表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/16

03. そろばん

 次の日、ケネスは護衛3人とメイド長を連れて、街中の木工所に向かうことになった。普通は貴族が店頭に出向くことはないが、オーダーメイド品の場合は現場で簡単な設計図を書きながら注文したほうが都合がよいらしい。


 久々の外出にワクワクしながら馬車に乗り込んでいると、護衛のポールが話しかけてきた。

「ケネス様、よくデイビッド様から木工製品を注文する許可が得られましたね」

「うん、フォーゲル領の木でできたおもちゃっていうのが、父さんにも響いたみたい」

「へえ、どんなおもちゃを注文するのですか?」

「言葉では少し説明しづらいかな。できあがったら、ポールも一緒にそれで遊ぼう」

「は、はあ」

 

 言いよどむポールは、フォーゲル家の護衛では最年少で、それゆえ子どもたちとの距離も近い。まだ護衛としては少し線が細いが、稽古にも熱心に取り組むため、デイビッドの覚えもめでたいようだ。おもちゃで遊ぶことに躊躇したのは、きっと積み木遊びか何かにつき合わされると思ったからだろう。

 

 車中では、馬車に同乗したメイド長のレベッカと話がはずむ。彼女はクリスティーナの育児も手伝うので、フォーゲル家の子どもたちにとって第二の母のような存在でもある。しかし、大人の脳を手に入れたケネスがあらためて同じ目線で向き合うと、このメイド長が聡明な女性であることに気づかされるのだった。特にベリオールの街にまつわる情報に詳しく、この機会に色々なことを質問した。

 

 出発して15分ほどすると、商業地区に入って街のにぎわいが感じられるようになった。同時に、外から漂う悪臭が気になったので、このことについてもレベッカに聞いてみた。

「レベッカ、ベリオールの街はどこもこんなに臭いの?」

「これほどひどいのは、街の中心部だけかと。今しばらくご辛抱くださいませ」

 

 彼女の言うとおり、車窓から見える街の中心部の景色はひどいものであった。生ゴミや汚物が山積し、その周りをネズミが這ったり、ハエがたかったりしている。

(やっぱり、みんなゴミとか排泄物を窓から投げ捨てるのか。伝染病の温床になりそうだけど、今の僕が何を言っても誰も耳を貸さないだろうなあ。大きくなったら、兄さんに進言してみよう)

 ケネスはそう考えを巡らせながら、馬車に揺られるのだった。

 

 木工職人には、そろばんとリバーシを一台ずつ作ってもらうことにしていた。そろばんは主に自分のためだ。


 今後どんなデータを分析するにしても、どうしても暗算以上の計算力が必要だ。関数電卓でもあればよかったのだが、ドーバー王国には計算機の概念すら存在するのか疑わしい。執務室の蔵書を借りるついでに、デイビッドの仕事ぶりを目にしたことがあったが、財務計算には怪しげな棒とひもを使用していた。


 そろばんとリバーシ以外にも、千歯こきは実用化できそうな気がしていたが、これをまだ作らないのには理由があった。特許の制度が整っていないため、アイディアを下手に公開することができないのだ。


 農村でも売れる便利な製品を大きな商会が嗅ぎつければ、またたく間に生産力で遅れを取って、価格競争で負けてしまうだろう。職人のギルドが製法を秘匿している製品も存在するようだが、千歯こきは仕組みが単純なだけに、あっという間に模倣されることが予想できた。

 

 その点、リバーシやそろばんは、食うや食わずやの庶民には縁がないものであるから、需要が急拡大するとは思えない。国内には、上級貴族が約40家、下級貴族が約120家、貴族並みに裕福な商家がだいたい貴族と同じ数だけいる。家臣や使用人を含めても、短期的な売上が2000を大きく超えることはなさそうである。

 

 さらに、リバーシもそろばんも、ひと目でその便益を理解できるような商品ではないので、潜在顧客を掘り起こすのに時間がかかる。1962年に発表されたロジャース教授のイノベーション普及理論では、イノベーターやアーリーアドプターとよばれる層は、消費者の16%を占めるといわれている。しかし、これらの先進的な消費者とそれ以外の人々との間には、キャズムといわれる深い溝が存在し、それ以上に製品を普及させるためには、相応の時間と努力が必要とされる。


 つまり、リバーシやそろばんの発表直後に売れる数は、400にも満たないはずなのだ。

(スマホだって普及するのに5年以上かかったからね)

 他の商人が参入する前に先進的な需要を満たして、リンゴマークのようにブランドを確立してしまおうとケネスはもくろんでいた。


 木工所に着くと奥に通され、白髪混じりの好々爺然とした職人が姿を見せた。この木工所の親方のようだ。ケネスの誕生日祝いのために、木製のおもちゃを注文する旨をレベッカが伝えると、顔をくしゃくしゃにして喜んでくれた。

「領主様の家具のみならず、ケネス様の玩具も手がけることができるとは、大変に光栄なことですな!」

ということらしい。


 注文する製品の詳細を話すと、リバーシについてはすんなりと理解してもらえた。しかし、そろばんは何に使うのか想像もつかないようで、あらかじめ図面を用意していたにもかかわらず、だいぶ説明に手間取ってしまった。

「このたくさんある軸だけは、強度と耐久性が必要になるので、金属か竹で作ってもらえますか?」

「そうですな、たとえおもちゃにしても、車軸にだけはかなり負荷がかかるでしょうからな」

(この職人さん、完全にそろばんを転がして遊ぶおもちゃだと思っているな……)


「この5つある車輪は、本当にこんなにスカスカでよろしいので? ぎっしり詰めたほうが、まっすぐに走ると思いますが」

「いや、スカスカなのが大事なのです。軸に沿って珠が動くようにしてください」

「ふむ、いっそのこと車輪は偶数にして、このつっかえ棒は真ん中に通したほうが、耐久性は増すと思いますがな」

「こ、この梁の位置にも意味があったですね……」

 こんな具合の問答を繰り返しながら、なんとかそろばんの形状の必然性を伝える。初老の木工職人は、わけがわからないという顔をしながらも、最終的には快く引き受けてくれた。念のため、今後のブランディングのことも考えて、フォーゲル家の家紋を焼印してもらうことも頼んでおいた。いつもフォーゲル家が注文した家具にも施していることなので、この要望についてはすんなりと通った。

 

 完成までの所要日数を尋ねると、リバーシは数日でできるが、そろばんには10日間ほどかかるという。一刻も早く完成品を確認したいので、できあがった製品からメイドに回収させることを伝えて帰宅した。


 それから二日後、ケネスは剣闘士の試合を観戦しにいくことになった。家族のデイビッドやジェームズのほかに、ポールを含めた護衛も何人か同伴している。


 ケネスはそれほど観戦に乗り気だったわけではないのだが、せっかく父親が用意してくれた機会であるし、偏見なく楽しもうと心に決めていた。それにジェームズが道中の車内で珍しくはしゃいでいるので、あまり仏頂面をしていられる雰囲気でもない。


 街の外れにある闘技場に到着すると、ケネスはベリオールにこれほど大きな建造物があることに驚いてしまった。これまで武芸の神イワヌスの神殿には何度も足を運んだことがあるが、目の前にそびえる闘技場はその数倍の規模を誇っており、5000人は収容できそうである。外壁には切り出した石材がアーチ状に積まれており、そのつらなりが美しい。


 試合はもうすでに始まっているようで、歓声が闘技場の外にまで聞こえてきた。闘技場のスケールと漂う熱気を前に立ちすくんでいると、息をはずませたジェームズに急かされてしまった。

「ケネス、何をぼんやりしているんだ! 早く中に入るぞ!」

 あわててジェームズの背中を追いながら、ケネスは自らも兄と同様にワクワクしていることに気づくのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ