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嗤うがいい…だがコレがオレの旋律(仮)  作者: ken
第一章 現世から異世界へ(仮)
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EP003 郷土愛と旅の真実

日本の首都であり、世界最大の経済規模を有する大都市、東京都。


その東京に、物理的に最も隣接しているにも拘わらず、どうしてもその慢性化してしまった鈍臭さを拭い去れずにいる、そんな某県がある…。

少し時代を遡れば、武蔵国(むさしのくに)として現在の東京都と共にひとつの令制国を成し、徳川政権のお膝元として栄華を極めた地域であり、日本全国からの羨望を一身に背負い込んでいたシティ。



…ダサイタマ。


シンプルにして強烈な臭気を解き放つ響きである…。


因みにコレが、臭い玉(クサイタマ)に衣替えした場合、それはもう口臭の原因ともなる膿栓(のうせん)を意味し、文字通り本格的な魔臭気を帯びることとなる。


他県に劣らぬポテンシャルを内包しながらも、この凄まじい破壊力(インパクト)を秘めた蔑称のせいで、その鈍臭い宿命を一身に背負い込む羽目となってしまったと言っても過言ではないだろう。

偉大なるダサイタマのお陰で、真の意味でダサイ幾つかの県がこっそりと裏で救われている筈である。


決して低くない評価をされて然るべき県なのに、その現実は、九州や東北のカッペ共にすら嘲笑されてしまうほどのステータスに甘んじている関東の雄…それが埼玉県だ。



そんな不憫な境遇に置かれている埼玉にあって、古くから新幹線の停車する駅として高い知名度を誇り、埼玉でもトビっきりに垢抜けていた駅がある。



そう、あの大宮駅である…。


埼玉最大のターミナル駅であり、県北部からは沢山のファッショナブルな若者たちが集まる、殷賑を極めしホットスポットなのだ。

駅の中央に聳える『まめの木』は、渋谷のハチ公のようにポピュラーな待ち合わせ場所でもある。



そんなアーバンライフの約束された大宮駅の、僅かひと駅隣でしかないにも拘らず、激しく影の薄い無味無臭の存在がある。


現時点に於いて、埼京線区間で唯一、1日の平均乗車人員がギリギリ1万人を切っている駅であり、知る人ぞ知る(ツウ)好みしそうなマニアックな存在とも言える。


後から直ぐ傍に開業した、さいたま新都心駅のように明るい未来が約束されているワケでもない、ただただ(ひな)びた干乾びた駅…。



いつからか、ひとはその駅を、北与野(きたよの)と呼ぶようになっていた…。


大宮という絶対的大木の幹にひっそりと照れ臭そうに生えている、シダ植物のような駅である。


そして、そんなシダ植物の根元に生える名も知れぬキノコのように、宮城家はポツリと佇んでいたのだった。



今、北与野駅の線路の下を潜る道を、1台のママチャリが穏やかに進んで行く。

植込みと街路樹で綺麗に整備された広い歩道を、時速10キロ程度でトロトロとペダルを漕いでいる。


ロン毛ではないが、不規則にそよぐ黒髪が鬱陶しそうだ。ここ最近、散髪をサボっていたのだろう。

チラチラと見え隠れしている耳には、勿論、ピアスなどは開いていない。

顔前面には、目と鼻と口が付いており、欠落したパーツはなさそうである。


腹でも下しているのか、変なドラッグでもキメているのか、はたまた明け方までオカズを漁っていたのかは分からないが、双眸の下には色濃くクマが走り、頬もコケていた。全体として青白く、お世辞にもヘルシーには見えない。

特筆すべきは、口元が何故か緩んでにやけているということだ。



普通にキモイ。


ただ、もう少し慎重に観察してみると、表情こそおぞましく卑屈ではあるものの、顔形自体はそれほど特殊ではなさそうである。


磨製石器のように滑らかな額は、猿のように狭くはないし後退しているワケでもなく、思春期特有のニキビのようなモノも見当たらなかった。眼窩上隆起(がんかじょうりゅうき)も出張っておらず、所謂、平凡な東洋人顔の範疇だ。


鼻背から鼻尖にかけても、それなりに筋が通っており、団子でもなければ鷲でもない。

鼻翼が心なしか微妙に膨らんで見えるのは、久しぶりの外の空気を満喫しているというよりも、にやけた口元と併せて考察するなら、純真無垢なサドルに尻を預けたことで気分がやや高揚してしまっているから…という解が素直に導き出せそうだ。


そのにやけた口は小さめだが、タラコ唇ではないし、前歯が必要以上に自己主張している気配もない。そのままぴっちりと閉じていてくれさえすれば、上品な部類であると認めざるを得ないであろう口元だ。


顎も夕月のようにしゃくれておらず、その先端も陰嚢(ふぐり)のように割れてはいなかった。

鶏ガラのように首が細いせいで、エラはどうしても少し目立ってしまうが、栄養を摂取すれば解決するであろう問題である。


鼻の下が特に間延びているワケでもなく、相対的にそれぞれのパーツの配置にも違和感は感じられない。



つまり、決してイケ面ではないにせよ、顔自体は至ってノーマルなのだ。


ただ、その病的なまでの表情を克服できなければ、これから先の未来、人生に於ける節々で支障をきたすであろうことに疑いの余地はない。

営業はもとより接客も絶望的だろうし、そもそも社会人として羽ばたく際に避けては通れない、就活に於ける面接ですら、唯の1社として突破できないに違いない。


内面から滲み出たその負け犬のような劣等感に満ち満ちた卑しい表情は、たとえ、にやけていずとも、幸が薄いであろうことは一目瞭然であり、相対するほとんどの者に不快感を抱かせてしまうことだろう…。



そんな前途多難な表情を持つ男、それが宮城余市なのである。


いつ頃から、こんなにキモイ表情、否、キモイ男になってしまったのか?


兄者や妹は間違いなく美男美女の部類である。


やや臭みのある縄文人のような濃い造りではあるとはいえ、違いの分かる昭和の若大将といった哀愁匂う笑顔を標準装備している兄者。

シャンプーや炭酸飲料などの爽やかなCMよりも、髭剃りや缶コーヒーのCMの方がしっくりと馴染むであろう男臭いキャラでもある。


その甘いマスクは異性は勿論のこと、公園のベンチなどで『やらないか?』と声を掛けられれば、同性ですらうっかりついて行ってしまいそうになるほどの危険なフェロモンを発散させているのだ。

稚児から老人まで、不快な思いを抱く者はひとりもいないであろう。


そして、数十万はするであろう高級リアルドールのように愛嬌こそ皆無ではあるが、北与野で最も整っているであろう顔立ちと、玉のように透き通った肌を持つ妹…。

性格は論外だが、見た目だけなら某VRカノジョのモデルにも引けを取らないであろう容姿なのだ。

天姿国色とまでは言わないが、天姿町色レベルには達している筈だ。


仮に北与野に独裁者が誕生し、某北朝鮮の喜び組のような御奉仕集団が結成されたならば、その暁には北与野の喜び組、栄えある1期生として無条件に連れ去られていたに違いない。

そして当然の如く満足組に配属も決定。

将軍様の寵愛と夜伽を独占し、下の唇がふやけるくらい四六時中クンニされて、それを見た他の同期たちは、下唇をワナワナと震わせながら『あの娘、明らかに独占クンニ法に抵触しているわ!』と地団駄踏んで歯噛みしていたことであろう。



余市とて程度の差こそあれ、兄妹と同じように両親から素晴らしいDNAを受け継ぎ、普通の容姿と高スペックな頭脳を授かりながら、その産声と共に軽快に三次元ライフをスタートさせた筈である。

少なくともベイビーだった頃は、こんなに歪んだ表情はしていなかったのだから…。


思い返せば、神童として名を馳せていた小中学生だった頃あたりから、徐々に周囲を見下し始めていた。

マジノ線を超えてからは完全に自分だけの殻に閉じ籠り、変質的(アブノーマル)な知識に溺れていった…。

二次元電脳世界という名の深淵(アビス)(うずくま)り、優秀過ぎる兄妹への劣等感やコンプレックスも最大限に肥大化させてしまった。

河童に注意の用水路の柵に背中を預け、急降下してしまった成績表をくしゃくしゃに握り締め、本来のオレの実力は全くもってこんなモノではないのだ!と、鼻水を垂らしながら神童だった日々を女々しく回想したこともある…。

そして村八分や生類憐みの令といった世間の冷たい風を肌で感じながら、どんどんと自らを日陰の道へと追いやってしまったのだ。卑屈な笑みを浮かべながら…。


つまり、雌伏10年間の凄惨なリアルの中で熟成された、後天的な要因によって完成をみた作品なのである。大袈裟な見方をすればソシオパスである。

余りあるポテンシャルを秘めながらも、些細な運命の悪戯によって、その人生を序盤にして大きく捻じ曲げてしまった代表的な事例であると言えそうだ。

それを自然界で喩えるなら、すくすくと真っ直ぐに育つ筈だったタケノコが、いきなり縁の下の板にぶち当たって、ストレスを溜め込みながらも仕方なく横に伸び始めた感覚に近い。



そんな余市だからこそ、埼玉県の境遇にはどことなく親近感を抱いているし、北朝鮮もとい北与野に至っては大いに共感できるホームタウンなのだ。


大きな発展を遂げ成熟した偉大な大宮を兄とするなら、今後の開発が何かと期待されている、さいたま新都心は妹なのだろう…。

その直ぐ傍で本来の発展を遂げられずに燻っている北与野という日陰の存在…。

細かいことを言えば、兄よりも北与野である自分の方が、僅かとはいえ大都市東京に近いのである。



ここ最近になって余市は、そんな北与野が自分にとって唯一、安全に生息が可能なエリアでもあるかのような、過度なローカル志向に囚われ始めていた。

裏を返せば、地域の老人でもないのに、北与野以外は全てアウェーでもあるかのような狭い視野を持ち始めたとも言える。


次に生まれ変わっても…それが不幸にも再び三次元であるならば、また北与野でひっそりと引き籠りたい…そんなクレイジーな郷土愛を抱き始めていたのだ。



だが、果たしてそれだけなのだろうか?


過度な郷土愛だけなら、さして問題ではないだろう。


今、余市が向き合いたくない真実。

それは、俗に言う外出恐怖症にも似た症状である…。


遠くに行くのが徐々に怖くなってきているのである。


三次元(リアル)危険度を示す余市的バロメータがある。


布団<部屋<<家<<<<北与野<<<<<<<<<<<<埼玉<<<日本<<世界<<宇宙<ブラックホール


注視すべき点は、北与野から外、埼玉県内の他の地域に出るハードルが、ここ最近になって急激に高くなって来ているという事実だ。

因みにここで言う北与野とは、正しくは北与野にある宮城家を中心とした半径せいぜい1キロ圏内のエリアのことである。


今はまだ北与野から抜け出す勇気は残っている、その証拠に今年は都内の大学も幾つか受験した。


だが来年はどうだろうか?


この速度でどんどん行動できる範囲が狭まれば、来年の今頃には北与野から一歩も出られない身体になっているのではあるまいか?


琵琶湖水系にしか生息していない立烏帽子貝(タテボシガイ)のように、北与野にしか住めない宮城余市となってしまうのではないか?

この先のリアル人生を、アメリカザリガニやブラックバスのように(たくま)しく生き抜くにはどうすれば良いのか?


いつまでも北与野という名の狭い水槽の中だけで、平穏無事に生活していける筈もないのだ。

某たいやきくんのように、勇気を出して海へと繰り出して行かなければならない。アウェーに打って出て行かねばならない。



今回の旅の目的、それは浪人生という一種のインターバル期間を利用して、アウェーへの恐怖心を克服するという意味合いが強い。

小休止を入れて己を見つめ直すため…などというもっともらしい格好をつけた理由でもって、旅の真実を糊塗して濁しているが、実のところリハビリのようなものなのだ。


ただ、北与野…自宅周辺から離れるのが怖いなどという情けない己の現実から目を背けていたかった。

意図して意識しないように努めているのである。



とりあえず、手始めに埼玉県内の山岳地帯、秩父(ちちぶ)である!

アウェーである秩父を制することができれば、ほとんどそれは埼玉を制したも同然のことなのだ!



大きく旋回しながらママチャリは巨大な建物の陰へと入って行く。

どうやら目的地であるホームセンターに到着したようだ。



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