8.ミンチになる覚悟はよろしいか
気付けば(中身を)詰め込み過ぎていました申し訳ありません、という陳謝。
分割するところに迷ったためにそのまま投稿しております。端的に言うとすごく長い。睡眠時間を圧迫すること請け合いですのでご注意ください。
(尋常でなく目が滑るかとは思いますが、見捨てず最後までお付き合いいただけますと望外の喜び)
「レディース・アンド・ジェントルメン! おめでとう、凄まじい競争率を強運のみで勝ち抜いて今この場に集う権利を得た本日の幸運少年少女諸君!!! そして有志のボランティア各位! 時間が来たので始めるぞ! 歓談相談雑談を一旦止めて、はい、注目!」
それは、がやがやと賑やかしい場所においても非常によく通る声だった。滑舌だって申し分ない。聞き取りやすく、分かりやすく、誰の耳にもちゃんと届く不快でない程度の強さを持った、随分とノリのいい呼び掛け。
ぴたり、とすぐさま収束したざわめきに満足そうな首肯をひとつ、呼び掛けを行った張本人は晴れやかに素直な感謝を述べた。
「―――――よし、皆の協力に感謝する」
ちょっと眩暈がしそうなくらい集まった観衆を前にして、妙な金属製の筒を口元にあてた王子様の背はひたすらに真っ直ぐ伸びている。注がれる視線に身動ぎひとつすることなく、威風堂々を絵に描いたような当たり前さで言葉を紡いでいく様はまさに“王子様”だった。傍らに控えるフローレン嬢の横顔も、心なしかちょっぴり満足気である―――――私の目はたぶん死んでるけれど。
「さて、開催宣言をする前に主催から注意事項を少々。今回の“イベント”において、観覧席のギャラリーは“イベント”が終わるまで原則席を立ったり出来ない。但し、急に気分が悪くなった者、なんらかの事情により退場したくなった者など、止むを得ない理由がある場合は取り返しがつかなくなる前に挙手で申し出るように。近場のスタッフが対応しよう。赤い腕章が目印だ。警備員も兼ねているので、迷惑行為と思しき残念な行動を目撃したなどの通報系も遠慮なく言い付けてもらって結構」
受け手側が聞き取りやすい声量と速度で必要事項を諳んじつつ、きびきびと食堂内に散らばっている赤い腕章の生徒たちを指し示していく王子様だが私の目はやっぱり死んでいる。理由は単純明快だった。時刻的にはお昼の時間、とどのつまりはランチタイム。喜び勇んでメニューを選び、食堂のおばちゃんの美味しい料理にひたすら舌鼓を打つ至福の時間―――――なのに、見慣れた食堂は、今日に限って見慣れない。
そう、ここは食堂である。
けれど私は断固として、ここを食堂とは思いたくない。お馴染みの配列で並んでいた筈のテーブルと椅子の悉くを片付けてつくった広い中央スペースを、ぐるりと遠巻きに取り囲むよう展開しているのは講堂を思わせる座席群である。鉄棒を器用に組んで固定してあるらしい足場に木製の板を張り、その上に椅子をずらずらと並べて少しでも多くの観客を座らせられるように工夫したえらく立体的な構造。ちなみに座席は三段目まであった。何人座っているのかはもう馬鹿馬鹿しくて数えていないがとにかく大掛かりな設備だと思う。元から大人数を収容するための広さを備えた食堂に、そんなもんが展開している。昨日までは無かった。繰り返す。昨日までは絶対に無かった。
「来場者特典の限定ランチパックセットは全員の手元に届いているか? まだの場合は今直ぐ挙手を―――――大丈夫だな? 不足も不備もないな? よし、各自好きなタイミングで自由に食べて構わない。それに関しての指定はない。近隣席の迷惑にならない限り飲食は自由だ。但し、全員承知の通りテーブルはないので各々工夫して器用に食事をするように」
冗談めかした王子様の発言に、どっと会場に笑いが起きる。王国民のセンスは分からん。私の目がますます死んでいく―――――というか、着々と据わっていく。自分を取り囲むように展開された観客席に座っている生徒たちに等しく配られたという食堂の“イベント”限定ランチパックセット、どうして私の分は無いんだ。
おなかすいた。
「繰り返すが、事前に告知していた観覧におけるマナーとルールは何があっても遵守する方向で―――――破るとフローレンが怖いぞう。マジで」
「殿下」
「ははははは。ほーら、こんな感じですごく怖い」
婚約者令嬢の艶やかな笑顔の圧に屈することなく冗談めかした王子様だが、たぶん内心ではごめんなさいと平謝りに違いない。エンターテイナーに徹せよと事前に申し渡されていたのか観客を楽しませようという気概こそは立派だが、そんなことしなくてもお前はただそこに居るだけで何もかもがギャグ扱いだよと思う。私は何を言っているんだろう。おなかすいた。そう。私はお腹が空いた。
そもそも―――――どうして今日、食堂は貸し切りなんだろう。
決まっている。フローレン嬢と王子様が率先して貸し切りにしたからだ。教えてもらったから知っている。この場に居ない―――抽選とやらが外れて入れなかったらしい―――生徒たちには臨時に拡張した購買店舗でいろんなパンを売っているそうだ。正直私も買いに行きたい。おなかすいた。おなかすいた。お腹が空いてもう飽きた。ねぇもう全部放り出して私もパン買いに行っていい?
「殿下。時間は押していませんが、諸々巻いてくださいまし―――――リューリさんが飽きておいでです。かなり」
「早ッ!? リューリ・ベル堪え性無さ過ぎじゃない!? さっき繋ぎにビスケットあげてからまだ五分と経ってないじゃん!?!?」
「あんなビスケット十枚程度でランチタイムを前にした彼女が大人しくなるとお思いで? 五分堪えて大人しく座って待ってくれているだけで重畳とするべきでしょう」
しれっと真顔で呟くが早いか、フローレン嬢の合図とともに何処からともなく現れたチーム・フローレンのお嬢さんもとい十二番さんがそっと横から差し出してくれたのは揚げ芋入りの紙袋である。前に王子様を吊った時にランチパックセットで見たあれだ。無言のまま目礼で受け取って、塩を落としてから袋を振った。お腹が空いていようとも、しゃかしゃか振るのを怠ってはならない。それは揚げ芋への冒涜なので。
「ああ………なんていうかもう完全にアレ………テーマパークに飽きちゃった幼児にとりあえず食べ物を与えて機嫌を持ち直させようとする休日の仲良し夫婦では………?」
「とうとい………とうとい………」
「真顔なのにめっちゃ楽しそうに紙袋ひたすらしゃかしゃかしてる………おばあちゃん、妖精さんは実在したよ………」
「フローレン様の慈愛に満ちた優し気な眼差しとかレアリティがカンストしてて死ぬ」
「次期国王夫妻に妖精さんコンボで心臓が今にも止まりそうなのにこの場を離れたくなくてスタッフを呼ぶ決心がつかない」
「安心しろスタッフも致命傷だ………なにひとつ安心出来ないけど安心しろ………」
「なんでスケッチブック持って来なかったんだ俺の馬鹿………」
「黙って網膜に焼き付けなさいよ私たちが記録媒体になるんだよ………」
さざめく人々のよく分からない発言についてはすべて全力でスルーした。そんなことより揚げ芋食べたい。しゃかしゃか振ってしっかり塩をまんべんなく行き渡らせたところで、袋からひょいひょいと抓み上げては口の中に放り込んでいく。美味しい。
「よし、危機は一応脱したっぽいが見ての通り予断を許さない状況なのでそのあたりはまぁ察してくれ! 堅苦しい挨拶は誰にとっても不要だろう、なのでダイナミックに端折ってさっさと本題に入るぞう―――――突発イベント改め『リューリ・ベルと美味しいセレクト・ランチ』、ここに堂々開幕だー!!!」
わぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!
何そのアホみたいなイベント名、という私のツッコミは歓声に掻き消されてしまった。こちらの冷めた心境に対して会場(食堂)はどこまでも過熱していく。なにこの熱気。揚げ芋より熱くない?
「はい。他の誰でもないリューリ・ベルのために説明するので、揚げ芋食べながらでいいからちょっと私の話を聞こうなー」
普通の音量でそう言ってきた王子様の台詞がギャラリー各位の熱狂的大音量に遮られなかったのは、小さく右手を下げる仕草だけで熱狂した観客を鎮めたフローレン嬢の功績が大きい。ていうかなにそれすごくない? 鎮まれ、って右手下げるだけでホントに静かにさせちゃうのは一体どういう原理なんだ。人徳なのか恐怖政治なのかいまいち判断がつかないな。
あと王子様も王子様で何「フローレンならそれくらい出来る」くらいの当たり前さで話進めようとしてんの? 一度は婚約破棄騒動にまで発展しといてなにその連携。意思の疎通とかどうなってるんだ。打ち合わせも無くどうやったんだ。超音波でも出してんの?
揚げ芋をもぐもぐ齧りつつ、ちょっぴり戦慄したのは内緒である。
「説明、と言っても昨日ざっと話した通り大して難しくはないんだが―――――今から始めるのは馬鹿馬鹿しいくらい平和的に優劣を競おうという試みだ。分かりやすいかたちで手っ取り早く勝敗を決めようという催しだ。参加者は二人、勝者は一人、対決方法は至ってシンプルに『リューリ・ベルを審査員として、彼女が食べたいと思うであろうランチを用意した方の勝ち』―――――要するに、お前は今から出て来る二つのメニューのうちの食べたい方を食べればいい。両方とも食堂のおばちゃんたちが作ってくれた料理だから味の保証はするまでもないな? ただお前が『食べたい』と思った方を食べてくれ。ただし、どちらか一方しか選べないからそこはちゃんとそのつもりでな?」
「選ばれなかった方はどうなるんだ?」
「スタッフがあとで美味しくいただく。絶対に無駄にすることはない」
「ならいい。分かった。ランチにしよう」
ぱぁん、とからっぽになった揚げ芋の袋を両手で叩き潰して折り折りして圧縮する私をどこか遠い目で見詰めつつ「もう食べ終わっちゃったかー………」と力無く呟く王子様。小さくまとめた揚げ芋の空き袋、もといゴミをさりげなく回収してくれる十二番さんへのお礼もそこそこに顔を上げた私は、その場でざっと周囲を確認してから首を傾げた。
「で、肝心のメニューはどこにあるんだ?」
「それは今から持って来るんだ―――――ちなみにそれぞれプレゼンがある」
「プレゼン? プレゼント、の略かなんかか? ランチ代奢りってそういうこと?」
「惜しい。お前の今日のランチ代は確かに奢りなんだけど、この場合はプレゼントの略じゃないなー。正しくは『プレゼンテーション』だ。情報の発表、伝達、共有などなど………要するに、聞き手に情報を提示して理解を得ようとするための手段をそう呼ぶ」
「へー。分からん」
「ざっくり申し上げますと―――――こっちの料理はこういう品揃えでここが特にすごいので是非とも選んでくださいね、というアピールタイムがそれぞれ一回ずつあります」
「なるほど。すごく分かりやすい。そういうことならちゃんと聞く」
「説明に無駄がない上にこのフリーダムの塊が話を聞く姿勢になるあたり流石だなぁ、フローレン」
「感心してないで早々に進行なさいまし馬鹿王子」
「はい。怒られたので大人しく司会進行の続きをしよう! まずは先攻! プレゼン担当は『教養科』所属のピエリック・ダマーズ!!!」
急に声を張った王子様の流れるような言い回しに、観客席から拍手が起こる。それに合わせてドヤ顔で、完璧に浸っている顔で優雅にその場に現れたのはいつか私に言い寄って来た話を聞かない系の恋愛脳男子だった。とてもうざったかったので未だ記憶にこびり付いている。そのしつこさたるや油汚れの域だ。
「えー、本日は不肖このピエリック・ダマーズのために素晴らしい対決の舞台を設けていただきまことにありが」
「一度だけ言うぞピエリック。そういうさして中身の詰まってない長ったらしい口上は一切挟まず巻いていけ。お昼休みは有限なんだから無駄な尺を取るんじゃない。むしろ料理のプレゼンだけしなさい。せっかくのランチが冷めちゃうから」
「なんと! それは些か横暴ではありませんか殿下!? まずはきちんと名乗りを上げ列席者に感謝を述べてこ」
「登場だけで時間が押しています。巻いてくださいまし」
「タイムキーパー兼スポンサー兼アドバイザー兼主催者兼責任者兼その他諸々を一任しているうちの婚約者から冷静な指摘が入ったのでいいからさっさとプレゼンに移れ―――――ほらもう! グダグダ言ってるからリューリ・ベルの機嫌が目に見えて酷いことに!」
私が怒られちゃうでしょうが! と金属製の円錐筒(たぶん拡声用の道具だろう)をずびし、と恋愛脳に突き付けて一喝する王子様を横目にお腹が空いたなぁと凄む私だ。
はよしろ、との空気を察したのか、コホンと軽く咳払いしたピエリックは仰々しい仕草で一礼してから傍らの手押し式台車―――確かワゴンとかいうやつ―――を指し示した。ちなみに、恋愛脳の入場に合わせてワゴンを押して来てくれたのは赤い腕章のスタッフさんである。お昼時にホントお疲れ様です。
「本日、僕が自信を持って愛しのリューリ嬢にお届けするのはこちら! 見て良し食べて良しの美しくも美味なる食堂謹製一級料理の饗宴、贅を尽くしたフルコース・ランチでございます!!!」
いちいち台詞が大袈裟でやたらと回りくどいのは何故だ。そういう喋り方してないと息が出来ない奇病か何かか。半分以上聞き流しながら、既に現物を視界におさめるべくワゴンにのみ意識を向ける私である。馬鹿とご飯の間には到底越えられない壁があると知れ。
さて、大まかに見たところ―――――とにかく食器と品数が多い。一口ずつ分しかなさそうな種類の違う料理が見目の良い間隔をあけた配置で大皿にまとめられた前菜、カゴの中には拳大のパンが二つ、別皿には派手な色の野菜がサーモンのカルパッチョと共に盛られ、スープ、魚料理に肉料理、「また会いましたね」と言わんばかりに存在感を放つロブスター、デザートには大きなケーキに加えて可愛らしいサイズの焼き菓子が少々。飲み物はお好みで、という配慮からか、コップにグラスに水入りピッチャーにジュースの瓶まで置いてある。ずらっと料理皿の両サイドに並んだナイフとフォークの多さについてはあまり考えないことにした。プレゼン担当者同様にワゴンの上はすごく五月蠅い。主に視覚的な意味で。
「では、リューリ嬢、並びにこの場に集いし皆々様のお耳を少々拝借いたしたく―――――まずご紹介するのはオードブル! ふわふわ卵のミニオムレツに牛カツのスペシャルソース添え、野菜の三色テリーヌにトマトとモッツァレラのカプレーゼ、キッシュは敢えてほうれん草とベーコンという定番中の定番をご用意! パンは高級感溢れる食堂自慢の白パンに豚肉のリエットを付けてお召し上がりください! スープは彼女の瞳のように透き通ったコンソメタイプ! 季節野菜と鶏肉をじっくり煮込んだ深みのあるマリアージュを存分に味わっていただきたい! 彩りサラダは柑橘系ベースのソースとサーモンのカルパッチョで爽やかに! 肉料理は上品な仔羊のロースト! 塩胡椒にミックスしたハーブでラム特有の癖を気にさせない会心にして至高の仕上がり! 魚料理はご存知王道、絶品舌平目のムニエルで! そしてなんと大サービス、今朝方上質なロブスターが入ったとのことでこちらは特別にテルミドールにて提供させていただきます!!! そう! 上質な! ロブスター! あの時君が食べていた、ただ焼いただけのグリルより格段に手間の掛かった一品! クリーム系のソースと香ばしいチーズが織り成す絶妙のハーモニーは必ずお気に召す筈さ!!!」
情報量の多さに押されて観客席一帯がざわめいているが、私の視線はただひたすらにワゴン上で固定されている。だから意味ありげに片目を瞑ってカッコつけてきた恋愛脳男子の姿なんぞには目もくれず、じぃっとワゴンの上だけを見ていた。
「もちろん、デザートにも手抜かりなどないとも! 今回のチョイスはラズベリームースと生クリームのスポンジケーキにガトーショコラの組み合わせ、ダメ押しのクレーム・ブリュレにごろごろフルーツたっぷりゼリーと全方向隙の無い布陣! それでも足りないようであればクッキーとカヌレとフィナンシェとマカロンで優雅に食後のティータイムと洒落込もうじゃないか、もちろん勝利の栄冠を手にしたこの僕と二人仲良くね!!!」
「隙が無い―――――というよりは、節操も無く盛り過ぎなのでは? あれだけ品目が多いとなると『とにかくどれかは刺さるだろ』感がすごい」
「これに関しては珍しく、殿下と同意見ですわねぇ………ええ、あそこまで露骨に並べられるといっそ清々しい限りでしてよ」
大声で自分の用意したフルコースを紹介しつつ浸っている様子の恋愛脳はさておき、のんびりとした王子様とフローレン嬢の遣り取りは一番近くに居た私にしか聞こえていないらしかった。観客席の集団はといえばワゴンの上の料理たちに目を奪われてそれどころではないようで、どよどよざわざわ浮付いた様子で何それが美味しそうだのと好き勝手な感想を口にしている。気持ちは分からないでもない。確かに美味しそうだとは思う―――――が。
「うん。分かった。で? 次は?」
一つ目のメニューは把握したので、もう一つのメニューを出せと促す私の声は淡々としていた。どちらか一方を選べというならそれは二者択一である。王子様の事前説明を聞くに、そういう趣旨である筈だ。二つあるうちの一つを選ぶ。食べたい方を、ただ選ぶ。それを決めるのは私だが―――――もう一方の提示がまだなのだから、選ぼうにも選びようがない。
だったら次を早く出せ。
ただそう主張しただけなのに、進行上は何も間違っていない筈なのに、衆目の中で悦に浸っている様子の恋愛脳男子はやれやれと困ったように大仰に頭を振って見せる。
「何を仰る、リューリ嬢。そんなもの待たずとも良いでしょう? 僕の用意した至高のフルコースが“奴”の考えたメニューに劣るなど万が一にもありえない! 一目見れば分かるでしょう、この一流の食材を活かしたまさに一流に相応しい華々しくも気品に溢れた素晴らしい料理の数々が!!! このフルコースを堪能したいという君の胸の裡など既に僕にはお見通しなのさ、何故なら! 愛しい人のことだから!!! ささ、冷めないうちにどうぞ思う存分味わ」
「台詞がいちいちウゼェし長ェ!!!!!」
それな、と同意しか出来ないツッコミが食堂内を震撼させたが、私は至って平静だった。だってセスが早歩きで恋愛脳に肉薄するのリアルタイムで見えてたからな。驚くようなことでもなかった。
手っ取り早く説明すると、セスが無造作に振るった腕が勝ち誇った男子生徒の横っ面を捉えて綺麗に吹っ飛ばしただけである。なお、恋愛脳の傍らに置いてあったワゴン及びその上の料理には一切の被害が及ばないようちゃんと気を付けて殴ったらしい。台詞の長い馬鹿が倒れ込んだのはワゴンとは真逆の方向だった。ナイス判断。セスのそういうところ嫌いじゃない。
ワァアァァァアァ!!! と、何故か湧き立つギャラリー各位の野太いんだか黄色いんだかよく分からない歓声だか悲鳴だかを適度に耳から締め出して、のんびりと気安い挨拶をひとつ。
「やっほー、セス。機嫌悪いな」
「上機嫌になれる要素がねぇよ」
「実はお腹が空き過ぎて私も大概不機嫌なんだ」
「奇遇じゃねぇかリューリ。俺もだクソッタレ」
やってられっか、と短く吐き捨てたその表情は心底面倒臭そうで、気持ちは痛い程よく分かったがそんな同意を示す前に王子様の声が割り込んだ。
「先攻のピエリックが些か尺を取り過ぎていたので緊急措置で殴り倒して選手交代、後攻、セス! ぶっちゃけスッキリしたよくやった!!! 確かにやたらと台詞が長くてウザかったので武力行使は止むを得ないと満場一致の歓声と拍手が予想外に大きいぞう! 私の声がちょっと負けそう!!! でもプレゼン始まるからトーンダウンなー!!!」
ノリノリじゃねぇかよ王子様。雑にも限度がある司会進行だけどいいのかそれは。フローレン嬢が何も言わないならたぶん問題ないんだろう。どころか彼女、王子様のトーンダウンの要請を受けてまたも右手を下げただけで速やかに観客を鎮めていた。すごい。まじでどうなってるんだ。どうせ考えても分からないのでもうスルーすることにした。考えるだけ無駄なことはさっさと諦めるに限る、とは故郷のじいちゃんの談である。
と、同じく諦めていたらしいセスが、舌打ちの代わりに小さく嘆息して軽く掲げた手を振った。それが合図だったのか、何処からともなく現れたスタッフが滑らかな動作で危なげなくワゴンを押して現れる。金属製のどでかいボウルを引っ繰り返したものに取っ手をつけたような物体が面倒臭そうに持ち上げられて、その下にあった品々が私の目に飛び込んで来た。
「イベント限定ランチパックのたっぷり生ハムとハーブとチーズとその他をしこたま挟んだセサミブレッドサンドに、葉野菜とフライドチキンのタルタルソースサンド」
手短なだけに分かりやすい。それは会場に集まった観客たちに配られた、イベント限定ランチパックセットとまったく同じものだった。食堂のおばちゃんたちが作ったものには違いないのでルール違反にはならない。何より私もそれ食べたい、とさっきからずっと思っていたので地味に嬉しかったりする。
「外の購買でさっき仕入れて来たド定番の三色サンドとデザートのミックスベリーパイ。に、粗挽き胡椒だけで勝負に出たシンプルの極みホットドッグと、シュリンプとアボカドとオニオンのホットサンド塩レモン風味」
購買で売っているベーコンレタスにハムチーズトマトにしっとり玉子の三色サンドもまたハズレがないと評判の食堂発ド定番テイクアウトメニュー。ミックスベリーというからには数種のベリーを配合した甘酸っぱくも奥深い味の香ばしいパイに違いない。流石セス。無類のパイ好きとしての地位を不動のものにしている猛者は日替わり購買の商品チェックも抜かりがなくて手放しで褒め称えるしかない。ソーセージ成型時にハーブを練り込んであるとはいえ、後足しは粗く挽いた胡椒だけで調えたというまさに玄人魂の詰め込まれたホットドッグとさっぱりしたシーフード系サンドのチョイスには率直に言って頭が下がる。
「は………はーっはっはっはっはっは!!!!! なんという! なんという雑さだベッカロッシ! よりにもよって! 何の捻りもない、限定扱いとはいえ観客用のランチパックに購買と変わらないメニューだと!? これでは勝負にすらならない、勝てないと分かっているにしてももう少しくらい足掻いたらどうだ! ふざけるもの大概にするがいい! やはり貴様のような粗暴極まる狂犬にこのような高尚な場などもぎゃひんっ!!!!!」
ばごぉん!
なんだか素敵にいい音した。セスが無言でぶん投げた、どでかい金属製のボウルのような取っ手付きの物体が恋愛脳の顔面を狙い違わず直撃して五月蠅い馬鹿が静かになる。五月蠅ェ、とすら言わずに即刻投げ付けて黙らせたあたり、凶悪な面構えを更に悪化させたセスの不機嫌さがありありと窺えた気がした。
何事も無かったよう装って、しれっとセスは先を続ける。本当に、しれっと。
「―――――と、牛挽肉百パーセントの笑えるサイズのハンバーグ。パンと具材は用意してあるからあとはテメェで好きなモン挟んで好きに食え。以上」
「え。セス、今なんて?」
雑に言い切ってぶん投げたセスに対して声を発したのは王子様であり私ではない―――――当然だ。だって、こっちはそれどころじゃない。
肉が焼ける音がする。じゅぅぅぅ、と美味しそうな気配に反応した私は勢いよくそちらに顔を向けた。赤い腕章のスタッフが、新たなワゴンを押しながらゆっくりとこちらに向かって来ている。
「ああ。これは決まったなぁ」
「ええ、どうやらそのようで」
ぼそ、と小さく呟いた王子様に相槌を打つフローレン嬢の声は、きっとこの場に居る誰にも拾えなかったに違いない。ちなみに私は拾ってこそいたが、意識をそちらに割いていなかったので実質聞いていなかったに等しいためノーカン。
「まぁ、強いて言うなら―――――俺のは、あれがメインだな」
平然とした調子でセスが示したその先にあるのは鉄板と、その上でいい感じに焼けている確かにちょっと笑えるくらいやたらと大きなハンバーグ。直径、分厚さともに申し分ないそれの横に置かれているのはこれまた大きな丸パンで、傍らには用意された小分けの容器にはお野菜各種とトッピングと思しき具材がずらり。とても、たくさん、ずらりずらり。
―――――察した。
私の双眸は今きっと、輝いているに違いない。セスの台詞が鼓膜を揺らす。
「テメェの好きにしていいぞ」
「最高じゃんセスありがとう」
心の底から飛び出た感謝はもはや反射の域だった。お互いの顔を見もしない、どころか二人して同じ方向を注視しながらの遣り取りである。しかしそんなことはどうでもいい。
「よし、そっちのフルコースは食べないのでよろしく頼んだスタッフのひと―――――私はサンドイッチパーティーをする!!!」
しかも自分好みの巨大ハンバーガー作りたい放題だやっとランチだご飯だやったー!
勝敗は決した。即決だった。唐突に思い出した空腹を鎮めるためには食べるしかない。ワゴンの到着を待ちきれない私が軽やかに駆け出したその瞬間、王子様のノリの良い声が食堂内の空気という空気を震わせた。
「き………決まったぁぁぁぁ! 勝ったのはセス! 選ばれたのは炭水化物!!! 決め手は質より量というか単純に言ってサイズ感ってセスお前ホントにどういうことなの何を思ってこのチョイス!?!?」
「いや、たぶんあいつ腹減って機嫌悪いだろうからでっけぇモン見たらちょっとくらいテンション上がるかと思って………ぶふっ………」
「確かにリューリ・ベルのテンションすんごい爆上がりしているけれども―――――って、セスお前………もしかしてツボに入ってない………? 結構笑い堪えてない………?」
「うるっせぇぞレオニール。黙って司会進行しやがれ」
すっかりいつもと同じノリで気安い幼馴染トークを繰り広げている王子様とセスの横で、フローレン嬢唯一人が冷静に場を動かしている。実際動き回っているのは赤い腕章のスタッフさんたちなのだが、きちんとそれを統率している彼女の手腕は見事なものだ。選ばれなかったフルコースの乗ったワゴンを何処かへと下げさせ、それに伴い何人かのスタッフが同じ方向へと消えて行った―――――私はあれを食べないけれど、食堂のおばちゃん各位が調理している以上味に関しては言うまでもないので美味しくいただいて欲しいなぁと思う。
ところで、これはイベントとしてちゃんと成り立っているのだろうか、という素朴な疑問が脳裏を過るが、ランチの前には些細なことなのであっという間に忘却の彼方だった。
「え、ハンバーグまだ焼いてる途中なの? 分かった、大丈夫、あっちのやつから食べる」
ハンバーグのワゴンを運んで来てくれたスタッフさんことチーム・フローレンの十三番さんのアドバイスを受け、テンションが爆上がりした結果うっかり置き去りにしてしまったサンドイッチが乗ったワゴンに戻るべく方向転換。と、サンドイッチのワゴンの横にハンバーグのワゴンをぴたりと止めた十三番さんが優雅な一礼をするや否や、何処からともなく湧いて出たザックが食堂の備品たる二人掛けの丸テーブルを私の目の前へと置いた。居たのかお前、という気持ちで目を瞬いている隙に、それぞれ一脚ずつ椅子を持ったヘンリーとイアンが現れる。居たのかお前ら、という視線を注げば、役割を終えたらしい三人は何も言わずに一礼だけして静かにその場を去って行った。赤い腕章を付けていたのでたぶんスタッフ扱いである。
「失礼―――――整えさせていただきます」
代わる代わる、という表現がぴったりなタイミングで、今度はチーム・フローレンの皆さんが揃い踏みでやってきた。十一番さんが染みひとつないテーブルクロスをばさぁっ、と広げて皺一つない状態でテーブルに敷き、次いで十二番さんが流れるような所作で食器やナプキンをセッティング。最後に十三番さんがてきぱきとワゴンの上のサンドイッチをテーブルに並べてくれたので、これでゆっくりランチが出来きますありがとうチーム・フローレン。
「流石はチーム・フローレン………婚約者どもの再教育精度もさることながら見事なテーブルセットスキル」
「こちらの都合でもう散々にお待たせてしまいましたから、リューリさんには心置きなくランチを楽しんでいただきませんと―――――実際、そろそろ限界でしょうし」
「それもそうだな。そろそろ本当に暴れかねないし―――――おーい、リューリ・ベル。とりあえずランチ食べてていいぞー………ってもう食べてるよなそうだよなー!!!」
知ってた!!!
王子様が何か叫んでいるけれど、ようやくありつけたセサミブレッドサンドが美味しい事の方が重要なので力の限りに無視しておいた。思いっきり塩気をきかせた生ハムが舌の上で溶けていく。ハーブとチーズの比率と調和は絶妙にして絶品の域。美味しい。お腹が空いていたせいであっという間に食べ切って、もうちょい食べたかったのになぁという気持ちを引き摺りながら次に行く。葉野菜とフライドチキンのタルタルソースサンドはかりかりぱりぱりしゃきしゃきの歯応えで、鼻にやや抜ける辛味のあるソースとの相性はまさに抜群の一言に尽きた。なくなっちゃうのが勿体無いけど美味しいから食が進む進む。
「………は? はぁぁぁぁ!? お待ちを! 納得いきません!!!!! なんなんだこの茶番は!!!!!」
鬱陶しい声が聞こえた気がしたがランチの前では無力で無価値だ。十三番さんが用意してくれたお水でタルタルソースの後味を流し、ド定番の三食サンドを贅沢に三つ全部重ねて齧る。一回やってみたかったんだよこれ。
「おや、どうしたんだピエリック。お前がのんびり床と仲良くしている間に勝敗は決しているんだが? 見ての通り、リューリ・ベルは全力でセスの用意したサンドイッチを満喫しているのでお前の負けということで」
「それがおかしいと言っているんですよ!!! こんなの認められません!!!」
シンギシンギ、と不思議な鳴き声で喚く恋愛脳系男子はさておきハンバーグはまだ焼けない模様。ちょこんと置かれた砂時計の砂が全部落ちきるまで待ってね、とは食堂のおばちゃんからの言付けだそうで、守る以外の選択肢は私の中に存在しない。
待ち時間を有意義に活用すべく、ホットドッグを豪快に一口―――――粗目の胡椒のピリッと加減とソーセージの皮のパリッと具合、それを柔らかく受け止める密度高めのパン改め力強い小麦粉の存在感。シンプルの中に凝縮された、洗練された美味しさの極致には思わず頬が緩んでしまう。胃袋に溜まっていくと分かるどっしりとした重厚感も非常にポイントが高くてグッド。
「審議を! 審議を求めます! 大体からしてこのイベント、ベッカロッシに有利が過ぎるのではありませんか!? 会場の皆様、よくお考えを!!! 司会進行の殿下も運営主催のフローレン嬢も審判のリューリ嬢すら、全員ベッカロッシと懇意の間柄ではないですか!!! 最初からヤツの勝ちは決まっていたに違いありません!!! こんなのただの出来レースです、僕は卑劣な手段でもって意図的に嵌められてしまったんだ!!!」
あーあ、みたいな声がした。呆れ果てて冷め切ったそれは、音の質だけで判断するなら王子様の声にとても似ていた。
「あら―――――それはそれは、随分と、面白い妄想に取り憑かれておいでで」
ぞっ、とするような涼やかな声は、しかし耳には心地好い鈴の音のような響きで転がる。本能的な何かを刺激されてホットドッグに食い付いた状態で一時停止した私は、眼球だけを動かそうとして静かな低い声に制された。
「今は動くな。あっちを向くな。普通にしてろ。メシだけ食ってろ―――――あのクソ野郎、このまま引き下がってれば間抜けな道化で終われたのに自分から地雷踏み抜きやがった」
本気でどうしようもねぇ、と平坦に吐き捨てたのは、いつの間にやら私の対面に置かれた椅子に腰を落ち着けていたセスだ。勘の良さそうな三白眼はどう見ても爆心地から避難してきたといった様子で、茶化す雰囲気もなかったから私は従うことにする。というか、最初からその予定で椅子は二つ用意されていたのか、セスは何処からともなく取り出したコロッケパンを明後日の方向を見ながら齧っていた。お前もランチまだだったのかよ。
ホットドッグに塞がれて喉の奥で潰れたツッコミは、結局そのままパンと一緒に飲み込んでしまうことにした。思えば食事を前にすれば大抵のことは些事である。とりあえず気にしない方向でいいか。うん、燻製ソーセージめちゃうま。
「そもそも、この場を設けたのはひとえに貴方とセスのためです。誰の目にも明らかなかたちで、リューリさんの食事に端を発した貴方とセスのいざこざを解消するために用意した舞台―――――ここまでは、よろしくて?」
「よ、よろしいも何も、こんな馬鹿げたイベント仕様にしなくとも決闘なり何なり他にいくらでもやりようはあったでしょう、フローレン嬢!!!」
「いいえ? 残念ながらこれが最適解でしてよ………だって、貴方。例えば決闘なんてして、本気であのセスに勝てるとでも? そんな他の誰の目にも明らかな、結果の分かりきっている勝負になんて何の意味も価値もなくてよ。決闘で貴方が負けたって、そりゃそうなるよな、と思うだけですもの。そんな対決を指定したらそれこそ出来レースもいいところ、それに比べればまだこちらの方が公平というものでしょう? だって、リューリさんの好みに合わせてランチのメニューを考える。大々的にしたところで突き詰めればただそれだけですもの。彼女がスターゲイジー・パイをセスと食べているところに難癖をつけたことが始まりでしょう? だったら、食べ物関係で、リューリさんご本人に勝ち負けを決めてもらえばいい―――――条件的には決闘より、よほどマシな決着方法だと私は思いますけれど?」
「おーっと、フローレンの威圧スマイルと長台詞によるお上品な理詰めの挑発コンボ! 効果は抜群だ! ピエリック、何も言い返せずにたじたじと一歩後退することしか出来ない! 個人的にその気持ちは分かる!!!」
「誰が実況までしろと言いましたの殿下」
「いや、とりあえず観客入れてエンターテイメント風にしたからにはある程度そういうノリで緩和しないとダメかなって」
「気が抜けますので止めてくださいまし」
「あとフローレンぶっちゃけすごく怖い」
「お黙りになって馬鹿王子」
「あ、そのまま。その辺キープで。それかもうちょっとオマケしてくれない?」
「殿下」
「ごめんなさいちょっと調子に乗りました」
観客席の何処かで一人がぶっ倒れたのだが「とうとい」と譫言を繰り返すそいつを「分かる、あとは任せろ」みたいな目で見送る周囲のギャラリ―たちは何なんだろう。あと「傷は深いぞうっかり死ぬな」と励ましながら急病人(と、言っていいのかは知らん)を運び出すスタッフたちも何なんだ。
完全に他人事感覚でもぐもぐ、と咀嚼したぷりぷりの茹でエビさんはバターにガーリックが効いていて濃厚。しかし、そこを塩気と酸っぱいレモンソースの後味が上手い具合に緩和してさっぱりとしつこくない一品へと仕立てている。ありのままのオニオンとアボカドは主役を邪魔せず寄り添うスタイル。王国の料理は奥が深い。うまうま。
「………あの馬鹿、馬鹿には違いねぇくせにたまに馬鹿に出来ないんだよな」
とはキドニーパイを食い千切っているセスのコメントだが完全に独り言っぽかったので聞かなかったことにしておこう。ところでセス、そのキドニーパイ美味しそうだな? どうして私のランチメニューにそれを組み込んでくれなかったんだ。おい。ちょっと。一口ください。
「こちらは真剣に異議を申し立てているのですよお二方! 見ているこちらが胸焼けするので公衆の面前でイチャつかないでいただきたい! というか、フローレン嬢ご考案の今イベントの何処に公平性があると仰るので!? 決定権を持つリューリ嬢と一度もランチをご一緒したことがない僕と、幾度となく食事を共にしているベッカロッシでは情報量に差があり過ぎるでしょう!!!」
掛かった、と。
小さくセスが呟いて、気のない視線が向けられる。釣られてそちらを向いた私の目に、うっそりと微笑むフローレン嬢と悟ったように穏やかな表情を浮かべている王子様が映った。
「事実の捏造と誤解を招く言い回しはよろしくなくてよ、ピエリック・ダマーズ―――――まず一つ。セスがリューリさんと一緒に食事をしたと言えるのはたったの三回だけでした。知り合う前、お互い初対面の状態でたまたま隣り合った状況は除外したとしてもたったの三回。しかもそのうち一回は、野外学習での焼き魚調理で二人が同じ班だったからです。実質、二回と言い換えてもよくてよ。食堂を利用する生徒たちから確認を取っておりますので、その事実は覆りませんわ。そしてもう一つ、情報量の差、とやらについてですが―――――その点、事前に考慮して、私きちんとこの催しを貴方に打診した段階で『今までリューリさんが食堂で注文したランチメニューのリスト』を資料としてお渡しした筈ですわよね? 貴方、嬉々としてそれを受け取って、『ベッカロッシにこのリストを渡さないなら全然構いませんやります勝ちます』とそれはもう勝ち誇ったような顔で即時参加表明していた気がするのですけれど………あら、私の記憶違いでした?」
「ちなみにだがその場には私も同席していたので同じように記憶しているのだが、はて。公爵令嬢と王族が二人揃って記憶違いとは珍しいこともあるものだなぁ、フローレン」
「ええ、おっしゃる通りですわねぇ。殿下」
おほほほ、と上品に笑っていらっしゃるお嬢様から私は秒で視線を逸らした。同じく逸らしたらしいセスと奇跡的なタイミングでがっつりと目が合う。お前あっちに行かなくていいのか、という問い掛けは無表情で黙殺された。今は関わりたくないらしい。気持ちは分かる。本能的な何かで。
「念のため明言しておきますが、セスはその資料を受け取っていないしそもそも欲しがりすらしませんでした。要らん、の一言で終了ですわよ」
「今までリューリ・ベルが食べていたもののリストは、ランチに限定しているとは言えあいつが“北”からこっちに来て初めて食堂を利用した日から資料を渡す前日までのメニューを克明に記録したものだからなぁ。同じものを何度も食べていれば好物だと容易に読み取れるから、親密度や食事を共にした回数なんぞよりはよっぽど信用性のある有意義なデータだぞう。むしろお前、そんな圧倒的とも言えるアドバンテージを手中におさめておきながらこの体たらくって不味くない?」
「ぐっ………しかし、しかしですよ! ならばなぜ、そんな圧倒的に優位性を持っていたという僕がベッカロッシに敗れたというのですか! やはり運営、審判側と結託していたと考えるのが妥当というものではあ」
「いや、お前、馬鹿だろう」
思わず、と言った様子でそんな台詞を投げたのは、呆れ果てた顔の王子様である。いい加減話が長ったらしいと面倒臭くなったのか、手にした金属製の筒でぽんぽんと肩を叩く姿は若干苛立ちが滲んでいた。
「私が言うのもアレなんだが、敢えて言おう―――――馬鹿かお前は」
「はっ? え? はぁ? 殿下、なにを」
「フローレン。リューリ・ベルが今まで食べたランチメニューリストの中から適当に何点か挙げていけ。お前のことだからどうせ余さず完璧に記憶しているだろう」
「はい、殿下。では、サービスで特に分かりやすいあたりを―――――白パンとサラダ付きのフィッシュアンドチップスことBランチセット、鶏のコンソメスープ、プリン、限定・豪華七色サンドイッチセット、ランチパック限定ローストビーフのバゲットサンド、揚げ芋、スターゲイジー・パイ」
「うん、非常に分かりやすいラインナップだ。ここまで言えばもう分かるな?」
にこやかに言い放つ王子様に対して恋愛脳の顔色は悪い。何を言われているのか分からないというより、「そんなことはリストを確認したから知っているがそれがどうした」的なまったく理解していない気配がバシバシとする。正直私も分かっていない。というか、何で今まで食べたものが克明に記録されているんだよ。食堂の方針? じゃぁ仕方ないな。
さて、だいぶお腹が満たされてはきたものの、メインディッシュはこれからなので気を引き締めて挑むとしよう―――――おっと、砂時計がまだ仕事してる。がんばれ。
「むぅ。まだ分からないのか。しょうがない―――――ピエリック・ダマーズではなくこの場に集った観客各位! お前たちにちょっと尋ねたい!」
王子様が声を張り上げる。同時にひたすら注視し続けていた砂時計の砂が落ちきった。やった。もう食べていいんだよね食堂のおばちゃん! とりあえず鉄板の火を止めよう―――――止め方が分からん。ちょっとセスこれどうやって止めんの。
「誰か、この中で―――――ただの一度でも、リューリ・ベルがナイフとフォークを同時に使っている場面を見たことがある者はいるか!!!!!」
王子様の質問があまりにも大きな声で投げ掛けられたものだったから、それを受けた者たちは軒並み静まり返ってしまった。結果的にハンバーグが余熱でじゅうじゅうする音だけがやけに耳に残る空間と化したがそんなことよりメインディッシュである。いやぁ、それにしても見れば見る程ホント食べ甲斐ありそうでいいなぁ特製巨大ハンバーグ。
「は………はぁ? はあぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?」
恋愛脳が上げた声に観客たちのものが重なった。唱和とするにはあまりにも無秩序な音の連鎖が爆発して、フローレン嬢が溜め息混じりに手を打ち鳴らすことでようやく止まる。動から静への移行が極端過ぎやしないかと思わないでもないけれど、鉄板の上でじぅじぅ弾けるお肉の脂の前には些事だ。
「気付いたようだなお前たち―――――そう、少なくとも私は見たことがない。スプーンでプリンを掬ったりナイフでパンに切れ込みを入れたりフォークでフライを刺して齧っているところはちょいちょい見たことがあったがしかし、ナイフとフォークを同時に使って優雅に食事しているところだなんて一度たりとも見たことがない!!!」
王子様が何やら力説しているがたぶん大したことではない。
じゅぅじゅぅといい音をさせているハンバーグに合う食材はなんだろう、と容器に小分けされているものを隅から隅まで物色していたら、暇を持て余したらしいセスがでっかい丸パンにざかざかと横裂きで切れ込みを入れてくれた。ありがとう。いっそ完全に切り離しちゃっていいぞ。その方が絶対いろいろ挟みやすいしまずこのハンバーグがパンよりでかい。最高。楽しい。
「ていうか! 主に! 手掴みなんだよリューリ・ベルは!!! パンがあればサラダだの副菜だの全部そこに挟んで手掴みで直接齧り付く!!!!! そりゃそうだ! だって“北の民”だから! 基本的に“狩猟の民”だから! テーブルマナーとかあるわけない! よしんば知識として知ってはいてもあいつが気にするわけがない! 正直カトラリーの持ち方もガッツリ握り込んじゃってるせいかまるで幼児にしか見えない! テーブルマナー初心者どころかいっそ小さなお子様レベルなのでお前の用意した下手な鉄砲数撃ちゃ当たる的『一流のフルコースランチ』なんてものはいくら美味しそうだったとしても嫌厭されるに決まっている! だって見るからにナイフとフォーク多いし!!!!!」
「そ、そんな理由で―――――そんな馬鹿な!?!?」
「馬鹿は貴様だ!!!」
叫ぶ恋愛脳系男子に叫び返す王子様。あまりに確信的な口調だったので思わずそちらを向いてしまった私とセスが見ている先で、拡声用と思しき筒をびしりと相手に突き刺して、王子様は言い切った。
「そも、ずっと言いたかったんだが貴様、リューリ・ベルのことを散々神の芸術作だの妖精だの何だのとベッタベタに褒め称えていたが―――――考えてもみなさい、“北”の大地に本当に我々王国民が思い描くような“妖精さん”が実在したとして、そんなファンタジーな存在が人間みたいにひょいひょいカトラリー使いこなして食事をするとかあるわけないだろう想像力を何処に置いてきた!?!?」
「「何言ってんだあいつ」」
私とセスの台詞が被った。じゅーじゅー焼けているハンバーグを間に挟んで私たちの心がひとつになった瞬間である。残念ながら観客席は「確かに!?」みたいな顔をして驚愕とともに納得一択の気配だったのでこの感覚はセスとしか共有できなかったらしい。もう一度言う。何言ってんだあいつ。
「殿下の言い分はまぁさておき―――――ええ。はい、そうですね。確かに、婚約者が既に決まっていた身で、リューリさんを口説き落とそうと寒い台詞を吐き続けていた時点で、こちらの方に想像力なんてものは備わっていないと判断せざるを得ませんわね」
しれっ、と笑顔で爆弾を落としていくスタイルのフローレン嬢。ぴたっ、と固まる食堂の空気。
不自然に生まれた沈黙の中、なんかちょっと聞き捨てならない言葉を拾った私は横分割したパンをそれぞれ鉄板に押し付けて温めながら恋愛脳男子に意識を向けた。
「は? お前、婚約者居たならなんで私に絡んで来たんだ」
「ごごごごご誤解だよ愛しい人!? 僕にはそんな婚約者なんているわけないじゃないかやだなぁあははははフローレン嬢はなにか盛大な勘違いをしていらっしゃるようで!」
「風の噂ではドリーブ商会のデボラ嬢、子爵家次男との婚約を白紙に戻す予定だそうですけれど」
「………え? なんで? なんで僕の婿入り先ご存知なんですフローレン嬢? ん? 白紙? はぁ!? なんで!?!?」
「いや、アンタ、何でも何も―――――こんなウザったい自己陶酔型勘違い系の馬鹿、うちの商会には要らないなぁって」
フローレン嬢の後ろから、赤い腕章をつけた女生徒がものすごく冷めた目で進み出た。急展開にどよめく一同。仰け反る恋愛脳ピエリック。言うまでもなく確実にフローレン嬢の仕込みである。
わけわからん、とぶん投げて、銀色のトングを手に取った。温めたパンを回収し、土台側に葉野菜をありったけもりもりと強欲に敷き詰めていく。
「ででででデボラ!? 何故ここに!? 家業がめちゃくちゃ忙しいとかで休学して手伝いに帰った筈だろう!?」
「相変わらず人の話を聞く気がゼロだよねぇ、アンタ。確かに休学したけどさ、一日ありゃ戻って来れる距離なんだよ。二日で往復出来ちゃうの。だから、アンタがそこの美人な“妖精さん”にしつこく言い寄って手酷くフラれて今まさに恥の上塗りしてるって普通に知ってるんだよねぇ。フローレン様がそりゃぁもう丁寧にいろいろ教えてくれたしさ―――――で? アンタ、婚約者が居ない間になに堂々とナンパしてんの? うちに婿入りするヤツが? 美人と恋愛したいなぁとか気持ちは分かるけどなにやってんのさ。うちの商会がなんのためにアンタの学費援助してると思ってんのさ。しかもなに、侯爵家の方に難癖付けて自分がナンパした女の子の性別疑って失言ぶちかました挙句結構な生徒の顰蹙買って、起死回生に恵んでもらったもう後がないランチ対決で負けてごねて出来レースって喚きまくってこの状況? カッコ悪。もうこれイメージ最悪じゃん。客商売にとっちゃ致命的じゃん。しかもアンタ、わざわざお客の需要を教えてもらっておきながらそれを活かせないってどゆこと? マーケティング能力皆無なの? 商家に婿入りする気あんの? 使えない人材なんて養えないわよ。真面目に要らない。政略結婚だってのにこれじゃあただの大損じゃない。不良債権なんてごめんだわ。てなわけで、うちの親にはもう全部話通してるからそのつもりで今後の身の振り方とか考えなよ、ダマーズ子爵家の次男坊さん―――――今まで援助してた学費を返せとは流石に言わないでやるけどさ、アンタが卒業するその日まで、あの貧乏な御実家のお金がなんとか奇跡的に続くといいねぇ」
「うっ………ま―――――待ってくれデボラ! 話を! 話を聞いて欲しい! これはその………そう! 芝居だったんだ!!!!! 君の愛を感じられない僕が、ついつい君に愛されていると実感したくてやってしまったことなんだ! リューリ嬢に囁いていた愛の言葉のすべては本当は君に伝えたい僕の気持だったんだよ!!! 確かに彼女は“妖精”と名高い美貌の持ち主であったけれども、美しいものを愛でたいと思ってしまうのは人間の性質であり罪ではない筈さ!!! 僕の一番大切な人はデボラだけなんだ信じてくれ!!!!!」
とてもうざい。ような気がする。
が、あちらがごちゃごちゃしてきたところで私にはまるで関係ない。薄切りトマトとオニオンを重ねた上に思うままチーズをトッピング。セスがそっと差し出して来た茹で卵のスライスは笑顔でありがたく受け取っておいた。塩を事前に振っておいてくれるあたり今日の三白眼は一味違う。しかもこれ、岩塩では?
「なまじ普段から全力で芝居がかった言動なだけに説得力がなくもなくもないですわね」
「要するに、『ない』ってことだなフローレン」
「あらいやだ、殿下にしては察しのよろしいこと―――――ともあれ、これでは収拾がつきませんね。トドメはやはり“審判”に刺していただかなくては」
とんとん、と軽やかに肩が叩かれたので首を回す。いつもの淑女然とした笑みを湛えた生粋のお嬢様がそこにいた。いつもより観客らしい観客に囲まれていようが、馬鹿が馬鹿馬鹿しく騒いでいようが、王子様とセスが目を逸らしていようが、私がハンバーグをパンの上に乗せて更にチーズを増量しようか悩んでいる最中だろうがお構いなしに彼女は言う。
「お楽しみのところ失礼します。リューリさん、ハンバーガー作りの手をちょっとだけ休めてあちらで騒いでいる方に『五月蠅い』って言っていただけます? お礼は………そうですね、これくらいのバケツにたっぷり作った食感固めの巨大プリンで如何?」
「おいこらそこの恋愛脳さっきからぎゃいぎゃいうっさいぞバケツプリンのために黙れ具体的には今直ぐに!!!!!」
「フローレンここでまさかの切り札ー! バケツプリンという夢に溢れた響きには北の食いしん坊代表ことリューリ・ベルも抗えない!!!」
「もうフローレンの一人勝ちでいいんじゃねぇのかこの茶番」
それを言っちゃおしまいだろ的なセスのツッコミなんのその、一時的にハンバーガーから視線を外した私が目撃したのは素朴な顔立ちのお嬢さんの足にみっともなく縋る恋愛脳男子の姿である。お食事時にこんなものを嬉々として見物している“王国民”もといギャラリー各位の精神構造がぶっちゃけた話そこそこ不安。
ぎっ、と鋭く忌々し気に吊り上がった双眸に射抜かれたところでどうもしない。恋愛脳男子の頭の中身は私には理解不能なので。
「リューリ嬢! 君のせいで僕の婚約者が臍を曲げてしまったじゃないか! なんてことをしてくれたんだ!?」
「え? お嬢さん、ヘソが曲がるのか? 腹も捩らずにそれはすごい。王国には器用な人も居るんだな。どうやって曲げるのかよければ教えてもらっても?」
「言語の壁さんお久し振りでーす!」
言語の壁の出現を旧友との再会みたいなフランクさで言ってのける馬鹿が何処に居る。残念ながら此処に居た。なんでそんなテンション高いんだよお前、と王子様に問い掛けるよりもセスの手が伸びる方が早い。後頭部をぶっ叩かれた王子様が勢い良く前につんのめる。犯人は至極平然としていた。
「臍を曲げる、ってのは表現の一種であって実際に臍が曲がってるわけじゃねぇよ」
気にせず続けろ、と面倒臭そうに手で虫を追い払う仕草でセスが告げる。なぁんだ、と肩透かしを食らった気分で恋愛脳に向き直れば、恥も外聞もない必死さで婚約者だというお嬢さんに絡んでいるところだった。
ところで早くしないとハンバーガーに挟んだチーズがでろっでろになるので早いとこ片付けてしまいたい―――――何がどうすれば片付くのか、皆目見当も付かないけれど。
「どうしてだデボラ! 何故この僕が君に見捨てられなければならない!? 確かにリューリ嬢とお近付きになろうと積極的に関わりはした! だが真実の愛からじゃない、彼女の見た目に惑わされてしまったからだ! 見ての通り彼女はとても美しい! だから僕もついつい芝居に力が入り過ぎてしまったんだ! え? 僕デボラに一回もそういう臭い台詞言ったことなかったっけ? そ、そりゃあ歯の浮くような気障な台詞のひとつやふたつは愛がなくとも囁けるけれど、ただ本命の君には素直になれなかっただけなんだよ! 今まで君に愛の言葉を告げなかったのはなんというかこう、そう、愛情の裏返しというやつで」
「なんで裏返したんだよ」
ぴたり、と。何気なく私が口にしただけのささやかな一言を最後に、一切の音が消失した。まるで待ち侘びていたかのような、予め用意されていた舞台に無理矢理引き上げられたような、言葉に言い表せない類の気持ち悪さが表皮を撫でる。それはただの感覚で、たぶん錯覚でしかない。
唖然とした様子で私を見詰めてくる恋愛脳の眼差しをひたりと真っ向から受け止めて、もう一度疑問を口にした。
「なぁ、愛情の裏返しってなんだ? 裏返す必要あるのかそれ。なんでわざわざ裏返すんだよ。引っ繰り返すってことだろう? なんでそんなことするんだよ。愛情だろ? 裏返さなくてよくない? 両面焼きのハンバーグじゃあるまいし、わざわざ引っ繰り返さなくても別にそのままでいればよくない?」
「こっ………これだから、恋愛のノウハウも分からない“辺境民”のお嬢さんは! 素直になれない、ついつい思っていることと逆のことをしてしまう、愛情表現が正反対で分かりにくいけれど実は好き―――――そういうのが恋の駆け引きというものなんですよわざと嫉妬して欲しいがために気のない素振りをしたり他の子に靡いたように見せ掛けて煽ったり試したりするのがよくあるお約束のパターンという!!!!!」
「どうでもいいしめんどくさい」
口から滑り出た言葉には一切の迷いや遠慮がない。実際どうでもよかったし、心底めんどくさいと思った。何故こちら側の人類はそんな不合理極まりない無駄を受け入れているのだろう―――――考えても詮無いことなので、肩を竦めて疑問を流す。ただし、言いたいことはつらつらと唇から零れていたけれど。
「好きなら好きだし、嫌いなら嫌いだし、思ってることと逆のことを敢えてするとか無駄の極みだし意味分からん。というか、やる側はそういうつもりだったとしてもやられた側はそれ知ったこっちゃなくない? そんなめんどくさいことしなくても愛情表現はストレートでいいだろ。あと、仮にも婚約者やら付き合ってる相手やらを勝手に疑って勝手に試す愛とか恋とかもうその時点でだいぶウザい―――――ああ、もしかしてチビちゃんが言ってたあれか? 好きな子の前だと素直になれないっていう意気地なし根性なし精神年齢幼児並みをそれっぽく好意的に表現するオブラート的な」
「わぁ。宿屋の“チビちゃん”が口にしたにしては些かエッジのきいたコメント」
「現実的かつ辛口ですのね。将来有望と言わざるを得ません」
「んん? 違うな………どっちかっていうと『相思相愛のすれ違いはよくある恋のスパイスだと百歩譲って眺めるとしても、いざ現実で自分がやられたら意味不明だし気色悪いしめちゃくちゃ腹立つし何様だってなるし他の女に走っときながらそっちが駄目になったからっていい感じの台詞並べ立てて復縁しようとする見え透いた打算まみれの低レベルな言い訳』的なニュアンスで宿屋のチビちゃんが酷評してた方か」
「いやいやいやいやどうしたんだ宿屋のチビちゃん殺傷能力高過ぎない? ナイフみたいに尖がってない? どう思う? 解説のフローレン」
「誰が解説ですの殿下―――――にしても、これは………どうでしょうね。いつもより激しい憤りが感じられる言い回しなあたり、もしや実体験に基づいた嫌な思い出でもあるのではなくて?」
「一応ツッコんどいてやるけどテメェら揃って宿屋のチビとやらにやたらめったら親しみ過ぎじゃね?」
「ちょっと外野の方々は黙ってていただいてよろしいですかね気が散るんでッ! ああもうこんな騒がしい場所では解ける誤解も解けやしない! デボラ! 僕と一緒に来てくれ!!! 誰にも邪魔されない場所で二人静かに互いの想いをしっかりと確かめ合おうじゃないか!!! 安心してくれ、もう愛情の裏返しだなんて子供じみた真似はしないと誓おう!!!!!」
この期に及んでも芝居がかった仕草と口調を崩さない姿勢はちょっとすごいが人としての軸はブレている。恋愛脳男子に蹴りをお見舞いして距離を取ったデボラ嬢なるお嬢さんの目は心底軽蔑に満ちていた。優しさだとか慈悲だとかを景気良く放出したらきっとあんな温度になるんだろうなぁ、と想像に難くない温度の視線が観客席の女性陣からざくざくと注がれまくっている恋愛脳はしかし現実がまだ見えていない模様。
やれやれ、と緩く頭を振ったフローレン嬢が一歩分だけ前に出る。私の隣に並んだ彼女は随分と事務的な声色で、えらく朗々と音を吐いた。
「自分の都合と理想を押し付けて下心込み込みでしつこく絡み倒した方にまるで相手にされなかった挙句、ぞんざいにしか付き合ってこなかった婚約者になけなしの愛想を尽かされていよいよ捨てられるとなるや『愛情の裏返しだった』などという見苦しくも無理しかない主張―――――リューリさん、率直なご意見をどうぞ」
「え? うーん。というか、ふと思ったんだけど。婚約者が居るのにぽっと出の他人に下心ありありでしつこく言い寄るとかそれはもう愛情の裏返しというより『裏切り』ってやつなのでは? あと、単純にぐだぐだぐだぐだ言い訳するやつ私は嫌いだ。あの脳味噌お花畑クソ野郎の場合は人の話を聞かない上にしつこいし鬱陶しいし言ってることの大半が意味不明だし話がやたらとウザくて長い割に面白いところが一つもないし、何よりランチを妨げられた記憶しかないから正直不愉快。しかも負けたっていうのにうだうだ喚いてカッコ悪いし、めんどくさくて迷惑なやつだとしかぶっちゃけ思いようがないぞ。なんていうか―――――うん、生き様が無理」
爆発的な拍手が起こった。
まさに爆発と言っていい、あまりにも唐突な空気の破裂に私の身体が露骨に跳ねる。びっくりした。物凄まじくびっくりした。思わずきょろきょろとしてしまった目には右から左まで総立ちの観客たちがにこやかに割れんばかりの拍手をしている様が映る。なんでだ。
「リューリ・ベル、まさにド正論! からの遠慮も加減も一切見当たらない正直過ぎる言葉の暴力にピエリック・ダマーズ完全に沈黙―――――!!!!!」
ノリノリの王子様が随分と楽し気にそんな口上を吐いている。これにて決着ということなのか、何故か私の右手を掴んで高々と掲げる王子様の顔は達成感に満ち満ちていた。割れんばかりの拍手は続く。床に膝をついて項垂れている恋愛脳男子ことピエリックとやらを他人事感覚で一瞥し、私はとりあえずセスを見た。
「なぁ。セスとあいつの戦いって話じゃなかったっけ? なんかこの状況おかしくない? これでいいのか王国民」
「気持ちは分かるが黙って流された方が早くハンバーガーにありつけるぞリューリ」
「了解。とりあえず静かにしとく―――――チーズ絶対溶けちゃってるだろうなぁ」
「こんなこともあろうかと一応とろけないチーズにしといてやったからそんなでろでろにはなってねぇ筈だ。あとあんまりメシが冷めないようにクロッシュで蓋しといてやったから我慢しろ」
「まじか。最高。ありがとうお気遣いの三白眼」
「おい唐突に笑わせてくるんじゃねぇよ白いの」
「面白かったのかお気遣いの三白眼」
「地味に笑えるから止めろや白いの」
鳴り響く拍手の渦の中、ごくごく普通に会話している私たちの遣り取りは誰一人として聞いていない。隙を見て軽やかにその場から離れ、チーズと葉野菜を増量してハンバーガーを完成させた私は賑やかな観衆を置き去りに改めて食前の祈りを捧げた。お待たせし過ぎて申し訳ない夢の巨大ハンバーガー。プリンのためだったので許して欲しい。フローレン嬢のことだからプリンはおそらく後日だとして、目の前にあるハンバーガーはもちろん今からいただきます―――――はぐはぐもむもむ美味しい以外の語彙どっか行った。
「自分で用意しといてなんだがサイズ感がおかしくて笑う」
己の顔よりでっかいハンバーガーを満足そうにがふがふ齧る私を珍獣よろしく見遣るセスと、小動物でも見守るようなほんわかした視線を向けてくるギャラリー各位の温度差は一体どこから来るんだろう。
「今回の件はこれにて落着! 勝者はセスだ! 細かい話は抜きにして、あとは各々自由にしてくれ―――――『リューリ・ベルと美味しいセレクト・ランチ』は現刻を以て無事終了! なお、昼休み終了間際まで食堂に居座るのは別段構わないが午後の授業には遅れないように!」
拍手の波が押し寄せる。とりあえず全部終わったなら食事に全力を傾けてもいいだろ、と開き直ることにして、何やら締めに入っているらしい“イベント”に関しては完全なる無視を決め込んだ。だってもう私の出番終わったぽいし別にランチしててよくない?
自分で言うのもあれだけど、私にしては協力的だったと思うのでそういうことにしておきたい―――――ハンバーガー堪能したいので。
「あらあらあら。つまらない私情で陥れようとした相手の株ばかり上がって、気障な色男を気取って口説き落とそうとした女性には完膚なきまでに扱き下ろされ、衆人環視の中で無様に踊って婚約者にも見捨てられプライドも評判もズタズタの有様。リューリさんを足掛かりにより良い何かを得るどころか、何も残らない結果に終わってしまいましたわね―――――まぁ、見世物としては皆さま大変お気に召したようですけれど。貴方、道化の才能があってよ」
何を隠そう、隠すまでもなく、外部情報の悉くを極力遮断してパンとお肉とその他諸々の饗宴にすっかりと気を取られていたので。
「セスも観客の方々も、双方気が済んで何よりですこと」
だから、ころころと上品な言の葉に毒を含んだお嬢様の皮肉なんて、耳に届いてすらいなかった。
「思いっきり見世物っぽくにしてみよう」と好き放題出来るうちに好き放題しようとしたらこの有様でございます。
およそ二話分のボリュームという暴挙の果て、ここまで辿り着いてくださった寛容なる読者様に感謝を。