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嗤うがいい…だがコレがオレの旋律(仮)  作者: ken
第一章 現世から異世界へ(仮)
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EP028 カツ揚げは嫌いデス

公道に出て空を仰ぐ。天気は曇りである。車が来ないことを確認して道を渡る。

とにかく、朧の言っていたブナの巨樹があるという山はそれほど遠くはないだろう。


しかし、山では直線距離などまるで意味を成さない。

移動距離として見た場合、つづら折りのクネクネとした山道は見た目よりも何倍も距離があるのである。ましてや山頂まで登ることを考慮すれば、平地でのそれとは比べるまでもない。二次元脳ではなく三次元脳で判断しなければならないのが山である。

早めに出発しておくに越したことはないのだ。


登りの続く勾配では、ギコは既に乗り物ではなく荷物に等しかったが、大きな鞄を直に手に持って歩くことを考えれば、車輪のついたギコに載せて引いて行く方がはるかに楽だ。キャリーケースにキャスターが付いていなければ苦労するのと近い理屈である。


それにしても、相変わらず山の空気は美味い。


たまに通り過ぎる車の排気ガスの匂いは酷いものがあるが、それらの匂いさえゴルバチョフや余市の野糞に比べたら遥かにマシなレベルとも言える。プラス思考は大事だ。

ギコを引きながら黙々と山道を歩いて行く。ペダルを漕がれていないギコは、ギコギコ言うこともなく静かなものだった。


前日にある程度、登っていたこともあり、山頂には比較的早く到着した。

山頂とは言っても二等辺三角形のような絵に描いたような山ではないし、道も馬鹿正直に山頂を跨いでいるワケではない。これ以上の標高に達する道が無さそうだというだけに過ぎない。

徐々になだらかな登り勾配からほぼ平坦に近い道になっただけである。

木々の隙間から前方に大きな山が見える。


なるほど、朧の言っていたブナの山というのはあの山だな。


明日の夜にはあの山頂に辿り着いていなければならない。今日は曇り空も手伝って暗くなるのが早そうだ。夜までに一気に下っておきたい。


ペットボトルのお茶で喉の渇きを癒すと、意を決したかのようにライダーマン方式で颯爽とギコに跨る。


「アッ痛ッ!」


足を高く跳ねあげた瞬間、忘れていた菊座にピリリと痛みが走った!


やはり切っていたか…。


しかし、負傷しているのはギコも同じである。

黒に啄まれ傷付いたギコのサドルと、鋭利な笹の葉で傷付いた余市の菊とが今まさに重なり、同じ痛みを知る戦友かの如き感動のハーモニーを奏で始めようとしていた!


リズミカルにペダルを漕いで行く余市、それに呼応するかのようにギコギコと小気味良い音を返すギコの姿がそこにはあった。


緩やかな登りと下りが交差する山道も、徐々に下りの比率が多くなっていく。

そしていつしか道は太さを増して片道1車線に戻っていた。県道278号に合流したのかもしれない!

数年ぶりに娑婆に戻ってこれたかのような高揚感を噛み締めていると、道はほぼ下りオンリーとなった。

ママチャリの限界に近いスピードで風を切って行く余市は、この瞬間この峠に限り、誰にも知られることのない名も無きダウンヒルのスペシャリストなのだ!


もうすぐ山の麓に辿り着く。ひと山制覇目前!おそらく次あたりが最後のカーブとなるであろう。

有終の美を飾るべく、バイクレーサーのように思いっきりギコを傾けてカーブに突っ込んで行く。

所謂、バンクである。

チャリなので流石に膝が付くほどは倒せないが、脳内イメージはそれに近い!

カーブを抜けるタイミングで上体を滑らかに起こして行く…。

がっ!目の前に物体がっ!!!


ガッシャーンンッッ!!!


衝撃と共に宙に舞う余市!

脳内イメージとは裏腹に、余市とギコはカーブを曲がり切れず、大きく路肩の方にはみ出してしまっていたのだ!

頭の中が真っ白になり、いよいよこれから走馬灯とやらが開始されるのであろうか?


そんな予感を打ち消すかのように、


バフンッ!!!


何やら鉄板のような場所の上で仰向け状態で静止した。


う…うぅ…ここはどこだ?


ゆっくりと上体を起こす。

そしてすぐに気付く。そこは車の天井の上だった。


「な…何でこんなとこに車が止まってるんだよ…」


体勢を整え、降りようとした余市に、


「テメェー!突っ込んでんじゃねーよっ!!!」


ドアを勢いよく開けて若い男が飛び出して来た!…チャックを上げベルトを締めながら。

咄嗟にびっくりした余市は、


「す!すみません!」


とにかく謝る!ひたすら謝る!アドレナリンが多量に分泌されているのか、事故った際の身体の痛みなど全く感じない。


「いつまで乗っかってんだぁ!?ああーん!?」


車の天井に正座していた余市は、胸ぐらを掴まれ引きずり降ろされる。

細いサングラスに脱色した金髪のリーゼントは襟足だけがやけに長い。半袖の下に長袖を着込み、胸元にはシルバーの何かが光っている。つまり、死語となって久しいヤンキーを絵に描いたような風体である。

絶滅危惧種(レッドリストカテゴリー)であることは間違いない…。


「もーう…だからこんなトコでするの止めようって言ったじゃーん!」


車の中からは馬鹿っぽい女の声がする。


「ホテル代ケチるからこんなことになるんでしょ!そんなカス放っておいて行こうよ!マサヒコォォー!」


ややビブラートを効かせた声質の女はヒステリックに続けるが、外には出て来ない。

それにしても、オレの顔も見ずにカス呼ばわりかよ!


「オレの車、傷付けやがって!有り金全部置いてけや!ゴラァッ!」


胸ぐらを掴んだままマサヒコと言う名の男が凄む。

車の傷なんてまだ確認していない癖に…などとは口が裂けても言い出せない状況。言われるがままに財布を取り出す余市に、漸く胸ぐらを解放するマサヒコ。

そして、諭吉や野口たちだけでなく小銭までもがカツアゲされてしまう。お椀の中の米粒ひとつ残さず食べろと教育された農家の息子か?

だが、キッチリしているマサヒコに対し何も言い返せないし、この状況で言い返すべきではない。


金額にそこそこ満足したのか、空っぽの財布をメンコのように地面にピシャリと叩きつけると、


「坊主、車には気ぃ付けろよ…」


兄貴風味の台詞を小声で残す。

そして、くるりと背を向けて何やらタコ踊りらしきモーションを数秒披露したかと思えば、ペッ!とアスファルトに唾を吐き、車に乗り込むマサヒコ。エンジンを回すと、ゆっくりと走り去って行く…。


ボッボッボッボ…ブゥオォォンンッ!ブオォォンンッ!ボッボッボ…


凄い爆音である!当然、純正マフラーではない。

山道なのに車高も恐ろしく低く地面スレスレである。左右にはみ出したタイヤも例によってハの字であり、所謂シャコタン仕様、海外で言えばライサーってやつだ。

上方に大きく捻り上げられたナンバープレートには『熊谷』の文字。

よく見るとリヤスポイラーの下には、何故ここに?と突っ込まずにはいられない『阿鼻叫喚』の四字熟語まで確認できる。

…車の方もマサヒコに劣らず絶滅危惧種であったと知る。

何だかんだで結構、金かけてんのな…農家の息子って金あるのな…オレだったら迷わず痛車にするのにな…。


そんな骨董品のような車とマサヒコを黙って立ち尽くし見送ることしかできないビビリな余市。

アスファルトの唾の横に叩き付けられた痩せた財布を拾いながら、弱肉強食の世をまざまざと思い知る。

厳しい自然界で、カラスの黒はオオタカにやられたが、余市は熊谷ナンバーのマサヒコにやられてしまったのだった…。


マサヒコは絶滅危惧種だった…故に必死でもあったのだ。被害者なのに何故か少し感銘を受けてしまう。

よく考えてみれば、悪いのはオレの方だよな。駐車とカツアゲはマサヒコに非があるだろうが、猛スピードで一方的に止まっている車に突っ込んだのはオレだもんな…。


はっ!ギコ!ギコは無事なのか!?

慌ててギコを探す。


ギコの身体は無慈悲にも路肩脇の藪に投げ出されていた!

そーっとギコを起こす。完全に前輪がイカレちまっているようだ。車輪が回らない…。

臨終の蝉のような声を発していたベルも、上半分の蓋がどこかに消え失せ、中の錆びたゼンマイのようなものが剥き出しになっていた…キカイダーの顔を横にした感じを彷彿とさせる。

カゴはグニャリと変形し、不細工さに更に磨きがかかってしまったようだ。


数分前、オレとギコはこれまでにない一体感でもって風になっていた…そう考えると目頭が熱くなる。

これは神社で野糞した罰なのか…否!単にオレが調子こいたせいだな…。

とにかく、手当をしなければ!

幸いにも後輪やチェーン部分は大丈夫そうではある。カゴやサドルの曲がりも何とかなるだろう。

問題は前輪だな…。

前輪が回らない原因は、泥除けが変形してタイヤに完全にめり込んでしまっていたからだと判明。奇跡的にパンクはしていないようだ。ここさえ直せば少なくともタイヤは回るはず。後は乗ってみなければ分からない。


辺りはどんどん暗くなって行く。デビルアイのため問題ではないが、何故か気持ちだけは焦る。


それから約10分、余市は前輪の泥除けと格闘した。

結果として前輪は回るまでに回復した。そして、実際に乗って見ても違和感はなかった。


指を何箇所か擦り剥き体力もかなり消耗したが、その甲斐あってギコは立ち直ったのだった!

それと同時にとてつもない反省の念が余市を包む。ギコ、ゴメンな!本当にゴメン!無謀な運転をしてしまった自分に猛烈に腹が立つ。


ギコの治療に集中していたために後回しになってしまっていたが、前カゴに載せていた鞄と脱げてしまった片方の靴も探さねばならない。

鞄は少し離れた藪に転がっていたが、脱げて吹っ飛んでしまった片方の靴は、何故かなかなか見つからなかった。


諦める…しかないのか?


流石に靴の予備は持って来てはいなかった。

この先、右足だけ裸足でペダルを漕ぐしかないのか?

左右のバランスが大きく崩れるのは避けられない。しかし、強引ではあるがプラス思考で捉えるならば、セクシーなモンローウォーク風味なペダリングとも言えなくもない…が、そんなあまりにも深過ぎる、悲しいまでの意味を、余市以外に汲み取り理解してくれるようなマニアックな知識人が果たしているだろうか?…流石に皆無(ノバディ)であろう。


片足を失った黒に比べれば、靴なんてカワイイもんだが…。


嗚呼っ糞!


思わず空を仰いだ。


が…徐々に笑いが込み上げてくる。


くっくくく…。


それは、絶体絶命の苦境に立たされながらも、その状況を楽しむかのような高貴な愉悦から来た笑いでもなければ、完全にデッドエンドなこの状況に脱力して気が触れてしまったかのような類のものでもなく、単にマヌケな部類の笑いだった。


下を向いて幾ら探しても見つからないワケだ!…まさか頭上の木の枝に引っ掛かっていようとはなっ!

オデコに掌をペタンと当てて、思わず口に出す。


「ふっ…ふははははは!この余市、まんまと出し抜かれたわ!!!」


それから暫くの間、枝に向かって石を拾い投げ続けるという、極めて原始的かつストイックな行動を繰り返して漸く靴を取り戻すことに成功したのだった。


かなりの時間を浪費してしまったが、安全運転を肝に銘じてベーシック方式でサドルに跨ると、ゆっくりとペダルを漕ぎ始める。

一文無しとなってしまったことで、食糧は焼きたらこのオニギリと缶詰だけとなってしまった。水分補給は、お茶がなくなれば川の水でも汲むしかなさそうだ。仮に自販機やコンビニがあったとしても、今の余市には無意味なのだから…。

明日の夜には異世界に旅立つとはいえ、非常に心細い。


しかし、不思議とカツアゲ犯のマサヒコに対する憎しみは生まれなかった。

ひょっとしたら車の修理代がカツアゲ代より高くつく可能性も否定できないからだ。

サル目ヒト科ヤンキー属(族?)走り屋のマサヒコ…峠を四つ輪で走るという、消えてしまいそうな文化を継承する絶滅危惧種の雄である…。

プラス思考で行くならば、余市はそんな文化を募金で応援したメセナ活動のスポンサーであるとは言えないだろうか?

…しかしそこで余市は大きく首を振る。

思考が飛躍し過ぎているな…現実的に考えるならば、拉致被害者の諭吉や野口はおそらく既にラブホ代としてピンク色に染まり、消されている公算が高い。ラブホ文化と言うものがあるのならば別だが、単にマサヒコの今宵数発の射精のための悦楽資金、それ以上でも以下でもなさそうだ…。


「オレをカス呼ばわりしたあの馬鹿っぽい雌豚をせいぜいイイ声で鳴かせてやるんだな!マサヒコ先輩ヨォッ!」


タイヤではなく眉をハの字にし、口元をひん曲げた表情でもって、精神勝利に酔い痴れるしかない童貞余市は、ギコのハンドルグリップを握る拳に、ここぞとばかりに力を込めたのだった。



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