EP054 店先での勝負
ユキエが居なくなり、余市と響の前にはミハルだけとなってしまった。
ベッドにはコキオも居るが、既に寝てしまったようである…。
さてどうしたものか?
不思議そうにじっと見つめてくるミハルに話しかけてみる。
「お姉ちゃんは、いつも何時くらいに帰ってくるのかな?」
「うーんとね、えーと…色々だよ!」
「そ…そうなんだ。ミハルちゃんは、お姉ちゃんを待ってる時、いつも何してるのかな?」
「けん玉!」
余市の質問に元気な笑顔で答えた。
そして、傍に転がっていたけん玉を拾い、やり始めた。…なかなかに上手い。
だが、その上手さが余市を泣かせる…。
毎日、けん玉をしてお姉ちゃんの帰りを待っているのである…。テレビなどもなく、近くに遊ぶ友達も居ないのであろう。
「そっかぁ…じゃあ、今日はこのお兄ちゃんと一緒に遊ぼうか?」
と、自分の顔を指差して笑顔を作ってみせた…が!
「イヤッ!」
けん玉を中止して、小走りに響の背中にしがみ付いたミハル。
ややドヤ顔風味で余市を見つめるのは響であった。
「子供の目というのは確かなモノよ。普段のおこないを反省なさい」
何なんだよ!この展開は!?
確かに、一般人に比べたら、ややロリコンやもしれぬ…っだが、カワイイレベルであって、本物レベルのロリコンではない!
ミハルはそんなオレの些細な潜在的ロリ適性要素をも見抜いたとでもいうのか!?くうぬぅぅぅ…。
ミハルを響に任せて、外をぶらつくコトにする。
正直、子供に嫌われるというのはあまり気分の良いものではない。…それも女の子にぃ!
外に出ると、夕方だというのに、明るさは変わらなかった。
ここがトゥーレ9と呼ばれる巨樹の中にある村だったことを再認識しながら道の方へと歩いて行く。
ぬおっ!アレは何だ!?
老人がダンゴムシの背に跨っている!
後ろには車輪の付いた荷台があり、野菜のようなモノが積まれていた。
よく見ると、ダンゴムシの両側、地面スレスレには、長い木の棒が渡してあるが、おそらくダンゴムシが驚いて丸まらないように固定するためのモノであろう…。ダンゴムシは、驚いたり危険に晒されたりすると、文字通りダンゴのように直ぐに丸まってしまうのだ。
それにしても、馬や牛ではなくダンゴムシを移動や運搬の手段にしようとは!
カルチャーショックである!生まれて初めて味わうレベルのカルチャーショックであった。
ダンゴムシは牛や馬に比べればかなり小さいのに、老人を載せて荷を引いていた。
巨大化した昆虫は、余市の想像以上にパワフルなのかもしれない。
面白いので、老人の乗ったダンゴムシについて行く。
時々、ダンゴムシは停止して、老人は野菜を販売していた。その間もダンゴムシは静かだった。人によく馴れた…ダンゴムシである。
野菜と交換しているのはコインのようである。
ここでの通貨なのだろう、幾つかの種類があるようで、色や形に違いが見られた。
少し気になるのは、辻地蔵のような感覚で、村のあちこちに炻器製と思しきタヌキ像があるということである。
それらのタヌキは笠を被り、ぶら下げている陰嚢も嫉妬するほど立派なモノで、まさに信楽焼のあのタヌキの置物そのものなのだ。
タヌキ像を数えながら暫く歩くと、飲み屋のような店先で大人がふたりで腕相撲をしていた。
この世界にも腕相撲が存在していることが、何故か微笑ましい。
勝負はあっさりとついてしまった。
「何だ!口ほどにもねーっ!他に腕っぷしのいい野郎はいねーのか!?ああん!」
負けた男は、コインを数枚、テーブルに置いて奥の方へと引っ込んでしまった。
どうやら、飲み代でも賭けている風である。
勝った方の男は、失礼な話だが、その人相と風貌から、肉屋を営んでいるに違いなかった。
ツルツル頭に反比例した顎一帯に茂る髭、ランニングシャツからは逞しい胸筋が覗き、胸毛も夥しい…ひと言でいえば、臭そうである。
2メートルはあるだろう万夫不当のその大きな体躯と乱暴な言葉遣いは、余市のイメージする肉屋そのものなのであった。
「何だ坊主?オレの顔に何かついているのか?ああん!」
絵に描いたような肉屋風味の顔に感心し、うっかり見とれてしまっていた!
ヤバイ!ブッ飛ばされるかも!
首の骨と指の骨を同時に鳴らしながら近寄って来るブッチャー!
「見ねー顔だな?他所者か?ああん!」
「あ、いやその…旅行者です。すみません!」
「はぁ!?こんな村に旅行者だとよ!ガハハハハッ!」
ブッチャーは振り返り、店内の仲間たちと共に笑いだした。
しまった!旅行者としたのは軽率だったか!?
「おい!ミンチ!貧弱なテメーでも流石にこの兄ちゃんには勝てるだろ?ああん?」
店内部が騒がしい。
背中を叩かれながら、ミンチと呼ばれた男が姿を見せた。中肉中背の男であるが、余市よりは体格が良い。顔つきから年も上であることが直ぐに分かった。
「おいっ!そこの兄ちゃん、コイツと勝負してみな!」
逃げ出せない雰囲気である…。
「いや、結構です!お金持ってないし…」
「ああん!金なんていらねーよ!その辺のゴロツキと一緒にすんじゃねー!」
ますます怒りを買ってしまったようだ!
渋々と店先のテーブルへと歩み寄る。
「へへっ!右手を出しな!」
恐る恐る右肘をテーブルに付ける。
「おい!ミンチ!もし負けたら有り金全部、この兄ちゃんに差し出せ!分かったな!?」
「流石にこんな坊主には負けねーよ!有り金だけでなく金玉だって3つ賭けるぜ!だははは!!!」
「おい、3つってーのはどーゆーことよ!?ああん!」
「ふたつはオレの、そしてもうひとつはマスターの分だ」
ミンチという男が背中に向けて親指を指したが、その方を見るとカウンターの内側でマスターらしき黒正装の男が、我関せずといった表情でグラスを拭いているが、目は少し泳いでいた…。
「おい坊主、この世は焼肉定食だ!男なら強くなれ!このオレのようになっ!」
「そりゃーオメー…弱肉強食の間違いじゃねーのか?」
後ろから誰かがツッコむ。
すると、その他大勢のギャラリーもゲラゲラと笑い出した。
「うるせー!職業病ってヤツだ!」
正直、意味が分からないが、肩をグルグルと回しながら語るミンチとかいう男…言うだけあって、かなりの上腕三頭筋をしている。下手をしたら、腕の骨を折られてしまうかもしれない!折られたら速攻で丁子を飲んで撤収しよう…。
ミンチと右手を組む…。
でも不思議である。手を組んだ感触では、何だか負ける気がしない。
「いいか?…レディーーゴーッ!!!」
掛け声がかかった。
ミンチは、余裕があるのか力を込めずに、こちらの顔を眉をハの字にしてにやけている。
ひん曲げた口元は、余市にも負けず劣らずの卑屈さを醸し出しており、変態犯罪を幾度となく繰り返すも逮捕されない知能犯を彷彿とさせた。
だが少し変だ…額のこめかみ辺りが妙にヒクついている。上腕三頭筋も倍近くに膨れ上がり、握った手の甲には血管が浮き出てきていた…だが、表情は余裕を保っている…否!必死に余裕を装っているようだ!
「…ちっとはやるじゃねえの」
おいおいコレってマジか?
試しに手首に少し力を加えてみる…すると、
「ぬぅおあっ!!」
変な声と共に、途端にミンチの表情は崩れ、泣きそうな顔へと変化したではないか!
ハの字の眉はそのままだが、にやけていた口元は大きく丸く開かれ、チープなダッチワイフのようである!
変な汗でテカったミンチの今の表情は、ウレタンやシリコン、はたまたラテックス製などの高級風味のリアルドールとは一線を画す、風船式の安物臭を放っていた!
貴様!南極何号だ!?
思わずそんな問いを投げ掛けたくなる滑稽な表情である。
見守っていたギャラリーたちも、ここにきて何かがおかしいと気付き始めたのか、ざわついて集まって来た。
レフェリーを務めるブッチャーも、
「おいおい!何ふざけてやがる!さっさと叩き潰せ!ああん!」
ミンチに発破を掛ける。
だが、その声でうっかり腕に力を込めてしまったのは余市の方だった。
バチィィン!!!
ミンチの手の甲は、テーブルへと叩き付けられ、腕だけでなく、身体全身が捻れるように床へと倒れてしまったのだった。
テーブルの下で抜け殻のように萎れてしまったミンチは、空気の抜けた風船式ダッチワイフそのものである。
これには一瞬、周囲も静まり返ったが、直ぐに割れんばかりの歓声が沸き起こった!
「ウオオオオォォォーーーーッ!!!」
どうやらブッチャーの仲間は数人で、その他大勢は皆、アンチもしくは腕相撲の被害者のようだ。
ブッチャーもミンチもこれだけの観衆たちの前では、言い逃れできないだろう。
ミンチは悔しさを滲ませながら、腰の巾着を取り外すと、それごと余市の前に叩きつけるようにして置いた。
「おい!金玉はどうした!?賭けたんじゃなかったのか!?」
後ろの方でそんな声が笑い声と共に聞こえてくる。
そんな気まずい雰囲気の中、ミンチは肥溜めに落ちた負け犬のような何とも形容し難い目つきで余市を睨んでいる…。そんなミンチの得体の知れぬ凄みに気圧されそうになりながら、
「いやその…お金も…金玉もいらないッスから…」
と、遠慮がちに声を掛けたが、横からブッチャーが
「駄目だ!約束は約束だ!金はくれてやる…が!玉は冗談だ!分かったか!?ああん!」
ミンチの代わりに答えた。
「坊や!駄目だぜ!しっかり金玉も差し出して貰わねえと!くっくっく…」
「うるせえっ!!!」
バンッ!!!
ブッチャーが店の壁を強打して吠えた!
流石に他の客たちもびっくりしたのか、少し静かになる。
「おい兄ちゃん、見直したぜ…なかなかやるじゃねーか?ああん」
ブッチャーが顔を近付けてきた…強烈なアルコール臭である!
「い、いや、それほどでも…」
「ものは相談だが、今度はオレと勝負しねーか?ああん…オレの有り金と今手に入れたその金で、仲良く取りっこしようや、なあ?」
耳元で小声で囁く。
「やめときます…すみません」
「兄ちゃん、勝ち逃げはよくねーぜ!なあ…」
後ろからブッチャーの仲間と思しき者が口を挟むが、
「テメーら外野は黙ってろ!これはオレとこの兄ちゃんの勝負だ!ああん!」
間髪入れずにブッチャーが遮った。
口元は笑っているが、目つきはマジである…逃げれそうに…ない。
まあ、負けてもオレに損はない。ミンチとかいう人の金を返せば終わりである。
それにしても、さっきの勝負はいったい何だったのか?
軽く力を込めただけだったというのに…それほどまでにオレの筋力は宝珠によって増幅していたというのか?
確かに、響の座った姿勢からのパンチや、ハサミムシにお見舞いした踵落としは凄まじいものがあった…オレにも似たようなパワーが…!?
…試してみるか。
ブッチャーの前にミンチから貰ったばかりの巾着を静かに置いた。
「ほほう…」
やる気になったかと、顎髭を撫でながら微笑むブッチャー。
ブッチャーも腰から巾着を外し、テーブルの上に置いたが、その巾着はミンチのそれよりも数倍デカイ物だった!コインの種類とかにもよるが相当の額に違いない!
そのやりとりをギャラリーも静かに見守っていたが、勝負すると決まったのを見て、先ほどよりも一段と騒ぎだした!
指笛を吹く者や、手拍子をする者、テーブルをリズミカルに叩きだす者など、もはやちょっとしたお祭り騒ぎである!
「いいか?そこに伸びている馬鹿と一緒にするなよ…オレは恐ろしく強い!」
「うん…こっちも今度は真剣にやるよ」
うっかりそう答えてしまったが、その台詞がブッチャーに火を点けてしまったようだ!
目玉を大きく見開き、鼻息も荒く、足下のポジションを小刻みに変え始めた。どうやら舐めてはかかると大変な相手であると自覚した様子である。
金玉をひとつ差し出す筈だった店のマスターが、カウンターの内側から他の客に促されるまま出て来た。
どうやら公平を期すため、マスターが直々にレフェリーを務めるようである。
ブッチャーと手を組むと、その肉厚たるやミンチの比ではない!
腕も筋肉がどうという以前に、絶対的な太さがまるで同じ人類とは思えない程なのだ!
傍から見れば、コクワガタとヘラクレスオオカブトとの勝負である!
マスターは、両者の手首の曲がりや肘の位置などを微調整していたが、ブッチャーの手首が曲がっているのかどうかなど、分厚い肉に包まれていてほとんど判断がつかないであろう。
少し時間がかかったが、ついにその時はやってきた。
「いいですか?…」
マスターが余市とブッチャーの双方を代り番こに見つめた。
そして両者が無言なのを確認すると、
「…レディーゴー!」
機械的かつジェントルに呟いた。
その瞬間、余市は腕にありったけの力を込めた!
ゴォキィィッ!!!
嫌な音がした…。
周囲も静まり返っている。
ブッチャーの腕は、身体を倒している方向とは真逆に倒れていた。叩き付けられた手の甲を中心に、木製のテーブルには太いヒビが数本走っていた。
「ウ…ウォオオオオォォォーーーーーーーーッ!!!」
地響きのような割れんばかりの歓声が、一歩遅れて湧き起こった!
勝負は一瞬にして決したのだった。
「何てガキだっ!一瞬だったぜ!!」
「スゲーもんをオラは見ちまっただ!」
「おい、今何が起きた?誰か説明してくれ、ちょっと飲み過ぎたか?」
そんな声が聞こえてくる。
ブッチャーは悔しいのか痛いのか、なかなか顔をあげようとはしなかったが、
「フフフ…ガハハハハハッ!!!」
突然、気でも狂ったかのように大声で笑い出したかと思うと、
「兄ちゃん、とんでもねーな…。オレは泣く子も黙るクンニスキー村の豪傑!ロースってもんだ。この先で高級肉屋をしている。名を教えてくれや…」
奇遇である!
クンニスキー村の豪傑だとっ!!…お前はオレか!?
それにやはり肉屋だった!オレには相手の職業を見破る能力まで備わったというのか!?
…とにかく同じ豪傑として正直に名乗っておくことにする。
「余市ッス」
「そうか!余市か!気に入ったぜ!フフ…名もなき旅行者、余市よ!」
いや、だから名は余市だと!!
馬鹿なのかっ!?と思わずツッコミそうになる。
ブッチャーは折れていない方の手で巾着をふたつ纏めて掴むと、余市の胸に押し当ててきた。
何となく受け取るのを躊躇っていると、
「強い者が奪い、弱い者が奪われる…常識だぜ!腕相撲とはいえ男の真剣勝負だ!このオレの…敗者の誇りを汚す気か?ああん!」
そこまで言われては…と、余市はふたつの金玉…じゃなく巾着を受け取った。
「グハハハハッ!!!調子こいて玉を賭けずに助かったわ!ああん!」
再び大笑いすると、
「テメーら!ずらかるぞ!!!」
「ところでロースの兄貴!その…腕は大丈夫なんスか?」
「大丈夫なワケあるかっ!!!滅茶苦茶イテーよ!貴様は馬鹿か!?ああん!」
そんなやりとりをしながら、数人の仲間たちと店を出て行ったが、慌てて店先に戻って来ると、
「マスター…ツケといて!…あ…あん?」
と弱々しくウィンクをし、再び去っていったのだった。
それほど悪い人物でもないようだ…。
その後、余市はヒーローのように他の客たちからモテ囃されたが、何故か、その中に女子はひとりも居なかったのであった…。
ついでとばかりに余市も酒を呷りながら、その日、ロースに負けたという客たちに金を返してやったもんだから、ますます余市の人気は跳ね上がり、知りたくもない男たちの自己紹介を沢山受けたのだった。
「オレはこの先で防具屋をやってるが、今度店に来てくれ!サービスするぜ!」
「女が欲しけりゃ夜に来てくれ!あんたには店一番の女を回してやる!」
とか、よく覚えていないがそんな感じである。
余市はロースの飲み代もマスターに支払ってやった。マスターが喜んだのは言うまでもない。
それでも巾着のコインはほとんど減った気がしなかった。ロースは相当、金を持参していたようである。それとも店に来てから稼いだのか?まあ、どっちでも良いのだが…。
そんな余市を、店の片隅で静かに見つめる者がひとり居た。
だが、誰もがこの人物の存在には気付いていなかった。何故なら姿を完全に消していたからである。いったい何者なのか…?
それはさておき、余市はその後も少し飲んでいたが、響たちをあまり長く放置していてはマズイだろうと思い立ち、マスターに自分の分の飲み代を払おうとした。
だがマスターはオゴリだと言って受け取らなかった。ロースの分の飲み代と、自分の金玉が無事だっただけでも御の字だという。
その言葉に甘え、そのまま余市は外に出たが、帰り道、路地を曲がり見えなくなるまで、皆は店先で余市コールを叫び続けていたのだった。
この日、ロースに腕相撲で勝ったことが、後に影響してこようなどとは、この時の余市は知る由もなかったのである。




