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嗤うがいい…だがコレがオレの旋律(仮)  作者: ken
第一章 現世から異世界へ(仮)
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EP009 幼虫は次元の狭間で苦悩する

この世界には、多くの国が存在している。

平和で豊かな国もあれば、紛争や飢餓に苦しんでいるような国もある。


そんな中で、現代の日本は極めて平和で豊かな部類の国であると思う。


生まれた時点で既にそのような環境なので、余りにもそれが当たり前になっていて、平和を享受して生活していることを改めて実感するようなことは少ない。

基本的人権や最低限度の生活を営む権利などを標準搭載していること自体、何気に凄いことなのだ。


水も豊富で毎日入浴できるし、和食だけでなく世界中の食文化も楽しめる。

温かいところが良ければ、九州や沖縄、四国など、逆であれば北海道や東北と、縦に細長い形状が故の選択幅も広い。

治安も良く医療施設も発達しているため、普通に生活していれば、命を危険に晒すようなことはほぼ無い。


後天的な事由により、私生活に満足していない人間はどこにでもいるが、日本という土壌に生を受けたこと自体に対して強い不満を抱いている日本人は多くないように思う。


リズム感があり、運動能力の長けた黒人に生まれたかった!

ドイツ人のようなカッコイイ名前が欲しかった!

ブラジル人女性のような尻が圧倒的に不足している!

オレがアメリカに生まれていたなら間違いなく痩せている部類だった筈なのに!

何故!オレの陰毛は黒い!?

…などといった人種的な話ではない。


生活環境の話である。


生活環境とは少し違うが、風習や文化的な部分では日本にも問題がないワケではない。

ぱっと思いつくだけでも、3つある。

対人関係の問題、海洋国家としての問題、映像メディアの問題だ。


まず対人関係に於いては、挨拶が硬過ぎるということを言いたい。

戦国時代の武将たちは、敵と相対した時には、礼節作法として己が何処の何某(なにがし)であるかを声高らかに名乗ってから戦いに挑んだというが、この習慣自体は非難しようとは思わない。

問題は鎖国を崩して開国した後である。


何故!堂々と挨拶代わりに美少女とハグできない!?

美少女の頬っぺに軽くキスをする習慣を、当時の日本人はどうして受け入れなかった!?

別に挨拶時に美少女に耳を甘噛みしてくれと頼んでいるのではない。そんな贅沢は言っていない。

カステラや種子島、革靴などのように、何故、西洋文物のひとつとして取り入れて定着させなかったのだ!?


『散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする、丁髷(ちょんまげ)頭を叩いてみれば、因循姑息の音がする』

などと詠んでいる暇があったなら、往来を歩く美少女をひとりでも多くハグすべきだったのではないか!?


百歩譲っても、美少女の手の甲にキスをする騎士道(シヴァルリ)風味の礼節だけでも輸入すべきだったのではないか?武士道とはそこまで不器用で男臭いものでなければならなかったのか?



そして、海洋国家として恥じるべきは、何故、ヌーディストビーチかない!?

身に纏った小さな布にロマンを見出すという崇高な美学を否定しているのではない。

何の変哲もない布切れでも、美少女がその肌に纏った刹那、途轍もない価値が息吹くという化学反応は道理に適っているし、色柄や形状、素材など、実に奥が深い分野であることも重々承知しているつもりだ。


ただ、九州や四国あたりに数か所、ヌーディストビーチがあっても罰は当たるまい!と言っているのである。

よく考えてみて欲しい…この海洋国家である日本に於いて、ヌーディストビーチが一か所もないというのが話になるのか!?あ?

若い女性に限定する、という唯一の鉄のルールさえ忘れなければ、観光にも大いに貢献すること待ったナシである!鄙びた漁村が世界有数のヘヴン・ビーチとして潤いも華やかにリボーンするのだ!



最後に映像メディアについてだが…モザイクがウザい。

二次元及び三次元女性の局部に施すモザイクに、どうしても意味を見出せずにいる!


茶の世界では香りを聞くなどというが、綺麗な花は香りは勿論、目で楽しむ必要があるのだ。

特に香りを楽しめない映像媒体に於いて、全てを包み隠さずに見る楽しみは必要不可欠(エッセンシャル)である。

可能であれば、モザイク有りバージョンと無しバージョンがあれば尚一層良いであろう。布の美学を時にはモザイクで代用することも男の成長には欠かせないファクターなのだから。

モザイク越しに、その花が薔薇なのか細い(スジ)なのか…それとも食虫植物なのか、もはや花でもなく黒いアワビなのか…。


勿論、人権問題やプライバシーの問題で、顔にモザイク処理を施したり、目線を入れることには反対していない。寧ろこの点については身をもって痛いほどに理解しているつもりだ。


今、目を閉じても当時の光景をくっきりと思い起こすことができる…。



その残酷な事件は、中学卒業も残り僅かとなった或る日の教室で突如として勃発した!

担任教師が出来上がった卒業アルバムを配りやがったのだ!


卒アルの中ほどに、数ページに亘って想い出行事の写真が掲載されていた。

体育祭や文化祭の写真のほか、修学旅行の写真も数枚混じっていた。

その中に、宿泊した旅館の大浴場で、全裸の男子が湯船で一斉にジャンプしている写真があるのだが、これは担任教師がわざわざ膝を捲り上げて浴場に侵入して、ふざけて撮った一枚である。


浴場が明るかったせいもあり、売店で購入したインスタントカメラとは思えぬほど鮮明に写っていたが、被写体である生徒らは皆、はしゃいでいたとはいえタオルで局部をガードすることを忘れてはいなかった。

勿論、余市は馬鹿共に釣られてはしゃぐような愚行には興じず、写真に入る気など毛頭なかったのだが、浴槽から出るのが間に合わず、結果的に不本意ながら端の方に写ってしまっていたのだった。


そう。それだけなら良かったのだが…。



何としたことか!余市の局部がノーモザイクで比較的大きく写り込んでしまっていたのである!


大きくとは言っても、それはそれ、もともとが粗末なモノである。

剥けていない無垢なそれが、具体的には5ミリほどの長さで写り込んでおり、ペニスの実寸比で言えば1/10スケールほどであった…。


片足を湯船の縁に掛けて浴槽から出る瞬間を激写スクープされており、複雑な水飛沫(みずしぶき)の間隙を縫って、ひょっこりと露出していることを鑑みれば、悪魔的なタイミングと言わざるを得なかった。

タオルを握った左手が、あと僅かに下がっていたなら事件にならずに済んだのである。


そして、ある意味それ以上に悪魔的なことは、ペニスの写ったネガが写真屋で普通に現像され、その写真を選別した複数の学校職員や委員会の生徒諸子が誰ひとりとして気付かず、更に、その道のプロであるアルバム制作、製本会社サイドの厳しい検閲をも、余市の粗末なペニスがドジョウのようにヌルヌルと掻い潜り、皆の手元に配られたという現実である!


ドジョウではあるものの、そこには産卵のためにボロボロになりながら幾つもの障壁を乗り越えて上流を目指す鮭や、奇跡的な確率で子宮に辿り着く一匹の精子のような力強い生命力すら感じられるのである。

執念と言っても良いくらいだ。


不幸中の幸いは、この浴槽が屋内であったというコトである。

もしも、屋外に施設された露店風呂で露出していた場合、寒さでペニスが縮み上がり、ドジョウどころかタニシになっていた可能性は否定できず、男としての尊厳をより一層深く傷つける結果となっていたやも知れぬのだ…。


どちらにせよ、卒アルに誰かのペニスが写っているらしい…と最初に耳にした時は、


そんなことって…あるんだな。


と、ひと事のように然して驚きもしなかった。

だが、それが他でもない己のペニスだと判明した時には、小説を軽く超越した現実(リアル)であることに遅まきながら気付き、その恐ろしき運命に全身の震えが止まらなかった。


ひとは誰もが宿命付けられし星の下に生まれると言う…。


その言葉を信じるならば、卒アルにペニスが写ってしまうような宿命の下に生まれし己が宿星の名は、おそらく『羞星』ということになるのであろう…。そんな羞恥を司る星があればの話だが。


この前代未聞の事件は、文字通り珍事以外の何物でもなく、瞬く間に特ダネとして男女を問わず全生徒に知れ渡ることとなり、盛大に嗤われてしまったことは言うまでもない。


唯ひとり…当該写真をフィルムに収めた大罪人である鬼畜担任教師だけが『これは水飛沫だろ…それか宮城の左手の小指の先っちょではないか?』と皆に向かって懸命に反駁してはいたのだが、それは却って亀頭に塩を塗り込まれるような痛過ぎる所業でしかなかった…。

それがひとりの中学生男児である宮城余市のペニスであるというファクトは、誰の目にも明らか過ぎたのだから。


最終的には担任教師も『いいか?家に帰ったらマジックで消しておくように!クラスメイトの宮城のためだ!…これは誰の責任でもない事故だ。分かったな?』と騒ぐクラスを鎮めるかのように諭してはいたが、同時にそれは、正式にペニスであるということを認めてしまったことに他ならなかった…。

一見、余市を庇いクラスの連中に道徳心を説く模範教師のような態度を装ってはいるが…貴様のせいじゃ!バカヤロォーーーッ!!!何故撮った!?何故現像した!?何故チョイスした!?全ては貴様の仕出かした悪事じゃねーか!!!?



『天才!宮城余市!あそこは落第点!天は二物を与えず!』


そんなこの世の真理の如き誹謗中傷が黒板の片隅に小さく書かれていたのは翌日のことである。


皆の大切な想い出の1ページが、余市にとっては中学三年間を総括する最大の黒歴史の1ページとなった格好だが、裏を返せば余市のペニス1本が皆の大切な想い出を汚してしまったのかもしれなかった…。


何が言いたいのかといえば、余市はAV男優やお笑い芸人などではなく、不本意に局部を晒してしまった堅気の中学生であり思春期の未成年なのだから、こういう場合にはモザイク処理やフォトショでの飛沫の追加などといった配慮をして欲しかったということである。

プライバシーとして目線を入れるのは勿論、放送コードの問題からも、併せてモザイク処理は必須だった筈である!


先にモザイクの存在を否定しておきながらアンチテーゼのように聞こえるかもしれないが、つまり、モザイクの重要性は身をもって知った上での意見であり、対象を吟味せよ!と言いたいのである。

アウフヘーベン風味の意見として受け止めて欲しい。



以上、3つの問題点は、どれも日本に於いて死活問題に直結するような深刻なものではない。

余市の個人的な願望と受け取られても否定するのは困難である。

社会人になれば分からないが、少なくともガラスの十代でいるうちは、日本に住んでいるという理由で大きな問題に直面することはないだろう。



そんな日本の一般的な家庭に生を受けたにもかかわらず、北与野在住の娑婆僧は、その環境に満足していなかった。


食糧難でその日の食い扶持(ぶち)にも窮していたり、毎日爆撃テロに怯えているような国の人たちからすれば、ふざけんじゃねぇ!甘ったれてんじゃねぇ!

そんな罵声が四方から飛んできても全くもって不思議ではない。


だが、余市の場合は少し違うのだ。


何故、オレはフィンランドやデンマークに生まれなかったのだ!?と漠然と隣の芝生を羨んでいるのではないし、イタリアに生まれて本場のイタリアンを毎日食べたかったワケでもない。

大自然でターザンをやりたかったワケでも、カリブの海賊になりたかったのでもない。


勿論、日本に於いて北与野だけがサファリパーク敷地内のように隔離された特殊エリアということもない。寧ろ日本では北与野がベストである。


では何故?


問題の次元がそもそも違うのである。



そう、つまり次元である。

某ルパンでも五右衛門でも不二子でもなく、次元である。


どんなに豊かな人間も貧しい人間も、悪人も善人もイケ面もキモ面も、基本的に三次元の住人であることに変わりはないのだ。極々一部を除けば全て三次元だと言っていい。


そんな中、余市は何もひとりで四次元に行きたいなどと贅沢を言っているのではない。

むしろ次元をひとつ落として二次元でその人生を謳歌したいと焦がれてやまない、どちらかと言えば謙虚な立ち位置の思想の持ち主なのである。


だが、幾ら謙虚な余市とて、流石に一次元はムリだ。

平面ですらなく線に過ぎないのだ。これでは生きてゆくスペースがない。

ドイツの哲学者の言っていた、一次元的人間などの意味ではなく、正真正銘の物理的に一次元ともなると、どのように存在し得るのかすら想像できない。


『そもそも二次元だって生きるスペースなんてないだろ?』


などという夢のないツッコミが聞こえてきそうだが、ここで言う二次元とはただの二次元ではない。


フフフ…二次元電脳世界である。


故に!技術の進歩や個人の努力次第では不可能ではないと、ここに断言する!


因みにゼロ次元だが…ゼロ次元の住人なら、ひょっとしたら居るのかもしれない。

線でもなく、もはや点でしかないワケだが。


チベットなどの険しい山の頂上で、ポツンと座禅を組んでいるような、悟りの境地に身を置く御方がノミネートしてきそうだ。

つまり、24/7常にその場を動かずに、雨水から全ての栄養分を摂取し、その身をもって三角錐の頂点を形成しているようなとてつもない存在である。

勿論、尖った山頂がその尻穴に突き刺さって一体化していてこそ、初めて頂点を形成している本物と見なすことができるワケだが。うーん…やや苦しいか。


まあ実際、ゼロ次元と一次元は考え難いし、魅力も全く感じていない。

なので現実路線としては二次元が丁度いいのだ。


『では何故、三次元よりも二次元の方が良いのか?』


などという今更感のある低次元の質問には答えられない。


分からなければ騙されたと思って飛び込んでみろよ!

貴様のマジノ線は目の前の検索サイトだ!コノヤロー!


としか言えない。


ここまでは理解して頂けただろうか?



だが、そんな余市とて、まだ三次元に身を置き、二次元に憧れているだけに過ぎない。

マジノ線を越えてからというもの、二次元電脳世界に陶酔して莫大な時間をその予習に割いてはいるものの、フィジカルは依然として三次元のままなのだ。


余市を虫に喩えた場合、二次元を成虫とするなら三次元は幼虫であると言える。

(サナギ)になることさえできれば、あとは成虫への変態(メタモルフォーシス)を待つだけである。

現在の余市は、カブトムシで言えば終齢幼虫にあたる3齢幼虫に該当する。

それも、蛹化(ようか)する直前の前蛹(ぜんよう)幼虫になりかけており、蛹同様に極めてデリケートな時期に差し掛かっていた。


そして、運命の巡り合わせとは()に恐ろしいものである。

今は人生に於ける蛹期間ともいうべき、浪人生に成り立ての時期でもあるのだ。

二重の意味で完全に符合してしまっているのである!


カブトムシの例に(なら)い、早ければ5月の上旬には蛹化が始まるであろう。

今回の旅は、人生に於ける幼虫としての最後の旅となる筈である…。


餌についても触れておくと、成虫の餌である甘い樹液は二次元美少女であり、幼虫の餌である腐葉土はリアル女子に該当する。

因みに腐葉土の中には、全く栄養価のない腐女子成分も若干紛れているが、そういう土壌では幼虫が伸び伸びと発育できないのは言うまでもない。

国産カブトが海外のカブトに比べて小型で、フィジカルがどうしても見劣りしてしまう主な原因は、日本の土壌には他国のそれと比べて腐女子成分が多分に含まれてしまっており、エピゲノムに少なくない影響を及ぼしているからである、という研究論文が発表される日もそう遠くはないだろう。

そういう意味でも成虫による産卵場所の選定は非情に重要なのである。


もはや前蛹幼虫に近い余市は、腐葉土などは滅多に口にせず、その時間のほとんどを蛹室とも言うべき自室に引き籠り、甘い樹液を夜のオカズにして静かに過ごしていた。


もともとリアル女子が周囲に居た高校生の頃から、その触手は二次元美少女オンリーに近かったが、浪人生となり部屋から出なくなってからは、より一層その傾向は顕著となり、もはやリアル女子などという懐かしい存在は脳内から消え失せかけていた。

それは、寝ている間も肛門が閉じているのと同じくらいに当たり前のコトとなりつつあったのだ。


…だが、何事にもイレギュラーは付き物である。

幾ら肛門を締めて寝ていても、無意識の内にうっかり寝っ屁をしてしまうことだってあるのだ。


そこに一抹のスキがどうしても生じてしまう!


邪悪な空気(エア)を外部に逃がす瞬間、僅かとはいえどうしても禁断の括約筋(ゲート)を緩めざるを得ないからである。これは油断や粗相などではなく生理的必要悪の領分である。



今、余市は早朝の荒川河川敷の土手に佇み、うっかり括約筋を緩めてしまったワケではない。

ただ、肛門もとい心に一抹のスキが生じて、目の前のリアル女子という懐かしい存在に視線を奪われてしまっていたのである。


しかもそのリアル女子は、本当の意味で懐かしいと感じる存在であったのだ…。



山崎(やまさき) (りん)


3年間を同じ学び舎で過ごした、高校の同級生である。

ただ、同級生であるというだけで、3年間でクラスが一緒になったことはなかった。


このリアル女子の希少さを語る上では、余市の高校時代(バック・グラウンド)についても紐解いてゆかねばなるまい…。



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