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11.聞き捨てならないランチタイム

リテイクを繰り返したらえらいことになっていました。

詰め込み過ぎ散らかり過ぎ注意報。

睡眠時間を確保しつつお楽しみいただければ幸いです。


「すごいな。すごい。感動しかない。故郷の外の世界ってやつは―――――“王国”ってのは、広いんだな」


忌憚なく、邪念なく、ただただ純粋な感動で心の底からしみじみとそんな称賛を紡ぐ私の左手には陶器製のお皿が鎮座している。高揚した気分の赴くままにわきわきと右手の五指を握って閉じて、銀色のトングがカチカチ鳴る様をまるで楽器のようだと思った。私の台詞に反応したのか、それともカチカチ鳴る音が単純に煩わしかったのか、なにやら不機嫌とも不愉快とも異なる形容し難い微妙な表情でこちらを見下ろすセスはと言えば一拍置いてからぼそりと言う。


「パンの種類の豊富さで世界の広さを知るんじゃねぇよ」

「右見ても左見ても何処向いても種類の違うパンがいっぱい、食堂の一画ぶち抜いてこれでもかと言わんばかりに大放出された焼き立てパンが盛りだくさん、こんな品数多いってホントすごいなありがとう食堂お昼のパン祭り!!!」


しかも食べ放題最高―――――!!!!!


手に持っていたトングごと、右手を掲げて大いに叫んだ。これぞ快哉。拍手喝采。なんたる愉快で気分が上がる。このまま雄叫びを上げていいのなら全力で声をふり絞りたいが、他の利用者のご迷惑になるので流石にそこは自制した。食堂はご飯を食べるところであって大声コンテストの会場ではない。理性の方では分かっている。けれど、感情が上回ってしまった結果がこの状況なので五月蠅いだろうがどうか大目に見ていただきたい―――――本日の特別ランチメニュー、王国全土から選りすぐった古今東西パン祭りが単純に嬉しかったんです。食堂利用者の何割かの視線が私に注がれている件については大声出してまじでごめん。


「パンで………パン祭りであんなにテンション上がってる………かわいい………」

「ご覧くださいあの晴れやかなお顔………トング片手にお皿キープで臨戦態勢もばっちりなご機嫌妖精さんの隣に何とも言えないレアな表情のセス様………」

「初めてのおつかいでパン屋さんに来てテンション上がり過ぎちゃった末っ子ちゃんと呆れながらも付き添ってくれてる面倒見の良いお兄ちゃんという解釈でよろしいか」

「二人して同じようにお皿とトング装備してんの尊いが過ぎて発狂しそう」

「わくわく気分でついついトング鳴らしちゃう末っ子ちゃんとまったくそんなことはないお兄ちゃんの対比について語り合いたいので誰か小一時間程付き合ってくれないか」

「俺………今までトング鳴らす人種のことよく理解出来なかったんだけど『妖精さん』なら受け入れられる………世界ってこんなにも平和なんだな………」

「もう駄目無理可尊いありがとう小麦粉の塊………」

「我が国の食文化が発達していて本当に良かった………パンの歴史に感謝します………」


賑やかな食堂のそこかしこからちらほらそんな声が上がっているが、とりあえず隣に立っているセスの気配は呆れてはいても鬱陶しそうではないのでたぶんセーフの部類だと思う。ただ、トングごと掲げていた右手を私が引き戻した際にじっと注視してきたのでたぶんこいつはカチカチ鳴らされるのが嫌いだ。一回や二回は許せても執拗に鳴らされると不快に感じるタイプと見た。


「テンション上がり過ぎた。ごめん」

「いきなり何を謝ってんだテメェは」

「いや五月蠅くして悪かったなって」

「別に。大して気にしちゃいねぇよ」

「ならいいや」

「切替早ェな」


知ってたけどよ、と鼻で笑って視線を前へと転じるセスは、既に何を取って食べるかを決めてしまっているらしい。どうせパイ系のパンだろうなと雑な確信を抱きつつ、ランチタイムには限りがあるので早々に一歩を踏み出した。

さて、本日設定されているのは特別ランチメニューのパンバイキングこと食堂お昼のパン祭りである。食堂の一画に設けられたパンコーナーから好きなパンを好きなだけ選んで各自楽しむスタイルだが、サラダやスープといったサイドメニューの類もちゃんと別に用意してある心遣いがありがたい。屋台飯といいパン祭りといい嬉しい試みが目白押し、ありがとう王都学園食堂。


「見たことないやつ結構あるな。ぱっと見じゃよく分かんないや。説明頼んだぞセス」

「やだわメンドクセェ。つぅか、珍しく俺にメシ奢るってそういう魂胆かよリューリ」

「違うぞ? こないだお前に購買で奢ってもらったからそのお返しだ。誘う段階で言ったじゃん」

「まぁ確かにそう言われたし納得もしたな―――――テメェが今見てんのはスフォリアテッラだ」

「うわ、想像以上に名前が長い………ん? あれ? まじで説明してくれる流れだったりする?」


思わず口が滑ってしまった。なんやかんや言いながらちゃんと付き合ってくれるあたりが律儀だ。面構えが凶悪な割に基本いいやつなんだよな、と隣に立った三白眼の横顔を眺めながらぼんやり思う―――――どうせ悪態吐かれるから、わざわざ口には出さないけれど。

余計なことをこぼした私に別段取り合う様子も見せず、セスは淡々とした口調で棚の一角に積まれたひだが特徴的なパンについてすらすらと説明を述べていた。


「見ての通りパイ状の、どっちかっつぅとパンより焼き菓子だな。中身はチーズやクリームなんかが主流だが食うなら終盤あたりに回せ。ボリュームがあるのは確かだがデザート感覚で割と満腹でも入る」

「その口振りだとさてはデザート感覚で詰め込んだことあるだろセス。その下のは?」

「エンパナーダ。あちこちでいろいろ派生して呼び方や中身が違ったりするが中は大体肉や魚だ。たまに甘ェやつもある。説明書きを見た限り今回のは魚と豚肉にトマトソースっぽいな。外側の生地や形は分厚かったり薄かったり四角かったり半円だったり地域によって違うらしいがそのあたりに関しちゃ詳しくねぇ。とりあえず、揚げてあるタイプだと焼いたやつより食感が軽い気がする」

「なるほどなるほど………こっち側のこれは?」

「知らん。アレパって書いてある。トウモロコシ粉のパンだとよ」

「お前パイ系かそうじゃないかで熱意と情報に差があり過ぎだろ」

「文句あっか」

「全然ないぞ」


飄々と答えて肩を竦める私の言葉に嘘はない。事実を口にしただけで、当て擦る類の意図はなかった。無類のパイ料理好きの知識に文句を付ける気は毛頭ないし、そもそも教えを乞う側が偉そうなことは何も言えない。聞けば答えてくれる、というのはシンプルにありがたい話だし、偏っていようが雑だろうがアドバイスは有益なものだった。正直、書いてあるパンの名前と説明書きをざっと読み上げてくれるだけでも助かる。感謝はしても文句はない。


「よし、じゃぁとりあえず片っ端から食べよう」

「おう、俺が説明した意味がまるでねぇなオイ」

「そんなことないぞ。おかげでとにかく美味しそうだから全部食べよう、って結論が出せた」

「それ絶対ェ最初からじゃねぇかよ。俺が何言うまでもなく端っからそのつもりだっただろ」

「気のせいだ」

「嘘吐けコラ」

「ところで『はなっから』ってなんだ? 植物的な花? 人体的な鼻?」

「どっちも違ェ。端っこ的な意味だ。最初っからそのつもりだっただろ、を重ねて言っただけだ。取って付けたようにそこ拾うんじゃねぇ」

「ちゃんと説明してくれるあたりがなんやかんや親切で笑う」

「胃が重くなる系の総菜パン皿にしこたま盛ったろかテメェ」

「望むところだ。お願いします」

「言ったなリューリ覚悟しろや」


真顔でお皿を差し出した先で、不敵に細められた目が挑発するように笑っていた。売られた喧嘩をノータイムで買い叩く好戦的な眼光は、しかし不快ではない輝きで目の前に並ぶパンを捉えてはひょいひょいとトングを操って私のお皿へと移動させていく。まるで棚のような金属製のスタンドの中、所狭しと隣り合ってずらりずらりと陳列された数あるパンの中から選ばれたそれらを、私は不思議なものを見る目でただひたすらに凝視していた。あっという間に皿上のスペースがなくなってもうのせきれなくなったと思いきや、更に大胆に上へ上へと積み木よろしく重ねていく強欲さには掛け値なしに好感しか持てない。さりげなく自分の皿にもパンを盛っているあたり無駄がなかった。いい動きをしている。

こんもり、とお皿の上にパンの小山が形成されたところでひとまず満足したらしいセスは、自分が持っていたお皿とトングを私へと無造作に突き出しながら顎でスープバーの方をしゃくって言った。


「とりあえず最初はこんなモンだろ。先に食ってていいから俺の皿も一緒に持ってけ。サラダとスープ取って来る」

「分かった。コンソメスープ具沢山でよろしく」

「この総菜パンの山に対して汁物具沢山マジか」

「なんならサラダも山盛りでいいぞ。セスが無理でも私が食べる」

「あァ? テメェが食えるなら俺も食えるわ何が無理だ見縊んな」

「見縊ってはないぞ」

「ンなモン知ってる」


しれっと言ってのける三白眼に、なんだそれ、と思わなくもない。そんなこんなの雑談で気安い遣り取りもそこそこに、どちらともなく会話を切った。当たり前の空気感で手ぶらのセスがスープバーへと歩いて行くのを見送って、私も身体の向きを変える。両手にパンを満載した皿をそれぞれ一枚ずつ持って、空いている席はないものかと混雑時の食堂を当て所なく歩いた。座席そのものにこだわりはないのでカウンターだろうがテーブルだろうが別段どこでも構わないのだけれど、とりあえず二人分の席を確保しなければならないのでパン祭りコーナーから遠くなろうが気にせず足を伸ばしてみる。相席ならちらほらなくもない。うーん、いつもみたく自分一人だけの時ならまだしも今回はセスが一緒だからなぁ―――――なんて。ぼんやり呑気なことを考えながら足を動かしていたものだから、注意力が散漫になっていた。そのせいで死ぬ程後悔するとはまったく思いもしないまま。


「ふざけんなよ、ダニー! ラウラの手作り弁当を食べるのは俺だ!」

「お前こそふざけんなよニック! ラウラは俺のために弁当を作って来てくれたんだぞ?!」


お昼時は大抵賑やかな学園食堂の一角で、よくない騒ぎ方をしている誰かの罵声が今日も今日とて耳に五月蠅い。周りを憚らず言い争う様は控えめに言っても迷惑で、喧嘩をするなら外に出てやれよと心の片隅で呟いた。そいつらが座っていたであろう席も空くので五月蠅いのも消えて一石二鳥、食堂にとってはありがたい尽くしのハッピー極まる解決策である。なんて、呑気に思っている場合ではなかった。


「何言ってんだ! お前のためなんかじゃない、彼女は俺のためだけに料理を作ってくれたんだ! 弟のクセに生意気だぞ! お前は大人しく食堂のランチでも食ってろ!」

「なんだとこのっ………よくもやったな!? 双子に兄も弟もあるか!!!」

「いっ………手加減してやってりゃ調子に乗りやがって、お前がその気ならもう容赦しないからな!」

「止めて! 二人ともそんな喧嘩しないで、たくさんあるんだから仲良く―――――あっ」


どん、と。


騒がしいなと思っていたなんとなく意識していた方向から、不意に衝撃があった。厳密に言えばそれはただ誰かがぶつかってきただけであって、少々バランスを崩すことはあっても無様に倒れる程ではない。元から私の体幹はそれなりに優れていた方なので、だからこと自分自身に限定して言うならそれは大したことではなかった。


ただし、私の持っていたお皿の上の山盛りの焼き立てパン各種は別だ。


文字通り絶妙なバランス感覚で山のように積んでいたお皿の上のパンが傾ぐ。咄嗟に指に込めた力は山の土台である皿そのものの平衡を保つことは出来ても積み重なったパンを支えることは出来ない。さっきまではあんなにも安定的に大人しかったパンの山が浮いて崩れて成す術なく重力に従う様を、私はスローモーションで見ていた。両手にそれぞれ一枚ずつ持っていたから自分の手で防ぐことも叶わない。意地と気合でかろうじて下側にあったパンは死守したが、のせるかたちで上の方に積んでいたパンのいくつかが食堂の床にぼとぼとと落ちる。時間にして僅か二秒の悲劇に私は一言も発さなかった。


「………ってぇな、おい! こんなとこにぼーッと立ってんじゃね………えぞ………」

「えっ………り………リューリ・ベル………?」


私にぶつかってきた誰かの怒声が尻すぼみになって消えていく。名前を呼ばれた気もしたが、私の視線は床の上で無残に転がるパンを見ていた。そこから目が離せないでいる。意識を逸らせないでいる。縫い付けられたように動けないから周りの様子は分からないけれど、さっきまであんなに騒がしかった食堂の喧騒が今はやけに遠く感じた―――――否、実際静まり返っている。この辺りを中心に広まった沈黙が食堂内に満ちた頃、誰も彼もが息を殺してその場から動かない私を見ていたことを私だけが知らずにいた。


「………えっと………あの………どうしたんだよ………なんで硬直してるんだ………?」

「ピクリとも動かねぇぞおい………もしかして、ダニーが思いっきりぶつかったせいでどっか痛めたか怪我させたんじゃ?」

「はぁ!? 俺のせいじゃねぇよ! ニックが突き飛ばしたせいでこいつにぶつかっちまったんだから、なんかあったらそりゃお前のせいだ!!!」


ぎゃぁぎゃぁと喧しい雑音がする。そして見慣れた食堂の床の上にパンがいくつか落ちていた。見覚えのある形をしているそれらは、さっきまで私がお皿にのせて運んでいた筈のパンだった。私が落としたパンだった。名前も知らない揚げパンに、香辛料をまぶした小振りのパン。セスが言っていたエンパナーダに、弧を描く三日月型のパン。立体的な丸っこい形のパンの中からはまだ温かい湯気のくゆるシチューじみた何かが覗いていて、ふわふわしたスポンジ状のパンがその弾力に恥じない跳躍を床との接触で発揮した様を脳内で何度も再生してしまう。全部見ていた。崩れるところも、落ちていくのも、床に当たって跳ねた瞬間もころころ転がっていく様子も、何もかもをこの目で見ていた私の時間だけが止まっている。


「え。どうすんだこの『妖精』マジで動かないんだけど………瞬きすらしてなくないか?」

「ちょっ、おいニック、なんで俺らこんなに睨まれてるんだ? 周りの目線がすごく痛い怖いなんだこれいきなり静か過ぎる。何がどうなってんだ食堂」


「何でも何も貴様らのせいだろう」

「なんてことをしてくれましたの」


思ったよりも近い距離から聞き覚えのある声がした。二人揃って凪いだ声音は平坦過ぎて感情がなく、何処から来て何処へ行くのかも私にはまるで分からない。色めき立った周囲の気配さえ今はどうでもいい気分だった。

無音のままに息を吸い、静かに深く膝を折る。視線は床に固定したまま、その場にすとんとしゃがみこんだ。両手に持ったお皿の上のパンはもう一つたりとも無駄にはしないが、しかし守れなかったものたちの無残な墜落死体については責任を取らなければならない。左手のお皿はそのままに、給仕の真似事感覚で右手のお皿を左腕へのせる。フリーになった右手を伸ばして床に落ちてしまったエンパナーダを掴んだ。


「はっ―――――待って待って待ちなさいリューリ・ベル気持ちは分かるけど止めなさいストップ今直ぐ思い止まれ落っこちちゃったパンを拾って食べようとするんじゃありません食べ物に真摯過ぎる姿勢は純粋に評価するけれど! 止めろ! 三秒ルールなんてものはない! それはやっちゃ駄目なやつ!!!!!」


喧しく叫び散らしながら私を物理的に制止したのは血相を変えた王子様である。何処にそんな力があったんだよと訝しむような馬力でこちらの右手を抑える姿には確かな意思が見て取れたが、落としたエンパナーダを食べようと口を開いていた私としては邪魔されていい迷惑だった。思わず眉間に皺が寄る。


「五月蠅いぞ、王子様。これは取るべき責任だ。よりにもよって、この私が、食べ物をむざむざ落とすだなんて油断が過ぎて嫌になる。呑気の極みで吐き気がする。ちゃんと意識していたくせに避けられなくてぶつかったなんて無様にも限度があるだろう。我ながら温くなり過ぎて今更ながら目が覚めた気分だ。一度手にした食料を死守出来ないなんてそんな馬鹿な話があるか―――――自分で自分が許せん上に故郷のすべてに顔向け出来ん。貴重な糧を無駄にするのは生き物として許されない。だから止めるな。私のランチだ」

「いや止めるわ! 普通に全力で阻止するに決まってるだろうが何言ってんのこのご飯ガチ勢!!! 食品は衛生管理が命! 床に落ちた食べ物は当然ながらとってもばっちい! そんなものを口にしてお腹壊したらどうするつもりだ食堂のおばちゃんたちにもご迷惑だから止めなさい!!! 最悪の事態を想定した場合、お前の大好きな学園食堂が閉鎖になりかねない案件だぞう!?」


ぐ、と喉の奥に何かが詰まった。食堂のおばちゃんたちのご迷惑になるのは本意ではない。けれど、譲れないものがある。


「それは確かに困るけれども………でもパンを落としたのは私だしそのせいでこの美味しそうなパンたちが無駄になるのは死んでも嫌だ。だからやっぱり、美味しく食べる」

「だから、じゃないでしょ止めなさい!? 頑な過ぎるよリューリ・ベル! そしてやばいくらい力が強い! こっちは両手で抑えつけてんのに片手でそれを平然と上回る驚異の腕力してやんの! この条件下で性別の差をまったくものともしないパワーって男としてのプライドずったずただぞう!?」

「奇遇だな、王子様。私のプライドもずったずたなんだ。だけど、たとえそうじゃなくたって、信念的な意味においてもこのパンたちは無駄には出来ない。こうしている間にもどんどん焼き立てじゃなくなってくんだ―――――私が落としたりしなければ、美味しく食べられた筈なのに。あの程度のことで不意を打たれたばっかりにこの様だなんて許せるか。自分で自分が腹立たしい。仮に腹を壊したとしたらそれはどこまでも自己責任だ。最初から最後まで私のせいだ。食堂のおばちゃん各位にはまったく落ち度はありません。そういうわけで、いただきます」

「あああああ大変だフローレン! リューリ・ベルが想像以上にしょんぼりしてるっていうかショック受けてる! 信じ難いことにコレかなり落ち込んでる! 元気ないわ! 見たことないパターンだわ! エマージェンシー、フローレ―――――ン!!!!!」

「落ち着きなさい、馬鹿王子」


涼やかに滑り込んだ声とともに、私の右手が持ち上げていたエンパナーダの上にそっと置かれる手があった。苦労などまったく知らないようで、そのくせ誰にも見えないところでどこまでも苦労しているであろうお嬢様の嫋やかな白い手だ。王子様にぎりぎりと抑え付けられているのもあって、私の挙動は一旦止まる。こんなぎゃんぎゃんと喧しく混沌とした状況下にあっても冷静さを失っていないらしい彼女は、ふるふると小さく首を横に振った。いけません、と諭す声は断固とした響きを帯びている。


「リューリさん。お気持ちは分かりますけれど、それはよろしくありません。床に落ちた食べ物は、いくら勿体無いと言えども拾って食べるべきではないのです。殿下が再三言っていた通り、主に衛生的な意味で」

「そうは言うけどな、フローレンさん。私にはどんな理由があっても糧を無駄にする選択肢はないぞ」

「ええ。それは存じております―――――なので、せめてこうしましょう」


私の右手に添えていた方ではない方の彼女の手が、ごくごく自然に持ち上げられて緩やかに軽やかに振るわれた。静まり返っていた周囲からいくつかの気配が飛び出してくる。チーム・フローレンこと十一番のお嬢さんだった。何人かの生徒を引き連れてその場にやってきた彼女は、まるで申し合わせていたかのような手早さで床に散乱したパンたちを拾い上げては袋に詰めるよう的確な指示を出している。掃除道具を持った生徒がパンを回収し終わった後の床を熟練の清掃技術で徹底的に清めていた。速い。


「失礼。すぐに追加を準備させていただきます」


私の左手で持っていたお皿と、腕にのせていたお皿が十一番さんによって引き取られる。右手に持っていたエンパナーダはフローレン嬢によって抜き取られ、こちらが何か口を挟む気になった頃にはもうまったくの手ぶら状態だった。ぱちくり、と瞬かせた目には落としたパンを丁寧に袋詰めして回収した生徒たちの姿があって、彼らは私に視線を合わせてきりりと真剣な顔をする。


「初めまして、リューリ嬢。農業科で畜産に携わっております、九十三番です」

「同じく、農業科で肥料の改良を専攻しております百四十九番と申します」


このタイミングで番号名乗りをぶちかまされるとは流石の私も思わなかった。ちょっぴり驚いて気が緩む。そんなこちらの心境なんて知る由もないであろう彼らは何処までも何処までも真剣に、そして真摯にこう言った。


「こちらの床に落ちたパンですが、我々が引き取らせていただきます。王国の未来の農業を担う王都学園農業科の名にかけて、回収したこれらの美味しいパンは一切無駄にはしないことを今ここに宣言致します」

「無駄にしないって、具体的には?」

「僭越ながら、私から申し上げます―――――正直なところ、人間が食べるのはアウト判定ですが動物さんが食べる分にはまったく問題ありません。なので、農業科が飼育している鶏さん豚さん牛さん各位が食べられるものは彼らが美味しくいただきます。パンはもともと穀物類。何の問題もありません。生物学上彼らが食べられない類の総菜パンは、新種の肥料開発のためのサンプルとして活用します」


一息に言い切った彼らの言葉を補足したのは、他でもないフローレン嬢だった。近寄って来た生徒の一人が手にした袋に私から取り上げたエンパナーダを入れた彼女はにこやかに、そして簡潔に言葉をまとめる。


「要するに、学園で飼育している家畜さんたちに食べてもらおうという話です。彼らに食べさせられない分は畑に撒いて農作物の栄養に。貴女が口にしなくとも、これなら無駄にはならないのでは?」

「パンとしてはもう食べられなくてもひとつの栄養源として動植物各位の糧にしつつ、いずれはそれを私たちが食べる―――――何一つ無駄にはなっていないな。命は巡るぞう、リューリ・ベル」


お道化た調子で笑う王子様の言葉が、いつになくすとんと胸に落ちた。それは故郷でよく聞いた、大人たちが子供たちに言って聞かせる“北の民”にとっての世の真理だ。今居る場所は“王国”で、ここは“北”ではないけれど―――――落し所としてはきっと、妥当なところなんだろう。


「分かった。すまない。ありがとう。どうかよろしくお願いします」

「お任せください」

「絶対に、農業科生のプライドにかけてこれらを無駄には致しません」


しっかりとした様子で頷いて頼もしく請け負ってくれた農業科の学生さんたちは、活力に満ちたプロの顔をして静かにその場から去って行った。あれは仕事に誇りを持った者たちの背中である。感謝しかない。私が取るべき責任を、果たしてくれてありがとう―――――こんなことは二度とないように、私も気を引き締めると誓おう。


「なんだよ………たかが学食のパン落としたくらいで大袈裟なやつだな、あの辺境民」

「だよなぁ………別に食い放題なんだから、気にせず新しいの食えばいいだけじゃん」

「それな。落ちたモンなんて拾わず捨てりゃいいのに。信じらんねぇ」

「言えてる。まぁアレだ、辺境民だから食うに困ってんじゃねぇの?」

「うわ、貧乏ってカワイソー」

「酷ぇ。言ってやるなよなー」


良かった良かった、と緩んでいた空気の中で、空気を読まない発言が聞こえた。嘲るように潜めた笑いが鼓膜を揺らして酷く不快だ。ひとまず事態を収拾出来た、と隣で一息吐いていたフローレン嬢の気配が一瞬にして凍り付く。王子様の顔からも表情が消えた。私の頭では何かが弾けた。


「おい。おい―――――今なんつった、そこ」

「は?」

「え?」


短い距離を大股で歩いてほとんど一瞬で詰めてから吐いた言葉は随分と低い。地を這うような響きとともに同じ顔をした男子生徒を視界の中心に捉えつつ、私の肉薄に遅れて気付いた二人の顔が同時に歪むのを意に介すことなく両手を伸ばした。狙い違わず両サイド、それぞれの手に一人ずつ―――――頸部を掴んで、同時に吊る。身長差なんて関係なしに、二人の靴底が地面から浮いた。


「は? ちょ、え? はぁあぁぁぁッ!?」

「嘘だろおいいいいい!?」

「うるせぇ黙れ」


聞き捨てならない発言を耳に入れてしまった上に空腹だったことを思い出して一気に不機嫌化した私の声は尋常でなく低かった。瞬きさえも忘れるレベルで吊り上げた二人の顔を睨みつつ、ふつふつと湧いてきた感情のままにご近所迷惑も顧みない大音声を叩き付ける。私個人が馬鹿にされたところでそんなものは気にしないから別に構わないしどうでもいい。だけど、さっきのは聞き捨てならない。


「お前ら今なんつったおい。パン落としたのは私だし、それに関しては気が緩んでた私が悪いから言い訳はしないする気もない反省も後悔もしまくってる―――――だがな、おい、同じ顔のお前ら。なんで食べ物を無駄にする前提でへらへらへらへら笑ってやがる。どうしてそんな態度が取れる。何知らん顔で上から目線でぺらぺら好き勝手言ってやがんだ食堂で殴り合いの喧嘩なんざしやがって危ねぇだろうがふざけんな表に出ろそんなに地面を舐めたいなら土でお腹がいっぱいになるくらい仲良く叩きのめしてやるぞ具体的には顔面の基本造詣が崩れて元に戻らなくなるまで!!!!!」

「よーし調子が戻って来たな! 元気を思い出したようで何よりだ! 下がった気分のままでいたんじゃご飯を食べても美味しくないぞう! さぁ―――――テンション上げていこう! ちなみに食堂のおばちゃんから過去かつてない速度で許可は下りた! うちの婚約者仕事早い!!!」

「おだ―――――いえ。今回は、盛り上げに徹してよくってよ」


面白がるように転がる声には華と棘が混在している。嬉しそうな王子様の声が背後から聞こえたと思ったら、それまで静かにしていたり険悪な気配を醸したりと忙しかった周囲のギャラリーから待ってましたとの歓声が上がった。私の周りにあったテーブルたちが楽しそうな有志各位の手によってガタガタと片付けられていく。恐ろしいまでの連携で、怒涛の行動力だった。しかしその程度の環境の変化で私の怒りは治まらない。動じることなく同じ顔の馬鹿を左右で同時に吊ったまま、賑やかな周囲の喧騒を他所に騒ぎまくる二人を睨み続ける。


「おいこら下ろせ、ふざけんな! なんで俺らがこんな目に遭うんだ! 立派に暴行罪だぞお前!!!」

「そうだそうだ! いくら特権的な立場だからって調子乗ってると痛い目みるぞ!?」

「おおっと、ダニーとニックの血気盛んな双子が果敢にもリューリ・ベルを威嚇! 大の男が女子の細腕一本に仲良く吊るされてどう足掻いても逃れられないという現在進行形の赤っ恥に耐え難い屈辱を覚えている模様!」

「羞恥心からか酸欠なのか、苦しそうに歪んだ表情が茹でダコよろしく真っ赤な原因はいまいち特定出来ませんわね。がっつりと首を掴まれていながらああも流暢に喋れるのが謎と言えば謎ですが………にしても、リューリさんは過去に殿下を縄で縛って樹に吊るしたことがありますので、暴行罪だのなんだのといった威嚇はまったくの無意味でしかないかと―――――殿下? 実況遊び、気に入りましたの?」

「そう言いながら流れるように解説遊びに興じてくれるあたり、さてはフローレンもノリノリだな?」

「馬鹿をおっしゃい、馬鹿王子。あら、失礼。殿下は普通に馬鹿でしたわね?」

「喜べ幸運なギャラリー各位! 今日のフローレンはノリがいいぞ―――――!」


楽しそうな婚約者コントに感極まったような歓声が重なる。先程までの静かに沈んだ重苦しい雰囲気は何処へやら、すっかりお祭り会場と化したこの場においてぶっちぎりで機嫌が悪いのは間違いなく私自身だろう。


「えっ………王族を樹に吊るしといてお咎め無しなのかこの辺境民………やば………」

「殿下吊るしてさえ不問なら俺ら木っ端貴族如き絶対とやかく言えねぇじゃん………」

「ていうかこれシャレにならん死ぬ! おい放せ、重力で指が喉に食い込んで死ぬ!」

「下ろせ! 首がマジで圧迫されてヤバい! 視覚的にもまだ殴られた方がマシだ!」

「こうなったら同時にやるぞダニー!」

「おうよ! 双子の連携見せたらぁ!」

「首絞め落とされる覚悟があるやつだけ暴れに暴れて構わないぞ。最初に暴れた方から絞める。暴れたことで手元が狂って首の骨になんかあっても一切責任は取らないし知らない。ちなみに私は両利きだ」

「「ひえ」」


二人同時に勇んでいたが、消沈するのも同時だった。とても仲の良い双子である。その意思疎通精度の高さを評して顔面の基本造詣が崩れる程度に殴る折にはちゃんと双子と分かるように同じ力加減でぶん殴ると誓おう。


「いつになく激おこリューリ・ベル、お腹が空いているのもあっていつも以上に機嫌が悪い! 不用意な発言をすることなく嵐が過ぎ去るのを待つか、或いはぶつかった段階で誠心誠意謝罪していればこんなことにはならなかった気もするがぶっちゃけ今更何を言おうがあとの祭りでしかないぞう!」

「パン祭りを楽しみにしていたところをこんなかたちで邪魔された挙句、『食べ放題なんだから落としたパンなんか捨てて新しいのを食べればいい』などをはじめとした食物へのリスペクトに欠けた心無い発言の数々。リューリさんが激怒するは想像に難くありません―――――ついでに、一部観客の皆々様も気持ちは同じようですね」

「さて、ここで会場の声をいくつか拾い上げてご紹介しよう―――『やっちまえ妖精さん』『とんだ怪力技なのに軽々と吊り過ぎてて怪力に見えない不思議』『あいつらあれでなんで喋れるの?』『まさか片手のネック・ハンギング・ツリーをダブルで拝めるとは思ってなかった』『激おこでも尊い』『あんなアホどものためにリューリ嬢の腕が疲れないかが心配』―――などなど、やってることは大変危険なのにびっくりする程ポジティブに楽しんでる気配しかしないな!」

「一番ポジティブに楽しんでいるであろう殿下がどの面下げてそれを言いますの? まぁ、リューリさんはそのへん心得ているでしょうからうっかりで命を奪うだなんてポカミスはなさらないでしょうけれど………これ、ここからどうしたものかしら」


フローレン嬢が呟くが、そんなの私だって考えてない。ぶっちゃけ衝動的にやった。やってやれないこともない片手吊りだが継続的に吊るし続けるのは腕が痛いし疲れるしだるい。揃って食べ物のありがたみを軽んじている双子の馬鹿野郎の顔色はいい加減青を通り越して土気色気味になって来たし、そろそろ下ろしてやらないと酸素不足で脳そのものがやられてしまう危険がある。元から難のある頭だとしても、悪化させては意味がない。

ぱっ、と両手を放すと同時に一歩後ろへと下がる。意識が朦朧としていたのか、受け身も取れない状態の二人が揃って床へと叩き付けられた。人間には重力に逆らえない。支えを失ってしまえばただただ成す術なく落ちるだけで、それは私が落としてしまったあのパンたちと変わらなかった。げほげほ激しく噎せながら酸素を享受する双子の男子の後頭部を無感情にじぃっと見下ろす。


「お前らがなんで喧嘩してたのかとか、殴り合いになった理由とか、そんなモンは別にどうでもいい。だけど、ここでやるんじゃねぇよ。私は倒れずに済んだけど、これがもし線の細い他のお嬢さんだったらどうするつもりだったんだ。危ないだろ。そこは反省しろよ。パンを落としたこと自体は私の落ち度でしかないが、殴り合いで吹っ飛ばされて他人にぶつかって来たその点に関しては間違いなくお前らが悪い。経緯はどうでもいいけれど、殴り合ってたなら双方悪い。挙句の果てに自分たちは関係ないですみたいな顔で要らんことほざくな、腹が立つ」

「げほっ………だからって………首絞めて吊り上げるかフツー………」

「やっべぇ俺吐きそう………八つ当たりじゃねぇかチクショー………」

「そうだぞ? 確かに言われてみればこれはただの八つ当たりだな? 分かっているなら話は早い。待っててやるから落ち着いたら言え。殴り合いたいなら存分に私が相手になってやる―――――もういいか? 表に出るぞ? 引き摺ってくか? まだかかる? 早くしろよ。ランチの時間が刻一刻と減ってくだろうがふざけんな」

「本当にすいませんでした」

「マジで勘弁してください」


床に突っ伏したままの体勢で、双子が即座に詫びてくる。何に対する謝罪なのかが不明瞭なので却下したい。そんな私の心の声を読んだのかはたまたただの偶然か、実況ついでに難色を示したのはまさかの王子様だった。


「どうやらダニーとニックの心が揃って綺麗にへし折れた気配―――――うーん、でもコレどうなんだろう。とりあえずなんでもいいから謝っとけ、みたいな誠意の欠片もない謝罪ならしない方がマシだと思うんだが?」

「殿下がそれをおっしゃいますの?」

「私の謝罪はいつだって誠心誠意真心ブレンドだぞう」

「誠心誠意が安過ぎてバーゲンセールか何かですの?」

「買い叩かないで! 高級品です!」

「あら。割高なポンコツ品ですこと」

「わーい、まったく否定出来ない!」


今日の王子様とフローレン嬢は心なしかいつも以上にやたらめったら仲良しさん。突然だがここで一部のギャラリーが死んだ。もうこういうの日常茶飯事化してきてる気がするのでコメントは差し控えさせていただきます―――――あれ? そういやすっかり忘れてたけど、セスは何処に行ったんだ? スープとサラダまだ取りに行ってる? いくらなんでも混み過ぎでは?


「あのぅ、リューリさん………リューリ・ベルさん」

「ん? なんだ? 今呼んだ?」


遠慮がちに名前を呼ばれてそちらに視線を向けてみれば、そこには所在無さげに佇む女生徒が一人立っていた。知らない顔なので初対面だろう。困ったように眉尻を下げてこちらを見上げる姿というのはたぶん可愛い部類だったが、顔面偏差値が国宝級とかいう噂の王子様やらフローレン嬢やらセスやらを見慣れてしまった私にはちょっと可愛いかな程度の印象しか持てない。ごめん。


「すみません。ニックとダニーの喧嘩ですが、私の作ったパンのせいなんです………取り合いにならないようにたくさん作ってきたつもりが、結局はこんなことになってしまって………リューリさんの持っていたパンが駄目になってしまったのは私にも責任があると思いますので、お詫びと言ってはなんですが、よろしければこちらをお召し上がりください」

「え? あー。気持ちはありがたいけども、ごめん私それ食べられない。すまないが持って帰ってくれ」

「うふふ、腕によりをかけて作ったのでお口に合えばい………えっ?」

「なんだと!?」

「はぁぁぁ!?」


まさか素気無く断られるとは微塵も予想していなかったらしい。素朴なパンがみっしりと詰め込まれた大きめのバスケットを両手で差し出した体勢のままで固まってしまった見知らぬ女子に、淡々とした調子で答えを返した私の耳が怒声を拾う。復活したらしい双子たちに目を向けようとした矢先、大声でそれを阻んできたのは五月蠅い王子様だった。どうでもいいけど肺活量すごいな。


「リッ………リューリ・ベルが………あのリューリ・ベルが目の前に差し出された食べ物を何の躊躇いもなく断ったァ―――――!?」


どええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?!?


何処からともなく張り上げられた王子様の一言が、食堂内を震撼させた。パンを狩ろうと並んでいた人、遠くのテーブルでランチを楽しんでいたグループ、その他諸々食堂に集いし腹減り学生各位の視線が一斉にこちらに注がれる。共通点としては全員ひたすらびっくりした様子だったがこちらとしてはむしろお前らのその反応の方が驚きだよ。なんでだよ、と思わずジト目になる私の肩を、がっしりと掴む手があった。


「えっ、なになに何なのどうしちゃったのリューリ・ベルもしかして具合悪い? 大丈夫? いつもならお前すぐさま喜んでお礼言って食べ始めるじゃんどうした本気でどうした何事もしかしてお腹空き過ぎて逆にお腹痛くなっちゃった!? フローレンどうしようこれマズいやつだったりしない!? チーム・フローレン追加のパンまだかーっ!?!?」

「お黙りこの馬鹿」


すぱぁん! と。信じ難いことにフローレン嬢が王子様を殴打した。婚約者である美青年の後頭部を遠慮容赦なく張り倒して物理的に黙らせる姿は堂に入ったものである。驚く程に真顔だった。そんなフローレン嬢の凪いだ目が、真っ直ぐ静かに私に向く。


「リューリさん。とりあえず、痛み止めを用意すればよろしくて?」

「あっとすごい珍しいわこれフローレンもテンパってるやつだ!?」

「うん。落ち着いてフローレンさん。王子様も心配するな。私は至って健康体だ―――――ぶっちゃけ今にも倒れたいくらいお腹が空いてはいるけども」

「駄目じゃん!?」


血相を変えて慌て出す王子様にわたわたと同調するギャラリー各位。なんだかなぁ、とそれらを眺める私の横にさりげなく近付いた慣れた気配に、なんとはなしに顔を上げる。


もにっ、と口に押し当てられたものが何かも考えずに噛んだ。


酸っぱくて、だけどほのかに甘い味。トマト特有の酸味の中に醸される瑞々しい甘さ、複雑に絡み合ったお肉とお魚とスパイスの旨味。さくさくした食感は軽い。具材を包む生地そのものにもほのかな塩気がきいている。空腹だったことも手伝った結果あっという間に食べ終わってしまった。ほんの少しの寂寞感を覚えつつも口を開く。


「今のなんだ?」

「エンパナーダ」


答えは何処までも簡潔に、いっそ素っ気無いくらいの雑さでセスの口から返された。何処に行っていたのかだとかいつ戻って来たのかとかはこの際気にしない方向。が、スープとサラダを取りに行っていた筈の三白眼の傍らには何故だかワゴンが置いてある。上にはスープとサラダと大量のパンがのっていた。なにこれ、という気持ちで再度セスと視線を合わせれば、とりあえず程度の感覚でまたもパンを押し付けられる。お腹が空いていたので食べた。小気味の良いさくさく感が歯から骨へと伝わっていく。パイ生地に似た食感の薄い外皮に包まれたちょっと血生臭さの残る挽肉は鼻にがつんと来るスパイシーさ。お水が欲しい程にしっかりした味付けだがこれを薄めてしまうのは惜しい。そんな気持ちから延々と咀嚼している関係で無言を貫く私の正面、全快に近い状態まで立ち直ったらしい双子の男子がなにやら威勢良く吠え立てる。


「てんめぇぇぇぇ! このクソ辺境民! なぁぁにラウラのパン断って平然と食堂のパンなんざ食ってやがる!!!」

「俺のラウラが作った料理がなんで食べられられないんだお前! 彼女に対するそんな侮辱はこのニック様が見過ごせん! 速やかな謝罪を要求する!!!」

「ふざけんなニック! お前のラウラじゃない、俺のラウラだ!」

「五月蠅えぞダニー! いつからラウラがお前のものになった!」

「うん、そんなことはどうでもいい。お前ら元気になったんなら表に出ろよ顔面いくらか殴ったあとで口ン中に土詰めるから」

「「さーせんっした―――――!!!!!」」


勢い良く頭を下げる二人の首根っこを掴んで表に引き摺りだそうかな、と一歩前に踏み出そうとした私を押し止めたのはセスだった。厳密に言えばセスではなく、セスが無言で差し出したお皿の上にのったパンだった。不思議な形をしたそれに目を奪われて足が止まる。


「ベーコンエピ。中身はベーコン」

「もしかしなくてもチーズ入り?」

「増量版」

「最高か」


最高か。上機嫌にベーコンエピなる未知のパンを手に取る私を見守るフローレン嬢の目が何やらほっとしている気がする。王子様も似たようなもので、周りの目線はすべからくほっこりと温かに緩んでいた。


「飼育員か猛獣使いかで些か分類に迷う絵面」

「殿下」

「すいませんでした」


中途半端に停滞した空気にお馴染みの遣り取りが流れている。立ったままだが気にすることなくパンをぱくつき始めた私に、王子様からのんびりとしたやたらと能天気な声が掛かった。固焼きバゲットの中にベーコンを練り込んだ不思議な形のパンをひたすら食べている狩猟の民に、彼はのんびりと問うてくる。


「ちょっといいか? リューリ・ベル。食事中のところすまないが、私の疑問に答えてくれない? さっきの話に戻るけど、自他共に認める食いしん坊のお前がどうしてそんなにあっさりと目の前の食べ物を諦めたんだ? 自分に差し出された食べ物は基本的に意地でも断らない残さない食を重んじる“狩猟の民”が、さっきもらえそうだった手作りパンとやらに対してだけどうしてそうも反応が薄い? いつもならすぐにでもお礼を言って受け取るだろうに、今日に限ってどうしたんだお前? そこの女生徒の手作りパンとやらに、なにか思うところでも?」

「え? いや、思うところも何も―――――単純にそれを『食べられない』から受け取れない、ってだけなんだけど」


食べたくない、ではなく食べられない。

受け取らない、ではなく受け取れない。

そこを強調するように、不思議な形のパンを千切る。外側かりかり、中はもっちり。ハードな噛み応えに合わせてじゅわりとパン生地から滲む肉汁とハーブのしっかりした味付けはいつまでも延々と食べていられる。セスに差し出されたお皿の上には同じ形のものがもう一つあったがこちらは何も練り込んでいないようで、ただただ小麦の美味しさを堪能するがいいと言わんばかりのスタイルが潔くて気に入った。にしてもこれ、この左右互い違いみたいな形はどうやって作ってるんですかね食堂のおばちゃん。そんな気持ちで、答えを吐く。


「単純な話、“王国”に来るとき言われた注意事項の中に『学園の食堂スタッフをはじめとするプロの作ったもの以外は口にしないように』っていうのがあったんだよ。“北”とこっちじゃ食文化が違うし、素人の作ったモン食べて食中毒とかアレルギーとかになったら処置に困るから止めてくれって。食材から調理法調味料まできっちり管理把握してるプロの料理なら万が一があっても対処しやすいけど、何処の誰とも知れない素人料理はそうもいかないから原則無しの方向で、って言われた」

「想像以上にまともな理由で逆に予想外だった件!!!!!」


どういう理由を想定していたのかが逆に気になるぞ王子様。


「ああ、そういえばそうでした―――――いやだわ。あまりの衝撃に気を取られてすっかり失念していたなんて」

「大丈夫。フローレンのうっかりとかレアリティが高過ぎて逆にありだと思うぞう」

「本気で黙って馬鹿王子」


フローレン嬢のうっかりは確かに珍しいよなぁ、と王子様に同意しかけたが彼女の声が冷え切っていたので口には出さないことにした。怖い。あそこにだけ吹雪が見える。


「え? ええ? そんな理由で食べてもらえないなんて………」

「なんだそれ!? おまっ………お前、そんな理由でラウラのパンを断ったのか!?」

「ああラウラ! そんな悲しそうな顔をしないでくれ! あんな辺境民にわざわざラウラの美味しい手作りパンを食わせてやる必要なんかないだろう?」


双子の馬鹿が何か言っていたが、食堂お昼のパン祭りを楽しみ始めてしまった私にはもはやどうでも良くなりつつあった。とっととこの場を離脱して何処かのテーブルに腰を落ち着けてもいいなぁとさえ思い始めている。パンが美味しい。ただパンという括りの中でも多様性に満ちている、素晴らしいと思えるものがある。


「それにしても、なるほどなぁ―――――食中毒とかアレルギーとか、リューリ・ベルの食べっぷりを見てるとまったく縁無さそうだけれど、言われてみればその通り。“招待学生”として北の民を預かる側としては確かに配慮すべき事柄だ。あ、でもお前、私を吊るしたときとかにフローレンからピーチパイ普通に受け取って食べてたことない?」

「ああ、あれか。フローレンさん家のお抱えパティシエって、要するに『プロ』には違いないだろ? 素人の手料理が駄目なんであって、プロの料理人が作ったやつなら大抵大丈夫なんだってさ。要は万が一の際に責任取れるかどうかって話らしいし」

「と、いうことは………セスからリンゴジャムを受け取ったのもそれとまったく同じ理由か。あいつが自分でジャム煮るわけないから実家の料理人が作った筈だ、と」


ふむふむ、と頷く王子様が理知的に見えるのはたぶん気のせいというやつだ。舌打ちが聞こえた気がして横目で見遣れば、何やら不機嫌そうな渋面をこさえたセスが雑な手付きでスープを呷っていた。一緒に持って来てもらったスープをついでに私も飲んでおく。リクエストの通りに具材たっぷりで食べ応えのあるコンソメスープだった。しかもアクセントにひとつまみのハーブが後足しで加えられている。神か。ありがとうどこまでもお気遣いの三白眼。


「そんな理由で食べてもらえないなんて悲しい………私、小さな頃から家庭の事情でずぅっとお料理してきたから、食堂のおばちゃんたちにだって負けないくらい美味しいお料理が作れるって結構自信あったのに………セ―――――せ、せっかくだから、リューリさんに食べてもらいたかったのに………」

「リューリ・ベルのことなんて気にしなくていいんだぞ、ラウラ! 俺とダニーは分かっている! 今まで食べてきたお前の手料理はどれもこれも素晴らしく美味い! 誰かが作ってくれる料理があんなにも美味いものだとは、俺たちはお前に出会うまでまるで知らなかったんだ!」

「そうだともラウラ! 俺とニックはお前に出会うまで手料理なんてものを食べたことが無かった! お前が作ったあのサンドイッチを初めて口にしたときの感動は今でも忘れられやしない!」

「ニック………ダニー………ありがとう、そう言ってくれて嬉しいわ!」

「そう、笑ってくれラウラ! あんな手料理の価値も知らない辺境民なんて気にするな! 誰かが作ってくれた手料理の温かさを知らないあいつにはむしろ同情しかしないね!」

「お前の手作りパンを無下にして食堂のパンなんて味気ないものを喜んで食べるやつのことなんて忘れてしまおう! あんな全国各地に転がっているような量産品の食堂パン、愛情を込めて作ってくれたお前の手料理には到底及びやしないさ! どうせ食うことばっかりで味なんざ二の次みたいなやつにはその程度の食い物がお似合いだ!!!」


「おう勘違い野郎どもやっぱり表に出ろ今直ぐ出ろその喧嘩高値で買い叩いてやる」

「ここへ来て突然の臨戦態勢どうした!?」


目の色を変えた私に対して王子様がすかさずツッコんだがどうしたもこうしたもない。単純に頭に来た。看過出来ない。どうでもよくない。これには物申さざるを得ない―――――食堂のおばちゃんたちの作ってくれた美味しい料理にケチ付けるとは良い度胸だな絶ッ対許さん!!!!!


「黙って聞いればなんだお前ら、そのお嬢さんの料理がどんなけ美味いかは知らないが、だからって食堂のおばちゃんたちの作ってくれる美味しい料理を『味気ない』だの何だのと貶める必要が何処にあるんだ失礼にも限度ってモンがあるだろ! 『量産品』だと? 馬鹿言うな! これだけ種類豊富なパンを食べ放題が出来るくらい大量に同じ品質で作りまくってくれるプロの仕事を一体何だと思ってやがる!!! ちょっと料理が出来るだけなら素人でも全然問題ないけどそれが仕事の“料理人”さんは誰にとっても同じクオリティで料理を作り続けるだけの確かな技術があるんだよ!!!!! それともなにか!? そのお嬢さんは学園中の生徒の胃袋を満足させられるだけの料理を毎日毎日献立考えて栄養バランス調整して材料の仕入れ食材の仕込み盛り付けその他片付けに至るまで作り続けられるってか!?!?」

「えっ………とぉ………それは流石にちょっと無理かなって………」

「だよな! ごめん、お嬢さんを貶める意図はないがそこははっきりさせておかないとすっきりしない気分だったから聞いた。でもプロと素人はやっぱり違う。そこに関しては譲れない。食堂のおばちゃんたちと遜色ない料理の腕前だったとしても、売れる程美味しい料理が作れるとしても、それで食堂のおばちゃんたちと同じ仕事が出来るとは限らないという前提で敢えて強めに言わせてもらう―――――お前らが思っているよりずっと、ここの食堂のおばちゃんたちはすごいぞ。プロフェッショナルを軽んじるな。特に食い専がケチを付けるな。具体的にはそこの双子。先に言っておくぞ。次はない」


うぐ、と揃って口を噤む双子は完全に腰が引けていた。脅しながらもっふりと口に含んだパンの中からは甘く煮た水気の少ない黒豆ジャムのような何かがこんにちは。あ、黄色い木の実の甘煮がごろごろしてる。甘さの系統が違うのかこちらはなんとなく素朴な印象。


「テメェこのタイミングであんパン食うなや」

「いや怒ってたら余計にお腹空いてな。つい」


呆れたように声を掛けながらも水の入ったコップを差し出してくれるあたりセスのアシスト能力は高い。ていうか水分が欲しいなぁと思っていたことが何故バレた。


「なぁセス、この黄色いのなんだ? 初めて食べたけど甘くて美味しい」

「あ? あー………栗蒸しあんパンって書いてあったからたぶん栗だろ」

「食堂のおばちゃんたちホントいろんなパン作れてすごいな―――――ああ、そうそう。そこのお前ら。一つ言うの忘れてた」

「なんだよ」

「まだなんかあんのかよ」


心底嫌そうに後退る二人をあんパン片手に眺めつつ、思ったことをそのまんま言ってのけるのがこの私。


「いや、さっきそこのお嬢さんの手料理食べるまで『誰かの手料理を食べたことが無かった』みたいなこと言って気がしたけどさ。それ、思い違いも甚だしいぞ」

「は? 何知った風な口きいてんの?」

「お前に俺らの何が分かるってんだよ」


うわ。うっわ―――――そんなことを初対面の人間に気取った態度で言い放つ同じ顔の双子って痛々しさが半端ないな。一人だけなら良くある良くあるって流せそうな気もするけれどダブルで見ちゃうと駄目だわ無理だわげんなり感が止まらない。そんな気持ちで、大きな栗をもぐもぐもぐもぐ堪能しながら私はざっくり切り捨てる。


「寝言はせめて寝てから言えよ。お前らのことなんか知るわけないだろ。分かりたくないし分かるわけない。恋愛小説でそういう系の台詞言うやつパターン的に大体自分に酔いがち浸りがちで視野狭窄が著しい、って宿屋のチビちゃんが言ってたけど本当に実在したんだな。しかもそういうこと言うやつ吐いて腐る程出て来るからいい加減読者に飽きられてきてるらしいぞ。モテたいなら改めた方が無難だな」

「はい本日も宿屋のチビちゃんから名言いただきました心にメモれー!」


ココロニメモレっ、て何の呪文だ。今日の王子様はどうしてそんなにもテンション高くて楽しそうなんだ。違うな。こいつはいつも通りか、と秒で考え直すに至って私は気にせず続ける。


「まぁ、お前らのことなんか知らないし分からないし興味ないのでそのあたりについては置いといて。それにしたってお前らの言ってることをちょっと聞いただけの私でもなんかおかしいな、と思うのになんでお前らは気付いてないんだ―――――お前ら、その歳まで餓死もせず健康的に生きてきたんなら、食べ物は絶対食べてただろう? それを作ってたのは誰だ」


問い掛けに対して返答よりも先に返されたのは失笑だった。馬鹿にするような笑い方で、実際馬鹿にしているのだろう。


「はっ! そんなもん家の料理人たちに決まってんだろうが!」

「金で雇われただけの奴らだよ! それがどうしたってんだ!」


「どうしたも何もその人たちが作ってくれてた料理も分類的には『手料理』だろうが」


ぴたり、と。二人分の嘲りが、まったく同時に消失した。まさか本当に気付いてなかったのか。食堂のおばちゃんたちに対する態度といい、お前らもしかしなくても“料理人”というプロフェッショナルを人間分類してないとかそういう思考回路かおい。


「いや………まぁそりゃそうだろうけど………そういうのはなんか違うっていうか」

「………なぁ? 違うよな、コックが作ってるやつはなんていうかこう………なぁ」

「違わないだろ。手料理だよ。料理人の手作り料理だよ。プロが作ったプロ手料理だよ。調理加工した美味しい料理が何もないところからぽっと出てくるわけないだろ。誰かが作ってくれてんだよ。お前らが気にしてなくたってこの世にある『料理』ってモンには誰かしらの手が加わってんだよ。逆にこの“王国”で手料理じゃない料理なんてねぇよ。なんだその『可愛い女の子が自分たちのために作ってくれた料理しか手料理とは認めない』みたいな理屈。雇われだろうが何だろうがお前らのために料理作ってくれてた料理人さんは居るんだろ。じゃぁお前ら手料理食べたことあるじゃん。良かったな、さも温かい食事や愛情に恵まれなかった寂しい人生だったんだぜ的なアピールする必要は今後一切もうないぞ」


何とも言えない微妙な空気が食堂内にて飽和した。誰も彼もが微妙そうに、残念な物体を見るような目で双子の男子を遠巻きにしている。そんな空気を切り裂いたのは、穏やかさの中に真剣味を宿した珍しく殊勝な王子様だった。


「リューリ・ベルの言ったことは実のところかなり大切だぞう。私たちにとっての『当たり前』を成立させてくれる“誰か”が常に何処かに居ることを、それによって支えられている生活があるということを私たちは片時も忘れるべきではない」

「正直な話、一般的な貴族であれば厨房に入って料理を嗜むなんて無駄なことはしませんものね。ちゃんとしたプロの料理人を雇って料理を作ってもらうことこそステータスであると捉えるでしょう。それは料理に限ったことでなく、他のことにも言えること―――――同年代の可愛らしい女子生徒に作ってもらったお料理が美味しく感じられるのは分からなくもなくもないですけれど、そればかりに価値を見出してプロへの敬意を疎かにするのは果たして如何なものでしょう?」

「突然のマジモードは何なんだよそこの実況解説」

「この流れで平然とそれ言うセスまじで尊敬する」

「そう言いながらパン食ってるテメェに戦慄した」

「ねぇ今めちゃくちゃいい感じにまとめようと頑張ってるところだからちょっとでいいから黙っててくんない!? こら! パンは食べてていいけれど目ぇ逸らすんじゃありません! 聞けよこのダブルフリーダム!」


締まらねぇな王子様。ぐだぐだじゃねぇか、とぼやくセスの意見には概ね同意しかなかったが、これ以上余計なことを言おうものならフローレン嬢に怒られそうだったので適当に選んだ真っ黒いパンに齧り付くことで無言を装う。焦げているというわけではなく生地そのものが黒っぽいそれは、甘みこそないものの酸味がマイルドでたぶんおかずを引き立たせることに特化した縁の下の力持ちタイプ。カレーパンと一緒に食べたら案外いけた。パンをおかずにパンが食べられるとは知らなかったぞパン祭り。


「なんか………ものすごく居心地が悪い………リューリ・ベルに関わるとロクなことにならないってマジな話だったんだな………」

「なぁニック………気のせいか食堂のおばちゃんたちから睨まれてる気がするんだけど………出禁食らいそうな気配がする………」

「うげっ! だ、大丈夫だダニー! もしも出禁食らったとしてもラウラが弁当を作ってくれるなら俺たちにとっては天国だ!」

「そうだなニック! ラウラはいつも俺たちに美味い飯を食わせてくれる! 彼女とランチが出来るならなんの問題もないな!」


などと、喧嘩をしていた筈の双子がお互いを鼓舞して強がっている、まさにそのタイミングで。


「唐突に思い出したからかなりどうでもいい話するわ。この間から毎日毎日飽きもせず俺に手作り弁当差し入れてくる女が居て断り続けても日参止めねぇからもういい加減うぜぇんだけど、そういや俺が食わなかったあの大量の弁当って毎度どうやって処理してるんだろうな」

「へー。話題のチョイスが突然過ぎてどうした。でもまぁ、セスが食べてくれないからしょうがなしにその辺の男子でも適当に餌付けしてるんじゃないか? モテる三白眼は大変だな」


「いやぁぁぁぁぁセス様それ言わないでぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

「「どっ………どういうことだラウラァァァァァァ!!!!!」」


セスの口から謎の雑談がぽろっと出て来て驚きはしたが、どうでもいい、と本人自ら前置いて言い出した時点でお察し案件。微妙な空気に晒されていた双子プラス手作り弁当女子の阿鼻叫喚をものともせずに、私と三白眼の会話は続く。


「誰がモテる三白眼だ白いの。つぅか、知らんヤツの作った手料理ほいほい食うヤツの気が知れねぇ。異物混入怖ェだろ。パンを焼き過ぎちゃったので食べてくださいとかぐいぐい来られても普通に引く」

「あー。宿屋のチビちゃんもそんなようなこと言ってたなぁ。知らない人から食べ物渡されても何が入ってるか分からないんだから餓死寸前でも絶対食べないようにね、って散々忠告されたっけ」


「なんと終盤でまさかの展開、パンをひょいぱく齧りながらセスとリューリ・ベルがまさかのコンボ! ダニー・ニック両名どころか二人に手作り料理を振る舞っていたラウラとやらにまでもののついで感覚で飛び火したー!!!!!」

「これを機に毎日続いていたという手作り弁当攻勢に終止符を打っておこうというセスの珍しい追撃ですわね。ところで『餓死寸前でも絶対食べないように』という宿屋のおチビさんのアドバイスがリューリさんを理解し過ぎていてもう拍手しか出来ません」

「宿屋のチビちゃんの存在に全フローレンが嫉妬した!」

「お黙りになって馬鹿王子」

「うっかり口が滑ったが各位聞き流す方向で!」

「殿下」

「調子乗ってすみませんでした」


フローレンの声帯からそんなに低い声が出るとは正直思いませんでした、レベルで腰の角度を九十度にすることに躊躇いのない王子様だった。ぐだぐだではあるが今日も元気に、ある意味平和ともいえる騒がしさでランチタイムは過ぎていく。ランチタイムなんだから騒いでないでランチをしろよどいつもこいつもと思うのも毎度のことながら、段々と慣れてしまった時点で私もだいぶ麻痺して来たなぁと認めざるを得なかった。

しっかりと気を引き締めなければ、と決意も固くプレッツェルを噛み砕く私の肩を、セスがとんとんと軽く叩く。何事だろうと視線を向ければ、パイを銜えた三白眼が何気なく明後日の方向を指差した。

そちら側にあるのは食堂の核とも言えるカウンターで、つまりは食堂のおばちゃんたちの戦場とも呼べる厨房である。追加を取りに行くと姿を消したっきりだった十一番さん及びチーム・フローレンのお嬢さん方がそこからガラガラと押してくるワゴンの上にはお肉の塊が乗っていて、棒に突き刺されたそれは視覚的なインパクトがすごかった。なにあれ。なにあれ―――――良い匂いがする!

と、目を輝かせてお肉を見入る私の鼓膜を揺らす、淡々としたセスの声。


「スープとサラダ盛ってるときに食堂スタッフに呼び止められてな。そん時テメェに持ってってやってくれって追加の焼き立てパン各種にワゴンの貸し出しまでされたんだが………あのドネルケバブ、ホントは明日出す予定で仕込んでたヤツらしいがなんやかんやあって特別に今日食っていいってよ良かったな」

「最高かありがとう食堂のおばちゃ―――――ん!!!!!」


叫んだ。気兼ねなく力の限りに声を大にして叫んだ。大声で感謝を伝えながらも千切れんばかりに手を振ったら食堂のカウンター越しにおばちゃんたちも手を振り返してくれる。勢い良くぶんぶん振り過ぎた手がセスにぶち当たって思いっきり叩き落されたがそれに関しては純粋にごめん。許せ、テンションが爆上がりし過ぎた―――――とどのつまりはありがとう優しい食堂のおばちゃんたち!


「あ、これもうドネルケバブで全部有耶無耶になるパターンだな」

「別によろしいのではなくて? あの通り、リューリさんもすっかりご機嫌ですし」


王子様とフローレン嬢がのんびりと穏やかに会話している。

ところでぶっちゃけドネルケバブが何かはまったく知らないが、たぶんじゃなくてもワゴンに乗ったあのでっかいお肉の塊と見た。なんて心躍る響きだろう。私にとっては発音しにくい類の料理名ではあったけれど、そんなことはどうでもいい。今まであった何やかんやも一気に何処かへ消し飛んで、ワゴンで仰々しいまでに運ばれて来るドネルケバブなるお肉の塊へと一目散に駆け寄った。

たくさんあるから、みんなに配って、好きなパンに挟んでいっぱい食べよう。


毎度長文にお付き合いいただきまして、まことにありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 何度読み返しても面白いです! セスとリューリのやり取り、尊い!! 周囲のナンバーの方々の妄想会話に激しく加わりたいです。
[良い点] ガクショク 昼のパン祭り ……明日の昼は食パンになんか乗っけて、トースターで焼いて食べるかぁ。 [気になる点] どんなけ……“北の民”が“西”日本の方言か。ふむ。 フィクションでそん…
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