9.気を取り直してランチにしよう
ああでもないこうでもない、とリテイクを繰り返し続けた結果、またしても詰め過ぎて分量がアレなことになった上に気付けば無差別アタックのような何かになっておりました。違うアプローチを試みただけの筈が何故。
実に申し訳ありません。
(どうか広いお心で、季節外れの流しそうめんのようにさらさらーっと流しつつ最後までお付き合いいただけますと幸いです)
真正面には白い丸パン、その横にあるのは麺料理。更に視線をスライドさせれば等間隔かつ横一列にずらっと並んだ“何か”が映る。そこそこの距離をあけながらぽつぽつと設置されているそれらは、骨組みの上から布を張ったテントのような簡易的かつ開放的なつくりで青空の下に存在していた。
人伝に聞いた話によると、あれらは“屋台”なるものらしい。
「………うーん………」
腕を組み、瞼を閉じる。視覚を封じたことで鋭敏になった聴覚が、嗅覚が、そして狩猟で培われた第六感的な本能が、押し寄せてくる情報を次から次へと精査してはああでもないこうでもないと脳内会議を繰り広げていた。
さわさわと穏やかに抜けていく暑くも寒くもない温い風が、いろんなものが雑多に混じった不思議なにおいを運んで来る。天気は快晴。これ以上もない程に晴れ渡った空の下で、私は頭を捻っていた。
「よぅし! お祭りだぞう、お前たち! せっかくの屋台フェアなんだからいろんなもの買ってシェアしようなー!!!」
「女子かテメェ」
外野の雑談を聞きながら、意を決して開いた瞳でまずは真正面にある屋台を観察する。
見たところ木製と思しき円柱状の器が、うっすらと水蒸気のような白い煙を吐いていた。あれはおそらくあの器の中で何かを蒸しているに違いない。屋台の顔とも呼べる店舗正面部分には紙がぶら下がっていて、そこには先程からやたらと目を引く白くて丸っこいパンのような物体の詳細な絵が描かれていた。半分に割られた中身にはたっぷりと具が詰まっているらしく、ちょっぴり可愛い感じで片目を瞑る豚さんの顔が添えてあるあたり主原料は豚肉の可能性が高い。他にもいくつかバリュエーションがあるのか、ざく切りにした葉野菜を主体にしている描写もあった。そしてそれらは一様に、紙の中でもそうだと分かる温かな湯気を立てている。ほっこりほこほこ美味しそう。画力がすごい。分かりやすい。料理の名前は分からないけれど、あの絵を信じて推察する限りはいろんな具材を包んで蒸した白いパンなのだろうと目で見て思う。なにそれ楽しい。
「なんだって俺がこんな無駄にテンション高ェでっか五月蠅い馬鹿王子とランチしなきゃなんねぇんだよ。ウゼェしだりぃし面倒臭ェ」
「とかなんとか悪態吐きつつフローレンに頼まれたことは基本断らないあたり、セスは面倒見がいいよなぁ。一緒に屋台巡ってくれるって約束してたフローレンに急な用事が入っちゃってどうなることかと思ったが、私もこれで安心して大いにはっちゃけられるぞう!」
「野放しにしとくとテメェが際限なくはっちゃけやがるから俺らが監視に付けられたんだろうがちったぁ自重しろやボケェェェェ!!!」
セスの咆哮については概ね同意しか出来ないが、それはそれだしこれはこれ。見たことのない食べ物から無理矢理視線を引き剥がし、その右隣りへとゆっくりゆっくり顔の角度をずらしていく。
鉄板の上でじゅうじゅうと、濃厚なソースを絡ませた麺が野菜炒めとともに踊っていた。まさに豪快。なのに繊細。不思議な形の平べったい金属製調理具を巧みに操る食堂のおばちゃんの力強さとまんべんなく具材を混ぜ合わせる匠の技量、鼻腔を擽る香ばしい匂いにぐぬぬぬぬ、と下唇を噛む。
それだけではない―――――それだけではない。
麺料理の屋台の隣では、同じく熱した鉄板の上に所狭しと敷き詰められたいろんな種類のソーセージがじゅぅじゅぅと音を立てている。パンが一緒に置いてあった。そのパンにもいくつか種類があった。まさか組み合わせを選べというのか。食べ放題にしてください。
「いやいや、だってお前たち。考えてもみなさい。今日のランチは珍しいことに青空のもと屋台飯だぞう? しかも今回は食堂のおばちゃんたちがそれぞれの出身地方自慢のグルメを特別提供というイレギュラー! いつもの食堂とはまた違った趣でワクワクすると思わない? 私はする! お祭り気分が増し増しで楽しい! リューリ・ベルもそうだろう!!!」
テンションの高い王子様の声に同意を求められた気もしたが、私はそれどころではない。
目を逸らした先ことさらに右際ではこんがりとした小さな肉の塊が素晴らしい色に焼けたところだった。いや違う、油の海から引き上げられたことから推察するにあれは揚げ物であるはずだ。紙製のコップにこれでもかこれでもかと限界以上に詰められたそれらはもはや茶色の小山である。これまた可愛い絵柄の鶏さんが翼を広げているあたり原材料は言わずもがな―――――絶対美味しいやつじゃんそれ。
しかし“屋台”はそれだけではない。まだある。目視しただけでもずらずらずらっと十軒近くは並んでいる。それら一店一店が、各々違った屋台料理をその場で作りながら出来立てほやほやを提供しているのだ。
「駄目無理これは選べない」
「おっと、思っていた以上にずっと何を食べるかで悩んでたっぽい―――――というか、正直フルコンプ一択かと思ってただけにこれはちょっぴり意外だぞう」
王子様の台詞を受けて「それな」みたいな顔をしたセスは賢くも無言を貫いたので、私からは特に何も言わない。選びたくても選べない、なんてこんな優柔不断な自分は我ながら珍しいと思う。しかし今回は止むを得ない―――――手持ちのお金には限りがあるので。
空腹から逃れたいのなら自分たちで獲って食え、命を賭けて命を分捕れなんて故郷のルールは適用されない。なんたってここは“王国”なのだ。美味しいものをいただくには先立つものが必要で、すなわち対価とは金銭である。湯水のように湧くものでなし、有限性の資源であれば枯渇しないよう注意を払い必要分だけ使うが上策。
溜め息を吐きたい心境で鶏肉の揚げ物屋台を見詰めつつ、自制心をフル稼働させながら捻り出した声は呻きに近い。
「そりゃ食べられるモンなら片っ端から全部食べたいんだけどさぁ………なんていうか、懐事情的にちょっと」
「おう、そんなリューリに朗報だ」
あっけらかんとセスが言う。見上げた先にあったのは相変わらず目付きの鋭い顔だが、この三白眼がわざわざ「朗報」なんて言い出したことに驚いた。空腹感を抱えている身では若干期待してしまう。目が輝いたのは反射だ。許せ。思わず先走らせてしまった言葉は我ながらちょっぴり弾んでいた。
「え? セスが奢ってくれんの?」
「違ェよ。だがまぁ奢りは奢りだ。馬鹿王子に付き合ってランチしてやる労働報酬とかで今日の俺らの飲食代は全額フローレン持つってよ―――――要するに、テメェは好きなだけ好きなモン食え」
「やった、流石はフローレンさん気前が良くて最の高」
「ん? リューリ・ベル、今なんて? 年の功とか言っちゃった?」
「フローレンがこの場に居ねぇからって調子乗り過ぎだろクソ王子」
「バイト代の分は働かなきゃだからあとでしっかりチクろうなセス」
「ちょっとしたジョークすら許されない!? 止めて! フローレンには言わないで! 年齢ネタはバレたら最後マジですごく怒られちゃうやつ!」
悲鳴じみた金切り声を上げながら取り乱す王子様だがそこは流石に幼馴染、慣れに慣れきった堂々たる態度でまったく取り合う様子も見せずに鼻で笑うセスである。余談だが、怒られるだけで済むんならいつものことじゃんとか思っても口には出さない方向で。
「は―――――言っとくが今の“フローレン”を完成させたのは間違いなくテメェだからなレオニール」
「それに関しては言い訳のしようもないというか、正直申し訳ないというか流石の私も思うところある」
「セス。王子様がなんか言ってるぞ」
「無視しとけリューリ。馬鹿が移る」
「ひーどーくーなーい!? お前らなんで私に対してだけやたらめったら厳しいの!? 何この温度差どういうこと!? これまでにランチタイムで培ってきた三人の友情は何処へ行った!?!?」
「「最初っからねぇよ」」
「やだ、寸分違わずハモったことで私一人だけハブられてる感がすごい!」
などと、大袈裟なくらいに喚く割には大して堪えてなさそうなところがこの王子様のすごいところ改め馬鹿が馬鹿たる所以だと思う。
ケッ、と吐き捨てたセスはと言えば付き合うだけ時間の無駄だと判じたらしく、ぴぃぴぃ言っている幼馴染をガン無視して屋台が展開している方へとあっさり視線を転じていた。私も釣られてそちらを見遣る。人混みはまだそこまでではないが、各屋台前にはちらほらと待機列が出来ていた。売り切れとかあったらどうしよう。焦燥感が芽生えた私は真剣な目でセスを見た。
「とりあえずあの鶏肉揚げたやつは絶対外せない断固食べたい」
「鶏肉だけにとりあえず、的なギャグを平然と飛ばしてくるとはやるなリューリ・ベル」
したり顔で馬鹿がなんか馬鹿みたいなこと言ってる気がする。ほっとこ、と思った私の心の声がセスに届いたのかどうなのか、揚げ肉の屋台に視線を固定した三白眼が神妙な面持ちで頷いた。
「鶏肉揚げは確かに外せねぇから俺も食うわ行くぞリューリ」
「お。パイ料理でもないのにセスが乗り気って地味にすごい」
「あれは単純に美味ェ」
「まじかそれは楽しみ」
「ちょっとセスもリューリ・ベルもナチュラルに置いて行こうとしないでくんない!? 聞かなかったことにするのはいいけど仲間外れは寂しいから止めて! あと鶏肉の揚げ物は私も食べたいので一緒に行くぞう………ってお前ら二人とも歩くの早ッ!?!?」
まったく同時に歩き出したセスと私のあとを、慌ただしい足取りでばたばたと王子様が追い掛けてくる。前からぼんやり感じてたんだが、フローレン嬢が近くに居ないと高確率で構ってちゃん―――宿屋のチビちゃんが言うところの、誰かに構って欲しいがためにいちいち言動が面倒臭かったりしょっちゅう奇行に走ったりするかなり付き合いに困る感じの人―――と化してやしないかこの馬鹿王子。あ、割と最初からそうだったわ。今更だった。
「はい絶賛反抗期な口の悪い次男とマイペースな末っ子食いしん坊に振り回されるちょっとお馬鹿な長男いただきましたありがとうございますありがとうございます………」
「とうとい………顔面偏差値犯罪級トリオがわっちゃわっちゃしてる尊い………お供え物は何処に捧げればいいの募金箱の設置はまだですか………」
「和む………和むがしかし惜しむらくはお母上もといフローレン様のご不在………!」
「馬鹿野郎アンタなんにも分かっちゃいないよ………厳しさの中に優しさを秘めたお母様にしてお姉様でもあるフローレン様にお小遣いをもらって子供たちだけで屋台飯を楽しみに来たあの尊さの背景まできっちり妄想してこの胸に焼き付けないでどうする………!」
「いや待って………? 殿下が長男枠だとすると“お父様”は他に存在することになら」
「ならない! なりません! 大丈夫ですよ何故ならあちらは子供たちを引率するお父さんだから!!! あまりに頼りないためにお母さんからお財布を管理させてもらえず長男にお株を奪われたちょっと情けないところもあるけど基本憎めない系の子供想いなお父さんだからッ!!!!!」
「オーケイ同志。いい幻覚だ、それでいこう」
幻覚に良いとか悪いとか区別があるのか王国民。
たまたま聞こえてしまった台詞が気になって思わず足を止めそうになった私の腕を、前を向いたままのセスが無言で掴んですたすたと歩く。心なしか早くなった歩調に合わせて止められなかった足を速めれば、囁き程度にしか聞こえなかった誰かしらの声は完全に遠くなってしまった。
すいっと私たちに追い付いて横に並んだ王子様がにまにまと口元を緩ませて言う。
「偉いぞう、お兄ちゃん。やっぱりセスは面倒見がいいな?」
「誰がお兄ちゃんだボケ王子―――――気色悪ィ顔で笑ってねぇでいい加減あの辺なんとかしろ。日増しに酷くなってるだろうが」
「ん? 酷くなってるって何の話だ? “王国民”って幻覚酷いの?」
「否定はしかねるがそんなことよりこっちはこっちでテメェの好きそうなモン片っ端から仕入れといてやるからダッシュで鶏肉揚げ買いに行けリューリ。見たとこあれが一番待機列長ェから売り切れちまっても知らねぇぞ」
知らねぇぞ、じゃねぇよ何しれっと言ってんだセス心底嫌だよ断固拒否だよ鶏肉揚げは絶対食べたいんだよすっかりそういう気分なんだぞこちとら!
ぎっ、と揚げ肉屋台に狙いを定めた私の双眸はぎらついているに違いない。
「よし来た鶏肉は私に任せろ―――――あ、そこの屋台の蒸した白パンっぽいのよろしく」
「肉まんな。買っといてやるから早よ行け白いの」
「話が早いな三白眼。ちなみに集合場所どこだ?」
「迎えに行ってやるから揚げ物食いながらその辺に居ろ」
「了解。ただ鶏肉揚げ全部食べ切っても責任は取らない」
「何その事前に開き直っとくスタイル!? 私たちも揚げ肉食べたいからセーブしようなリューリ・ベル!」
雑にはぐらかされた気がしないでもないがそんなことはどうでもいい。だって実際、鶏肉揚げの屋台には人が集まりつつあったのだもの。役割分担は狩りの基本。セスの申し出は理に適っている。
そんなこんなで王子様のツッコミを聞き終える前にトップスピードで駆け出した私が「ぁぁぁあぁあのセス様がお兄ちゃんしてるぅぅぅぅ」という野太い悲鳴を聞くことは無かった。鶏肉をこんがり揚げた美味しそうな料理の前では全部些事です絶対食べるぞ。
そんな決意を固めつつ、ゆっくりと伸び続けている待機列の最後尾で急停止して大人しく粛々と順番を待つ。
「あ、リューリさんだ。お先にどうぞ」
「本当だ。前にどうぞどうぞ」
何故か私より前に並んでいた生徒たちがこぞって気を遣ってくれたので順番がどんどん繰り上がっていくのだが、どうして皆してにこやかに場所を譲ってくれるんだろう。
「やぁん、どれにしようかしら。いっぱい入ってるのがいいですよね、仲良く分けっこ出来ますもん」
「そうだねぇ、ちょっとでも多そうなのがいいねぇ」
普通に並ぶから大丈夫だぞ? と固辞したところで結局は率先して場を譲られてしまい、理由は考えても分からなかったのでご厚意に甘えることにした。そうして大人しく勧められるまま、前へ前へと詰めていったらいつの間にか次は自分の番だ。いくらなんでも早くない? 揚げ肉ハンターたち親切過ぎない?
「こっちのにしようかなぁ………あっ………でもそっちの方がお肉が大きい………?」
「両方とも買えばいいんじゃないかなぁ? お金を払うのは私だしねぇ」
「ダメ! ダメですよ、そんなに食べたら太っちゃうもの! それに、一つの器から仲良く二人で食べ合う方が素敵だとは思いません?」
きゃっ、恥ずかしい! みたいな台詞を吐いた背中が私の目の前でくねくねしている。あまりにうねうねくねくね動くので軟体生物の類かと思ったが後姿だけ見る限りではちゃんと霊長類ヒト科だった。正面がどうなっているのかは知らない―――――なにせ、位置的に見えないので。
「そうだねぇ。誰かと仲良く楽しく食べた方がご飯は美味しく感じるよねぇ」
「そうですよぅ。あ、そうだわ! 昔みたいに、あーん、ってして差し上げますね!」
「懐かしいなぁ、そんなこともあったねぇ」
「いやだわ、オーガスタス様ったら照れちゃって!」
いやお前ら買うならさっさと買えよ。いつまでそこに居座る気だよ。
揚げ肉待機列の最前線、絶賛購入中らしい一組の男女は聞いている者の耳に地味なダメージを与えるような実りの無い会話をうだうだと繰り広げつつその場を動こうとはしない。あとちょっとで揚げ肉が買えるのに、おあずけをくらっている気分でこれはなかなかに苛々した。
少しでも多く入っているものを選ぼうとする精神を否定する気は更々ないが、ものには限度があるだろう。後続の邪魔になるような真似は控えていただきたい要するに急げ。
ていうかもしかして、揚げ肉の待機列が伸びてった理由はこいつらがうだうだうだうだ悩んで居座ってたせいだったりする?
悩む程のことでもないのに何をそんなに手間取っているのか、心の底から疑問でしかなかった私の眉間に皺が寄る。揚げ肉を売っている食堂のおばちゃんの顔はもはや悟りを開いたような邪念の一切見当たらない無で、真正面からイチャラブした空気を全身に浴びているというのに淡々と次の鶏肉を揚げていた。じわじわ伸びる待機列を気に掛けて悩む男女に「はよしろ(意訳)」とさりげなく声を掛けながら、油の海にどばどばと鶏肉を投入する手には淀みも迷いも油跳ねもない。これぞまさしくプロフェッショナル。順番抜かしちゃっていいですか?
ふとした気配を肌で感じて、なんだろう、と振り返る。順番を譲ってくれた女生徒さんとがっつりしっかり目が合った。その後ろも、そのまた後ろも、私を前に送り出して来た面々は皆一様に険しい顔のまま器用ににっこりと笑みを浮かべる。
やっちゃってください。
そんな声無き声が聞こえた気がした。
自分がどうしてこの場に居るのかを瞬時に理解した私は無言で視線を前へと戻す。食堂のおばちゃんがこちらを見ていた。揚げたばかりの鶏肉を銀色のトングで持ち上げて、しゅぱぱぱぱっと紙コップに詰めさらに上に数個盛る。揚げ肉の塔の完成とともに詰め放題の新記録が見事達成された瞬間だった。そうして積み上げたお肉にぶっすり細長い串を刺すことで崩れないよう固定して、おばちゃんは厳かにひとつ頷く。察した私も頷き返した。
「やだもう選べない困っちゃぁう! オーガスタス様ぁ、どうしましょう?」
おっせぇ。いつまでやってんだ。
「なぁ、そこのお二人さん。この期に及んでまだ選べないってんなら先に買わせてもらうけど?」
我ながらチンピラじみた喧嘩腰の物言いだったが、後ろから流れてくる怒気の類は「そうだそうだ」と同調している。いきなり背後から投げ付けられた言葉に驚いたらしいぐだぐだ男女が弾かれたように振り向いて、女生徒の方は私を見るなり引き攣って仰け反って固まった。
「なっ………なんで真後ろにリューリ・ベルが………!?」
「言っとくが横入りじゃないぞ。私の前に並んでた人たちが順番譲ってくれたんだ。お前らがうだうだしてるせいか待機列が伸びる一方なんだよ。最初っから詰めてあるやつをただ買うだけのシステムだから回転は早い筈なのに、お前らが延々居座って他が買えなくなってるせいでせっかくのお肉が刻一刻と冷めてっちゃうだろふざけんな。皆もおばちゃんも迷惑してるぞ。別にいっぱい入ってるのを選びたい気持ちは否定しないけど、選ぶんなら早く選んで買えよ。それが出来ないなら横に避けて後ろの人たちを優先しろ。率直に言って、かなり邪魔」
「あ、本当だぁ。すごい行列になっちゃってる。後ろの方たち、すみませんでした」
一息に言いたいことをぶちまけて、鶏肉揚げ分の代金を取り出す。沈黙する女子に対してちゃんと詫びて頭を下げる男子を横目でじぃっと観察しつつ、おばちゃんが差し出してくれた揚げ肉(塔)を受け取った。品物と交換で代金を支払う。
「あれ? おつり多いよおばちゃん。え? サービス? 追加料金なしでいいの? やったーありがとうございます!!!」
「ちょっとアンタなんで先に買って………しかもサービスが半端ない!? ずるい、明らかに依怙贔屓よ!!!」
食堂のおばちゃんのご厚意に小躍り気味で上機嫌の私に、憎々し気な声を叩き付けてくるうだうだ男女の女子の方。一旦無視して屋台の前からするりと脇に避けておいた。後ろの女生徒さんたち―――ところで何故に揃いも揃って両手を合わせて拝む姿勢で「とうとい」などと呟いているのか―――に場所を譲って、お待たせ、どうぞと軽く促したことでようやく流れ始めた揚げ肉待機列を見て一安心。
さてと、セスたちはまだ買い物中かな―――――などと揚げ肉タワー在中の紙コップを手にその場を離れようとした私に、待ちなさいよと声が掛かった。
「アンタ! 好き勝手なこと言うだけ言って何『終わった』みたいな顔してんの!? こっちは不愉快なんですけど!!!」
「ん? あれ? どうでもいいけどお嬢さん、なんかキャラが崩れてない? さっきまで―――――えーと、なんだっけかな。ハマチだかメジロだったのに」
「………は? え? なにそれ。魚?」
虚を突かれたらしく困惑する例の女生徒の隣では、うだうだ男女の男子の方も何の事だろうと首を捻っていた。どうも伝わっていない気がする。私も実はしっくりきてない。たぶんじゃなくても間違ってるなコレ―――――チビちゃんなんて言ってたっけか。“王国”側に生息してる魚の名前の筈なんだけど。
「ハマチとメジロ………ああ、リューリ嬢。もしかしてそれ、この子のことを『ぶりっこ』だって言いたかったのではありませんかぁ?」
「あ。そうそう。それだそれ」
「やっぱり~」
「ちょっと、オーガスタス様なに納得して………誰がぶりっこですってぇ!?!?」
閃いたらしい男子生徒がのんびりと答えを言い当てて、私はいくらかすっきりした気分でこくこくと首を縦に振る。にしてもこのうだうだ男女の男子の方、やたらと間延びした喋りな気がするがもしかしてそういう癖なのだろうか。のんびりやさんなのかもしれない。憤怒の形相で凄む女子の方はぶりっこということでいいだろう。化けの皮既に剥がれてるけど。
「はい、そんなリューリ・ベルに豆知識! 『ぶりっこ』は何らかのフリをしている『振る』から来ている、というのが定説であって出世魚こと鰤の子供のことではないぞう! ちなみにハマチやメジロは確かに小さい鰤に対する名称だがこれに関してはどうも地方により微妙に違ったりする模様!」
唐突過ぎる登場だなおい。
そんなツッコミも間に合わない程、何処からともなく颯爽と現れた王子様が元気いっぱいに王国豆知識を披露しながら煌びやかにキメ顔を作成していた。顔面偏差値だけで言うなら無駄にきらきらしい美形である。青空の下、陽光に照らされて輝く金糸は眩しいくらいに美しい。ほぅ、と周囲一帯から感嘆が濃い吐息がこぼれた。光が反射して目がちかちかする。
「キラッとした顔がイラッとする」
「ドヤッたキメ顔にイラッとくる」
完全に同意としか取れないような発言をぼそりとこぼしたのはセスだった。確認するまでもなく声で分かる。王子様と一緒にここまで来たのか、しかし少しでも距離を取っていたいらしく絶対にヤツと隣り合ったりはしないという強い意思のようなものが感じられた。だって普通に私の隣に居る。対して王子様はちょっと離れたところに居る。聞くのも知るのも面倒臭いのでそのまま流すことにした。そもそも何をしていたのかすら忘れていることに気が付いて―――――そうだ、私は揚げ肉が食べたい。
思い出してしまった衝動は、本能は空腹に忠実だった。揚げ立ては冷める前に食べたい。
「いただきます」
「マジかテメェ」
「ここでまさかのお食事タイム?」
セスと王子様のツッコミはスルー。まったく聞かなかったことにして、即座に食前の祈りを済ませた。遠い異郷の空の下でも私は命をいただいて、それに生かされて生きている。
こんがりした色に揚がった鶏肉の表面に、ほんの僅かに残った油が日の光の下で美味しそうな光沢を放っていた。お肉の形状や大小は様々、一つとして同じ塊などない。逡巡は一瞬、決断は刹那。おまけしてもらった揚げ肉が崩れないようにと刺してもらった細長い木串を持ち上げて、うっかり落としてしまわないよう角度に気を付けて一口齧る。
感動は、時に言葉にならない。
そんな気分で顎を動かす。外側はかりっとしっかりした歯応え、噛めばさくさくと小気味の良い食感に次いで弾力あるお肉から滴る肉汁。かりっとしながらじゅわっとしている。さくさくもぐもぐもぐごくん。おっと咀嚼が止まらない。これはあれだ、お肉そのものにつけられた下味が素晴らしくいい仕事をしている。無心で食べよう鶏肉揚げ。
「な、なんでこの状況で普通に揚げ肉ぱくついてるのこの子………!?」
「なんでって、相手はリューリ・ベルだもの。当然と言えば当然だろう? むしろそれを理解してないあたりが私としては不思議だぞう。今となっては有名じゃない? 知らない生徒の方が少なくない?」
まぁ、それはどうでもいいか。どうでもよさそうに嘯いて、王子様は軽妙に肩を竦める。
「経緯はまったく分からないんだが、そちらのハマチだかメジロだか鰤だかぶりっこだか何だか。とりあえず、ささやかなことでリューリ・ベルに噛み付くと大抵碌なことにならないぞう? 悪いことは言わないから早めの撤退を推奨する―――――ってこらこらこらこら待ちなさい北の大地の食いしん坊!!! 揚げ肉一人で食い尽くす気!?!?」
気付いた時にはもう既に二個目を口に運んでいた。ペースが早食いの域だとか揚げ立てだからすごく熱い、とか悠長なことは言ってられない。ふぅふぅと息を吹き付けてあつあつの揚げ肉を冷ます。セスの言葉は正しかった。鶏肉揚げは単純に美味しい。単純だからこそ小細工もない、直球で舌に訴えてくる確かな旨味がそこにある。
「騒ぎを聞き付けて来てみれば―――――この雌豚! 性懲りもなくまたオーガスタスに擦り寄っていたそうですね!? お前と弟が懇意だったのは今となっては昔の話、没落寸前の貧乏貴族の娘如きがいつまでも幼馴染気分で付き纏うなど恥を知りなさい、恥を!」
「姉上、姉上。落ち着いてください。深呼吸は大事ですよぉ」
「ほらもう! 見なさい! 揚げ肉いただきます、ってする前にちゃんと状況畳んでおかなかったから話がややこしく続きそうな気配でしょうが!!!」
王子様が指摘した件については流石の私も否定出来ない。ごめん。この場をダッシュで離れてから揚げ肉を味わえば良かった。目先の食欲に負けて面倒の種を前にしたまま食事に走ったのは私が悪い。それは認める。でも揚げ肉美味しい。鶏皮の歯応えはざっくざく、しかし多重多彩に味覚味蕾を刺激する濃い味のお肉と合わせて食べると不思議と違った発見がある。気付いたときには三個目も胃袋の中に消えていた。
「雌豚だなんて、酷いわおねえさま―――――昔はあんなによくしてくださったのに!」
「お黙り! 確かに昔は可愛がりましたとも、だって当時はお前のことを未来の義妹だとばかり思っていましたからね! だけど後から聞いた話、当時小太りでぽっちゃりしていたうちのオーガスタスのことを『子豚坊ちゃん』だのなんだのと陰で散々馬鹿にしていたそうじゃないの! おデブと結婚なんて嫌よ、とか駄々捏ねて金持ちの商家の息子に鞍替えしたら事業失敗で共倒れ食らって嫁の貰い手が無くなったエピソードは我が家の鉄板笑い話ですけどねざまぁみなさい!!!」
「確かにその話は我が家の食卓では鉄板ですねぇ、姉上」
「オーガスタス様アンタどっちの味方なのよ!?」
目の前でぎゃいぎゃい言い争っている姉弟プラスかつての幼馴染という構図を他人事感覚で俯瞰して、四個目の揚げ肉を齧ろうと大きく口を開けた私の目の前にすっと白い塊が差し出される。ぱちぱち、と目を瞬かせてよくよく観察してみれば、それは白いパンのような何かだ。木製の調理器具で蒸されていたあの肉包みの白いパン―――――もとい、肉まんとかいう食べ物。
眼球だけを動かせば、隣に立っているセスが見える。無言でずいっとこちらの口元に肉まんを差し出している姿は威圧感ばりばりで異様だが、その目に宿した感情については随分と分かりやすかった―――――テメェ、マジで鶏肉揚げ食い尽くす気か。ざけんなコラ、と険悪な目が獲物の独占禁止を主張している。言葉による牽制でも実力行使による強奪でもなく、ただ交換だといわんばかりに肉まんを私の視界に捩じ込むその無駄のない手腕は気に入った。
かぷ、と差し出された肉まんに齧り付く先を変更する。一方で、串にぶっ刺した揚げ肉はそのままセスの口に突っ込んだ。察しが良い三白眼は串ごと噛んで持って行ってくれた(余談だが串はもう一本ある)ので、フリーになった手で肉まんを支えてもぐもぐぱくぱくと齧り取っていく。
「むむむ」
んぐんぐ、と口一杯に頬張ったのは柔らかくて軽い、それこそ白パンとはまるで違う柔らかさを持った新しい食感の何かだ。パンより口の中がぼそぼそしない。蒸してあるせいかしんなりと柔らかく、ほんの僅かに甘いと感じるだけであとは大した特徴もない。揚げ肉で脂っぽくなった口の中にはとても優しく感じられたが、しかし中身に行き当たった瞬間その認識は吹っ飛んだ。ストレートに言うと豚さん美味しい。
「誤解です、おねえさま!」
「しつこい! 脳味噌に花を寄生させているような雌豚に『おねえさま』などと呼ばれる筋合いなどないわ!」
「ひ、ひどい、ひどいわ! いくらなんでもあんまりよ! さっきから雌豚雌豚って、おねえさまの品性を疑います!!!」
主体は豚さん。薄切りにしたお肉よりずっと咀嚼が楽だった。たぶん一度挽肉にした上で野菜と一緒に練り込んで、分厚く作った白い皮にくるりと包んで蒸し上げている。揚げ肉のような肉の塊とは違い勢い良く食べ進めることが出来るが、外側の白い皮にもなかなかのボリュームがあるので質量的にはこちらが勝るかもしれない。単調なようで飽きの来ない味。食材のエキスを濃縮したスープもかくやの汁たっぷり、溢れてしまいそうなのがもったいないからこぼれないように注意して飲んだ。割と熱いけど美味しいからいける。
「肉まん美味しい」
「鶏肉揚げ美味ェ」
「お前ら二人だけ屋台飯満喫してないでそろそろ私にも分けてくんない!?」
「「やらん」」
「嘘でしょ!? スポンサーことフローレンの『代金はこちらで持ちますのであの馬鹿とランチをご一緒して差し上げて?』っていう依頼に抵触するようなこと言っちゃう!?」
「じゃぁ一個だけやるよ王子様」
「一つだけだからなレオニール」
「わぁい、ぶっちゃけホントにくれるとは夢にも思ってなかったぞう。リューリ・ベルもセスも優しいなぁ」
「知ってはいたけどメンタル強度が近頃本気でやべぇなこいつ」
心の底から衒いなく朗らかに言い切りやがったぞ、とドン引きも露わに呟くセス。ほらよ、と若干引き気味ながらもきちんと肉まんを渡してやるあたりが律儀だ。口にした言葉は守らなければ、と王子様にくれてやるべく肉まんを銜えて揚げ肉をぷすりと串で刺した直後、割と聞き捨てならない類の罵倒が私の鼓膜を強めに揺らした。
「品性を疑うとはよくもまぁ―――――ねぇ、ブリアナ・ファリントン。威勢のいいセリフを吐く前に、自分のだらしない体型を姿見で確認したらどう? 昔うちの弟を『子豚坊ちゃん』なんて馬鹿にしていたという割に、今となってはお前の方が豚みたいに肥え太っているじゃない! そんな醜い雌豚風情がいくら可愛い子ぶったところで靡く男がいるものですか! 浅ましくエサを貪ってぶくぶく太るしか能のない豚が、豚なら豚らしく小汚い姿で卑しくぶひぶひと豚舎で鳴いていなさい!!!」
「は? おいこら今豚さんを悪く言ったのはどこのどいつだ前に出ろ」
王子様に揚げ肉を渡して再び肉まんを手に持った私の口から、思った以上に低い声が強い語調で滑り落ちる。喧騒が僅かに遠退いて、密閉空間でもない屋外でみしりと空気が張り詰めた。
「おーっと、ここでまさかのリューリ・ベル! 豚さんに対する暴言にカチギレとは誰が予想し得ただろうか!!!」
喧しいぞ王子様。ノリノリで実況し始めるんじゃねぇよ。揚げ肉食べたんなら串返せ。しかし今はこのノリのいい馬鹿より見据えるべき相手が別に居る。
片手に揚げ肉入り紙コップ、反対の手に食べかけの肉まんを装備した私の目に射抜かれた女生徒―――おそらくはうだうだ男女の男子の方の姉―――が、びくりと痩身を震わせた。予想外のところから叩き付けられた怒気に驚いたのか慄いたのか、怒鳴り散らして血が昇っていた頬の紅潮があっという間に引いていく。
「ご、誤解ですのよ、リューリ・ベルさん。私が悪し様に罵ったのはこの恥知らずな女であって、けしてその、ぶ………豚さんを馬鹿にしたわけでは」
「浅ましくエサを貪ってぶくぶく太るしか能のない豚、という発言については明らかに豚さんという一種族に対する暴言だと思うわけなんだがそこについては?」
「切り込み方が思ったより冷静」
「しかもぐうの音も出ねぇ指摘」
両サイドから淡々とコメントを寄越してくる王子様とセスだがお前ら呑気してないでちゃんと怒れよ大事だろここ。なんで二人して「まさか豚を擁護するためにこいつが立ち上がるとは思わんかった」みたいな顔してんだよ。私たちが今いただいているのは何だ。肉まんだろ。つまり豚さんだろ―――――こんなに美味しい肉まんになってお腹も心も満たしてくれる豚さんへの悪口は許さんぞ! まぁ豚さんに限った話でなく鶏さんでも牛さんでもその他食材の皆さんでも許さないんだけどな全面的に!!!
「よ、妖精さん………! まさかあなたが私を助けてくれるなんて………!」
「いやお前については何一つとして興味がないしどうでもいい。ただ豚さんへの悪口だけは断固として可及的速やかに撤回させたい」
真顔で一息に言い切ったらうだうだ男女の女子の方ことぶりっこが顔を顰めていたがどうでもいいので無視しておいた。というかお前のせいで豚さんが悪く言われたので責任持って名誉回復に努めろと思う。いや、ホントに。
「いいか、よく聞け勘違いお嬢さん。そもそも豚舎の豚さんがたくさん食べるのは主に私たちのためだ。あれは太っているんじゃない、私たち人間に食べられるためにたくさん食べて体重を増やしてくれている。こちらで言うところの『家畜』の役割をまっとうしてくれているだけだ。畜産に携わるプロの皆さんがどんな気持ちで豚さんたちの世話をしているのか分かってるのか、見た目肉質肉付き具合に脂肪の量に体重までチェックして細かく等級分けされてるんだぞこの“王国”の豚さんは! 愛情たっぷりに育てた豚さんが少しでも高く評価してもらえるようおはようからおやすみまで徹底的に管理飼育してくれてるプロ畜産家の皆さんの前でもう一度『浅ましくエサを貪ってぶくぶく太るしか能のない豚』だなんて言ってみろ非人間みたいな目で見られるぞ!!!!!」
「おいリューリ、テメェなんでこっちの畜産系にそんな造詣深ェんだよ錬金術科で習う知識じゃねぇだろそれ」
「農業科のプロ農民さんとかプロ畜産家さんとかがすごく丁寧に教えてくれたぞ」
「ああこれフローレンが把握してた以上に好かれてるやつだ間違いない」
ファンクラブの内訳見るとぶっちぎりで農業科が多いからなぁ。しみじみとぼやく王子様だが「ファンクラブの内訳」とやらについては面倒臭いので触れない方向。
「それに豚さんは綺麗好きだ。ついでに言えばプロの皆さんが日夜真心を込めて掃除に勤しんでくれてるから“学園”の豚舎はピッカピカだぞ。こないだ見学させてもらったから知ってる。小汚いとかそんなことはない。豚さんの逞しい生命力に起因する諸々でそんなイメージが定着しているのが不満でならない、と熱く語ってくれた豚舎担当のプロ畜産家各位の魂のメッセージをどうかそのまま受け止めて欲しい。貴族のお嬢さんは豚舎なんかそりゃまぁ見たことないだろうけど、プロの仕事にイメージでケチつけるような発言は聞いててあんまり気分良くないぞ」
ギャラリーの一部が涙ぐんでる。たぶん農業科の皆さんだろう、いつの間にか囲まれているパターンにはもういい加減慣れたけれど、感極まった様子でしきりに頷いたり力強く腕を突き上げたりしているあたり先程の豚さんに対する暴言に思うところがあったに違いない。心中お察し申し上げます。丹精込めて世話してる家畜さんたちがイメージだけで悪く言われてたら悲しくなるし嫌だよな。美味しいのに。
こちらの主張を後押しするよう、何人かの見物客に非人間を見るような眼差しを向けられたお嬢さんはあわわわ、と顔色を悪くしていた。
「すみませんごめんなさい豚さんを貶める意図はなかったんです本当なんですぅぅぅ!」
「あーら、おねえさま! 私を雌豚呼ばわりしたばっかりに妖精さんのご不興を買うなんて、日頃の行いが悪いんじゃないですかぁ!?」
潔い謝罪を述べたお嬢さんはいいとして、その横で調子に乗って高笑いをしているぶりっこが不愉快に甲高い声でここぞとばかりに言い返している。そのふくよかな肉付きを見て、肉まんをもぐもぐ齧りつつ物はついで感覚で補足した。
王国民はどうして太っている人を“豚”だと指差して嘲るのか、心底分からんと思いつつ。
「ああ、それと。お嬢さんが雌豚呼ばわりしてたそっちのぶりっこは見た感じ豚さんなんかじゃないぞ―――――たぶんだけど豚さんの方が痩せてる」
「え」
「はぁ?」
雌豚じゃない、という私の発言を受けて、夢見るお花畑よろしく頬を赤らめ期待に満ちた目を向けてきたぶりっこの声が引っ繰り返る。すっかり白くなってしまった顔をぽかんとさせながらこちらを見るのんびりや男子の姉の勘違いを親切心から正すべく、世間話の延長のノリでさらっと教わった知識を伝えた。
「いや、こっちには体脂肪率っていうのがあるだろう? 体重の中の脂肪の割合ってやつ。パーセンテージで言うと豚さんの体脂肪率は下が大体十四とか十五パーセントで上が二十パーセント行かないらしいんだけど、人間の場合は年齢差で多少の違いが出ても標準値は確実に豚さんより多いんだと。特に女性は人体の構造上成長するにつれて普通に二十パーセント超えするらしいから―――――肥満気味だとか太ってる人に対する蔑称で相手のこと『豚』って言う人含め、ぶっちゃけ人間のほとんどは豚さんよりずっと豚ってことになるのになんでブタブタ言ってるのかが不思議で不思議でしょーがない、って同じ“王国民”のチビちゃんが言ってた」
「あんまり世間に浸透してない豚さんの真実を把握している上にパーセンテージまで使いこなして理路整然と説明するとは本気で何者なんだ宿屋のチビちゃんホントに宿屋の“チビ”ちゃんなの!?」
「愛読書の恋愛小説系でやたらと多い表現だから気になっていろいろ調べたらしいぞ」
「すごい勉強熱心さんだった!」
えらい! と宿屋のチビちゃんの勤勉さを手放しで褒め称える王子様。ツッコミを放棄したらしいセスが横から揚げ肉を攫って行った。同時に二個も取ってんじゃねぇよ。
「豚より豚………」
「豚さんの方が………人間より痩せてる………」
ぶりっこ及びのんびりや男子の姉が揃って打ちひしがれている。余談だがギャラリーの何名かも胸を押さえて蹲っていた。中には「決めました、あたし、まずはブタさんになります」と固い決意を宿した顔で宣誓している女子生徒さえいる。拍手と歓声が上がっていた。
「まさかナチュラルに『豚を目指す会』が発足するとは思いも寄らない」
「予想できるかこんなモン」
遠い目をしてそんなコメントをひっそりと言い合っている王子様とセスに挟まれて、完食した肉まんをおかわりすべく三白眼が持っていた紙袋に手を突っ込みながら代替案を告げておいた。
「それとな、チビちゃんと一緒に動物図鑑とかいろいろ漁って調べた結果、一番体脂肪率が高いやつは海獣類ってことになったから。罵倒目的で使うなら『この海獣類!』って言った方が意味合い的にはよっぽど酷いぞ。うろ覚えだけど体脂肪率四十パーだか五十パーだかそのへんらしいからな」
「ほう。ちなみにリューリ・ベル、海獣類って具体的には?」
「チビちゃんは『のざらし』って言ってたぞ」
「野生生物の悉くは基本的に野晒し状態で生きてはいるがそういう意味ではないとみた」
「それ語感的にアザラシとかじゃねぇの?」
「あ。たぶんセスが言ったやつで合ってる」
「いやなんでそこまで憶えてるのに『アザラシ』が出て来ないのお前!?」
五月蠅ぇな王子様。ど忘れ的な何かだよ。というか図鑑で見て思ったんだが王国で言うところのアザラシとやらは“北”にも居ることは居たけれど、なんかもう別物みたいな感じだったぞ。あんな可愛く丸っこいフォルムしてなかった。もっとごつくてもっと危ない気性の激しいやつらだったぞ。肉とか脂とかいっぱい採れるからすごい助かりはしたけれど、割と気合い入れて挑まないと平気でぶっ潰されて死ぬ程度にはでかくて強いアザラシ(たぶん)だったもんなぁ。氷海の生き物だけあって皮も脂肪も厚いんだよあいつら。そういやそろそろ恵みの大海獣がやって来るかもしれない時期だけど、今回は無事に獲れたんだろうか。温厚だけどとにかくでかくて仕留めたあとの陸揚げと解体処理が大変なんだよな―――――などと、懐かしい故郷に思いを馳せながら肉まんをもむもむと食む私だった。
「アザラシ………」
「雌豚じゃなくてアザラシ………このアザラシ………? 罵倒にならないのでは………」
「アザラシは確かに可愛い系だけど『このデブ』の意味で使われるとすごい微妙………」
渦中の女生徒二人のみならず、ギャラリーの中の女性陣がひそひそと囁き合っている。アザラシさんの認知度は“学園”でもなかなかのものらしい。王子様が小さく呟いた。
「うーむ、豚さんを擁護した代わりにアザラシさんの可愛らしさに一石を投じてしまった気がする」
「なんでだ? 別に体脂肪率が高かろうが低かろうがアザラシさんはアザラシさんだし豚さんは豚さんでしかないだろ。海獣類は生きてく環境に適応してそういう身体になっただけであって、種として試行錯誤の末に辿り着いた進化の結果が今だぞ。太ってる太ってないなんて気にするのは人間くらいのモンなんだから、そもそも動物さん引き合いに出さなきゃいいだけの話だと思うんだけど」
そもそもそこまで体型を気にする風潮が分からん。
正直に根本的な疑問を投げれば、そりゃそうだよなぁみたいな目が両サイドから向けられた。王子様は私の全身を上から下までざっと見て、反対側に立っていたセスは私がキープして離さない揚げ肉入りの紙コップを見ている。お前肉まんめちゃくちゃ食べただろこの上さらに揚げ肉狙ってんじゃねぇよ。
「聞くまでもないかもしれないが、一応確認しておくぞう―――――お前たち“北の民”にとって体型はさしたる問題じゃないのか?」
「問題じゃないというか、まず問題にならないな。極端に言えば太ってようが痩せてようが死ぬときはあっさり死ぬだろ的な感じだ。北境の町の学者さんだか何だかは『北の民はもしかしたら身体構造や保有免疫などが我々王国民とはまったく異なる進化を遂げている可能性が』どうのこうのって言ってたけどそれに関してはよく分からん。でもまぁ私の主観で言う限り、例えばこっちのお嬢さん方は絶対あっちじゃ生きてけないと思うぞ。フローレンさんとかほっそりしてるからたぶん二日ももたないんじゃないか?」
「逆に言えば丸一日くらいは華奢な王国民でももつのかー………」
「時期的なモンもあるから一概にそうとは言えないけどな。場所によっては慣れてないと最悪一時間で肺凍るし」
「ねぇお前の故郷の“北の辺境”ってホントどういうところなの? うかうか呼吸も出来なくない?」
「肺が凍る頃にはそもそも呼吸止まってるていうかぶっちゃけ死んでるような状態だから大丈夫だぞ。外側が末端から凍っていこうが意外と血は巡ってるし呼吸も出来る―――――死んだ方がましかな、ってくらいしんどいけど」
「何一つとして大丈夫と言えるポジティブな要素が見当たらない! なんだってそんな斜め上のブラックジョークみたいな回答を平然とぶっ込んで来るわけお前は!?」
「いや、そこは『フローレンを“北”にやるわけないだろう』みたいな発言が来るかなと思ってたのにまさか逆説的に丸一日ならいけるんだな的な納得をしやがったところが引っ掛かったというかなんというか」
「なるほど。それならしょうがない!」
「勢い良く納得してんじゃねぇわボケ」
だらだらと雑談に興じていた私たち三人はさておき、勝手に集ってきた周囲の観客の一部から「よしきた末っ子ちゃんお母さん大好き設定追加ァ!!!」と狂乱気味の声が聞こえて来たのだが彼ら彼女らは一体何を期待して未だこの場に留まるのだろう。
なんでこうなっているのかすら既に忘却の彼方だったが、二個目の肉まん―――最初に食べた肉まんとは違って野菜が主体だったのか、ざく切り野菜のしゃくしゃくした食感と噛んだ瞬間僅かに滴る肉汁とは別種の瑞々しさが印象的な仕上がりだった―――をぺろりと平らげたところで、残り二個しかない揚げ肉をセスに強奪される前に王子様から返却された串でぶすぶすっと続けて刺す。
そういや揚げ肉で思い出した―――――のんびりやさんの男子、さっきから全然気配がないけどお姉さんと幼馴染放置してあいつは何処行ったんだ?
「姉上もブリアナも、喧嘩する意欲が無くなったところで揚げ肉でもどうですかぁ? リューリ嬢や殿下方を見ていたら肉まんも食べたくなったので、三人分買って来ましたよぉ」
「オーガスタス………元はと言えば貴方がしっかりしていれば、そんなのほほほほーんとしてないでこの雌豚………あざらし………ブリアナの誘惑を自力で跳ね除けていれば、私とて公衆の面前でこんな無様を晒さず済んだものを………」
「はて? 誘惑とは、何のことでしょう? 私はただブリアナが一緒に食事をしようというので、昔のよしみで了承しただけですよぉ?」
「「………え」」
のほほほほーん、とそんなことを笑顔で言ってのけてしまうのんびりやさんの男子である。打ちひしがれていた女生徒二人の目が点になった。先程までけたたましく争っていたとは思えない、とても似通った微妙な表情を浮かべていた。
珍しいパターンの気配がしたのでたまには観客になってみようかと串に刺した揚げ肉をその場で齧る。私の二個取りに気付いたセスが、低く唸って紙袋の中から肉まんを二個取り出してなんと無言で同時食いを始めた。待てこら。
「それはずるくないかセス」
「テメェが言うなリューリ」
しばし睨みあったのち、どちらともなく視線を戻す。揚げ肉も肉まんも本当に一個ずつしかもらえなかった王子様が抗議の声を上げたがそこに関しては私もセスも無視した。
「婚約が白紙になった件については私個人ブリアナのことを『幼馴染の友人』としか思ってなかったので大して気にしてませんし、今は標準体型とは言え幼少期の自分が小太りしていたのはただの事実ですし、彼女の実家の都合もまぁ知らないわけではないですし………久々に話し掛けられたと思ったらどうもお腹が空いていそうだったので、幼馴染としてご飯くらいは奢ってあげようかなぁと思いましたが、それだけですよぉ」
「た………ただの親切心だか同情心だかで私と一緒に居たっていうんですか!? 好意的に異性として見てたからとかそういう恋愛的な理由じゃなくて!?」
「あれぇ? 私、ブリアナにそういう意味で好意的なこと言ってたっけ?」
はい、と言ってのんびりと揚げ肉の紙コップをぶりっこに差し出すのんびりやさんの独特のテンポに、その場に集ったほとんどの人間は形容し難い顔をしていた。思い返してみればこの男子、鶏肉揚げの屋台の前でうだうだしていた遣り取りの時点で相手に好意的だとにおわせるような発言はしていなかったような気もする。
「この通り私はのんびりしていますので、鶏肉揚げを購入する際は後ろで待っている方々に大変ご迷惑をおかけしてしまいましたが………正直、ブリアナとの件につきましてはとある分野にて有名なリューリ嬢にお時間をいただくようなことではないと断言させていただきます―――――申し遅れましたが私も会員ですので。二百九十番でございます」
なんて? あといきなり滑舌良くなったの何で?
「おっとここへ来て衝撃の事実」
「ギャラリーどもの態度と目線が途端に和らいでて笑う」
真顔でそんな実況解説をしている王子様とセスに挟まれて「お騒がせしております、二百九十番です」と丁寧に腰を折っているのんびりやさんに頭痛を覚える。ちょっと理解が追い付かないですね。
「何の番号なんだ。そしてなんで三桁なんだ」
「お前らしく真理の扉を蹴破ってもいいが正直オススメはしかねるぞう」
何を知ってるんだ王子様。そろそろ腹を括って真剣に問い質すべきかチーム・フローレン及び首魁のフローレン嬢。なにこれ、という気分で仰いだ空にはぷかぷかと雲が浮いていた。平和だなぁ。
「………要するに、はやとちりで、こんなダメージを食らったんですの、私たちは」
「そんなぁ………」
がっくりと項垂れている身内の女子二人の肩を叩き、方々に頭を下げながら撤収していくのんびりやさん改め二百九十番とやらは「いやぁ、間近でいいものを見させてもらってありがとうブリアナ。感謝します姉上」などと非常に能天気な感謝を述べていた。なにこれ。
ざわざわしながら解散していく野次馬どもが鶏肉揚げと肉まんの屋台に流れていくのを眺めつつ、買った品物を食べ尽くした私とセスにすかさず王子様が号令をかける。
「リューリ・ベルとセスの食いっぷりに釣られて皆一様に揚げ肉と肉まんに気を取られているな―――――よし、今のうちに空いてる屋台飯を買いに行くぞうお前たち! さっき注文しておいたカレーとチーズナンとサモサのセットもそろそろ出来上がっている筈だ! なんやかんやグダグダしてもお昼休みはまだ残っている!!!」
おお、素晴らしく良いこと言ったな。王子様にしては珍しい。
セスも異論はなかったらしく、特に文句も何も言わずに幼馴染の後に続いて行った。私も私で異論はない。だってまだお腹は空いている。鶏さんと豚さんはいただいたので次は牛さんあたりを食べたい―――――どうせ王国では無理だろうけど、食堂のおばちゃんの味付けで海獣類も食べてみたかったなぁ。流石に出来っこないけれど。
夢を描いて即座に投げて飄々と肩を竦めて前へ、サモサって初めて聞いたなどんな料理かなぁ、と呑気に心を躍らせて、軽やかに一歩を踏み出した。カレーは選べるなら牛さんの気分。
お肉美味しい、というIQ3くらいの知能で書いたので、どうかありとあらゆる意味でご寛恕いただきたく候。
前回に引き続き目が滑ったであろうボリュームにも関わらず、見捨てずここまで辿り着いてくださった偉大なる読者様方に感謝を。