EP053 貧しい家庭事情
村への扉を目の前にして、響は立ち止った。
「ユキエにひとつお願いがあるのだけれど…」
「何でしょう?響お姉さん!」
ユキエは不思議そうに響を見つめた。
響は何を言い出すのであろう?
「その…この格好で村に入るのはどうかと思うの」
嗚呼!確かに!
スク水なのであった…しかも胸元の白布には『ひびき』と書かれている。異世界の住人に、この平仮名が読めるとは思えないが、変な文字だと余計な疑問を抱かせてしまう可能性はある。
素性が怪しまれると面倒だ。
かといって、隠れ蓑を羽織っては、意思の疎通に支障をきたしてしまう…。
「あ!気付かなくてすみません」
響の姿を改めて見直したユキエは、
「ではここで少し待っていてください」
と言い残し、ひとりで扉の向こうへと消えて行ってしまった。
ユキエが居なくなると、それもこれも全てお前のせいだ!と言わんばかりの視線で響に睨まれてしまった。
否定できない事実なだけに、己の深層心理に根差した業深き性癖を猛省するほかない…。
それにしても奇妙な偶然とはいえ、ユキエを救い、人の住む村に辿り着けたことは大きな成果である。
ひょっとしたら誰かが種の祭壇について知っているかもしれないし、可能性は低いが竹鶴たちの消息が何かしら得られるかもしれない。
10分ほどして扉が開き、ユキエが戻って来た。
「響お姉さん、こんなのしかなかったのだけど…」
自信なさ気に広げて見せたのは、ワンピースであった。
ワンピースと言えば聞こえが良いが、薄汚れて継ぎ接ぎも多い…。
何の飾りっ気もない地味なモノではあるが、妙に響のサイズには合っていた。
「御免なさい!昔、母が着ていたのしかなくて!」
「…良くってよ。気に入ったわ」
響が珍しく微笑んで答えた。
受け取ると足を通し、スク水の上から着用した。
そしてウェストを絞る紐の部分に金嚢を結び付けた。
「お母様にも後で礼を言わなければならないわね」
響はそう言ったが、ユキエは少し悲しそうな顔をした。
「母はもう居ないの…だから気にしないでください」
これには響も表情を失った。
既に他界しているという意味だと分かったからだ。
「そう…それは…」
「気にしないでください!さあ、行きましょう!」
響の言葉を遮って、努めて明るくユキエは言った。
その無理に作った笑顔が哀しく、思わず強くハグしてあげたくなってしまったが、犯罪とも取られかねないので、グッと我慢した。
そして隠れ笠を金嚢に仕舞いながら、ふと思う。
オレはこの格好で大丈夫なのだろうか?…と。まあ男の子だし、細かいことは気にすまい!
扉を抜けると、そこは材木などの積まれた倉庫のような部屋であった。
ユキエは扉を閉めると、その扉を隠すようにして周囲の材木を積んでいく。
どうやら、この外へと通じる出入口は、ユキエだけの秘密であるらしい。
だが、何も訊かずにおいた。
「ウチの合図で飛び出してくださいね」
そう言うと、ユキエは引き戸式の倉庫の扉をそーっと開き、首を出して辺りを窺っていたが、
「今です!」
その声で、余市と響はさっと外へと飛び出した。
そこは、見たこともないような世界だった!
木の中にある村である!
空は無いが、代わりに屋内球場よりも高い位置に天井があった。
だが、不思議と内部は明るかった。
光を放つ、ニスのようなモノが天井一面に塗られているようだ。後で聞いたところによると、一部の種類の樹木から採取できる樹液を加工したモノだということだった。
大きなダクトのようなモノが天井のあちこちに走っており、サイバーパンクな雰囲気も醸し出しているが、恐らく換気の役割を果たしているのであろう。村の壁にも何箇所かメッシュ状の窓が見られた。
強度を維持するためか、村の中央付近に大きな柱が聳えている。
それは、他所から持ってきて付けたような柱ではなく、元々この巨樹を刳り抜いて村を造る際に、計画的に残しておいた柱のように見えた。天井との接点に、接合したような痕跡が見当たらなかったからである。
地上には家屋がところ狭しと並んでいるが、ほとんどの家屋が巨大なキノコを利用して造られているようだ。鉄と木とキノコ…不思議な空間である。
竹鶴にはキノコ博士とからかわれていたが、余市はそれほどキノコに詳しいワケではない。
元の世界にも生えているキノコかどうかも判断が付かなかった。
一見した感じ、村とは言っても田園風景が広がっているワケでもなく、長閑というには建物もちと多い気がする。町と言ってしまっても良さそうな雰囲気を醸していた。
しかし、ここは巨樹であるトゥーレの内部にあるのだし、元の世界で見てきたような一般的な外にある村とは勝手が違うのだ。
田や畑などは、おそらくトゥーレの外にあるに違いない。屋内では雨も降らないし日光も差し込まず、作物は育たない筈だからである。
たった今出てきた倉庫は、村の外壁とも呼べる壁を背に設置されていた。
「まずは、ウチの家に来てください」
流石に今のは狙ったダジャレじゃないよな…?
ユキエの後について行く。
もう足の傷が癒えたのか、ほとんど支障なく前を歩いて行く。
「足はもう大丈夫なのか?」
そう訊いてみると、訊かれて初めて意識したのか、
「あれ!?ウチもう歩けてる!」
本人もビックリしていた。
ユキエの家に向かう途中で、何人かの村人とすれ違った。
元の近代化された埼玉と比べれば、服装は皆質素で、あまり豊かに暮らしているという感じではない。老人と女、子供が多く、若い男が少ない印象を受けた。
路上には、牛や豚、犬や猫などの姿も見られるが、どれも元の世界と同じ大きさだった。
「着きました!ここです」
てっきり、マッシュルームのルームを案内されるのかと期待していたのだが、ユキエの家はキノコ式建造物ではなかった。
そう…それはほぼ間違いなく牛糞と土で建てられた家である…匂いで分かる。
ケニアのマサイ族やインドの一部で見られるような、牛糞でできた家なのであった。
「お姉ちゃーん!」
中から小さな少女が駈け出してきた。そしてユキエの脚に縋りついた。
妹であろう。5才くらいだろうか?
「今度こそタダイマー!」
ユキエが答える。
さっきは、ワンピースを取って直ぐに家を出てしまったので、二度目の帰宅というワケだ。
「この人たちだーれ?」
「大事なお客さんだよぉ」
怪訝そうな瞳で余市らを見つめて呟いた妹に、ユキエは笑顔で答えた。
「ボロくて狭い家ですが、どうぞ!」
余市と響は今にも崩れて取れてしまいそうな木の扉を潜った。
流石に扉までは牛糞製ではない。
外から見た時の大きさから察するに、部屋は土間を上がったこのひと部屋だけだと分かる。
直ぐ左に窪みがあり、竈のようなモノと水場が見える。その奥に扉があるが、恐らく浴室であろう。
部屋にはベッドがふたつあり、その内のひとつを誰かが使用しているようだったが、布団を深く被っていて確認できなかった。コフコフと咳をしているようである。
父親だろうか?
布団はところどころ継ぎ接ぎした跡が見られるが、それでも綿のようなモノが数か所飛び出していた。…ふと、ギコのサドルを思い出す。
そしてその横に、小さな鏡台と荒らされた化粧箪笥がある。おそらく慌ててワンピースを探し出してそのままなのだろう。年代物の純日本風の箪笥であった。部屋の中央には小さなテーブルがあるが、家具らしきモノはそれで全てだった。
「姉ちゃん、誰か来たの?」
布団の中で咳をしながら声がした。少年のようである。
父親とばかり思っていたが、弟もいるようだ。
「姉ちゃんの命の恩人だよ!起きて挨拶しなさい」
ゆっくりと身体を起こして、少年はベッドから出て来た。
姉弟だけあったユキエに目元が似ていたが、その眼差しに生気はなく、顔色も良いとは言えず、身体は痩せ細っていた…。
どこか身体の具合が悪いのは一目瞭然である。
「そのまま休んでいてください」
慌てて余市は言ったが、
「姉ちゃん…姉を助けてくれて有難う御座います」
丁寧に頭を下げて礼をしてきた。
歳は10才ほどに見えるが、立派である。
「お姉ちゃん!死んじゃヤダァァーーー!!!」
傍で聞いていた少女が、泣きながらユキエに抱きつく。
何か勘違いをしたようだった。
「大丈夫だよー!お姉ちゃんが強いの、ミハルも知ってるでしょ?」
ミハルというらしい。
響はそんなやりとりを静かに見つめていたが、金嚢から丁子の筒を取り出すと、
「これを飲みなさい」
そう言うと、ユキエの弟の方に丁子をひと粒摘んで差し出した。
「はっ!それはあの時の!…良いのですか?」
自身の毒と傷を治癒したその実を覚えていたのか、ユキエは驚いたようだ。
「…お母様のワンピースのお礼よ」
「そ…そんな…とても貴重な薬なのでは?」
「貴方の弟さんほど貴重ではなくてよ」
響は無表情である。
「コキオ!お礼をしなさい!」
弟はコキオというらしい…うーん…コキオか。
そのコキオはワケが分からないといった表情だったが、姉であるユキエの強い口調に促され、
「あ、有難う御座います!…頂きます」
と畏まって礼を言った。
この丁子がユキエの命を救ったということを知らないのだから無理もない。だが、ユキエは柄杓で水を汲んで来ると、その旨をコキオに伝えたのだった。
コキオも直ぐに合点がいった様子で、丁子をゴクリと飲み込んだ。
そして響と余市に挨拶をした後、再びベッドに戻り横になった。
丁子の効能が、どれほどのモノなのかは、これまでの経験から知ってはいるが、怪我などではなく病を患っている者に対しても、同様に効くのかは分からなかった。病にだって様々な種類がある筈である。とにかくコキオの回復を願うばかりだ…。
その後、ユキエはトウモロコシを茹でながら、ユキエ自身やクンニスキー村のコトについて色々と話してくれた。
途中途中で質問なども挟みながら聞いたところによると…。
ユキエの両親は、数年前に亡くなったということだった。
母親は妹のミハルが生まれて直ぐに出産の疲労と流行り病とが重なって亡くなったらしい。
父親はその翌年に、アリとの闘いで命を落としたということだった…。
それ以来、ユキエは、村の鍛冶屋の手伝いをしながら日銭を稼ぎ、妹と弟を育てているという。
涙ぐましい話である…。
だが、国への納税も厳しく、鍛冶屋の手伝いだけでは追い付かないため、こっそりと村を抜け出しては、狩りをしているということだった。獲物を仕留めれば、食料になるばかりでなく、値のつくアイテムも時々、手に入るのである。
しかし、18歳を迎える前の若者が単独で村の外に出ることは禁じられており、見つかれば多額の罰金を支払わなければならないという。なのでユキエは、ひと気の少ない早朝を見計らって狩りに出ているそうだ。
因みに鍛冶屋の手伝いは、繁盛期を除けば基本的に夕方かららしい。
あの材木置き場から通じる秘密の通路の存在は、今となっては村の者でも限られた者しか知らないようである。
だが、その数名も、少女であるユキエが利用していることは知らないらしい。
もともとは、大昔にこの村を造る際に使用されていた通路であるという。
他にも何箇所か存在していたが、村ができて直ぐに封鎖されたようだ。外部から侵入される恐れがある出入口は全て封鎖し、正門と隣の集落へと繋がる通路以外は残すな、というお達しがあったからだ。
だが、当時の一部の村人からは、万が一の時のためにトゥーレの外へと通じる脱出経路を残しておくべきとの意見もあり、村長と結託して役人の目から隠すことに成功したのが、あの隠し通路であった。
ユキエは幼い頃に、ひょんなコトからあの扉を発見してしまったという。そして、数年前から利用しているようだ。
そして今、クンニスキー村は過去にない苦境に立たされているらしい。
村は周期的にアリの大群の襲撃を受けているという。
ただ、それは昔から続いている台風や地震のような自然災害に近い感覚ではあるようだが、ここ最近、その襲撃頻度が急増しており、多くの若者がユキエの父と同じように命を落としているのだそうだ。
その結果、働き手が減少し、地上への作物の収穫班に同行する護衛も少なくなり、最近では女でも闘わなければならないらしい。
そして、このような悪い傾向は、クンニスキー村だけではなく他の村も同様であり、村営はどんどん貧しくなる一方で、その皺寄せは、末端である村民に納税額の逓増という形で跳ね返ってきているのだ。
ユキエも、鍛冶屋の主人の紹介で、少し前に女戦士の登録を済ませたという。
両親を亡くし親戚も居ないたユキエにとっては、戦士登録の同意書にサインをしてくれる大人が必要だったのである。
アリや他の昆虫に村が襲われた際には、先頭に立って村を守る危険な任である。賃金や手当などは基本的に発生しないが、父の仇であるということと、育った村を守るという使命感から、ユキエは鍛冶屋の主人を必死になって説得したのだった。
収穫班の護衛任務では、多少の賃金が得られるらしいが、ユキエはまだそこまでの認められた女戦士ではなかったため、残念ながら今のところ護衛に指名されたことはないという。
その他、村の中央にある仕事斡旋所で仕事を請負い達成することで、それ相応に稼ぐことはできるらしいが、美味しい仕事はたいてい村の外での業務が多く、収穫班の護衛などの村の主体業務を除けば、ユキエは年齢的に単独で外に出ることが許可されないため、受けることができないのだった。18歳を超える同伴者とその証明を提出すれば、その限りではないらしいが、女であるユキエと業務を遂行しようなどという者は誰もいないのが現状だという。
だが、そんな若い女戦士でも、自らの実力を対外的に示すことができる催しが、近々あるという。
もしもそこで実力を認められれば、収穫班の護衛の仕事だけでなく、ギルドでの美味しい業務への同伴者として指名される可能性もあるらしい。実際に昨年、女性部門で本戦に出場した人は、その後、仕事が多く舞い込み、かなり稼いでいるという噂であった。
その催しは、1年に1度、都で開かれる武道大会である!
男性部門、女性部門からなり、各々、指定地域枠から3名ずつが選出されるという。
近隣の村や町と共同で開催されるが、都での本戦に出場する前に、まずは予選として村の代表に選ばれなければならない。
クンニスキー村からの出場者は、男女共にここ10年近く本戦では1回戦負けであるという。
昨年、村での予選で優勝したという女性も1回戦負けであった…。
これはクンニスキー村だけに限った話でなく、村の代表であれば、どこの村でもほぼ全て1回戦負けのようである。
都や町の代表は、村のそれと比べて戦闘訓練は勿論、武具にも差があるため、どんどん格差が広がっていく傾向にあるらしい…。
ユキエも勿論、出場する予定である。
昨年までは女戦士という身分ではなく、年齢も達していなかったが、女戦士となった今では年齢制限は解除され、出場資格を満たしたのである。
優勝なんて夢は見ていないが、少しでも見せ場を作り、大人たちに名を覚えて貰いたいと考えているとのことだった。
茹で上がったトウモロコシは、甘くて美味しかった。
あらゆる植物が巨大化している中で、どうしてこのトウモロコシは小さいのかと尋ねてみると、遺伝子研究の賜物でるという。
他にも、ジャガイモなどの芋類、豆や米などの穀物類、ブドウ等の幾種類かの果物は、小型化に成功しているという。小型化し、品種として固定する研究は、国で継続して推し進められているとのことだった。
既に泣き止んだミハルも、先ほどから横で美味しそうに頬張っている。
ついでとばかりに、巨大な昆虫たちについても訊いてみると、どうしてそのようなコトを訊くのかというように、逆に不思議がられてしまった。この異世界では、至って普通の現象らしい…。
他の地域に漏れず、クンニスキー村でも、人間の最も恐れるべき天敵はアリとクモであるという。凶暴性にかけては、更に恐ろしい種が他にも沢山存在するが、最も遭遇確率の高い代表的な天敵はその2種であるという。特に、クモに見つかったらまず助からないというのが常識なのだそうだ。
来る途中で大きなダンゴムシを見かけたが、ダンゴムシと同様に厳密に言えば昆虫ではないクモも、やはり巨大化しているようである…。
確かにクモは恐ろしい。運動能力でいえば随一と言えるかもしれない。
ハエトリグモなどの俊敏性で、ハエではなく人を捕食するのである…逃げる間もないだろう!
そして、タランチュラに代表されるように強力な毒を持つ種も多いのだ。元の世界では致死量の毒ではなかったとしても、この異世界でのクモは巨大なため、毒の量も半端ではない筈だ!
うっかり巣に掛かってしまう恐れもあるだろう…。
考えただけでも背筋が凍りつきそうであった。
そして、更に恐るべき事実として、この異世界に於いては、昆虫は成虫になってからも基本的に数十年は生きるものが多いとのことであった!中には100年以上生きるモノもいるという!
余市の常識では、一般的な昆虫は成虫に成長してからは数週間から数か月程度、越冬する種でもせいぜい数年であり、幼虫時期を入れるならまだしも、成虫に育ってから更に数十年も生きるなどというのは、有り得ない話だった!
だが、あまり驚いていると、いったいどこから来たのかとユキエに疑問を持たれる可能性がある。
ここは表面上、精一杯、平静を装って聞き流した。
そこまで話すと、ユキエは壁に掛かった時計を見た。
「そろそろ仕事に行かないと…」
どうやら鍛冶屋の手伝いの時刻らしい。
時計を見ると3時40分だった。
「こんなところで良ければ、今夜は泊ってください。帰りに沢山、食材を買ってきますので楽しみにしていてください!あと、妹と弟には気を遣わないで結構ですので!」
「でも、迷惑なんじゃ…?」
「そんなコトないです!久しぶりに賑やかで嬉しいです!」
余市に屈託のない笑顔を返すと、ユキエは小さな鞄を提げてそのまま外に飛び出して行ったのだった。




