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14. データ収集

 ウォルトンとの商談をまとめたケネスは、レベッカを通じて、事業を手放したことを父親のデイビッドに報告した。商標代として、ロイヤリティはそのまま家計に納めることを伝えると、息子の気遣いをうれしく思いつつも、大人びた思考を少し寂しく感じたようで、複雑な表情をしていたようだ。


 さて、ワインの価格データをミード商会のウォルトンから手に入れることができたものの、アッシェンフェルター教授の予測方法を再現するには、ワイン生産地の天候データが不可欠だ。今回の場合、瓶詰めワインの生産地であるマーリーズ領の天候に関するデータを手に入れなければならない。


 フォーゲル領の農政官にそのあたりのことを尋ねてみると、

「農業神殿の神官でしたら、ひょっとすると日々の天候を記録しているかもしれません」

という。

 

 ケネスは参拝をするという口実で、レベッカや数人の護衛とともに農業神殿を訪れた。定期的に訪れている武神イワヌスの神殿とくらべると、それほどにぎわっている様子はない。フォーゲル領では質実剛健な領主が武神を敬っているために、領民にもっとも身近な神殿といえども、他領と比較して信者を集めづらいのだろう。


 出迎えてくれた薄い顔の神官長にさっそく用向きを伝えると、降水量は各地の農業神殿で測定しているが、気温に関する記録はないという。

「その日の雨量というのは大きなマスに貯めておけばわかりますが、暑い寒いというのはなかなか数値にしにくいものでして」

ということらしい。


 しかし、この回答に意気消沈したケネスを見かねたのか、解決の糸口に見つかる情報を提供してくれた。

「暑さ寒さを計測する器械を作ろうとしている、おかしな者がこの国には何人かいると耳にしたことがありますよ」


 この温度計についてのうわさは後ほど確かめることにして、とりあえず降水量のデータだけでも取り寄せてもらうよう依頼すると、神官長は何やらとりとめのないことをつぶやきはじめる。

「日誌に天候の記録があるにはあるのですが、その、やはり写しを用意するのにも手間がかかるといいますか、遠くのマーリーズ領から取り寄せるのはなかなか大変といいますか……」


「ケネス様、あれは暗に寄進を要求しているのです」

横からレベッカに耳打ちされて、ようやく彼が見返りに金銭を欲していることに気づく。


 貴族の子息が渡す相場は金貨3枚であるらしいのでその額を渡してやると、神官長はたちまち破顔してマーリーズ領の雨量記録の写しを送ってくれることを約束してくれた。


(大学院時代は、データを買うための研究費が足りずに、なくなくあきらめた研究もあったなあ)

 そう感慨にふけりつつ、ケネスは帰って温度計につながる情報を追跡してみることにした。


 フォーゲル領の技術に詳しい家臣に尋ねたり、ミード商会に問い合わせたりして辛抱強く調査を続けると、どうやらマーリーズ領の近隣でファーガソンという技術者が温度計を開発しているらしいことを突きとめた。


 さっそく、自分の開発した温度計で現地の気温を測定しているのか、もしそうであればそのデータを譲り受けることができないか尋ねる旨の手紙を送付すると、ひと月ほどして回答を受け取ることができた。


「私めの発明品にこれほどの興味をお示しくださったのはケネス様が初めてでございまして——」

と感激した旨が書き出しにはつづられており、

(これはかなり期待できるな)

と考えたのもつかの間、

「さらなる開発のために資金をご援助いただけないか、と大変に不躾ながら考える次第にございます」

と金貨にして約10枚の見返りを要求する言葉で結ばれていた。


 他にあてもないので、対価を支払ってやることにした。


(やれやれ、非公開データというのは、どの世界でも本当に高値で取引されるよな)

 ケネスが少し愚痴っぽくなるのも無理はない。隆太郎も、かつては自分のほしいデータにアクセスできずに苦しめられたクチだからだ。経済学界では、名声のある研究者には自社のデータを使ってほしいという依頼が次々に舞い込み、その貴重なデータでしか行えない研究で名声をさらに高める、というようなサイクルがあったのだった。

 

 対価の支払いにはクライン商会の為替手形を利用した。国一番の商会なので信用力が高いし、支店が津々浦々にあるので利便性も高い。クライン商会に一泡吹かせるためのデータを得るのに、彼らの送金ネットワークを利用するというのはなんとも奇妙なことだ、とケネスはちょっと愉快な気持ちになった。


 発明家ファーガソンが用意してくれたデータの到着を待っている間、ケネスは久々にデイビッドから呼び出しを受けた。なにごとかと思えば、なんと今日をもって子爵家の家族と家臣が剣闘士くじを買うことを禁止するという。


 ケネスが衝撃を受けて立ち尽くしていると、父親はその理由を淡々と説明してくれた。

「ここのところ我が家の護衛何人かが剣闘士くじでかなり勝っていてな、それを見ていた領民から疑惑の声があがっているのだ」

 どうやら、ケネスの代理でくじを買っていたポールやその他の護衛が、勝率の高さに気づいてケネスと同じ剣闘士に賭け続けていたらしい。そうしているうちに、何度も高額の換金をしているところを見とがめられ、八百長を働いているのではないか、と子爵家にクレームが入ったのだという。


(ポールのあんぽんたん!)

 ケネスは護衛らの無用心さに呆れるのと同時に、自らのうかつさにも腹が立った。

(周りの目を気にせず、勝ちがすぎてしまった)

 しかし後悔したところで、子爵家は八百長などしていないと証明するのは不可能である。デイビッドの決定を渋々受け入れるしかないのであった。


 リバーシ事業を売却し、剣闘士くじを買うことも封じられてしまったケネスには、もうこれといった収入がない。

(本当にワインで一髪当てるしかないぞ、これは)

 ケネスは再び決意を新たにするのであった。






 数ヶ月ほどしてマーリーズ領の降水量と気温の記録が届くと、それをみたケネスはゲンナリしてしまった。


 まず、降水量の記録は日誌のような形態が取られており、神々のその日のご機嫌に関する余計な考察が加えられていた。

(昨日の霧雨は太陽神様が悲しみに暮れている証に相違ない、って知らんがな)

 気温の記録はさらにひどい。ファーガソンが温度計に改良を加えるために、目盛りの単位がしばしば変更されていたのだ。連続性を保つために、過去の気温は改めて最新の単位に計算し直さなければならない状態であった。

(これは相当ハードなデータクリーニングですよ……)


 前世と同じような苦労を強いられていることに疑問を感じつつも、ケネスはデータを整理する地道な作業に時間を費やした。データを一貫性のある数値に直し、きれいな表にまとめる頃には、ケネスはまたひとつ歳をとり、8歳となっていた。

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