EP088 難しい状況
立ち止まったガーネットの直ぐ横には、小さな扉があった。
巧妙に周囲の樹皮と同化しているため、知らない人であれば桟道をそのまま通り過ぎている筈だ。
流石にこんな家レベルの扉がヨノ村の正式なゲートではないことは余市にも分かる。
その扉にはどこにも取っ手らしきものは見当たらなかったが、代わりに空き缶専用のゴミ箱のような穴があった。その穴からはロープが一本垂れているのだが、今、ガーネットはそのロープを、数度に亘って一定のリズムで引いている。
耳を澄ますと、奥の方で『チンチン…チンチン…』と微かな音がしていた。
ロープは扉の内側で、鈴だか鐘のようなものに繋がっているようだ。
暫くすると、扉は下から跳ね上がるようにして開いた。
水平に開いた扉が閉じないように、つっかえ棒を立てて姿を見せたのは、若い娘だった。
ユキエと同い年かやや上くらいに見えるその娘は、ガーネットと同じように赤い瞳をしていた。
「姉さん!お待ちしておりましたわ!」
娘はそう言うと、ガーネットに抱き付いた。
文で村の危機を知らせてきたガーネットの妹のようだ。
「話は後で聞く!」
そう言ってガーネットは扉を潜ろうとしたが、
「そちらの殿方は…?」
余市は慌てて振り返ったが、誰も居なかった…ってか!殿方ってオレのことか!?
「オレは…」
「彼は余市だ。こう見えても凄腕の助っ人だ。怪我人は彼の友人だ」
余市の自己紹介を遮って、ガーネットが端的に説明した。
「そ、そうでしたか…それは頼もしいです…わ」
痩せ細った作物でも見るかのようなその表情と、弱々しい声音からは、全く頼もしく思っていないことがバレバレである。ガーネットが、敢えて『こう見えても』と失礼に当たる紹介の仕方をしたのにも理由があったようだ。確かに見た目だけで言えば、オレはそのまま弱々しいことは否定せん…。
ガーネットに続いて、角瓶を抱えて内部に入れると、娘は急いでつっかえ棒を横にして、扉が開かぬように錠をした。
そこでふと、余市は何かを忘れているような感覚を覚えたが、そのまま先を進むふたりの後に続いた。
カミキリムシの幼虫が穿ったのではと思えるような、まん丸の細い道には例の蛍光樹液が施されており、特有のツーンとする匂いと共に、内部の光源を保っていた。
表に垂れていたロープは、穴の天井に一定のピッチで取り付けられた金具の内側を這って、テンションを保ちながら奥へと続いている。
少し進むと扉にぶつかった。今度の扉には取っ手が付いており、そのまま普通のドアである。
そこは十畳ほどの部屋だった。
直ぐ頭上には、大きな鈴が備え付けられており、外からのロープと繋がっていた。
中央には四角い卓が置いてあり、右側には二段式の簡易ベッドがあった。
あのキャンプ場のバンガローを思い起こさせる。
上のベッドからは、眠そうな顔が覗いていた。
その顔立ちからガーネットの妹と同世代ではあろうが、その瞳は赤くはなく、どことなく猫のような眼つきである。
ふたりはおそらく、ここで交代で見張りの番をしているのだろう。
「紹介が遅れたな。コイツは私の妹のルベラだ」
「ルベラと申します。…よろしくお願いいたしますですわ」
「お、おう、余市だ。こちらこそ…」
「…そしてアイツは確か…ええと…」
「シャトヤンシーにゃん!忘れるなんて酷いにゃーん」
「そうそう、シャトヤンシーだったな。済まん」
シャトヤンシーという娘は、猫のように頭を下にし、両手両足を使ってしてベッドから駆け降りて来た。
そして招き猫のように顔の横に手を添えると、
「はじめましてにゃん!」
と、余市に向かって挨拶してきた。
その言葉遣いには、敢えて突っ込まないでおくことにする。
「余市だ。よろしく」
「にゃん!」
「ルベラ、お前から話を聞く前に、まずは先に怪我人を医者に診せたい。余市を案内してやってくれ」
「それならこのシャトヤンシーにお任せにゃん!ついてくるのだ余市!」
ルベラが返事をする前に、シャトヤンシーが答えていた。
にしても、この娘、初対面の目上のオレに対していきなり呼び捨てかよっ!
ま…まあ、とにかく今はそんなコトよりも、角瓶を運ぶのが先決だ。
角瓶は先ほどから再び眠りについている。もう命に別条は無いだろうが…流石に臭い!身体を清める必要がある!
シャトヤンシーの後に続いて奥のドアから出て行く。
彼女は両手に猫手袋のようなものを嵌め、両足には猫スリッパのようなものを履いていた。
そして更に…。
「…その…何故、尻尾が生えている?」
前を歩くシャトヤンシーの尻からは、縞々の尻尾が生えていたのだ!
それが、どういう仕組みなのか、手も触れていないというのに、ゆらゆらと動いていた。
衣類に縫い付けてある程度では、垂れこそすれ、あそこまで左右に大きくは動かないであろう。
「コレにゃん?カワイイにゃん!ただ穴に挿しているだけにゃん!」
「んなっ!!?」
…ただ穴に挿しているだけ…とな!??
つまり彼女の尻尾の根元は、衣類を突き抜けて尻穴に挿してあるということか?
なるほど、直に尻に繋がっていれば、歩く度に動くのも納得である…。
ううむ…この異世界でも流行っていたのか?
お洒落なアナルプラグとやらがっ!!
長い階段を上って建物から表に出ると、そこにはクンニスキー村とほぼ同じような景色が広がっていた。
夜中なので、出歩いている者は見当たらないが、この時刻でも周囲が暗くないのは一緒だ。
そして、遠くに非常に大きな塔が屹立しているのが確認できる。
あれが、族によって陥落した噂の時計塔なのだろう。
確かに、クンニスキー村のものと比較すればひと回りほど太そうだ。
そして大きな違いは、ヨノ村の時計塔は、天井に穿った大きな穴を通り、更に上へと伸びているということである。
文字盤の少し上に鐘が設置されているのはクンニスキー村と一緒だが、その上に屋根はなく、そのまま塔の壁が穴を通って上へと続いていたのだ。
この天井の上にも何かあるのだろうか?
「もしや、この村は二階建てなのか?」
「そうにゃ。上は牧場エリアと農場エリア、そして食糧備蓄エリアとに別れているにゃ」
「それは…凄いな」
シャトヤンシーの話では、上の階には桟道からは入れず、この階に何箇所か設置されている階段もしくは昇降機を利用しなければ上がれない構造になっているそうだ。
歩きながら見渡すと、確かに村の壁面にそれらしき設備が見受けられる。
「着いたにゃ」
そこは診療所や、ましてや病院などには到底見えない、プレハブ小屋のような大き目の建物だった。
内部からは、呻き声が漏れていた。
「今は怪我人が多いにゃ。ここに皆を寝かせて、医者が診て回っているのにゃ」
例の族が時計塔に巣食ってからは、戦闘に参加した村人や、近隣のギルドから駆け付けた者たちの負傷が後を絶たず、普段の診療所のベッドでは到底足りない状況となったため、数日前に急遽、この小屋が建てられたということらしい…。
近隣の村からの正式な救援こそ得られなかったものの、並行して近場のギルドにジョブ依頼も出していたようだ。ヨノ村にギルドがあったなら、そもそも族の侵入を防げていたのかもしれないのに…と余市は思うのだった。
建物の中に入ると、そこは怪我人で埋め尽くされていた。
ベッドを確保できなかった者は、床に寝かされている。
その患者たちの間を、数人の医者や看護婦が、忙しなく歩き回っていた。
シャトヤンシーがその内のひとりを捕まえてくれたので、余市は角瓶の症状を説明し、診てもらえるよう頼んだ。
だが、順番に診て回っているため、直ぐにというワケにはいかないらしい。この光景を見せられれば、納得せざるを得なかった。
とりあえず渡された用紙に角瓶の名前や症状は記載した。後は身元引受人の欄だけだが、部外者の余市には、この村での連絡先などある筈も無い。どうすべきかと思案していると、シャトヤンシーが笑顔で自分の名前と連絡先を記入してくれた。連絡先は、さっきまで居た詰所のようだ。
「済まない。助かるよ」
「当たり前のコトにゃ」
…良い子猫ちゃんである。
角瓶を預け終え、ガーネットとルベラの元に急いで戻る。
時計塔の文字盤を見ると、時刻は午前3時を少し回っていた。
ガーネットとルベラは四角い卓を挟んで対面したまま、険しい表情で押し黙っていた。
余市が戻るまでの間に、ルベラによって状況が共有されのは間違いない。
「ガーネット、どんな状況だ?」
「…極めて困難な状況だ」
そう言ってガーネットは余市に現況を話し始めた。
族が村に侵入したのは、十日ほど前だそうだ。
侵入経路は上の階にある農場エリア側面の大規模な窓からだった。
ただ、この換気や自然採光を確保するための窓には、大きな昆虫などが侵入できないように、丈夫な有刺鉄線がメッシュ状に細かく張り巡らされていたとのことである。さしずめ巨大で危険な網戸と言ったところか…。
更に、無理にそこを侵入しようとすれば、警報装置が鳴る仕様ともなっていたとのことだが、誰ひとりとしてその日に警報を聞いた者は居なかった。
調べてみたところ、一部の有刺鉄線が、警報装置に感知されぬように奇麗に外されていたことが判明したのである。
ただ、その有刺鉄線は、内側からボルトで締められており、外側からはボルトを外すことが困難なことから、内側から何者かが外したと考えるより他はないらしい…。
つまり、族を手引きした者が、予め村に侵入していたということになるのだ。
しかも、ヨノ村ではクンニスキー村とは違って、村に訪れる人間をいちいち確認したりはしていないため、ここ最近に村に入った怪しい人物を洗うのは困難なのだそうだ。
実際に余市も角瓶もすんなり村へと入れている。
本来であれば、幾ら姉の知り合いとはいえ、見張り役であるルベラによって、肩の紋章チェックくらいはする筈である。
そして目撃情報などにより、今のところ分かっているのは、侵入してきた族は獣人族11体で、昆虫が侵入した形跡は無いとのことだった。
11体の獣人族の内の1体だけは何とか倒すことに成功したが、その1体を討伐するために、村人6人の命と20人以上の負傷者を出すこととなったという…。つまり、獣人1体を倒すのに、約30人もの死傷者を出したという計算である!
その倒した1体は、ハエのような顔をした硬い毛に全身を覆われた気持ちの悪い獣人で、人型をしているとはいえ、背中には透明の翅が生えていたという。その余りの悪臭のため死骸は直ぐに燃やされたらしい。
これまで獣人の目撃情報はダサイー大陸のあちこちで囁かれていたが、実際に倒したという事例は初かもしれないということだった。
獣人共は、夜が明けると同時に時計塔から出て来て村人を攫って行くが、その場で殺したり喰ったりはしないという。命を奪わずに、咬みついたり引っ掻いたりして弱らせた後に、時計塔に連れて帰るのだ。
塔から出てくる獣人は、一日に2体と決まっていて、その2体がそれぞれ決まって村人をひとりずつ攫って行くらしい。
そして人間だけでなく、農作物や家畜にもそれなりの被害が出ているらしいが、それらはまた別の2体が荒らしているとのことだ。
つまり、日に4体の獣人が塔の外に出ており、シフト制にでもなっているかのように、同じ個体が二日続けて姿を見せることは無いというのだ。
話を聞く限り、人間のような妙に秩序立った行動をしていることが分かる…。
先の1体の討伐の際には、獣人自身が死の危険に晒されたために、激しく抵抗して村人を死に追いやったが、これまでの行動を見る限り、奴らの目的は闇雲に人間を虐殺したり、喰い散らかすことでは無いようだ。
勿論、攫った人間を時計塔の内部で上品に料理してから喰らっている可能性は否定できないが…。
何にせよ、毎日村人がふたりずつ確実に攫われ、家畜や農作物が奪われているのだ。
この状況が続けば、いずれ村が滅びてしまうのは明白である。
かと言って、奴らに一定レベルの知能があると仮定した場合、攫われた村人が居る以上は無暗に時計塔に乗り込むのも危険と言わざるを得ない…。
有刺鉄線を外した者の存在も無視できない。
幾らヨノ村が誰でも入れる村だとは言っても、それは人間に限った話である。
獣人であれば直ぐに見つかっていた筈だ。巧みに人間に変装していたのか、それとも本当に人間なのか…。
角瓶は、獣人を指示していたのはスキンヘッドの人間だったと言っていたが、その人物が先に村に侵入した可能性も高いのではないか?
余市に現況を話し終えたガーネットは、ルベラに時計塔の見取図を探すように命じたのだった。




