A piece of
「もう、バレンタインかぁ」
ぼんやりと遥月は仮設のショーケースに並ぶ某有名チョコレートたちを見た。ハート型のそれらは、明かりに照らされ、幸福を届ける役目を果たさんとばかりに輝いている。
ここしばらく、遥月はバレンタインに縁のない生活を送っていた。
特に気になる人が出来るわけでもなし、合コンにいっても収穫は得られない。
その原因は、頭の片隅にいる、忘れられない人の存在だろうか。
樹川大輝。いわゆる元カレである。お互いがまだ大学生の時だった。
彼のそばにいると、心地よかった。陽だまりのような笑顔が好きだった。
だが、社会人になって会う時間も減り、すれ違いも多くなり。自然消滅して、今に至る。
もしかしたらまだ、彼と続いているのかもしれないという希望は、彼の連絡先が2年経ったころに消えていたことで脆く崩れ去った。
職場から電車を乗り継ぎ、一人暮らしの部屋の最寄り駅にたどり着く。
空は夕焼け、一面がオレンジ色だ。
ちょうど大輝に告白したのも夕暮れだった。
バレンタインデーで、少し不格好なチョコを渡したっけ。
昔の記憶と空を見上げながら足を進めていた。
「は、づき?」
懐かしい、柔らかな風の音のように響く、中低音の声がした。思わず声の元をたどる。
スーツ姿の、大輝だった。
「大輝。ひ、久しぶり」
かつての恋人に向ける声はつかえて、思うように出ない。
「なんで、ここに?」
「私、ここで一人暮らししてるから」
「そう、なんだ。あ、友達の家が、この近くだったから、その帰り」
「そっか」
たどたどしい会話は続かず、風が二人の間を通り過ぎる。
「……っていうのは、嘘、ごめん」
え、といつの間にか逸らしていた視線を彼の顔に移す。大輝は遥月から目を逸らしたまま言葉を続ける。「さっき電車の中で見かけてさ。それで、どう声かけたらいいか分かんなくて。迷ってて──」
言葉を聞きながら、遥月は少しは私のことを気にしてたのかなと淡い期待と、連絡先も消えたのだからという失望感が同時に胸をよぎらせる。
だから、
「ずっと、好きでした。
じゃなくて、まだ今も、好きです」
という言葉は、突然静かな水面に投げられた石のように頭の中に響いた。
目を見開く遥月に、大輝はコートのポケットから何か取り出した。
……もしや指輪、だったりして。
「あの、まだ、好きでいてくれてるなら、貰ってください」
手を開くと、そこにあったのはキャンディーみたいに包まれた1粒のチョコレート。
大輝の方を見ると、目をつむっていた。
迷いなく遥月は、そっとチョコレートを手に取った。
「ありがとう。私も、です」
パッと勢いよく大輝は顔を上げ、嬉しそうな照れくさそうな笑顔を見せた。
「大輝、私てっきり指輪を渡されると思ってたよ、しかもこれだとは思ってなかった」
少し吹き出しながら、遥月は言葉を発した。
「さっきも言ったよ、偶然持ってたって」
負けじと大輝も言い返す。
「あと、連絡先は?」
「ん?ああ、携帯壊れて。それで、初めからになっちゃって」
ごめんごめんと笑い合っていたが、なんとなく、静かになった。
その頃には空はオレンジから、濃紺へ変わっていた。
「改めて、よろしくお願いします」
「こちらこそ、私も不束者ですが、よろしくお願いします」
そう言って握手し、そのまま手を繋いだ。
♪
カレンダーに、丸をつける。好きなオレンジ色で。
明日は2月14日、バレンタインデーである。
「よし、作戦決行」
遥月はたった今ラッピングし終わった箱を見つめてうなづいた。
次の日の夕方。
人混みの中に青色のコートを羽織った大輝を見つけた。さすがに大輝だけが輝いて見える、なんて言えないけれど、すぐ姿を見つけられる。
「大輝、先に着いてたんだ」
「うん、緊張しちゃって、30分前に着いた」
早いね、と言葉を返しながら腕時計を見る。約束の10分前である。
「じゃ、いこうか」
手を繋ぐ。大学生の時は、手を繋ぐのもやっとだったが、二人とも数年の歳月で変わったのだ。色んな面で。
今日は大輝の家でゴロゴロしよう、と提案したのは遥月からだった。仕事も忙しいので、どこかに行くというのも疲れるし、チョコをすぐに食べて欲しかった。
「はーいどうぞ」
「お邪魔します」
家は、小さな、どこにでもあるようなアパートの一室。
大輝の部屋に入るのは初めてで、少しだけ緊張を感じながら、遥月はソファに腰を下ろした。少し間を空けて隣に大輝が座る。
男性の一人暮らしらしく、物もそんなになかった。オーディオと、テレビ、そしてベッドの存在感が大きい。
夜ご飯を食べ終わり、音楽をのんびりと聴きながらソファでくつろいでいる大輝に、遥月は丸い箱を差し出した。
「ハッピーバレンタイン、だよ」
「ありがと、食べていい?」
ほっこりとした笑顔で大輝は箱を開け、意外そうな顔をした。
「これ、この間の…」
「うん、それをね、真似して作ってみた」
遥月が渡したのは、様々な味のキャンディー形チョコレート。
1つ取って口に入れる。
「美味しい、ありがとう」
何回も頷きながら大輝は残っているチョコを嬉しそうに見ていた。と、その目線を遥月へ移し、じっと目を見つめる。
「どうしたの、たい」
たいき、と名前を続けられなかったのは、彼の目に浮かぶ熱を見つけたからである。
呼吸が、上手くできない。
全てを視線で絡みとられてしまったかのように。
二人にあった間はもう1ミリも残ってない。
相手の、呼吸の音が聞こえる。
顔が近づく。
家に行こうと、提案した時に、心のどこかで遥月は分かっていた。こうなることは。
大学時代は、怖くて、超えることは出来なかった。
でも、今なら。
「遥月、だいじょ」
「いいよ、大輝。続けて」
大輝の言葉を遮り、腕をそっと掴んだ。
唇が合わさる。思っていたよりも、柔らかくて、甘い。ほんのりとチョコレートの薫りと味がする。
唇を離し、大輝が耳元で囁いた。
遥月はコクンと首を縦に振り、二人はベッドへ向かい、シーツへ沈んだ。
♪
遥月は、耳に吐息を感じてうすく目を開けた。
目の前にしっかりとした胸板がある。
……胸板?
顔を上げると、目の前に大輝の寝顔があった。
ああ、そうか。と昨晩のことを思い出した。
横の温もりがいとおしくて、遥月は腕を大輝の背中にまわし、抱きしめる。
「……ん、おはよ」
「おはよ、大輝」
はにかんで遥月の頭をくしゃりと撫でて、大輝は夢を見てた、と言った。どんな夢?と聞いた遥月に大輝は優しい笑顔で話し始めた。
「どこか丘みたいな所にね、綺麗な白い木が1本生えてて、そこで遥月が丈が長い服着て笑ってた。天使かなって思って、目が覚めた」
遠くを見るような表情の大輝はあの時と変わっていなくて。遥月は彼の髪に触れようと手を伸ばした。
だが、朝の光に溶け込むように、大輝は姿を消した。
「……大輝」
消える直前、大輝は遥月の耳元に顔を寄せ、
「ごめん、ありがとう」
と呟いたのだ。
横には、まだ温もりが残っている。
「天使かなって、自分のことでしょ」
ひとりになった部屋に、小さな声が落ちる。
シーツに、パタパタと水滴が落ちる。
涙をこぼす遥月の頬に、風が優しく触れた。
大丈夫だよ、ここにいるからというように。
ふと顔を上げると、窓がほんの少しだけ、空いていた。緩やかにカーテンが揺れている。
「ありがとう。私も、好きです。ううん、愛してます。今でも、これからも」
頬を撫ぜる風に乗せて、
遥月は夕焼け空の下で言えなかった、
ずっと言いたかった言葉を伝えた。
1日だけの、甘い恋だった。
Fin.
この小説は、Twitterでフォロワーさんと共に作成したコンピレーション・アルバムを元にしたものです。
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