幕間 レディ・フローレンの述懐
お察しの通り実験回でございます。ご注意ください。
どうしてこんなことになってしまったのかしら―――――こんな筈では、なかったのに。
本来であれば今日この席は、もっと気楽なものだった。そんな気分で鬱々と、苦々しい気持ちを飲み下すようにティーカップの中身を呷ります。柑橘類の香りに合わせて軽い苦味が走る紅茶は有り触れて飲みやすい部類でしたが、今の私の胸中を踏まえた上で言うのならただただ渋いだけでした。
前回、飲み慣れないものを口にして端正な顔を僅かに顰めていた“彼女”はこんな気分だったのかしら―――――そう思って視線を向けた先、私の真正面に位置する対面席には雪原を思わせる白さで形作られた生き物がぱくぱくと軽食をつまんでいます。何も気負わず何にも臆さず、ただ目の前にある食べ物に次から次へと手を伸ばしては口へと運んでいく様は、まるで流れ作業のように無駄一つない所作でした。同時に、魔法のようでした。だって、すごい勢いで綺麗に無くなっていくんですもの。
場所は特別談話室、テーブルの上には前回と同じ紅茶とジャムの瓶と焼き菓子と、あとは脚が短く底が広いつくりのスタッキング・ワイングラスにころころ詰まった色とりどりの小振りなマシュマロ。ありふれた三段仕様のティースタンドには定番とも言えるサンドイッチとスコーンと、小さなフルーツタルトがたくさん―――――確かにあった、筈なのだけれど。
「リューリさん………想像以上に限界でしたか」
「サンドイッチのおかわりかスコーンの追加はありますか」
「大変申し上げ難いのですけれど残念ながら打ち止めです」
「だよな。うん、無理言ってごめん」
サンドイッチとスコーンを即刻駆逐し終えたリューリさんの真顔の問い掛けに、すかさずこちらも真顔で答えればしょんぼりとした声が返ってきました。『妖精さん』と名高い美貌の主は目に見えてガッカリした様子で心なしか肩も落ちています。本当に分かりやすい人でした。お茶会の軽食にしては些か多過ぎるくらいの量を用意してもらったのだけれど、どうも目算が甘かったようです。私の胸に広がったのは凄まじい罪悪感でした。サンドイッチとスコーンをピンポイントで所望してきたあたり、リューリさんは甘味や嗜好品の類ではなくとにかくお腹に溜まるものを求めているに違いありません。つまり、彼女は空腹なのです―――――その原因を知っている私は、こっそりと唇を噛み締めたあとで重々しく口を開きました。どうしようもない愚か者への忌々しさが滲まないよう、細心の注意を払いながら。
「いいえ。謝罪をしなければならないのは、私どもの方でしてよ」
何の話? みたいな顔で、リューリさんはマシュマロに伸ばしていた手を止めました。中途半端な体勢のまま、なのに脅威的なバランス感覚でブレることもなく小首を傾げて彼女はぽつりと呟きます。
「もしかするとそれ真面目な話?」
「もしかしなくても真面目な話です―――――リューリさん、貴女、そんなにお腹が空いているのは手元にお金が無いせいでしょう? お金が無くて、そのせいで、ランチが食べられなかったから。だからお腹が空いている」
うん、と彼女は頷きました。恥ずかしげもなく堂々としているのは隠す程のことでもないと思っているからに他ならず、事実として彼女は己が無一文であることに引け目も危機感もありません。ただ昼食を買う対価足り得る金銭が不足して満足にランチが出来なかったから、結果としてお腹が空くので困る―――――リューリ・ベルという“辺境民”にとって、お金とはそういうものなのです。
無いなら無いで困りはすれど、無くても別段慌てはしない。ただ、お金を対価に手っ取り早く食べ物が調達出来ないから困る。彼女にとってはその程度。我々“王国民”と“辺境民”である彼女との、決定的で致命的な“お金”に対する認識のズレ。それがまさか、こんなにも、どうしようもないものだったなんて。
「まぁ、確かにお金がなくて今日はそこまで食べられなかったからいつもよりお腹空かせてたのは事実なんだけども………それは私が今回支給された分を使い切っちゃったせいであって、別にフローレンさんがそんな顔して謝るどうこうの話じゃなくない?」
心底不思議そうにぼやきつつ、白い指先がつまみ上げた薄紅色のマシュマロがリューリさんの口の中へと放り込まれて消えました。もぐもぐ噛みながら続けてつまんだ白色のマシュマロをむにむにと潰して感触を確かめる姿は、ともすれば無邪気な幼児にも似て緊迫感とは程遠い有様。確かにこれはぶよぶよの砂糖の塊だわ、と身も蓋もないコメントを放ちながらもマシュマロに伸ばす手を止めないあたりはそれなりに気に入ってくれたのでしょう。毒気を抜かれたような心地で、けれどこちらの気は晴れません。
「いいえ。いいえ、違うのです。謝るどうこうの話なのです」
純粋な優しさを否定して、私は首を横に振りました。有体に言って不愉快な気持ちで、けれどくだらないプライドで口を閉ざすなど言語道断。自分たちと彼女ではモノの捉え方が違うのだと、そんなことにも思い至らなかったからこんなにも気付くのが遅れてしまった。テーブルの下でこっそりと握り込んだ指先の爪が掌に深く食い込んで、みしりと嫌な音が鳴りました。さて、この面倒臭がりの妖精さんに何をどう伝えたものかしら、と頭の中に散らかったいくつかの情報を整理します。
「まるで興味がない話題であろうと聞いていただかなくてはならないのです。あまり言いたくない事であろうとお話ししなければならないのです―――――具体的には、お金の話を」
さて、まず、第一に。リューリ・ベルという辺境から来た招待学生の現在の住処は、学園敷地内に設けられた女性職員専用寮の一室でした。遠方からであろうと優秀な生徒を募る学園にはそういう者たちを受け入れるための学生寮が存在しましたが、何か生活する上での不都合が起きた場合に職員が迅速に対応出来る等の理由から職員寮への入居が決まったようです。なので、居住費は特にかかりません。職員寮内では朝夕の食事がきちんと提供されるので、ここでは食費もかかりません。学費は全額免除ということで教材費も学園が持ちますし、リューリさんが今着ている服は彼女の故郷の衣装ではなく王国が支給したものでした。他に何か必要なものがあれば、その都度教員を通して王国ないし学園に申請すれば大抵のものは近日中に届く―――――“招待学生”の学園生活における必需品を賄っているのは、大まかに言えばそういう仕組みだったのです。
だから、彼女がこちら側で普通に生活していく上で、実のところ“お金”を必要とする場面は唯一昼食代だけでした。
リューリ・ベルが何よりも楽しみにしているであろうランチタイムの生命線。朝夕の寮食とはまた別に、好きなものを好きなだけ選んで食べられる彼女にとっての癒しの時間。それが食堂で食べるランチであり、そのためだけに支給されるのが所謂『支援金』でした。王国に招いた“狩猟の民”が飢えることのないように、けして少なくない額が定期的に国から支払われている―――――そう、思っていたのだけれど。
「リューリさんが今回支給されたという分の『支援金』を使い切ってしまった、というのは事実でしょうが、実のところは前提の時点で既に間違っているのです」
意を決して自ら切り出した事実は、誇り高くあれと努めてきた王侯貴族の一員にとっては不名誉でしかありませんでした。仄暗さに醜く歪みそうな唇をどうにかこうにか動かして、それでも言わねばならないことを毅然とした態度で吐き出します。
「次の支給日までまだ間があるのに今回の分をもう使い切ってしまった―――――いいえ。なにひとつ、リューリさんのせいではありません。だって、今まで貴女の手元に渡っていた『支援金』の金額がそもそも間違っていたんですもの」
「………うん?」
つまり、どういうこと?
マシュマロを片手に疑問符を浮かべる彼女にどんな顔をすればいいのか、結局取り繕った表情しか出来ない私は自嘲するしかありません。フローレンさんのせいじゃない、って彼女は言ってくれたけれど―――――ああ、本当に、嫌な役回り。
「率直に申し上げまして、王国にお越しいただく際に結んだ約定に基きリューリさんにお渡しすることになっていた『支援金』の一部が王城勤務の担当事務官及び支給窓口係により着服されていることがこの度明らかになりました―――――要するに、悪知恵を働かせた汚い大人が“招待学生”のお昼ご飯代を『ちょっとくらいならバレないだろう』と横取りしていましたリューリさんの今日の腹ペコは大の大人が仕出かした犯罪行為の皺寄せです本当に申し訳ありません」
「率直に言ってそれやばいんじゃないのか」
「お察しの通り非常にヤバいと言わざるを得ないヤバさでしてよ」
真っ向から肯定するしかなくて、情けない不甲斐ないを通り越した私はいっそ無表情で頷きました。だって、事実ヤバいとしか言い様がない状況なのです。ヤバい以外の語彙がすべて死滅してまさにヤバいとしか言えないレベル。
リューリさんが飄々と雑談のノリで会話に応じてくれるので何とか理性を保っていられますが、どう控えめに申し上げたところで『現役王城勤務の担当事務官及び支給窓口係が結託して招待学生への支援金をピンハネしていました』なんてスキャンダルでしかありません。最初にポンと大金を渡すのではなく定期的に決まった額を支給するスタイルを取っていたが故の弊害です。きっぱりと不祥事です。しっかりと犯罪です。しかも一度や二度ではなくほとんど毎回と言っていい頻度でちまちまと掠め取っていました。なのにまったく露見しないことに徐々に味をしめたのか、着服額はじわじわ増えて最終的には定額の約三割にも及んでいましたがそれに誰も気付かないってどいつもこいつもふざけてますの本気で。
学費等全額免除の上で衣食住を保障する、特に―――空腹感から目に付く鳥獣を手当たり次第に狩って食べられても正直怖いし困るので―――食には困らせないと誓ったとかいう契約書の文言は嘘ですか。馬鹿にも限度があるでしょう。やれ余罪の追求だの管理責任がどうこうだの五月蠅いったらありません。そんな大人の醜い争いは大人たちだけでやってくださいまし。そんなことより先に片付けなければいけない面倒事が一体いくつあると思っているの!
「まさか、と思って調べてみたら案の定証拠が出るわ出るわで正直血の気が引きました。横取りされていた分につきましては近日中に必ず支払われるでしょうし、今回の件は完全に王国側の不手際なので多少の迷惑料も上乗せされるのではないかと思います。重ね重ねになりますが、この度はまことにも―――――」
もにっ、と。唇に、柔らかいものが押し付けられました。喋っていた途中だったので思わず一時停止した私に、呆れ顔のリューリさんが真っ直ぐ伸ばした手で突き付けていたのはセス曰くぶよぶよの砂糖の塊こと可愛らしい小振りのマシュマロです。
目を瞬かせて黙る私の口につまんだマシュマロを押し付けながら、こちら側へと身を乗り出した彼女は呆れ果てた顔で言いました。
「だからさぁ、それフローレンさんが謝ることじゃないじゃん。やらかしたやつと気付けなかったやつと責任者の偉い人が謝らなきゃいけないようなことを、なんで私と同じただの学生でしかないフローレンさんが謝ってんだよ。言っちゃアレだけど馬鹿正直に言わなきゃ私には絶対分かんなかったぞ。いっそみんなして知らん顔してればもっと簡単で楽だろうに―――――真面目だよな、フローレンさん」
それって生き難かったりしない? と。
ぐうの音も出ない正論のあとに何気なく紡がれた一言が、私には酷く衝撃でした。意思に反して戦慄いた唇で何を口走るつもりだったのか、自分自身にすら分からないものをどうにか無かったことにしたくて大きく息を吸い込みます。僅かに開いた口の隙間に小さなマシュマロが捩じ込まれました。えい、ってなんですのリューリさん。今の掛け声要りました?
一度口に放り込まれてしまった以上は吐き出すわけにもいかなくて、もにもにと柔らかいマシュマロを無言で味わう破目になってしまいました。押し潰してもすぐ元に戻る弾力があるくせに歯を使えばあっさりと噛み切れてしまうそれは、咀嚼の度に細切れになりながらふわふわした甘味だけを広げて喉の奥へと消えていきます。一口紅茶を含んで流せば甘味に苦味が上書きされて、ちょうどいい後味になりました。
ほぅ、と一息入れてから彼女と向かい合った私は、たぶん先程の吐息と一緒に肩の力や張り詰めていた気とやらを悉く放出してしまったのでしょう。随分と身軽かつ爽快な気分で口の端を吊り上げて言いました―――――この『私』に面と向かってそんなことを言う人は、きっと貴女くらいでしょうねと言葉にならない感慨を込めて。
「さぁ、どうなんでしょうねぇ。詳細は黙秘しますけれど、とりあえず貴女に『謝りたい』と思った私の意思に嘘は無くてよ。どうして私が謝るのか、という至極ごもっともな疑問についてはそうですね………強いて言うならリューリさんと同じ『ただの学生』で顔見知りの私から先に事情を説明して真摯に謝罪しておいた方が多少心証も良いのでは―――――という浅はか極まる大人の身勝手、或いはぶっちゃけただの打算です」
「それまた今回も遠慮なく唐突にぶっちゃけたねフローレンさん」
「ぶっちゃけついでにこの場を借りてホント全員禿げればいいのにと呼吸のように呪詛を吐きますがどうか内緒にしてくださいまし」
「お嬢様スマイルはそのままなのに発言がストレスフル過ぎてやばい」
真顔でぽつりとぼやくなり、リューリさんの手によってマシュマロ入りのワイングラスがすすすーっと私に寄せられました。ありがとうございます、と一言お礼を挟みつつ、いつの間にかもう半分以下にまで減っていたマシュマロをひとつだけいただきます。白はプレーン、薄紅はイチゴ、残る黄色はなにかしら―――――さっぱりとしたレモン味でした。
真面目な雰囲気は何処へやら、すっかりただの雑談にまで落ち着いてしまった寛ぎ空間もかくやの室内で妖精さんはタルトを齧っています。
「ていうか、本気で意味分かんないんだけどなんで私に謝るんだよ。今までの支給されてた分がちょっとくらい盗られてたからって元々は王国のお金だろ、ただ貰ってる側でしかない辺境民の私にそこまで気を遣う必要ある? 税金とやらを納めてる王国民が怒るならまだしも正直こっち関係なくない?」
軽々しいまでにあっさりしていて、本気で言っていると分かるからこそなんとも言えない気分でした。自分が貰える筈のものを第三者に横取りされていたと知ると大抵の人間は怒りを覚えて攻撃的になるものですけれど、それを滔々と説いたところで彼女の理解が得られるとは私(経験上)まったく思いません。例えばこれが“お金”ではなく“食糧”だったりした日には、うってかわって血の雨くらいは土砂降りレベルで降る気もしますが―――――虎が寝入るというのなら、尾は踏まないに限ります。面白くもないこんな話も、とっとと畳むが上策でしょう。
二杯目の紅茶を飲み干して、私は穏やかに何気なく返答をぽんと投げました。
「疑問にはお答え出来ますが、リューリさんそれ聞く気あります?」
「聞いてみただけで興味はないかな。別に気になったことならあるけど」
「あら、それは珍しい。よろしければお答えしますけれど?」
にこやかに表情を繕って、警戒レベルを一段上げます。経験則のなせる業でした。雑談には違いないけれど、油断していては手痛い一撃が飛んで来る予感がしたのです。タルトを口一杯に頬張って咀嚼して飲み下したらしいリューリ・ベルが、おもむろに核心を突きました。
「こないだの屋台飯ランチのとき、フローレンさんが居なかったのってこれが原因だったりする?」
「ええ、仰るとおりでしてよ」
私にしては珍しく、隠しも誤魔化しもしませんでした。笑顔のままに肯定し、ティースタンドから小さなタルトを適当につまみ上げて齧ります。ベースはシトロン。酸っぱさの中にミントの爽やかさがきいていて、アクセントと言うには少し強めのすっとした感覚が尾を引きました。齧りかけのタルトを持ったままティーポットから紅茶を追加して、行儀の悪さなんて気にも留めずに音を立ててポットをあるべき場所へ。残りのシトロンタルトを一息に口内へと押し込んで勢いのままに噛んで砕き、舌に残る独特の苦みは飲み慣れた紅茶で押し流します。ふ、と吐いた息からはもう、混ざり合って何が何やら判別不可能な匂いがしました。
「まぁ、何かおかしいんじゃないか、と感じ始めたのはセレクト・ランチ対決の少し前くらいでしょうかね。リューリさん、あの人の話を聞かないお花畑の住人に熱烈な求愛をされた折にぽつりとこう答えてましたでしょう―――――『私はこの“学園”内から許可なく外出したり出来ない』って。私、初耳でしたのよ。てっきり放課後は町に出て、夕食までの繋ぎ感覚で買い食いでもしているのではないかと思ってばかりいたのですけれど」
「やってみたいな。したことないけど」
「でしょうね。ですが、それではおかしいのです。町に出たことがないとすると、本当に学園の中でしかお金を使っていないことになる。記録によれば貴女の出費はいつだって食費だけでした。食堂と購買で食べ物を買うときくらいしかお金の使い道がない―――――気になったので、リューリさんが今まで買い求めた食堂のランチと購買部のメニューをすべてリスト化してランチ代の総額を期間ごとに計算してみました。結果、利用額が支給額を上回ったことは一度としてなく、常に食事に全力な貴女が空腹を堪えて貯金に勤しむなんて仮説は天地が引っ繰り返ってもあり得ません。加えて徐々に利用額が減少傾向にあるとなれば………あとはもう、簡単でしたね」
「有能過ぎてびっくりするわ」
「お褒めにあずかり光栄です。私としては予想以上に無能が蔓延る現実に嫌気が差してがっかりしました」
「タルト最後の一個食べる?」
「あら、それではありがたく」
最後の楽しみに取っておいたと思しきチョコレートとナッツとラズベリーのタルトがそっとお皿ごと差し出されたので、既にお腹が満たされ気味だろうが気合いと根性で笑みを崩さずありがたい気持ちで受け取ります。フォークを使う選択肢はとっくの昔に投げ捨てて、手掴みではしたなく大口を開けたところで咎める声はありません。
「なんていうか、うん。まぁ私は何も言えないんだけど。お疲れ様、フローレンさん」
「お気遣い痛み入ります。とは言え、実のところ今日のお昼まではここまでの気疲れするなんて夢にも思っていなかったんですのよ」
もったりと濃厚なチョコレートの中にざくざくと香ばしいナッツの歯応えを感じつつ、テーブルに思いっきり頬杖をついてこれ見よがしな溜め息をひとつ。淑女然としたご令嬢の仮面をかなぐり捨てて振る舞ったところでリューリさんの態度は変わらないまま、焼き菓子を口に銜えた状態でジャムの瓶の蓋に手を掛けた彼女はことりと首を傾げました。喋ったらクッキーが落ちると分かっているので無言を貫く妖精さんは、幻想的に透徹した双眸で私をじぃっと見詰めることで器用にも「そうなの?」と語り掛けてきます。なにひとつ憂いのない顔でした。微塵の悪意も思惑もなく、ただあるがままで生きている姿は其処に座って居るだけで命ある活力に満ちていて、何も考えていないと分かるからこそ私は笑うしかありません。
ああ、考えるだけ馬鹿馬鹿しい―――――なるようにしかなりませんもの。
「ええ、ええ。そうなんですの。予想外に決定的でした。お昼のあの馬鹿げた決闘騒ぎ、あれ自体はまぁどうとでもなりますし落とし所も用意しておきましたが―――――リューリさんがぽろっと口にした“北の大公”様についてはもうどうしようもありませんので、気を揉むだけ無駄だと割り切りました」
クッキー生地とチョコレートの土台に乗っかったラズベリーを丸ごと齧ろうかどうしようか、心の隅で思案しながら取り繕うことを放棄した思考で馬鹿正直に白状しました。面白がるように弾んだ声で、開き直って快活な声で、それこそ年頃の女の子みたいに。
「ええ、どうしようもありませんので。どうとでもなれですわよ、もう」
看過出来ない新事実を予想外の方面から知ってしまい慌てふためきはしたけれど、坂道を転がる小石のように動き出したものは止まれない。口の中に押し込んだタルトはほろ苦くて甘くて香ばしくて酸っぱくて、いろんなものがごちゃ混ぜになって美味しいことは美味しいけれども形容し難い味でした。
「え? “北の大公”のばあちゃんがどしたの?」
「北の大公様その人は別にどうもしませんよ。ただ、かのお方は国王陛下の次に偉い四人のうちの一人ですので―――――そんなすごい人とお知り合いだなんて宣言をぽろーっとしてしまったリューリさんには、これまでとは違った毛色のお馬鹿さんたちが擦り寄ってくると思われます。それはもう、掃いて捨てるくらい」
「まじか」
「ええ。大マジです」
おほほほほ、と転がる声は間違いようもなく自分のもので、実質半分くらいは自棄です。純度百パーセントにげんなりとした面持ちで紅茶にジャムを入れるリューリさんには寝耳に水もいいところでしょうが、厳しい意見を申し上げるならこれは彼女の自業自得でした。
今まで学園の生徒たちが認識していた『リューリ・ベル』は、どちらかと言えば“偶像”です。
それは彼女が生まれ持った容姿と色彩に因るものでしょう。性別不明の域に達した端麗な美貌、雪原の色。“辺境”と呼ばれる程に遠い北の地からやってきた、まるで妖精のようなひと。誤解なきよう言い添えるなら、外見のみに限った話でなく彼女は多くの人々にとって非常に好ましい存在でした。魅力に溢れた人でした。話題の尽きない人でした。儚げな見た目とは裏腹に口を開けば明朗快活、おかしいことはおかしいと声を上げる確かな自我と知性があって、しっかりと自己を確立しながら地に足を付けて生きている。
大多数の学生たちにとって、リューリ・ベルという存在はまさしく『妖精さん』でした。
彼女は私たちと同じ一人の人間ではあったけれど、その立ち姿が振る舞いが、動いて喋って生きている様子があまりにも現実離れしていて、だから皆は心の何処かでぼんやりと思っていたのです。
あれは“辺境民”だから、王国における身分制度なんて関係なく振る舞っても許される。
あれは“招待学生”だから、招いた側である王国や学園が融通を利かせるのは当たり前。
しょうがない、だってしょうがない―――――かのリューリ・ベルは北の地からやって来た自分たちと違う『妖精』だから、きっと人の世の理の埒外に在るに違いない。
あの真っ白い生き物は、自分たちとは違うのだから。
けれど、そんな『妖精さん』の口から、王国民なら誰もが知っている現実的な権力者の名前がぽん、と飛び出してしまいました。幻想的に美しくはあっても所詮ただの辺境の狩猟民族でしかないと思われていた『リューリ・ベル』の後ろには、かの有名な北の大公が居ると本人の口から明かされてしまった。お伽噺でしかないような非現実的な存在に、現実でも通用するような権力が結び付いているという可能性が示されてしまった。それが何を意味するのかは、語るまでもないことでしょう。
「リューリさんはご存知でして? 砂糖に群がる蟻さんよろしく、人間って特定のものに群がりやすい生き物なのです。例えば美しいものだとか、都合の良い便利なものだとか―――――俗物的に言ってしまえばお金とか地位とか権力とか」
「お金も地位も権力もない私には当て嵌まらないんじゃないか?」
「いいえ? 思いっきり該当しますわよ。リューリさんと仲良くすることで北の大公様との縁が繋げれば儲けもの、という希望観測的拡大解釈で」
拡大解釈、というもったいぶった言い回しを選んだのは、ひとえに我が身の都合でした。あくまで彼女個人にではなくその付属品に価値があるのだと思わせるような口振りで、それは嘘ではなかったけれどすべてが本当でもありません。
「嫌だそんなめんどくさい。それ、どうにかなんないの? 確かに北の大公のばあちゃんと会って話したことはあるけどさぁ、会って話したことあるだけだぞ? 特別仲良しってわけじゃない相手に取り成してもらおうなんて望み薄なチャレンジする物好きがいくらなんでもそんなに居る?」
「この学園における信じ難い夢見がち系お馬鹿さん各位の妄言奇行をたっぷりと体感してきたであろう貴女がそれを仰います?」
「説得力が凄まじい」
「そしてそのお花畑的お馬鹿さん改め馬鹿畑の筆頭は言わずと知れたうちの馬鹿王子様ですがこれ以上の説明が必要ですか?」
「馬鹿畑筆頭馬鹿王子とかパワーワードにも限度がある」
「あら。トップオブ馬鹿の方がまだ字面的に可愛げがあって良かったかしら?」
「馬鹿な子ほど可愛い、っていう王国語ならチビちゃんから聞いたことあるぞ」
「その宿屋のおチビさん語録の横に赤字で『錯覚です』と書き加えておいてくださいまし」
「一切の反論を許さない強めの圧を感じるなぁ。了解」
ぽんぽん、と会話は弾んで、取るに足らない雑談のような毒にも薬にもならない会話は、それでも直前までの辛気臭いだけの話とは比べるまでもなく楽しくて。リューリさんは頷いて、がりがりとクッキーを噛み砕きながらそういえば、と付け足しました。
「なぁ、終わった話蒸し返して悪いけど、顔見知りに謝らせるんならこういうときこそ王子様じゃないか? 悪びれなく頭を下げることにかけてはぶっちゃけ誰よりこなれてると思うぞ」
「悪びれなく頭を下げることにこなれてる王子っていう認識が日頃の行いを物語ってますわねあの馬鹿………」
「そうそう、その馬鹿なんだけど。実はフローレンさんが迎えに来る前にしれっと来てしれっと『理由はあとでフローレンから聞くと思うが申し訳ない。実はお前に迷惑を掛けた。はいこれお詫びの食券二枚』とか言うだけ言って食券押し付けてくるなりフローレンさんに見付かるとめちゃくちゃ怒られるからじゃぁな、ってすごいスピードでどっか行ったぞ。あれで案外逃げ足速いよな」
「いえ本当に何してますのあの馬鹿」
そういえば講義が終わるなり「ちょっとお花摘んでくるなー!」って女子みたいなこと叫びながら誰よりも早く講義室を飛び出して行きましたけど何してくれてますのホントに―――――貴方が関わると面倒だから、今回は大人しくしてらっしゃいとあれほど言って聞かせたのに!
「ああ、あとセスが今日のお昼に購買のパン奢ってくれたんだけど、さっきの話の流れ的にあれたぶんフローレンさんの仕込みだったんだろ? ありがとな、助かった」
「はい?」
素っ頓狂に声が引っ繰り返って、自分でも驚くべきことに目を丸くした自覚がありました。初耳だったからに他ならず、まったく身に覚えがありません。リューリさんが嘘を吐く理由がないのでセスがパンを奢ったという点は揺るぎようのない事実でしょうが、私が関与しているかどうかで問われれば答えはノーの一択です。
「ええっと………いえ、それについては存じ上げません。少なくとも私の指示ではなくてよ」
「え? まじで?」
「ええ、マジです。確かにバケツプリンを運んでもらうために声を掛けましたがそれだけでしたし、そもそも国庫から出ている『支援金』に関するスキャンダルなんて流石にセスには言えません。貴女にこの件をお話し出来たのは他でもない当事者だったからであって、幼馴染であろうが高位貴族の子弟だろうがセスはあくまでも部外者です。詳しいことなど何も伝えていませんし………『リューリさんがお昼時に食堂に居ないなんて珍しい、もしも手持ちがなくてランチが出来ずプリンだけでは物足りないようなら私が何か胃に溜まりそうなものでも用立てようか』と道中軽くこぼした程度で―――――ああ。なるほど。たぶんそれ、一種のセスなりの気遣いですね」
「え。まじか」
「おそらくですが。食料調達する気満々でいた私が不測の事態に直面してちょっとそれどころではなくなりそのまま立ち去ってしまったので、見るに見かねて申し出たのでは? あれで案外面倒見が良いのでおそらくその線で間違いないかと」
「セスって面構えが凶悪な割にはお気遣いの三白眼だよな」
「僭越ながらそこはせめてお気遣いの紳士と言いませんか」
「あれ紳士って面?」
「否定出来ませんね」
あれを紳士の枠で括ったら世の恋愛小説系作者読者関係者各位から大ブーイングを食らうこと請け合いだったので一も二もなく即答でした。否定出来ない、と真顔で答えた私の見解に満足したのか、リューリさんはけらけら笑って「だよなー」とビスケットを齧っています。悪気はなく、悪意もなく、ただ親しみを込めて笑う姿はただの一人の人間でした。私とさして歳の変わらない、異なるところは多くあってもそれでも確かに人でした。今、此処に居るひとでした。
微かでも、僅かでも、望みが皆無とは言い切れない。そんな気持ちで目を伏せます。
感傷なんてらしくもない、と自嘲する私が頭の回路を切り替えて真っ直ぐ前を向いた先で、リューリさんは複数のビスケットに異なるジャムを塗っていました。お皿の上に横並びで五枚、イチゴとリンゴとキウイとピーチと薔薇のジャムをそれぞれ塗って重ね合わせて一気に口に入れた彼女は、流石に詰め込み過ぎだったかと一瞬だけ強く眉根を寄せます。しかし、すぐさま驚異的な咬合力で気にせず咀嚼を開始するあたりが彼女が彼女たる所以でした。ごりごりぼりぼりとすごい音がしていますが、『お菓子なのに硬度の追求具合が狂気の沙汰でいっそ凶器』と有名な固焼きビスケットの五枚重ねに余裕で勝てる健康な歯と顎には素直に脱帽せざるを得ません。
「味の足し算って大体失敗するよな」
「五つは流石に足し過ぎだったかと」
と、言いますか、失敗すると分かっていてどうしてチャレンジしましたの貴女。
喉元まで出掛かったツッコミは優雅に紅茶で押し戻し、気付いたときにはテーブル上のお菓子はほとんど食べ尽くされていました。僅かに残っていたのはやはり固めに焼かれたビスケットで、食いしん坊の妖精さんはリンゴのジャムにスプーンを差し込みながら私へと意味ありげな一瞥を向けます。
「そうそう、うっかり忘れるところだった―――――前に言ってたあの話、『リンゴジャムを選んだビスケット』は、結局最後どうなったんだ?」
「ああ。そういえば、『次の機会でお話しします』とオチを引っ張りましたわね」
それは、かつての再現のように。知ってるんだろう? と目で問う彼女に、私はうっそりと微笑みます。かつて何処かであった話。お菓子屋さんの失敗譚。即興でした例え話だったのに、随分と興味を持っていただけたようで何よりですと思いつつ。
「でもね、実のところ、大した結末ではないんですのよ。ありがちで陳腐でつまらないくらい、何処にでもあるお話で」
笑えるくらいに嗤えてしまう、ハッピーエンドになり損なった馬鹿馬鹿しい記憶を手繰り寄せます。リューリさんが軽く掲げるリンゴジャムがべっとりと表面に塗られたビスケットを眺め、喉の奥に覚えた苦いものには気付かないフリをして言いました。
「ビスケットは自分自身の意思で、決められていたイチゴジャムではなく大好きなリンゴジャムを選びました。ビスケットは一枚しかなかったから、菓子職人は仕方なくリンゴジャムのビスケットで妥協しました―――――だけど、お客様がその菓子店に求めていたのは、あくまで『イチゴジャムのビスケット』だったのです」
リンゴジャムのビスケットなんて、誰にも望まれていなかった。皆に必要だったのはただのビスケットでもリンゴジャムのビスケットでもなく、イチゴジャムのビスケットだったから。それ以外では駄目だった。
「いざリンゴジャムのビスケットを発表してはみたものの、顧客の反応はいまいちでした。高くて豪華なイチゴジャムを塗って売り出しますよと聞いていたのに、いざ蓋を開けてみれば安価で素朴なリンゴジャムだったからです。皆はイチゴジャムが良かったのです。イチゴジャムの存在に魅力を感じていたからこそ、楽しみに待っていたのです。買おうと思っていたのです。誰もリンゴジャムのビスケットなんて求めてなんかいなかったのです―――――だって、旨味がないんですもの」
美味しくないとは敢えて言わず、旨味がないと言いました。その表現のニュアンスが彼女に正しく伝わるかどうかはまったくもって不明でしたが、口を挟まず傾聴するリューリさんの表情には疑問も困惑もありません。ビスケットを一枚手に取って、発色鮮やかなイチゴのジャムを厚めに塗って重ねます。
「リンゴジャムのビスケットなんか要らない、イチゴジャムのビスケットが欲しかった―――――みんなして口を揃えてそう言って、リンゴジャムのビスケットは見向きもされませんでした。ビスケットの意思なんて、買い手側にしてみたら本当にどうでも良かったのです。そもそも『ビスケットに何を塗るか』は菓子店にとって得になるかどうかの話であって、需要にそぐわない商品なんて相手にされなくて当然なのです。売れ残ったリンゴジャムビスケットの末路は言うまでもなく悲惨でした。食べられないお菓子は腐るだけです。ビスケットだけならまだ日持ちしたのに、安物のリンゴジャムを塗ったことでどんどん劣化して劣化してジャム諸共に腐って腐って、結局リンゴジャムのビスケットは驚くべき早さであっという間に駄目になってしまいました。悔いたところでもう遅く、やり直しなんてしようがない。後戻りなんて出来ません。菓子店にとっては損失にしかならず、店の看板に傷を付け、リンゴジャムなんてものを勝手に塗りたくってしまったことで菓子職人の面子に泥を塗り―――――もう手元に置いていたところで損失しか生まないリンゴジャムのビスケットは、最終的に『お前なんか要らない』と踏み潰されて無残に捨てられました」
みんなに待ち望まれているのは“ビスケット自身”であると馬鹿な勘違いをしなければ、或いはあのとき大人しくイチゴジャムを選んでおけば、そんなことにはならなかったのに。
心の裡で嘲って、苺の赤に艶めくビスケットを小さく開けた口で齧ります。リューリさんの目に「なんだかなぁ」と呆れるような色が浮かんで、リンゴジャム塗れのビスケットをがじがじと雑に砕く傍らで彼女はさらりと言い放ちました。
「それ、ぶっちゃけ菓子職人がリンゴジャムで妥協したりしなければもう少しくらいはましだったんじゃないの? ビスケットが一枚しかなかったからって売り出して失敗して捨てるくらいなら、最初っから自分で食べるなり『リンゴジャムビスケットでもいいです』って言ってくれるお客を探すなり工夫すれば良かったのに」
「正論ですね。ええ、私もそう思いましてよ」
だけど、そうはならなかったからこんな馬鹿げた話を今、貴女にしているというわけで。
「どうせもう菓子店の看板商品になんてなれやしないリンゴジャムのビスケットなんて適当なところに下げ渡して、予定が狂おうが採算が取れなかろうが新しいビスケットを仕入れると菓子職人が決断しておけばそんなことにはならなかった。必要な手間を惜しんだばっかりに余計な傷を増やして広げた挙句、要らない前例までつくり上げてしまったこんな馬鹿馬鹿しい話の―――――勝手にしくじって勝手に腐って見放されて捨てられて踏み躙られて、『こんな筈ではなかったのに』とみっともなく喚いて悪足掻きも虚しく退場していったリンゴジャムとビスケットの何処がハッピーエンドだなんて言えるのでしょうね」
脳裏に浮かぶは嘲りばかり、吐き出す言葉は棘だらけ。頬杖をついて斜に構えた私の視界は力の限りに傾いでいて、だらりと椅子の背凭れに体重を掛けて寛ぐリューリさんの顔は良くも悪くも無表情でした。きっと本質的な意味ではこのオチにも興味はないのでしょう。けれど話を振った手前、このリンゴジャムのビスケットの件について言うべきことはすべて告げておこうと歪む口元を正しました。
「ちなみにこれは余談ですが、リンゴジャムのビスケットを廃棄処分にしたあとで菓子職人は大急ぎで新しいビスケットを探したそうで―――――いろいろと伝手を頼った結果、とても運の良いことに前より上質な一品を仕入れられることになったとか」
「ふぅん。つくづくリンゴジャムのビスケットとやらには優しくなくてしょっぱいな」
「ええ、まったく。仰るとおりで」
「で? 実際のところ、フローレンさんはなんだってそんな『とある菓子屋の失敗談』にやたらめったら詳しいの?」
そのビスケット、知り合いだったの? と躊躇なく急所を狙って穿つ手際はまさに熟練の狩人そのもの。生きたまま効率的に血を抜かれて解体を待つばかりの獲物になった心境で、頬杖をついて傾ぐ私は底意地悪く唇を吊り上げました。お伽噺のお姫様よりきっと魔女の方が似合う顔立ちでしょう。そんなことは知っていました。自分が一番良く分かっていました。
「ええ、ご明察でしてよ」
繕うのも馬鹿馬鹿しいだけだから、さしたる抵抗も引き延ばしもせず紅茶を片手に肯定します。よくある話と割り切って、ころころと笑う私にもリューリ・ベルは容赦がありません。この真っ直ぐな目が苦手でした。逸らすことをしない力強さが非常に好ましくはあるけれど、一度射抜かれてしまえば最後隠し事が酷く難しい気がして居心地が悪くなるのです。けれど今は、この瞬間は―――――不思議と愉快な気分でした。
「遠縁も遠縁でしたけれど。ええ、良く知っていますとも」
私が今から告げるであろう答えが世間的に恥であれ何であれ、これを聞いたリューリ・ベルが一体何を口走るのか興味は尽きなかったので。これこの上なく良い笑顔で、声高らかに暴露します。だって、あの甘ったるいだけの馬鹿げたビスケットとリンゴジャムの末路を、菓子職人の愚かな失敗を、この私は最前列の特等席で見ていたのだから。
「何もせずとも、相手が誰でも、ただ『自分が自分である』というだけで我が公爵家の跡取りにおさまれるとばかり勘違いしていたあのビスケットは本当に―――――本当に、馬鹿なお義兄様でしたよ」
最早とっくに他人だけれど。元から他人でしかなかったけれど。あんな救いようがなくどうしようもない大馬鹿者でも、この真っ白い妖精さんに痛快にぶった斬ってもらえれば少しは私の気も晴れるのかしら、と詮無いことを考えました。
―――――今更、どうしようもないけれど。
夢見るだけなら、自由ですもの。
説明が上手いこと書けるようになりたい(切実)