データの読み込みに失敗しました
パッケージ版でCDやDVDなどといった光学メディアを用いるゲーム機。これらのゲームで良く行われる、いや、ダウンロード版が主流となりつつある現代からしてみれば、良く行われていた、か。ともかく、《トレイオープン》なるバグ技があった。これは、フィールドマップなどを歩いている時にディスクトレイを開け、データを読み込ませないことで、本来ならば通行不可能な座標にも移動できてしまう、のようなバグを引き起こす技だ。データを読み込めなかった部分のマップは表示がおかしくなるか、何も表示されなくなるか、だ。
俺は、そのトレイオープン技をたった今試してみた。
バグ状態から復帰するには、開けたトレイを閉めればいい。ディスクからの読み込みが再開されて、正常なマップ画面が表示される。しかし。
「あー、クソ。1歩ずれてたよ……」
正常状態に復帰した画面を見て、俺はため息をついた。行きたかったマップ、その島に上陸するのに、キャラクターの歩数にして1歩、実際の座標からずれていた。
つまり、キャラクターは今、海上で足踏みをしていた。
海上では船に乗っていないと全方向が移動不可扱いになるので、この状態になったら詰みだ。ゲームをリセットして、前回セーブした場所からやり直さないといけない。
「……仕方ねー、またやり直すか」
俺はリセットボタンに手を伸ばし、
「和也ー、そろそろご飯よー」
それに重なって、階下から母さんの声が聞こえた。ちなみに、和也というのは俺の名前だ。
「ああ、今行くよ」
俺はゲーム機をそのままにして、部屋の扉を開けた。
漆黒の空間が広がっていた。
「な、何だよ……これ……」
俺の部屋を出たところ。俺ん家の廊下があるはずのその場所には、何も無かった。……いや。
上を見上げたら、廊下の照明器具が虚空に浮かんでいた。最近LED電球に換えたばかりのそれは、何も無い漆黒の空間でぽつんと白く輝いていた。
ほかにも、よく見ると別の部屋の扉とか、壁の掛け時計とか、マップ以外のオブジェクトがそこらに浮かんでいる。……何だよ、これ。まるで俺ん家がトレイオープンされたみたいじゃねえか。
「和也、何してるの? 早くいらっしゃい」
相変わらず母さんの声だけは聞こえてくる。
トレイオープン技は、既にメモリ上にロードされている分のデータやプログラムに関しては、問題無く実行される。実行されなくなるのは、ストリーミング再生されるBGMなど、ディスクからの読み込みが発生する部分に限ってだ。
どうすればいい? 俺は、この漆黒の空間を歩いて、どうにかダイニングまで行くべきなのか?
「……………」
しばらく考えたが答えは出ない。
俺は、思いきって1歩を踏み出すことにした。
床を踏みしめる感触はあった。俺の部屋から外へ踏み出した瞬間に奈落の底へ転落、などという展開にならなかっただけマシか。
しばらくすると、この漆黒の空間から俺の部屋が消えた。……キャラクターの位置情報と照らし合わせ、メモリ上に保持しておく必要が無くなったマップデータは破棄される。新たなデータを読み込めない以上、現在位置から移動すればするほど、メモリ上のデータは無くなっていく。絶対に破棄されないデータは……《俺自身》か。
俺の部屋とダイニングなんて毎日往復しているはずなのに、いざとなると殆ど思い出せない。あやふやな記憶から《この辺かな》とアタリをつけて、その位置まで歩いていく。
かちゃり。
唐突に脳内に短い効果音が鳴り響いた。まるで、今まで開けられていたトレイが閉められたかのような。
屋外マップでトレイオープン技をやると、海上に出ることがある。じゃあ、ダンジョンなんかの屋内マップで同じ失敗をやらかしてしまったら?
俺のゲーム、最後にセーブしたのっていつだったっけ……?