EP052 村の名は。
結局、余市たちは、またもや清泉の洞窟へと引き返して来てしまっていた…。
安全そうな場所をここしか知らないのである。
かといって、奥の泉まで戻ったワケではない。入口に近い場所である。
響に命じられるままに、余市は隠れ蓑を羽織ったまま洞窟入口の警護をしている。
奥では響がユキエを膝枕させて休ませていた。勿論、隠れ蓑は羽織っていない。
響は、ユキエの持っていた材質不明の水筒を持って、途中1度だけ泉まで水を汲みに行ったようだ。
余市もいい加減、喉がカラカラではあったが、警護の任を離れて泉まで行くことは許されなかった。
水筒の水を分けて欲しいとも願い出たが、勝手な行動をとった罰として分けては貰えなかった…。
確かに余市は後先考えぬ危険な行動を侵した…。
竹鶴の言葉が思い起こされる。グループでの登山の心得である。
だが、結果としてユキエという名の少女を救うことができたのも事実である。
まあ、響からすれば、もっと安全な選択肢があったのかもしれないし、下手をすればジガバチの第二の餌食となっていた可能性も否定できない。
これからは、響との意思の共有をもう少しちゃんと取る必要があるだろう。とはいえ今は下僕の身、一方的に響の指示に従うほかないのだが…。
奥で声が聞こえた。
「も…もう大丈夫…デス」
「そう?」
「はい、助けてくれて…有難う…」
余程、怖かったのか、ユキエはそこまで言うと、静かに泣き始めた。
「礼なら入口に立っている男に言いなさい。私は何もしていなくてよ」
少女は泣きながら頷いた。
そしてフラフラと立ち上がると、毒針で刺された方の足を引き摺りながら、こちらに一歩一歩と歩いてきた。何度か洞窟の壁に手を掛けて小休止を挟んではいるものの、もの凄い回復力である!丁子の効果、恐るべし!
きょろきょろとしながらユキエはすぐ傍まで近付いて来た。
そんな姿を見て、再び隠れ蓑を脱ぐ。
ジガバチの巣で保護色の効果を既に目の当たりにしていたせいか、急に現れた余市の姿にユキエは驚いた表情を少しだけ見せただけだった。そして、
「有難う御座いました。あなたは命の恩人です!」
はにかんだ笑顔を無理に作りながら礼を言ってきた。その瞳は潤んでいた。
ネトゲでもなく、三次元リアルで、まさかこのような台詞を言われる日が来ようとは!!胸熱である!
「ああ、無理しないでまだ休んでな…」
ジェントルな対応である!少し格好をつけてしまった。
だが、先ほどはテンパっていて気付かなかったが、よく見ると、ユキエはかなり可愛い顔をしていた。
笑うとチャーミングな八重歯が少し覗き、弓矢で獲物を睨む真剣な表情とのギャップに、余市は胸をまんまと射抜かれてしまったようだ。
キミの矢はジガバチは外したが、どうやらこのオレのハートには命中しちまったようだぜ!ぐはっ!
ここであるコトに気付く。
何気なく会話をしているが、今、自分が喋っている言語が日本語ではないということに!
脳内では日本語で話しているつもりなのだが、口から出る音は、まるで聞いたことのない言語なのである!
ユキエの発する言葉も、タイムラグなく瞬時に同時通訳されて脳へと入ってきていた!
真性異言能力の真骨頂…恐るべし!
ユキエは、水筒を差し出してきた。
罰として響には禁止されているが、少女の折角の厚意を無駄にもできない。
チラッと奥に居る響を窺う…響は見て見ぬフリを装っているようだ。流石に少女のこの行為を咎める気はないようである。
ゴクッ!ゴクッ!ゴクッ!
約半日ぶりに水を飲んだ!美味い!美味過ぎる!生き返った心地である!
「ヨイチさん…というのですか?」
「まーな!余市でいい」
何が、まーな!だよ!
間髪なく自己ツッコミをお見舞いする。
駄目だ、格好をつけ過ぎていると、とんでもないオチ展開を惹き寄せてしまいかねん!
それに何気にカッコ良くない…。
「あちらのお姉さんは…?」
「…響…さんです」
間違っても『響でいい』などとは言えない。
「余市…と響さんね!」
ユキエは嬉しそうだが、少し複雑な心境である…。
「余市!ユキエさんに変なこと吹き込んでいないでしょうね?」
「も!勿論デス!」
ふたりが楽しげに会話しているのを奥で見ていた響が、こちらにやって来た。
「エッ!何でウチの名を!?」
「…私には何でも分かるのよ…15歳よね?」
「す!凄い!響お姉さん凄い!…でも少し怖い」
畏怖の念に満ちた瞳で響を見つめるユキエ。
響も分銅による能力であるとは、ひとまず隠したようだ。
それにしても『ウチ』って!『響お姉さん』って!何だか妙に萌えるではないか!
「ウチのことはユキエって呼んでください」
「ではユキエ、貴女はこの辺りに住んでいるのかしら?」
早っ!早速、呼び捨て!流石は響!
でも、このユキエという少女も、早速、余市って呼び捨てにしてくれていたような…。
まあいい…オレがそう呼べと許可したことだしな…ただ、どうしてもって言うなら『余市お兄たん!』って呼んでくれてもかまわないんだけど…な。
「はい!この先のクンニスキー村で戦士をやっています!」
ん?聞いたことのある少し懐かしい村の名ジャマイカ?
クンニ…クンニ…クンニスキー…はっ!!!
ぬおおおぉぉぉーーー!!!マジか!!?
まさか、このような村の名にまでオレの深層心理…っつーか!コレは深層心理ではなく、単にプレイしていたネトゲの記憶ではないのか!?…よもや偶然、何てコトはないよな!?
「ふふ…素晴らしい名前の村だね」
「そ…そうかな?何故だか分からないけど…少し恥ずかしいんだけど…」
頬を少し染めて視線を斜め下35度に向けるユキエ…合格である!
バコッ!
「ア痛ッ!」
にやにやしていたところを、何故か響にボコられる。
乙女を恥ずかしめた罪か?だが村の名はオレのせいではないし…否、オレのせい…だな、多分。
「私たちは遠くから来たのだけど、良かったら、その村に案内してくれるかしら?」
「はい!喜んで!」
ユキエは、こちらのコトについて、とやかく突っ込んで訊いてはこなかった。
訊かれたとしても、違う世界からやって来たなどと言うつもりもないが…。
「ユキエ、では早速、向かいましょう」
響はそう言うと、背中を向けて屈んだ。
えっ!オレが背負わなくていいのん!?
「余市では少し問題があります」
心を読んだのか、キリッとした視線が余市を突き刺した。
思わず数歩、後ずさってしまう。
そんなふたりのやりとりを、ユキエは不思議そうに見つめていたが、
「響お姉さん!そんな!私、歩けますから!」
「貴女のためではなくってよ。さっさとこのジャングルを抜けるためです」
そう言われ、遠慮がちに響の背に抱きつくユキエ…うーん!微笑ましい!
「余市、貴方はユキエの指示に従って前を行きなさい」
だいたい想像はつく…ユキエの黒いパンツをオレに見せないためだろう。
クソッ残念だが、仕方あるまい。
それから3人は、クンニスキー村を目指して出発したのだった。
村は、清泉の洞窟入口を背にして左斜め後ろの方角にあるようだ。
ユキエの指示する方角へと方向転換を繰り返しながら、余市と響は走った。
そのスピードが、ユキエにとっては超人的に映ったようだ。
「速い!!!凄い!速いぃーーー!!!」
子供のようにはしゃいでいる!
まあ、まだ半分子供のような年齢なのやもしれんが。
走った時間はせいぜい10分ほどであろう。
だが余市は驚いていた。
そのスピードもさることながら、貧弱な筈のこのオレが10分もの間、走り続けても息を乱さなかった事実に!
宝珠によって授かりし素晴らしい運動能力を改めて感じざるを得なかった。
そして今、3人の目の前には巨大な壁が立ち塞がり、行く手と視界を遮っていた。
その圧倒的な光景に驚きの声すら上げられなかった。昨日見た巨樹の感動が木っ端微塵に吹き飛んでしまった。木だけに…ちょっと寒いか?
ニュージーランドの最高峰クック山は、現地では『アオラギ』と呼ばれ、先住民の言葉で、雲を突き抜ける山の意味だそうだが、そう…この目の前の光景こそが、まさにアオラ樹!…かなり寒いな。
って、そんな冗談はさておき、右側の端は辛うじて確認できるが、左側は遥か遠くで蜃気楼のようにぼやけていて、どこまで続いているのかすら分からない、そんな山脈のような巨樹である。上空はどこまで続いているのか、デビルアイをもってしても確認できない…。
ひとつひとつのひび割れた樹皮の隙間すらも垂直に延びる大通りのようである。
「こ、ここがクンニスキー村なのか!?」
「このトゥーレ9には、ウチの村のほかにも3つの村があります。集落も含めるともっと沢山ありますが…」
「トゥーレ…9?」
「はい。この地域では9番目に太いトゥーレになります」
どうやら巨樹のことをトゥーレと呼ぶらしい。
ゼノグロッシア能力で巨樹と自動認識されなかったことをみると、固有名詞扱いなのかもしれない。
それにしてもこの木よりも更に太い木があと8本もあるってことに驚かされる!
しかし、木には多くの昆虫が集まっているであろうことは、少年でも知っている常識。大丈夫なのか?
視線を前方のトゥーレの幹に向ける。
数百メートル先とはいえ、デビルアイの能力で、早くもアリを捕捉した。昨日の巨樹と同様に長い列を成して何匹もトゥーレを登っている!
「村への入口はこちらにあります」
ユキエの指示通り、アリに気付かれぬよう注意を払いながら、トゥーレの幹へと接近する。
先ほどのようにスピードは出さずに、慎重に進む。
途中で大型犬ほどもある大きなダンゴムシを何匹も見掛けた。
彼らは落ち葉などを食べるワラジムシ目の甲殻類である。ムシとは言っても厳密には昆虫ではない。
この異世界で、巨大化している生物としていない生物が、これまでに生存することは分かっていたが、いったいどのような規則性となっているのであろう?
そもそもそんな法則などないのかもしれないが…。素直に元の世界とこの異世界では進化に違いがあると割り切ってしまうのが楽そうだし、そう考えるのが自然なのかもしれない…。
どちらにせよダンゴムシは襲って来ないだろうし、人の敵ではない筈だ。流石に異世界では肉食、なんてこともあるまい。そうなったらもう滅茶苦茶だ!
そんなことを考えながら進んでいると、
「着きました!ここです」
響の背中から降りて、ユキエは言った。
しかし、辺りに村らしき場所は見当たらない。トゥーレの幹にも到着していない。
「正門はトゥーレの幹の上にあるのですが…ワケあってここから入ります」
そう言うと、ユキエは目の前の巨大な落ち葉を退かし始めた。
するとその下に、縦横1メートルほどの小枝を編んだような格子状の柵が現れた。
ずれないようにする配慮か、四方に大き目の石が載せられている。
それらも退かし、敷かれた柵をずらすと、そこには縦穴があった!
狩人少女は狩人バチと同じ性質を持っているのかしらん?
そんな思いがふと起こったが、ユキエに促されるままに中へと入る。
内部には細い階段が設けられていた。
ユキエは葉っぱを載せた柵で穴に蓋をすると、その柵の中央部から下に垂れていたロープを階段下の大きな岩に括りつけた。
なるほど、外出する際には石で抑えた上に葉でカモフラージュし、普段は内側から石の重しで柵を固定しているというワケか。
「ちょっと待っててください。直ぐに明かりを灯しますので」
正直言って、デビルアイと響のキャッツアイがあれば、明かりなど必要ないのだが、折角の厚意を無下に断る必要もあるまい。それにユキエ自身には明かりは必要であろう。
ユキエは壁を手探りで何か探している様子だ。
「あれ…おかしいなぁ…」
「ひょっとしてコレか?」
余市の直ぐ足下に、西洋で言うところのランタンだかカンテラだかのようなモノが転がっていた。提灯と言うには無理のある、欧風のクラシカルなデザインである。
それを拾い、ユキエに手渡す。
「あー!有難う御座います、よく見つけられましたね!」
そう言うと、ユキエは早速、明かりを灯した。
穴は階段を下りると水平に伸びており、道は狭いが炭鉱の採掘抗のように天井と側面が木枠で固定され、比較的頑丈そうである。
再び響がユキエを背に載せて進む。勿論、余市は前を歩く。
チュウチュウとネズミが時々足下を横切る。
正直、気持ち悪いが、巨大昆虫を何度か見ているせいか、然程、気にならなくなっていた。
同時に、ネズミは巨大化していないというコトを知り心から安堵した。
「暗くないですか?大丈夫ですか?」
ランタンを持たずに前方を進む余市に、ユキエは声をかけた。
「ああ、大丈夫」
余市は振り返り答えた。
ユキエは不思議そうな表情をしていた。
ほぼ直線の通路を100メートルほど進むと階段が現れた。緩い階段である。蹴上の高さが踏面の半分ほどである。
数メートル上がると、少し広い空間に出た。
円形に近いその部屋には、中央に木製のエレベーターのようなモノが設置されていた。
木製とは言っても、箱の材質が木製というだけで、周囲の枠や滑車などの機材は鉄でできているようだ。
かなり錆が酷い…。
ユキエを先頭に箱に乗り込む。
余市には、油圧式なのかロープ式なのか、どのような構造なのか見当もつかないが、おそらく竹鶴なら必要以上に詳しく語り出すであろう局面である…。
側面に備えつけられたレバーをユキエは握り、体重を掛けて下方へと押し込んだ。
すると、外側の滑車とロープが勢いよく動きだし、ガタン!という大きな音と同時に箱が昇り始めた!
ブオォォン!ブオォォン!とどこかで音がしている。
スピードはないが、これだけの距離を歩いて上がることを考えれば、非常に便利である。
暫くすると、頭上でガタンッ!という大きな音がした。
どうやら到着したようである。何メートル昇ったのかは分からないが、かなり昇ったことは確かだ。ユキエに続き、エレベータから出たところは、先ほどよりも広い部屋だった。
奥に扉がある。
「あの扉の向こうがウチの村です!」
ユキエは振り返ると、嬉しそうに言った。
ク…クンニスキー村か…。
何だか感慨深い。




