろう? うっかりさんにも限度がある、って居合わせた王子様やフローレンさんはだいぶ呆れた顔してたけど、理由はどうあれ立場がどうあれ破ったからには棄権する、って潔く決めただけのセスがなんでそんな噂の的になってるのかが私にはまったく理解出来ない」
理由はどうあれ、経緯がどうあれ、筋を通しただけだった。少なくとも真隣りですべてを見ていた私の目にはそう映ったし、事実としてそれはその通りだった。
「セスは嘘を吐かなかっただけだ。自分に正直だっただけだ。親切な上に律儀だっただけで、そこにお前の言う“噂”みたいに面倒な思惑みたいなものはなかった。それは私が証言出来る。そこだけは私が断言出来る。だって、突き詰めれば私のせいだ。私の食べていた激辛料理のせいだ。私があの時あの瞬間にあのホットドッグを食べてなかったら起こり得なかった不測の事態だ。だからこそその件に関して、あの三白眼が『剣術大会を棄権した理由』について私は何度でも言ってやるぞ―――――体調不良なわけあるか。私がびっくりするくらい、激辛ホットドッグをしれっと平らげて顔色一つ変えないくらい、あの日のセスは健康だった。いつも通りのセスだった」
もしも私が食べていたあの日の激辛料理のせいでこんな面倒臭いことになっているとしたのなら、責任の一端くらいはきっと私自身にもあるのだろう。自分で消費出来ていたらこんなことにはならなかった。自責の念で腹は膨れないが、二度と同じ愚を犯さないためにも悔恨は深く身に刻まねばならない。己が食べられるものと食べられないものの見極め一つ出来ないで、何が北の狩猟民か。
チーズリゾットを食みながら固い金属製のスプーンを強く噛んだ私の行いは、きっと他には知られない。王子様は満足そうに、愉快そうに笑っている。
「ちなみに棄権申告にフローレンが同行したことも含め、その時周りに居た生徒たちの証言は既に学園側に提出済みだ。噂その一である『セスが体調不良で大会を棄権』が根も葉もない与太話でしかないとは調べなくても判明するぞう。あと、これはとても大切なことなので声を大にして明言しておくが―――――前提として“王子様”やフローレンに学園の公式行事を私情で中止させるような権限なんかあるわけない! そんなヤバい便利特権をこんな馬鹿に握らせようものなら学園の枠を飛び越えて国中大混乱必至でしょうが常識で考えなさい常識で!!! 幼馴染のために便宜を図る? 私にだってフローレンにだってそんなこと出来るわけないよね普通に考えて無理だよね言わないでもそんくらい気付いてくんない私が言うのもアレだけどなんなの“皆”どうしたの馬鹿なの!?」
大声で断言したついでに面白可笑しく絶叫する王子様だが一から十まで自信満々に吐き出す台詞じゃねぇなそれ。少なくとも自分で言うんじゃねぇよ。自覚があるなら自重しろ、ってフローレン嬢に怒られてただろ学習能力どこに置いてきた――――――ん?
あれ、と脳裏に引っ掛かるものを覚えて私は記憶を遡る。具体的にはここ数十分程度の遣り取りを脳から引き摺り出して、おかしいのではと思ったことをそのままぽろっと吐き出した。
「なぁ、剣術科次席の人。“皆”の“噂”じゃセスが大会を棄権したのは体調不良のせいなんだよな?」
「………あ、ああ、そうだとも。理由はあくまで体調不良と、それ以上のことは聞き及んでいない。噂はあくまでも噂でしかなかったということが確認出来て私も胸のつかえが取れた。それではそろそろお暇しよう、これ以上貴女の食事の邪魔をする気は流石にな」
「じゃぁなんでお前さっき私に『セスが腹を下した』なんて言った」
相手の言葉を遮って、一息に疑問を叩き込む。今度こそ周囲一帯から音が消え失せて一向に戻って来なかった。王子様は泰然と構えている。席を立とうと腰を浮かしかけた中途半端な姿勢のままで固まっている男子生徒は微動だにしない。半分減ったチーズリゾットの器にかつんと当たったスプーンの音がやけに響く食堂内で、相手を真っ直ぐ見据える視線を逸らすことなく私は問う。
「お前、さっき私に言ったな―――――『腹を下した、などという情けない理由で栄えある場に出られなくなったあの男を慮った殿下やレディ・フローレンの気遣いが無かった可能性は捨てきれない』って。なんで『腹を下した』って言った? その情報は何処から拾ってきたんだ? “噂”じゃ『体調不良』なんだろう? それ以上のことは聞き及んでない、ってことは、つまり知らないってことだろう? 詳しく知らない筈なのになんで『腹を下した』って言ったんだよお前。なぁ、おい。知ってるぞ、チビちゃんが教えてくれたから私でも『腹を下す』の意味は分かる。下痢ってことだろ。原因不明の痛みとかじゃない、お腹痛いとかそういうのじゃなくてピンポイントな意味の筈だろそれ。お前、どうして、そんなこと言った?」
顔色がすっかり悪くなった相手を問い詰めるかたちになってはいるが、まぁいいや、で済ませて流すには疑問が膨らみ過ぎていた。と、傍らで様子を見ていた王子様が相変わらず何も考えていないようなノリで楽しそうに声を弾ませる。
「なんと、この流れは予想外! ところでどうしてそんなにも『腹を下す』言い回しに詳しいのかと思ってたら安定のチビちゃん情報だったけど、逆になんでその知識を得るに至ったのかがとても気になるから教えてくんない?」
「え? ああ、チビちゃん愛読の恋愛小説に『決闘時に対戦相手の料理に下剤を混ぜて腹を下させようと画策するライバルキャラ』とかいうのがいたらしくてな、食べ物を台無しにするとかありえないだろなんだその馬鹿って流れで覚え―――――ん? あれ?」
そういう系? と、私の思考が止まると同時。
「チビちゃん! まさかの! ファインプレー! なんて奇跡を呼び寄せるんだ予言者だったのか宿屋のチビちゃんリューリ・ベルにその無駄知識を叩き込んでおいてくれてグッジョブどうもありがとう!!! そろそろ勲章授与レベル!!!!!」
ワァァァァァァァァァァァァァ!!!!!
王子様の掛け声に合わせてありがとうそしてありがとう、みたいな歓声と拍手が爆発したが、王都から離れた北境の町に住んでいるチビちゃんには当然ながら届かない。なんだこのノリ。ていうか、え? は? 待て待て待て待てちょっと待て。王子様それまじで言ってる?
「おい、答えろ王子様。おばちゃんたちの作ってくれた美味しい料理を台無しにする混ぜ物をした馬鹿が居るのか」
「真っ先にそれを気にするあたりホント安心するよねお前。安心しなさい、リューリ・ベル。正確には未遂に終わったから」
「………未遂、とは?」
引き攣ったような口元を笑みのかたちに歪めながら呟く声は弱々しい。そしてその問い掛けに答えてやる王子様の表情はといえば、白々しいくらいに朗らかだった。
「未遂は未遂だ、アインハード。薬物の混入などなかった。そもそも食材の調理から大会参加者の手に渡るその瞬間まで徹底して食堂のおばちゃんたちが管理している弁当に、下剤なんてものを盛る隙が存在するわけないだろう」
プロの仕事を舐めるのも大概にしておくことだ、と言い放った声には若干の圧が込められている。わかる。とてもよくわかる。食堂のおばちゃんたちの仕事にかけるひたむきさとプロ根性を侮る輩はすべからく飢えに苦しんでそのありがたみを痛感しろ、と常々思っているからわかる。そんな気持ちでチーズリゾットをもぐもぐしつつ見上げた王子様の顔は、やっぱりいつもの能天気さで綻びのひとつも見当たらなかった。
「さて。それではこのあたりでひとつ、私が小耳に挟んだ話を提供しようかと思う。食事の席のささやかな余興として各々の耳を拝借したい。主役はとある人気者。名門の生まれ、優れた容姿に、大層剣の腕も立つという一人の男の物語だ。冷徹にも見える涼やかな美貌をして『氷のような騎士様』と女性方からの人気も高い色男だったのだがしかし、超えられない壁というものは何処にだって存在している。所属する集団の中において順位付けを行えば、男はいつも二番手だった。ある日、彼は親しく付き合っていた女性にこんな言葉を囁いた―――――『今度の戦いで私が奴に勝てたなら、この身が晴れて堂々と一位の座に輝いた暁には、愛する人に胸を張って想いを伝えたいと思っている』と」
急になんか語り出したぞこの朗読劇王子様、と内心で激しくツッコミを入れたのはどうやら私だけだったようで、周りのギャラリー各位(特に女子と一部の男子)はうっとりと話に聞き入っている。王子様の語りっぷりが非常に上手いのは認めるけれど、今の話のどのあたりにうっとりするような要素があったのか私にはまったく理解出来ない。
「いやそんなまどろっこしいこと囁くくらいなら今伝えろよ。勝って伝えるくらいなら伝えてから勝っても変わんないじゃん。そこまで決意固めてるならなんでそこで待たせるんだ。期待を持たせて待たせた相手の待ってる時間が無駄じゃない? 行動的に悠長過ぎない? 王国民ってどうしてそういう無駄にしか思えない流れが好きなんだよ。言うならもうその場で言っちまえ。明日が普通にあると思うな」
「情緒の欠片も見当たらないっていうかちょっとだけ聞こえた真理が不穏! それはさておきリューリ・ベル、『恋愛小説はそういうもの』って宿屋のチビちゃん言ってなかった?」
「言ってた。でも『まどろっこしくて長引くと超イライラする』とも確かに言ってた」
「きちんと理解を示した上で構わずディスる宿屋のチビちゃんにいっそ一作書いて欲しい。と、そんな突発的に浮かんだ希望的なものは置いといて、とりあえずここは『そういうものだ』と割り切ってもらう方向で進めていい? 『貴女に勝利を捧げたいのでどうか私の勝利を信じて待っていてください』系の台詞は世間的には胸がときめくロマンチックなものだということでひとつ、言葉のナイフを振り回すのは止めてミートドリアでも食べてなさい。たっぷりもったりチーズの下は熱々だから気を付けるんだぞう」
「それはまぁ気を付けて食べるけどさぁ………さっきの寒い言い回しでホントに胸とかときめくか? まったく共感出来ないぞ」
「ときめく人はときめくんだなコレが―――――但し、その台詞が自分一人だけに囁かれたものであればの話だが」
「は?」
ミートドリアにぶっ刺したスプーンで豪快かつ均等にチーズとミートソースとライスを混ぜ混ぜしていた手を止めて、私は思わず顔を上げた。語り部の王子様越しに見えた名前も知らないお嬢さんギャラリーたちの眉間に浅くない皺が寄っている。無駄に情感たっぷりに、王子様が続きを謳った。ひどく、夢のない物語の続きを。
「男が『親しく付き合っていた』女性というのは、実のところ一人だけではなかった。正確な数は分からないが、少なくとも三人は確実に居た―――――何故って、証言が取れているからな。本人たちがそう言った。一言一句違えずに、三人が三人ともまったく同じ台詞を同じ男から告げられていた。たとえば『いずれはあの立ち位置に取って代わってみせる』だとか、『奴を倒せるのは私を置いて他に居ない』だとか―――『しかし、あと一手及ばないような気がしてならない』とか『いっそ奴が万全の状態でなければ』とか、『こんな弱音を吐く男を愛しい人は待っていてくれるのだろうか』とか―――まぁそういう感じの台詞をな、判で押したかのように三人ともに伝えていたらしい」
「強気なのか弱気なのかはっきりしろ苛々するだろうが」
「三股とか最低、みたいな発言じゃないあたりが流石のリューリ・ベルだよなー」
能天気に笑っている王子様だが周りのギャラリー(圧倒的な女生徒率)は非常に不愉快そうな顔をしていた。興が削がれたどころではない。どう見ても怒っている。怒気を孕んだ険しい視線が向かう先は一様に、何故だか青くなったり赤くなったりと忙しい剣術科次席その人だ。
王子様の語るこの話が何を指しているかだなんて、大して隠されてもいないからもう全員が気付いているのだろう。
「ここで視点を切り替えて、同じ台詞を囁かれた三人の女性たちの話をしよう。彼女たちは皆一様に、男のことが好きだった。はっきりと将来の誓いを交わしたわけではなかったが、相思相愛の両想いには違いないと思っていた。男が自分の他に親しい女性をつくっていると知ってはいても遊びであると、自分こそが本命だからと信じ切って疑わなかった」
「………え? え、今なんと? お待ちを、でん」
なんだかすごい情報がさらっと出て来た気がしたが、慌てふためく剣術科次席にはまったく意識を向ける気のない王子様は全力でスルーの姿勢。この時点で私は薄々察していた―――――たぶんこれ、散々ぐだぐだした割にはもの凄まじく馬鹿みたいなオチだと。
「そんなわけで三人が三人とも『自分こそが本命だ』と思っていた彼女たちだが、冷徹にストイックそうな見た目を裏切る格好付けで遊び人気質な色男が『愛しい人に想いを伝えるつもりだ』と聞いては期待せずにはいられない。諸々の女性関係を清算し、やっと“自分”と正式なお付き合いを始めてくれるのかとそれぞれがそれぞれ浮足立った。しかし、それには厄介で面倒な条件がひとつ付いている。彼が言う『次の戦いで私が奴に勝てたなら』という前提は、それほどまでに困難であると彼女たちは全員そう認識した―――――それこそ、相手の食事に一服盛ってコンディションを崩すか棄権してもらうかしないと達成出来ないんじゃないかしら、と一計を案じるくらいには」
「―――――」
無言で、ミートドリアを呑む。ほとんど噛まずに丸呑みした塊は食道をやや焼きながら胃酸の海へと落ちていったが、しんと静まり返った食堂の空気がひんやりと肌に突き刺さるから相殺されてちょうど良かった。
王子様の話は続いている。その腰を折る気はなかったから、お皿の縁にこびり付いた焦げ気味のチーズを掻き集めて最後の一口と一緒に食べた。ざりざりと固い食感に、香ばしさと苦味が入り混じる。
「そんなに大事にはならなくていい。ただほんの少しだけ、具合が悪くなってくれればいいなぁ程度の軽い気持ちで。彼女たちはそれぞれ別々に、違う薬剤を用意した。愛する男が華々しい舞台で勝ち星をあげて自分を迎えに来てくれたなら、という夢見る乙女にありがちなソレを原動力に行動しようとして―――――だけど、実際はしなかった」
え、とぼやく剣術科次席の方を見もしない王子様が言い切った。確信に満ちた物言いで、見て来たような口振りで、何より人を惹き付けて止まない洗練された優雅な所作で長い手足を振り回し、独特の間の取り方で勢いと艶のある声を張る。
「女性というのは強かなもの。そして勘が鋭いものだ。男が自分の他に居る遊び相手にも同じ言葉を囁いていると、彼女たちは知っていた! 自分が本命だと信じてはいたが、けれど『他の誰かがやってくれるならそれに越したことはない』と他力本願に日和ってもいた! それはそうだ! 誰だって自分が一番可愛いし、出来ることなら極力最後まで自分の手を汚したくは無いのだから!」
身も蓋もない話だなおい。
薬物は用意したけれど、それは用意しただけだった。きっと誰かがやるだろう、と結局誰も使わなかった。事の真相はそんなところで、彼女たちは三人とも「きっと誰かが何かを盛った」と信じて誰も何もしなかったらしい。なんなの? やる気ないなら用意もするなよ。そういうところ本当に理解出来ないぞ王国民。
「そして奇跡的なことに、三人が用意したのはそれぞれ別の薬物だったがもたらす効果は同じだった。入手の容易さと無理のない体調不良の原因として『腹を下す薬』が選ばれたそうなんだが―――――これはまぁ、実のところどうでも良かったりするので割愛しよう。どうせ使われなかったワケだし細かいところは気にするな。重要なのはどうしてこの件が露見したかという笑い話の方なんだから」
「笑い話なのかよ、王子様」
「うん、笑い話だぞう。だってなぁ、リューリ・ベル―――――結局のところ、なんだそれって叫びたくなるようなオチなんだもの」
「うるさい、うるさい、うるさいうるさい………何が笑い話なものかッ!!!!!」
絶叫が耳を劈いて、掌を叩き付けられたテーブルがばぁん! と喧しい音で鳴く。置いてあった食器ががちゃがちゃと危なげに揺れていたが、結局手を付けられないままに冷め切ってしまった対面席のガーリックライスが私には憐れでならなかった。ああ、こんな遣り取りに固執してないでちゃんと美味しく食べてやれよと胸の裡に黒い靄が湧く。
「先程から黙って聞いておりましたが、我慢の限界というものです! はっきりと名を出さないまでもこのアインハードを連想させるような悪意に満ちた語りよう、これ程までに明らかな侮辱行為がありましょうか! この件は我が侯爵家から縁戚である公爵家大公家へも話を通して正式に王家へ抗議させていただく!!!」
そんな私とは正反対の余裕綽々な明るさで、肩を怒らせながら席を立って威嚇して来る男子を相手に王子様がさりげなくフローレン嬢のような毒を吐いた。躾のなっていない犬を見るような、吠え立てるばかりの存在を無関心に眺めるような、そんな熱のない双眸で。
「笑い話だよ、アインハード・エッケルト。計画性なんてまるでない。理知的だなんてとても言えない。良くて低俗な嫌がらせ、悪くて自滅の悪足掻き。お前が描いた甘い理想は陰謀とはまるで程遠い―――――たった一人、リューリ・ベルというイレギュラーに何もかも引っ掻き回されて、無様に終わっただけの茶番だ」
「おいなんでそこで私の名前が出るんだよ巻き込むんじゃねぇよ王子様」
「今めちゃくちゃカッコよく決めたところだから特大おにぎりもぐもぐしながら水差すのホント止めてくんない!?!?」
もー! みたいなノリでぷんすこ感を演出している王子様だがギャラリーの何名かがあまりの温度差に風邪を引いた。ちなみに特大オニギリとはライスを三角に成形して海藻をシート状に乾燥させたものでぐるりと巻いた一品である。もっちりもちもちした粘り気のある食感に塩がきいていて大変美味しい。三角形の表面に貼り付いてしなっとした乾燥海藻シートこと海苔なる食材と非常に良く合う。食べ進めていたら内側に焼いたサーモンのフレークと思しきものが詰まっていた。敢えて粗砕きの岩塩と胡麻のアクセントが最高です。
「オニギリ美味しい」
「良かったなー。って違うでしょ!? もうやだこの北の自由人、シリアスモードが五分ともたない!!! お前がそんなフリーダムにひたすらご飯ばっか食べてるのが巡り巡って今回なんだか面倒臭いことになっちゃったんだぞうって話をしようとしてたのに!」
「前置きがそれ以上長くなりそうならもう本題に入ったらどうだ?」
「なんというゴーイング我が道。まぁいっか! だってリューリ・ベルだし!」
ぱんぱん! と手早く二回掌を打ち鳴らした王子様は、声高らかに唐突に、そしてこの上なく楽しそうに面白そうに馬鹿馬鹿しく騒いで大いに笑う。
「と、いうわけで、今回のオチ! 元から隠してもいなかったのでもうありのままに言っちゃうぞう! 勘の良いギャラリー各位はもう気付いているかもしれないが、三人の彼女たちが『誰かが何かを盛ったと思っていた食事』というのはセスの大会用専用食こと食堂謹製の剣術科ランチパックだ! そう! セスが! リューリ・ベルにぽーんと譲って渡したあのシェパーズパイとロールサンドのランチパックセット!!!」
「え? あれ?」
「そう! アレ!」
勢い良く頷く王子様。顎が外れる一歩手前まで大袈裟に口を開けて絶句する剣術科次席。そして親切な三白眼のご厚意によって譲り受けたシェパーズパイとロールサンドの詰まった紙箱を思い出し、目を点にする私である。一歩間違えば腹を下していたのは私ということになるのだが、結局は未遂だったのだし腹を下した覚えもないならまぁどうということはない。
「セスの具合が悪くなるかどうかそれぞれ遠巻きに見守っていた三人は、リューリ・ベルがセスのランチパックを食べ始めたのを目撃するなり『これはまずいのでは』と思った。だってリューリ・ベルの後ろにはセスの実家の侯爵家よりよっぽどヤバそうな権力者の影がちらついていると評判だから! そうでなくても学園と王家が招いた“お客様”であるリューリ・ベルがもしも一服盛られたことで体調を崩してしまっただなんてことがあれば後はお察し、“自分”自身は関わっていなかろうがアタリが付いている以上は見て見ぬフリをするのもリスキー! そして彼女たちは各々が各々、まったく同じ結論に至った―――――『そうだ、自分が関わっていないことを主張しつつ他の女たちの罪を詳らかにしたついでにこの件を早めに伝えることであわよくばリューリ・ベルに恩を売ろう』と」
なんだそれ。
二個目のオニギリに手を付けながら半眼になってしまう私である。なにがどう散らかりまくったらそんな結論になるんだよ。
そんな私の心の声と同じ感想を抱いたらしい渦中の人物が血相を変えて、それまでなんとか保っていた涼やかなイケメン枠的な仮面も取り払った必死の形相で声を荒げる。
「な、ななななな何なんだその馬鹿げた話はぁぁぁぁぁぁぁッ!?!?」
「だーかーらー、お前が三股かけてた女性陣の話だって言ってるでしょうがいい加減にしなさいぐだぐだぐだぐだ長くなっちゃったけど突き詰めたらコレ『万年次席のカッコつけ野郎のためにお花畑がわちゃわちゃした挙句カッコ付け野郎本人も妙な深読みして要らん噂広めたせいで状況が散らかりまくってた』っていうただそれだけの馬鹿話だからね!?」
絶叫には絶叫で返す王子様だが私はこの段になってようやく気付いた。この空間、たぶん圧倒的にツッコミというものが足りていない。
そしてさりげなく齧った二個目のオニギリの中身が鼻にビリッと抜ける刺激の強い蒸した鶏肉で思わず眉間に皺が寄った。しかし激辛ホットドッグと違って後を引かない類の辛味はすぐさま溶けるように消えていき、あとには爽やかな清涼感と素朴で淡泊な鶏肉の旨味が塩のきいたライスと海苔と仲良く舌の上で遊んでいる。なんという大発見だろう。これいくらでも食べられるやつだ。
「恐慌状態で自分は無関係ですと主張しつつ恋敵を貶めようとする三名の争いは非常に醜く、喚き立てる彼女たちのうち誰の言葉が真実か虚偽かすぐには判別出来ないとのことで、緊急職員会議の末に念のため今回の『剣術大会』は急遽中止と決まりました―――――というのが、事のあらましなのですけれど」
声がした。
淡々としている割には随分と華やかに広がる響きで、その美しさに中てられて道が勝手に開かれるような―――事実、ギャラリーの垣根が割れて道が出来る光景はもうお約束じみたものがある―――他人を傅かせることが当たり前のように堂々たる声。そんなものの持ち主を、私は一人しか知らない。
「いつまで遊んでますの、殿下」
「おっと。遅かったなぁ、フローレン。締めはお前に譲るとしよう」
王子様が微笑んで、優雅な動きで立ち位置を変えた。何気ない足取りでこちらへと歩を進めるなり隣に並んだフローレン嬢と対になって立つ光景は、それがあるべき姿ですとあらかじめ取り決められていたような自然さで一枚の絵画のようである。ところでぶっちゃけこのタイミングはトドメを刺しに来たようにしか見えないんですけど合ってますか、フローレン嬢。
「譲るとしよう、ではなく、ちゃんとご自身で最後まで責任を持って終わらせなさいまし―――――まぁ、時間もありませんので今回は良しとしますけれど」
溜め息混じりに囁いて、フローレン嬢の怜悧な美貌が剣術科の次席を一瞥する。天敵に睨まれた生物さながら、捕食者と獲物の立ち位置で、苛烈なお嬢様が口火を切った。
「ひとまず、私の持つ情報をこの場で開示することから始めさせていただきます。そうですねぇ、まずセスが棄権する旨を大会本部に申請すべく二人で向かいましたところ、たまたま『ベッカロッシ候子の食事には下剤が盛られている筈なのに、リューリ・ベルがそれを食べてしまった』と慌てふためいている方々と遭遇しまして………念のためセスはそのまま保健室送りで『剣術大会』は中止、大会専用食を食べた生徒たちへの体調チェック及び聞き取り調査その他で教員の皆様は大忙し。定期検診を装ってリューリさんに何処か具合が悪いところはないかと聞いても『別にどこも悪くないぞ』の一言で終了、セスもセスで『身体に異常はない』と再三主張していましたがこちらは大事を取って二日間の強制自宅静養、三日目の今日になっても特に異常が見られなかったので『実際に下剤の混入などは無かった』と結論付けられましたが―――――まったく、証言者が三人も居た関係で経緯の把握も裏を取るのも簡単極まる茶番でしたが、どうしようもなく馬鹿馬鹿しくてくだらないことこの上なくて、愚かに過ぎる幕引きですこと。ああ、そうそう。学園の秩序を乱した一因であるエッケルト候子には今日中に何らかの沙汰が下ると覚悟を決めた方がよくてよ?」
「な―――――何を仰る、レディ・フローレン! 私の何処に学園の秩序を乱したなどという咎があると!?」
「バジャルド・イバルリ」
フローレン嬢が端的に投げ付けたその単語を聞くなり固まった男子生徒の顔面に、決定的な亀裂が入った。ひゅ、と乾いて鳴ったのは、たぶん息を呑んだ音だ。
「ご存知でしょう? リューリさんに対して決闘騒ぎを起こした剣術科生の愚か者。遠縁とは言え身内の汚点を、貴方が知らない筈ありませんものね―――――ねぇ? 焚き付けた側の、エッケルト候子」
三股にしろ悪巧みもどきにしろ、貴方杜撰が過ぎましてよ?
バレないとでも思っていたのが浅はかの極みとでも言いたげに、副音声に潜む毒がお上品な笑みから滴っている。それでもまったく損なわれない高貴で傲慢な美しさに、周囲から感嘆の溜め息が零れた。訓練されてるよな、王国民。
「ぐっ………ううううううう! くそ! くそぉ!!! 何故私がこのような辱めを受けねばならない! 上手くいかない筈がないのに!」
唸り声を上げた男子がやけくそのように振るった腕が、ただの八つ当たりでしかないと分かる雑な挙動で振るわれた拳がテーブル上の食器を薙いだ。一口も食べられないままに冷め切ってしまったガーリックライスのお皿がそのせいでがちゃんと宙を舞う。無残に散らばるライスの粒がバラバラとぶち撒けられる先に居たのはフローレン嬢だったのだが、王子様が彼女の腰を抱えて素早く下がったことにより衣服への被害はなさそうだった。
ただ、床に墜落したお皿がけたたましい音を立てた時にはもう、私の身体は勝手に動いて対面に居た男子の後ろに回り込んでいたけれど。
「食べ物に―――――なにしてやがんだこのクソ野郎!」
口汚い怒号とともに動かした右手で容赦なく後頭部を掴み、勢いのままに引き倒してそのまま床へと叩き付ける。テーブルにはまだ料理があるのでそこにぶつけるわけにはいかない。鼻骨がどうとか物理法則がどうとかそんなことはどうでもいい。床の上に散らばるガーリックライスの上に顔を叩き込む感覚で、お前が駄目にしたものはお前がきちんと消費しろという明確な意思のもと行ったけじめだった。
「お前、ちゃんと責任持ってぶちまけたモン全部食え。わざとやったんだから食え。ただの八つ当たりで貴重な食べ物を粗末にするなんて蛮行は何処であろうと許されない。糧を粗末にするってことは命を粗末にするってことだ。自覚が無いなら今日覚えろ。お前なんかどうでもいいけどお前のせいで美味しく食べられない挙句無駄にされる食材はどうでもよくない、いいわけがない、言い訳は聞かないちゃんと食べろ」
食べ切るまでこの手は退けてやらない、と凄む私の傍らに、ごくごく自然に立った誰かがごくごく自然な指摘をひとつ。
「それじゃテメェがメシ食えねぇだろ」
そんな聞き慣れた類の声が頭の上から降って来て、目の前にひょいと差し出されたのは特大オニギリセットの最後の一つ。三角形の頂点にちょこんと赤っぽい実が乗った、ちょっと酸味の強い香りがするオニギリ三個セットの中で一番味の予想がつかない一品。
眼球だけを動かして見上げた先のお隣さんは、やっぱり三白眼だった。
「なんだセス。普通にいるじゃん」
「健康そのものなのに自宅静養なんてだりぃこと二日もさせられてただけで、異常無ェって証明さえされりゃ午後からだろうが普通に出て来るし昼飯だって普通に食うわ」
「お前がもっと早く出て来てたなら話はもっと簡単だったぞ」
「俺が知るかよ」
「間違いないな」
「ねぇ、セスにリューリ・ベル。アインハードをフェイスクラッシャーした状態のまま普通にいつも通りの会話が出来ちゃうお前らの神経どうなってんの?」
「うっそなんッだこれしょっぱい!?」
「うん、梅おにぎりだからそりゃ酸っぱいぞう。なんだ食べるの初めてか―――――じゃなくて聞いて!? ナチュラルにその状態のまま和やかにランチに移行しないで!? 顔面偏差値の良さをもってしてもカバー出来ないレベルで絵面がカオス!!!」
「あら。微笑ましくはなくて?」
「フローレンがすっかり保護者目線な件について!」
ご家族が揃いましたァざ―――――っす!!!
みたいな可聴域ギリギリの高音が鼓膜を引っ掻いた気がしたが、私は今ちょっと忙しい。未知なる味覚に慄いている。セスに差し出されたオニギリに齧り付いて赤っぽい実のようなものを食べたら、ぶよぶよの食感に塩っ辛さと甘酸っぱさが信じられないくらい濃縮されていたのだ。驚きに声も大になる。なんだろうこれ。本気でびっくりした。塩気が強いのは単純に好ましいと思うのだけれど、酢とも異なるこのしょっぱさはなんなのだろうと興味が尽きない。あとなんでか唾液がすごく出る。不思議。
「ところでリューリ。テメェが床に顔面ダイブさせたソイツ、とっくの昔に気絶してやがるから食いモンなんざ食えねぇと思うぞ」
「え。あ、ホントだ。軟弱だな」
じゃぁしょうがない、と割り切って、オニギリをもぐもぐ齧り取りながらその場に立ち上がってみる。視界の端っこらへんに居た農業科生のプロ農民各位が次々とその場に進み出て、手早く気絶した男子を回収して下敷きになっていたガーリックライスを一粒残らず袋詰めにした。ぺっとりと糊状になった部分は器用に金属製のヘラで床を傷つけないよう削り取り、余すところなく綺麗にしていく。まさにプロの手際だった。
「こちら、新種の肥料開発のサンプルとして活用する予定ですのでご安心ください」
食べ物を無駄にしない姿勢が心の底から素晴らしい。どうもありがとうございます。いつもいつも仕事熱心で本当に感動を禁じ得ない。王国農業の未来は明るい。ではでは、と頭を下げつつ退場していく親切な農業科生の皆さんを感謝の気持ちで見送って、またあの赤っぽい実が突然出てきたらどうしようとオニギリをもそもそちびちび控えめに齧る私の後ろで、やたらと艶やかな声がした。
「まったくもって面白くない、騒がしいだけの見世物だったわ。復学直後で久方振りの学園食堂だったんだもの、巻き込まれるのも億劫だから一部始終を見守るだけに敢えて留めていたのだけれど―――――この私が居なかった、たった数ヶ月程度の短さで、随分とまぁ丸くなったのね? そうじゃない? ねぇ、フローレン」
聞き覚えのない声だったけれど、華があって棘が潜んで毒の滴るその独特さには覚えがあった。私の目の前に立っていたフローレン嬢の整った顔から、表情らしい表情の一切が消失した後で艶やかに笑む。戦闘用と分かる装いで、それまで伸びていた背筋を更に伸ばして胸を張るよう、まるで威嚇でもするかのように昂然とした動作でほんの少しだけ首を傾けて美しいお嬢様が応戦した。
「あら。本日お戻りになるとは事前にうかがっていましたので、談話室で歓待の準備を整えてお待ちしていましたのに………連絡の行き違いかしら? ごめんなさいね、マルガレーテ―――――まさか貴女が食堂で、野次馬根性を旺盛にしながら祭事を楽しむ平民よろしく騒がしいだけの見世物を横目にお食事を摂っているだなんて夢にも思わなくってよ」
振り返ってはいけないが前を向いているのも良くない。そんな気分で咄嗟に視線を伏せ気味にした私の口にはもっちもちのライスが詰まっている。これを咀嚼している限りは無言で居ても問題ない。というか、今のうちにこの場から退散するべきだと思う。
一難去ってまた一難、或いは真打登場とやらか、私には見えない後方位置からフローレン嬢とゴリゴリに舌戦を繰り広げているのはどうやら同格のお嬢様らしいが深く考えるまでもなく私これ関係ないやつですよね。
そうっと確認した王子様はすっかり置物と化していた。今不用意に喋ってはいけないとあのトップオブ馬鹿でさえ空気を読んで沈黙している。傍らに居た筈のセスの気配はもはや完全なる無に等しい。全力で己を殺している。見なくても分かる。これはあれだ。捕食者の縄張り争いにうっかり出くわしてしまった被食者の処世術的な何かだ。周りに集っていたギャラリーたちの目線すら心なしか虚空を泳いでいる。何この状況。やばい気配しかしないんですけど突然どうした今日もう終わりっぽかったじゃん今までの経験とか流れ的な意味で!
ライスをゆっくりもぐもぐしながら聞かないフリをしているけれど、フローレン嬢ともう一人のお嬢さんのお淑やかなようで苛烈な遣り取りは未だ続いているようだった。詳しくはもう聞きたくないです表面上は穏やかなのに空気がギスギス軋んでてなんだこれ。怖。
「………ねぇこれ私どっか行っていい? 嫌な予感しかしないんだけど」
「分かってんじゃねぇかリューリ。大人しくしてろ。目ェ合わせんなよ」
セスに意見を仰いだところで対処法が消極的過ぎて何の役にも立たなかった。それでも大人しくしていた方が良いとの言葉に従って、もぐもぐとオニギリを消費し続ける私の手元からライスの塊が減っていく。
「もし連中の矛先が向いたら適当に何か言って即逃げろ」
「適当に何か言えとか言われても何を言えばいいんだよ」
「………―――――――とでも言っとけ」
「なんて?」
何を思ってそのチョイス? と思わず顔を上げてしまった私はそこで、己の迂闊さを大いに呪った。ちょうど言葉と言葉の殴り合いが途切れたタイミング、軽い挨拶の応酬を経て温まって来た舌先で第二戦へ挑まんとしていたらしいフローレン嬢とばっちり目が合う。
「ええ、マルガレーテ。貴女がそこまでおっしゃるのなら、私、ちょうどいい提案があってよ? 未だ学生の身分と言えど、淑女はあくまでも淑女らしくお茶会を開いて解決しましょう―――――貴女がとても知りたがっている、リューリ・ベルさんも交えてね」
「フローレンさん何て言った?」
何がどうなってそうなったのか誰か解説お願いしますおい王子様明らかにほっとしてんじゃねぇぞ何が「良かったセーフ!」だおい!!!
「あら、ここからでは良く見えなかったけれど、やっぱりそちらの真っ白い子が噂のリューリ・ベル嬢だったの? ええ、ええ、だったらそれは素敵な提案だわ。賛成よ、レディ・フローレン。淑女らしく、女生徒だけで、楽しいお茶会を致しましょう。そこの貴女、リューリ・ベルさんも、もちろん参加するのよね?」
初対面の人間相手に参加前提の言い回しってどうかと思うぞ見知らぬお嬢さん。そんな気持ちを多分に込めて、ようやく振り返る決意をした私は心を落ち着かせるためにオニギリに齧り付いたままくるりと身体を反転させた。
視界が回る。ギャラリーたちが遠巻きにしていることでぽっかりと道を開けた先で、フローレン嬢程ではないけれどやたらと姿勢の良い女生徒が傲然と胸を張っていた。その見た目にまずぎょっとする―――――柔らかそうな淡い金髪がくるくると丁寧に縦巻きにされているその姿は、宿屋のチビちゃんが熱弁してくれた恋愛小説になくてはならない『悪役令嬢』とやらに酷似していたというかむしろこの人そのまんまの容姿なのでは?
もぐ、と塩気のきいたもっちりライスを噛んで潰して飲み込んで、私は王国で二人目となる派手なお嬢様と相対している。
「―――――な、なるほど? 確かに、想像以上に整った容姿をお持ちのようだけれど………ねぇちょっと、貴女、口がきけないの? 何か言ったらどうなのよ」
何か言え、と言われても、何を言ったらいいのやら。
オニギリ片手に困った私は結局何も思い付かずに、先程セスから受けたアドバイスをそのまま何も考えずに口にしてしまうことにした。
真顔で、とにかく迷いなく、はっきりとした発音で。
「おこめおいしい」
「―――――………ッ!?」
縦巻きくるくる髪のお嬢さんが下唇を噛み締めて勢い良く下を向いたんだがセスは本当に何を思ってこの台詞をチョイスしたのだろう。問い質してみなければならない気がしてそちらを見遣れば無人だった。おい。おい!
「セスおいお前何処行った!?」
「ンなモンとっくに離脱済みだ」
「女子会参加頑張れリューリ・ベル! 何事も経験あるのみだぞう!!!」
「うっせぇな参加を前提に進めてんじゃねぇよ私と代われ王子様!」
「女子会だって言ってるでしょうが王子様は参加出来ないやつなの! 諦めてちょっと行って来なさい大丈夫取って食われたりとかしない! たぶん!!!」
「黙ってらっしゃい。レオニール」
「ご覧の通りガチなやつです! 女狐と女豹のガチバトルなんて心の底から無関係でいたい!!!」
「そんなん私も無関係だろふざけんなこのトップオブ馬鹿!」
「せいぜい気張って帰ってこい。骨くらいなら拾ってやる」
「お前ホント安全圏から他人事百パーセントで言うなセス!」
最初っから周囲のギャラリーたちと同じポジションでしたが何か? みたいなナチュラルさで他大多数と仲良く一体化している王子様とセスに珍しく必死で言い募る、私の中に芽生えた嫌な予感と危機感は残念なことに払拭されない。
「末っ子ちゃん、まさかの初めてのお茶会」
「がんばれ………がんばれぇぇぇぇ………」
なにその応援。お茶会ってそんな悲愴な感じに応援された上で臨むようなもんだっけ? 醸される空気がすごく不穏。ホント何事と思いながらも見回した周囲一帯に味方と思しき姿はなく、頼れる筈のフローレン嬢さえ今はなんだか恐ろしい。
「絶対。絶対お茶会するわよ。約束だからね! フローレン!」
「ええ、望むところでしてよ。受けて立ちます、マルガレーテ」
私を挟んでバチバチと火花を散らす、二人のド派手なお嬢様。おっかなびっくりしているギャラリー。難を逃れて呑気に見ている王子様と三白眼をじっとり恨みがましく睨んで、とりあえず最後まで残していた赤っぽい実ごとばくんとオニギリを口の中におさめた。
やっぱりしょっぱくて酸っぱくて、ほんのりと甘さが残るような不思議の詰まった味だった。
おっまえ散々引っ張っといてこれかい、と思いつつ、分割したところから削ったり足したりしていったらこうなりましたので全力で開き直る方向。
実にすみませんでした。
長ったらしい文章の果て、ここまで辿り着いてくださったあなた様に感謝と敬意を捧げます。