EP094 不気味な影と光の正体
何とかボパルを説得することに成功した余市は、隠れ蓑を脱いで擬態を解いた。
その後、金嚢から非常食を取り出して、ふたりで簡単な食事を摂る。
クモの糸から栄養は補給されているとはいえ、それはあくまでも最低限の生命維持レベルのものに過ぎない。摂れる内に食事を胃に入れておく方が良いに決まっている。
「まだ朝までは時間があるが、食事を終えたら早めに戻った方がいい」
「一緒について来ねーのかよ?」
「勿論ついて行く。お前の身体に上手く糸を巻き付ける必要があるからな」
食事を終えるとふたりは立ち上がった。
梯子を上がってホールに出た。誰も居ないことを確認して螺旋階段を進んで行く。
この四角い構造の時計塔内部であれば、中空きの矩折れ階段の方がしっくり馴染みそうだが、建築家が敢えて螺旋階段を選択した理由は何なのだろうか…少しでも距離を短縮したかったからか?
そんなどうでもいい疑問が湧いてくる。
上がり切ったところで潜望鏡のように床面から首だけを伸ばして周囲を見回した。
クモ女の姿は見えない。まだ天井の巣の中で寝ているのだろう。
しかし、こうして落ち付いて見てみると、この部屋には村人が囚われているだけでなく、奪ってきた物と思しき食糧も蓄えられていたようだ。芋やトウモロコシなどが隅に積んであり、豚や牛などの家畜も壁際に吊るされていた。
余市のデビルノーズをもってしても今まで気付かなかったのは、それらがクモの糸によって真空パックのように包まれていたからに違いない。
忍び足で部屋の奥まで進み、糸に手を掛けてボルダリングするようにして壁を登り始める。
太い糸には触れないように注意しなければならない。
慎重に時間をかけて、漸くボパルが磔にされてした場所まで辿り着いた。
「はぁーマジかよ…またここに磔にされるなんてよぉ…」
「我慢しろ。念のためコイツを持たせておく」
嫌な顔をするボパルの手に、錆爾から預かったナイフを握らせた。
続いて、身体を固定して上から糸を巻き付けていく。
周囲で磔にされている村人たちを観察しながら、違和感のないように丁寧に巻き付けた。
「暫くの辛抱だ。必ず助け出す」
「頼むぜ、マジで!」
「おう」
余市は螺旋階段を下りて、再び鐘のある展望空間へと戻って来た。
先ほどの戦闘中に錆爾が塔の壁を通過したと仮定するなら、ヤツとて計画が狂ってしまったことを知っているだろう。『やれやれ、困ったものですねぇ』などと言いながら下りて行ったに違いない。
朝までは時間がある。
今の内に下の機械室でも偵察しておくとするか。そしてできれば獣人族の首領が眠っているとされる時計塔技師のための休憩室の方も覗いておきたい。
梯子を下りて機械室の扉を開いた。
獣人は居ないかどうかを真っ先に確認する。
ガタゴトガタゴト…幾つもの大きな歯車が一定のリズムで動いている。
文字盤が塔の四面全てにあるため、機械室内部は全面のほとんどが歯車で埋め尽くされていた。
部屋中央には巨大な機械が設置されており、そこから太いシャフトが何本か回転しながら各面の歯車へと直結していた。
電球や蛍光灯のようなモノは無いが、内壁には蛍光特性の樹液が施されているため、真っ暗ではなかった。仮に真っ暗だったとしても、デビルアイを持つ余市にはノープロブレムだ。
…どうやら獣人は居ないようだ。
錆爾の言っていた情報の通りであれば、上の機械室は獣人たちの待機所となっている筈である。こんなにギスギスとしたスペースで全員が休んでいるというのだろうか?
残りの獣人族は10体だと聞いているが、クモ女と首領、見張り役の2体を除けば、6体が休んでいるという計算になる。
そしてその6体の内、2体は朝から午後3時迄に村人を攫い、更に2体は農場エリアで食糧を漁っているのだ。
勿論、今となってはタケシの代わりに余市がその10体の内の1体に数えられているのは言うまでもない…。
何にせよ、こんなスペースでは、歯車を固定している太い柱の上にでも寝ているか、ハンモックのように宙空間を活用していると考えなければ6体は厳しいだろう。
続いて文字盤の点検口を確認しておくことにする。
錆爾の計画通りにことが進んでいたとすれば、伝書鳩の出入口として活用することになっていたからだ。
文字盤の直ぐ裏側まで辿り着くのも結構大変である。少し気を緩めれば、手足や頭などを歯車に巻き込まれてしまいかねない。
グリース系の強烈なオイル臭の中を慎重に進んで行く。
足元には備品や工具などが仕舞ってあるであろう大きな箱や予備の歯車などが転がっており、うっかり躓いてしまえば大きな音を立ててしまうだろう。勿論、機械室は常に音がしているが、そのBGM化した一定のリズムを狂わす異音は侮れない。真下に寝ているであろう獣人族の首領に気付かれてしまうおそれがある。
文字盤の裏側から見ると、点検口は文字盤の中心部を起点として左側に開いているが、外側から見れば3時の位置に該当する筈だ。
円形のスライド式の蓋で塞がれていたが、鍵などは掛かっておらず、簡単に開くことができた。大きさは人間の頭とほぼ同じ程度で、あくまでも外を覗く程度のモノだった。だが蓋を開けておけば、伝書鳩が入るには十分な大きさである。
数メートル横には文字盤の表に出られるであろう小さな扉も設置されていたが、鍵が掛かっていた。
そして、これらの構造は他の三面も同様のようである。
なるほど、なるほど…これで大体の構造は分かった。
だが、この機械室や文字盤の裏の点検口の確認は、もはや無意味なことなのだ。
当初の錆爾の立てた計画通り、ボパルを捨て駒にしていたなら、ここに夜中は潜伏して、昼間は下の休憩室で首領を監視する計画だったのだ。しかしタケシを消してしまった以上、今後は余市がタケシとなって他の獣人どもと同様に、上の機械室で休まねばならないのだ。
とは言え、確認できるところは全て見ておく必要がある。
錆爾の情報が正しいものかどうか、裏を取っておくのは勿論、獣人族の首領の姿も確認しておきたい。
時計塔技師の休憩室ということから、上のクモ女の部屋と同様の造りとなっている筈だ。
機械室の床に設置されている扉に手を掛けて、ゆっくりと持ち上げた。
いきなり全開にするような愚は犯さない。まずは数センチ程度である。
床に頬をくっつけて覗いてみる。
何だか、雇われ刺客の忍者になったかのような気分である。
時代劇などで、下から薙刀で『クセ者!』などと言われて刺されるシーンを思い出してしまう。
グゴオォォー…グゴゴォォー…
立派ないびきが聞こえてきた。
同時に部屋のどこかで青っぽい光が明滅していることに気付く。
お洒落な照明か?
AVで観たラブホのような派手さはないが…テレビを付けっ放しで部屋の明かりを消した部屋とでも言うべきか。それにしてもこの部屋の暗さは…蛍光効果の樹液は剥がされてしまったのだろうか?
とにかく、これだけ大きないびきを掻いているなら大丈夫だろう。
余市はゆっくりと扉を開くと、備え付けられた階段に踏み込んだ。
そして完全に部屋に侵入し、扉を静かに閉じた。
階段の最上部にしゃがんだまま、部屋全体を見渡す。
…殺風景な部屋だった。
唯一、壁に何か工程表のようなものがデカデカと貼られているが、それが元々あったモノなのか、獣人が新たに貼り付けたモノなのかは分からない。
部屋の中央にはベッドがポツンとひとつだけ置いてあるのだが、いびきはその上から聞こえていた。
ヤツがイサオとかいう獣人なのだろうか?
生意気にも獣人の分際でタオルケットのような物を掛けており、ここからのアングルでは顔は確認できなかったが、少なくとも体格がそれほど良いとは思えなかった。
相変わらず部屋は青い明滅を繰り返しているが、その明滅のタイミングには規則性がないようだった。明滅の正体を探ろうと視線を光源の方に向けた時、余市は大きく息を飲んだ!
光源は螺旋階段のある下の階から漏れているようだったが、その階段の入口に1体の獣人が腰を下ろしていたのである!!
正確には、この部屋の床に腰をついて、足だけを螺旋階段に投げ出している風だが、幸い背中をこちら側に向けているせいか、余市は気付いていない様子だ…。
この部屋には寝ている首領しか居ないとばかり思っていたが、まさか、もう1体の別の獣人が居ようなどとわっ!
話が違うジャマイカ!錆爾よ!
だが、余市が何よりも驚いたのは、下からの青い光がピカッ!っとする度に、壁に大きく映し出されしその不気味な影であった!
そのシルエットは、戦国武将の兜にあるような、V字型の鍬形の体をしていたのだ!!
しかも、改めてその獣人の頭部に照準を合わせてよく観察してみると、それは被り物などではなく、どうやら頭部そのものの形のようなのであるっ!
漆黒で硬そうなその頭部は、これまでに目撃したツヨシやタケシ、そしてクモ女とも違う、まるで異質なモノだった。
異質と言えば、服を着ているというのもこれまでの獣人との相違点である。
背中に錦鯉が二匹プリントされた和風テイストのシャツを着ていたのだ…。
にしても、ヤツはあそこに座っていったい何をしているのだろうか?
余市は金嚢から隠れ笠と蓑を取り出して、音を立てないように慎重に装着した。
もしヤツが振り向いたとしても、動かなければ保護色の効果でやり過ごせる筈だ。
少しして、その獣人はすっくと立ち上がった。
ツヨシよりも明らかに大きかった…。2メートルはあるだろう!
そこで更に恐ろしい光景を目にした!
頭部の鍬形が、昆虫のクワガタのようにクイックイッ!っと数回、開閉を繰り返したのである!!
う…動くのかっ!?
ってか!ヤツはそのまんまクワガタ獣人なのかっ!?
クワガタ獣人は螺旋階段をゆっくりと下りて行く。
あの下に何があるというのだろうか?
余市は少し悩んだが、勇気を出して階段を下りると、クワガタ獣人が座っていた辺りまで忍び足で前進した。そして螺旋階段の下の方を覗きこむ…。
コ…コレはいったい…?
そこは、上の階層にある螺旋階段と比べて、倍近い高さのホールとなっており、その最深部の中央からは、強い光が放たれていたが、何かの実験でもしているのか、煙も少し立ち込めていた…。
この程度の距離なら、デビルアイを駆使すれば様子が窺える筈なのだが、煙のせいでよく見えない。
既にクワガタ獣人は階段をかなり下の方まで進んでいる…オレも下りてみるか!?
意を決して大胆にもクワガタ獣人の後に続いて螺旋階段を下りて行く。
下では別の獣人が2体、働いていた。白衣を着用している…。
おいおい…クワガタ獣人だけでなく、他に2体も居るジャマイカ!
ってことは、上の階層の機械室には6体ではなく3体が休んでいるという計算になるのか…?
「おい、順調か?」
「はあぁーいぃ…イサオ様ぁー…」「あと数日ってトコじゃのう…」
「此度の検体には期待しておる」
「はあぁーいぃ…」「うむ…」
何っ!あのクワガタ獣人がイサオだったのか!
そうなると…上で大いびきを掻いているヤツはイサオではないということになる…。
にしても、あのイサオとやら…何てイイ声してやがる!
アニソン四天王であり大御所のひとり、某イサオにも引けをとらぬ伸びのある低音!
白衣の2体は、老人とその助手といったところか?
螺旋を更にもう一周下ってみる。
が、これ以上の接近は危険だ。
そう言えば、検体とか言っていたが、何の実験をしているのだろう?
首を伸ばして青い光の中心を凝視した。
はっ!アレは村人っ!?
光と煙に包まれて、薄っすらと見えたのは、何と寝かされた村人であった!!!
床には魔法陣のようなモノが描かれ、その上に全裸で仰向けに寝かされているのだ!
青い光の正体は魔法陣によるもので、煙もそこから放たれていた。
腰の曲がった白衣の獣人は、蛾のような櫛歯状の触覚を村人に近付けたり遠ざけたりしている。
白衣の襟元からは、モフモフとした汚れた毛布のような毛がはみ出していた。蛾の獣人か?
そしてもう1体は、かなり特殊な姿をしていた…。
それはもうカタツムリである!
白衣を着ているとは言え、背中には穴が開いているのか、大きな渦巻き状の殻があり、足も二足歩行ではなく、それどころか脚すら無く、カタツムリやナメクジ同様の蠕動運動によって移動していたのだ!
触覚も柔らかそうにウネウネと動いていた。
「何かあれば小さなことでも報告しろ」
「はあぁーいぃ…」「うむ…」
やばい!イサオが螺旋階段を上がって来た!
余市は最後に出入口の扉の様子を窺う。
アレは何だ?
てっきり扉は木材や石などで開かぬように固定されているものとばかり思っていたが、何やら半透明のネバネバとしたボンドのようなモノで接着されている風に見える…。樹液か何かか?
確か一昨日あたりから開かなくなったということを聞いていたが…そう考えると、この不気味な実験も昨日あたりから始まったということなのだろうか?
オレ的に実験と決めつけているが、見方を変えれば何かの儀式のように見えなくもない…。
あの全裸の村人を何とか救う術はないのだろうか?
しかし、少なくとも今は無理だ!
イサオが螺旋階段をあと3周も上がってくれば、オレの存在がバレてしまう可能性が高い。早くここから退散せねば!
余市は一目散に螺旋階段を上がり終えると、そのまま階段も登って機械室に戻ろうと思ったが、怖いモノ見たさとでも言うべきか、折角だから首領の顔をひと目拝んでやろうという気持ちが芽生えてしまった!
相変わらずの大いびきである。
バレる筈もない!
ベッドの方へと忍び足で接近すると、枕元に回り込んだ。
そしてタオルケットから覗くその顔を見たのである!
な…何だ…と!?
そこにはツルッ禿げの色黒の男がヨダレを垂らして寝ていたのである!!
コイツが…人間が獣人族の黒幕だったのか!?
角瓶の言っていた、マリカを攫って行ったアシナガバチに乗ったスキンヘッドの人間というのは、おそらくコイツで間違いないだろう!
ヨノ村に先に侵入して有刺鉄線を解除したというのも、コイツに違いない!
ってことは、今、この時計塔にはタケシであるオレを含めて10体の獣人とひとりの首領が居るということになるのか…。
そろそろイサオが螺旋階段を上り終えてしまうやも知れん!
しかし…今なら…今なら獣人族の首領であるコイツをヤレル!
どうする!?オレ!!




